手始めに
変態の動かしやすさよ。どうしても甘んじてしまいたくなる。だって…筆が進むんだもの。
日が昇る。
どこからともなく現れたチェーンメイル姿の人の群れ。街に突如訪れた異常事態からの3日目の朝。
まだ頭の中に残る眠気に大あくびをしながら…その男は今、店を開ける。バンダナとエプロンがトレードマークの男が。
だが――彼にとっての試練。災難はまたもややってきた。
店の出入り口。両開きの扉を開けた向こうには…それらは既にいたのだ。丸めた衣服。腰に鞘に収まった小汚いダガーを複数取り付けて…己を待ち構えるかのように。
その男、エプロンのおっさんは無表情のまま、静かに扉を閉めかける。
しかし――
「ヒッ…!」
閉まらない。扉を掴む手によって阻まれたことによって。
それはそのまま力尽くで押し開かれ…最中に見える。にやけ面のチェーンメイル装備一式を着こんだ少女が。
エプロンのおっさんは悲鳴をあげる。肩を跳ねさせ、涙目になり…目を見開いて。恐怖。彼の心を覆う黒い影の根源は、まさにそれであった。
「また良い商品揃えて来てやったわよ。喜びなさいよ」
恐怖の出所。原因。根源は力尽くで無理矢理開け放たれたドアの向こう側から、わが物顔で入り込む。
エプロンのおっさんの城。店内へと。頭装備を外したチェーンメイル姿の、長い黒髪の美女と共に。
「へぇ、儲かってそうね」
薄ら笑いをその口元に、その少女…花子は店内に展示してある鎧や武器を見て回りつつ…真直ぐカウンターテーブルへ。
そして置く。小脇に抱えていた丸められた服と…アクセサリーの如くついていた鞘に収まっていた複数のダガーを。
「さぁ、仕事だぞ。何時までもそんなところで突っ立っているな」
立ち尽くすエプロンのおっさんの肩を擦れ違い様にトンと軽く叩き、ベウセットが店内へと進む。
それからやっとエプロンのおっさんは動き出し、振り返る。処分に困りそうなものをカウンターテーブルの上へ並べる2人組の方へ。
きっとそれは諦念であっただろう。肩を落とした彼は、諦めたかのようにため息を1つ吐くと…進み始めた。カウンターテーブルの向こうへと。
カウンターテーブルの向こう側へと着いた彼は、持ち込まれたものを見始める。状態の良いとは言えない複数のダガー。そもそも防具ですらない衣類。なんか出て来た汚い靴を…何とも言い難い切なげな、悲しげな顔で。
「おい…お前らの文化圏ではこんな汚い靴ですら売買の対象になんのか?」
「あぁ。だから買え」
解っている。本当は。自分の目の前に立つ黒髪の女…ベウセットの間髪入れない返答が嘘であると。
だがそれは証明しようのない嘘。服を買ったという前提を作ってしまったがゆえに強くは出られず…エプロンのおっさんは眉尻を下げる。しぶしぶと言った感じで唇を尖らせ、ダガーと衣類。それらの代金を手に取りながら。
「ウチでは靴の買い取りはやってねぇ。金に変えたきゃ繁華街にあるパン屋に持ってくんだな。そこの人畜無害そうなツラした変態が良い値段で買い取ってくれるぜ」
結局強く出られなかったエプロンのおっさんはテーブルの上に置く。己の弱さの代償。面倒を回避するための金を。精一杯の虚勢と共に吐き出した、素っ気ない言葉と共に。
「また足元見てるんじゃ――」
余裕があるかのように毅然とした態度で精一杯に…花子とベウセットに背を向けたエプロンのおっさん。
その背に強気な花子の声が掛けられるが…その動きを制す形でベウセットの手が出されたことによって、言葉は途切れた。
「邪魔したな。またよろしく頼む」
花子は何か言いたげに上目遣いでベウセットを見上げていたが、彼女が置かれた布袋と買い取ってもらえなかった靴を手に取り、出入り口に向かい始めたのをきっかけにその後に続く。
その短い距離を歩く間、顔を横に向けてみれば、額に汗を浮かべ、チラチラとこちらの様子を窺うエプロンのおっさんが見え――それは花子と視線が合うと身体を跳ねあがらせて顔を背ける。
