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獅子の歩み

人間の最大の武器って知能、組織力よね。


 眩しいほどの月と星の伺える空が白み、夜の色を朝の色で希釈する。

 2つの色が混在し、混ざりあうのはほんの一時で、どこまでも広がる草原の向こう側。その地平線から上る金色に輝く太陽によって、夜の終わりは告げられた。


 上る朝日。動き出す街の時間。街の中心に立つ、時計塔の短針は6を今、指し示す。

 控えめな鐘の音が時計塔から鳴り響き、その音色によって数多くの街の住人たちは見計らっていたかのように建物と言う建物から湧き出し、一斉に行動を開始する。

 ――全部が全部ではないが、大多数が無難な見た目の…それらが。自分たちの与えられた役目を熟さんとばかりに。


 決まった時刻により行動を開始する人々。ゲームらしいと言えばゲームらしいと思える光景。

 ただ、全員が全員そうではないであろう、慌ただしくなり行く街の光景を織りなす一部として…とある街はずれの宿屋のダイニング。その窓の傍の席に花子は居た。今だに自分が作った仮初めの、無難な、冴えないチェインメイルを着た男の姿で…朝食後に生じたデバフ効果の並ぶ、己のステータス画面を眺めながら。

 長い脚を円テーブルの下で組み、左手にソーサー、右手にティーカップを持って優雅に紅茶を啜る…頭装備だけを外したベウセットの姿を前に。


 「食べ物選ばないとレベル上げてもヤバいステータスになりそうね…。ねぇ、オルガはどのあたりにいると思う?」


 「あいつには期待しない方がいいぞ。お前の都合なんて今頃頭の片隅にも残っていないだろうからな。期待しても腹が立つ様な結果以外返ってこないのは目に見える」


 パネルを閉じた花子の問いに、ベウセットは己の考えを述べつつ…手に持ったティーカップをソーサーの上に乗せ、テーブルに置く。

 彼女の視線をティーカップに落としつつのその返答は、花子に1つ大きなため息を吐かせ、彼女は前のめりに頬杖をついて視線を窓の外へと向けた。


 「…私を巻き込んだ自覚とか、私の使い魔としての自覚とかあるのかしら。ホント役立たずよね、アイツ。――あぁ、昨日の事思い出したらムカついてきたわ」


 「まったくだな。あの寝惚けた面を見る機会があれば、横っ面に挨拶代わりの張り手の1発でもくれてやれ」


 花子の見る窓の外には…何の変哲もない、細い道を挟んでの建物の一面。壁が見えるだけ。

 その前を行き交うは似たような顔付きの、戦闘を想定していないであろう衣類を身にまとった人々。その中にほんの少しプレイヤーと思しき見た目の良い人間と…悪ふざけの産物であろう、人とは形容しがたい異形などが時折混じる。片手に質の悪い紙切れを手に。


 「ボス、このゲームを終わらせるには先ず何をするべきだと思う?」


 「結末がどんなものになるかで賭けをするのなら、外部的に強制終了されるという落ちにベットするのが一番無難だろうな」


 ベウセットからの返答に花子は視線を正面に。あまり美味しそうには見えない15ゴールドの白パンを右手に取るベウセットを見据える。

 

 ――そうならない様にまさひこは何か仕組んでそうよね…。


 そう、考えつつ。

 けれどそれも一瞬。2100年における日本をほぼほぼ支配すると言ってもいい巨大企業たちの名を頭に思い浮かべると、強制終了は時間の問題にように花子には思えた。


 「…よくよく考えて見たらそれもそうね。かといってこのままだらだら暮らすのも難しそう。初期資金50ゴールドに対して食べたらデバフ効果モリモリの白パン1つ15ゴールドとかするし」


 花子はそこで何かに気が付いたように目をやや瞠り…視線を伏せ、平たい編み籠の上の白パンへと向けた。


 「――いや、待って。私たちカモられてるかもしれないわ」


 再度視線をベウセットへ。経由する形でカウンターテーブルの向こう側に立つ、背中の曲がりかけた微かに震える老婆の方へと向けた。

 今ダイニングへとやってきたプレイヤーと会話し、耳が良く聞こえないのか口を半開きにして半身になり、耳元に手を当てるそれへ…敵意と懐疑が混ざる視線を。


 「それはないな。昨日路地裏に入る前に見た限り、全体がそれぐらいの値段だった」

 

