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まさひこのパンケーキビルディングとその住人。打砕く者と守る者。  作者: TOYBOX_MARAUDER
闇の片鱗と目覚める小虎
32/109

「罪」

2021/06/20

えーとですね、以降は以前に書いたものなので、今現在に合った形のフォーマットで調整していく所存。なので…ニュー一章からの二章突入勢よ、読み辛かったら済まぬ!


 20階層、通称雪原。

 ベウセットと花子がつい最近、他の攻略勢と共に到達した氷と雪の死の大地。

 街はおろか村すらもない、NPCすら存在しないその神に見捨てられた地に立つ、現代的な建築物の並ぶその一帯に攻略勢を始めとするプレイヤーたちは身を寄せ合っていた。


 攻略勢たちが訪れた時にはすでに存在していた一つの街と言ってもいい建造物群。

 テカった赤い頬と大きな鼻が特徴的な、コック帽をかぶった初老の男がにこやかに親指を立てる大きなイルミネーションの看板は、その建造物群を作った者たちを象徴する、いわばシンボルマークのようなものだった。

 そう、それはもうこの世界、まさひこのパンケーキビルディングの中に存在する一つの国家と言っていいほどに肥大化したモグモグカンパニーを象徴するシンボル。

 この時、己の持ちうるすべての力とその手にある武器を恃み、必死に攻略し、道を切り開いてきた攻略勢がボスの居ないその階層の終端にたどり着いたのは、もう一度や二度ではなかった。


 約一か月前に始まりの階層にて、あの日、あの街の広場にて様々な形で社会に繋がっていた者たちが味わったであろう焦り。己を身体を支配する熱と共に、猫屋敷花子は今さらながらそれを感じていた。


 初日から休むことなく、この広い世界をベウセットと共に駆け回った花子。

 頼りになるベウセットの活躍と、圧倒的な装備的優位のもとで今日の今日までこれといった危機を感じることなく、20階層まで駆け上がることが出来た。


 本当は八月の中頃までで10階層付近をうろついていた時に強制ログアウトに対して懐疑的になり、ゲームをクリアするにしてももう間に合わないのではないかと考え始めていた。

 嘗て過った可能性。夏休みの超過。――腹を括ったつもりであった花子は今日、その日…夏休み最後の日にて現実と向き合っていた。

 重く熱い身体とぼんやりする意識、時折感じる悪寒に身を震わせ、汗で張り付く前髪に不快感を感じつつ…ふかふかのベッドにその身を沈めながら。


 「あぁ…終わる、終わってしまう…夏休みが……私ッ…この私がッ…留年…? 中学で…!?」


 蛍光灯の明かりで照らされる、味気のない雑居ビル。

 長細いその一室にて花子は風邪に冒され、ぼんやりする意識の中で小さく呟いていた。まるで譫言の様に。その身を…ピンク地のファンシーな豚柄のパジャマに包んで。


 「しゃーなくね? 今頃ジタバタしたってさぁ」


 「そんな…そんなッ……バカな話が…私はッ…超絶エリート…猫屋敷花子だぞッ…!」


 「はぁ? 知らねーよ。誰だよ。つかスゲー苗字してんな」


 譫言に応答するベウセットの声ではない、自分と同じぐらいの年頃の…男の子の声が聞こえる。


 熱い額の上にのっていた冷たい何が退き、布が水たまりに着けられるような音が聞こえたのち、水面を叩く水滴の音。

 そのあとに再び額の上に冷たいタオルが乗せられる感覚が戻ってくる。自分の熱い額から出た熱で温くなっていない、特に冷たいそれに花子は微かに身震いする。


 うつろう意識の中、碧い瞳を動かし傍らに居るその人物の方に花子は視線を向ける。

 ところどころ髪が跳ねる緑色のショートヘア、丸い吊り目。吊り上がった眉毛の少年。その姿を…譫言を行っていた今さっきよりも落ち着いた表情でその瞳に映して。

 明るい蛍光灯の光が眩しく、視界はぼんやりしていたが、今自分の面倒を見てくれているのが一階層での騒動で散々利用した者の内の一人、グラであることをおぼろげながら花子は理解して、意識をやや現実側へと戻した。


 「…ベウセットは…?」


 花子は問う。報復されるだけの理由がある相手、近くのテーブルから体温計を取ったグラへと向けて…訝し気に。


 「攻略組の連中と次の階層に続く本を探しに行ってる。んで伝言。風邪治った後しばらく休めだってさ。あと、一階層の事は気にしなくていいぜ。所詮ゲームの事だし、社長も気にしてねーらしいから」


