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まさひこのパンケーキビルディングとその住人。打砕く者と守る者。  作者: TOYBOX_MARAUDER
闇の片鱗と目覚める小虎
34/109

良心の鎖

コントラバスと言うのはですね、色んな呼び方があるんですね。ウッドベースと呼んだり、ダブルベースと呼んだり。バスとかベースと呼ばれる場合もあるようです。

ちなみにウッドベースと言うのは日本で生まれた呼び方だ。海外では通用しないぞ。


 陽の光が一切差し込まぬ暗い暗い地下牢獄。

 その中の牢屋の一室には真剣な声色で話す気の強そうな少女の声と、女性の物にしては低い少女の声が小さく石の壁に響く。何やら小難しそうに…密やかに。


 「弱そうな衛兵が看守になった時、後ろから羽交い絞めにするの。それで鍵を取って牢屋から出たら全力で街の外にダッシュ」


 「でも…上手く行かなかったらこの何時まであるか分からない刑期が延長するんですよ?」


 「バカね、失敗した時の事なんて考えてなんになるのよ」


 「そんなこと言ったって考えちゃいますよ。花ちゃんの計画ほぼほぼ正面突破みたいなものじゃないですか」


 「うっさい、敗北主義者。そんなんだから何時まで経っても地下牢でハンバーガーモグモグしてんのよ」


 花子とシルバーカリスはお互い部屋の隅に距離を詰めて座り込み、その間に灰色に染まった絵の描かれた階層転移の本を置きつつ、小声で真剣に脱獄方法を考え、意見を交わしている。

 交わされる意見には両者の性格がよく出たもの。それは階層転移の本が使えない事を示唆し、彼女たちが他の脱出方法…脱獄方法を探さざるを得ない事を示していた。


 「いつもモグモグバーガー食べてるわけじゃありません。というか仮に逃げ切ったとして、この街に戻って来れなくなるんですよ? 花ちゃんはいいかもしれませんけどレベル1の僕にとって死活問題なんですけど!」


 「大丈夫でしょ。顔隠しておけば。それで大道芸とかしてお金稼げばいいわ。なんかないの? それっぽいもの」


 脱獄後のビジョン。見通しが暗いと考えてかあまり乗り気ではないシルバーカリスに対するは…彼女とは見えている景色が違うからであろう、楽観的で適当。まさに他人事と言った風にすら思える返答を返し、本を腰の小物入れに押し込む花子。

 違い過ぎる。前提が、互いの立つ足元が。お互いの背景が。だが、素直なシルバーカリスは花子の言葉を真に受けてか、その形の良い顎に手を当て、その灰色の瞳を考えるように上へと向けた。


 「えーっと…えーっと…コントラバス弾けます。吹奏楽部だったので自信もあります。都大会にも出ました!」


 そして彼女は明るい顔でどこか得意げに言い放つ。話全体の趣旨を今は置いて置き、今言葉にした物だけにフォーカスしたらしく。

 けれど得意げにする彼女の話など、何が出来るのかなど…大して興味はないらしい花子は、その表情を一切変えぬまま、口を開いた。


 「ならダブルベースさえ何とかなれば大丈夫ね」


 「えっ…ベースだけでどうすればいいんですか?」


 淡々と発せられる花子の言葉に思わずシルバーカリスは小首を傾げた。その灰色の瞳に――さっきから視線を合わせようとしない花子の横顔を映して。

 そして彼女からの問いに…花子は振り向き、静かに語り始める。両目を閉じ、なんだか味わい深い顔をして。


 「聞いて。シルバーカリス。世にはダブルベースソロでライブハウスを静かに沸かせるベーシストだっているの。大丈夫、貴女なら出来るわ…目指せ、いぶし銀…!」


 何と安っぽい言葉であろうか。根拠のなく、実体のない賛美と言うものは。明らかに調子のいいことを言っているだけであろうその花子の態度に――シルバーカリスは流されかけるが――


