謎の男、タヌキマン
Q,おもちゃ箱の襲撃者…死んだはずじゃ…!?
A,残念だったなぁ、トリックだよ。(土下座)
青と白の石材を用いた美しい建物。ガラスを多用し、至る所から陽射しが差し込み、キラキラと輝く…明らかに戦いを想定していないであろう芸術品。
そう形容できそうなその中で、戦火は上がっていた。戦いの魔術的な美しさを拭い去り、恐怖と狂気で塗り替える…より効率的に命を奪う、けたたましく響く火薬の咆哮の中に。
「髭のおっさん。このパパパパーッと景気よく聞こえる銃声に心当たりは?」
「似た様な物だと爆竹しか。それにしては爆発間隔が整い過ぎている気がする。しかし銃声? これがか?」
「心当たりはないわけか。んなこったろうと思ったよ。何が悲しくてダガーでマシンガン持ちぶっ殺そうとしなきゃなんねーんだか」
マロンは未だに不服そうだ。なし崩し的に地下遺跡に関わったこと。そこから始まり…今に至った事。過去を酷く後悔し…若干ヤケクソ感漂う物言いで吐き捨てる。
コの字廊下の小さな角部屋。青と白の家具、壁紙、絨毯で統一されたその中で――頼りない返事を返してくれた髭ズラのおっさんシルヴィーと、神経質そうに眉間に皺を作る、ウズルリフ。その二人と缶詰になりながら。
「それで…マロン。お前の助言とやらを聞いて我々は今こうしているわけだが」
ウズルリフは不満げだ。まだ見ぬ未知の武器。その知識があるマロンの言うことを素直に聞き、シルヴィーと共に出入り口のサイドに付きながらも。
「真っ向勝負じゃ勝てねーから不意打ちしようってんだよ。おうおら、出入り口のサイドにつけ。あたしが気ぃ引いてやっからよ」
けれどマロンは気にすることなく出入り口のドアを開け、そこから顔を出す。
その時、左右を見まわす彼女のライトアイボリーの瞳に映るのは――ドアを蹴破り、廊下を走るスーツ姿の美男、美少年たちの集まり。腰のサイドにマガジンポーチを取り付け、上腕に白いスカーフを付けたそれらが駆ける廊下には覆いかぶさるようにして伏す、腕章を付けていないスーツ姿の美男美少年たちの姿。当然前者はマロンの存在に気が付き…その手に持つ、丸いマガジンが特徴的な銃、M1921を腰だめに向けた。
「いたぞーッ!」
「うっへ、あっぶねッ! 問答無用かよ。気合入ってんなァ」
響く銃声。マロンは部屋の中へと顔を引っ込め、ドアを閉める。銃弾が目の前を掠めゆく感覚に…口角を上げて白い歯を覗かせ、スリルに、攻撃的に笑いながら。今さっきまで文句たらたらであったのが嘘のように。
マロンは次に部屋の奥、扉の対面へと立つ。ドアを蹴破った時、よく見えやすいよう。ドアの正面に。一瞬の隙が作れればと考え、降伏の意を示すため、両手を肩の上にあげつつ。
視界の両サイドには、淡々とした恐ろしい顔をするウズルリフと…さすがは組織のボスといったところだろうか。一抹の恐怖もない余裕の伺える様子で敵のエントリーを待つシルヴィーの姿があり――慌ただし気な複数の足音がドアの前で止まった時、ドアは蹴破られた。
「待て待てあたしはPTだっての! 味方だよッ!」
「!?」
殺生与奪を任せる降伏のポーズに一瞬考えさせるには十分であろう悪質な出まかせ。それは――ドアを蹴破り、部屋に踏み込んだ美男に困惑を与え、ほんの少し判断を鈍らせた。
そしてその隙は見逃されない。ドアの横。死角から――刃が伸びる。
「いッ!?」
閃く刃はトリガーに指を掛ける手に続く腕を切り落とし、重力に引かれゆき、同時に主の無くなった手が握る銃のグリップを新しい所有者…ウズルリフが握った。
彼は前の所有者の手と共に銃口を向ける。ほんの一瞬のことで腕を切り落とされてもなお、何が起きたか解っていない美男を肉の盾として。
「やめッ、撃つッ…!」
「うわああッぐあぁッ!」
「わあああッ!」
「ぎゃあっ!」
コの字廊下の狭い部屋。突入に於いて戦闘以外が前に銃を構えたならば、味方への誤射の危険がある。そう思ってか、後方に居た者たちの持つ銃の銃口は下がったままであり、突如現れたウズルリフにへと銃を向けようとした時には発砲音が響いていた。
横凪ぎに、薙ぎ払う様に。撃っている最中に敵側が反撃を試みるが…弾丸は肉の盾に命中。間も無く…弾丸に薙ぎ払われる。
