ゴルドニアファミリア
モグモグカンパニーが占拠する、中心にこの階層の中で最も大きな島を置き、周囲を無数の大小様々な島で彩る諸島。
一番大きな島の出入り口となる港がある街は、開発行き届き、自然らしい自然はもはや残っていない。
空には飛行船が、地上には天高く聳える高層ビルが所狭しと立ち並び、それらを縫う整備された道には人や乗り物。その上には車やバイクが行き交う高架橋が走り、電車やモノレールが進んで……それらが何重にもなる立体交差点を織りなす。
立派なビルから雑居ビルにまで様々な勢力のテナントが入っていて、選り取り見取りの娯楽が訪れる客人を待っている――そこは、この30階層の中心、いや、もはやまさひこのパンケーキビルディングの中心とも言える場所だった。
ほれぼれするような整然とした街並みの中には沢山のプレイヤーたちとNPCが居て、ショッピングや観光、思いつく限りの娯楽に興じている。
塩産業が盛んになったことに伴い、人手が欲しい中小零細ギルドたちは一階層に定住する住人すらも30階層に引き入れ始めているようで、おおよそ攻略とは無関係であろうプレイヤーの姿も多く窺えた。
その栄華の極みと言えるモダンな街の中にある、巨大な百貨店の中の最上階にあるリラクゼーションサロン。
そこ出入り口から、黒革と骨とマントの中装鎧の少女と黒鉄色の金属と青い鮮やかな布、同色のスモールマントの装備に身を包んだ少女が現れる。フードを脱いだ姿で。二人ともその満足げな顔を艶々させて。
「ビューティーシーカーのお店にはリピーターが多いって話は噂で聞いてたけど…来て良かったわ」
「えぇ、来て正解でしたね」
ほっこりした表情の花子とシルバーカリスの爪先は自然とこのフロアの一部を形成する、レストラン街の方へと向く。
運やツキ、流れは途切れさせてはならない。
今運命の力を感じ、験を担ぐ花子とシルバーカリスにとって、戦場からの途中退場はその運命の力を途切れさせる行為に他ならない。空腹などと言う下らぬ訳で断ち切ってはならない。
そして決まっている。古来より腹が減っては戦は出来ぬと。
故に決まっていた。海でのんびりしながらフルーツなどの間食を摂っていたとはいえ、二人のこれからの行動は。言葉なぞ交わさなくとも。
「勝負の最中に戦場から背を向ける者に女神は微笑まない。途中退場のないようしっかり食べておくわよ!」
「僕達が戦場から背を向けるとき――腕いっぱいに黄金を抱えている。そう決まっていますからね」
「それも今回はこの世界、この生活を終始謳歌できるほどの黄金を!」
「我らの手に!」
花子もシルバーカリスもノリノリだった。
一方は己の前で握りこぶしを強く握って見せ、もう一方は右手拳を高く突き上げる。
彼女たちの目に見えているのは優雅な暮らし。覚めることのない夢のような、この一週間の暮らしだ。もう健気に塩作りするリックのことや現実世界の事など眼中にありはしない。
運命の力を信じ、背を押される二人の向かう先には複数のレストランがある。
中華、イタリアン、フレンチ、和食、カレー屋、フルーツパーラーなど。現実世界の百貨店内に存在するレストラン街に引けを取らない豊富なレパートリーを備えていて、各々店の前に設けられたショーケースの中にある食品サンプルはどれもこれも美味しそうなものばかり。
見る者を楽しませるそれらに心躍るのは、花子とシルバーカリスも例外ではなく、あっちこっちと目移りさせて楽しんでいる。
「花ちゃん、何食べたいですか?」
レストラン街がある区画を歩きながら、シルバーカリスは隣を歩く花子に問う。
その顔に笑みを浮かべ、店の前にあるショーケースの中に展示された食品サンプルを眺めながら。
「私に決めさせると洋食になるわよ」
対して花子はもうどの店に行くか決めたようで、自分の進行方向を真直ぐと見据えている。
時折気になった店を視界に捉えてショーケースの中を見ることはあるが、シルバーカリスほどその挙動は忙しい物ではなく、店を決めたかのような彼女の物言いに、あちらこちらへと行っていたシルバーカリスの視線が隣を歩く花子の横顔へと止まった。
「構いません。花ちゃんに見せてもらいましょうか。僕達の門出を祝福する料理を言う物を! あっ、なかったらカツ丼にしましょう。なんか勝てそうですし」
