悪魔の囁き
ここまで読んでくれたオマエタチなら理解しているかもしれないが…この作品の主人公、その取り巻きは…正義とは程遠い人格の持ち主だ。今はベウセット姉貴におんぶにだっこの猫屋敷さんもある意味立派に育っていくので、そういうのが苦手な人は注意してくれたまえ。
それは静かで、穏やかな時間だった。
本格的にプレイヤー達が行動を開始し、そのほとんどが街の外へと出払った時間。
外を歩く人影は、人込みまでとは行かず…朝や夜に比べれば本当に少ないものではあるのだが、それでも賑やかな物であった。
けれど…プレイヤーが全くいないと言う訳でもなかった。
戦いを早々に放棄した者。何か別方向で成り上がろうとする者…そして、訳あって戦いに出られぬ者。
それらは確かに街の中に居た。店の中に、通りに、人目を避けるかのように路地裏に。
「お腹減った…」
黄色い髪の男は呟いた。人気のない路地裏にて…膝を抱え、ひもじそうに。青い女性物の下着だけに身を包み…地肌には寒すぎる風に、その身を震わせて。
その隣には似たような…女性物の下着を身に着けた者どもが4人。赤、黄、緑…そして黒のすだれの男たちが。建物を背に同じようにして座っている。
ある者は視線を地面に落とし、ある者は建物に四角く縁取られた空を仰ぎ見て。共通するのは誰も彼もが眉尻を下げ、幸福の対岸にある感情に心を焼かれているかの様な有様であることだった。
「我々は…俺たちは……正しいことをしようとしていたはずだッ…! なのにッ…なぜ…」
青髪の男は呟く。
視線を斜にしたまま、綺麗とは言い難い路地裏の石畳の上に転がる…唯一の己の持ち物。半ばから割れ、分離した手鏡を注視して。
その時、彼の頭の中に巡るは非協力的なプレイヤー達の顔。
ある者は青ざめて恐怖し、ある者は嗤い、ある者は変質者でも見るかのような視線を送る…迫害の記憶。
青髪の男は苦しみ、痛々し気に顔を歪めた。守ろうとしている者達の不寛容さに。
そんな彼の視線の先、ふと…灰色の毛を持つ地を這う動物が横切った――
「あっ…! ネズミっ…!?」
青髪の男の呟きにより、他の4人の目は一斉にそこへ。そして輝く。
瞳が――捕食者の瞳として。
「ナニィッ!? あっ、ほんとっすッ!」
「よし逃がすなお前らッ!」
「貴重なタンパク源!」
「うおおッ! うおおおお~ッ!」
続く声は赤、黄、緑、姫騎士ジャンヌの順。4人はほぼ丸々1日。1人は1日と半分。食事を摂れていないそれらは身構え、襲い掛かる。どこかから拾ってきた角材。木の棒などを右手に。素早い鼠へと。
兵糧攻めにでもあった城下町の様な光景。地獄の底を映した光景は割と飽食の街の中…その路地裏で繰り広げられ、描かれる。
すばしっこい鼠を追い、手にある角材や棒切れを振り下ろし…駆けまわる――角材や木の棒を手に持った女性物の下着を身に着けた男たちの絵が。
しかし――現実は非情だ。
鼠は小さく素早く…あっという間に人が入れぬ場へと入り込む。5人がそこへと飛び掛かった時は既に遅く…角材も木の棒でも、届くか怪しい場所にその灰色の背中は在った。
「届けっ…! 我が想いッ…出てこーい!」
「左側から挟むぞ! 食らえいッ!」
「アイツさらに奥に行こうとしてやがるッ…! くおおっ! 逃げるなーッ! 正々堂々戦えーっ!」
建物と建物の間の本当に細い間。そこに5人の男たちは張りつき…各々手に持った得物を振るう。微妙に届かぬ鼠の背へ向かって。その時声を上げるのは青、黄の2人だけであり、あとは目を血走らせて息を荒げるだけだ。
それらは片目を男たちの方に向ける鼠の取っては恐怖以外の何物でもなかっただろう。鼠は飛びあがり…奥へと進む。恐ろしい彼らを後目に…視線の届かぬ場所へと。
「あぁっ…!」
「我らの朝ご飯…活力ぅッ…!」
「ふひぃ…ふひひぃ…!」
鼠との戦い。その決着が付くさまを…彼らは見ていた。消えゆく鼠の背を…赤と緑、姫騎士ジャンヌの惜しむ声とともに。
残るは敗北感と…肩を落とす5人の女性物の下着姿の男達。
彼らは手に持っていた得物を落とし、ある者は座り込み、ある者は膝をついた。
「わが神、わが神、なぜ我らをお見捨てになったのですか!」
そして叫ぶ。黒髪のすだれの男…姫騎士ジャンヌが…建物の壁を拳で弱々しく叩き…ずり落ちながら。