 ベウセットはその話に取り合う様子もなく、今、風で飛ばされて窓に張り付いた必勝法云々書かれた粗末な紙切れを一瞥。言い切ると立ち上がる。

 花子の視線はその動きに惹かれるようにベウセットへと戻った。


 「当面の指針は情報収集だ。手始めに大見得を切ったあの張り紙を張った奴の面を拝みに行くぞ。…何となくどんな面をしているか想像は付くが」


 これからの指針をベウセットは一方的に宣言すると、己の分の白パンを手に、それを齧りながら爪先を宿屋と外を繋ぐ出入り口へと向けた。

 花子はただ言葉はなく、それに着いて行かんと慌ただしく席から立ち、白パンを手に己を気に掛けず外へと向かうベウセットの背を追う。

 召喚者とそれに仕える使い魔。そんな主従の関係。それに…疑問が残る在り様で。

 

 新しい世界の、初めての朝。

 いつもの日常とはだいぶ違う一日はそうして幕を開けた。燦々と照る太陽と朝の冷たさを孕む爽やかな青空の下、目的があるようで無いような…2人組の一日が。




 ◆◇◆◇◆◇




 新しい朝。

 寒いくらいに冷たく吹き抜ける、爽やかな風と今だに衛兵がチェインメイル姿の者どもに対して厳しい視線を向ける街の中、別に寝坊したところで咎める者もないにも関わらず、朝早くから行動を始めた律儀なそれら監視対象の一部は、街の中心へと向かい歩いていた。昨日の晩に貼られたのであろう…必勝法云々書かれている街中に落ちていた謎の張り紙を手に。

 

 美しい見た目の者が6割。元の姿に戻ってしまったのであろう者が3割。異形1割。

 街の中心にある広場に行けば行くほどにそれらプレイヤーと思しき者どもの濃度は増していき、やがてそれらは行き着く。


 ――2つの人だかりがある、昨日自分たちが最初に踏むことになった地面。だだっ広い石畳の広場へと。


 片方はどこから集めて来たか出所不明な、複数の石を積んだ荷車と赤髪の少年と白銀の髪の背の高い女を中心にした集まり。

 もう片方は腕を組み、仁王立ちをする、青、赤、黄、緑の髪色の…それぞれ髪色と同じロングワンピースを着た男4人組とボコボコにされてぐったりする、女性物の下着を身に着けた、細身の男を前に置いた集まり。


 前者は白銀の髪の女が集まった者どもの顔を眺め、腰後ろに手をやって締まりのない笑みを浮かべて左右に歩くだけで特に動きと言うものはなかったが…後者。ロングワンピースの4人組の方に…動きがあった。


 「まさひこが送りし忌々しい鏡により、変貌したプレイヤーの中には…まだ理想の姿を保つ者を妬み、変えようとする者が存在する」


 先頭に立つ、質素なデザインの青色のロングワンピースの男は集まった面々に呼びかける。短い青髪を揺らし…瞳を閉じて、静かに。


 「我々はそういった自暴自棄の犠牲になった。――だが! 皆が皆そうなるわけではない。痛みを知る我々だからこそできることがあるのではないか…我ら鏡砕きの四英傑はそう考えた…」


 演説風に語る青色ロングワンピースの男が広場に集まった面々の注目を集める最中、ベウセットと花子が広場へとやってくる。疎らに集まり行くプレイヤー達に紛れて。

 

 「我らの理想。思い描いた姿を奪い去った鏡。これを根絶する。それがこの鏡砕きの四英傑の目標、痛みを知る我らの使命。失った我らだからこそ…立ち上がらねば…!」


 なんだかおもしろい光景がある。

 20代ぐらいの女装をした四人組の男たちがなんだか糞真面目そうな顔をし、訴えるその有様は花子の口角を上げ、目じりを下げた。


 「だが、我らだけではどうしても確かめられないことがある。それは…鏡の完全なる破壊。無力化の確認…その身を賭してその証明を行ってくれる勇者を募集したい…!」


 だが、そんな道化を見るような目など気にすることなく鏡砕きの四英傑は話し…それによって彼らを真面目な顔をしてみていた者どもに不安の色が広がった。

 間も無く始まるのは他の出方を窺うかのように始まる顔色窺い。否、視線による誰かに犠牲を求めるような無言の圧の押し付け合いが…主に元の姿に戻ったほうが良さそうにも思える異形の者共へと。


