チュートリアルエネミー
姫騎士と聞いてどんな人物を思い浮かべるだろうか?
私も少し悩んだんですけどね、この有様だよ!
それは数に物を言わせた一方的な虐殺だった。
目に付くプレイヤー以外の、生きとし生けるものに浴びせられる横殴りの石の雨。それに打たれ、為すすべもなく横たわる亡骸。
今のレベル帯のプレイヤーが勝つことは厳しそうなレベルのモンスターすらも、圧倒的な数の力と遠投からの投石でなすすべもなく石の雨に押し流される。
昨日までは個々が、昨日までは少数の集まりが、その手に剣を握り、牙や爪を剥き、向き合い、対峙し正々堂々と命を賭して戦っていた街の外の野原には、もうそんな道徳や戦うことの美しさ、神秘などは失われていた。
その一団…獅子の群れの行く先には。
人が頂点たる所以。それを存分に発揮した後に、それらは戻ってくる。
一日の終わり。夕暮れ時に。出発時の時より大人数で。
空になった荷台の上に…今朝あった山盛りの石の山ではなく、この周辺の生態系。生きとし生ける者をコンプリートしかねないほどの…様々な生き物の屍を乗せて。
「親分、俺はシビれましたぜ! 40レベルの巨人ぶっ倒したところなんて最高に!」
その獅子の一団が最初の出発点。街の中心の広場へとそろそろ差し掛からんとするとき…獅子を率いる者、荷車を引くオルガに向けて、男は声を掛けた。
背が低く、体格の良い橙色の髪の角刈りの男、ヤスが。背後から。
ゲームの根底を否定する攻略方法。やり口を確立したオルガを見上げる彼の瞳は…混じりけのない憧れ。優れた指導者に対する敬意、崇拝にも似た感情が混ざっていた。
「ふふ…ヤス、あれは我々全員で勝ち取った勝利。ヘイトを買って止めを刺したプリケツ君やオルガさんだけのお陰ではない。着実にダメージを与えた投石隊としての役目を果たしたお前たちの力あってこその物だ」
「いやいやぁ~、それでもやっぱり今回のハンティングのMVPは親分とベウセットの姐さんでしょうよ。ね、姐さん」
オルガと会話を交わしつつ、彼女の引く荷車のサイドにつくヤスはその荷車の後ろ。そこにいるベウセットへと振り返る。同意を求めるかのように…屈託のない笑みを浮かべて。
「そうだな。ヤスの言う通りだ。取り分にその貢献は反映されて然るべきだろう」
眉一つ動かさず、顔色を一切変えることなく…美しくも話しかけ辛い、静かではあるが抜身の刃の様な雰囲気のベウセットは、ヤスの言葉を肯定する。正面に見える広場。そこへと目を向けながら。
その日本人的な感覚からは遠い…己の利益。権益を求めて踏み込む姿勢に、ヤスは思わず口元に苦々しい笑みを作り…言葉を詰まらせた。自分自身そういう配慮がされるべきだとも考え、異論はなくとも…思わず。
「プリケツ君は相変わらずがっつくなァ。和の心がない。それでも日本人かね? この…いやしんぼめっ」
「私は一度たりとも日本人であった試しがないんだがな。いい仕事をし、黙っていても評価されるだろう…そんな受け身な在り方、考え方が美徳なものか」
けれどそんなヤスの変化など、ベウセットは視界にすら入れていないようで、彼女は無反応。実りのない会話をオルガと交わし、広場の石畳を踏んだ。
今回の狩り。獅子の群れの長であるオルガは迷った様子無く、広場の隅っこへと直進。
建物の近場であるそこに、大小さまざまな躯が乗っていた荷台をひっくり返して小さな死体の山を作り上げ…振り返った。己の後ろに続いていた長蛇の列に向かって。
「皆の衆! ここを中心に今回の戦利品を集めるのだ! 手の空いている人はこう…円滑に行くように、なんかいい感じにやってくれ!」
オルガによる、とてもアバウトで…ふわっとしたグダグダな命令。それにより、荷台を引いていた者以外は散り始める。
