ろくでなし共の熱い夜
島の内陸部の緑豊かな丘の上にある淡い青色の洋館。
青い薔薇、白い薔薇の花弁を舞わせる潮風の中、この島、ゴルドニア島の港町を一望できる立地にあるそれは、この島の支配者である治安組織、ゴルドニアファミリアの拠点の一つ。
港町と水上都市とで構成される、眼下に広がる都市を監視を目的として建てられたそれが、花子たちの目に大きく見えた時、もう空の色は橙色で、その美しい色がキラキラと海の水面を輝かせていた。
洋館前。アーチに花壇。中心には涼やかな水の音を立てる噴水。
青と白の薔薇の見事な広い庭を、スーツ姿の美男美少年の一団が進んでいく。
集まりの核に、両手を後ろ手に拘束された黒マントの少女と、青布と黒鉄の鎧姿の少女、スーツ姿の青髪の少年を置いて。
共に取り調べをすると揉めると思ったのか、花子とシルバーカリスがこうなった原因の一つである三人組の姿はその場にはなかった。
「この島は平和ね。アンタたちのどんな些事にも全力で対応する熱心さには感動を覚えたわ」
「ここ最近はそうでもない。何故だか全く見当もつかんが」
「ふぅん。大変なのね。でも悪い事ばかりじゃないんじゃない? 街の人たちに素晴らしい働きぶりを見せられてたし」
「……自分の立場が分かっているのか?」
この島とその治安を守る青髪の少年とその仲間たちへ賛辞を贈る黒マントの少女、花子と受け答える青髪の少年の何気ない会話風景。
一見すればただの世間話。もっと近づいてみれば治安組織に捕まった罪人による媚び売りのワンシーンに見えるところであるが、その実は皮肉の応報で、花子も青髪の少年も各々の言葉の裏にあるもの、言わんとしていることを読み取りながらも会話を続け、結果、後者が憎らし気な表情で前者の横顔を睨み、先に感情を表に出す形で決着がつく。
「あら、何か気に障る様な事言った?」
「いい性格をしているな。お前」
以前は殆ど活躍の場がなく、街の人々からその存在意義を疑問視されていたであろうことを見越し、その事と、相手とその仲間たちを暇人と暗に嘲笑った花子は、感情的になった青髪の少年にすっとぼけて見せて、なんとも陰険な、勝ち誇ったような笑みで睨む相手に対応。
その横では花子の込めた皮肉の意味すべては読めはしなかったが、その悪意を感じ取っていたシルバーカリスが苦笑していて、その最中に一団は大きな洋館の入り口へと差し掛かる。
エントランスホールは広く、白と青が基調のデザインが成された、石材メインで構成された立派な物。室内の明かりは蝋燭によるものだけで薄暗く、橙色の夕日の光が及ばないところはよく見渡せない。
そのエントランスホールを一団と共に歩く最中、シルバーカリスも花子も……天井に掛かる、大きく古ぼけ、朽ちかけた旗の様な物に目が行く。
――兎の髑髏? ゴルドニアファミリアの紋章とは違う……。
――帆船の帆かしら。イカしてるわね。
歩調を決めるのは自分たちを連行する周りのスーツ姿の男たち。
エントランスホールにある気になる物に注目していられる時間はそう長くはなく、一団がエントランスホール脇の廊下に入ったことによって、自然と花子とシルバーカリスの視線は前へと向いて、間も無く廊下を入ってすぐの所にある一室へと通された。
二人を先ず出迎えるのは橙色の眩しさ。建物の中の薄暗さからの美しく鮮烈な夕日だ。扉を開けた向こう側を見た者は、きっと誰でも目が眩むだろう。
だがそれもほんの一瞬。目は慣れる。
見えてくるのは沈みゆく夕日が背景にある窓と、その手前にある客間。上等そうな家具と灰色の絨毯。部屋の中心にて豪華な長四角のテーブルを挟み、椅子が二つずつ置かれていて、その内の一つ。窓際のものには既に誰かが座っている。
長い白髪の黒いコートの端整な顔つきの美男。
茶ばんだ紙の上に羽ペンを走らせつつ、彼の鮮やかな深緑色……ビリジアンの瞳が入室者である花子とシルバーカリスを見据えた。
「お前らは下がれ。ここからは僕達だけで十分だ。奴らの装備も僕が預かる」
「わかった。港町の警備に戻る。……大丈夫か? 結構重いぞ?」