 「そんなに見詰めないでくださいよぉ…まだこのニワトリフェイスで生きてたいんですよぉ…」


 中でもなぜかパンツ一丁の唇が黄色く、くちばしのように尖った、真っ白の肌のスキンヘッドの男へと視線は集中。

 彼は周囲から向けられる目、重圧に耐えかねてか両手を頭で抱えて目を閉じた。見た目の奇抜さにしては打たれ弱い。そう思えてしまう、どこか哀れな心底参ったような声を上げて。


 「もちろんタダとは言わない。報酬もきちんと用意した…我々の有り金の全てを…!」


 忽ち空気は不穏な物となり、集まりから人が散り始める最中も鏡砕きの四英傑は動じなかった。

 ただ、語る。自分たちの様な犠牲者を出さないために…力強く。

 そしてその呼びかけは…花子の耳に届き、ベウセットの後ろについて歩いていた彼女の爪先を――向けさせる。人の散り行く鏡砕きの四英傑の集まりへ。


 「有り金と装備全部で手を打ってあげる。どうかしら?」


 チェインメイルを脱ぎ去ればNPCと言っても解りそうにない地味な男。そんな姿の花子は鏡砕きの四英傑の前へと出、歯切れよく言い放ち――周囲の視線を集めた。

 

 「いいだろう。さぁ、こちらへ来い。確かめよう…この忌々しき鏡が死んだのかを」


 ベウセットが立ち止まり、自分を見ていることに安心しながら花子は青いロングワンピースの男の方へ。

 青いロングワンピースの男は最中に小物入れの中から取り出す。バキバキに割れた、まだ原型をとどめた鏡…真実を映す鏡。忌み嫌われる呪われしまさひこミラーを。


 「準備はいいな。オカマちゃん」


 「鏡見てみなさいよ。もっとドギツイのが映ってるわよ」


 確認を取る青いロングワンピースの男。彼の隣に立ち、軽口を返す花子。

 意思確認を目的とする、だが成立しない会話を交わしたのち…青いロングワンピースの男はその手に伏せて持っていたバキバキに割れた鏡を上へと掲げて、上から己とその隣にいる花子が映る様に鏡を向けた。


 そして満ちる。強い光が。己の望みの姿を引き剥がす忌々しい輝きが。


 「ダメかぁー!」


 「まっぶっ!」


 合わせて響くのはロングワンピースの男の諦念の叫びと、その眩さについ上がる少年としての花子の声。

 その声が止んだとき…それは現れる。チェインメイル姿の濃紺色の髪の碧い目の少女が。より集める。周囲の視線を。


 「――ネナベだったんすか…!?」


 「そんなことはどうでもいいの。約束通り出すもの出しなさいよ」


 青いロングワンピースの男は依然変わらぬ姿のまま、驚いた顔をして花子を見ていたが、対して花子は一切態度を変えることなく報酬を要求。生意気に思える不愛想な顔をし、片足に体重を掛ける形で立つと腹部の前で肘を抱える。

 

 「ネカマ…いや、男に二言はない」


 しかし思った以上に潔いもので、青いロングワンピースの男は放る。腰のベルトに取り付けられたショートソードを。小物入れにあった金貨の入った布袋を。

 そしてそれらに続き、他のロングワンピースの男たち…鏡砕きの四英傑のメンバーも同じように放る。有り金と武器を。


 だが――花子はそれを拾いに行こうともせず、表情は眉1つ動かず、愛想のない顔で見据える。青いロングワンピースの男の顔を。


 「服も」


 「へっ?」


 支払う物は支払った。言い逃れすることなく、自分の宣言通りに事を進めた清々しさからか、なんだか達成感を感じた風な顔をしていた鏡砕きの四英傑であったが…花子の一声に目を丸くし…互いの顔を見合わせた。


 「ふっ…服もっすか…?」


 「装備って言ったでしょ?」


 「えぇっ…? チェインメイルで100ゴールド程度の買い取り額。服なんて買い取って――」


 「カモられてるって気が付かないなんてバカね。良いから脱ぐの。ほら!」


 交渉の余地のない怒涛の花子の要求に、タジタジになる鏡砕きの四英傑。

 彼らはやがて服を脱ぎ始める。リーダーと思しき青いロングワンピースの男はしょんぼりとし…他は…なんだか嬉しそうに。

 そして集まる。4本のショートソードと4着のそれぞれ色の違うロングワンピース。ゴールドの入った4つの布袋が。


 花子は小物入れにゴールドを。ショートソードを腰のベルトへ取り付けて…畳まれたロングワンピースを小脇に抱えて顔を上げる。

 