 「それって普通にプロの人じゃ…ッじゃなくてッ、話逸らさないでください」


 魔化されることなく話の主題に立ち戻り、シルバーカリスはムッとした顔をして花子を見据え、指摘。

 そうなってはもう煙は撒けない。花子はそう考えたらしく、シルバーカリスの静かなる剣幕に押される形で両手を開いて見せた。


 「わかった、わかったわよ。外に出たら暫く面倒見てあげるわよ」


 「言いましたね? 今言ったこと忘れないでくださいよ? 見捨てたら生霊的なものを出して呪ってやりますから!」


 押さえていた怒りを噴出させ、次第にヒートアップするシルバーカリスの話し声。それはお互いの耳と注意をお互いに集中させ、他の情報を一時的に遮断する。――自分たちに迫る足音すらも。


 「脱獄の打ち合わせかぁ?」


 直後、突如として背後の鉄格子の向こうから聞こえる声。

 それに二人の肩はビクッと大きく飛び跳ねた。その反応はそれを見る眼帯の衛兵へ、その問いへの肯定として伝わる。


 「おいおい、マジだったのかよ」


 半笑いをその顔に浮かべ、声無く硬い動きで振り返る花子とシルバーカリス。

 二人のその様子を眺めて眼帯の衛兵は苦笑する。その腕に鞘に収まった花子のグラディウスと円盾を持ちつつ。だが…静かなのはその時までだった。


 「違うんですッ! 僕は花ちゃんの話を聞いていただけでそんなつもりはッ!」


 「違いませんー! 私たちは一蓮托生ですぅー!」


 勢いよく立ち上がり、左手を己の胸元に当てながら己の潔白を訴え始めるはシルバーカリス。ほぼ同時に立ち上がった花子は彼女の肩に手を置き、口を目一杯開いて吼える。眉間に深い皺を寄せて目じり眉尻を吊り上げ、鉄格子の向こう、そこへと立つ苦笑を浮かべる眼帯の衛兵をシルバーカリスと共に、一点に見据えて。

 だが、花子のその訴え。他人の幸せを見ているぐらいなら破壊する…そんな荒んだ気概に――思わずシルバーカリスは目を見開き、振り返る。驚きと共に…自棄になったような顔をする花子の方へと。


 「あっ…貴女って人はー!」


 「先に売ろうとしたのはアンタよ! 一人で刑期伸ばされるぐらいなら道連れにしてやるんだからッ!」


 「ええいっ、修正してあげますッ! その腐った性根を!」


 「何よ、やるってのッ!?」


 そして始まる。醜い醜い取っ組み合いが。シルバーカリスが花子に掴みかかることによって。


 「くっ…そんなっ…!?!」


 「圧倒的な膂力、フィジカル! ほぼほぼ初期状態のアンタが取っ組み合いで勝てる訳ないじゃない!」


 「くああッ!」


 「さぁ、諦めなさい…潔く私と一緒に泥沼に墜ちるの。この薄暗い世界で一緒にハンバーガーをモグモグするのよ!」


 当然レベル差があるため、掴み合いではシルバーカリスは不利だ。心得があるのかそれっぽい動きで片腕を取りに行っていたが、実戦経験があり、レベルの高い花子には無意味なのだろう。関節を取った腕は力で引き剥がされ、仰向けに床の上に倒されたシルバーカリスは花子に腹部の上に乗られて、両手は顔の横に押さえつけられてマウントを取られる形となった。

 シルバーカリスが下、花子が上。視線を交差する二人を…眼帯の衛兵は眺める。今こうして自分がここに来た要件が…言い出し辛くなったことに冴えない顔をして。


 「仲のいいこって。でんも花子、お前さんもう刑期気にしなくてもいいぞ。俺たち衛兵に賄賂を贈った奴がいて、今すぐに出られっから」


 腹の上に乗られて見下され、悔しそうに歯を食いしばりつつマウントを取られるシルバーカリスと…勝ち誇ったような、だが荒んだ笑みで下にいるシルバーカリスを見下す花子。それらの視線は眼帯の衛兵の一言によって彼に引付けられ、動きが静止する。二人揃って目を点にして。


 ――しばらく、その状態のまま時間が流れる。

 牢屋の中の二人は時間が止まったように動かず。そしてシルバーカリスの上に座り、マウントを取る形となっていた花子がシルバーカリスの手首を握っていた手の力を緩め、脚に力を入れて腰を上げかけた時――花子の腰回りをシルバーカリスの両腕が捕らえた。


