目覚めた小虎
冷たく美しい調べ。温かさと優しさ、その中に僅かに覗く寂しさと郷愁。プロから見れば稚拙かもしれないピアノトリオから成るそれは、沸き立っていた広場の全員の心を静め、今回のイベントの終わりを感じさせるものだった。
時計塔の短針はもう11を指している。会場に満ちていた享楽的な光は消え、広場に集まっていた人々は広場から散っていく。まだ一階層の夜は光りで満ちていて終わりそうにはないが、先ほどまでより輝いていた広場の光が消えたことにより、少し寂しく見えた。
ライブを終えた花子はフルブロッサムのメンバーたちに軽く挨拶を済ませ、打ち上げがあることを知りつつも、家に帰るのは少し遅くなると断りを入れて抜け出し、ステージ対面にあった建物の上にあるルーフテラスへとやってきていた。個人的な決着をつけるために。
ルーフテラスに置かれた豪華な三つの椅子。それはこちらに背を向けた形でステージの方を向いており、真ん中の椅子にはオルガが、その左手にはベウセットが居る。彼女たちは自分が此処に来ると思っていたようで、その気配を感じてはいるが反応を示さず、フルーツを食べている。
花子は足音を大きく立ててオルガの前へと回り込み、その怒りの光が宿る碧い瞳ですっ呆けたような顔をするオルガの左目を見据えると左手を振り上げた。
「いったぁい!」
振り抜かれんとする左手。オルガはそれを避けようともせず、パンッと乾いた音と共にその頬に受けて、その左目を強く瞑って痛みに声を上げる。
「クッ…クククッ…。いいぞ、花子。もっとやれ」
その隣では頬杖をついてその様子を眺めていたベウセットが機嫌良さそうに、楽しんだ様子で笑い声を立てている。彼女はオルガが酷い目に合うときになると本当に嬉しそうにする。
「あぁ、スッキリした」
花子は清々したように言うと満足げに一息つき、オルガの傍のサイドテーブルの上にあるフルーツの盛り合わせの上から苺を取り、モグモグと食べ始める。一つ食べてまた一つ。止まらない様子で次々と。
「待て待てご主人。待てご主人。君を取り巻いていた状況のすべてがオルガさんが仕組んだものとでも思っているのかね? ここ最近のことを考えるとそう思えるかもしれんが、根本的な部分に問題を抱えてはいないだろうか?」
オルガは自分の頬を摩りながら花子の顔を見上げる。若干嬉しそうなのが見ていてムカつく。ただオルガには借りは返したし、花子はそれ以上危害を加えたりしようとは思わない。花子にとってもうすでに終わったことなのだから。
「えぇ、20階層で寝込んでいたことはグラやあの階層にあるモグモグカンパニーの施設で働く人たちから聞いていたのでしょう?」
苺を頬張りながら揚々と答えた花子であったが、そこで自分の言っていることについて疑問が生まれてしまった。あれこれ仕組むとしても自分が一階層へ向かう確証、仕組みがない。いや、休むとなれば娯楽の多い一階層へ行く。そう山を張ったのだ。綻びかける苦しい推理をそう正当化し、花子は気を強く持ち、苺に頬を膨らませ、オルガの瑠璃色の瞳を見据える。
「今まで攻略ばかりに一生懸命になっていたご主人が一階層に来るなんて誰が予想できるだろうか?」
オルガもその点を気にしたようで突いてくる。しかし、モグモグカンパニーのグラはベウセットから自分に対しての休むようにと言う伝言を預かっていた。グラ経由から暇を持て余していることを知れるなら、娯楽施設が集中する一階層へ行くことを見越せる。自分の苦しい推理も無理とは言えないものになる。それにNPCの店がなくなれば、たくさんの物資を持つモグモグカンパニーがその空いたシェアを奪え、場合によっては値段を吊り上げられる。ピエール吉田とモグモグカンパニーがグルであったなら自分に借りを作らせることも出来そうだ。
しかし、その反面、その不確定要素盛り沢山の推理が無理筋になってくるのを感じ、花子は眉間に皺を寄せる。しかし自分が間違っていたと言う事実を認めたくない花子は、それを振り切るかのように口を開いた。
「グラからボスの伝言の内容を聞き、一階層に私が来ると予測して暗殺ギルドを…」
花子の言葉が詰まる。何か重大な見落としに気が付いたかのように。
