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まさひこのパンケーキビルディングとその住人。打砕く者と守る者。  作者: TOYBOX_MARAUDER
闇の片鱗と目覚める小虎
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戦慄


 真っ白い部屋の大きな窓から差し込む太陽の光。それは天蓋から垂れる薄く目の粗い上質なカーテンに遮られるが、全ては遮断しきることはできず、そのベッドで眠っていた花子の目にわずかな光を感じさせる。


 花子の意識はそれによりすぐに覚醒し、バスローブ姿の彼女はベッドから起き上がってさっさと支度を始める。この一か月ずっと温かくも厳しいベウセットと一緒にいたため、寝坊などできない身体になっていた。


 バスローブを脱ぎ、黒革と白い骨とマントの装備に早々に身を包み、ベッドの上に腰かけてまさひこミラーで身だしなみを整える。しかしその支度を終えた後になって花子はダンス等の練習にこの装備でいいのだろうかと考え、眉間に皺を寄せた。


 「…まあいいわ」


 少しの間考えた後、黒いフードを被ながら花子は呟き、ベッドの上から立ちあがってマントを翻し、上質な家具に囲まれるその広い部屋を横切って廊下へ続く扉の先へ。廊下は静かなもので、しんと静まり返っている。


 「…なんか猛練習しているイメージがあったけどそうでもないのかしら」


 自分の部屋の扉を後ろ手に閉め、その前に立ちながらシルバーカリスの部屋の扉の方を一瞥し、彼女を起こすべきか考えたが、結局そうはせずにエントランスホールの方へと向かうことにした。硬いブーツが青い絨毯の敷かれた石の床を踏む度にコツ、コツと小気味の良い音が立ち、それを楽しみながら花子は進む。


 建物上部に取り付けられた大きな窓から陽の光が差し込むエントランスホール。そこには噴水から噴き出した水が水面を叩く涼やかな音しか聞こえず、その広い空間の中には使用人NPCと思われる人影が数人。まだ全員寝ているのだろうか。そう思い、花子は腰の小物入れに手を入れ、水晶に触れてステータスパネルを開き、時刻を確認する。朝の6時30分。自分が起きた時間が早すぎたのだろうか? 部屋に戻ってもすることがないので、花子はそのまま階段を下りて、外へと向かう。


 扉を開けて正面に少し進み、障害物のないその場所で花子はマントに隠れた左手を出し、腰の右側にあるグラディウスの柄を握るとそれを抜く。ずっと一緒に戦ってきた自分の戦友とも言ってもいいそれは、花子の左手に良く馴染み、その勇ましい姿は花子の心をより強く、鼓舞してくれる。


 今日はベウセットが居ないので本格的な稽古はできないが、二階層に到達して以降、朝の稽古は日課であったため、敵を思い浮かべて剣を振る。約一か月、ベウセットと対峙していく中で花子が理解したこと。それはこのゲームにおいて最も重要なのはステータスが高いか低いかではなく、とどのつまりプレイヤースキル。故に花子はこの朝の稽古を何よりも重要視していた。


 「朝から励むわね」


 そんな花子に物静かな声が掛けられる。振り返れば今玄関から外へと出んとする、前髪を切り揃えた朱色の髪のストレートロングの少女の姿。身長はマロンより小さく、145センチほど。丸く大きな目が真っ先に目につくその顔つきは幼げだが、物静かな口調は妙に大人びたものだ。装備は身を覆うような厚手の赤地に白の模様が入ったローブ。立った襟は口元を隠し、袖は長く、腕を真下に伸ばしても中指の指先ぐらいしか見えていない。打撃に強く、生半可な斬撃では身体には届かなさそうではあるが、刺突攻撃に弱そうに思える。彼女はそのルビーのような瞳に花子の姿を映している。


 「ちょうどいいわ。アンタ相手しなさいよ」


 花子はその少女に一も二もなく言い放つ。淡々とした表情をしていた少女であったが、豆鉄砲をくらったような顔をした後、フッ、と声を微かに立てて笑うと花子に近付きながら己の腰後ろに手をやり、五本爪をその両腕に装着する。それは装備したまま腕を下げれば足元にその刃先が届くほど長く、五本の刃の下にあるグリップを握って使うものだ。盾よりははるかに面積は狭いが、攻撃を弾いたりすることも出来そうに見える。


 武器を装着したその少女を見て、稽古に付き合うことに同意したと見なし、花子は盾を構えて地面を蹴り、肉薄する。


 少女は驚いたような顔をし、花子へと向けて爪による突きを放つ。しかし花子は盾でそれを下から持ち上げるような形で逸らし、白い円盾に爪の刃を滑らせながらそのまま進んで少女の胸部を盾で下から上へと突き上げる。攻撃を逸らしてからの盾による突きまでほぼ一瞬で、爪の突きを逸らされたカバーすら間に合わない。少女は自分より身体の大きい花子に体当たりされる形となり、身体が浮く。この状態からならば脇腹を刺せるが、勝負あったと思った花子はそうせず、バックステップして少女から距離を取る。