遠目にその仕事ぶりでも見物しようと動き始めたベウセットと…街の外で見つけたのであろう錆びたメイスを腰に取り付ける、なんだか明るい表情の花子を除いて。
「ねぇ、ボス。今回のオルガ珍しく役に立ってる感じしない? ただの食いしん坊な独活の大木だと思ってたんだけど」
「そこが最高に腹が立つところでな。目的が合致しているときだけは使える奴なんだ」
先を見越したような言い方をするベウセットの言葉に、花子の顔がやや訝し気な物となる。ベウセットの懸念。言わんとする見通す先に…違うのではないかと、否定的な風に。
「…一緒に進んでくれそうに思えるけれど?」
「奴は暫くこの近辺から動かんぞ。賭けてもいい」
なんだか不機嫌そうになる花子に取り付く島もないような言い方で返しつつ、広場の際に行き着いたベウセットは、踵を返し、淡い桃色の壁の建物にその背を預ける。
その時の彼女の顔はなんだか青い考えの花子を微笑ましく思っている風な物。なんだか決めつけられた様な気がして、花子の目つきは据わる。更に不機嫌そうに。
口の中で歯を噛み合わせ、膨れっ面気味になる花子が建物の壁に寄りかかり、腹の前で肘を抱えるようにして腕を組むベウセットを見据えるその背後で…獲物の山は着々と積み上げられていた。
オルガは後方で見ているだけだったが、実働部隊である指示を出すめがねくんと指示を受けた取り巻きが的確に動くことによって、円滑に。
暫くして出来上がるのは…モンスター達の屍の山。
周囲には死屍累々の異様なそれを一目見んとたくさんの人々が集まる。
「どうやったんだろ。裏技かな」
「ゲームスタート時からバグ探してるような集まり幾つか知ってる。だけどどいつもこいつもシケた顔してた」
「良いなァ…ちょっとぐらい分けてくれないかなァ…」
「すっご~い…序盤で喧嘩売ったらヤバそうな奴の死体もある…」
平和になったのか、緊張が緩んだのか、鏡砕きの四英傑が頑張ったのか。周囲に集まり、口をポカンと開けて屍の山を見上げるのは…今だに理想の自分でいることの出来ている人々と戻ってしまった人。
それらは半々程度の割合で見ることができ、未だにキャラに成り切っている者、そうでない者もごちゃ混ぜで、男の様な口調、仕草で呟く美少女。女であろうイントネーション、仕草で言葉を紡ぐ美男。そんなちぐはぐな人々の姿も窺えた。
「スンマセン、ちょっと通して…」
そんな見物客を半身になりながら押し退けて現れるのは赤髪の少年ライバック。
彼はやや背の高い、特徴的な顔をした真ん丸い目のおっさんの手首を引きつつ、死体の山の前に並び立つオルガの仲間の前へと出た。
「おっ、少年じゃん。親分のところに通してあげよう」
「あっ…あざます」
朝、オルガの話を聞いていた時にライバックを見ていた者が多数であるがゆえに、それを目の前にしたオルガの同行者は道を開け、ライバックはぺこりと頭を下げた後にその内側へと入って行く。
人としての意思があるのか怪しい…謎の目の丸いおっさんを連れて。奇異な物でも見るかのような目をオルガの同行者たちから向けられるが…おっさんは微動だにしない。
「おやぶーん! 連れて来たよぉ!」
人込みから死体が折り重なる場へ。その前に立つオルガへ向けて、ライバックは声を上げる。
するとオルガは反応し、そちらの方へと顔を向け…歩き出す。
「おぉ、少年。良くやった。オルガさんが預けたお金は残ったかね?」
「あの兎素材屋で素材に変えるのにお金掛からなかった。このおっさんにやってもらったんだけど、なに話しかけても同じことしか言わないし、勝手に連れて来た。衛兵の人たちも突っ立ってるだけで何とも。お金握らせる必要なかったよ」
