最初の囚人
誰にも頼らず、特別な何かに頼ろうともせず…一人で何かをやり遂げよう。そういう気持ちと言うのは大切な物です。
それは第一階層目の街の地下。
か細いランタンの明かりだけが光源として存在する、暗く湿ったかび臭い犯罪者の住処。罪を犯したものを収容する巨大な牢獄。それは確かに街の下にあった。
どこからともなく流れ込んでくる水。それが水滴となって落ちる音が妙に響くその場所は、今日に限って賑やかなものだった。
強く、強く抗議する少女の声と鉄格子を底の厚い靴底で何度も何度も蹴りつける音。
それはその地下世界に新入りが入ったことを意味していた。
「わ、た、し、は! 商品を受け取ってはいないし、お金を受け取る店の従業員はみんな殺されてたの! 百歩譲って支払いの義務があるとしてもどうしようもないじゃない!」
今さっき新しく地下牢獄の住人となった少女、猫屋敷花子は己の身の潔白を訴え続けていた。
彼女が足を前に出して蹴る鉄格子の向こう側には、そんな彼女に背を向けて、鉄格子に背を預け、腕を組みつつタバコを味わう茶色い短髪の、眼帯を付けた30代半ばぐらいの衛兵NPCの姿。貧相なスケイルアーマーととてもいいものには見えないショートソードを腰に差す彼は、その必死の訴えをタバコをふかしながらぼんやりと聞いていた。
「おじさんもお嬢ちゃんの言っていることはその通りだと思う。ひでー話だよ。でも出さねえ。決まりだからな」
その眼帯の衛兵は大多数を占めるNPCとは違い、プレイヤーと錯覚するほどの反応を返す。最初の数日関わりがあったポーク●ッツの様に。
申し訳程度の同情の意を示しながら…短くなった手巻きタバコを自分の足元に落とし、踏みつけ鎮火。緩慢な動きで両腕を組んで。
…適当にあしらわれている。そう感じさせてしまいかねないその反応は…鉄の檻に閉じ込められた花子の神経をさらに逆なでするには十分であった。
「ッ…不当逮捕よッ! 訴えてやるわッ!」
最後に一発体重の乗った蹴りを鉄格子に放った後、足を下ろして花子は鉄格子に掴みかかった。白い歯を剥き、眉尻と目じりをきつく吊り上げながら…背を向ける眼帯の衛兵を見据えて。
「どこにぃ?」
草臥れた雰囲気の眼帯の衛兵は前を向いたまま、言葉尻に向かうごとにトーンが下がる声を吐き出す。
その時、彼の腰のベルトに取り付けられた鍵束が花子の目に付き、次の瞬間、鍵束へと花子の手が音もなく伸び――。
「こら、メでしょ」
「ッ!」
すぐにはたき落とされた。
「…んもうッ!」
上手く行かなかったというよりかは不満の表明。それを主とした様子で、その手の主である花子は苛立ったように床を強く踏む。
だが、そんな腹のうちなど知った風もなく、眼帯の衛兵は背を鉄格子から離し、腰の小物入れから雑に巻かれた紙巻きタバコを一本取り出して、近くの光源であるランタンへとフラフラ歩き始めるだけ。
――何を言ってもダメであろう。そう、その姿は花子に悟らせた。
「…いつ頃私は外に出られるのよ」
花子は不貞腐れたような顔をし、唇を尖らせて背を壁に預けると両腕を組み――二本目の紙巻タバコを開いたランタンの明かりにへと近づける眼帯の衛兵の背を恨みがましい視線で刺した。
「ん? あぁ、先輩に聞いてみるといいぜ。この牢獄の長、最初の囚人にな…」
先端に火かついた紙巻タバコを左手に、再び鉄格子に背中を預けた眼帯の衛兵はその口に紙巻きタバコを咥えると、右手を肩の高さまで上げて花子が居る、牢屋の中の奥…ランタンのか細い明かりが届かない闇の中へと親指を立てた。
今の今まで衛兵に己の身の潔白を身振り手振り一生懸命に訴え続けていた事もあって、よく見てすらいなかった牢屋の中。彼の言葉、仕草から示唆される事実に、花子は途端に顔を青ざめさせる。
「安心しろよ。このゲームエロい事は出来ねーから。あーでもキスとか乳揉むぐらいは出来ちまうかも」
「ッ!」
花子の頭に過ったその危惧に対し、見透かしたうえで答えてくれる衛兵。
そういう下関係の話は興味がありつつもできない堅物な花子は恥ずかしさと怒りでその顔を赤くし、口元から強く食いしばった綺麗に生えそろった白い歯を覗かせるとファイティングポーズを取って、マントを翻し、勢いよくその牢屋の一室の奥へと向き直った。
