アウトロー流ヘッドハンティング
周りが異常者であったり、悪人であったりすると相対的に他は常識人に見える。コソ泥でさえも!
朝の爽やかさ、冷たさは微塵もなくなる時間帯。
暖かな昼の陽射しが降り注ぐ、気温が上がり、大多数が昼食にありつこうと行動を開始するであろう時。広場にそれらは集まった。
一方はチェーンメイル姿の2人組。
もう一方は…余り綺麗とは言えない布の服を着た10人未満ほどの男達。
2つは互いに近付いて行き…合流を今、果たす。
昼食時の、余り人気のない街の中心地。その広場にて。
「コソ泥の性か。金の匂いには抗えんようだな」
黒髪の女ベウセット。頭装備以外チェーンメイル姿のそれは、微笑む。冷たく、静かな笑みで。
「ちがわいっ、逃げ切れなかった時の結末が怖かっただけだいっ」
対する布の服を着る男。ポーク●ッツ。彼は顔を横に逸らせつつ、唇を尖らせて不服そうに言う。きっとそれは精一杯の彼なりの反骨心。強がりだろうが。
彼の後ろにはなんだか美しくも醜くもない…悪く言えば個性のない、良く言えば馴染みやすそうな男たちが複数立っている。特に何か思った風もなく…言うなれば人形の様に。
「そういう事にしておいてやるか。今頃あの変態も自分の巣へ帰っているだろう。とりあえずお前の家へ行くぞ」
「あぁ…別に俺は良いけどォ……広場に集まった意味あった?」
「本当は人手が欲しい仕事があったんだが、思いのほか早めに一段落着いた。結果的に言えば意味はなかったな。まあ、許せ」
ベウセットはそう言って、爪先を広場に幾つか接続する内の1つの道へと向けると歩き出し…その背に向けてその他が続く形となる。
なぜか…ポーク●ッツの家。それがある街外れへと続く道。そこではない…馬車や荷車等が通る大通りに。
――なるほど。本当はポーク●ッツとその仲間にライバックとグリグラの誘拐をやらせるつもりだったのね。
一種の悪ノリだろうか。ベウセットが描こうとする絵。だんだんと見えてくる全様とその詳細が読めてくる中で、花子は少しばかり楽しそうに口角の両端を上げていた。
あえて描かれようとする景色がどんなものか直接問う様な無粋な真似はせずに。きっと起こるであろう罪なき人への攻撃。道具にするそのことについて…一切の罪悪感も感じた風もなく。
「おねーさんって方向音痴? こっちの道だと遠回り――」
「まあ付き合えよ。お前は土地勘があるだろうが、私はそうではないんだ」
小馬鹿にしたように眉を寄せつつ、吊り上げるポーク●ッツであったが、ベウセットから返ってくる返事はそんなことを気にした様子もないもので、面白くなくって思わず顔を渋め、口を閉じた。
視線を前へと向けたまま、口元に笑みを湛えたまま…艶やかで長い髪に昼の陽ざしを反射させつつ、昨日オルガ率いる者どもが凱旋するために行った大通りを行く、ベウセットの背に続きながら。
昼食時だからであろうか。その行く先には余り人影は見えない。ましてや…プレイヤーと思しき姿などは一切。
ベウセットを核とするその集まりは大通りの端を横広がりに歩き――その最中で、再びベウセットは口を開く。大通りから枝分かれする道。その一つ一つに目を止めつつ。
「今回の仕事は手際とスピードが肝心だ。良く見て今一度頭に叩き込んでおけ。この道の形状…分岐する道をな」
ベウセットの計画。その全容が一切見えていないから仕方ないのかもしれないが、ポーク●ッツは訝し気にし…周囲に視線を向ける。彼にとっては今まで飽きるほど見ているであろう街の一風景。やる気を出せと言うのも無茶な話であり、その態度、反応は責められるべきものではなかったろう。
けれど花子はその対極だった。ベウセットの腹の内の大体が読めているつもりである彼女は見る。大通りに突っ込んでこれそうな広めの道…T字止まりではない、交差路、十字路。それを頭の中に置いて行くかのように。