花子とシルバーカリスの入室を確認した青髪の少年は、一歩部屋の中へと入り、開け放たれた扉の向こう、廊下に立つ、シルバーカリスの後ろについていた銀髪銀眼の美少年と何やら話し始める。
その最中、淡々としているが不機嫌そうな雰囲気のある白い長髪の男が花子とシルバーカリスの目を見た後、己の前、テーブルを挟んだ先にある二つの席を顎でしゃくった。
「お喋りは苦手? 恥ずかしがり屋さん。お洒落の為なら暑くても我慢する感じ?」
「前々から思ってたんですけど、花ちゃんは暑くないんですか?」
「実は言うと結構暑いの。でも着ていないと落ち着かないの。アンタも暑そうよね」
「ええ。明日普段着買いに行きます?」
「ふふふっ、いいでしょう。明日ファッションセンスバトルと洒落込みましょう」
「見せてもらいましょうか……花ちゃんのファッションセンスと言う物を!」
口元に笑みを浮かべ、流し目で白い長髪の男を見遣り揶揄う花子と、その花子の発言を耳にし、前々から思っていたことを何となく聞くシルバーカリスは、各々椅子へと腰かけ、世間話に花を咲かせる。
丁度そのタイミングで、身体を使って扉を閉め、両手に盾やら剣やらルツェルンハンマーやらを両手いっぱいに抱えた、青髪の少年が室内の方へと向き直り、その姿は白い長髪の男から視線を外した花子の目に触れる。
「それ、結構な値打ちものなのよ。丁寧に扱いなさいよね」
人を揶揄わないと死ぬのだろうか。透かさず花子は絡む。重そうに自分たちの装備を抱え、部屋の隅のキャビネットの上にそれを置こうとしていた青髪の少年を。
そんな薄ら笑いを口元に浮かべた花子を、半目でムッとした表情で黙り、少しの間睨んでいた青髪の少年だったが、彼は不意にその両手にある荷物を灰色の絨毯敷かれた床にこれ見よがしに放って見せた。
「ちょっと!」
「悪い。落とした」
「白々しい嘘つくんじゃないわよ! 誰がどう見てもわざとだったわ! ね、シルバーカリスもそう思うわよねッ!」
ムカつく花子に一泡吹かせて満足したのだろう。青髪の少年は口元に微笑を浮かべながら、喚く花子を後目に、放った荷物を再び抱えて部屋の隅のキャビネットの上へ置き、踵を返して花子たちが座る場の対面。白い長髪の男の隣の席へと腰かける。花子とシルバーカリスの罪状が書かれているのであろう、丸まった茶色い紙を彼の前へと置きながら。
そして整う。聴取の場が。
「……それでこれから僕達どうなるんですか?」
青髪の少年にしてやられ、キリキリと歯ぎしりする花子の横、テーブルを挟んだ向こう側にて、青髪の少年から受け取った、丸まった紙を伸ばす白い長髪の前。まず切り出すのはシルバーカリス。
大して不安を感じた風ではないにしろ、自分達に課される処罰。それが気になるようだった。
「お前らがもめ事を起こしていた相手を見ればどちらに過失があるか察しはつく。だが暴力沙汰は見逃せない」
「勿体ぶるんじゃないわよ。さっさと言いなさいよ」
「程度にも寄るが、今回のような暴力沙汰を起こした人間には地下牢に七日間入って貰う事となっている。今回は情状酌量の余地あるということで四日ぐらいが妥当だな」
青髪の少年の少年から下される罰則内容を聞き、花子とシルバーカリスは互いの顔を見合わせた後、再度青髪の少年へと視線を向けた。
「アンタの頬っぺたを五万ゴールドぐらいで叩いてやったら気が変わるかしら?」
「それは魅力的な申し出だ。なかなか話が分かるようだな」
五万ゴールド。決して安くはない金額だ。それで買収を試みる花子の表情に余裕があるのも頷けるほどに。
その申し出を受けた青髪の少年は静かに笑う。視線を斜にし、涼し気に。
「いいだろう。刑期を二倍におまけしてやる」
花子の目論見は大きく違う。
涼しい微笑を口元に、好感触を見せていた青髪の少年だったが、花子の申し出を突っぱねる。わざわざ一度期待させるような物言いをしてから。
それは余裕ぶっていた花子の笑み。その口角を微かに歪ませた。
「……10万ゴールドだったら?」