 20階層に至るまでにモグモグカンパニー関係者とも顔を合わせた。直接自分たちの被害に遭っていない者たち同様、グラは何事もなかったかのように接してくる。

 その彼からの返事…ベウセットからの伝言は、弱った身体と精神で物事を悲観的に考える花子に不安を与え、同時に帰ってきた彼の腹の内はまた違った安心感を齎した。


 「…ふふっ…戦力外通告されて置き去りにされた哀れな片割れに対しては報復する価値もない…と言う事ね…?」


 「うわ~、ちょーめんどくせー女みたいなこと言い出してるじゃん。やだわ~…どうしろってんだよ。放っておいても構っても騒ぐ彼氏に振られた時のウチのねーちゃんみてぇ」


 伝言を曲解し、いじけ、不貞腐れ…途端に面倒臭くなる花子。

 荒んだ笑みを浮かべるそれへグラは思ったことをそのまま口に出し、面倒臭そうな顔をしながらもその手にある体温計をケースから出し、花子へと差し出した。


 「とりあえず熱測っとく? あんま変な心配してっと長引くし…早く治さねーとマジで置いて行かれるかもしんねーぞ」


 「っ…あむ…」


 「あっ、おい!?」


 グラの差し出す体温計を視認した花子は、ベッドの上に沈ませていた身体、上体を軽く持ち上げその先端を口で咥え、再びベッドの上へと身体を落とす。

 驚いたような顔をし、体温計を口に咥える花子を一点に見据える、声を上げたグラの目前。荒んだ目つきで天井を一点に見据え…ダルそうながらも花子らしい、不機嫌そうな顔をして。


 「…あ~…口でも測れるんだっけ。それ、脇で使う――」


 「ぶえーっ!!!」


 驚きの後に来る微かに引き攣る半笑い。それを顔に貼りつけるグラが何かを伝えんとしたところ、それが言い切られる前に話の趣旨を理解した花子は体温計を力強く吐き出し、病人とは思えぬ勢いでベッドの上から立ち上がる。

 

 「お前ーッ! 報復のつもりかァ! 私はッ…私はぁッ…! お前にそこまで酷い事した覚えはないぞーッ!」


 「ひっ…違うッ、違うって! んなつもりじゃねーってば! あっ、俺、俺ッ…これから忙しいから! んじゃっ!」


 病にその身を冒されつつも、グラに迫り吼える花子。だが意識の朦朧とする病人の頭だ。結果ありきで決めつけて、彼女はグラを断罪しようとするが…迫られる彼は丸椅子から立って背を壁へと着け、きょろきょろとあたりを見まわしたのち、焦りに焦ったような顔をしながらその場から追い詰められる前に逃げる。背を向け、いそいそと部屋の出入り口である扉の向こう側に。


 「…でっ…電気っ!」


 「わおっ、わおーっ!」

 

 だが、すぐに引き戸は再度開き、そこへとグラの顔がのぞき…律儀にも室内にある証明のスイッチを操作。両手を上へと広げる花子に威嚇されつつ、明かりを消したのを最後にまたも引き戸の向こうへと引っ込んだ。

 扉の上部に四角く取られた磨りガラスの向こう側には、ぼやけて見えるやや緑の明かりに染まる、照明の薄暗い廊下の一部と、ワタワタと逃げ遂せるグラの頼りない姿。それは直ぐに廊下を横切って見えなくなり…非常口の存在を知らしめる緑色の案内板の光だけが色濃く残った。

 

 だが結構重度な風邪だ。途端に花子の身体からは力が抜け、悪寒が走る。気力だけで立ち上がった身体は間も無くベッドの上に。束の間の空元気の反動としてやってくる朦朧とする意識と暗くなった部屋の中、花子は瞳を閉じる。

 シンと静まり返った部屋の中には自分の微かに荒くなった呼吸の音しか聞こえず、次第にそれらは微睡みの中に溶けていく。感情よりも身体の修復を優先するかのように…深い深い眠りの中へ。




 ◆◇◆◇◆◇




 20階層。雪原。

 白銀の大地が纏う雪のベールは伸ばした手すら不確かにさせ、朝と昼の明るい陽の光でさえも例外なくかき消す。

 そのベールを覆う氷の大地の中で、人探しをするのは誰もが無謀と結論付ける。当然、花子も例外ではなかった。


 雪原の三日目の昼頃、二日前から寝泊まりしていたその一室に備え付けられたシャワー室の中で、花子は汗を流していた。二日続いた病魔の猛威はもう嘘のように収まり、今から何かと戦っても問題ないと思えるほどのコンディションを感じながら。