なんだか上から目線な言葉遣いで、強気な笑みを口元に浮かべてふふんと鼻を鳴らして胸を張り、その後で素に戻ってどこまでも験を担がんとするシルバーカリス。
憎たらしさや嫌な感じはそれからは感じられず、どこか微笑ましさすら感じられるその反応を花子は横目で一瞥すると、踵を返して元来た道を戻り始める。
「ふふ……いいでしょう。括目すると良いわ。私たちを勝利に導く食物と言う物を」
どことなく格好をつけた雰囲気で花子は返す。視線を伏せ、勿体ぶったような風に、不敵に笑って。
彼女の導くままにシルバーカリスは続く。
どんなものがチョイスされるのか気になった様子で、花子の行く先にある店のショーケースの食品サンプルに視線を向けながら。
そして間もなく、花子は一つの店の前で立ち止まる。
30階層の白い砂浜を思わせる、白を基調とするモダンなデザインの開放感のある佇まいの店の前に。
大きなガラスドアの上方にはホームメイドフレンチ(鴨)と書かれた、風情もへったくれもないモダンなデザインの看板が掛かっていて、ガラスドアの向こう側には、出入り口に沿う形で延びるカウンター席。奥には青い空を大きく縁取るガラスの壁と形容できる窓と、それに面する席が窺える。
店の中の雰囲気は窓の外に広がる青い空と海から成る、絶景によって良く思える風ではある物の、客足は疎らで一貫性のない様相は、どうしてもシルバーカリスの心に雑音を紛れ込ませる。なぜこの時に、流れが重要なこの時に色物の選択を……冒険をするのかと。
何か良い物をチョイスできたといった感じで得意げな顔をし、両手をその細い腰にやって胸を張る花子。
彼女の顔をシルバーカリスはやや懐疑により曇る表情で一瞥した後、店の出入り口のすぐ横に設置された食品サンプルの並ぶショーケースへと視線をやった。
…とにかく鴨肉を使った料理が多く見られる。
フレンチと聞くと皿に綺麗に盛り付けられたものを頭の中に想像するが、ここで扱っている物は高級路線というよりは、庶民的なものを扱っているようだった。
食品サンプルの周りに飾り付けられた置物等はアヒルやマガモ、ガイガモなど。鴨に纏わるものばかり。店の雰囲気や内装は統一感皆無であるものの、メニューには売りにしたいものに対して一貫性が見られた。
それによって提供される料理に対する不安を払拭したシルバーカリスは、表情から不安感を消すとショーケースの向こう側にある、明らかに鴨肉を用いたものではない……カツレツのような何かを一点に見据える花子の横顔を見た。
「どれも美味しそうですね。花ちゃんはそれが気になるんですか?」
「シルバーカリス。私たちが注文するのはこれよ」
花子は一点に見ていた食品サンプルを顎でしゃくる。
ただそのチョイスの理由は解らない。シルバーカリスは小首を傾げた。
「……鴨料理が売りっぽいお店でそれ以外のお肉使った料理頼むんですか?」
花子の事だ。何か思惑があるのだろう。
シルバーカリスはそう思いながらも思ったことを彼女に投げかけてみると、花子の視線がシルバーカリスへと一瞬向き、すぐに視線は伏せられた。気障な笑みと共に。
「トンカツ、カツレツ、カツ丼……古くから日本に於いて験を担ぐ食べ物として困難に立ち向かい、挑戦する者の背を押してきた……」
なんだが勿体ぶったような口調で始まる花子の語り。
奇異なるものへ向けられる視線をレストラン街を往く人々から向けられながらも――彼女は続ける。シルバーカリスの方へと向き直り、目を開いて勢いよく両腕を開きながら。
「その原点、コートレット! これこそが一世一代の大博打に身を投じようとする私たちの背を押すメニューよ!」
験を担がんとしていたのはシルバーカリスだけではなかったようだ。
何とも自信満々な、それっぽいことを言う花子の言葉にシルバーカリスは心打たれた様に目を見開き、やがて全て静かな笑みを湛える。
それは二人のメニューの決定を言葉ではなく空気で伝え、ろくでなし共の爪先は店内の出入り口へと向いた。
「行くわよ。シルバーカリス」
「えぇ、行きましょう。花ちゃん」
意気揚々とその店のドアを押す花子。シルバーカリスはその後ろに続き、自分の背中にある黒いルツェルンに気を付けながらドアの向こうへと踏み入れる。
その二人の傍にすぐに給仕服を着た、長身で坊主男の店員がやってくる。ただの飲食店従業員にしては立派な身体つきの男が。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