 ――ふと、その時。彼女の視線の先に見覚えのある姿が見えた。

 バンダナとピンク色のエプロン。広場と通りの接続点にて、気に入らなそうにして集まるプレイヤーを幾人かの仲間と見る――その男の姿が。


 その時、確かに交差する。距離は在れど…花子とエプロンのおっさんとの間で、互いの視線が。

 エプロンのおっさんは返す。危機感を腹の内に抱き…踵を。

 鋭く輝く。花子の碧い瞳が。


 「ボスッ! 捕まえて!」


 花子が吼え、振り返った時には既にベウセットはおらず…既に、近くに居た。

 まだ彼女の接近に気が付いていないエプロンのおっさんの直ぐ傍に。

 だが、すぐに気が付く。彼は…身に迫る危険を。


 「うっ…! うわっ…うわあああッ! ウワアアアアーッ!」


 次に響くは男の野太い声。拒絶の悲鳴。口を大きく開けたその顔には…確かにあった。一度コケにされたがゆえに抱いた反骨心。冒険心が齎した結果に対する後悔が。

 声の主は走る。目に見える災難。人の形をした災厄から逃れるべく。


 「ッ! ――ぐおッ!」


 エプロンのおっさんが次に感じるのは交互に動かしていた脚と脚の間に何か硬いものが突っ掛かる感覚。盛大にバランスを崩し、それは硬そうな石板の石畳へと重力により、身体は引かれゆく。

 転んだことによる鈍い痛みを感じる盛大に前から転んだ彼の傍には、ベウセットが投げたのであろうショートソードの鞘が硬い音を立てて石畳の上を転がり…数回ほど跳ねた後に…今、その上で制止した。


 もうそうなってからでは遅かった。

 エプロンのおっさんが石畳の上に身体を横たえたまま顔を上げた時――彼の目の前に現れたるはショートソードの鞘を手に持つ、長い黒髪の美女。

 妖笑を浮かべるそれはエプロンのおっさんの首根っこを乱暴に引っ掴むと彼を引きずっていく。彼が何とかして離れんとした広場の方。花子の方へと。抵抗する暇もなく。


 「喜べ。良いものが手に入った」


 黒髪の美女、ベウセットは囁く。聞き心地のよい、艶めかしい声で。

 だがその笑みは…大変意地の悪いものだ。つい昨日エプロンのおっさんが買った服。それが…20ゴールドの価値がなかったものだと、難を逃れたいためだけに買ったものだと見越したような。


 「もう買い取りは――」


 「はい、ロングワンピース4着とショートソード4本。買い取って。役目でしょ」


 男には時に屈せない時がある。冷静になったからこそ取り戻せる気高さ。矜持。奮い立ったエプロンのおっさんは折れたプライドを取り返し、毅然とした態度で何か言いかけて顔を上げたその時――見えたのは…見覚えのないチェインメイル姿の少女。にんまりと笑う花子の姿だった。

 彼女の声によりエプロンのおっさんの言葉は遮られると同時にそれらは投げ落とされる。にーちゃん4人が着ていたロングワンピースと鞘に収まったショートソードが。


 覚悟を決めた男。エプロンのおっさん。彼の顔は剣を見た時…少し。ほんの少し…明るくなった。


 「…服4着で80ゴールド。剣4本で200ゴールド」


 けれど表情を明るくしていたのはほんの一瞬だ。すぐにつっけんどんな態度になって腰のベルトにぶら下がる大きな布袋を取り、エプロンのおっさんは金貨を数え出す。

 今己が言った金額――それ以上出すつもりはない。そんな、一徹した態度で。


 そんな彼の背後にはベウセット。前には…花子。

 エプロンのおっさんを前後から挟み撃ちにする形で立つ2人はアイコンタクトを取る。ベウセットは不敵な笑みを口元に浮かべ、花子は買い取り額が気に入らない様な顔で。

 そして向く。静けさに不安そうな雰囲気を漂わせ、額に汗をうっすら浮かべ始めたエプロンのおっさんの方へ…2人の視線が。


 「私から買い叩こうったってそうはいかないわ。剣1本1000ゴールドで買いなさいよ」


 「無茶言うんじゃねえ。ただでさえ同型の鈍が飽和状態だってのに」


 「それっぽい事言えば何とかなると思ってるわね」


 「んな訳あるか。昨日だけでどれだけ同じもん買い取ったと思ってやがる。次から次へと同じようなもん揃いも揃って持ち込みやがって。買い取ってもらえるだけ有り難いと思えってんだ」