 「…休み…か…」


 花子は暫くシャワーを浴びた後、蛇口を閉めてお湯を止め、一息つく。

 寝込んでいた時は精神的に弱っており、ベウセットが居ないことに不安でいっぱいであったが、この一か月の道中でベウセットに稽古をつけてもらったことと、今まで戦ってきた経験と自信。そして装備的な優位が後押ししてそんな弱気な心はすっかり鳴りをひそめていて、現実世界の学校のことなども仕方ないで片付けた今の花子の頭にあるのは、休めと言われたこの数日の過ごし方についてだった。


 シャワー室から出て、脱衣室にてバスタオルで身体を拭き、インナーとまだまだ使える骨と黒革とマントの中装鎧にその身を包み、小物入れの中のまさひこミラーに自分の姿を映して変なところがないかチェックする。


 「完璧。相変わらずの美人だわ」


 強い己惚れ。高いかもしれない自己評価をした後、花子は小物入れの中にまさひこミラーをしまい…洗面台へ。

 歯ブラシといちご味の歯磨き粉を使って歯磨きし終えると小物入れの中に入っていた階層転移の本を手に取り、自分が二日間寝込んでいたベッドへと戻り、腰かけ、その手に持った本を開いた。


 その本のページ一枚一枚には各階層の目印になるような風景が描かれていて、20階層より先のページにはまだ何も書かれていない。一階層目をクリアしたその晩に小物入れの中から出てきたその本は、いつ手に入れたかいまだに確かではなかったが、花子はそれの使い方はよく理解していた。


 しばらくその本を捲ったのち、花子は最初の一ページに描かれた、時計塔をバックに置いた広場の絵が描かれたページに指先で触れる。


 次に満ちるは白い光。一階層のボス、魔女を倒し…彼女が出てきた木の家の中にあった巨大な本を触れた時と同じような光景が目の前を包み――それは現れる。懐かしく思うには早すぎる…一階層の広場の中心から見る景色が。爽やかな風、そこにあった気温。日差しと共に。


 「…便利だけど味気ないわね」


 約一か月ぶりの最初の街。遠目に見える時計塔の短針は11を指していて、昼食を取るにはまだ早いことを知らせてくれていた。

 ノストラジーを求めてそこに降り立った花子は、ほんの一瞬で階層移動を済ませてしまえる階層転移の本についてコメント。改めて降り立った街の大きさを実感しつつ、その手に取った階層転移の本を閉じ、小物入れの中へとしまいつつ…あてもなく歩き始める。

 この階層でやった非情なる行いの数々など――まるでなかったかのように。


 「近世的で統一感のあった街並みが…景観法って大事なのね…」

 

 一か月たったこともあって、街の中にはプレイヤーが作ったであろう店や建物が多く目につく。

 もともとあった近世的なとんがり頭の建物に紛れ、組み合わせとしては無粋と言わざるを得ない現代的ないろんな建物、店が。

 猫モドキ喫茶、ホストクラブにメイドカフェ、キャバクラやカラオケ…ボーリングやダーツ等々。娯楽には事欠かない、プレイヤーの手で作られた歓楽街が。


 懐かしさを感じるはずの散歩がいつの間にか目新しさを求める散歩に。現実により近づいた光景は、花子に懐かしさよりも目新しさを求めさせ…彼女の足は嘗ては寂れた街外れだった場所へと踏み入れる。

 その間、花子は意識する。無粋ではあるが魅力的な店たち。それらを碧い瞳に映し、その腰のベルトに取り付けてある、心強い重さの財布をいつ取り出そうかと。


 「むっ…君は…待ってくれ」


 装甲していると…ふと、どこかから誰かを呼ぶ聞き覚えのないダンディーな声が聞こえた。

 まぁ、知り合いは多い方だろう。だが、それらは先ず自分の名を呼ぶであろう。そう考えて疑わぬ花子は聞こえるダンディーな声に気に留めることなく、嘗ての廃墟群。今やプレイヤーが作り上げた歓楽街となって原型を留めぬそこを歩く。見回せども――当然、馬小屋などありはしないそこを。


 辺りを見て歩く花子の視界――端をチラつく天然パーマ。そんな感じのなんか妙なものが飛んだり跳ねたりして視線の隅に入り込もうとする。そう感じた時――それは視界の側面から眼前へいきなり現れた。