「ついてるじゃないか。少年。オルガさんが手渡したお金はお小遣いにしていいぞ」
今朝、人を集める前にいろいろライバックに役目を与えていたのであろうオルガは、手は何かを言い掛けるライバックを制する様に掲げられた後、視線をライバックの傍に立つ、丸い目のおっさんに向けた。
有無も言わせない様子で、間髪も入れずに。
「おっさん、この死体の山を全て素材に変えてくれ」
「ここに来たのは賢明だ。俺がギルドの中で一番の解体技術を持ってるってところを見せてやろう」
オルガの言葉に反応したおっさんは、今まで心非ずと言った風であった目を黒々とさせ、オルガの方に顔を向けて言うとダガーを片手に、一振り、二振りと死体の山へと振るう。
彼のセリフはオルガにとって少し気になる様な内容であったが、すぐに注意は別の所へと向く。
淡い赤色に発光する死体の山。何ともゲームチックなエフェクトと共に…様々な毛皮、牙、爪、骨の塊などに一挙に姿を変える様子にへと。
「おぉ~…すっごい。あー、じゃあ次は…そこの集まり以外はお金に変えておくれ」
「売却だな。適正価格で買い取ってやろう」
おそらくこの街周辺にいるモンスターの中で一番強いであろう…巨人。それらから得られた素材以外をオルガは売ると周囲に相談することなく一方的に決めた。
一部はそれに対し、なんだか不満げでありはしたものの…すぐに気にならなくなる。素材たちが形を変え、赤い夕陽に照らされる、黄金の金貨の山となった瞬間を目の当たりにして。
輝く黄金の山。人と言うものの心を擽り、引付ける眩い輝きは…一挙に視線を集める。現実世界において金など…スペースマイニングの技術開発によりそう珍しいものでもなくなったにもかかわらず。
だが、それはきっと人の性であろう。割と辛辣にこのゲームを評価していた花子すら例外ではなかった。オルガとベウセット。その2人を除いては。
「よし、めがねくん。何人か連れて今晩の宿泊施設を確保しに行きたまえ。それが済んだらそこの繁華街へ来るのだ」
「解った」
あまり時間を置かず、オルガは空いた荷車の1つと金貨の山、最後に広場に接続する、特に煌びやかな装飾が施された建物が並ぶ道へ順に指差し、めがねくんに命令。
命令を受けた彼は間髪入れることなく頷くと、狩りを行っていた時に共に行動していた者どもと静かに視線を合わせた後、台者を引いて黄金の山の前へ。なんだか楽しそうにしながら…盛り始める。荷車の上に。金貨の山を。
オルガは共に戦ってきた者たちの方へと振り返る。背後に、眩い金貨の山をかき集めるめがねくんたちを置いて。腰後ろの手を組み、左右に歩き出しながら。
「さて…報酬の事だが…等分に分配するには多すぎる人数が最終的に集まってしまった。まぁ…最初に集まった人数から困難を極めるほどだったのだが…」
誰もがしたかったであろう報酬の話は、なんだか雲域の怪しい感じ…物言いでオルガから切り出される。
…もしかして支払われないのだろうか? そんな懸念。騒ぎ立てはしないが、周囲から騒めき声が上がった時…オルガは脚を止める。
「そこでだ。後腐れない方法をオルガさんは考えた。ベルトに革製の小物入れがあるのは知っているね? 今回の報酬はそれ一杯分だ」
「せんせー! 掬って山盛りになった部分は取り分にカウントされますかー!?」
「もちろん。ただ、時間短縮のために一発勝負だ。整えたりする時間は認めません。他に何かあるかね?」
「金貨が余ったらどうなりますか?」
「何時だってなんだって胴元が多くを取っていくものさ。そうだね?」
ぽつぽつと上がった質問に答えたところで、オルガはヤスの目を見、頷いて金貨の山から退いた。
「はいー、一列にピシッと並んでー! 報酬の受け渡し始めますよー!」