いや、待て。地下牢獄での眼帯の衛兵や梅酒愛好会の集まりで聞いた話では同時多発的に大規模に襲撃があったと言っていた。自分を嵌めるためのものならば、自分が食事を摂ろうとしていた一店舗だけでいいはず。オルガなら暗殺ギルドとコネクションを持っていても不思議には思わないが、所詮は外注。大規模な作戦を起こすのにたった数日で準備が整うとも思えないし、もしやるならオルガは自分の私兵部隊を使いそうな気がする。それにピエール吉田が自分を始めて見つけた時、あの反応は作り物のそれではなかったし、あれを動かすには金などでは不可能だ。店襲撃後、自分が店の中に待機する可能性もあり、捕まりそうになったところで実力行使をする可能性だってあった。無理な前提と不確定要素がありすぎる。冷静になった花子の頭の中で、モグモグカンパニー犯人論は音を立てて崩れ去る。
「オルガ、私が間違っていたみたい。でも謝らないわ。私が居るのを知ったうえでフルブロッサムに仕事依頼したのはアンタだし。さっきの一発は正当よ」
自分が間違っていたことをしぶしぶと認め、バツの悪そうに顔を歪めた花子は、左手にある苺を手に持ったままオルガから顔を背け、つっけんどんな態度で言って唇を尖らせた。
「自分の間違いを認められるご主人…! いい子だ!」
結構いいビンタを貰ったにも関わらず、一切怒る気配のないオルガ。間違いを認めた花子を褒め、親指を立てて笑いかけてくるだけ。器がデカいのか、ビンタされたのが嬉しかったのか。それは花子にはわからない。
確かにライブ絡みの話でここ最近あったことだけにフォーカスしてみれば、モグモグカンパニーが自分を嵌めたと見てもそれっぽく思えたが、自分がピエール吉田に借りを作ったのは偶発的なもの。改めて考えてそうであることがよくわかった。しかし、NPC襲撃事件を引き起こした勢力、という意味ではモグモグカンパニーは白とは言い切れない。それを起こすことによって利益を享受できるだけの規模があるギルドなのだから。
「オルガ。少し話をしましょう」
花子はオルガを見下しつつ言った。オルガは何かと忙しい。こんな機会でもなければ話すことはできない。彼女の情報網を使って真犯人に迫ることが出来れば。花子はそう考えていた。
「んー、ちょいまち。プリケツ君。椅子を少し動かそう」
オルガは席から立つと自分の隣に座っていたベウセットに呼びかけた後、自分が座っていた椅子、空席の椅子を動かし、ベウセットもそれに合わせるように己の椅子を動かし、その場に居る全員がお互いの顔が見えるよう、三角形状に椅子とサイドテーブルをレイアウトするとオルガ、ベウセット、花子は席へと付いた。
「なんでも質問してくれたまえよ。ご主人!」
オルガは相変わらずだ。一か月ぶりに会って身なりこそ良くなったが、花子の良く知る彼女のままだ。妙な安心感すら覚えるほどに変わらない。
「暗殺ギルドについて知っていることは?」
大雑把な質問。とりあえずあれらから情報を聞き出すのが一番手っ取り早く、情報も正確。ライブの時花子が言っていたことを聞いていた事もあって、オルガにもベウセットにもその質問に大して驚いた風はなく、ベウセットは桃を手に取り、オルガは花子の顔をその瑠璃色の瞳に映し、その猫のような、爬虫類のような瞳孔を細くする。
「ご主人、暗殺ギルドっていっぱいいるからそこから辿るのは結構厳しいと思う。それに彼ら暗殺が専業ってわけでもないしね。副業みたいなもんだよ。需要あるわけでもないし。それにただの下請けだし、大した情報持ってないんじゃないかな」
花子の様子から、暗殺ギルド絡みでアイドル活動をする羽目になったのだろうとオルガは考えているようで、それを見越した上でのアドバイスをしてきた。いつもオルガはこうだ。無駄な説明をしなくていいと思う反面、花子は腹の内を見透かされている気がして少し癪に感じ、ムッとする。確かに味方をしてくれるうちはこの上なく心強い存在なのではあるのだが。
「じゃあ質問を変えましょう。NPCの店を襲って得する勢力は?」
花子は肘掛けに肘を立て、口元に手をやりつつオルガの顔を見据える。その碧い瞳に映るオルガは肘掛けに両肘をつき、顔の前に両手を組み、その長い脚を組んで口元に笑みを浮かべる。