けれどそんな姿を見ていられたのもほんの一瞬。すぐに互いの視線を遮るようにして扉が閉まり、見えなくなり…花子の視線も前へと向く。街外れとは違い、よく整備された街中へと。
「なんか昨日より人が多いわね」
「オルガの真似事をしようとする奴。オルガの後に続く奴。そんなところだろう」
街の外側からその中心である広場へと集まる様に移動する人影。昨日見たような半裸のニワトリフェイスや、恐らく初めて見るであろうプレイヤーの姿など。それらの人の流れにベウセットと花子も混ざった。
「またオルガの所でお金稼ぎするの?」
「冗談は止せ。アイツが飴を味わいきるまで悠長にしているつもりはない。だが、少しばかり協力してもらうつもりではある」
「…? なんか含みのある言い方ね」
「我々を巻き込んだ奴には償いをさせる必要がある。そうだろう? 昨日のうちに思いつけなかったのが悔やまれるところだが…時間は十分にある」
花子の前を行くベウセット。後方を行く花子にはその顔は見えなかったが…その声はなんだかこれからの事を楽しみにした風な物であった。
現実世界でも幾度か見た時のある、オルガの鼻を明かしてやろうとするときに見られる…抑揚。声の躍り。いつも冷静沈着で淡々としているベウセットが唯一楽しそうにする様子。
それは花子に悟らせた。ベウセットは――オルガに何かを仕掛けようとしているのだと。
それから少しして2人はさほど密度のない人の流れと共に路地から広場へ。
昨日以上に人の居るそこには…謎のオカマ4人衆の姿はなく、オルガを中心とするギルド。モグモグカンパニーの姿とそれらが買うなりしてきたのだろう。石を積んだ荷車…それも、馬が引くような幌付きの大型のものまでもが並んでそこにあった。
人と人との間に見える己の使い魔、オルガ。昨日と変わらぬチュニック姿のそれは、昨日同様腰後ろに手をやって、集まりの周りを左右にうろついていた。
周りにめがねくんやヤス。ライバックにグリとグラ。つい昨日から出来た仲間たちをその周囲に置いて。
――自然と人を集めるのよね。アイツって。
役に立つであろうポテンシャルはあるのだが、使い魔の分際で在りながら一切制御できないオルガ。その彼女の様子を横目で見、半目になりながらムカついたように花子は呟く。心の中で。
けれど、昨日より増えた人だかりによってそれは直ぐに見えなくなり…花子の視線は再びベウセットの背中へと向く。――彼女の向かう先には、昨日モグモグカンパニーのメンバーと宴をした会場のある通り。繁華街がある。
「ボス、最初の一手は?」
「人員の確保だ」
「なら、靴売る時間を他に使ったほうが――」
「まあ見てろ」
広場から繁華街へ。装飾に拘ったお洒落な店が立ち並ぶそこを行きつつ、花子はベウセットの隣に並ぶ。ベウセットの真意が解らぬまま…半目になり、唇を尖らせて。
財政的にこんなところにある宿屋で寝泊まりする者はいないのであろう。プレイヤーの姿はほとんどなく、時間帯故かNPCの姿すら疎らにしか見ることの出来ないそこは、よく見渡せて、通りに面する店にはガラス張りのショーケースが窺えて、その中にいろんな物品が並んでいた。
大凡は上等な衣類。アクセサリーや傘などの小物類。少しお洒落な食事処。まだその発生源は見えはしないが、微かにだが小麦の焼ける香ばしい香りが鼻につく。
「探す手間が省けたな」
「そうね。ついでに朝ご飯でも買っていく?」
「使用済みの靴を買い取る様な変態がこねたパンをか?」
「あー…そうだったわね。前言撤回させて」
匂いだけは食欲を刺激するパンを焼く香り。それを頼りに2人は進み…やがて繁華街のメインストリートに面した、探していたであろう建物見えてくる。
使用済みの靴を集める変態が経営しているとは思えぬ…シックでお洒落な店が。
「開店前…か」