狩りが始まる前はライバックだけだったが、今現在把握が追い付かないほど増えたそれらは各々連携を取って秩序を形作る。並ぶものを監視し、関係ない者が混ざらない様にと。
ヤスを筆頭に…オルガをリーダーとする集まりに列するべく。
「うっ…このおっさんは…!」
「気を付けろ! こいつはただもんじゃねーッ…状態異常とくねくねした変則的な攻撃でプレイヤーを翻弄するタイプだッ!」
報酬の支払いが始まったそんな中、不意に…大声が響く。
人が少なくなってからでいいと考え、ベウセットの傍にいた花子がそちらの方へと目を向けてみれば、どこかで見た…女性物の下着だけを身に着けた、悲し気な雰囲気の痩せたおっさんの姿。俯いたことにより目元に影を作るそれは、無表情でそこにいた。
それの侵入を阻止せんがために身構える、頭装備だけを外したチェーンメイルの美少女2人に剣先を向けられ…大凡女とは思えぬ言葉遣い、イントネーションの言葉を投げかけられながら。
「おっ…私も…一緒に…戦ってました…」
悲壮感満点な痩せたおっさん。昨日の今頃であれば、まだツインテールの美少女の姿でいたであろう彼は俯いたまま、小さく…言葉を紡ぐ。譫言の様に。
無表情のまま…見え透いた嘘を。たった一日と言う時間で落ちに落ち、街の外で跳ねまわる紫色の一角兎未満のヒエラルキー。まさひこのパンケーキビルディング最底辺へまで到達したそれが。
「嘘つけや。俺は覚えてんぞ。今日の朝、ここで! オカマ4人衆に羽交い締めにされてボコられてたおっさんだろ! お前はァ!」
「えぇっ、そんなん居たの!?」
しかし、細いおっさんは動かない。只ならぬ悲壮感。雰囲気のまま…彼は唇を動かした。
「違います…私は姫騎士ジャンヌ。おっさんじゃない…」
大きな声ではなく、むしろ風の音ですらも消え行ってしまいそうなか細い声で…おっさんは囁く。
――己を、姫騎士ジャンヌと自称して。
その口から発せられる肩書、名とあまりにも乖離した姿。
深い深い闇の底。鈍く、静かではあるが淀む狂気。
それは…見る者を圧倒し…たじろかせる。姫騎士ジャンヌの望んでいた理想の姿。まだそれを維持する、姫騎士ジャンヌと対峙する2人の身体を。
「クッ…この俺がッ…震えている……だとォ…ッ!?」
「なんだッ…このプレッシャーは…! この感じた時のない恐怖は…!」
対応に当たっていた2人の美少女はもう既に気圧されていた。微かに身体を震わせて。
当然、それはオルガの目にも…ベウセットの目にも。そして、花子の目にも映っていた。
そして動く。オルガが。姫騎士ジャンヌへと。
「おっ…親分!」
「おやびん!」
姫騎士ジャンヌの静かなる圧に固まる2人の美少女。
その2人の間へとオルガは進み、彼ら…いや、彼女らの両肩に手を置くと、振り向いた2人の目を一瞥。そののちに軽く肩を左右に押し、2人の間を割って前へと出る。
リーダーたる己へ向けられる期待と安堵の視線を背に。声をその耳に。
「ここで会ったのも何かの縁。どうだね。少し小銭を稼いではみないかね」
オルガは囁く。何かをたくらんだ様なにやけ面で。
蔑みの様な物のないその一声に…姫騎士ジャンヌは顔を上げる。淀んだ瞳に…己を見下すオルガの顔を映して。
「――私に何をしろと言うの?」
姫騎士ジャンヌの問いに、オルガは上機嫌に口角を上げた。報酬でも入っているのだろう、ジャンヌの方へ小さな布袋を放って。
そして彼女の顔は向く。報酬の受け渡しを待つ多数から外れ、建物の壁に寄りかかる2人組へ。
指差す。その内の1人…背の低い方の少女を。
当然、そのオルガの不穏な動きは、何かを囁きつつの彼女の指先の先にいる少女、猫屋敷花子の目にも映る。