 「僕たち一蓮托生ですよねッ! 花ちゃん好き好き好きーっ!」


 「ッ白々しいにも程があるわよッ! ええいッ、離せッ、離しなさいよッ!」


 がっちりと腰に絡めた腕を組み、腹部に頭を押し付けながら行かせまいと身体を預けるシルバーカリスとそのシルバーカリスの腕と顔を押し、喚く花子。先ほどあった泥沼に自分諸共引きずりおろさんとするその図。それは各々の立場をそっくりそのまま入れ替えて、再びそこに再現された。

 開かれた格子戸の向こう側には花子が出てくるのを待ちはするが、二人の争いには介入しない…眼帯の衛兵の姿が在る。


 「あぁっ…!」


 「ふーんだ、私の方がレベルは上なのよ! 今まで楽しかったわッ! ありがとう、地下牢獄の親分さんッ」


 しかしレベルの差は確かにそこには存在するため、すぐにシルバーカリスは無念と悲しみの宿る声と共に引きはがされ、花子は開かれた格子戸の向こうへと走り去って眼帯の衛兵の後ろに回り、そこから顔を出してこれでもかというほど煽り倒す。左手を振り上げ、意気揚々と。


 「もうここやなのー!」


 「あーっはっはっはっ! いくらでも泣き叫ぶがいいわ!」


 閉まり行く格子戸。その向こうにはうつ伏せに倒れ、泣きながら鉄格子の向こうに右手を伸ばす不憫なシルバーカリス。

 花子は口元に左手の甲を当て、それを心底楽しそうに笑い飛ばし――そのえげつなさに顔を引きつらせる眼帯の衛兵は鉄格子の扉を閉じ、歩き出す。その足が早まったのは罪悪感からであろう。花子も早歩きでその後へと続く。


 「はなちゃーん!」


 背後から聞こえるシルバーカリスの悲痛な呼び声を聞きながら、花子は牢屋の並ぶ廊下を行き、長い階段を上がり…眼帯の衛兵と共に監獄の施設の一階へとたどり着く。もうそのころにはシルバーカリスの声は聞こえなかった。


 ――しかし…誰が賄賂なんて払ってくれたのかしら。


 もう夕暮れ時。それもそろそろ暗くなるころなのだろう。申し訳程度の明り取り窓から差し込む、頼りない橙色の光が差し込む廊下にて、そのころにやっと花子は今の自分の立場を冷静になって省みる。


 まず、衛兵に金を払ってまでして自分の身柄を取り戻そうとする人物について。

 当然、ベウセットが真っ先に思い浮かぶが、常に前線で戦ってきたベウセットが衛兵に金を握らせれば牢獄の中のプレイヤーを解放できるとどうやって知り得るのだろう。経験則とやらでやりそうな気もするが…ベウセットは数日休めと言っていたとグラから聞いている。探しに来るにしても早すぎる。超巨大ギルドのトップに立つオルガは忙しくて自分を気に掛けている余裕はないだろうし、小春に至ってはこのゲームの中に入った初日以降見ていなく、消息不明だ。


 そう、考えが至った時、花子の軽い足取りが急に止まった。


 「どうしたお嬢ちゃん、忘れもんか?」


 「いや…」


 嫌な予感がする。いや、しかし…杞憂かもしれない。思い当たってしまった一つの結末。花子は押し黙ったまま、暫く立ち尽くす。

 振り返った眼帯の衛兵に反射的に返事を返しつつ…顎に手を当て、視線を地面に落としながら。


 「あぁ、これが無くて落ち着かねえんだな?」


 彼の目から見たらそういう形に見えたのだろう。花子の腹の内にある真意から見れば、見当違いなことを言いながら眼帯の衛兵はその手の腕の中にあった花子のグラディウスと円盾を差し向けた。


 「ほれ。本当は身元引受人に引き渡す前に武器は渡しちゃならねえんだけどいいだろ」


 何かと決まり決まりと口癖のように言う眼帯の衛兵らしからぬ一面。花子はそれを上っ面では意外に思いながら受け取り、まず鞘に収まったグラディウスを取り、腰に回したベルトの右側に取り付け、次に盾を右手で受け取り、腕に通してからその感覚を確かめるように何度か握る。