 「待て待て待て、君だ君!」


 フォーマルな服装の蝶ネクタイの、顔が縦に長くまつ毛の長い天然パーマの見覚えのないおっさん。キラキラと燦然と輝く黒い瞳のそれに花子は驚いたように目を丸くする。


 「神よ、この出会いに感謝しよう。君は逸材…まだ磨き抜かれていない宝石の原石だ…おっと失礼、君を飾るには逸材という言葉の三段上ぐらいの言葉を用意しなければならなかったな…」


 男は身振り手振りし、無駄にダンディーな声で語りかけてきて…それを目の前にした花子の顔はだんだんと引き攣ってくる。


 「引き攣ったその顔も美しい…」


 ――変質者だ…!

 

 ヤバい大人に絡まれた。そうとしか認識できない現状。花子は一瞬にして今自分が置かれた状況を理解し――考え始める。この状況を打破する方法を…頭の片隅で。


 「何か用ですか?」


 嘗て己の前に立ちはだかった変態。姫騎士ジャンヌ。

 彼の様に敵意むき出しで向かってくるのなら問答無用で排除するだけであったが…相手には敵意の様な物はなく、大人。その表情こそ引き攣った物ではあるが、花子は年上に対して最低限の礼儀は尽くすように努める。

 だが、それは人としての、社会の中に組み込まれた人間の理性がそうさせる部分。感情の部分は――無駄にくねくねする変なおっさんを既に敵とみなし始めていた。


 「いい、いいねその目! 嘘偽りのない本当の心の目…。それが君の輝きか…!」


 思わず感情の部分が顔に出てしまったようで、花子に睨まれたおっさんは内股をすり合わせ、身体をくねらせながら後ずさった。

 …紛うことなき変態。変質者。それはより花子の心の中の感情の割合を大きくし、脳裏にとある選択肢を浮かばせる。力での現状変更。実力行使の文字を。


 そこで花子の目は完全に危険な敵を見る目に変わり、マントの中に潜る左手がグラディウスの柄の上に静かに置かれる。

 どうせプレイヤーが死ねない街中だ。致命傷を与えても一定時間動けなくなるだけ。この状況を乗り切る手段として、実力行使による解決を前向きに検討しつつ、花子はそのおっさんを見据える。

 嘗て別ベクトルを行く変態を錆びたメイスで殴り倒した感覚を思い出しながら。


 何時斬り捨てるか。そんな事を腹の中で考え始めた花子の心の中の異変に気が付いた様子無く、おっさんは自分のジャケットの内ポケットに中指と人差し指を差し込み、指と指の間に四角く小さな厚紙を挟み、取り出し――妙にキレのある動きでポーズ決め、花子の前へそれを差し出す。


 「おっと失礼、僕はこういうものだ…」


 おっさんはウインクと共に白い歯を見せ、気障に笑う。

 彼の人差し指と中指に挟みこまれて持たれる四角い紙。それは――名刺であった。

 だが花子はそれに手を伸ばすことなく、受け取ろうともせず…それに注視する。 


 「芸能事務所フルブロッサム?」


 花子の注視する先にある名刺には事務所のロゴ、名前、事務所がある住所、そしてこのおっさんの名前であるピエール吉田という名前がある。

 花子は発する。このまさひこのパンケーキビルディング内に存在していた事すら知らなかったエンタメ業界の存在。その一端を担っているのであろう…事務所の名を。


 「と言うかいつの間に一階層に住所なんて言う概念が……?」


 思ったことを呟いているとふと耳に届く小さな笑い声。それに引かれ視線をやれば、周囲に集まりつつある野次馬たち。見世物になっていることに気が付いた花子は恥ずかしそうに頬を染め、きれいにそろった白い歯を口元から覗かせ、堪えるように奥歯を噛みしめた。

 ピエール吉田。見ていて面白いおっさんのせいで己がそれと同じく道化の一部になっていることを確かに、はっきりと認識して。

 だがピエール吉田は微塵も気にした様子も見せず、今この場の空気を味わったかのような、なんだか壮大で味わい深い顔をしながら語り出す。陶酔状態の…うっとりとした顔をして。


 「君も知っているだろう? この間この街の広場であったホイップクリームマロンちゃんの伝説的なライブを…宝石の原石。彼女をあそこまで磨き上げたのが――」


 「いや、知らないです」


 長々と語りだそうとし始めたピエール吉田の話の腰を花子は無慈悲にへし折る。マントの中で縦にした鞘から、逆手に持った真っ白い刀身のグラディウスを肩を掻くふりをしてゆっくりと抜いて。