「オーケー、その言葉が聞きたかった。三倍だ」
ここまでの道中、煽り散らされた恨みだろうか。不正を働かんとする花子の行いを良いことに、青髪の少年は花子が口を開くごとに刑罰を重くしていく。
当たり前ではあるが、ここまでされれば誰だって相手側の魂胆が分かるだろう。当然……その表情を自然と険しい物にし、白い歯を剥いた花子にも。
「クッ……コイツ……!」
「何だ? まだお代わりが欲しいのか? なら――」
「だぁー! 解りました、解りましたって! 大人しく受け入れるわよ! 受け入れればいいんでしょ!」
権力とたった一人の無法者。どちらが強いかなど議論する迄もない。
花子は折れる。指数関数的に刑罰を重くせんとする青髪の少年に。やけっぱちになった花子を見詰める青髪の少年は何とも満足そうだ。
「ふん、やっと解ったようだな。僕はお前たちのような誇りも矜持もない、俗物共とは違うんだ。覚えて置け」
交渉の決裂。
敗北としか言いようのない結果に、シルバーカリスが眉尻を下げ、肩を落とし、その隣で花子はキリキリと歯を鳴らす。怒り。その色を漂わせながら何か決心したように。
「……釈放後の予定は決まったわね。街の中でのコデブとゴリラと骸骨の三人組を対象とした、ワクワクドキドキハンティングよ」
「この島でやって僕達の仕事を増やしてくれるなよ」
青髪の少年は本当に機嫌が良さそうに、唸る花子に茶々を入れ、上目遣いで恨みがましく睨む花子に勝ち誇ったような微笑を返す。
その中で、書類仕事が一段落着いたのだろう。白い長髪の男がペン立てに羽ペンを立て、口を開いた。
「残念だが、今のゴルドニアファミリアではこいつらを拘束することは出来ない」
白い長髪の男の言葉に片側が上がればもう一方が下がるシーソーの様に、スイッチのオンオフが切り替わるかのように……青髪の少年の機嫌と花子、シルバーカリスの機嫌が入れ替わる。
前者は己の隣に座る者に対し、説明を求めるような非難がましい視線を送り、後者の花子はニヤつきながら前者を眺め、シルバーカリスの顔はぱあっと晴れる。
「……どういうことだ?」
「上からの命令だ。外部の介入を招くような真似は慎むようにと」
「ボスはなんと?」
「ボスの家族への愛情深さは知っているな」
幾ら下が正義感を持ち、法に背く一種の傲慢を心に持つ者を捕らえたとしても、結局それを裁くのは法。その決定権を持つ者達だ。
やりどころのない怒りに、微かに白い歯を口元から覗かせる青髪の少年は、眉間に深い皺を作った。
「あの~、お取込み中の所申し訳ないのだけれど、手の拘束解いてもらってもいいかしら?」
下っ端の悲哀。嘲笑うは法の挑戦者たる黒マントの少女、花子。
彼女は本当に楽しそうにニヤ付き、青髪の少年がキッと睨みつけると、さらに機嫌を良さそうにした。
口は災いの元である。そう言いたげに困った表情で自分を見るシルバーカリスの隣で。
「無罪放免と言うわけでもないんだろう?」
「もちろん。罰金刑だ。今回のように騒ぎを起こしたぐらいでは高が知れるが」
「どれぐらいだ?」
「二人揃って4000ゴールドほどになる」
青髪の少年はそこで大きく溜息を一つ。
虚無感を感じる、何か憂いた表情で席から立つと、テーブルの向かいの方へと歩き出し、椅子に座る花子の背後へと回った。
「私って結構デリケートなのよね。優しくして頂戴」
「……口の減らない女だ」
今、花子の腕を拘束する縄を解き始めた青髪の少年は完全に意気消沈してしまっており、花子にとってその反応は、なんとも退屈なものだった。
「4000ゴールドだったわね。今用意するわ。ちょっと借りるわよ」
自由になった手の感覚を確かめるように手首を軽く握った花子は、マントの下、小物入れから一枚小切手を取り出すと、テーブルの上に前のめりになって、これ見よがしに白い長髪の男が使っていた羽ペンを引っ手繰って見せた後、小切手に金額を記入する。何故か――5000と言う数字を。
「花ちゃん、金額間違ってませんか? 4000ゴールドだって言ってましたよ? あと僕も半分払うので――」