悲痛な声は裏路地の硬い壁に反響し、冷たく響く。そしてそれは――掻き消す。背後に迫る大きく聞こえ始めていた物音、足音を。
「なんかキモいし見捨てるでしょ。普通。地獄サイドの原生生物っぽいし」
落胆する彼らの背後から、ふと…女の声が掛かる。姫騎士ジャンヌの慟哭に対しての、辛辣極まりない言葉が。
その声は、その場にいる5人にとって聞き覚えのある物。特に姫騎士ジャンヌには…忘れもしない声であった。
振り返った5人の見る先には…腰に片手を当て、片足に体重を掛ける形で立つ、濃紺色の髪の碧い目のチェーンメイル姿の少女と頭装備を外し、チェーンメイルを着こんだ長い黒髪の美女の姿があった。
当然、姫騎士ジャンヌは何か言おうと口を開きかけるが――それを制すように手を開いて向けたベウセットを見、声を飲み込み…その後で、ベウセットが口を開いた。
「どうだ。1つデカい山を当てに行かないか」
静かだが、油断のならない笑みのベウセットの口から出た怪しくも甘美な言葉は…この5人組。ありとあらゆるものを奪われ、行動不能となっていた鏡砕きの4英傑と姫騎士ジャンヌにとって、耳を疑うようなもので――思わず、顔を見合わせる。
互いの…成り行きでなった仲間たち同士で。
その時の表情は様々であった。純粋に喜ぶ者。警戒感を露わにした者。間で揺らぐ者…と。
「棒切れを片手に鼠を追い掛け回す生活から脱却するチャンスをくれてやろうと言うのだぞ? 何を躊躇う必要がある。何もかもを失ったお前たちが…進むべき道は1つだろう?」
持たざる者へ掛けられる甘美なる囁き。人の姿をした悪魔かもしれないそれは何とも艶めかしく、聞いていて心地の良い声で…更に語り掛けてくる。
その時、彼らの頭の中に過るは…笑われながらも棒切れを片手に、紫色の兎を草原にて追い回していた時の事や…NPCの元で働こうとしても門前払いされ、挙句の果てには不審者として扱われ、衛兵に尻を思い切り蹴っ飛ばされた時の事。
それら苦い思い出が…腹の底から喉へとせり上がるような感覚を覚えつつ…彼らは頷いた。各々の目を見て。
次に振り返る。ベウセットの方へと。
「――やろう、一攫千金!」
青髪の男は集まりの総意を表明。強い意志の宿る瞳を携えて、頷いた。
それを聞いたベウセットはにやりと笑うと一歩後ろへと下がった後、下目遣いで青髪の男の顔を見遣り――
「よぉし、その意気だ。道すがら話そう。さぁ、ついてこい」
そう言って踵を返す。
向かう先には薄暗い路地裏から見れば眩しいほど明るく見える、路地裏からの出口。ベウセットとその連れである花子は…そこへと向かって歩き始めた。
そして続く。落ちに落ちた鏡砕きの四英傑と姫騎士ジャンヌが。
女性物の下着に身を包んだまま…信用に足るかすら怪しい新しい仲間の背のその先に在る、明るい世界へと向かって。
◆◇◆◇◆◇
それは異様な光景であった。
12時前の時間帯。少し早めの昼食を摂る者たちに紛れ、店の一帯…隅の席を占拠する謎の一団。
女2人はチェーンメイル姿。その他は女性物の下着姿の5人の男達。そんな構成の者共が、少し大き目なボックス席を陣取っていた。
その異様な集まりに人々の目は集まるのは必然だった。奇異な物を見るかのような、危険な物を見るかのような視線が。
間違っても肯定的とは言い難い注目を浴びながら…それらは食らっていた。四角く広いテーブルの上に並べられた割と豪勢な食事を…貪るかのように。
「一日ぶりのご飯おいちぃーっす!」
「空腹は最高の調味料とは良く言ったものですね!」
「ハフッハフッ、がッがっ…」
肉の挟まれたパンや鉄板焼きの肉。骨付き肉だとか…ベイクドポテトなど。とにかく腹持ちが良く、精が付くような肉類や穀物類。それらを両手に双剣の如く持ち、彼らは食らう。
赤髪の男は腹を満たす歓喜の声を上げ、その声に緑髪の男が同意を示すかのように言葉を掛け、姫騎士ジャンヌが物凄い形相で肉を食らって。青と黄に関しては声は立てないものの…それらと似たようなものだった。
周囲の目も、同じテーブルを囲む仲間の1人である、自分達のあさましい姿に呆れたように半目になり、フライドポテトを人差し指で押しつつ、前歯で齧りながら口内へと押し込んでいく花子の目すらも気にすることなく。