「ねぇ、おねーさん。どんな事するつもりか知らないけど…成功したらどれぐらいの利益見込めそう?」
「万単位は約束しよう。だが、欲張ればそれだけ危険を伴う仕事だ。賭けに出るかそこそこで満足して切り上げるか…その見極めが難しい仕事になるな」
「うっひゃー、そりゃ凄い。吹っかけるねェ、おねーさん。結構サバ読むタイプかなぁ?」
「さぁ、どうだろうな。いずれ解るよ。サバを読んでいるかどうか」
なんだか小馬鹿にした風に、なんだか必死にマウントを取ろうとするポーク●ッツとベウセットとの会話を聞きつつ、集まりは歩く。
石畳で舗装された道の中央には、とてもスタイリッシュな体系の馬に類するであろう動物が牽く馬車や荷車の姿。良く躾をされているのか解らないが…糞などをする気配もない。
――あぁ…そう言えばゲームだったわね。
捨て置いて良いほどどうでもいいことをそれらから花子は思う。つい忘れてしまいそうになるが…これはゲームの世界なのだと、今一度思い出したかのように。
しばらくしたところで一行は進路を街外れの廃墟群。ポーク●ッツの家のある方へと取り…進み始める。
先頭に居るのは相変わらず何か楽しみにした風な、本当に静かで、冷たい笑みを口元に作るベウセット。そんなワクワクした様子の彼女の横顔は…花子にいろいろ教えてくれ、思わせた。
――彼女、ベウセットは――今回の仕事に、利益など鼻から求めていないのだと。
聞き流しても何ら問題ないであろうマウントを取ろうとムキになりかけるポーク●ッツとそれを軽く受け流すベウセットの会話が続く中、一団はそのまま廃墟と住居の入り混じる街外れの一角へ。
遠目にポーク●ッツの家が見えて来た時…その建物の前にて、幾人かの人影が見て取れた。
「ちょっとおねーさん…! ウチの前になんか変態が大集結してるんですけど…!?」
己の家の異変に気が付いたポーク●ッツは顔を引き攣らせながら、ベウセットに抗議の声を小声で上げ始めるが…ベウセットは無視。
彼女は涼しい顔をしたまま、見据えていた。建物の影にひっそりと佇む女性物の下着姿の男達。微かに蠢く荒い布に包まれた何か3つを見下すそれらの姿を。
そしてその視線の先の男たちは間も無くベウセット達の存在に気が付き…手を振る。己自身の凋落の原因でもあり、けれど再復帰の機会を与えんと動いている複雑な感情の対象に対し、大きく。
「ボス、あいつ等上手い事やったみたいね」
「えぇっ、アレ仲間なの!?」
「あぁ。街の外に居るモグモグカンパニーとコンタクトを取って私たちの事を売る線も有得たが…この時間にここに居るということは大丈夫そうだな」
花子がベウセットに言い、ポーク●ッツが驚愕し――ベウセットが花子に応答…その後に2つの集まりは1つとなるべく互いに歩み寄る。
「花子、今から大声は禁止だ」
「ご忠告どうも。言われなくても解ってるわよ」
あと少しで2つの集まりが合流する。そうなりかけた時、ベウセットは花子の傍に顔を寄せ、その耳元で囁き…立ち止まった。
花子の見る先には鏡砕きの四英傑と姫騎士ジャンヌ。その向こう側に見える3つの布で包まれた何か。
ベウセットがどういった意図でそのようなことを言ったか。そんなもの命令される前に理解していた花子は軽口を返し…立ち止まる。なんだかどことなく不安そうな、怪訝そうな顔をし、何度か振り返るポーク●ッツに見られながらも。
「首尾は?」
「目撃者ゼロ…ミッションコンプリート…!」
「そうか。良くやった」
変態の集まり。そうとしか形容しようのないその中で司令塔として機能していたのだろう。ベウセットの囁くような声での淡々とした問いに、鏡砕きの四英傑の中のリーダー的な存在であった青髪は爽やかに笑い、左手を腰に、右手を己の身体の前に。親指を立て、白い歯を輝かせた。
