恋の香り
白と青が基調の港町。島の急な斜面に沿う形で作られたそれの、唯一平面の場。それは岩石海岸と浅瀬を埋め立てて造られた場所で、わざわざ坂を上らなくてもいいという理由でたくさんの人々がごった返す区画。それは広く、沿岸沿いに人気のない街外れまで続く。賑わうメインストリートから外れた街外れとなれば、あたりを照らすものは月明かりぐらいしかなくなり、建物の代わりに南国の自然が入れ替わる。そこまで来ると人工物として目に付くのは海岸沿いの白い石畳の道と、それに沿う形で等間隔に置かれた白い横長のベンチぐらいだ。
美しい海と海のはるか遠くに見える様々な島々。夜景。雲一つない流れ星が流れる夜空。そのロマンチックな雰囲気の中、いちゃつくプレイヤーやNPC達を疎らに見ることのできるその場にて、全てにおいてミスマッチである、ボロいおでんの屋台がポツンとそこに一つあった。
屋台の前に設置された、木箱を両サイドに置き、その上に横長の板を乗せただけの椅子とも呼べぬ粗末な腰かけ。詰めてやっと三人が座れるであろうそれに腰を下ろした花子一行は、なんだか湿っぽい雰囲気を醸しながらそこにいた。
「うっ…ううぅ~! バカバカバカッ! 私の馬鹿ッ!」
あっさりとは断ち切れぬ未練。勝利をほぼ手の内に収めたところからの凋落。己の愚かさと後悔とでその顔を盛大に涙で濡らし、その黒革と骨とマントの装備の少女、猫屋敷花子はその手にあるコップの中身を一気に呷る。
「花子のお嬢、飲み過ぎは身体の毒ですぜ…? もう控えた方が――」
「うっさいッ! 梅ジュースお代わりッ!」
荒れる花子の声に目を強く閉じ、肩を竦める屋台の店主。橙色の角刈りの、背は低いが横にガタイの良いその男。モグモグカンパニーのヤスは言われるがままに花子の前へと梅ジュースの入った瓶を置く。嘗てベウセットと居た時は大人しかったが、今の花子はもう手が付けられない。厄介な客と化した花子にヤスは完全に手を焼いていた。
ヤスの目の前には、粗末なカウンターに突っ伏してシクシクと静かに泣くシルバーカリスと荒れる花子。それらに背を向ける形で椅子に腰かけ、どこか後悔した風な顔をして不味そうに酒にチビチビ口を付ける眼帯の衛兵の姿。その中で、唯一会話が出来そうな眼帯の衛兵へとヤスの視線は向く。
「――眼帯の旦那ぁ、何があったんです?」
「博打で全財産スッたんだよ。こいつら」
眼帯の衛兵はちらっと横目でヤスの方を一瞥し、一言言うと口をへの字に曲げてもう一口酒を飲んだ。ヤスはそれに耳を疑ったような顔をし、半べそをかきながらタコ足を噛む花子と突っ伏したままのシルバーカリスに視線を向ける。
「…花子のお嬢も、お隣のお嬢さんも…一階層のライブに出ていやしたよね…報酬は相当なものだったと聞いてやすが…それを全額…?」
「あぁ、ハイリミットフロアで全財産賭けて殴り合いよ。最後の最後負けるまでは4000万ゴールド相当のチップ持ってたんだけどな、全額掛けた一世一代の大勝負で負けて一切合切ごっそり持ってかれたってわけよ」
「ありゃ~…そりゃご愁傷さんですね。でも花子のお嬢らしいや。そこらの玉付いてんだか付いてねえんだかわからねェ男なんかより男らしい。カッコいいですぜ!」
ヤスはそう言ってモグモグとタコ足を口内で咀嚼する花子の方へと視線をやり、ビシッと親指を立てて歯を見せ笑う。だが、そんな言葉今の花子の慰めにもならないようで、彼女はぷいっと顔を逸らした。
「んで、ヤッさん。おめえさんよぉ、なんでこんなところで屋台やってんだ?」
「…副業ですよ」
「おめえさんとあろうものが副業ねぇ…そうそう、風の噂で聞いたんだけどよ、でけえギルドや組織が集まって協定結んだってな。30階層のNPCの島、ゴルドニア島は中立地帯。介入しちゃならねえってな」