 ほとんどが黒革で出来た鞘はこういう時、余計な物音を立てないので花子は気に入っていた。


 「芸能事務所とかも興味ないので、他を当たってください」


 段々と機嫌が悪くなりゆく花子の最後の我慢。最後の良心。大人の心。自分を落ち着けるように深呼吸一つした後、花子は踵を返す。

 眼前にはこの騒動を見ていた野次馬たち。彼らを割り、その向こう側人混みの中へと進もうとすべく。しかし――


 「待てッ、君は絶対に成功するッ! 今の暮らしよりずっと豊かに――」


 花子の背を追い、ピエール吉田は前のめりに身を乗り出したが…彼女が黒いマントを翻し、振り返ったあたりで身体に違和感を感じた。

 

 ――身体が…動かない…?


 花子の方へと前のめりに、右手を真直ぐ伸ばしたまま、ピエール吉田は重力に引かれる。受け身を取ろうともせず…力なく。崩れ去る様にして。

 そこで漸く気が付く。微かに土ぼこりの乗った石畳の上に身体を倒した後で。肩から胸下まで斜めに入る光る斬撃の痕の存在を認知して。――自分は斬られたのだと。けれど彼は諦めない。最後の力を振り絞り顔を上げ、自分を斬った黒頭巾の少女を見上げた。


 「ふふっ…ありのままの君はこの上なく美しい。僕の目に狂いはなかった…そして確信したよ…君はこの世界最高レベルのアイドルに――!」


 都市エリアとは言えども身体に対するダメージは現実のそれと全く変わらない。深く上体を斬られた身体は其れこそ死ぬほどの痛みであるはずだが…彼、ピエール吉田は笑っていた。まるで何物にも代えがたい宝物を見つけたかのような表情、雰囲気で。しかし――


 「キモいッ!」


 その彼の頭に向けて、辛辣な言葉と共に容赦なく花子のブーツの踵は突き出され、それはゴスッ…という鈍い音を立ててピエール吉田の踏みつけた。

 以降ピエール吉田は声を上げることなく、それ以降静かになる。花子の一撃は、彼の執念と意識を気絶という形で断ち切ったのだろう。けれども…地面に横向きになる彼の顔の口元には、何かを成し遂げたような笑みが確かにたたえられていた。


 「ったく、しつこいのよ」


 ようやく静かになったピエール吉田を見下ろし、花子は心泣く吐き捨てて、視線と身体を再度今己が進もうとしていた方へ。それから…マントの中に隠していた抜身のグラディウスを逆手から順手に持ち替えて振り上げた。


 「ほらほら、見世物じゃないのよ! しっしっ、退きなさいよッ!」


 翻る真っ白い刀身、真っ黒いグリップのグラディウス。振り回されるそれに行く手を遮る野次馬は恐れ戦き、花子の進行方向を塞いでいた者どもは道を開ける。

 その開かれた人の間を花子は進む。いつも半目で不機嫌そうな顔をいつも以上に不機嫌そうなものにし、野次馬共にガン付けながら…再びマントの中に潜らせた左手に握られたグラディウスを鞘へと戻して。


 とりあえず今の騒動でこの街の治安組織に追われる可能性が出てきた。己の状況をそう認識した花子は人気のない場所を目指す。

 目移りするような店や屋台。鼻に届く魅惑の様々な香り。誘惑に負けそうになり――少し負けて屋台からたこ焼きを買ったりしつつ、街の中心から遠ざかる様に。


 そしてしばらくして行き着く。嘗ては紫色の兎がわが物顔で跳ねまわる…モンスターのテリトリーで在った場所。遥かにそれの外側に位置する場。左手に大きな川が進行方向に流れていくのが見え、正面と右手には地平線へと延びる広大な畑や果樹園。その手前にある…土手の上に。

  目に付く限り作られているのは小麦や大麦などの主食になり得る植物たちだが、一つだけ異彩を放って見えるものがあった。大きな大きな梅の木の果樹園。主食になりえぬそれを誰がこんなに消費するのだろうと気になるほどの。


 「梅…ねぇ。梅干し、梅酒…あんなにいるかしら。…いやっ、今重要なのそれじゃないわ…!」


 花子は右手に持っていた円盾を腰のベルトのフックに掛け、土手の中腹に腰かける。折り曲げた膝の上に、左手に持っていた文明の匂いを放つ和紙で包まれたそれを置いて…目を輝かせながら。