この上なく自信満々な彼の様子は、最終的な目的を遂げるための一歩を無事歩めたことを花子とベウセットに伝えると同時に…自然と口元に笑みを齎す。
嬉しさだとか、喜びだとか…そんなものではない。変な物を目の前にしたときに浮かぶ、嘲笑染みた笑みが。受け取った軍資金を差し出さんとする青髪を前にして。
「いい。取って置け。何かと必要になるだろうからな。しかし、その姿で良く出来たな。服ぐらい買えばよかったものを」
「ふふ…注目を集める容姿がハンディになるわけではありませんよ? 我々はそれを逆手に取りました。2人に道化を演じさせ、周囲の視線がそちらに向いている隙にターゲットを速やかに拉致…とね。結果はご覧の通り。どうです? 完璧な作戦でしょう?」
侮りたくなるほど無残な姿をしては居るが…鏡砕きの四英傑。そのリーダーである青髪の男はそこそこ機転の利く男だったようだ。彼はベウセットに差し出しかけた軍資金の入った袋を持った手を下ろし…笑った。
何かマズい情報を伏せている様な感じではないし、本当にきれいに仕事をやり遂げたのだろう。彼含め、彼と共に使命を果たしたそれらは本当に得意げにし…彼のサイドに立つ赤、黄、緑も両手に腰を当て、胸を張って見せている。
姫騎士ジャンヌだけは大人しそうにはしていたが、それでもどことなく、誇らしげに口角の両端を上げていた。…俯き気味ではあったが。
「まぁ、よくやった。道化5人で。だが、まだやることはあるぞ」
とりあえず大事の前の小事。その1つが片付いた。
ベウセットはまだ気を緩めた風はなく、瞳を動かし、少し距離を取って姫騎士ジャンヌを正気を疑ったような目で凝視していたポーク●ッツに視線をやる。
「ポーク●ッツ、今回の仕事の全容をこれに記してある。そこの5人と確認しておいてくれ」
ベウセットは小物入れから綺麗に折りたたまれた粗悪な紙と、いつ手に入れたのか花子すら心当たりのないペンを手に、それをポーク●ッツの方へと差し向けた。
「その呼び方やめてって。と言うか俺がこの変態の集まりの中に――ってコレ俺のペンじゃん!」
姫騎士ジャンヌから視線を外すときは呆れと不満の伺える様子で、ベウセットに目を向けた時には心外そうに文句を言い掛け――終いにはベウセットの手にあるペンを見て騒ぐ。
「あぁ。お前が寝ているときに借りた」
「人はそれを泥棒って言うんだよ? せめて一言言って欲しかったな~」
「返したからいいだろう。女々しい奴め」
「そういう問題じゃありませんー、謝ってくださいー。どうなんですか? 人として」
「ふふん、コソ泥が道理を語るとはな。お前の鉄板ネタか?」
「ちっがわーいッ! 本当に怒ってるの!」
真面に取り合う気配のないベウセットを半目で見つつ、コソ泥とは思えぬ真っ当な意見…文句を言いながらポーク●ッツはベウセットの手からペンと計画が記された紙を引っ手繰った。
――友達に居たら面白いタイプよね。コイツ。…弄りがいがあって。
花子はそのベウセットに面倒臭い絡み方をし始めたポーク●ッツの横顔を見、クスクスと笑いながら腹の中で呟き…踵を返したベウセットの背へと爪先を向けた。
「あっ、ちょっとぉ! 本当に行っちゃうのぉ!?」
面倒臭い絡み方をしていたポーク●ッツではあったが、ベウセットが自分を置いてどこかに行こうとし始めると、なんだか心細そうにしだした。
「私たちは私たちなりにやることがあってな。デカい上がりの為だ。精々励めよ」
けれどベウセットはその足を止めることなく、振り返らないまま右手を肩の高さにあげて緩く手を振る。
その背は立ち並ぶ廃墟の向こう側へと曲がったことにより…見えなくなった。
取り残されるはポーク●ッツとその仲間。女性物の下着姿の変態5人。
共通の知り合いを失ったことにより、少しばかり気まずい雰囲気が流れ掛けるが――後者の集まりに属する青髪。それは臆した様子無く口を開いた。