「いいぞ、ご主人! 大規模な作戦の裏には何かしら利益が絡んでいるものだ! 誰が得をするか、それを考えて答えを探る…それが正攻法!」
オルガはすぐには答えてはくれず、その花子の着眼点を褒めるだけ。その隣でカリッと音を立てて桃を齧るベウセットが花子の方へとやや前のめりになる。花子から見てとんがり帽子の鍔で目元は隠されて見えるが、とても色気のある妖しい雰囲気の艶笑が口元に浮かんでいるのが見て取れる。
「一階層で大規模な襲撃事件があったのは聞いている。しかし、まだ物資を売ってくれるNPCの店はある。襲撃の主犯格は再襲撃の準備中なのか? 資金が切れたのか…それとも目標が達成できたのか。それを念頭に置いて考えるといい」
ベウセットはオルガと何か話したようだった。二人の中ではもう目星がついているのかもしれない。…過信し過ぎだろうか。ただわかっていたとしてもヒントはくれるだろうが、答えは教えてくれないだろう。それが自分の使い魔である彼らの性格。なんでも言うことを聞いてくれるような都合のいい存在では決してない。花子はそこで椅子の背もたれに背を預けて双眸を閉じる。ここ最近一階層に来てから聞いた話を思い浮かべながら、頭の中で情報を整理して。
「NPCの店がなくなると…まず損する勢力と得する勢力が出てくるわよね。前者は扱う商品の原材料なんかを他に依存する勢力。後者は前者に原材料なんかを売れるほどのリソースを持っている勢力…」
花子の推理。オルガはそれにビシッと親指を立て、ベウセットは桃を齧り、静かに耳を傾ける。
「後者がNPCに流れるお金を自分たちの方に流すためにNPCの排除を目的にした…って考えると今のまま放置しているのが不思議なのよね。まだNPCの店は残ってるって話だし、一週間経ってる。資金にも余裕あるでしょうし、すぐに止めを刺しに刺客を送り込みそうなものだけれど」
そこでオルガはカクテルの入ったカクテルグラスを手に取り、それに口を付け、一口酒を飲んだ。
「一応参考までに今、このまさひこのパンケーキビルディング内で力ある組織の紹介をしてあげよう」
オルガはそう言って自分の唇に舌先を這わせて濡し、馴染ませるように上唇と下唇を口の中に軽く巻き込んだ後、口を開く。
「まず、オルガさんのモグモグカンパニー。一番大きいギルドなんだけど、一番大きい組織じゃない。リソースも有限だからNPCみたいに手当たり次第に売る、なんてことはできない。オルガさんのところから買ってないところは…それこそほかのギルドとか組織、NPCなんかから物を買う。NPCが消えれば必然的にオルガさんたちから物を買おうとする人たちが増えるので得ではあるんだけど、品質や価格で差を付ければいいだけだし、わざわざ手を汚す旨味もない。オルガさんはそう考えているよ!」
モグモグカンパニーならまさひこのパンケーキビルディングの需要を網羅出来ると勝手に思っていたが、違うらしい。それから思うにやっぱりNPCの存在は一部から見れば掛け替えのない存在なのだと思える。
「で、次。ロリポップキャンディ。砂糖シンジケートの中央組織的なギルドとシンジケート自体を指す。この人たちに無断で砂糖作ると面倒なことになる。まさひこのパンケーキビルディングの中で一番大きい組織。結構気性荒いし、バカでやり方もえぐいから今回の事件引き起こす可能性は十分にある。ま、オルガさんのところとは取り扱うもの被ってないからいい取引先だよ!」
初めて聞く名前だ。砂糖ギルド。シンジケートというぐらいだから、複数のギルド、個人から成る集まりなのだろう。オルガの口ぶりからすると砂糖利権をすべて牛耳っているように聞こえるし、NPCの排除も目的にしかねない。しかし、それだけの力を持っているのならば、すぐに再襲撃してNPCの息の根を止めそうに思える。それから考えてロリポップキャンディの関与はないのではないかと花子は考える。ただ、一度目の襲撃で目的を達成していなければの話だが。
「次がクリスタルパグ。通称塩パグ。二階層に岩塩坑を持ってるギルドで、塩を売ってる。んー、堅実で実直な経営してるし、オルガさんは塩パグがこれに絡んでるとは思わないなァ。他の塩売ってるギルドに嫌がらせしたりしないし…たぶんNPC襲撃することに金使うぐらいだったら、もっと人雇って岩塩坑から塩掘るだろうし。塩産業自体そんな大きくないからNPC抜きだと今のままでは供給しきれないんじゃないかな。これからしばらくの間は他の階層でNPCから塩買って一階層に転売したら儲かるかもね」