それは彼女の中に危険信号を灯し…一瞬だが、不安な気持ちになる。
しかし、掻き消す。弱さを見せることを恥とし、負けん気と体裁を気にするプライドで、強くあらんと己を奮い立たせ、身構えて。
「ご主人、殴り合いの喧嘩と言う奴を経験した時があるかね? 一度体験してみたまえよ。後学の為に」
花子の中の懸念は防衛対象であるはずの主人に対し、敵をけしかけ、試練を与える使い魔の言葉によって肯定される。
一応心得はあるが、今まで殴り合いの喧嘩など経験がなく、何か障害があっても魔法でどうにでも出来た花子の呼吸は浅くなる。胸を押すような不安で。
「花子、胎を据えろ。奴は丸腰だ。武器があるお前にアドバンテージはある」
「オルガは殴り合いだって――」
「そう。"殴り合い"だ。巨人の住処で拾えたそいつなら打って付けだな」
主人。召喚者を守る使命を持つ使い魔。その1人であるベウセットであるが…今回は守ってくれるつもりはない様だった。
壁に背を預けたまま、腕を組み…彼女はウインクする。自分の護衛対象…不安そうにする花子の腰にある、錆びたメイスへと人差し指を立てて。
「殺しちゃったら…」
「道中聞いた話だが…オルガ曰く都市属性と言うフィールド内では殺せないらしい。そしてこの街は都市属性の影響下。遠慮なく頭をぶん殴れ」
わざわざ敵をけしかけてくるオルガよりはマシなのだろうか。ベウセットは建物の壁に背を預けたまま、一切助けようと言う姿勢を見せないまま花子に助言。逐一振り返り、浮足立った様子の花子の問いに迷いなく応えた。
花子から微かに窺える不安の匂いを感じ取りながらも。
――死なないなら殴り倒してやる…!
周りは頼れない。頼れるのは己のみ。
真偽は定かではないが、信用できるベウセットのこの場ではプレイヤーは殺せないという情報を得た花子は気を強く持ち直し、速足で近付いてくる細身のおっさんを見据えて…半身になる。
奥歯を噛みしめ、狩りの時に拾った投擲用の石。それらが入った小物入れがオルガや細身のおっさんには見えないようにし…最小限の動きで石を片手に握って。
「来いッ! ぶっ殺してやるわッ!」
「聞いたわ~…貴女の事…返してよ…私の本当の姿を…! 姫騎士ジャンヌ返してよぉ~!」
初めての喧嘩。心を覆い掛ける恐怖。不安を吹き飛ばすべく、花子は歯切れよく大声で吼える。
それへと向かい、姫騎士ジャンヌはぶつぶつ言い、最後に吼えた時――花子が石畳を強く蹴った。
「先手必勝っ!」
「ギャッ!」
前へと出る花子を先行して飛ぶのは…今彼女がアンダースローで投げた石ころ。
それは殴り合いを想定する姫騎士ジャンヌの顔面へと、不意打つ形で真直ぐ向かい…その額を大きく弾いた。
生まれた隙は花子の右手を腰の右側、そこにあるメイスへと伸ばさせて、それは握られる。強く。しっかりと。
「さあ死ねッ!」
投石の痛みで防御態勢すら取れない、隙だらけの姫騎士ジャンヌ。
彼の頭に今、影が落ちる。武骨なデザインの…メイスの影が。歯切れのよい花子の声と共に。
「ッ!!!」
次の瞬間、振り下ろされる無慈悲なメイスは姫騎士ジャンヌの顔面を捕らえた。
現実であれば兜越しでもまあ即死であろう重く強力な一撃に、鈍い音とともに彼は声無く卒倒。石畳の上に身体を強く打ち付け、軽くバウンド――力なく石畳の上に伏す。ピクリとも動かずに。
その彼を見下すのは…錆びたメイスを握りしめたままの少女、花子。
こういった時、人に見られる反応は様々であろうが…彼女は笑っていた。下目遣いの口元の緩む、にんまりとした笑みで。己のやってしまったことへの罪悪感、恐怖など…微塵もない、それは良い白い歯を覗かせる笑顔を。