「行きましょう。俺たちはもう後戻りできないところまで来てしまった。後は信じて突っ切るのみ…そうでしょう?」
「あぁ…うん。がんばろ。うん…というかなんで家の中に入ってなかったの? 外だと目立つでしょ?」
「いや…中に怖い人が居たんですよ」
「怖い人…まさかッ…!?」
昼の麗らかな陽射しの元に広がる、蔦や草が生えた灰色や黒のレンガ造りの廃墟が立ち並ぶ一角。
なんだか困ったような顔をする青髪の不穏な言葉によって、ポーク●ッツの平穏は大きく揺らぐ。額から汗が噴き出る感覚を感じながら。
悪魔の誘惑かもしれない言葉に従い、奔走する失う物のない者たちの渇望の物語。
だんだんと穏やかさが無くなるその物語の紡がれる先で、渇望者達は動く。家の方へ。その出入り口の前に置かれた、蠢く布に包まれた何かを担いで。
誰の為でもない、人の本質。無い物を欲する渇望に突き動かされるままに。
◆◇◆◇◆◇
目には背のそれほど高くない木々が点々と。耳には昼下がりの暖かな日差しと緩やかな風に葉を透かし、揺らすそれらが立てる音色。
廃墟と言う廃墟らしい建物もなく、どれもこれも手入れの行き届いた石造りの建物が点々と伺える場所。
嘗て今以上に栄えていた時があったのだろう。栄光の残り香。それを感じさせる、綺麗に敷かれた灰色の石畳。土埃が薄く乗って、くすみ茶ばんで見えるそれの上を1人の女と1人の少女が歩いていた。街の中心方向へと向かって。
「確か鍛冶担当がグリだったわよね。協力してくれると思う?」
「五分五分だ。その場では従順な対応をするだろうが、モグモグカンパニーがその視界に入った時、制御できなくなる可能性が高いと見ている」
「紙袋とか被せて周囲の情報を遮断させたうえで、クラフトさせちゃダメかしら? まあやり方選ばないなら目標達成できそうな方法は幾らでもあるけど」
「我々が出来るのは精々脅かす程度だよ。得られる見返りが禍根を残してでも得るべきものであるのなら、その限りではないが…今回は違う」
あれこれ言うが、ベウセットは割と常識人側だ。花子はそれを知っているから少しばかり口元が優しく緩む。
きっと子供を傷付けるような真似はしたくないのだろう。たとえそれが、ゲームの世界であっても。そう思えたから。
「――そこでだ。グリがダメだった場合の保険を掛ける」
そんな花子の些細な変化などに気が付いた風もなく、前を真直ぐ見据えて歩くベウセットは続けた。
彼女の見据える先。街の中心からやや外れたそこには…人影はまばら。プレイヤーが少ない時間帯だからか、衛兵の姿もない。至って長閑な風景がベウセットの進む先へと広がっていて、その中に、進む先の遠くに――それはあった。
剣と鎧の吊り看板の掛かる店。今朝も見た様な佇まい。
見ているだけで小銭が稼げそうな安心感がある――エプロンのおっさんの店が。
「協力してくれると思う?」
「違うな。決定権はこちらにある」
悠々とした歩みでベウセットは店の扉へ。花子もその後に続き――その入り口は静かに…開かれる。僅かに軋む蝶番の音を微かに立てて。
NPCにはNPCの暮らしがあるのだろう。店の中は静かな物で…人気は片手で数える程度。その中の1人がカウンターテーブル越しにベウセットと花子が探している人物と会話をしている様が在った。
「おう、探し物はなん――」
ここは俺様の店だ。そうとでも言いたげな横柄な態度。その男、エプロンのおっさんが強く出れていたのはほんの一瞬。瞳に、己に悪夢を齎し続けてきた2人組の姿を捉えるまでは。
悪夢は進んでくる。出入り口の扉の向こうから、店内。扉の両サイドに置かれた長細い葉の先が枯れかけた観葉植物より内側へと。
――客は…目に見える範囲で2人か。
凍り付くエプロンのおっさんを視界の外に、悪夢の主、ベウセットは店内の様子を見まわしつつ…カウンターテーブルの前へ。