「あぁ、聞いてやすぜ。こんだけ風情のある島ですからねェ、無粋なもんおっ立てれたら興も削がれるってもんでさ」
二人は短く、ほんの世間話をするようなノリで会話をする。その後で眼帯の衛兵は紙巻タバコを口に咥えると、屋台で使い切れぬであろう程のゴールドの入った袋を皿などが乗る粗末なテーブルの上へと置き、席から立った。
「おや、眼帯の旦那…もうお帰りで?」
柴犬の朗らかな顔が彫金として入れられたジッポライターを取り出し、紙巻タバコの先端に火をつける眼帯の衛兵に、ヤスは一言投げかける。
「…おぉ。明日も予定があるもんでね。おでんごっそさん」
眼帯の衛兵は美味そうに紫煙をくゆらせると、爪先を港町の方へと向けて間も無く歩き出した。
「ポイ捨てはダメですからね、旦那」
見かけによらず真面目なことを言うヤスの言葉に眼帯の衛兵は進行方向に顔を向けたまま、その手に持った携帯灰皿を見せつけるように肩の高さに上げて左右に振る。それにはジッポライターにあった物と同じ柴犬の彫金が入っていて、左右に振らされるたびに明るい月明かりが反射して、柴犬の朗らかな顔が煌めく。
そして取り残されるヤスと戦いに敗れた二人の少女。湿っぽいその雰囲気にヤスの顔が自然と居心地悪そうな苦笑いになる。とても話しかけようとは思えぬ雰囲気。黙っているのが最善であろうそれは、何か面白い話でもしようと考えていたヤスを躊躇わせ、口を閉じさせた。
「ねぇ…明日もまた来てくれる?」
「俺の連れは明日も優雅にバカンス楽しむだろうし、行けるっちゃ行けるけど…こんな貰っていいのか?」
二人の男の話し声。半べそをかきながら自棄食いを始める花子の隣で突っ伏して泣いていたシルバーカリスは、それに顔を上げてふと耳を澄ます。一人はなんだか甘えるような抑揚の声で、対するもう一人の反応は純朴と言うか、空気を読まないというか、話し相手の腹の中が全く分かっていない風なもの。シルバーカリスは少し考え込んだ様な顔をし、眉間に皺を寄せると思考を巡らせる。その聞き覚えのある二人の声に。
「いいんだよ。一緒にいると楽しいし…」
二つの声が聞こえる方向はシルバーカリスの側面側。屋台の屋根を支えるボロい木の板の壁で視界は通らず、目視でそれが誰であるかは確認できない。…それは徐々にこちらの方へと近づいてくる。大きく背を背後に倒す形になれば、彼らの姿を見ることも敵うが、今はそんな気分にもならない。有り金が吹っ飛んだ深い悲しみにより、だんだんとどうでもよくなってくる。
それが聞こえているであろうヤスはその雰囲気をぶち壊さないよう配慮してか、口を閉じている。なんだかその雰囲気を味わったような顔をして。…彼が此処で屋台を出している理由はカップルの惚気を聞くためだろうか。見る者にそう勘繰らせる様子で。少なくとも恋愛の観察が出来れば男同士でも別に構わないようだった。
「はぁ…まあ塩作るより全然楽だし、楽しいけど…なぁんか施されてばかりっていうかさ…俺そういうの苦手で――」
「それは違うよ。僕のボディーガードも兼任してるし、施しなんかじゃない。それはちゃんとした対価だよ。もし高いと思うなら、その分は僕の気持ちってことにしておいて」
…大凡男同士で話すような雰囲気ではない。少なくとも甘ったるい雰囲気のハスキーボイスの方は。――まあ、人の好み、愛の形は人それぞれ。他人に迷惑が掛からぬのであれば何でもいい。きっちり線引き出来ているシルバーカリスはそれに気すら留めなくなる。己の隣に座る、花子の異変に気が付いたことによって。
「そう? んー…わかった。でもお前も仕事あんだろ? 治安維持の。今日の夕方もなんか騒ぎがあったって言ってたじゃん。俺邪魔になってねえかな?」
「ううん、そんなことないよ。――あっ、流れ星」