超ハイクオリティな日本に置ける飲食店での物より。それより幾分かグレードダウンした接客。
一生懸命で言葉遣いこそそれっぽいが、固くぎこちない愛想笑い、動きは普段ホールには出ない人間なのだろうということを花子達に察させる。
「二名です」
「こちらへどうぞ」
そんな事など気にした様子もなく花子は受け答えをし、店員の案内のもとシルバーカリスと共に大きな窓に面した、丸テーブルとそれを挟んで椅子が置かれる構成される席へと招かれる。
花子が席へ着く対面では、黒いルツェルンハンマーを外すシルバーカリス。
彼女はそれを立て掛けて置けるような所を探すように辺りを見まわし始めた時、硬い笑顔の坊主頭の店員が両手を差し伸べた。
「こちらでお預かり致しましょうか?」
「あっ、お願いしまーす」
その好意に甘え、シルバーカリスは両手で持っていた黒いルツェルンハンマーを坊主頭の店員に渡し、それから花子の対面の席へと腰を下ろす。
明るい店内ではあるが、窓の外から差し込む強い日差しにより陰ってすら見え、それによってより外の景色が色鮮やかに見えている。モダンなデザインの高層ビルたちと、白い砂浜、そしてアクアマリンの海と青い空の景色が。
ゲームと言う体で始まったこの世界での暮らしはもう二か月になる。プレイヤーが開発した場所から見る景色は、もはや剣や四肢で命を取り合うファンタジー要素を感じさせるものではなかった。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
二人が着席したところで丸テーブルの上にメニューを置き、ルツェルンハンマーを大事そうに持ち直した坊主頭の店員は踵を返す。
その後で、花子とシルバーカリスは角が擦り切れていない、新品と形容しても遜色ないメニューを手に取り、それに視線を落とす。
前者は頬杖を突き、後者は少し長めな前髪をその細い指で耳後ろに掛けつつ。注文は決まってはいるが、それでもどんなものがあるか……気になるのは人情だろう。
「メニューは決まってるけど……目移りしちゃうわね」
AIなどの絵とは違う、人の癖。特徴が窺える挿絵が入ったメニュー。
値段と挿絵、名前が掛かれた物が羅列されたそれにある料理たちは、どれも店の前での決定を揺るがしかねないほど美味しそうなもので、花子の口から出た言葉も無理はないものだったが――シルバーカリスは顔を横に振る。
「解ります。でもここは験を担ぐ局面。初期貫徹……徹底的に行きましょう」
理解は示す。しかし、決定は揺らがせない。
シルバーカリスは言い切った所で静かに手を肩の高さにまで上げ――二人はメニューをテーブルの上に置いた。
そこへとさっきの坊主頭の男がやってくる。
水の入ったグラスが乗った、丸く茶色いプラスチックトレーを左手に。
彼の到着と同時に花子は口を開きかけるが――それも人差し指を自分自身の唇の前に立てるシルバーカリスを見るまでの間。声は発せられることはなく、口は静かに閉じられる。
「コートレットセット二つお願いしまーす。ドリンクはウィンナーコーヒーで」
「パンかライスか選べますけどどうしますか?」
「あっ、じゃあ二つともパンでお願いします」
どこまでも験を担がんとする少女、シルバーカリス。
ウィンナーとウィナーの語呂合わせ。これをせんとするために己が注文せんとしたのだろうということは、注文を聞いた花子にも伝わる。
そんな彼女の目の前では、なんだか得意げな笑みをその顔に、こちらを見てくるシルバーカリスの姿があり……その隣では丸テーブルの上にトレーを置き、水の入ったグラスを置く坊主頭の店員の姿がある。
「えー、コートレットセット二つで飲み物はウィンナーコーヒー、主食はパン……で、よろしかったでしょうか」
水を置き終わり、トレーを小脇に挟んだ坊主頭の店員は胸ポケットから取り出したメモ帳とそれにくっ付けてあったボールペンを手に、注文の確認をし――花子とシルバーカリスはそれに言葉を発することなく、二人揃って親指を立てて見せた。
坊主頭の店員はそれを見た後、自然な笑みを口元に浮かべると踵を返してカウンター席の向こう。厨房の方へと引っ込んで行った。
注文が終わった後、花子は水を一口飲んでから頬杖を突きなおし、視線を眩く青い窓の外へ。
シルバーカリスはそんな彼女の横顔を一瞥後、同じように窓の外へと視線を投げる。
