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伝説の原点

人の幸せを見ているぐらいなら破壊してしまいたい。

そんなダークな考えを持つ人がいるそうです。私は人の幸せを願えるような人になりたい。


 青白い光で満ち溢れ、澄んだ空気の向こう側にある星空。

 夜の黒をバックにした、星や月が発する、見る者を落ち着けてくれる青が織りなすゲームの世界の夜。

 その下にて…白銀の髪の女。オルガの姿はあった。


 「うーん…長生きしてると色々ありますなぁ」


 街の中を行きながら、彼女は呟いた。

 道行く市民と思われるNPC、プレイヤー達を観察するかのように立つ衛兵。それら以上に過密に存在する…容姿と言う観点からの玉石混交のプレイヤー達。

 全体的に互いを監視し、ピリピリする街の中を見まわして。

 彼女が注目するのはまさひこの配った鏡。それを使用されることを恐れ、目を引ん剝いて疑心暗鬼に陥り、互いに互いを監視、警戒する玉石の玉側のプレイヤー達の姿だ。


 「ちぐじょーッ! お前らだけずるいずるぅい! こっちの世界に来いよォ!」


 相互監視。静かなる恐慌状態であるそれらを見ていると、オルガの背後から声が響いた。

 彼女が振り返れば、鏡を手に息を荒くする…広場で見たような気がする、頼りないほど細いワンピース姿の男の姿。それは鏡を手に、力いっぱい吼え…向ける。プレイヤー達に。映す…鏡の世界の中に。


 「ウワー!」


 「元に戻ってたまるかッ!」


 「やめろぉー!」


 「どうしてこんな酷いことするのー!? おにーちゃぁぁぁーん!」

 

 失う物が無い人間が起こした凶行は、場に阿鼻叫喚の大参事を呼び…変わっていく。真実の姿に。大凡の人間が見て、魅力的であろう仮初めの姿を持つ者たちが、鏡に映されて。

 中には咄嗟に倒したテーブルの影に隠れ、はたまた店の中に引っ込んで。やり過ごしたものは居たものの、反応できたのはあまり多くはなく、4人が犠牲となった。

 ――所謂ネカマ。青、赤、黄、緑の髪色の、髪色と同じのロングワンピースに身を包む…その4人が。


 「ふひゃひゃひゃひゃひゃーッ! これでお前たちも俺の仲間だぁ! やっぱり両親からもらった姿が一番! 偽ってはいけないよ! 君達ィ!」


 人は時に自分が満たされなくとも…不幸な自分の元に見ず知らずの他人を引きずり込んだ時、幸せを感じる物だ。暗く満たされていく感覚を。

 きっと彼…細身のワンピース姿の男の心境は今まさにそんな感じなのであろう。彼は高らかに笑う。どう見てもヤケクソ…自暴自棄な様子で、涙を流しながら。

 

 「お前ーッ! ゆるざんッ!」


 「グハァッ!」


 だが、攻撃は報復を呼ぶ。

 たった今、訳もなく奪われ、守る物が無くなった…案外見てくれは普通…というより引き締まった体格で、各々癖はあるが見方によっては良くも見えそうな4人組の憎しみを。

 人が最も獰猛で、強くなれる…攻めあるのみの、捨て身にすらなれる…ある種の無敵の状態となったそれらのうちの1人。青髪、青いワンピース姿の男が鏡を翳した細身の男を殴りつけたのをきっかけに、赤、黄、緑の他3人は寄せ集まった。


 「っざけんじゃねー!」


 「どうしてこんな真似をしやがったァ!」


 「よくもオラー! 許さねェ!」


 「にーちゃんおっらぁーん!」


 キャラ作りのない魂の叫び。嘘偽りのない我での咆哮を合図にそれは始まる。きっと初期装備のチェインメイルを売って手に入れたのであろう、質素なワンピース姿の現実世界の姿となった男たちが寄って集って…不届き者への制裁を。