両手をその上へ置いたところで…店内に目をやったまま口を開いた。
「繁盛してそうだな」
取り方によっては更なる搾取。要らないものと金をトレードする、買い取りの体裁を取ったカツアゲを行う前の観測気球。そうとも取れそうな言葉に…エプロンのおっさんは言葉を発せないでいた。
ただ、口元に薄ら笑いを浮かべ、今、前のめりにカウンターテーブルに頬杖をつき、上目遣いでこちらの様子を窺い始めたベウセットから身をやや引いて、下目遣いで、恐ろしいものでも見るかのようにするだけで。
「おい、私は客だぞ? 愛想良くして欲しいところなんだが…まぁいい」
ベウセットはそんな察しの悪い女でもない。エプロンのおっさんの腹の内。心中を察しつつも気が付いていない風に言って、瞳を閉じ、鼻から一息息を吐き出し――
「街の外に広がる草原。そこに巨人が居るのは知っているな。奴らの素材と奴らが立てる粗末なテントの建材。それらでお前に装備作成の依頼をしたらどれぐらいの金が掛かるか聞きたい」
静かに、問いかけた。
エプロンのおっさんはその真っ当な問いに目を丸くする。
彼にとって今までただの質の悪いごろつき…いや、ヤクザ以外の何物でもなかったベウセット。それからの客としての真っ当な、まさかの問いの破壊力は計り知れないものであり、ほんの少しの間…彼の頭の中の時計の針を停止させた。
「――作成は一瞬だし…50000ゴールドでもあれば一通りの装備は作ってやれるぞ…?」
だが、恐ろしい存在が、恐れていた存在が…常識的な、危害のないであろうこと。振る舞いを始めた時、人は勘繰り…戸惑い、余計に恐怖心が育つものだ。
エプロンのおっさんは今まさにその心境であり、おっかなびっくりと言った様子でベウセットに向かって言葉を絞り出す。
「そうか」
対するベウセットの反応は淡々とした…それは淡白な物で、ただ聞いてみた。そんな印象を受けるもの。
彼女は店内を見まわし、何やらちょろちょろと動き回り、今己の元に帰ってきた花子に視線を止める。その背景には――足並みを揃えて店の出口へと向かって行く2人の客の姿。その握られた手には…指と指の間に覗く、金色の輝きが微かに窺えた。
何か思わぬ幸運があったのだろう。少しばかり得したような顔をし、ベウセットの視界から外れて…店の出入り口の扉の向こうへと消えていった。だが――そんなことには気が付かない。エプロンのおっさんは。異様とも思えるベウセットの反応に脳の処理が追い付かず、ただそれにばかり意識が集中して居るがために。
「今日一日付き合え…と言ったら応じるか?」
閉まり行く扉が完全に閉じ、外の光を完全に遮断した後に…ベウセットの視線は再度戸惑うエプロンのおっさんに。彼女の問いかけと同時に、花子がまた俳諧を始める。店内にて。
そんな中、エプロンのおっさんは額に大粒の汗を浮かべていた。ベウセットの心中。その中の企み。思惑が…全く読めず。故に声はなかなか出ず…少しばかり時間が流れるが――
「…いや、ダメだッ。それは出来ねえ。夜は稼ぎ時だし、店番も居ねえ」
色々な思考を巡らせたのだろう。眉間の皺の形を短時間に3回は変えた後、エプロンのおっさんは答えを出した。店を切り盛りするその主らしい答えを。
ただ…それは言い訳だった。実際のところ着いて行ったらどんな目に合されるか解ったものではない。不信感と未知に対する恐怖が…彼にそうさせたのだった。
そしてベウセットの誘いに対する否定は、次なる緊張でエプロンのおっさんの心を掻き乱し始める。
――暴れたりしねえよな…あぁ、神様…。
顔を前に傾け、上目遣いでベウセットの様子を注視して腹の中で祈るエプロンのおっさん。
カウンターテーブル越しに対面するベウセットは鼻から息を吐き出し、残念そうな顔を1つすると…姿勢を正して背を真直ぐにした。
――大人しく引き下がってくれんのか…?