「――あぁ、最高にスカッとしたわ。なんか火炙りにして欲しそうな名前名乗ってたし、このまま丸焼きにしてやろうかしら。と言うか農民の分際で姫とか…どういう設定なのよ」
「ご主人ッ! まっぱ同然のおっさんに武器を使うのはどうかとオルガさんは思うぞ!」
「あら、殴り合いって聞いていたのだけれど?」
己が勝ったことにより豹変する花子。何かとマイルールに拘る面倒なオルガが早速花子に抗議するが――彼女は気にした様子無く、クスクスと笑いながら右手に持ったメイスをベルトと身体の間に差し込み…姫騎士ジャンヌの右手を踏みつけ、奪う。その手に握られていたオルガから今さっき彼が受け取った少額の金貨の入った布袋を。
斬撃でも刺突でもないメイス。打撃を敵に与えるそれならば、殴り合いだろう。そう、暗に…己の解釈した"殴り合い"の定義を態度で語りながら。
「次は追いはぎかね!?」
「当たり前じゃない。なんか捕まえた動物同士で殺し合わせるゲームでもそうだったけど、対戦相手が小学生だろうがそれ未満の女の子だろうが…負けた相手からは情け容赦なく金を巻き上げるのがゲームの世界。厳しい勝負の世界なの」
「あー言えばこー言って…オルガさんは悲しい! 自分のご主人が頭が変になった無一文の幼気なおっさんに対して、情け容赦なく親父狩りを仕掛ける様を見るのは! 武器使ったりして…卑怯だとは思わなかったのかね!?」
「アンタって試合に勝てれば勝負に負けてもいい…何から何までそういう考え方よね。それよりよく考えて見て。メイスで思いっきり殴ったことによってジャンヌの頭が正常に戻るかもしれない。そういう可能性を加味すると私がしたことは人助けなの」
拘る女オルガ。きっと花子の反応は彼女の癇に障ったのだろう。正々堂々を尊ぶ…フェアプレイの精神。それからか彼女は喚いていた。
けれど花子は反省の色もなく、ため息交じりに胸の前に腕を組む。突っ込みどころ満載の…正に詭弁。それを顔色一つ変えずに言いつつ…片脚に体重を掛けるような立ち方をして。
「普通メイスであんな大上段から力いっぱい殴られたら死ぬわ! バカ! アホ! 余計にぶっ壊れたらどうするんだ! 神の声が聞こえたとか言い始めてしまうかもしれないぞ!」
「頭にアルミホイル巻いて見てどうにもならなかったらそれはもうアレよ。悪魔の声を聞いた異端者よ。丸焼きコースよ」
「ごしゅじぃん! 投薬治療は無理でも、せめてカウンセリングぐらいは受けさせてやってくれ!」
「バカね。お喋りして壊れた頭が治るわけないでしょ。もうアレなの。丸焼きコース一択なの」
なんだか尤もらしく叱りつけ、挙句の果てには叫ぶオルガ。交差するボケとボケ。突っ込み不在の恐怖。
花子はその中で、辟易した風な顔をし、肩を竦め…己の傍で動かなくなった細いおっさんの状態を靴先でひっくり返しつつ窺っていたベウセットへと視線を向ける。
視界の先の彼女は花子の視線に気が付くとそちらへと顔を向け、その黒い瞳で花子の碧い瞳を見据える。
これと言って何か言葉やハンドサインを出したわけではなかったが、ベウセットが頷いたことによって花子は安心する。都市属性の効果。それは確かにあるのだと。
そんな…1日の活動の終わり際。夕日はどんどんと傾いて行き影は長く伸びる。
猫屋敷花子は息を吐く。初めての喧嘩。初めての戦闘。下駄を履きに履きまくった圧倒的優位からの勝利であったが…その喜びをどこかじわじわと感じつつ、口角を微かに緩めて。相変わらず賑やかな、己の使い魔を目の前に。
今日一日の一方的な狩りの報酬を受け取る、金貨の山を掬う者どもの傍で。
ジャンヌダルク。彼女に纏わるお話聞いてると思いますよね…ただの精神病の人では? と。それが一国救うんだからすごい。最終的には丸焼きコースだけども。