グラディウスと盾はないが、立派な防具はそのまま。黒革のガントレットの腕の甲には敵を殴りつけるには適した突き出した骨の装飾だってある。
故に…分気は強くなる。負けるはずがないと…殺せると。
「ハン、ヤられる前に殺ってやるわ!」
景気の良い笑い飛ばしからの派手に切られる啖呵。良く通るその声は暗く冷たい石の壁に響く。
ランタンの明かりから目をそらしたこともあって、その短い合間にだんだんと目が暗闇に慣れてきて、間も無く牢屋の奥底にて…人影のようなものがのそりと動いたのが見えた。
「さっきからうるさいですよ…眼帯さん…」
眠っていたのだろうか。寝起き特有のとろい、だが不満げな抑揚の、聞いていて心地の良い落ち着いたボーイッシュな声。
今はもうほとんどのプレイヤーが身に着けていないであろう、チェインメイル一式の姿のその人影へ向かい、花子は地面を蹴った。
「先手必勝ッ!」
「わっ…!」
ステップインから放たれる花子の鋭い右ストレート。実戦経験がほとんどなく、ステータスに頼り切るばかりの雑魚ならばまあ躱せぬであろうその拳は――空を切った。
伸びきった拳の先。その先にはスウェーで上体を逸らし、目と鼻の先で止まった花子の拳越しに、目を見開く中性的な顔つきの少女の顔があり――その姿を認知した花子は動きを止める。
「急に何するんですか!」
花子の碧い瞳に映るその人物は目じり眉尻を上げ、抗議の声を上げる。
明るい夜空のようなグリニッシュブルーの、ところどころ毛の撥ねた癖毛のマッシュウルフ。全体的に短めではあるが、前髪は額を覆うほどの長さにしていて、どことなく幼さの残る中性的な整った顔つきの、頭装備以外チェインメイル一式で身を包んだ灰色の瞳の少女。自分とそう歳の変わらなさそうなその少女を花子は知っているような気がしたが…しかしなかなか出てこない。
「女と男一緒に閉じ込めるわけねーだろ」
花子が両腕を下した直後、眼帯の衛兵が吸い終えたタバコを足元に落としつつ言い、その直後にその背を預ける鉄格子へ花子の蹴りが飛ぶ。
「うぉっ…悪かったって、おじさんも退屈で揶揄いたくなっちまったんだよ」
鉄格子越しに感じる蹴りの衝撃と音、荒い息遣いに彼女の怒りを感じてへらへら笑いながら眼帯の衛兵は謝ると、何かを思い出したかのように鉄格子から背を離した。
「喧嘩すんなよ~」
彼は衛兵だ。他にもきっとやることがあるのだろう。両手を握りしめて唸る花子が見る最中、今さっき彼女と眼帯の衛兵とが一緒に来た道を行き、その背は見えなくなった。
やり場のない怒りに身を震わせ唸っていた花子であったが、その後、両目を静かに閉じて自分を落ち着けると諦念入り混じるため息を一つつき、鉄格子に背を預けてマントの中で両腕を組むと今だにこちらを警戒したように見てくるチェインメイル装備の少女に目をやった。
「…悪かったわね、ちょっといろいろあって混乱してたのよ」
ただ視線を合わせていたのはほんの一瞬。すぐに花子はプイッと顔を背けるとバツが悪そうに、小声で謝る。…落ち着いてみれば、身長は170センチぐらいで綺麗というよりかは爽やかでカッコいい雰囲気、顔つきをしている。スタイルもよく、女受けしそうな見た目だ。
その彼女は漸く警戒が解けたようで、警戒時、構えていた腕を下ろし…だが、花子から目を逸らすことなく、その灰色の瞳に顔を背ける花子の横っ面を映す。――とても、何か考えたような…小難しそうな顔をして。
――何なのよコイツ…。
感じる視線。返らぬ返事。ちょっとムッとしかけた時――
「あーっ!」
その少女は花子へ向けて急に指を指し、叫んだ。
大声は冷たく硬い壁に反響し、思わず花子は耳を塞ぐ。下唇を噛みしめ、眉尻を上げ…それはそれは煩そうに。
そして声が止んだとき、花子は両耳を塞いでいた手を退けて、抗議の声を上げるべく少女へと向き直るが――
「八月二日の夜、僕を酒場から無理やりつまみ出した人たちの仲間ですよね! 貴女!」
結構な剣幕で歩み寄ってくる少女に対し、思わず身を竦めてしまった。
背中が鉄格子に預けられていることによって体高がその分低くなっていた花子は、少女の方が背が高いこともあって、顔を見上げ、顔の横に彼女の手が突かれる形となった。
反撃に転じられなかったのは負い目のせいであろう。彼女の発言で花子は思い出そうにも思い出せないスッキリしない気持ちを解消するとともに、怒りも鳴りを潜め…ただ否定も肯定もせずに苦笑いをして顔を背ける。