 「まず私が一本」


 石畳の上に両膝を突き、突かれた胸部に爪の装着された手をやりながら片目を閉じて苦しそうな表情で見上げてくる少女を見下ろしつつ花子は言う。


 強力なボディーガードに護られはしているものの、腐っても最前線で戦う攻略勢の一人。プレイヤースキル、戦闘経験は花子の方が断然上であり、レベルにも差がある。この稽古をひねた見方をすれば弱い者いじめではありはするが、花子の頭にはそんな卑屈な考えはなく、一人で剣を振るよりも断然ためになる稽古を求めた結果がこれだった。


 少女は胸部の痛みが引いた後、先ほどまで苦しそうな表情をしていた顔を一変させ、闘志と怒りを伺えるものにし、花子に向かっていく。


 一回、二回、三回、四回、五回…少女は花子に向かっていくが、攻撃は躱され、盾や剣で受けられ、いなされて、弾かれる。そのあとに来る花子の膝蹴りや足に対する踏みつけからのハイキック。その少女の闘志が消えた時、庭の中に立つ時計の短針は8を指していた。


 「今日はここまでにしましょ」


 花子は時計を見て、白いグラディウスを黒革の鞘へと納める。その視線の先には仰向けに倒れ、膝を立てて両手を身体の横に投げ出し、荒くなった呼吸を整える少女の姿がある。その顔は真っ赤で長い前髪は汗で額に張り付いている。花子に返事を返す余裕すらないようだった。


 「そういえばアンタなんて言うのよ。昨日マロンに聞いたと思うけど私は花子って言うの」


 なかなか立ち上がろうとしない少女の元まで花子は行き、その顔を見下ろして左手を差し伸べ、少女はそれを取ることなく上半身を起き上がらせた。


 「ざくろ…柘榴よ」


 落ち着いた声色でその少女、柘榴は言うと腰の後ろに手をやり、その腕に装着された爪を納め、それから花子の手を取って立ち上がった。


 「アンタ明日も付き合いなさいよ」


 「うっ…わかったわ」


 当然のように言う花子に柘榴はその表情を一瞬だけ曇らせた後、左右に視線を泳がせ、文句でもあるのかと言いたげな座った目つきで見てくる花子の顔を一瞥し、諦めたように頷く。


 柘榴の手を放したところで花子は敷地の出入り口の方から荷車を引いてやってくる人影を視界に捉えた。花子はそれがなんであるか分かった。ピエール吉田は約束を守ってくれたようだ。


 「あの~、すんません。鋼血運送の者ですけどぉ、ここの方ですよね。これにサインおなしゃーす」


 作業着の男は用紙を一枚取り出し、ペンを添えて自分から見て近くにいた柘榴にそれを差し出すが、花子はそれに割って入る形で用紙とペンを取り、サイン欄にサインをし、それを男の方へと差し出す。


 「あざましたー」


 男がサインの入った用紙を受け取ったところで、いつの間にか花子たちの傍にいた宮殿の使用人NPC達が荷車に積んである荷物を運び始め、作業着の男は荷車の上から荷物が運び出されたことを確認すると元来た道を戻っていき、やがてその姿は見えなくなる。


 そしてそれと入れ違う形でアスリートのような綺麗なフォームでその天然パーマを揺らしながら全力疾走してくるピエール吉田の姿。ふざけたことを言ってふざけた面をしているイメージばかりが花子の頭の中にあるピエール吉田であったが、その時の顔はどうもそれらに合致するものではなかった。


 「花子ちゅあーん! 柘榴ちゃーん!」


 ピエール吉田は花子たちの姿を視認すると手を大きく振る。花子はそれを見ながら腕をマントの中で組み、柘榴は嫌なものでも見たかのように顔をやや歪めて身構える。


 そんな彼女たちの前まで来たところでピエール吉田は止まり、乱れた呼吸を両膝に手を当てながら整える。何があったのだろう。くだらないことでも思いついたんだろうか? 花子は冷めた目で彼が呼吸を整え終わるまで待つ。


 「モグモグカンパニー…! モグモグカンパニーがッ…!」


 整えきれていない息遣いで、息絶え絶えのまま、ピエール吉田が二人に何か伝えようと喋り始めた。その主語を聞いた途端、花子の心の中に暗闇を鋭く切り裂く稲妻のように、戦慄が駆け巡る。


 ピエール吉田や柘榴が今かいている汗とは違う種の汗。恐怖、緊張…それらが原因の冷たい汗。それが自分の身体をしっとりと濡らす感覚を花子は覚える。


 「待ってッ! 言わないでッ!」


 花子はマントの中から両手を突き出し、絶叫する。ピエール吉田と柘榴はそれに驚いたような顔をし、二人は花子の恐怖に揺れる瞳を見る。


 「急に何を言っているの? 貴女」


 柘榴はその花子の様子に訝しんだ風にする。しかしそんな柘榴の細かな反応など今の花子の瞳には映らない。


 パニックになる花子の頭の中に巡る記憶の一部。ピエール吉田を殴りつける不愛想な眼鏡の男の姿。まだ内容は聞いてはいないが、最悪の結果を招くバックグラウンドはすでに出来上がっていることが花子は嫌でも理解ができた。