二人の見詰める先。海のはるか向こう、遥かに小さく霞んで見えるは件の島。今回の戦場となる島だ。
「感慨深いですね。このご飯の次に食べるご飯……そのころの事を考えると」
「夕飯はあの島で求められる中で最も豪勢な物になるでしょうね。私たちはカツのよ。カートレットだけに」
「えぇ、そうですとも。勝者になるんです。ウィンナーだけに」
ふと、そこでシルバーカリスは何か重大なことに気が付いたような顔をして、その右手を形の良い顎に当てた。
「……花ちゃん、思ったんですけどカジノって年齢制限とかあるんじゃないんですか?」
……花子にとってその指摘は盲点だった。
しかし…この世界はゲーム。年齢制限なんぞあろうか? 目的はなんだかわからないが、プレイヤーをゲームの世界の中に閉じ込めてまでして自分のゲームをやらせたがる自己顕示欲の塊のような男、まさひこが年齢によって制限を掛けるような真似をするとは思えない。
――眉をひそめていたのもほんの少しの間。花子の視線はシルバーカリスへと向いて、その碧い瞳に己を見詰める彼女を映した。
「運命の力……それが私たちの背を押しているとするのであれば、道は自ずと開けるはずよ」
「おぉ~……確かに。そこで躓くなら僕達に運命は味方していなかったという訳ですもんね」
理屈ではない。運命。自分達を導き、今の心境。考えに至らせた物。
あるかどうかも解らぬそれを妄信し、全てを片付ける花子の論を諫める者は居はしない。彼女の目の前にいるのはそれを全肯定するシルバーカリスだけ。
二人は揃って一口水を飲み……窓の外にある青い世界に再び視線を投げる。
読み合いと精神力、そして運。
あらゆるものを断つ研ぎ澄まされた剣も、城壁の様に強固な鎧も……歴戦の戦いの勘も。皆等しく通用しない新たな戦場。
はるか遠くの海の上、霞んで見えるNPCの島。ゴルドニア島へと想いを馳せて。
◆◇◆◇◆◇
昼下がりがそろそろ終わる時間帯、あと一時間もすれば空が橙色に染まるであろうその時刻。青い空の下、アクアマリンの海に一筋の線を引き、風を切って水上バイクが駆け抜ける。
その上に乗り、ハンドルを握るのは黒いマントを風に強く翻す黒革と骨とマントの中装鎧を着こんだ濃紺の髪の少女。その後ろには黒鉄色の金属と青い布の身体が細く見える中装鎧を着こんだ、薄いグリニッシュブルーの髪の少女の姿がある。
向かう先には、海と陸を海蝕崖で大部分隔てる大きな島。
その島の数える程度しかない玄関口の一つ。中でも最も大きいであろう港があるそこには、白と青の石材でできた地中海の街を思わせる、斜面に面して作られた美しい港街と海へと延びる水上街とが都市を形成する。
モダンな建物などない、異国感とその伝統を感じる佇まい。港町の向こう側、内陸部には森なども見え、モグモグカンパニーが開発の限りを尽くした島とはまた違った雰囲気を味わえる、活気があり、長閑で美しい場所となっていて、港の泊場には今花子たちが乗っている水上バイクとは明らかに時代がズレた、帆に黄色いウサギが描かれた大きな木造の帆船がいくつも止まっていて、遠目にそれらから積み荷を下す船乗り風の男たちの姿が見える。
「ヒャッホォォォォォォ!」
潮風に髪を、マントを、そして心を翻す花子はその身に当たり通り過ぎていく風、水しぶきの感覚を感じながら、それはもう楽しそうに歓喜の声を上げる。
今乗っている水上バイクで出すことのできる最高速度を当然のように維持しながら……普段冷静で大人ぶった雰囲気の同一人物とは思えぬほど燥いだ様子で。
「スピード出し過ぎですって! 安全運転でお願いしますよー!」
後ろに乗っているシルバーカリスはその荒い運転に気が気でない様子で花子の腰に掴まっている。
だが、水上バイクのスピードは一切落ちない。彼女の声は花子には届いていないようだった。
「今私たちは運命に守られている。事故って死ぬわけがないわ!」
早く、流れるように入れ替わる水面に陽の光を閃かせる海。
水しぶきを大きく散らせ、水上バイクは疾走し――間もなくその二人の乗る水上バイクは島の停泊場、それを形成する一つの桟橋へと行き着いた。
花子は水上バイクを適当な場所に止めてから鍵を抜くと、停泊場に降り立ってロープを使って雑に水上バイクを繋ぐ。