思い出されるは巨人狩りをした日の宴。酒場にいた人々を引きずり出すオルガの仲間たち。――確かに自分はそこにいた。保身のために嘘をつこうとして見たものの、目が泳ぐだけで良心の呵責でそれも出来ない。そして、その間、反応はそれを見る少女の目に肯定として映る。
「あれのせいで食い逃げ犯ってことで捕まって、今の今までずっとこの暗い部屋で暮らしてたんですよぉ! どーしてくれるんですかぁッ!」
彼女の声が徐々に震え始め、その目に涙が溜まってくる。いうなれば怒りだろうか…花子はそれを感じつつ、瞳を背けたまま…苦しい笑みを浮かべた口を開いた。
――断じて自分のせいではない。そう、自分に言い聞かせながら。
「…でもあれ、えっとその…私が命令したわけじゃないというか…あのッ、そのッ…その場に居合わせただけって言うか…」
花子はマントの中から両手を前に開いて出し、視線をあっちこっちにやりながらしどろもどろになり、何とか己に非がない方向に話を花子は持って行こうとする。目の前の少女に対するうしろめたさも相まって、体中から嫌な汗が噴き出す感覚を感じ、石の廊下を靴底が叩く音にさえ気が付けないほど内心テンパりながら。
「おぉ~い、昼飯が届い――」
そんな中、足音の主…どこかに行っていた眼帯の衛兵に紙袋を片腕に抱えて帰ってきた。だが、のんびりしたその声は最後まで発せられることはなく、途中で凍り付く。
「…お二人さん、その…わりいな。邪魔しちまって…でも昼飯時だしよ…決まりだからな。…やだ、おじさんときめいちゃうッ…」
何か勘違いした眼帯の衛兵はいたたまれない様子で頬を人差し指で掻く。視線の置き所を探すようにあっちこっちにやりながら。
その反応を見た花子とその少女は冷静な顔になったのち、二人そろって口を大きく開け――
「違うわよッ!」
「違いますッ!」
声を張り上げ力強く否定。
より大きく、より反響する声に非難の視線の先にある眼帯の衛兵は片耳に申し訳程度に手を当ててしのぎ切った後で…さらに数歩鉄格子の方へと近付いた。
「わりぃわりぃ…おじさんの勘違いだったか。それよりほれ、昼飯」
言葉では謝る。だが、妙に余所余所しい笑みをその顔に浮かべつつ、眼帯の衛兵は抱えていた紙袋の中に手を突っ込んだ。
「ほらよ。シルバーカリス、おめえさんの分」
眼帯の衛兵は紙袋からその紙袋の半分ほどのサイズの、コック帽をかぶった初老の男がにこやかに親指を立てるロゴの入った茶色い紙袋を取り出し、それを鉄格子越しにその少女、シルバーカリスに差し向けた。
きっと牢獄の中では食事ぐらいしか楽しみは無いのだろう。その少女、シルバーカリスは灰色の瞳を見開き、輝かせる。銀色に。
「モグモグバーガーだぁ!」
この地下牢獄に閉じ込めた集団の一員など今の彼女には眼中にないのだろう。花子から離れたシルバーカリスは差し出される紙袋を両手で受け取ると、彼女は無邪気に笑った。そのチェーン店を作った団体、集まりが――己をこの牢獄に一か月も拘束する原因を作った者たちであることを知らずに。
「ほれ、花子。おめえさんの分」
花子はそのシルバーカリスの屈託のない笑顔を横目に、黙って眼帯の衛兵から差し出された紙袋を受け取る。
それはもう、笑いと戸惑いと後ろめたさと…それはもう曇りに曇り、奥歯の歯の浮いた複雑そうな顔をしながら。
嬉々として紙袋の中に手を突っ込むシルバーカリスは床へと体育座りで座り、包装紙に包まれた結構な大きさのハンバーガー二つを己の脚と脚の間に、飲み物の入ったカップを自分の右手の傍に置くと紙袋をその隣に置き、やっと紙袋から手を抜く。紙袋の中にあるのであろう。指先にポテトをつまみながら…本当に、本当に幸せそうな笑顔で。
「いっただっきまーす!」
間も無くシルバーカリスは昼食を取り始める。
花子はそれを見て胸を押されるような精神的な、罪悪感にも似た圧迫感を感じながら立ち尽くしていた。…あの時のオルガを止めようとしなかった自身を振り返りながら。衛兵たちに追われ、夜の暗闇に消えていった複数人の中に混ざるシルバーカリスの後姿を思い出して。
「そういや花子、おめえさん…店襲った連中とやり合ったんだって? ほかの連中から聞いたよ」