 「あぁ…甘いソースの匂いだわ…!」


 攻略勢ガチ勢。他の階層に移動することなく、ただ直向きに次なる世界を探し前進せしめつづける剛の者。それはただ格好つけた者や芯の無い者、生半可な者では務まらぬ泥を啜り、這いまわる覚悟がある者だけが行く資格のある修羅の道。

 ただただ広い世界。まさひこのパンケーキビルディングの中を行き、野を駆け、山を登り…沼に足を取られながらも、どこにあるかも定かではない次なる世界の本を求め進み、戦い抜けるものだけが至るもの。

 寝る場所は基本野外。食べる物は現地調達。街や村があればかび臭いベッドと隙間風の冷たい部屋や中世近世の、大味で洗礼されたとは言い難い料理が高い金に引き換えられ、そうでなければ蛇やカエルは勿論の事、火が起こせる環境下であるのなら、ゆでたカタツムリ。焼いたバッタですらさえご馳走に見えさえする過酷な環境。朽木を靴底で蹴り崩し、甲虫の幼虫すら有り難がった日常に身を置いてはや一か月…たこ焼きを目の前にした花子の毒気のない、歳相応の、少女の満面の笑みはきっと無理のない反応であったろう。


 「あぁ…これこそ人の食べる物…文明のそれよ。あぁ、現実世界。まだ帰る事敵わぬ我が故郷よ…」


 間も無く彼女は包み紙を取り払い、その中に包まれたたこ焼きを備え付けの爪楊枝で刺し、持ち上げ…見据える。確かな郷愁を感じさせる物悲し気な呟きと共に。


 「いただきます!」


 そして花子は口に含む。文明の味。懐かしきソースに黒く艶やかに彩られた小麦粉のボールを…現実のそれと比べて豪勢とは言えぬ、ネギとマヨネーズ、ソースのみの質素なそれを。


 ――…ウズラの卵かしら? でも美味しい。


 タコなんてどこで獲れたのだろう。そんな好奇心から買ったたこ焼きであったが…奥歯で噛み潰したその中から感じられたのは小さなゆでたまごの歯ごたえと舌触り。濃厚な黄味の味。

 ゆっくり味わう様に租借しながら…その正体を考えていたのは一瞬で、すぐに花子は黙々とそれを口に運び始める。修羅の道で食べた料理と言えぬ物どもの数々…それより遥かにうまい紛い物のたこ焼きを。


 「ご馳走様でした。あぁ、美味しかった…」


 間も無くたこ焼きを平らげた花子は、小物入れの中のクリスタルに触れてパネルを開き、今が12時である事を確認。そのついでに今現在居る場所が都市エリアであることをアイコンで確認。畑も一応都市属性として扱われるのだと大して気にした様子無く、35レベルと表示される自分のレベルを見て、パネルを閉じた。


 「…もっとなんか食べたいわね。こんなんだったらもっと何か買ってくるべきだったわ」


 小物入れの中の布袋。その中の財布の重さを確かめるように軽く持ち上げ、握った後、花子は土手から立ち上がる。左手にたこ焼きの包装紙を手に、踵を返して。

 その時、花子が考えるものは二つ。ピエール吉田との再エンカウント。そして…人込みを避けたいと思う気持ち。その考えは花子の足取りをより人気のないであろうルートへと進ませ、街の中心を目指させた。


 ――どうせゲームよね。あのおっさんをぶった切ったことも、もう罪には問われない筈。


 根拠なく、ただゲームだから。そう結論付けて花子は進む。草原の上にぽつぽつと立つモダンな事務所と思われる建物。家。売り出し中の看板が立てられた空き地などを視界に映して。


 次第に自然より建物の割合が多く、それも…プレイヤーが立てたモダンな建物が立ち並ぶところへ。

 整然とした石畳の道。決まった間隔、レイアウトで置かれた街路樹と背の低いオフィスビルの立ち並ぶその場所は…何か取り決めがされている区画なのか、商業施設や屋台。飲食店なども見当たらない…悪く言えば味気ない場所であると同時に、あまりにも現実世界に即した物であり、ここがゲームの世界であると一瞬忘れるような様相を呈していた。


 「…ここならスーツ来たおっさんが出て来ても違和感ないわね」

 

 ただのオフィス街。そう言っても良さそうな場所には人気はない。出払っているのか、中で何か仕事をしているのか…解らないが、花子はそこを通り抜けて街の中心。広場付近へと戻ってくる。