顔を横に向けたシルバーカリスの視線の先では、仏頂面の花子がおでん鍋の方を一点に見下ろしている。他人の幸せを、強いて言えば惚気話を静かに、ただ静かに我慢しているような、だが今にでも食って掛かりそうな不穏な雰囲気で。…その不穏な空気に気が付いたのはシルバーカリスだけだ。この屋台の店主であるヤスは目を閉じ、しみじみと味わい深い顔をしているだけで、全く気がついた様子はない。
「流れ星ね。結構ショボいよな。もっと景気よく行ってくれたら見応えもあるんだけど」
「今の流れでそういうこと言う? …でもそういう冷めたところも気に入ってる」
「おっ…おぉ…ありがとよ。つか…なんか近く――」
その時、花子は立ち上がった。ガタンと大きな音を立てて、その右手に持ったコップを粗末なテーブルの上にたたきつけて。そのただならぬ鋭い物音に一瞬、その場に居る者たちの動きが止まる。
その音にヤスは閉じていた瞼を開く。彼の目の前には、後方へ振り返り、屋台の暖簾を勢いよく右手で払う花子の姿。その隣には花子を止めようと手を伸ばしかけたシルバーカリスの姿もある。止まらない花子、今彼女が動く理由、原動力。それは八つ当たり以外の何物でもなかった。
「さっきからグダグダうるさいわねッ! このホモ共ッ! 今ご飯食べてんのよッ! 盛るんなら向こうで――」
「こらっ、花ちゃんッ、ダメですって! ごめんなさいごめんなさい、この子ちょっとご機嫌斜めで――」
花子の派手な啖呵。聞いていて心地よくなるほどの歯切れのよい話しぶり。その隣ではガタガタと慌ただしく動きながら遅れて花子の隣に立ち、彼女を止めようとしつつ、二人の男を視界に捉えることなく平謝りするシルバーカリス。しかし彼女たちの言葉は言い切られることはなかった。その波止場の端に立っていた見知った人物を視界に捉えたことにより、言葉が途中で途切れたことによって。
コップを右手に持った花子とその隣に立つシルバーカリス。彼女たちの瞳に映るは橙色の瞳の明るいブロンドの髪のショートレイヤー、白いハイドアーマーを身に着けた少し人相の悪いがなかなか格好いい顔をした少年と、花子より少しだけ背の高いゴルドニアファミリアのスーツ姿の薄い青髪の生意気そうな顔の美少年。なんかやけに距離が近いその二人の姿は確かに見覚えのある顔だった。相手側もまさかの二人組の登場に、驚いて声を失い目を見開き、固まっている。
「リッ…リックさん…!?」
それはもういじけたような、ふてくされたような顔をし、目じりを座らせ八つ当たりモードであった花子であったが、まさかの組み合わせ、自分の仲間のまさかの一面を目の当たりにすることによって、その顔を驚きと畏怖の混ざったものにし、声を震わせる。見てはいけないものを見てしまったかのような罪悪感。暴いては行けなかった真実にぶち当たったかのようなものを味わいながら。
「あっ、おまっ…違うぞ! 誤解だッ、そうじゃないッ!」
青髪の美少年の明らかなる好意を寄せられたときはそれに気が付かないふりをしていたのか、それとも本当に気が付かなかったのか。それは分からないが、花子の反応を目の当たりにしたリックは彼女の考えていることが分かったようで、先手を打つ形で否定する。頬をやや染めて、なんだか焦ったように、声を荒げて。
「…なんだお前ら。まだこの島に居たのか。僕のリックを気安く呼ばないで貰いたいな」
そんなリックの前へと出、花子たちが良く知った態度で凄む青髪の美少年。その姿は、ゴルドニアファミリアの根城で見ることのできたそれそのもので、傍から見ていたリックに自分の連れ二人と青髪の美少年、それらが顔見知りだということを察させる。
「えっ…お前ら顔見知りか。口ぶりからすると今日会ったみたいだな。…あっ、夕方あった騒ぎってのはもしかして…」