 「ありがと」


 「いいってことよ」


 花子は礼を言い、眼帯の衛兵は草臥れたその顔に渋い笑みを浮かべて踵を返し、再び歩き出す。

 しばらく歩くと監獄の入り口であるロビーへと行きついた。見覚えのあるシルエット。人影がそのだだっ広い中心に立つその場へと。


 「やぁ、また会ったね…君の放つ輝きを追って来たらここにたどり着いていた…」


 そしてそれはそこに、口に薔薇を咥えてそこに立っていた。妙にキレのあるポーズとともに。

 彼の姿は花子の頭の中にあった懸念を肯定し、彼女の足をその場で止めた。


 「眼帯さん、賄賂を支払ったプレイヤーが解放したプレイヤーに対して持つ権利みたいなものってあります? あるならあるで構わないんですけど。こっちの方で物理的にどうにかするんで」


 花子はそれを無表情で見据えながら、自分に合わせて脚を止めた眼帯の衛兵に問う。


 「いんや、んなもんねえ。お前さんは自由だよ」


 返ってきた言葉は花子にとってとても都合のいいもの。このまま逃げてしまっても何の問題もない返答だった。

 花子はそれに鼻から息を吐き出し、一息つくと鼻をフンと鳴らして笑った。静かな笑みを口角に湛えて。


 「ですって。支払ったお金はいい授業料になりそうね」


 花子は腰に左手を当て、その視線の先の男、ピエール吉田へと嘲笑交じりの微笑を向ける。

 遠回しな言い回しではあるが、これから逃げることを宣言するそれを聞いてもピエール吉田は身構えるどころか焦りもせず、その口に咥えた棘のないバラをジャケットの胸ポケットに差し込むだけ。花子の心の中にあるものを見透かしているかのように…それは落ち着き払ったものであった。


 「いや、君はそうしないよ」


 ピエール吉田は口元に柔らかな笑みを浮かべ、妙に確信めいた風に言った。

 ――どういう形であれ借りを作った。義理は通したい。嘲笑を浮かべるその面の皮の下で、心の中の蟠りと格闘していた花子はその心中を見透かした一言に、一瞬驚いたような顔をした後、バツが悪そうに顔をプイッと反らした。

 借りは返すにしてもこのままピエール吉田の言いなりになるのは癪に障る。自分の気持ちが収まらない。自分を納得させる何かをと――考えながらも。


 「…それで、私に何をさせようってわけ?」


 まず、花子はピエール吉田の考えを聞くことにする。それの出方によって自分を納得させる落としどころを見つけるために。

 

 「何度も言うよ…この暗い世界を照らし出したいのさ…! アイドルとしての君の輝きでね!」


 返ってくる言葉、要求は最初に遭った時と変わらないものだった。

 花子はその顔を苦々しく歪める。リアルの世界の学校での催し物。文化祭…体育祭でも。人前で踊ったり歌ったり、その練習の中で起きる人間ドラマ。それらひっくるめてバカバカしく見えて超が付くほど花子は苦手であった。その延長線上にあると考えているアイドル活動。それは水と油。年齢の割には捻くれた考え方をする花子には、相容れないものだった。


 「他は?」


 「ノンノン…それ以外でどうやって君の輝きを世に伝えるというんだい…?」


 当然花子はその結末は避けるべく、妥協点を探すために言葉を掛けるが…ピエール吉田の気持ちは動きそうにない。どんなものをやるかは知らないが、折れるしかない。そう思えるほどに。

 少しの沈黙の中、花子はあれこれ思考を巡らせ…花子は口を開いた。


 「バンドなら?」


 花子はこれならいいだろうと確信を持った笑顔を浮かべる。

 歌い手のルックスやそのキャラ、パフォーマンス。本来は歌や音楽に付随するだけの要素をメインにし、音楽を語るアイドル。それは嫌いだが、純粋な歌と音楽の力で人を魅了するバンド。花子はそれが好きだった。それならば自分も胸を張り、堂々と人前に出られる。恥ずかしくもない…と。