話の流れから見て、至極真っ当な指摘をするシルバーカリスの視線の先、花子は唇の前に人差し指を立てていて、それによってシルバーカリスは途中で口を閉じた。白い歯を見せニヤ付く花子の様子は語る。間違ったわけではないと。
「はい。余った分は今私たちの後ろでチョロチョロしてる奴の飴玉代にでも取っておくといいわ」
退屈な反応になったと言っても、それは一番揶揄い甲斐のあった場合から見ての話。楽しくないかと言うとそういう訳ではない。気に入らない奴の死体を鞭うっても笑えるのが花子だった。
それに向けられるは、怒りで頬をぴくぴく動かし、睨む青髪の少年の鋭い視線。
顔を横に向けた花子は、流し目でその目を見、歯を見せ笑う。小切手と共に羽ペンをテーブルの上に放って、勝ち誇ったかのように。
「今後面倒ごとに巻き込まれるようなら、ゴルドニアファミリアの人間を探せ」
青髪の少年が元の席へと戻りつつある中、装備を取りに行かんと動き出した花子とシルバーカリスに、羽ペンを手に、再び書類仕事に戻った白い長髪の男が声を掛ける。
若い青髪の少年とは違い、歳を重ねているゆえか、花子の碧りなどなかったかのような、なんとも落ち着いた雰囲気で。
「そうさせて貰うわ。アンタ達はそうでもしないと案山子と変わらないみたいだし」
「花ちゃん、怒られますよ」
「シルバーカリス。ダガーの鞘、腰後ろに付けて貰っていいかしら?」
「んもー、ホント反省しないんだから」
取り外された装備を各々鎧に取り付け、最後にシルバーカリスが花子のマントを捲り上げ、背中に鞘に収まったダガーを腰後ろに取り付け終えたところで、二人の身支度は完了。爪先が扉の向こうへと向いた。
去り際、シルバーカリスは扉の前で振り返り、ぺこりと頭を下げて会釈し、花子は前を向いたまま肩の高さに手を上げて、手を軽く振り――扉が閉まってその姿は見えなくなる。
閉まった扉の内側には、ムカついたような顔で無法者共の退室を見届けた青髪の少年の姿。
やがてその視線は扉の反対側。己の隣に座る白い長髪の男の方へと向けられた。
「ウズルリフ。塩工場の設営者は何と?」
ウズルリフと呼ばれた白い長髪の男は、鼻から息をふうっと吐き出す。
「雇用人数とその素性。襲撃者のおおよその人数は聞き出せた。おおむね協力的だったが、聴取の時間の大部分は喚いていただけだ。手続きをして土地を買ったのに、どうしてお前らは守ってくれないんだ、と」
「……土地の権利書は押さえてるな?」
「存在しない売り主の名前が記入してある厚めの紙切れなら」
紙の上を羽ペンの先が走る音だけが聞こえる部屋の中、青髪の少年は何かを察したように視線をテーブルの上へと斜めに投げ、ため息を一つ吐く。
アンニュイな表情の彼の頭の中に浮かぶは、塩工場にて、複数人が通れぬであろう道幅の通路。そこで襲撃者にデッキブラシで応戦する白銅色の少年の姿と……公務でやってきた自分たちを見、まるでその登場を見越していたかのように、少しの淀みもなくその場から逃走する襲撃者たちの姿。そんな景色だった。
「島の外の奴を踊らせて小遣い稼ぎをしている奴がいるようだな」
「それも組織的にな。襲撃者たちが何の痕跡もなく雲隠れ出来た理由もその辺りにあるだろう」
ふと、そこで青髪の少年は形の良い己の顎に右手を当てる。
「塩工場はどうなる?」
「部外者が勝手に所有者の居る土地に、不法に建築物を立てた。その上物をどうするかは土地の所有者の勝手だ」
ウズルリフは淡々と答える。
その時点で今回あった塩工場の事件。その裏側が見えた気がした青髪の少年はテーブルの上に両手を置いて、瞳を閉じ、鼻から大きく息を吐く。
「……塩工場のある土地の所有者は?」
「ルーインだ」
「なるほど。納得がいった」
そこで青髪の少年は椅子を引き、静かに立ち上がった。法の番人でありながら、不正に目を瞑らねばならぬことに苦々しく、寂し気でどこか皮肉めいた笑みを口元に浮かべて。
爪先はこの一室と廊下を隔てる扉の方へ。やがて扉の前で彼は振り返る。
「ウズルリフ。お前だけは真面でいてくれよ」