水上バイク自体はあるが、それを止めておくキャリーもなければ牽引する車両もない。故に仕方ないと割り切って、花子はそのまま白と青の石材の、急な斜面に作られた美しい街の方へと爪先を向ける。
「……今度から僕が運転しますからね」
珍しくムスッとした顔をするシルバーカリスが花子の隣に並び、どことなく恨みがましく言う。
花子はそれに少しは悪いと思っているようで、口答えはせず、しかしつっけんどんな態度で唇を尖らせて顔を背けた。
二人は停泊場を行き、青と白の街の中へと足を踏み入れる。
船乗りたちと、街を行くスーツ姿の者共。毛並み様々な商店群とフォーマルなファッションの子供たち。それらからの活気に溢れる空間。平坦な場所は海に面したところぐらいで、その他は斜面。花子たちは海に面したその平坦な道を行きつつ、あたりを見回す。まだ入るつもりはないが、目当ての施設を探して。
その最中、停泊場に止まっていた帆船の帆にも描かれていた金色のウサギの紋章が、店の吊り看板や建物等、至る所に見られることに花子は気が付いた。そして文字を伴う物にはGordonia familiarとある。
「……この黄色いウサギの紋章って何なのかしら。ゴルドニアファミリア? グレーの毛のウサギ…シルバニアの方なら知ってるんだけど」
色とりどりの果物が並ぶ店や、お洒落な喫茶店。なかには武具店なども並ぶ道を進みながら、花子は道行く人々を眺め……呟く。
……目に付くのはNPCが圧倒的に多数。目立つ特徴と言えば、デザインは様々であるがスタイリッシュなスーツ姿で武器を腰に下げる、美形の男性NPC達。
どこかしらに黄色い兎の刺繍を入れたそれらの他、見ていて気が付くのは美形率の高さと男性率の圧倒的な高さだ。
そんな街の特徴より――露店などで売っている海産物、ジャンクフードなどに注目し、人差し指を口元に当てるシルバーカリスは大して考えた様子もなく口を開く。
「ここの法の番人を現す紋章じゃないですか? 衛兵的な。……紋章のデザインとネーミングセンス的にまさひこさん人形で遊ぶの好きだったのかもしれませんね。女児用の」
視線を花子の方へと向けた後、シルバーカリスは口元に手をやり、クスクスと可笑しそうに笑い声を立てる。
花子もそれにつられて口元に笑みを浮かべ、シルバーカリスの顔を一瞥してから視線を再び街の方へとやった。
「あぁ……確かに。勝手に自分の世界に酔いながらゲームのキャラクターに成りきって演説しようとする独りよがりっぷりとか、その行為自体がボッチ臭したものね。学生時代一人で人形遊びしてても不思議じゃないわ」
「でもそれぐらい感性が一般からズレていないと今回のゲームの事件みたいな事起こせないかもしれませんね」
「そうかもね……でも、なんでまさひこはこんなことしようと思ったのかしら」
「風の噂ではこのゲームの一個前に作ったゲームがネットでボロクソに叩かれたせいって聞きましたよ」
「ふふっ…有力説かも」
会話をしながらしばらく歩いていると、白い石畳の広場へと出た。
周りを見渡せば広場を丸く縁取るようにして建物が並び、その一階はカフェや衣類店など、清是然とした佇まいのものが並ぶ。
そして、その中には一際大きく、背の高い建物が一つ。トランプとコインの装飾のなされたそれは、他の落ち着いた出で立ちの建物とは色合いこそ似ている物の、異彩を放つ物。戦い繰り広げられる戦場。二人が探すそれそのものであった。
二人は人の邪魔にならないよう、波止場の端に立ちながら見上げる。その戦場の佇まいを。
「あら、意外と早く見つかったわね」
花子は左手を腰に当て、片足に体重をかけるような立ち方をして機嫌良さそうな笑みを口元に作る。潮風に、その髪を靡かせながら。
「夜になるまで時間潰しますか」
その隣に立つシルバーカリスは心地よい潮風に瞳を細め、靡く髪を片手で押さえつつ、横目に花子を見遣る。
「なんかこう、今の機運。この流れを持続させるようなことがしたいわ。余計な雑音を挟まない感じで」
「うーん、それとは違うかもしれませんけど、さっきの道にタロットカードで占いっぽいことしてる人が居ましたよ」
「今この時点での機運を見てみると言う訳ね……良いかもしれないわ」
止めていた足の爪先をもと来た道に戻した時――何やら他とは浮いた装備の三人組の姿が目に付いた。