 「ノーッ、踊ってほしいのさ…」


 しかしピエール吉田は難色を示す。唇を尖らせ、目じりと眉尻をこれでもかと下げて瞼を閉じ、首を重々しく横に振って。行けそうだと思った案もピエール吉田の固い決意を崩せそうにない。


 ――あんまりわがままを言うようなら本当に逃げてやろうかしら。


 思わず腹の中で花子は毒づく。自然と歯を剥き、食いしばりながら。上目遣いでピエール吉田を睨んで。

 そんな花子を目の前にして、ピエール吉田は口を開く。左右に歩きながら、両手を肩の高さにあげ…開きつつ。


 「君は一回きりしか僕らに協力してくれないつもりだろう? だからノウハウのないことをやるよりも確実な方法で僕はやりたいのさ…わかってくれるかい?」


 「うぐっ…」


 ピエール吉田は痛いところをついてくる。借りを返したらそれっきりという図星を突かれた花子は口の中で唸る。

 だが折れない。まだ何か妥協点を見つけられるかもしれない。花子がそう考え始めた時…視界の端に映っていた眼帯の衛兵が振り返った。


 「いいじゃねえか。やってみたら楽しいかも知れねえぞ?」


 迷いつつも往生際悪く他の道を見つけんと思考を巡らす花子に眼帯の衛兵は畳みかける。その彼の何の気無い顔を花子は一瞥。次にピエール吉田を見た後で視線を床へと落としたのち――大きなため息を一つし、肩を落とした。まるで…根負けしたかのように。


 「…わかったわよ。しょうがないわね」


 とうとう折れた花子。それによりピエール吉田の顔はそのまま天にでも上るかのような、この上なくうれしそうなものに変わる。しかし、花子のその目の閃きはすべてを投げだしたものの目ではない。


 「ただしッ! 今から私が言うことに従ってもらうわよッ! いいわねッ」


 花子は左手を大きく振り上げ、人差し指をピシッと立てるとそれを振り下ろしてピエール吉田を指さした。


 「どんと来いマイエンジェル…!」


 ピエール吉田は花子がアイドルとして活動してくれるなら何でもいいようで、後先考えた様子の無い強気な返事を返す。両手を開き、そのキラキラとした瞳に花子の姿を映して。


 「どこかの国のアイドルみたいな下品なのはNG! 尚且つ私にコントラバスとピアノとジャズドラムを買い与えた上で今この牢獄に収監されている囚人、シルバーカリスを解放するのよッ!」


 「ふふっ…お安い御用さ…」


 文句を言ってくるならば難癖をつけてアイドル路線から自分を遠ざける交渉でも出来ないかと考えていたが、ピエール吉田は気障な笑みをその口元に携えて淀みなく受け入れた。感激の表れなのか、独特なポーズと共に指を鳴らし、眼帯の衛兵に顔を向けて。


 「シルバーカリス…どれぐらいかな」


 ピエール吉田は眼帯の衛兵にウインク。それを向けられた彼は一度花子を気の毒そうなものを見る目で見たのち、視線をピエール吉田に戻した。


 「15ゴールド」


 「やっすッ!」


 眼帯の衛兵は淡々と解放に必要な賄賂の額を口にし、その口から出たあまりにも安い金額に花子は反射的に突っ込んだ。だがそれは同時に花子にある一つの可能性を見出させてくれた。

 白パンと同額の女、シルバーカリスについて思うことはあるが、彼女がその程度なら自分はいくらなのだろう。今持っている手持ちで何とかなる金額なのでは? それを支払えば借りもなにもない。少なくとも自分が納得できる。そう花子は思い至り…向ける。視線を。変な物でも見るような顔でピエール吉田を見据える眼帯の衛兵へと。