 満たされない胃袋と共に…握り潰され丸められたたこ焼きの包装紙を左手に握りしめて。


 ――ここまで来て戻るのも面倒ね。


 とりあえず何か食べよう。そう考えた花子の足は閑古鳥の鳴く通り。嘗ては…この街の歓楽街と呼ばれた場所へと向く。

 人影は全くないという訳ではなく、少しのNCPだけが窺えるそこを通り…花子はとある場所で脚を止める。――モグモグカンパニーが結成された日。その結成が決まった場所。店の前にて。

 そしてスイングドアを押しのけて、薄暗いそこへと足を踏み入れる。


 店の中にはNPCと思われる人影が複数窺える。見る限り…プレイヤーの姿はなさそうであった。NPCは決まったところで食事を摂るルーチンでもあるのだろうか。花子はそんなことを思いながらカウンターテーブル前の席に腰かける。


 メニューは何にしよう。左手に握ったたこ焼きの包装紙をテーブルの上へと置き、今置かれた水の入った木製のコップを挟んで両肘を立て、形の良い顎を手と手の間に乗せると壁にあるメニューを眺める。宙に浮く足をぶらぶらさせながら。


 「パンとビーフシチューのセットで」


 「あいよ」


 目に付いたメニューを適当に選び、カウンター向こうに居る可も不可もない無難な見た目のNPCへ花子は注文。コップを右手に取るとそれに唇を当てて傾ける。


 直後に聞こえる微かに鋭いものが風を切り、進んでくる音。

 ハッとして振り返れば向かってくる投げナイフ。それは自分が狙いではなかったようで、カウンターテーブルの前に立っていたNPCの喉を貫いた。


 「ッ!」


 突然のことで一瞬反応が遅れたが、花子はナイフが飛んできたあたりに水の入ったコップを適当にぶん投げ、飛んで行ったそれはスイングドアの前に立っていた革の軽装鎧に身を包んだ覆面の男によりはじき落とされた。

 その間に花子は丸椅子から降りて左手にグラディウスを、右手に盾を構えた。


 「なんだッ!?」


 「殺しだッ! 殺しだぞぉッ!」」


 直後、遅れながら状況が読み込めた店内のNPCはパニックを起こし、悲鳴を上げながら逃げ出そうとする者、姿勢を低くして頭を抱えるものなど、その場は阿鼻叫喚の様相を呈し出す。


 しかし、片手に大振りなダガーを持った男は逃げ惑うNPCなどには目もくれず、カウンターテーブルの向こう側にいるNPCに向かってダガーを構える。

 おそらく自分が部外者であろうことに花子はこの時なんとなく気が付くが、一度目に投げられたナイフが自分に向けての物ではないとは言い切れないため、その男を敵と見なし、傍にあるテーブルの上に乗るコップを男に向かって水平に繰り出した脚で蹴り飛ばし、盾を構えて一気に距離を詰める。


 男は蹴られ飛ばされてきたコップを身を反って躱し、盾を前に構えて突っ込んでくる、花子の白い円盾を正面から蹴りつけた。


 「くぅっ…!」


 体重の乗った真正面からの蹴りはとても重く、円盾のガードこそ上がりはしなかったが、その大きな衝撃と共に花子の突進は止まる。

 顔を上げれば盾の向こう側から伸ばした手をかけ、対の手に順手に握ったダガーの先端を向ける覆面の男の姿。

 首元を狙って放たれるその突きは盾の内側に身を寄せ、それを躱さんとする花子の頬を浅く…横に切り裂いた。相手側の腕が縮められる距離まで近づかれていたらこうはならなかっただろう。


 だが、頬の微々たる痛みなどでは花子は止まらない。透かさずブーツの踵で前に出ていた男の足の小指のあたりを思い切り踏みつけた。


 「がアッ!」


 踵に伝わる確かな感覚。男の悲鳴。その痛みで男の身体の力が抜けたことを押さえられた盾から感じ取り、花子は男の腹を目掛けてグラディウスを突き出した。


 「うぐっ、ぐあああっ!」


 「お座りッ!」


 「くはッ…!」


 一度目は浅く、二度目は深くグラディウスを突き立てて、最後に右手に持った盾で突き倒し――花子は体勢を立て直す。己の攻撃は致命傷だった。今刺した男は無力化出来たであろうと考え、周囲に気を張り巡らせて。