ヘラヘラ笑う感じの悪い男が三人。やや小太りで丸い頬、淡い灰色の短髪。長細い目が特徴の小さいの。ガタイが良く長めの坊主頭、目が丸いゴリラ。最後に細く頼りない体つきの、地味な黒髪。こちらを見てにやつきながら近寄ってきているのが見える。
黒を基調にした布由来の動きやすそうな……防御よりも身軽さを追求した装備。小さく取り回しやすい剣。周囲の者どもと比べて浮くそれに身を包むそれらがプレイヤーであろうことは、花子にも、シルバーカリスにも理解が出来た。装備の内容的にあまり戦いになれていないであろうことも。
そして今花子とシルバーカリスが居るのは波止場の端。彼らの進行方向には自分達しか居はしなく、自分達に何らかの用がある存在であることが理解できる。どうせ捨て置いても構わない事柄であろうことも。
「お嬢ちゃん達二人~? 俺らと遊ばな~い?」
いい気になった軽薄なチンピラ。だがどこかこういったことになれていないような雰囲気の。背の低いのとガタイがいいの、そして話しかけてくる細いの。
それらを見ていたが、すぐに視線を逸らした花子とシルバーカリスの顔は自然と険しいものになる。
気運、流れ。それに混ざる雑音を目の当たりにして。
「まずいわね。疫病神、貧乏神、死神の三連コンボよ。視界に入れるだけでツキが落ちるわ」
「花ちゃん、どうします?」
「知らんぷりするの。関わって憑りつかれたら取り返しがつかないわ」
ナンパ。
大概の場合迷惑であろうそれに見舞われた花子とシルバーカリスであったが、迷惑であるのは間違いないが、明らかにそれへの捉え方は一般とは異なっていた。
一世一代の大勝負を目の前にした二人の尺度はあくまで気運。そこを見据えた彼女たちは踵を返す。言葉を交わさず、視線を合わせず、ただその場から去るべく。
「へいへ~い、ちょっとぉ~、聞いてる~? ……アレッ、NPCじゃないんかな……?」
だが、それらは付いてくる。足早にそこから離れようとする二人組に。
「ねえ~……ねえ、チビ。これプレイヤーさんじゃない?」
「うーむ……だとすると我々は普段見下している男の風上にも置けんようなクズ共と同じようなことをしているのでは? 心無いNPC相手にはともかくとして、自己嫌悪物ですよ」
今話している痩躯の男。ガリ。
彼は微かに、己が話しかけている者達が自分達が想定していた物とは違うのではと言う疑念……それを感じ、脚を止めて隣にいた小さいの。チビへと会話を交わす。
けれどガタイが良くて目が丸い男、ゴリ。彼は何一つ仲間たちの懸念に気が付いた様子無く……花子とシルバーカリス。二人の進行方向にダッシュで立ちはだかって二人の足を止めた。
「そんなに恥ずかしがらなくてもイイジャナイカッ! 俺達と一緒に――」
「悪霊退散ッ!」
「ヘブぅッ!」
語り掛けるゴリラの厄神。ゴリ。
その横っ面を足がピンと伸びた、なんともキレの良いシルバーカリスのハイキックが容赦なく襲い、彼の顔面を下斜めに、輝く海が広がる波止場の向こう側へと蹴り倒した。
「この手に限る」
口をあんぐりと開け、驚き絶句するチビとガリの視線の先にて、上げた脚を再び石畳の上へと戻しつつ、呟くシルバーカリス。
水面に叩き込まれて力なく水面に浮いて来んとするそれを横目になんだか満足げに、スッキリしたように鼻から息を吐き出した。
そしてその様子を見ていた花子はなんだか難しそうな顔をしている。
驚きのフリーズからようやく我に返ったゴリの仲間であるチビとガリは、シルバーカリスがその場から三歩ほど進んだところで凶行の現場へと駆け寄っていく。
「ゴッ…ゴリさーん!」
「大丈夫か、ゴリさん!」
波止場の下を四つん這いになって覗き込むガリとチビ。彼らの視線の先にはぷかぷかと水面に浮かぶ憐れなゴリの姿。それを視認したのち、四つん這いのまま振り返って非難がましい目でシルバーカリスを見上げた。
「なんてことをするんだッ!」
「これだからリアルの女ってやつぁ!」
「そうよ、厄払いには塩よ!」
チビとガリは吼える。とても力強く。
同時にその凶行を行った者の連れ、黒マントの少女が何か画期的な事でも思い付いたように声を弾ませ――シルバーカリスを非難がましく睨んでいたチビは背後に気配を感じる。
「清めの塩ッ!」
「ッケツがぁッ!」
弾む花子の声と共に波止場の向こう、大海原へと射出されるチビ。
仲間の悲鳴と尻を力いっぱい蹴っ飛ばす鈍い音にガリが振りむいた時、視界の端に助走をつけるかのように軽やかなブーツの音を立てながら、ステップして視界から消える花子の姿が映り――