 

 「何ッ!?…んっ、んんっー!」


 「おだまり。…で、おっちゃん。なんだよ」


 いつの間にか花子の背後にいたマロンが花子を背後から押さえつけ、その口を手で塞ぐ。その力はレベル35の花子の力をもってしても振り払えないほどの強いものだ。ピエール吉田はマロンの顔を見て頷いた後口を開く。それはもう真剣な顔で。


 「モグモグカンパニーが僕たち芸能事務所フルブロッサムを名指しで…宣伝の依頼を…!」


 「んーッ!」


 花子の嫌な予感は当たり、まるでそれを拒絶するかのようにマロンの腕の中で花子は声を上げる。そして次に花子が考えるのはこれがただの偶然か、めがねくんの報告を受けてものか。状況から見てあまりにも前者は楽観的過ぎ、そう思いたくないと思っても後者の方が納得できてしまう。その事実に直面した時、花子の目は涙目になっていた。


 「んで、何やんだよ。ライブ?」


 「そうなるね…僕たちが出来るのはそれだけさ…」


 「いつそれやんだ?」


 「モグモグカンパニーの社長さんが直々に一週間後何かやれとね…無茶を言ってきているのはわかっているが…やるしかない…芸能事務所フルブロッサムの名に懸けて…!」


 「無理じゃね?」


 「できらぁっ!」


 「…知らねーぞ。あたしゃ」


 マロンとピエール吉田はそんな花子を差し置いて話を進める。それは両者の認識の乖離を明らかなものにする、聞く者が不安を覚えるようなものだ。


 考え得る最悪の結果。結末。それを聞いた花子は自分を後ろから押さえつけるマロンの身体に力なく、背を預ける。オルガはめがねくんから今の自分の状況を聞いたのだ。そうでなければこんな結果になり得るわけがない。そう悟って。


 「やるっきゃねえか…しかし普段クッソ生意気な感じだけどこうなると可愛いもんだな。花子も」


 愉快そうにケタケタと笑うマロンの腕の中、花子は諦念が支配する頭の中で静かに考える。自分をNPCに逮捕させるきっかけを作り、ピエール吉田に借りを作らせた暗殺ギルド。その背後に居る依頼主。それへの報復。復讐。絶望で弱った心を怒りにより再び奮い立たせ、花子は気丈さを取り戻す。…しかし、マロンはまだ離してくれそうにはない。


 「話はそれだけさ…。朝食を済ませたら練習を開始してくれ…!」


 「おっちゃん練習見てくんねーのかよ?」


 「モグモグカンパニーのオルガさんに30階層に来るよう言われていてね…そうもいかないんだ…そろそろ迎えが来る…」


 「あん? 今攻略できてんのは20階層までって聞いたぞ」


 そこで敷地の外へと続く石畳の向こう側から、めがねくんがやってくる。それにマロンと柘榴、そして物言いたげな花子の目が向き、その視線の動きに反応してピエール吉田が振り返る。


 「行くぞ」


 めがねくんは腰から階層転移の本を取り出し、それを片手で開くと対の手でピエール吉田の肩へと触れる。本当に余計なことをしない男だ。彼が居なくなる前に文句が言いたい花子はどうにかしてマロンの手を退かせないか考える。


 「練習方法はまず――」


 「うわっ、手ぇ舐めんなッ!」


 ピエール吉田はその場に居る三人に何か指示のようなことを言いかけるが、それは花子に手を舐められ、驚いてその手を花子の口元から離したマロンの声に遮られ、言いきられることはなかった。


 「オルガにチクッたのはお前ねッ! 眼鏡割れろ! 裏切り者ぉーッ!」


 ピエール吉田とめがねくんが光になって消えた辺りに向かい、花子は短い思いの丈を罵声として言い放つ。それは当然むなしく響くだけで何の返事も返さない。そこでやっと花子の身体はマロンの腕から解放される。


 「まあいいや。決まっちまったもんはしゃーねー。無理だと思うけど」


 「えぇ、やるしかないわね。無理だと思うけど」


 マロンと柘榴はお互いの顔を見合わせ、お互いの考えを述べた後に白い宮殿の方へ向けて歩き出す。花子は気が収まらない様子でめがねくんが居た辺りを暫く睨んだ後、先を行く二人の後に続いて行く。その朝の出来事はやりたくないことを目の前にして悶々としていた花子に、本来の目的を強く思い出させてくれるものだった。ピエール吉田に借りを作らせたきっかけを作った暗殺ギルド。その背後に居る何者か。花子はそれの横っ面を引っ叩くと強く誓う。その時の彼女の面構えはもう守ってもらってばかりの者のそれではなかった。

 

人のためだとかではなく、私怨で動く主人公が好きだ。

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