「その言葉、そっくり返すぞ。セラアハト」
部屋からの去り際、青髪の少年セラアハトは信頼する同僚であるウズルリフと言葉を交わし、部屋を後にする。
窓の外に広がる夕闇が、より夜の色を濃くし、微かに星を輝かせる時。
変わらぬ日常。それが崩れかけつつある一幕に、止まらぬ変化を変えられぬ者の郷愁。物悲しく苦い後味を残して。
◆◇◆◇◆◇
満点の星空。
明るく青い月明かりが海の水面に揺らめいて、陽が出ていたころよりも冷たく、強く吹く潮風が街に這う。
その街の中心地とも呼べそうな人通りの特に多い海に面した広場。
黄色いウサギの紋章が入ったあらゆる店が立ち並ぶそこに、二人の少女は立ち尽くしていた。
一方は黒いマントを、一方は鮮やかな青のスモールマントを風に潮風に翻しながら、一際大きく背の高いトランプとチップの装飾の為された、派手で大きな建物を強気な笑みを浮かべ、鋭い光の宿る瞳で見上げて。
「ここに至るまでの幾度となる困難、試練……だがそれは、私たち二人が纏う運命の力の前に膝を折り、屈した……!」
「僕たちに女神は微笑んでいる。勝利を約束する女神の笑みが!」
困難はあれど悉くが都合よくいった事実。
少しの出費はあった物の、概ね順風満帆に行っている自分たちの歩みは――確かに肯定する。彼女たちが信じ、己の背を押していると信じる運命の力の存在を。
「今こそ決戦の時…! 待ってなさい、贅沢三昧な暮らし!」
「今こそ掴み取りに行きましょう! 花ちゃん!」
カジノを見上げながら彼女たちの発する力強い言葉。ロクでなしが口にする意気込みを、声高々に言葉にする二人の頭の中には在りはしない。一時は疑い、選びかけた不戦の選択肢など、頭の中の片隅にすら。
その言葉を交わしたのち、二人は真直ぐカジノへと進んでいき、その出入り口の大きく重い扉を押して中に足を踏み入れた。
「ここが今回の戦場ね。行くわよ、シルバーカリス」
「えぇ、作戦開始です」
開け放たれた向こう側には沢山のプレイヤーと、この島に住む民間人と思しきNPC達の姿。外で見ることのできた黄色い兎の刺繍の入ったスーツ姿の男達の姿も確認できる。
その中で、人種は大きく三分出来る。勝った者と負けた者、そして挑む者。
第三の人種として二人は戦場へと歩いて行く。人と人との間を、真直ぐと。
平原でもなく、森でもなく、沼でもない。戦場の様子は、いつも自分達が刃と四肢で、力を以て制す場とは違う。
厳かで豪華な赤い絨毯が敷かれ、柱や壁紙はクリーム色を基調としたもの。エントランスホールは最上階まで吹き抜けになっており、高い天井にはそれは大きなシャンデリアが燦然と輝く。エントランスホールから見渡せる範囲でもトランプゲーム、ルーレット、ダイスゲーム等の設備が見て取れて、スロット等はない。運と駆け引きが力となる戦場だ。
「……従業員の人たちから待ったが掛けられる感じもないですね」
「当たり前よ。運命の力が私たちに付いているのだから」
店側に入館を拒むような動きはない。
その事実は一つの懸念を払拭し、事態がまたもや都合よく行ったことを示す。
当然それはさらに肯定する。ちょっとした世間話から芽生え、本心半信半疑だったもの。しかし今や真実となった、理もなく成立する運命の力を。
煌びやかで優美な、だが危険な香りのする戦場の風を切り、豪華な絨毯を踏みしめ、二人は進む。
金髪でウェーブの掛かった長髪の、この島ではじめてお目にかかる同性。けばけばしい姿のバニーガールが立つ、カウンターテーブルの前へと向かって。
真っ先に目が行くのは、バニーガールの背後の表。
それにはチップ一枚当たりの単価が描かれていて、一番高いチップで100万ゴールドとある。
……花子は俯いて考える。
今銀行に預けている金含めた全財産。それで大体500万ゴールド。それならば5枚買える。大事を取って一段階グレードを下げ、10万ゴールドのチップを50枚という形の方が無難に思える。
――負けた時の事、保身を考える後ろ向きな負け犬に……女神が微笑むものかしら?