 ベウセットと花子がエプロンのおっさんに絡むことによって、広場にあった集まりは2つから3つへ。

 ゲームの世界でも律儀に早起きした野次馬に囲まれながら、花子とエプロンのおっさんは言い合う。前者は鼻から買い叩かれていると決めつけたように。後者は…論理的に、落ち着いた様子で。


 そしてその集まりに…1つの影が歩み寄る。行動を起こさず、人が散り行く集まりの1つ…その中心、核であった人物が…赤髪のあどけない表情の少年とごく少数を引き連れて。


 「ご主人、カツアゲは良くないぞ」


 花子にとってはこの事態の諸悪の根源とも言えそうな女、オルガはベウセットの背後から顔を覗かせ、なんとも癇に障る言い方、言葉選びで言う。

 その言葉を掛けられた花子は上唇の角を気に入らなさそうに上げ、視線をベウセットに首根っこを押さえられたエプロンのおっさんからベウセットの背後に立つオルガへと向け…その視界の端にいるベウセットは、なんだか決まりの悪い顔をし、鼻からため息を吐いた。

 けれど誰に対してもオルガの存在が都合が悪いかと言うとそういう事でもない。エプロンのおっさんにとっては思わぬ増援であり、なんだか期待を抱いたように目を真ん丸くして振り返り、見上げる。今さっき取り戻したばかりのプライド。そんなもの微塵も感じさせぬ瞳で。


 「ボス、オルガにビンタ」


 花子に一言命令されたベウセットは、時を見計らっていたかのようにエプロンのおっさんの首根っこから手を離し、振り返りざまに手の甲で、斜めに打ち下ろす形でオルガの頬に向けて放たれる。


 「イタァイ!」


 腰の入った綺麗なフォームでのそれは、防御しようとも避けようともしなかったオルガの頬を気持ちの良い音とともに叩き、真っ向から受けたオルガに悲痛な叫びを上げさせた後、頬を両手で押えさせた。

 その光景は花子にとっても、ベウセットにとってもスッキリするもので、この世界に自分を連れ込んだ使い魔、同僚への制裁にその2人の表情は幾分か爽やかな物となる。


 「ふむ…割と本気で痛がっているようだし、剣で刺されでもすると死ぬほどの痛みがあるかもしれんな」


 「当たんなきゃヘーキよ。ヘーキ。でも私は自信ないし、守って欲しいわ。全力で」

 

 ベウセットはオルガの頬を叩いた感覚残る手を見下し、呟き…花子は頬を摩る痛がるオルガを見据える。他力本願な言葉と共に。

 あまり気が強くないのであろう。オルガと行動を共にしているのであろう赤髪の少年は何か言いたげであったが、何も言わず…その間に再び花子が口を開く。


 「それで良い事思い付いたとか昨日言ってたけど、どうなったのよ。必勝法云々書かれた張り紙が街中の至る所にされてたけどアンタの仕業じゃないでしょうね」


 とりあえずオルガに対して溜飲が下がった花子は胸の前に腕を組み、片足に体重を掛ける形で立ながら、話しかける。

 ――その間に金貨の山を置き、剣と丸めた衣類をもってエプロンのおっさんが逃げ出すが――気にしない花子もベウセットもオルガも。必死の形相で走る彼のことなど。


 「――ふふ…そうだな。良いだろう。謎のオカマ4人衆の話も終わったようだしな。語ろう…このオルガさんが」


 オルガは促されるままに頷き、両目を閉じて味わい深い顔をすると踵を返し…昨日知り合ったのであろう赤毛の少年の方へと振り返った。

 いつの間にかその手には蠢く謎の袋が握られており、彼女はその中に徐に手を突っ込み、引っ張り出す。

 ――一角角の紫色のウサギを。首根っこを押さえつけた状態で。


 「集まってくれたお前たち。必勝法云々書かれた胡散臭い紙切れを撒いた張本人…オルガさんだよ。まずこれを見て貰いたい。これは何の変哲もないオルガさんのステータスだ。HPは970だね? これを良く見ておきたまえ」