オルガは再びカクテルを一口口に含み、それを飲む。一か月しか経っていないというのにいろんな組織が出来、そしてそれを把握しているオルガ。普段はバカっぽいが、博識。喋ればどうしてこんなに締まりのない雰囲気なのだろうと思えるほどなのに。そして口ぶりからするに一階層の塩を取り扱うNPCの店は全滅したようだった。
「パンケーキビルディングタバコ産業。通称PT。タバコ産業を牛耳るタバコカルテル。中央組織は鋼血騎士団。なんかオルガさんたちに絡んでくるんだよなぁ。こそこそと。オルガさんたちの事好きなのかな? でもこの線も薄いと思うなァ。タバコで儲けた資産でいろんな業界に手突っ込んでるから、NPCに原材料頼ってるし」
やっと知っている名前が出てきた。安酒を作って流しているのもこことヤングナイトの店長が言っていた。そういう意味では梅酒愛好会の敵に当たるのだろうか。今回関係なさそうなので花子はすぐに考えるのを止める。
「ティーフレグランス。お茶とか…最近だとコーヒーも扱い始めたギルドだね。結構規模大きいけどNPCと被ってる売り物取り扱ってないし、まあ絡んでこないと思う」
疲れてきたのだろうか? オルガの説明が雑になり始めてきた。
「化粧品とか入浴剤とかお香とかのビューティーシーカー、畜産のパンケーキビルディング畜産、果物全般のミックスジュース! この辺もNPCとほぼほぼ関わりないし、絡んでこないと思う! あー、疲れた!」
オルガは投げやりに言ってその背を椅子の背もたれに預けると、サイドテーブルの上にカクテルグラスを置き、フルーツの盛り合わせの上からサクランボを取って口に含んだ。オルガの発言と自分自身で考えた感じではどれも関わっていないようにも思える。少なくともそんな大きなところが一週間時間を空ける理由がわからない。目的をすでに達成した、と考えるのであれば納得できそうな筋も出てくるが。
「生き残ってるNPCの店について知ってる情報は?」
「サトウキビ、てん菜とか塩とか…麦系の需要ありそうな物資を取り扱うようなところは全滅。残ってるのは食料品とか取り扱う宿屋とか。ちなみに一階層以外のNPCショップに暗殺ギルドが来たって話は聞いてない」
口の中に含んだヘタ付きのサクランボを舌の上で転がしながら、オルガは答えてくれる。まだ犯人は絞れないが、生き残っている店で張り込んでみるのもありかもしれないと花子は考える。しかし、一階層の店だけ襲ったというのもなかなか妙な話だ。独占するつもりであれば、他の階層の店も襲いたくなるはず。一階層だけで十分な理由があるのだろうか。
花子は顔を俯かせ、頭の中で切り口を変えてみる。まず、犯人の素性について。一階層のNPCの店。そこで売られている物に詳しい人物。そうでなければピンポイントで原材料系の素材を売っている店に襲撃は掛けられない。そしてまさひこのパンケーキビルディングの中のアンダーグラウンドと接触できる人物。普通に過ごしていれば暗殺ギルドなんかと関わる機会はなさそうだが、それに仕事の依頼ができる人脈を持っている存在。副業とはいえ、少なくとも彼らは違法なことをして金を貰う集まりだ。結構な額積まなければ仕事は引き受けないだろう。
金を持ち、一階層の事情に詳しく、NPCの利益を望まない組織。ただ推測だけで証拠はないが、花子は一つの心当たりを得た。そしてその犯人はまだ目標を達成できていないということも。口をもごもご動かし、舌で結んだサクランボのヘタを舌の上に乗せてベウセットに見せ、顰蹙を買うオルガの横顔に花子は再度視線を合わせる。
「ありがとう。オルガ。良い話だったわ」
花子はそう言って席を立つと、一歩ベウセットの方へと近寄る。するとベウセットはとんがり帽子を右手に持ち、それを肘掛けに置くと花子の顔を見る。花子の碧い目がベウセットを映し、ベウセットの黒い目が花子を映す。
「ボス、今までありがとう。これからは一人でやってみるわ」