 「アァーッ! ヤメテクレェ!」


 凶行を起こした細身のワンピース姿の男は石畳の上で亀のように丸まり、両手で頭を押さえながら絶叫。その背に憎しみの籠った暴言と拳や蹴りが降り注ぐ。女装した4人組の四肢による、情け容赦のない攻撃が。

 オルガはその様子を…集まり始めた野次馬に混じって眺めていたが、ふと…今制裁される細身のワンピース姿の男を注視していると、彼の辺りにうっすらとパネルが現れた。


 現在進行形で物凄い勢いで削れるHPゲージ。それはやがて削り切られて…細身のワンピース姿の男は悲鳴を発さなくなり、動かなくなる。

 けれど周囲のプレイヤー達は勿論の事…彼をリンチしていたプレイヤーも何かまずいことをした、見た…と言う感じでもない。


 横に蹴っ飛ばされて仰向けになる細身のワンピース姿の男。HPゲージは削られ切りはしたものの…彼の腹部は微かに動いていた。それは呼吸の証拠。少なくとも身体は死んではいないようだった。

 

 「都市属性のフィールドじゃ死なないって書いてあったけど…どれぐらいで復活すんだろ。後2回ぐらいリスキルしないと気が済まないんだが。詳しい人いません?」


 「いんや、わかんねっす。リスキルには賛成ですけど…なんかさっきまで居た衛兵居なくなってるし、逃げた方が良さそうじゃないっすか?」


 「そーですよ。明日また見つけ出してボコろう。今日はとりあえず身ぐるみ剥いで放置で」


 「あぁ~、そうっすね~。そうしましょう」


 凶行の被害に遭った4人。青、赤、黄、緑はこの上なく不機嫌そうな顔をして会話を交わし、早々に細身のワンピース姿の男の身ぐるみの一切合切をはぎ取ると人込みへと消えていく。スカートの端を揺らし、悠々と。

 その後姿は…彼らがきっとこの世界の中で信頼足る仲間同士としてやっていけるであろうことを見る者に思わせるには十分な…眩しい物であった。


 そんな4人組などには見向きもせず、女性物の下着姿だけとなった細身の男へと視線を落としていたオルガは、特に何か思った風もなくそれから目を離し、再び歩き始める。

 散っていく野次馬と共に…街の中。その中にある…気になる物に目星をつけて行きながら。


 「…とりあえず装備売るか」


 ふと、オルガは思い立ったように呟く。街の中心であろう広場から、その外側へと続く道を行く中で…鎧と剣。それらが描かれた吊り看板を見て。

 ショートソードをベルトから外し、チェーンメイルを脱ぎ…その下に着ていた麻色の粗末なチュニックとズボンの姿で、装備を丸めて小脇に抱える。その後で、吊り看板の店へと歩を進めた。


 「たのもー!」


 両開きの扉を開け放ち、オルガは大声を発する。

 そこそこ広い板張りの店舗には、武器が並ぶ武器棚、ラックを背面に置いた横長のカウンターと出入り口右手に仕切りを経てある、2人掛けソファーにローテーブルが挟まれた、小さな待合室のような物も窺える。

 今、場に居合わせたプレイヤー、NPCの一部はオルガの声に肩を跳ねさせたりはしたが…それも一瞬。訝し気な顔をし、オルガを一瞥した後で、彼らは視線を元在った場所に戻した。


 「ったく、どうなっちまってるんだか。どこからともなくうじゃうじゃと…訳が分からねえ」


 「また見ないお客さんだ。大繁盛だな。衛兵も忙しそうにしてたっけ。奴らも見回りに飽きただろうし、仕事くれてやったらどうだ?」


 「うるせぇ。ボコられて凄まれて…その上で汚ねえ服買わされたんです、助けて下さいって言えんのか?」


 「いい方ってのがあんだろうが。そんなんでこの先大丈夫かよ」


 カウンターの向こうに立つ頭にバンダナを付け、ピンク色のエプロンが特徴的な厳ついおっさんと…カウンターに両腕を置き、前のめりになる若作りな髪型のおっさんがカウンター越しに話す声を聞きつつ、オルガは店内を見て歩く。