高鳴る鼓動が胸から伝わるが、少しばかり冷静になりつつあるエプロンのおっさん。彼はまた心の中で呟いた時――ふと、背後に気配を感じ、目を大きく見開いた。
「せいっ!」
「んごぉっ!」
だが、遅かった。直後、視界は遮断され、顔全体を覆う重く生暖かい編まれた金属の感覚を肌に。甘い匂いと石鹸の様な香りが鼻腔を擽る中…膝裏に走る踏みつけられるように蹴られる感覚。
崩れる姿勢。膝立ちになり行く最中、前に感じていた気配がさらに前方に。手は反射的に己の顔を覆う物を取り外そうと前へと出るが…すぐに首に巻き付く腕の感触。背中には温く心地よい柔らかな感覚。鼻にはまた別のすっとする甘やかな香り。
けれどそんな甘美な感覚にもう1つの感覚が足される。首が絞められる感覚と共に。
――あぁっ…なんかっ…悪くないって言うか、きもちいいっ…こんなのっ…初めてぇっ…!
息苦しさのない首絞め。締め落とされる最中まで天国を味わったエプロンのおっさんであったが――直ぐに力尽き、チェーンヘルムの被せられた己の顔面へと手をやっていたその手は力なくだらりと落ちる。
その背後にはいつの間にカウンターテーブルを乗り越え、今エプロンのおっさんを絞め落としたベウセットの姿と…おっさんにチェーンヘルムを被せ、膝裏を蹴っ飛ばしたのであろう、頭装備を付けていない花子の姿があった。
「ミッションコンプリート…!」
「よくやった花子。こいつは私がポーク●ッツの所に運ぶ。お前は素材屋のNPCを連れてこい。使った金はその時に補填してやる」
きっと被せられたチェーンヘルムの向こう側にはそれは幸せそうな顔があるのだろう、気絶し、動かなくなったエプロンのおっさんの両手首をベウセットは店内にあった革のベルトで後ろ手に拘束。
なんだか大仕事をやり遂げた風に、それは達成感に満ち溢れた笑顔を浮かべて己の方へ親指を立てる花子へ指示を出すと、エプロンのおっさんを肩に担いだ。
「いいわよ。別に。大した金額使ってないし。それじゃまた後で会いましょう」
「あぁ」
花子とベウセット。2人は短く会話を交わしたのち、前者はカウンターテーブルから出て店の出入り口へ。後者は裏口へと向かう。
法への挑戦以外の何物でもないやり方ではあるのだが、法への挑戦者となるのはその行為が明るみになってからの話。そうなる前に――2つの影は迅速に行動を開始した。
NPCの誘拐。拉致。もう後戻りなど出来ぬであろう業を背負いながらも…罪の意識は愚か、楽しんだ様な笑みを口元に浮かべて。
常識人と言うのは物語を動かすうえで必要となるエッセンスなんですね。周りが暴走しているような状況だと特に。そういう意味ではポーク●ッツ君はこの一章に置いての主人公とも言えるかもしれません。