一瞬の騒がしさは直ぐに止む。ウズルリフが撃っていた銃のドラムマガジンの中が空っぽになったことによって。
…残るのは美男美少年たちの死体の山。そこにウズルリフに肉の盾として扱われ、仲間の弾丸で今息絶えた美男の身体が蹴倒され…そのタイミングで少しばかり機嫌を良さそうにするマロンが口笛をひゅうと吹く。
「偉そうなだけの役立たずかと思ってたけど、やるじゃねーか」
「口を動かす暇があるなら死体を引っ張り込め。こいつにどうやって弾を込めるのかも教えろ」
仲間。同僚。部下。手にかけて気持ちのいいものではないはずだが、ウズルリフは一切その表情を変えぬまま、今撃った者どもの身体を部屋の中へと引きずり込んだ。マロンの肯定的な言葉にも一切眉を動かすことなく。
マロンはそんな彼のつれない態度に肩を竦めて見せた後、行動を開始。既に動かなくなった美少年の胸倉を掴むと、強引に部屋の中に引きずり込んで、M1921を手に取った。
まず見る場所はトリガー回り。映画やゲーム、漫画など…自分が見たありとあらゆる情報を頭の中に思い浮かべ、マロンはM1921を調べ、弄り回す。いつの間にか先にM1921を手に取り、調べ始めているシルヴィーの傍で。
「この丸い部分に弾が入ってる…と思う。あっれェ…この辺にボタンがあったりしたんだけどなぁ」
「雲行きが怪しそうだな」
「うるせーな。あたしがそんな頭良さそうに見えんのかよ。あん? なんでも知ってると思うんじゃねー」
マロンとシルヴィーがM1921を調べる最中、弾丸が入っているであろう新しい銃を拾い上げたウズルリフはマロンの頼りない様子に小言を言いながら出入り口を警戒。
不服そうに唇を尖らせていたマロンであったが、すぐに銃本体左側面トリガー上部にあるスライドを上方向に押すとマガジンが落ちることを理解。何発入っているか解らないドラムマガジンを床へと落とした。
「髭のおっさん、トリガーの左側に押せる金具あんだろ。それ上に押せ。弾入ってるパーツ外せる」
「おぉ…これか。しかし、外れたパーツと同じものが無いぞ」
「弾入れるパーツはいろんな形してんだよ」
シルヴィーと会話をしつつ、マロンは死体の前で屈み、その腰にあるポーチを漁る。
中から出てくるのは溝の掘り込まれた長四角の鉄の棒。頭の部分には見覚えのある、真鍮らしき輝きの太く丸っこい弾丸が顔を覗かせている。マロンは今ドラムマガジンが刺さっていた場所に挿入した。
「おっさん、これも弾よ。でもデカい奴の方がいっぱい撃てるからデカいの使い切ってからのがいいかも」
マロンがあれこれ弄るのもシルヴィーも見ており、同じように、練習するかのように見様見真似でリロード。けれど彼もマロンもすぐにマガジンを外し、元の弾丸が込められているドラムマガジンに差し替える。
「たしかこのレバー引かないと弾でなかった気がするから引いとけ」
「おぉ、こうか…フリントロックピストルとは全然違うもんだなぁ。音が小気味いい」
圧倒的に優位に立てる武器を手にしながら、敵はまだ周囲の制圧が果たせていないのか…一向に周囲は静かにはならない。戦火は建物の外に飛び火しているようで、外からも銃声や悲鳴、怒号等が聞こえ出している。
そんな中でマロンは銃の上部についているレバーを引き、リロードを完了させると、まるで娘に小難しい機械の使い方を教わるかのような様子のシルヴィーも同じようにしてリロードを終えた。
「おし、扉は見ててやるから髭のおっさんはロンゲのおっさんに弾の込め方教えてやんな。ついでにこいつらが持ってるポーチ剥げ」
マロンはそう言って明るい日の照る縦長の窓の隣へ。そこにあった大きく重たいクローゼットを横倒しにする。中に収納されたスーツ類が開け放たれた扉から出るが気にはしないし…こんなもので弾丸が防げるかも怪しいとも思うが、それを盾にするようにしたうえで銃座とする。
その最中、視界の端に微かに映るのは…窓の外に広がる外部の様子。右腕の上腕に白いスカーフを付けたゴルドニアファミリアの人間たちが、黒い貴族鎧を身に纏う、前髪の赤い天然パーマの男に率いられ、逃げ惑うその他を駆逐する光景だ。
――…夕暮れの騎士だっけ。…なんかクソダセー名前の奴だったよな。好き勝手やってPTにぶちのめされたって聞いてたが…なるほど。飼いならされちまったって訳かい。