 日本のゲームであるからだろう。店内にある武器への説明や、値段表記は大凡日本語。他に目につくものがあるとするならば、アルファベット、簡単な英単語。聞こえる話し声は全てが全て日本語だ。例外はない。


 「――まぁ、その辺はな…あんまり大っぴらにできねえ理由があんのよ」


 「…汚ねえ服を高値で買ってくれる変態が居たとか?」


 「そう――」


 「あー、待て、言うな。今当てるッ…なんつったっけ…繁華街でパン屋やってるおっさんだな?」


 この店に満ちる話し声。武器防具を吟味するプレイヤーの呟きや…それらの断片的な話し声。

 中でも目立って聞こえるのは世間話をするこの店の店主なのであろう…エプロンのおっさんと、彼に向けて手を開き突き出したこの店の顔馴染であろう若作りな髪型のおっさんの世間話。

 大凡プログラムとは思えない…人と変わらすそれに疑問を抱いた風もなく、オルガは何げなく武器棚を眺めつつ…カウンターテーブルへと進んでいく。

 目に付く武器の値段は大凡5000ゴールドからが相場。防具に至っては10000からがスタートラインだ。


 「――読みが甘めえな。あの病気野郎は靴しか受け付けねえらしいぜ」


 「じゃあ何よ?」


 「うちの店の窓ガラスに物投げ込みやがった坊主がくれた置き土産が割と良いものだったって訳さ。ほれ、この剣。刃こぼれ1つしてねえピッカピカの新品だ。鈍だけどよ」


 「なるほど。まぁ、窓の修復代と13ゴールドの損失埋め合わせるには十分過ぎ――」


 日本の接客業では考えられぬ接客態度。

 客かどうかも怪しい顔なじみと、依然変わることなく世間話に洒落込むエプロンのおっさんはカウンターテーブルの下から剣を取り出し、見せつけ――その世間話の相手である若作りな髪型のおっさんの隣にオルガは立つ。


 「ってなんだ、てめぇ」


 カウンターテーブルの上に剣と丸められたチェーンメイルを置き、横から辛辣な視線、言葉を掛けられながらも…一切気にした様子無く。


 「オルガさんだ。買い取ってくれたまえ」


 「おらよ。150ゴールドな。交渉はしねえからそれ持ってどっか行っちまえ」


 きっと他のプレイヤーから似たような取引を、定型化出来るほどしてきたのであろう。エプロンのおっさんはオルガが何かを言い始めたところでテーブルの上に布袋を置いた。

 オルガは触れるとザクザクと音を立てる布袋を右手で引っ掴み、踵を返す。交渉する素振りも見せずに。


 「ご苦労、おっさん。邪魔して悪かった。後は好きなだけイチャイチャしてくれたまえ」


 適当に礼を述べたオルガは…店の出入り口へと向かい始める。右手に握った結構な重みの布袋を投げ、キャッチして…手遊び道具にしつつ。

 その背に向かい、若作りな髪型のおっさんはカウンターに向かい合いながら中指を立て、エプロンのおっさんは買い取ったチェーンメイルとショートソードを腕に抱え、店内の裏手にしまいに行く。


 それらの間は扉の開閉音と共に物理的な隔たりが出来た後、双方観察できない形となり…その一方。オルガは再び夜空の下に。今度は情報を求めて酒場を探し始める。結構な密度である人が行き交う道を行きながら。


 行く道行く道にプレイヤーを監視する衛兵の集まりと…鏡、まさひこミラーでの凶行を恐れた風にし、店の中や路地裏の物陰で息を潜めるプレイヤー達。それらを不安そうに見、道を行くNPC。街の中の様相は何処も変わりはしない。