いや、自分が勝利の女神なら微笑みはしないだろう。そう考えて、懐から取り出した予め記入しておいた小切手をカウンターテーブルの方へと人差し指で爪弾いた。
「100万ゴールドのチップを五枚」
良く通る花子の声。それはその場に居る者の耳を疑わせ、思わず振り返らせる。
カウンターテーブルの向こうに居るバニーガールすらも耳を疑ったような顔をし、花子の連れであるシルバーカリスに至っては目を見開いて、酷く驚いたような顔をし、花子の横顔を見ている。
「はっ……花子さん……!?」
シルバーカリスは目を見開いたまま、花子のその決定に畏怖の念を抱いたかのように声を微かに震わせる。
花子はその顔に笑みを浮かべたまま、バニーガールの手によって置かれた五枚の金色のメダルに視線を落とし、それを己の手中に収めた。
「負けた時のことを考える生粋の負け犬に女神は微笑まないわ」
恐れ戦く周囲の人々、店の中の雰囲気やシルバーカリスの反応。
それらに若干自分が主人公であるかのような一種の錯覚、自己陶酔にも似た感覚を感じて気を大きくし、これでもかと格好をつけて花子は歯切れよく言い放って、店の奥へと進んでいく。
その流れに影響されてか、シルバーカリスも小切手を金色のメダル四枚と一枚10万ゴールドの銀色のメダル七枚に変えて花子の後を追った。
――それは二人のほぼ全財産。メダルに変わらなかった端数は吹けば飛ぶはした金。メダルを失えば一週間味わった贅沢の味は二度と味わえない。それだけの重みがある物だ。
「色々あって聞くの忘れていたけど……シルバーカリス、アンタゲームのルールわかる?」
騒めく店内の中、悠々と歩く花子は、自分の後ろについて来ているシルバーカリスに問いかけ、間も無く花子の横にシルバーカリスが追いついた。早くも緊張した面持ちの彼女が。
この階層を来る前に幾度となく経験した、都市属性下にない場所での戦闘。命を賭けての戦い。真剣勝負を前にしても、怖気の片鱗すら見せなかったシルバーカリスは、落ち着かない様子で視線をやってきて、間も無く口を開く。
「あのっ、そのっ……実はあんまり……あっ、でもルーレットだったら分かります。映画で見ました!」
強張り、あっちこっちに目が泳ぐシルバーカリス。目はまんまるで、まるで覇気がない。草食獣のようだ。
力ではなく、精神と運での戦いの場で始めて見る、余りにも頼りないその姿は、普段の彼女からは想像がつかないものだった。
――命掛かった戦いのときでもこの上なく頼もしいのに。
花子は思う。この戦場では彼女は被捕食者。駆け引きなど期待できない存在であると。
だが、幸い彼女が知って居るものは、運否天賦に身を任せるものだ。駆け引きは絡まない。
「ならアンタはルーレットね」
戦いに於いて行けそうである。そういった思い込みは非常に大事な物だ。勝てる戦いでも、戦意が挫ければ負けてしまう。故に花子は鼓舞する。強気な態度、笑みを――狼狽える羊に向けて。
「……やっぱり花ちゃんは心強いですね」
「ふふっ、アンタ良くそんなんでカジノがどうとか言い始めたわね」
「いやぁ、まさかこんなでっかく張るものだとは思わなくって……」
それは単純なシルバーカリスの気持ちを強く持たせたようで、緊張に固まった表情を少しマシなものにして、微笑ませ、カジノがどうこう言い始めた人間とは思えないその様に、花子は可笑しそうにクスクスと笑い声を立てた。
「花ちゃんは何をやるんですか?」
少し落ち着いたシルバーカリスは花子に尋ねる。
対する花子はトランプゲームの台が並ぶ方を顎でしゃくる。台一つ一つに美女、もしくは美男のディーラーがついているそこを。
「還元率が高いゲーム……ブラックジャックよ」
花子は強気に笑う。自分達にはシルバーカリスの言うところの波が来ている。故に、運。
それに大きく左右されるようなゲームがいい。花子はそう思い、選んだ。
……意気揚々と格好をつけて言い放たれた花子の言葉、それは映画の受け売りであり、花子が実際に感じたものではないのだが。
「さ、お喋りはここまでにしましょう。健闘を祈るわ。シルバーカリス」
「グットラック……花ちゃん……!」
二人は互いに言葉を交わし、拳を軽く打ち合わせると分かれていく。各々を待つ戦場へと。
花子はトランプゲームエリアのテーブルの並ぶ場所へ。シルバーカリスはルーレットの方へと。
求める力。欲という人が持つ燃え尽きぬ黒い炎。それを大きく心の中で燃え上がらせ、二人はテーブルへと付く。その炎の揺らめきを落ち着けるための金という水を得るために。
ふと思ったんですけど…VRゲームでリアルに近い世界が再現出来たら…現実世界のほとんどの産業死に絶えますよね。特に飲食業とかヤバそう。