だが、そのボックス席に相席する1人。長い黒髪の美女ベウセットは…ほとんど食事に手を付けることなく、顔の前で両手を組み…カウンターテーブルに面した席に、こちらに背を向ける形で座る、とある3人組をただ見ていた。
吊り目が特徴的な、赤い髪の少年と丸い垂れ目の緑色の髪の少年。最後に…丸い吊り目の緑色の髪の少年を…獲物を目の前にした蛇のような目で。
「お酒開けちゃってもいっすかぁ!? まだお昼っすけど!」
「だめだ。思考が鈍る。それより…あのカウンター席に座ってる連中を今のうちに良く見て置け。あれらを拉致し、その中の緑髪の垂れ目の奴を従わせるのが最初の仕事だ。情報漏洩のリスクを無くすためにも他2人もしっかり押さえて置けよ」
調子に乗る赤髪。思い上がりも甚だしく、厚かましいとしか思えぬ問いかけにもべくセットは顔色を一つ変えずに冷静に返し…彼の瞳を一瞥した後、囁く。
その一言により、鏡砕きの四英傑と姫騎士ジャンヌの視線はカウンターテーブルの方へ。その瞳に――3人の背を映す。ライバック、グリとグラの姿を。
「もしかしてッ…貴女は……モグモグカンパニーに挑戦するつもりなのッ…!?」
ツインテールの美少女のガワであった時。まだモブキャラの様なガワを被っていた花子の腕に引っ付いていた時とは明らかに違うキャラで…姫騎士ジャンヌはベウセットに問う。
自分たちにしか聞こえぬ、小さな声で。戦慄に瞳と声を揺らして。
「より短い時間で巨万の富を得る…そうとなったら踏まねばなるまい。揺らぐ腐りかけた危険な橋でさえも」
「しかしッ…捕まればただでは済まないのよッ…!?」
「捕まる予定でもあるのか?」
「っ…!」
姫騎士ジャンヌは委縮しきっている。その顔には恐怖。緊張と躊躇い。それらの色が色濃く出てはいるが…揺れ動いているようだった。巨万の富の香り。心を惑わす悪魔の囁きの魅惑的な響きに。
少なくとも――保身と言う意味での不安はあるようだが、誘拐。それに対しては何か思った風はなく。
「…逃走経路は?」
「その点も考えてある。だが、ここでは多くを語るつもりはない。場所が場所だ」
次に青髪が問うが、ベウセットははぐらかしにも思えるような言葉を返すだけ。
だが…それと同時に片手で収まりきらない大きさの、布袋をテーブルの上に置き、青髪の方へと押しやった。重く硬そうな…触れれば微かにじゃらりと音を立てるそれを。
「とりあえず…これで何ができるか見せて見ろ」
――ッ…彼女は本気だわッ…!
鏡砕きの四英傑と姫騎士ジャンヌはそう察した。
1人のプレイヤーが真面目に働いたところで一週間そこらでは得られないであろう金貨が敷詰まっているであろう布袋を目の前にして。
それは早々に緊張に強張る顔つきの青髪の手によって手繰り寄せられ、彼の膝の上に。そこで…口の紐が解かれて中身の確認が行われる。
身を乗り出す仲間と青髪の見る先には…袋いっぱいに敷詰まった金色に輝くゴールド。魅惑の輝きを瞳に映した後、彼らは静かに布袋の口を閉じるとベウセットの方へと向き直った。
「必ずや…必ずや…このご恩に報いて見せましょうぞ…!」
「それでこそだ。諸君の健闘を祈る。ふふふっ…」
恐らく今テーブルの上に並ぶ飲食代だろう。動かすと金貨の音以外にも微かにカサカサと音を立てるそれを、ベウセットはテーブルの上に置いた後、席から立った。何やら恩を感じた風な青髪を流し目で見下し、笑いながら。
ひたすらフライドポテトを食べていた花子もそれに合わせて立ち上がり、ボックス席から離れ、スイングドアの向こう側へと向かい始めたベウセットの背を追い…薄暗い店の中から見れば眩しい光に満ちる外の世界へ。
未だに具体的にはベウセットが何をどうしようとしているかは解らないが…花子はただ着いて行く。
誘拐、拉致。
2100年。歴史上類を見ないほど平和になった日本に置いてまあ聞かぬ不穏な響き。行動を…目的のために、その足掛かりとして平然と成そうとする己の使い魔、ベウセット・フェノシェク・サイベリンの背を見つめながら。
否定とは言い切れぬ、また違った不思議な目の色で。
やっぱり敵は自軍より強大で在ったほうが魅力的だと思う。どうやっても勝てる相手が敵では燃えんもんなァ!