 そしてそれらは…オルガに理解させる。きっと人の集まる繁華街には…人、プレイヤーは余り存在しないであろうということを。




 ◆◇◆◇◆◇




 空が暗くなってしばらくした時。お腹は減り、夕食が食べたくなるであろう時間帯。

 今日2度目の夕食時を迎えたオルガは、夜空の下を歩いていた。疎らに立つ建物、代わりに増える広葉樹。緑の織りなす街並みの中を。

 広場から離れるごとに人は疎らに。同じような外観の、だが間取りは違って大きさなどに違いが窺える建物が増えてくる。

 それらは幾つかのパターンが見られ、オルガの関心を寄せるが、すぐに彼女の関心は正面に見えて来た板張りの、入り口にスイングドアを取り付け、泡立つビールと思しき液体が入った木製ジョッキの描かれた吊り看板を下げた酒場へと向く。


 少し歩き、件の酒場の前へ。

 入り口の木製のスイングドアの向こうは薄暗く、良く見えず…微かに紫煙の香りはするものの、話し声は聞こえるが酒場とは思えぬ静けさだった。

 けれどオルガは立ち止まることなく、オルガはスイングドアを押す。

 大凡酒場とは思えぬ異様な空気のその場へと、踏み入れるべく。


 ――この間読んだグループ同士で殺し合う、デスゲーム物の漫画みたいな雰囲気ですなぁ。

 

 そう心の中で呟くオルガの青みの強い瑠璃色の瞳、左目が見据える先には…薄暗い酒場の中に満ちる見た目の良いプレイヤー達の姿。

 彼ら彼女らはボックス席を陣取り、姿勢を低くして店に入ってきたオルガを見据えていた。何処か怯え、警戒するかのような眼差しで。


 「安心したまえ。オルガさんはお前たちをまさひこミラーで攻撃しようなどとは思っていない。怖くない。怖くないとも」


 オルガは声高々に宣言しつつ、両腕を軽く広げ、足を止めることなく誰も座らず、据わろうともしないカウンター席に着いた。

 正面に見える酒棚の上に吊り下げられたメニューの書かれた木版を眺めながら頬杖をつく。


 メニューは…値段は高くても30ゴールドを行かないほどで、洗礼されたものとは程遠いもの。店の入り口に掛かっていた吊り看板から解る通り、酒がメインであり、料理は二の次だ。


 「お客さん、注文は?」


 何を注文するか考えているとふと、前から声が掛かる。

 オルガが視線を上方から真直ぐへと向けてみれば、エプロンと取って付けたようなコック帽姿の赤髪のウルフヘア、吊り目の…現実世界の花子とそう歳は変わらないであろう少年の姿。余り気乗りしない雰囲気、表情でこちらを見据えてそれはいた。


 「そうだなァ…この店で最高級の料理を提供してくれたまえ。この金全てで」


 少し前に装備を換金して得た金の全てが入った布袋をオルガは一切の迷いなく置き両肘をカウンターテーブルの上に着くと、己の顔の前で両手を組んだ。

 その向こう側にいる、あどけなさ残る…オルガの差し出した財布の中身を見て目を引ん剝く赤髪の少年を一瞥した後、店内の様子に視線を移して。


 「しかし…こんなNPCが居るということは…まさひこは児童労働を良しとしている訳か。2100年の今を生きる現代人とは思えん価値観だな。全く。少年、エビの殻剥きとかさせられてないかね?」


 「…いや、俺はNPCじゃないけど。プレイヤー。てかいいの? おねーさん。こんな荒い金使いして」


 酒棚の酒。恐慌状態にあるプレイヤー達のテーブルに並ぶ、財布の中身を気にしてのシケた料理。それらを見るオルガの言葉に、少し時間を置いて赤髪の少年は反応し、視線を眩い金貨が敷詰まった布袋からオルガの方へと上げ…言葉を返す。