「貧乏神、次はアンタよ!」
「グワーッ!」
チビが水面に落ちる音と共に股間に走る衝撃と激痛。身体が浮く感覚がガリを襲い、浮遊感を感じる身体は重力に引かれて波止場の下へと引かれゆく。
直後に聞こえるのはガリが海へと落下した音。
涼やかな水の音を耳に、花子はシルバーカリスの方へと振り返った。
「これで安心ね。厄払いには塩……その塩の出所たる海に厄神を叩き込んだ。これは言うならばナメクジを塩に埋めたようなものね。清められない訳がないわ」
「つまりこのような形で処理できたのも吉兆と言う事……ですねッ?」
「そうよ。間違いないわ。運命は言っているの。私たちは勝つと!」
「おぉ……ブラボ―、ブラボー!」
胸を張り強弁する花子と感極まりつつ拍手するシルバーカリス。
ふざけているんだか真面目なんだか判断の難しいそれらは、今蹴っ飛ばした相手の事など気にすることなく、根拠のない会話で盛り上がる。
「あぁ~、しょっぱ! あの、すみません。頭冷やしました。ちょーし乗ってました。謝るんでちょっと引き上げてくれませんか」
今アクアマリンの水面から顔を出し、青い顔をするガリと完全に気を失っているゴリとを抱き寄せた、唯一決定的な一発を貰わなかったチビの声が波の打ち寄せる音と共に街の喧噪の一部となる。
けれどそれは賑やかな街の喧噪の一部に過ぎず、花子とシルバーカリスの視線を引くことは無く……彼女たちの背は現場から遠のいていく。
「あのっ、ちょっとー……ちょっとォー!」
そんなチビの声。それがシルバーカリスの意識を引いて、彼女を後ろへと振り向かせたとき――花子とシルバーカリス。彼女たちの前にそれは現れた。
「ややっ、何かしらッ?」
「花ちゃん、コレは何ですか? さっきの流れで言うと疫病神B、貧乏神B、死神Bと言ったところですかッ?」
身構えた花子とシルバーカリスの前に人込みを掻き分け、現れる個性豊かな美男、美少年たち。
黄色いウサギの刺繍が小さく入ったスタイリッシュなスーツ姿のそれらは、間も無く武器を手に花子とシルバーカリスを取り囲む。
そこで運勢だとか運命だとかの色眼鏡を外し、現実にフォーカスするようになった花子の目は……現状を理解する。
「あー、うー……他の階層と違って法が厳重なようね」
半端なくバツが悪そうにする花子は苦々しく、口をもごつかせながら呟く。
今までではゲームっぽく見逃されていた事柄が今、取り締まりの対象になったことを理解して。
「花ちゃん、どうします?」
まあゲームの世界だ。この世界はプレイヤーを楽しませる舞台装置……という体を説明されているがゆえにシルバーカリスは匂わせる。実力行使を。
けれど花子は首を横に振った。
この面倒ごとを広げたって損しかないし、最悪いくらか握らせれば何とかなるだろうと高を括りつつ。
「妙な事考えるんじゃないわよ。この世界で悠々自適に暮らすなら揉め事は避けるの」
「はーい」
毅然とした表情で各々武器を持ち、その刃を眩い太陽で輝かせるスーツ姿の者たちへ、花子とシルバーカリスは肩の高さに両手を上げて見せたが、周りを取り巻くスーツ姿の者たちに変化はない。
ただ何かの到着を待つかのようにこちらを睨んでいる。
「今日は大忙しだな。次はどんな奴だ」
取り囲むスーツ姿の男達の向こう側にて聞こえるハスキーな声。
その声がしたあたりから、だんだんと革靴が石畳を叩く音が近づいて来て、その辺りにいた美男、美少年たちは道を開けるように退き――そこから淡い青色の髪、紫がかった空色の瞳が印象的な花子より少し背の高い、生意気そうな雰囲気、スーツ姿の美少年が現れる。
「……仰々しい装備だな。この島に何をしに来た?」
「一世一代の大勝負よ」
「ふざけたことを。昼頃にあった塩工場の襲撃者の仲間じゃないだろうな」
「罪状をクリエイトするタイプの司法機関だと困っちゃうわ。何があったか知らないけど私たちは関係ないわよ」
花子とシルバーカリスの頭の先からつま先まで敵意の視線で見る青髪の少年。
彼は己の発言に応答する花子に視線を止めると、花子の目の前まで足を進め――それと同時に周囲を取り囲んでいた者の内の一人、銀髪銀眼の美少年がシルバーカリスの前へと来る。
花子の前へ来た青髪の少年は徐に両腕を花子の方へ。