 右手に首根っこを捕まえた一角の兎。左手を小物入れに差し込み、オルガはステータスが目面を表示させた。

 やっと始まったオルガのレクチャーに周囲の目は向く。そして広がる。円形に。オルガを中心に人の輪が。


 「少年、やれい!」


 「フンガー!」


 注目が集まる中、オルガは吼え、それを合図に赤髪の少年ライバックが小物入れの中から石ころを1つ取り出し、今、それをオルガに投げつけた。


 「イッタァイ!」


 石ころはオルガの腹部へ直撃。痛みを訴える悲痛な声と共に…HPバーが僅かに削れた。


 「――見ていたかね? お前たち。何が起きていたのかを。さっきまでのオルガさんのHPが970。今のHPが920…」


 一息置き、何事もなかったかのようにオルガは次に己の前方へと右手を突き出す。――首根っこを押さえつけられ、大人しくなった一角の紫色の兎。それを周囲に見せつけるように。

 そして次に対の手。浸りでの人差し指をピンと立てて指差す。群衆に混じるメガネをかけた…黒髪の、無難な髪型の、仏頂面でノッポな男へ向かって。


 「次だ。そこのめがねくん。こっちへ来たまえ。協力してほしい」


 ――人手が必要なら自分たちを使えばいいのに。

 

 オルガに近寄るめがねくん。めがねくんを指名したオルガ。

 なんとなくそれに寂しさを感じる花子は口を尖らせ…見守る。オルガを、背後から。


 「あぁ、紹介が遅れたが…お集まりの紳士淑女の諸君は知っているかね? 街の外の草原に跋扈し、畑を荒らす…この世界。まさひこのパンケーキビルディングのヒエラルキー最下層に位置する、この紫色の哀れな奴を」


 オルガは言葉を紡ぐ。聞き慣れない名称と共に、一角の兎を持った…その手を高々と頭上にあげて。

 それは相変わらず脱力した様子でこれと言った身動きはしていないが、生きているようで短い前脚が空を掻く。リアルの世界であれば動物虐待の現場、もしくは食用兎の処理前と言った様相を呈すが、誰もそれには口を出さない。


 「せんせー! まさひこのパンケーキビルディングってなんですかー!?」


 そんな中、群衆の中に混ざっていた十代半ばぐらいの少年が手を上げ、一方的にオルガの話に割り込んだ。恐らく誰もが思ったであろう疑問。その答えを求める問いかけを投げかけて。

 この群衆の中でそれに対した意味がないことを理解しているのはおそらく花子とベウセットぐらいだが…2人の呆れたような、冷ややかな視線を背に受けつつ、だが、一切気にした様子無くオルガは口を開いた。


 「早くもこのゲームの世界の名前を忘れてしまったオルガさんが新たに命名した名だ。嘆かわしいかな。長生きしているとどうでもいいことは直ぐに忘れてしまうんだ」

 

 「なるほどぉ…あっ、口挟んでスンマセンした。続けてくれて大丈夫っすよ!」


 「おう、何かわからないことがあったらまた聞いてくれたまえ。遠慮なく!」


 馴れ馴れしいとも言えるが、話しやすいのは確かなオルガ。早くも人心を集めつつある彼女は…ゆっくりと腕を下ろし、中指で一角の兎の耳を爪弾いた。


 「動物虐待はまずいですよ!」


 「人聞きの悪い表現は止めたまえ。こいつは日々畑と言う補給路の破壊を試み、昼夜問わず奇襲…人々への兵糧攻めを仕掛けるモンスター、害獣だ。そういった理由でも、糧ともなるという意味でも殺される理由は十分。苦しめることは本意ではないが…今は目を瞑れ」


 群衆の中から上がる非難の声を物ともせず、オルガは何も言わずともステータス画面を開いたライバックの元へと兎を突き出した。

 ある程度打ち合わせが出来ているようで、ライバックもオルガと同じように一角の兎の耳を爪弾き…次にオルガは、身をやや捩るそれをただ淡々とその場に立って居た、黒髪で目の据わったノッポな男。めがねくんへと向けた。


 「昨日街の外へと出てこの哀れな奴を狩った人はこの場にいるだろうが…こいつを倒すと10EXPを貰えるのはご存知かな? そのことを念頭に置き、これからの成り行きをどうか静かに見守って貰いたい」