「うん、こいつらが問題起こしてたんだ。ねぇ、リック。こいつらと知り合いなの?」
「まぁ…そうだな。バカンス楽しんでる連れが居るって言ったろ? こいつらがそうだよ」
青髪の美少年はそのリックの言葉を聞くとその目つきをより厳しいものにして、花子とシルバーカリスの方へと近づく。カツカツと音を立て、白い石畳を踏んで。その冷たい刃のような雰囲気にも花子はたじろぐことはなく、彼の後ろに居るリックの方へと視線を向けた。それはもう悪戯っぽい笑みをその顔に浮かべて。
「さすが元ホスト。女の子だけじゃなくて男の子も喜ばせてあげられるのね」
「語弊のある言い方はやめろ。俺は荷物持ちやってただけだ」
明らかな敵意の擦り付けを目的とした花子の物言いに、リックは不機嫌そうな顔になり、呆れたような抑揚で返事を返す。疚しいものなどはなく、それ以上でもそれ以下でもない。そういった確固たる自信があるためか、彼は堂々とした雰囲気だ。ただ、花子とある程度気心知れた風にするリックの方へ振り返った青髪の美少年は、明らかに嫉妬を感じた風なムッとした顔になっている。…そんな乙女のような一面を見せる青髪の美少年の姿をシルバーカリスはその灰色の瞳に映し、次にリックの方へとその目を向ける。
「リックさん、塩作るバイトやるとか言ってましたけど…なんでこの島に?」
「一番良い条件のところが此処に拠点持ってるって聞いてここに来た。んまぁ、働いてる途中に競合相手のギルドが殴り込んで来てそれどころじゃなくなったんだけどな」
「あぁ…それでここの治安組織の人たちに捕まったんですね」
「そんなところ。こいつ、セラアハトが居なかったら今頃牢屋だったかもな。まあいろいろあって塩作るバイトよりいい仕事にありつけたわけだ」
リックはそう言い、自分の方をムッとした顔で見ている青髪の美少年の隣にまで歩を進めると、彼の頭の上に片手を置いた。シルバーカリスは何か思ったようでもなかったが、花子はその発言に片眉をピクリと動かす。
――NPCなのに名前があるのか? 役職持ちのキャラクター? ただ世界の中を歩き回り、次の階層へと飛ぶ本を探すストーリーなんてない、少し危険なハイキングゲーム。それがこのまさひこのパンケーキビルディングであると思っていた花子は意外そうな顔をする。ただ、彼の名前の事については口には出さない。乙女のように気難しい青髪の美少年、セラアハトの機嫌を更に損ねて面倒なことになりそうと考えて。
「…つか、お前らどうした。なんかほっぺたに涙の痕みたいなの見えるけど…」
花子が考え込んでいると、花子とシルバーカリスの方を見ていたリックが彼女たちの異変に気が付いた。その白い頬。それに見ることのできる涙痕に。その指摘に花子とシルバーカリスは思い出さないようにしていた事実を嫌でも思い出し、その両肩を落とす。大きなため息とどんよりとした雰囲気を纏わせて。とても更に踏み込んで話を聞こうと思えぬそれは、それ以上の問いを投げることをリックに躊躇わせるには十分なものだった。
「花子のお嬢とそのお友達は一世一代の大博打で全財産スッたんですよ」
「あぁ…そうだったんですか…ッて、えぇっ…!?」
突如、花子たちが出てきた暖簾の向こう側から聞こえるヤスの声。花子たちの口から言わせるにはあまりにも酷な真実を代弁してくれたそれに、リックの傍のセラアハトはいい気味だとでも思ったように嘲笑し、遅れながら理解がおっついたリックは驚いたような声を上げて、見開いた目で俯く花子とシルバーカリスの顔を交互に見る。ヤスのある種のやさしさ、それを感じているのか、花子とシルバーカリスは苦虫を噛み潰したような顔をするだけで、ヤスに食って掛かったりはしない。大人しいものだ。
「――ふっ…手間をかけるわね。ヤス…嘘偽りない真実よ。でも気が付けたの。私たちは攻略勢…こんなところで油売ってる場合じゃないって…」