マントの中へと手を入れ、武装解除を始め、半目で不愛想な顔つきをする花子と青髪の少年。その両者の視線が交差する。
「ッ……武装解除までするの? 両手縛るだけじゃ――」
黒革と骨の鎧の上を這う華奢な手の感覚が、上から下へと撫でまわすように下がって行き、やがてはグラディウスや盾がある腰、ダガーがある腰後ろへとやってくる。
武装解除までする徹底ぶりを揶揄ったように言っていた花子であったが、武器を探すような手つきが際どい所まで来たところで目じりがきつく上がり、顔が耳の先まで一気に赤く染まった。
「どこ触ってんのよこの変態ッ!」
「誰がそんな目で見るかッ! お前なんかッ!」
さっきまでの余裕はどこへやら。手の感覚が特に武器がありそうな腰回りをチェックし始めた途端、一気に顔が真っ赤になり、花子は目に見えて狼狽える。
吼えながらも何とか紡いだ理性で、反射的に上がりそうになった、石畳の上から微かに浮いた右足を押さえつけて。
当然それは青髪の少年にとっては公務であり、仕事だ。青髪の少年の自由意思などではない。
故に彼は花子と変わらないぐらい口を大きく、勢いよく開けて心底心外そうに吼え返し、黒い革の鞘に収まったグラディウスと大振りのダガー、円盾を取って、マントの中から手を引き抜いた。
その隣ではパッと見て武器がどこにあるか分かるシルバーカリスの武装解除が行われており、ブーツに取り付けられた二本のダガーと腰のブロードソード、背のルツェルンハンマーを手早く取り外されて、後ろ手に縄を掛けられていく様子があった。
「もう武器は持ってないな?」
「無いわよッ、バカ!」
花子の武器が青髪の少年の手から彼らの仲間へと預けられ、次に彼は花子の後ろへ。
その彼の問いかけにそっぽを向きつつ答えた花子は腕を後ろに。その手首を青髪の少年が縄で縛っていく。
「いや~、思ってたより厳しそうですね」
「そうね。しかしこんな幼気な女の子相手に腕を縛るだけじゃ飽き足らず、武器まで持って行くなんて。とっても勇敢な人たちみたいね」
徹底的な拘束。
今、両手の自由を奪われ、そうした者に肩を押されて歩き出したシルバーカリスは隣を歩く花子と会話を交わしつつ、促されるままに内陸部へと進んでいく。
シルバーカリスが横目で花子の方へと視線をやれば、彼女の皮肉めいた言葉にあからさまに腹を立て、半目になり、花子の後頭部を刺すような目で見る青髪の少年とその前を行く花子の姿が伺えた。
「また会ったな。昼頃にも顔合わせたばかりだが、もめ事が好きなのか?」
「解放されて気の大きくなった連れを放って置いたらあら不思議。この通りです。俺らも彼女らも別に悪いことしてないし、揉めてもいないんで解放してもらってもいいですかね」
「それはこれからたっぷり聞かせて貰おう。場合によってはその身体に聞いてもいい」
「やめて頂きたい。流石の俺も男は守備範囲外なので」
治安組織が出張ってきたこともあって、周りは幾分か静かになっている。
そのおかげで後ろから聞こえる事の発端になった集まり。その一人、チビと治安組織の構成員との会話が聞こえる。
「ねぇ、シルバーカリス。これは神様からの調子に乗るなっていう合図なのかしら。なんか命運尽きた感があるんだけど。やっぱりやめておくべきかしら。今日の勝負」
「んー、そうかもしれませんねぇ」
「黙って歩け」
青髪の少年のぴしゃりとした物言いに、会話をしていた花子とシルバーカリスは互いの目を見つめ、まるで口うるさい教師に怒られたかのようなノリで、言葉ではなく、表情で青髪の少年への不満を表明し合うと、何か言いたそうに目つきを据わらせる青髪の少年とシルバーカリスは目が合い、調子のいい笑みをその顔に視線を前へと向けた。
青髪の少年は終始気に入らなさそうにしていたが、その不機嫌そうな顔はさらにむっつりとしたものとなって、空気はさらに悪くなった。
そんな夕暮れ時。
予定が狂うかもしれないことを感じながら、やや冷たくなりつつある潮風の中で花子は一息つく。
周囲にはスーツ姿の美男美少年。
外見の良い男の囲まれるだけで幸せを感じられる女にとってみれば、天国のようなシチュエーション。花子はそれに大して何か思った風もなく、ただ進む。
自分が考える運命の力。その可能性に――波の音と潮風と、橙色に染まり始める空。変わり行く世界の中で微かに想いを馳せて。
シルバニアファミリアにしようか悩みましたが、やめておきました。