後ろ盾が居ないことから味わえる緊張感と乗り越えた時の快感。この一週間で試練を乗り越える喜びに心を焼かれた花子にとって、ベウセットと一緒に居る理由はもはやなかった。理性的に考えればベウセットと一緒に居るのが一番いいのだろうが、それはつまらない。誰にも頼らず、己の力だけで困難に立ち向かう。自分が好きな自分で居られたあの時、鋼血騎士団と戦ったあの日のことは今もなお心の中で燦然と輝いている。自立心などではなく、その楽しみを味わいたい。そう言った単純な欲求が花子の口を動かした。
ベウセットは何も言わずにフン、と鼻を鳴らして笑うと椅子から立ち、花子の前へと移動しながら己の右手中指を口元に持っていき、それに付けられた白手袋の端を前歯で噛み、シュルリという布がすれる音と共に軽く引っ張り外し、それを左手に握る。自分を見上げる花子の顔は以前自分から守られていたものとは一味違うものになっている。
そっと花子の頬に触れるベウセットの手。白く柔らかい少し冷たいそれは花子の頬を撫で、その手の主であるベウセットは少し身を屈めて、花子の視線の高さに顔を持ってくる。その時の彼女の顔は自分の妹、もしくは部下が成長した喜びを感じたような格好良くも柔らかな笑みが浮かべられていて、頬を撫でられる花子はこそばゆさに片目を細める。
「良い面構えになった。もう子猫の目ではないな。幼いが虎の目だ」
ベウセットはそう言って花子の頬から手を離すと頭を撫で、ベウセットにそうされるのが嫌いではない花子は気持ちよさそうに目を細めている。不愛想で攻撃的で人に媚びない格好つけの花子の、あまり見ることのできない人に甘える姿。それを傍から見ているオルガは人差し指の指先を口元に当てて、なんだか物欲しそうに、構ってほしそうにその様子を見ている。その時のベウセットの言葉は自分を認めてくれたような気がして、花子にとっては嬉しい物だった。
「何か困ったことがあったらオルガや先生、私を頼るんだぞ。いいな」
「そうならないように気を付けるわ」
自分を慕い付いてくる人間には本当に優しく、甘いベウセット。一頻り花子の頭を撫でた後、姿勢を戻して左手に持った白手袋を右手に嵌めると踵を返し、自分が座っていた椅子の肘掛けから大きなとんがり帽子を手に取り被ると、懐から小切手とペンを取り出して小切手に何やら書いて花子の方へとそれを爪弾く。一々仕草が様になっていて、格好良く花子の目に映る。
目の前へとひらひらと舞い、落ちてくる小切手を花子は手に取るとそれを腰の小物入れへと折りたたみ、しまう。ライブでの取り分がどれ程になるかはわからない。しかしきっと自分たちの共同財産より高額であろうことは理解しているが、ベウセットに今貰った小切手を突っ返したとしても受け取りを拒否されることは目に見える。故に花子は小切手について追及しなかった。
「また会いましょう」
花子は踵を返し、出口の方へと向かっていきつつ肩の高さに左手を上げて手を振り、ルーフテラスの上に出っ張る階段へと続く建物の中へと入り、その姿を消した。
その後姿を見送ったベウセットとオルガはその口元に笑みを浮かべ、お互いの顔を横目で見る。
「ご主人も立派な戦士の顔になったな! プリケツ君!」
「あぁ、やっぱりあの位の年頃の子はああでなくてはな」
オルガはカクテルの注がれたカクテルグラスをベウセットの方へと掲げる。
「プリケツ君、今日は付き合えよ」
「…まあいいだろう」
ベウセットはそれに少し沈黙して間を置いた後、双眸を閉じてふうっと鼻から一息吐き出すと、双眸を開き、一言言うと自分の座っていた椅子へと腰を下ろして酒の入ったカクテルグラスを手に取り、オルガの方へと掲げる。
「ご主人の成長を祝して…乾杯!」
「乾杯」
ベウセットとオルガはそれを合図にカクテルグラスに口を付け、その中のカクテルを飲み干した。今日は酒の肴に事欠かず、可愛い己の主の成長により、酒はより旨い。小春も交えてやりたかったが、彼女は帰ってくる気配もない。もう少しだけ長引きそうな夜。その気配をベウセットは感じつつ、花子へ思いを馳せて夜空を見上げた。
危ない遊びって楽しい物よね。
※追記 20200103
すまぬ! 今日中には次の話を上げられそうにないでござる! 明日には上げられると思いますので、どうか待っていてくだされ…!