店の前に行き着いた花子は一度足を止めるが…ベウセットは止まらず、赤地の上に白文字で書かれたcloseの札の掛かった扉へと進んでいく。
「ちょっとッ」
その背に一方的に言うベウセットの背に花子は声を掛けたが、ベウセットは止まらない。そのままドアを押す。鍵は掛かっていなかったようで、扉は開き…彼女はわが物顔でその中へと踏み入れて行った。
――エプロンのおっさんの所には開店してから入ったけど…これって不法侵入じゃ――
花子は悩む。入っていいのだろうかと。
けれど葛藤をしつつも脚は動く。店の方へ。少し時間が経った後、結局そのまま心細くなった彼女はベウセットの後を追う形となり、扉を押した。
「これは――香しい。恐らく20歳ほどの…青年の靴――一晩おかれたものだ…」
扉の向こうには空の陳列棚が並ぶ店内と――ベウセットの立つカウンターテーブル。
その向こう側にて目を閉じ、靴に鼻を押し当てる、縁の細い丸い銀縁メガネをかけたカールの付いた枯草色の髪が印象的な…背の低い華奢な身体つきの、赤いスカーフを首に巻いたコック服おっさんがいた。
彼はまさに至福の一時を味わっているかのようなうっとりとした表情で、靴の中で何かを呟いている。
眉をハの字にし、頬を染め…悩ましげな顔をするそれは――紛うことなき変態。真の変態の姿が…そこにはあったのだ。
ベウセットに動じた様子はなかったが、温室育ちであった花子にとってその光景は衝撃であり…顔を引き攣らせ、上体を大きく後方に引いて――思わず固まる。
到底理解できない未知の領域。そこに住まう住人が見せる営みに――心の底からドン引き、昨日姫騎士ジャンヌと対峙した時に味わった物とはまた違う恐怖を感じて。
「あぁ――きっとこれはやせ形の…健康的な子の物なのだろうね…。これは味も見ておきたいところだよ」
「後にしろ。それを受け取ったからにはお前には使命がある」
「そうだったね…すまない」
胸の下で腕を組みながら淡々と己の要求を通そうとするベウセットの毅然とした態度は、見ているだけで花子に勇気を与えてくれるもの。
花子にとってベウセットの言う使命と言うものがなんであるかいまいちピンとは来なかったが――ゆっくりと目を開いて靴を持つ腕を下ろした、大きく、澄んだ綺麗な目をしたその男。コック服の変態は…カウンターテーブルから店内へと出て来た。
「行こう。ときめきの根源へ」
何と真直ぐな瞳だろう。一切の迷いもなく、曇りのない…意志の宿る澄んだ目で――彼は言う。真直ぐ進む彼を遮る物はなく、それの前では変なところで意固地になる花子でさえも道を開けた。
そして彼は店の外へと出て行き…その後に、ベウセットが花子の元へとやってくる。
「行くぞ。我々にはそう時間はない」
「さっきから気になってるんだけど…具体的に何する気なのよ」
その問いに――ベウセットの脚は止まった。
大きく口角は吊り上がり、その右手は花子の肩に置かれて、その視線は流し目で、己を見るチェーンメイルを着こんだ花子の姿をを映す。
「――今日オルガが上げるであろう利益。その上前を撥ねる。それも最も旨いであろう部分をな」
…冷静沈着でいつも平静としていて。別段何かに執着することのないベウセット。
その時だけだったかもしれない。己の使い魔の1人が初めて見せる強い執着を目の当たりにするのは。
明確な目的意識を持つその使い魔、ベウセットを見、花子は目を見開いていた。ベウセットの口から出る多数にすら怯まぬ過信、傲慢にすら思える目標を耳にして。
ほんの一瞬の後、止まっていたベウセットは花子の目を見据えつつ、出口の方へと顎を軽くしゃくると歩き出す。長く黒い髪を揺らめかせ、いつもより活き活きとした様子で外へと続く扉を押して。
そして始まる。本当の意味での一日。守られて当然、温室育ちであったお嬢様。猫屋敷花子の試練が。開け放たれた扉の向こう、広がる街並みと上方の青空。それと共に吹き抜ける向かい風と共に。
不運でまともなおっさんも好きだ。