そんな冴えない顔のまま、食事を開始しようとしない花子へ向けて、今日何本目かの紙巻タバコに、ランタンの炎で火をつけた眼帯の衛兵は話を振った。
「…えぇ、動きやすそうな革の軽装鎧の奴らだったわ。ご丁寧に顔が全く見えないような頭防具を付けた、怪しさに手と足が生えたような奴がね」
何の気のない問いかけに、花子は返答を返しつつ、立ったまま紙袋の中に手を突っ込み、ポテトの入った紙袋を手に取るとそれを口にへと持っていって細切りのフライドポテトを一本口に含んだ。
険しい攻略勢の道。そこで食べられたものよりも遥かに美味しいはずのポテトではあるが…きっと精神状態のせいだろう。まるで砂でも噛んでいるかのような味であった。
その傍で眼帯の衛兵は鉄格子に背を預け、向こう側を向きながら煙草を吹かす。一向に返事を返そうという素振りも、声もなく。
「で、それがどうしたって言うのよ」
聞くだけ聞いて一向に話し始めようとしない眼帯の衛兵へ、それに促すように花子は声を掛ける。
シルバーカリスへの気持ちを希釈するためにした問い掛けと共に視線を向けるが、眼帯の衛兵の後姿だけが見えるだけで、彼がどんな顔をしているのかはわからなかった。
「あの馬鹿共が同時多発的に店襲いやがってな。ご丁寧に13時丁度に。ありゃ規模のちいせえギルドなんぞにやれる仕業じゃねえ」
眼帯の衛兵は左手の指に少しヨレた紙巻タバコを挟み、煙を吐き出す。ただ1人ごとの様に。何か問う訳でもなく。ただ…聞かせて。
花子はその言葉を聞き、考える。
大きな組織と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは己の使い魔である女、オルガが率いるモグモグカンパニー。彼女なら楽しいと思えばプレイヤーすらも殺しかねないイメージがあるが、今回あったような…所謂暗殺。それも自分の正体を隠し、それを知られるのを恐れて行動するようなタマではない。やるならもっとド派手にやるはず。ただ、面白くなりそうであれば暗殺もやるだろう。
――協力したら刑期が縮まったりしないかしら。
組織で考えても埒が明かない。この行為によって利益がもたらされそうな存在について考える。
NPCの店。それがなくなれば必然的に客は他の店を利用しなければいけなくなる。この階層で店をやるすべてのプレイヤーに利益があるように思えるが…特定の誰か、団体に利益が一挙に集まるというわけでもなさそうなので、これもどうもしっくりこない考え方であるが。
「協力してあげたら刑期短縮してくれるのかしら?」
「そりゃ無茶な相談だな。…わりい。詰まらねえ話をしちまった。忘れてくれ」
己の利益を引き出す方法とあの襲撃の背景。それらについて花子が考え、尋ねたところで眼帯の衛兵はタバコをその口に咥えると、鉄格子から背中を離してその場から離れていき、やがてその姿は鉄格子の中からは確認できないところへと消えていった。
「んーっ、幸せっ」
そのあとに残るのはハンバーガーの包装紙が立てるカサカサという音と、ハンバーガーをその口いっぱいに頬張って口の中で高い声で鳴く、シルバーカリスの声だけ。先ほどまで花子に半泣きで詰め寄っていたその姿はもう影も形もない。食べ物だけが娯楽であろう不憫なその姿へと振り返り、花子は静かな瞳にシルバーカリスの姿を映す。
一か月以上この薄暗い地下牢獄で…食事だけを楽しみにして暮らす。花子にはそんなつもりはないし、何より探しに来るであろうベウセットに迷惑をかけることだけは何としても避けたい。慕い尊敬し、憧れるベウセットの失望を買うことだけは。
――哀れなシルバーカリスのようになってはいけない…!
手に持った小さな紙袋を口元に寄せ、そこにあるフライドポテトを一本口の中に含んだ花子。強く心の中で吼えた彼女の中に、新しい目的が芽生える。
ゆっくりと瞳を閉じた彼女の心の中に浮かぶそれは、脱獄の二文字であった。
温室育ちのお嬢様。確かにサバイバルはしたが、庇護者が隣に居た。確かに過酷な環境に身を置いていたであろう…だが、確かに守られていた花子の心は動き出す。
独力での問題解決に…それが…悪だと呼ばれようとも。暗い暗い地下牢の中、ある種の目覚めとも言えそうな感覚と共に。
Silver chalice
#ACACAC
色の名前って色々あるんすね。