 己の身分についてと、訳の分からない金の使い方をするオルガを心配してのものを。若干…呆れ混じりに。

 だが、オルガの態度、表情は変わることない。手を組んだまま財布に手を伸ばそうという素振りもない。彼女はそのまま組んだ両手越しに赤髪の少年を見据え、口を開いた。


 「この柵の中に押し込められた羊の群れの中を獅子として歩むには…剣を研いでも意味はない。解るかね? 戦術ではなく戦略。先を行くには情報が最重要なのだと」


 「高い料理食べてそんなん解るもんなの? なんかピンと来ないけど」


 「貨幣と言う概念がある以上、金は力。金貨の山の玉座に座る者は同時に権力と暴力を手中に収めるものさ。だからこそ台所の大魔術師と呼ばれたオルガさんがお玉とフライ返しをその手にしたとき、どの程度ものが立ちはだかるのか…知っておく必要がある」


 迷いのない態度。それっぽい理屈。だが、拭いきれない胡散臭さ。

 そんなオルガを目の前にしても…きっと彼、赤髪の少年優しいのだろう。1人の客として放っておけばいいものを、彼はそうしようとはしなかった。


 「すっげー自信。でも…だったら尚更この金全部って言うのは――」


 「少年よ。2度は言わせてくれるな」


 思い遣りからの一声は、一蹴されて…赤髪の少年の顔をいじけたようなものに。その口を尖らせさせた。


 「…俺は知んないからな。どうなっても」


 赤髪の少年はそう言って両手でオルガからの金の入った麻袋を掴むと、少しばかり時間をかけて中身をテーブルの上に並べ、確認後、再度袋に詰め直すとそれをカウンターテーブルの下へ。

 その後で踵を返してカウンターテーブルの向こう側。酒棚の左サイドにある厨房の入り口へと向かう。


 「店長ぉ、150ゴールドでここ最高の料理作ってくれってお客さんがぁ」


 右手を酒棚の端に、左手を厨房入り口のドア枠に置きつつ、赤髪の少年はなんだか言い辛そうに注文を述べる。


 「あぁ~!? 次から次へと料理料理って…ここは酒場だってんだよ。ッたくよォ! 店の外の吊り看板が鉄板焼きのステーキにでも見えてんのかよォ! 連中の目ん玉にはぁ!」


 「うひっ…俺には泡立つビールに見えてますよぅ」


 「っせーッ! ったりめーだバーカ! 料理頼んだ冷やかし野郎に適当に酒でも出して教えてやれ! ここがどこなのかってな!」


 その彼が見据える厨房の向こう側から返ってくるのは…怒り上ずった、力強い男の声。

 その声に赤髪の少年は肩を縮こまらせて目を強く瞑り、ご機嫌を取るかのような返答をするが…返ってくるのは怒鳴り声と、怒りながらもしっかりとオーダーを熟すべく、準備をする音だけだ。


 「っこえ~、めっちゃ怒るやん…働くってのは皆こうなのかぁ…やってけるかなぁ」


 赤髪の少年はオーダーを伝え終えた後、カウンターテーブルの辺りに戻ってくる。厨房の方を振り返りつつ、小声でブツブツ言って。

 けれど仕事はきちんとこなす質のようで、酒棚から黒いミニボトルを1本取るとそれをオルガの前へと置き…彼女は己の前に組んでいた両手を解く。


 「少年、君はなんて言うんだ? どうしてチャンバラを楽しむこの世界の中で嫌々酒場のバイトをしているのかね?」


 「えぇ~、話しかけてくんのかよぉ」


 「ここは酒場。オルガさんはお客さん。付き合いたまえよ」


 己の前に戻ってきて黒いミニボトルを取るまで赤髪の少年を注視していたオルガの視界には、今、赤髪の少年の辺りにうっすらとHPバーが表示される。

 注視をすればその対象のHPを見ることができる事。しかし表示までには結構な時間が掛かる事。後者から戦闘中には使えないであろうことを理解し、彼から視線を外したオルガは己の前にある黒いミニボトルを手繰り寄せて手に取る。

 それは手作り感の凄く、なんだか味のある葡萄の絵が描かれたラベルが貼られたもので、瓶の形も歪。最近の生活では余り触れる機会のなかった懐かしさのような物を感じながら、オルガはコルクを親指で抜く。