 「ねぇ、ちなみに私は幾らだったのよ」


 「25000ゴールド」


 「どうなってんのよッ!」


 シルバーカリスと自分との想像以上の差。レベル30代とレベル1との差があまりにもありすぎる。当てが外れたこともあって花子は半ば嘆くように吼えた。


 ――払おうと思えば払えるけど…。


 ベウセットとの共同財産から払おうと思えば払える額ではある。だが、共同財産だ。自分の一存で同行しようと思うほど花子は図々しく成れなかった。それに今回の一連の出来事は巻き込まれた結果にせよ、自分が起こしたことだ。自分でナシをつけなければ筋が通らない。そう思う頭の中の片隅で、花子はあの革の軽装鎧の連中を動かしていた何者かに対し、ひそかに誓う。

 

 ――報復、復讐を。


 もう自分が居る必要もないだろう。話の終わりが感じられる中、眼帯の衛兵は腰の小物入れに指先を突っ込み…その時、紙巻タバコがもうないことに気が付いた。


 「…あっれ…あぁ、もうねえか。まあいいや…さ、金くれ。それでタバコ買いに行くわ」


 眼帯の衛兵はピエール吉田に右手を出す。

 その言い方も衛兵とは思えぬ相当いい加減な雰囲気で、ツッコみたくなるものであるが花子にはもうツッコむ気力すらなかった。

 そしてその言葉に反応して金を取り出すようなそぶりを見せたピエール吉田に向かって花子は制止を促すように手を掲げたのち、自分の腰にある財布から15ゴールドを取り出し、それを眼帯の衛兵の手の上に置く。


 「ん? 花子、おめえさんが払うのか?」


 「私が自腹切って助けたことにしたほうが都合がいいのよ。後々ね」


 「15ゴールドでねぇ…。あんま要求し過ぎるなよ、支払った金額バレた時の返しが怖えぞ。おじさんからの忠告」


 「はいはい、せいぜい協力を仰ぐ程度だから大丈夫よ。ほら、行った行った」


 金が受け取れるなら何でもいいらしく、眼帯の衛兵はそれを握ったまま元来た道を戻り始めた。

 牢獄の入り口。そのロビーにて…ピエール吉田と花子は二人きりになる。


 「やはり君は僕が見込んだ通りの女の子だ」


 静かになったその中で、不意に…ピエール吉田は言う。両目を閉じ…なんだか味わい深い顔、笑みを浮かべて。


 「恰好をつけるためにいろいろ言うけど…君は最初から――」


 「やめなさいよ気持ち悪い」


 何やら語るピエール吉田の言葉に被せ、遮って花子は言って顔を逸らす。ぶっきらぼうに。否定も肯定もしない。照れ隠しにも思えるその不機嫌そうな顔の頬は微かに紅潮していた。


 そしてしばらくして廊下の向こう側から聞こえるすすり泣くような声。それを発する主が花子に見えた時、その少女、シルバーカリスは両手を広げて花子に向かっていった。涙と鼻水でその顔を濡らしながら。


 「はなちゃーん、信じてたよぉ! ありがどうぅー!」


 「うわっ、こっち来ないでッ」


 思わぬリアクションで身を躱すこともできず抱き着かれる花子と彼女に抱き着くシルバーカリスの図。後者は地下牢でしたように前者の腰に腕を回し、抱き着く。硬く腕を組み…顔を押し付けて。


 「ちょっちょっ…アァッ! マントに鼻水がァッ!」


 その顔をくしゃくしゃにして泣き、花子を抱きしめるシルバーカリスと青ざめた顔をして引き離そうともがく花子。しかしながらもう遅いと思ってか、花子の抵抗は次第に無くなっていき、やがて諦念の伺える、引き攣った苦笑いを浮かべ、わんわんなくシルバーカリスの頭の上に片手が置かれた。


 「おう、もう帰ってくんなよ。食い逃げ犯ども」


 「はぁ…汚職衛兵に言われたくないわよ」


 「へへっ、ちげえねえ。んじゃな」


 眼帯の衛兵はエントランスホールの外の世界に続く扉を押して、その向こう側へと消えていく。…ほんの少しの間開かれた扉の向こうには夜の色に染まった街並みが伺えた。


 成り行きで始まるアイドル生活一日目。

 まだ煮え切らない気持ちの花子は未だに泣き止む様子のないシルバーカリスを引きつった顔で眺めながら、なんだか静かなピエール吉田と共に立っていた。


私はおっさんが好きだ。

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