 次に、オルガの視線は周囲の群衆からメガネ君へと向いた。


 「めがねくん。ステータス画面を表示した上でこいつを楽にしてやってくれ。変えるのだ…糧に」


 「わかった」


 めがねくんは淡々とした表情のまま、オルガからの言葉を聞き届けると小物入れに指を差し込みステータス画面を開く。レベルは1。EXPは33。今この場で開かれているオルガとライバックのステータスと五十歩百歩。団栗の背比べの様なステータスが合わせて並ぶ。


 「オルガさんのEXPが50。少年のEXPが81。めがねくんのEXPが33。このパラメータが今からどうなるかよーく見ておくのだぞ。曇り無き眼で」


 オルガが群衆に語り掛ける中、めがねくんは腰にあるショートソードを抜くと…こちらに再度顔を向けたオルガとアイコンタクト。頷いた後に身動きの取れない一角の兎の頭をショートソードの腹で強打。失神させた後…右胸を突き刺す。

 リアル描写を売りにするようなゲームではない故か、血などは出ず、赤い光の粒子を微かに散らせるだけ。失神させた上であったがゆえにこれと言った動きはなかったが…オルガとライバック。そして、止めを刺したメガネ君のEXPに変化があった。


 「皆の衆! 見たかね? 今オルガさんと少年のEXPが5上昇し…止めを刺しためがねくんは10上昇したのを」


 貫かれた箇所に赤く発行する傷跡が残る動かなくなった一角の兎。ショートソードが抜かれたそれをオルガは己の隣にいたライバックの胸に押し付けた後、両腕を開き、周囲の群衆を見まわす。歩き回り、身体の向きを変えながら。

 彼女が見せた投石の威力。EXPの取得条件…そして場に並ぶ複数個の荷台とその後ろに積まれた石の山。もうそれだけで言葉は要らなかった。彼女が何を為そうとしているのかなど。必勝法がなんなのかなど。


 「もはやこれ以上語るまい。これから我々は圧倒的な数を最大の武器とし、投石の雨霰で立ちふさがる者全てを打ち倒す! さあついてこい…! 羊の群れを獅子として歩む者たちよ! 我々の輝かしい未来への道は肉と毛皮で舗装されている。捕食者としての心を持ち、未だに夢の中でスヤスヤな羊ちゃん達と差をつけるのだァッ!」


 「オーッ!」


 高らかに宣言したのちにオルガは天に右腕を高々と突き上げた後、どこから集めて来たのか出所不明の、石を目一杯積んだ荷台の内の1つへと歩み寄るとそれを引き始めた。

 居合わせた大多数もそれに呼応。荷台を引いて後へと続いていく。


 「少年! 大猟を期待して待っていてくれたまえ! そしてその哀れな奴を素材屋とか言うところに持って行ってどうなるか見届けるのだ。後は段取り通りの頼む!」


 進み始めたオルガであったが、何か思い出したように振り返り、ビシッと人差し指を立ててライバックの腕の中にある、ぐったりして動かない一角の兎の死体。彼女はそれに指を差し言い…ライバックはそれに何度か頷く。声もなく、コクコクと。


 「あっ…あぁ、うん、やっとく。いってら~!」


 まだオルガになれていないのであろうライバックはなんだかテンパった様子で声を絞り出したのち、頷くと肘を立て、拳を握って見せたオルガが上る太陽の方向へと顔を向け、進み始めたオルガの後姿を見送る。

 そしてその背後に続くは…昨日オルガと自分とでなけなしの金を出し合って借りた、もしくはパクった石を積んだ荷台を押す獅子の歩みを始める者たち。

 それらは朝日に照らされて真直ぐ…影を落として進んでいく。

 己自身の身体能力でもなく、剣の鋭さでもなく…数と手数、知恵、チームワーク。人をヒエラルキーの頂点で在らし、捕食者の中の捕食者で足らしめた最大の特性。人としての最も強い力を武器とする者どもが。戦う前に勝利を確定させる者たちが。

 そろそろプレイヤー達が本格的に活動を開始するであろう早朝。爽やかな風が流れるその時に。 

ここにきてようやく主人公が真の姿に戻るという。女主人公が見たくて読み始めたはずだった人は既に脱落しているかもしれんな…だが、引かぬ、媚びぬ、顧みぬ!

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