 「…俺はライバック。バイトしてる理由はー…そのー…死にたくないからぁ…かなぁ」


 「おやぁ? まさひこの言っていることを真に受けてる感じかね?」


 赤髪の少年ライバックは前のめりになってカウンターテーブルの上に両腕を置き、寄りかかりながらどこか言い辛そうに言葉を紡ぎ、カウンターテーブルの上にコルクを置いたオルガの指摘に少しばかり頬を染めた。恥ずかしそうに、誤魔化すようにジト目になって視線を横に逸らしつつ。


 「うるさい、ホラかもしれないけど本当に死んだら嫌だろ。実際あいつが言った通り帰れなくなってるし…」


 オルガはミニボトルに口をつけ、一口ワインを飲み…ボトルを眺める。もっともな意見を述べるライバックの言葉に耳を傾けながら。


 「少年らしからぬことを言う。アニメとか漫画では君のような若い少年少女が世界を救うじゃないか。あれらの視聴者や読者が望むシチュエーションが今まさにだ。そうなりたいとは、活躍したいとは思わないのかね?」


 「憧れない訳じゃないけど…。やっぱ身の程を弁えるのは大事だと思う。殴り合いの喧嘩すらした時ない俺が、剣で斬り合ったりできるとは思えねーもん。…ビビりだし」


 まさひこを侮ったというよりかは…命そのものを度返しした意見。

 命を大切であると考えたのであれば、到底聞き入れられないオルガの問いへのライバックの反応は、当然な物だろう。

 彼は視線を合わせようとしないまま言葉を紡いでいき、段々と声を小さくしていきながらバツが悪そうに唇を尖らせる。

 そしてそれは…オルガに1つの疑問を抱かせる。普通であればモンスターを主な攻撃対象とするであろうこのゲームの世界で…なぜ、ライバックは対人戦闘を想定しているのか…と。


 「利発な子だ! 君ぐらいの年頃の子はどんだけボロカスにされていようと、蔑ろにされていようと根拠もないのに自分は凄い奴だと肯定するものだと思っていたが…そう考えるに至った理由がありそうだな」


 オルガはワインボトルを持ったまま肘を立て、その手の甲で口が隠れる形に頬杖をついてライバックを見据える。やや顔を傾け、上目遣いに。

 誤魔化すか、素直に話すか。少し迷ったように目を泳がせた後、ライバックは目を伏せた。


 「…街の外で見たんだ。5人組のパーティーが筋肉ダルマみたいなアバターの奴に秒で切り伏せられるの。そういうの見たらさ…やっぱ怖くなるよ。ぜってえ勝てねえもん」


 小さな声で…彼は答える。己をそう変えてしまった切っ掛け。光景を。

 けれどそれはまさひこが出てくる前の話だ。安易に殺人になるかもしれない事をする者がいるだろうかとオルガは思う。確かに――可能性はゼロではないと理解しつつも。


 「状況は変わったろう。豚箱にぶち込まれる可能性があると認知した上でプレイヤーを狩猟対象にする、脳みそ縛りプレイの天然記念物がいると思うかね? 滅茶苦茶治安の良い現代日本の価値観で。もう2100年だぞ? 少年」


 「そうかもしれないけど、万が一ってのがあるだろ。…とにかく、俺のことはいいよ、ゲーム終わるまでここでバイトするから」


 見方によっては皮肉にも聞こえそうなテンションでのオルガの発言にもライバックは気を立てることもなく返し、厨房の方から聞こえる調理音が聞こえなくなったのに反応して踵を返す。


 「重てぇぞぉ、こいつぁ。落とすなよぉ」


 「落としませんって…大丈夫、大丈夫…って…マジで重ッ…! ふおぉっ!」


 向かった先の厨房にて、この店の店長とライバックの話し声が聞こえた後、彼は戻ってくる。

 縦ではなく幅のある…ガタイの良い子豚の丸焼きをど真ん中に置き、周辺を揚げたトウモロコシやジャガイモ、玉ねぎが添えられ…申し訳程度の葉野菜をそれらの下に敷いた…銀の大皿を両手いっぱいに抱えて。