 その直後正面から飛んでくる投げナイフ。花子はそれを盾で弾き、それが飛んできた向こう側に見える、今刺した男と似たような装備を身に着けた二人の新手を視界に捉えた。――その内の一人はすでにこちらに向かってきている。


 「早く行けっ!」


 花子へと向かっていく男は仲間に向けて吼え、自分に向かって振られるグラディウスの横降りをその手にあるダガーで受け――


 「ぐッ…!」


 そのまま身体ごと花子にぶつかってカウンターテーブルに押し倒し――その衝撃で花子の左手にあったグラディウスが床に落ちた。

 その間にパニック状態のNPC達は店の外に。彼らの騒ぎ声で騒がしかった店内に再び静寂が戻る。


 「情熱的なのね。押し倒されたのなんて初めて。やっぱり私って魅力的かしら。困っちゃうわ」


 「んー、そうね。思わず飛びついちゃったよ」


 「このロリコンっ」


 「今の流れでそれ言う~?」


 カウンターテーブルの上に押し倒された花子は好戦的な笑みを口元に自分の上に居る男の深緑色の瞳を睨み、表情読めぬフードの男も自分の下に居る花子の碧い瞳を睨み、互いに軽口をたたき合いながら視線を交差させる。

 その男がダガーを握る手は重ねられた花子の手によって強く掴まれており、花子が胸の前に構える突き出されんとされる盾は上から男の手によって押さえ込まれている膠着状態の中、襲撃者のもう一人はカウンターテーブルの向こう側に身を縮めていたこの店で働くNPC三人をナイフを投げて殺害し、花子に刺された仲間を連れてスイングドアの向こうへと逃げていく。


 「衛兵が来るまでこうしてようかしら。今日はなかなかツイてない一日だけど、アンタが両手に縄掛けられて引き摺られていく様見られたらハッピーな気持ちになれるような気がするの」


 「いやぁ、それちょっと付き合うのはなぁ…おにーさんにはキビシーかも。…だからさ、お嬢ちゃん、追ってきちゃ駄目だぜ」


 膠着状態からの短い会話の後、襲撃者はパッと花子の上から退き、掴まれた手を外側方向に回して解くと早々に店内から走り去った。

 初めて武装したプレイヤーと交戦した花子は、余裕ぶっては居たがそれなりに緊張はしていたようで、高鳴る胸に左手を当てたのち、ゆっくりと身体をカウンターテーブルの上から起き上がらせる。その時目に付くのは…荒れに荒れた店内の様子だった。

 店のウェイターであったNPCはみんな殺され、厨房の向こうからはもう料理を作る音も聞こえない。襲撃から撤収までほんのわずかな時間であったが、店はもう料理を提供できるような状態ではなかった。


 「まったく…やれやれね。大人しくしてればよかった。ホント今日ツイてないわ」


 襲撃者たちの様子から察するに結局ターゲットは自分ではなかったと己の中で結論を出した後、花子は不機嫌そうに呟くとカウンターテーブルの上から降りて、それの下に落としたグラディウスを拾い上げて鞘に納めた。

 その後で爪先を店の出入り口のスイングドアへ。店内から外へと出ようと歩むその最中、スイングドアの向こうにはNPCの衛兵が今頃集まってきているのが見えた。


 「案外集まってくるの早いのね。今回は役に立たなかったみたいだけど」


 皮肉っぽく言いながらスイングドアの向こう側に花子は出る。青い空と昼食時の明るい太陽の下に。

 そして向く。今出てきた少女へ…店の前に集まってきていた衛兵の顔が一斉に。


 「食い逃げ犯だぁッ!」


 唐突な発言にきいきいと軋み動くスイングドアの方へ花子は振り返るが、誰もいない。


 ――誰に言ってんのかしら。


 ちょっとした呆れの混じる心の呟きの後に花子は歩きながら顔を前へ。直後…飛び込んでくる。貧相なスケイルアーマーを見に付けた衛兵たちが…己を囲みゆく姿が。

 花子が唖然としたまま一度、二度…左右に首を動かしたのち、それらは花子へと詰め寄り…両手を押さえつける。抵抗しようと思った時には両手に縄が掛けられて、両手が引っ張られる感覚と…縄を引く衛兵の背中だけが見えていた。


 「…は?」


 状況の読み込めない花子はポカンとしたまま一言だけ呟き、引かれるままに歩き出す。

 その背中はとても小さく、なんとも言えないもの悲しさを醸し出していた。

ゲームにおいての最強の敵は製作者が用意したものではなく、他のプレイヤーである…と、私は思うよ!

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