少しの重苦しい沈黙の後、花子が寂し気な笑みと共に口を開いて言葉を発する。あまりにも綺麗なそれは作り物、張りぼて。そうとしか思えぬものだ。彼女はそういう形で自分を納得させようとしている。そうとしか思えぬ言葉だった。あまりにも重く、悲壮感の凄まじいそれは、とても茶化そうとは思えぬものだ。
「……おっ…おぉ…。じゃあ明日から次の階層に行くんだな?」
重い。空気が重い。まとわりつくようなそれに胸を押される感覚を覚えつつ、場の空気を和らげようと引き攣った半笑いをその顔に浮かべ、リックは言う。しかし、花子は頷かない。ただ考えたように伏せた視線を横へと反らし、沈黙するだけ。
「…水上バイクを売ってから行くわ。たぶん10万ゴールドぐらいにはなってくれるはず…!」
楽しかった思い出、未練を断ち切る禊ぎの義。付き合っていた相手と別れ、それらと作った思い出と、共に歩んで作った様々な品。それらを一切合切捨て去る決心をしたかのような雰囲気。今花子が発する雰囲気は紛れもなくそれであった。
これ以上聞くのは余りにも酷だ。と言うか辛い。そう思ったリックは、セラアハトの頭の上に乗せていた手を下し、己の小物入れの中から階層転移の本を取り出し、それを開いた。
「んまぁ…あれだ。いいことあるって。そのうち…とりあえず帰ろうぜ」
「そうね…そうしましょう」
淀む空気、消沈する気勢。慰める言葉など見つからず、リックはただ帰ることを進めることしかできなかった。大人しく、しおらしく、普段見ることのできない花子の様子に。
「それではリックさん、お先に失礼します。さ、行きますよ、花ちゃん」
「少し待って頂戴…これでいいわ」
片手で本を開いたシルバーカリスは花子の肩に手を置くが、花子の制止の言葉によって動きを止め、その間に花子はおでんの屋台のテーブルの上に右手に持ったコップを置くとシルバーカリスの顔を見て、頷いて見せた。それによってシルバーカリスは止めていた親指を一階層の絵が描かれたページへと進ませて、二人は光りとなってその場から姿を消した。
それを見届けたリックはセラアハトへの方へと顔を向け、別れの挨拶をするべく、口を開きかけたところで――
「ねぇ、リック。あの二人と一緒に暮らしているの?」
なんだか気を揉んだ風なセラアハトが問いかける。リックは彼の気持ちに気がついてはいたが、はっきりさせないことによって守られる秩序、均衡もあると考えていた。故に、今回ものらりくらりと躱し、現状維持のまま事を終わらせることに頭を回す。
「あぁ。つってもでかい屋敷の中の一室使わせてもらってるだけだし、お前が思ってるような感じじゃないよ」
嘘は言っていない。故に、後ろ暗く思うこともない。ほっとした様子のセラアハトを目の前にし、リックは親指を一階層の絵が描かれたページの上に止めた。
「それじゃお疲れ。たぶん明日寄る」
「うん」
おでんの屋台の前でリックとセラアハトは短く会話を交わしたところで、リックは親指を開かれた本の絵に触れさせ、その場から消える。それにより、先ほどまで騒がしかった街はずれの波止場には、吹き抜ける潮風と波の音だけが残った。
そしてそこに佇んでいた青髪の美少年、セラアハトもその場を後にし始める。残るのはヤスがやっているおでんの屋台だけ。ハードボイルドを気取って、必要最低限の介入だけでその場の空気を味わっていたヤスは、おでん鍋の向こうにある、食器類を片付け、眼帯の衛兵が残していったゴールドの入った袋を手繰り寄せる。その中身は三人が飲み食いした代金にしては多すぎる金貨と、朗らかな柴犬の顔が書かれたメダルが1枚。ヤスはフッ、と鼻を鳴らして微笑するとそれを今回の売り上げが入った袋の中へとしまい込んだ。
恋の香り(意味深)