 

 その量はまさに――嫌がらせ…悪意を感じるほどの物であった。


 ――殴りに来るかね。肉と穀物で。


 オルガの左目は鋭く輝く。足取りがやや不安なライバックの両腕に抱えられる、酒場で出る物として外見的に意外性のないその料理を目の当たりにして。

 

 「お待たせっ…あぁ、重かった…」


 「ご苦労」


 ライバックは鈍い音とともに抱えた大皿をオルガの前へ。

 その最中オルガは己の状態を見たい。そう心の中で思いながら小物入れの中にある、クリスタルへと触れて己のステータスが載ったパネルをポップアップさせ、それから大皿のサイドに添えられたナイフとフォークを両手に握る。


 宙に浮く半透明の、青白い光を放つパネル。オルガのステータスを現すそれは、上からプレイヤーネーム。EXP、レベル、生命力、力、持久力と来て、最後にスキルと言う項目が表示されていて、EXPは20。レベルは当然1。生命力、力、持久力は10とパラメータが書かれている。スキルに至っては詳細が見えないが…その機能を始めて目の当たりにしたのであろう。ライバックは目を丸くした。


 「それ初めて見た。どうやってやんの?」


 「ステータス見たいなァって思いながら小物入れの中にあるクリスタルを指で叩くと見られる。詳細が知りたくば小物入れの中にある、まさひこが丹精込めて書いてくれたうっすいペラペラの説明書を読むのだ。少年」


 ライバックからの問いかけに、オルガは渋る様子もなく丁寧に答え、豚の丸焼きの片脚を捥ぎ…骨ごと齧る。

 

 ――うーむ…。


 想定内の…思った通りの、ガツンと来はするが、大味なそれは…洗練されたものとは程遠い、所詮はジャンクフードの味。塩とニンニクで味付けされた…特に柔らかいとも言えない焼いた肉だった。

 新しい世界の新しい味覚。何処にでもあるであろうを味わうオルガは己のEXPが微かに上昇していることを肉を咀嚼しながらも確認し、その後で、視線を…スキルツリーを開くライバックの方へと向ける。

 

 パネルに展開されるスキルツリー。武器カテゴリごとの戦闘用ツリーの他に、鍛冶や建築、錬金術や料理等のクラフト系のツリーなどが載るそれを注視するライバックを見据えつつ、オルガは動く。

 ――羊ではなく、獅子の歩みの第一歩を。


 「――どうだろう。少年。オルガさんと組まんかね?」


 口内にあったものを飲み込み、オルガは問い掛ける。捥いだ子豚の足を大皿の上に置き、布巾で手を拭いた後に…己の顔の前で両手を静かに組んで。


 「俺はこの街から出るつもりは――」


 「惨めな死に方をするゾンビ映画の脇役みたいな事を言うな。少年。戦いと言うものは実際に戦う前に決着を着けるのが最善。ちょっと鋭い鉄の棒の振り方は二の次三の次だ。解るかね」

 

 話を聞いていたかと言いたげに半目になるライバックの言葉を遮り、オルガは言い…さらに続ける。


 「戦闘能力だけで現状を変えようと…己を押し上げようと試みるのが羊の歩み。何処まで行っても被食者。勝てても小競り合い。戦術の域を出ない。いいかい? 少年。君はオルガさんをバックアップしてくれるだけで良い」


 ライバックの前に展開されるパネルの、料理のスキルツリー。オルガは人差し指を立て、そこを指差す。

 当然、その真意は伝わる。一切の戦いを放棄し…この街でゲームが終わるまでの持久戦に乗り出そうと考えていたライバックには。


 「うー…でも俺、現実世界じゃ目玉焼きぐらいしか――」


 「それは好都合。このスキルとやらがこの現実世界と寸分違わんこの世界でどう作用するか見てみたい。作る物の味に補正が掛かるのか…他に何か利点があるのかを」


 「でもぉ…うぅ~…できっかなぁ。不安だぁ」


 自信がなく、踏ん切りの付かないライバック。

 何とかライバックを自軍に引き入れたいオルガ。

 2人の問答は続き…前者が困ったような顔をし、目を泳がせて情けない抑揚で言葉を言い切った時、がたんと音を立ててオルガは立ち上がった。


 「しょおねん! 解る…解るぞ! 自信が持てない時、何か新しく始めようとすると尻込みしてしまうその気持ち…! だが、そこから抜け出すために挑戦者として立ち上がってはみないかね! この機に! 勝利と誇りを手にするために…このオルガさんと共に! どおかね!?」


 190センチを少し超えるほどの身体。恵まれた体格。神秘的で中性的…美しくはあるが…相応の威圧感を放つ、急に大声を上げて立ち上がったオルガを見上げ、ライバックは反射的に後ずさってその背で酒棚を打った。

 それは、店内の暗がりに留まり、食事をするプレイヤー達の目を一点に集める。


 「ここでバイトをし続ける…オルガさんと一緒に組んで安全な場所で最強のコックを目指す…期待値としてはどちらが上だろう。考えてみたまえ…少年よ。失う物は何かね?」


 大声で迫っていたのはほんの一瞬。すぐに声はトーンダウンし、まるで嘘だったかのように物静かに、席へと腰を下ろし…何事もなかったかのように顔の前で両手を組む。

 厨房の入り口からは、肉付きの良いこの酒場の店長らしき壮年の男が口を半開き、訝し気で妙な物でも見るかのような顔をしていつの間にかオルガの方を窺っていたが…何しろフィジカルだけで敵を圧倒出来てしまえそうな立派な体格で、関わったらヤバそうな感じのする口調。雰囲気だ。介入はせず、ただ、傍観に徹していた。


 「俺結構おっちょこちょいだし…いろいろミスるかもしんないけど…?」

 

 ライバックは酒棚から背を離し、上目遣いでオルガの反応を窺うかのように言葉を紡ぐ。


 「もちろん。誰しもミスはする物だ。同じことを何度聞いても構わない。わかるまで教えればいいだけだからな。オルガさんは海のように心が広い」


 けれど、ライバックの瞳の先にいるオルガの表情、態度は一切変わることはない。依然として不動のものだった。

 そこから感じるは謎の安心感。根拠はないが、強く感じる説得力。ただ自分が流されているだけかもしれないと思わせつつも彼の心を動かした。


 「――うぅ~…解った。やってみるよ」


 心の動きは少しの沈黙の後、ライバックの行動となり…彼の首を縦に振らせる。

 その返答は己の顔の前で組んでいたオルガの両手を解かせ、肘をついたまま両腕を開かせた。


 「よし、決まりだ。歓迎しよう! 少年! 最初の一歩は…腹ごしらえだ! 共にこの子豚を平らげようぞ!」


 「今俺バイト中――」


 「細かいことは気にするな! どうせこの店には2度と脚を踏み入れぬのだから! クビでもなんでも掛かってこい! さぁ、喰らいたまえよ!」


 「えぇ~…」


 持たざる者となった襲撃者に怯える多数が作る空気が変わる。カウンターテーブルにて騒ぐ背の高い女の声によって。


 いつの間にか周囲の視線を集めるそれは、カウンターテーブルの向こう側にいる少年に大皿を押しやる。だが、誰もそれを止めはしない。


 それは後に…伝説と言わしめられるギルドの原風景。

 誰も知る由もなく…ただ、ぼんやりとした明かりだけが店内を照らす、薄暗いその中で…小さな宴はそうして始まる。たった2人の小さな宴が…伝説の序章として。

漫画などで度々出てくる豚の丸焼き…アレ美味しそうに見えますけど、そのまま齧って破れるのだろうか。豚の厚い皮膚を! 肉までに存在する分厚い脂身を! パプアニューギニアとかで豚の丸焼き遣ってましたけれども。うーむ。

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