嘗てあった一階層での大小さまざまな勢力間での争い。頭に流れる記憶の一部に、その男の顔があった。
マロンの視線とその手にあるM1921の銃口は既にしまった部屋の出入り口のドアに向けられているが…頭半分で今回の事について考えていた。ただの考えすぎとも思った説、可能性が現実に更に近付いた事に。
このクーデター騒ぎの真の目的が――己の持つサンダーソニアの本が目的の物なのだと。
「マロン、弾丸を持てるだけもってここを出るぞ」
考えていたマロンはシルヴィーの言葉に我に返る。
顔を声の方へ向けてみれば、死体のポーチを漁るシルヴィーの姿。その向こう側には腰にポーチを幾つか取り付け、ドアの方に銃口を向ける準備万端なウズルリフの姿がある。
「おぉ」
マロンは生返事を一つ返した後、まだ装備を取りつけたままの死体の方へ。
血こそ出ないが生々しいそれ。絶望に顔を歪め、瞳に涙を溜めたまま息絶えた美少年の死体からポーチをはぎ取る時…マロンはとあることを思い付いた。視界の端に見える躯の腕に巻かれた白いスカーフ。そして…横倒しになったクローゼットの扉の向こうに見える、自分の体格にあった小柄なスーツを見て。
「…なぁおい。お利口なマロンちゃんはいい虫下しの方法を思い付いちまったんだけどよ」
マロンは立ち上がり、振り返る。
美少年の上腕についていた白いスカーフ。それを右手に…眉をハの字に。口元から白い歯を覗かせ、何かたくらんだ様な笑みで。
良からぬ思い付き。不穏な笑み。
彼女へと振り返り、その姿を瞳に映したウズルリフとシルヴィーは何を思っただろうか。息を飲んだ様な、一瞬時の止まった様な間の後で、二人の時間は緩やかに、静かに…流れ出した。
◆◇◆◇◆◇
青と白の涼し気で、美しい街。その中心に当たる大きな城の様な屋敷を中心に、立ち並ぶ建物。その合間に走る放射状に延びる道。また、そこから更に枝分かれする路地裏。
かくれんぼでもしようものならまあ探し出すのは困難であろう街の中の一角。日の光の届かぬ薄暗い路地裏を…栗毛の美少年は駆け抜ける。激痛に眉間に深い皺を作り、額に球のような汗を浮かべながら、変な方向に曲がった片腕を力なくぶらぶらとさせつつ…今、無事である対の手に、青い液体の入った小瓶を握って。
「メルフィンッ、これ以上の抵抗はいくら僕とて擁護は出来ないッ! 今すぐ投降しろッ!」
そんな彼の後ろからは透き通るようなハスキーボイス。中性的にも聞こえる少年の声が木霊する。
けれど投降を呼びかけるそれへ、ポーションの入った小瓶に口を付けたメルフィンは応じるつもりは微塵もなかった。もう――彼の中で賽は投げられてしまっていたのだから。
「だめそーね。解っちゃいたけど」
「かくなる上は実力行使あるのみか…」
「つか、アイツ足速えぇな。流石地下遺跡で逃げ延びただけはあるわ。ヤバそうなの集まってくる前にどうにかしたいっちゃしたいけど…キッツいなぁコレ」
「リック、感心してないでっ…あッ、また曲がった!」
口の中に広がる爽やかで、清涼感のある味。ミントの様な鼻から抜ける、より冷たく感じる空気。口内に広がる熱とは違う独特の冷たさ。それがメルフィンの喉の奥へと引っ込んだとき、彼は迫る話声と共に後方に二人の追跡者を連れ、街の中に毛細血管の様に広がる路地裏の、街と郊外の境目に位置する地点。より外側へと向かう曲がり角を曲がった。痛みも何も…嘘だったかのように元通りになった腕を振って。
彼らの進む正面には――正面には薄暗い路地裏の切れ目。眩しいほど明るく、色鮮やかな緑豊かで長閑な郊外の景色が広がっている。上には空の青。正面には青い海の水平線と…その下にはなだらかな下り坂になる地平が。
「ッ…!?」
迫り、大きく見える路地裏の外の世界。眩い光。あと少しで路地裏から…街から出る。
ふと、その時…薄暗い路地裏を形成する建物を背にして見える、外の火の光を拾って微かに…白く見える、細い糸に閃くかのような不自然な煌めきが――メルフィンの目に映った。
――ッ、ギロチンワイヤー…!?
「チィッ!」
全部が見えた訳ではない。そんな時間も猶予もなかった。だからこそメルフィンは覚悟を決め…見えたそれをくぐるかのように、なるべく身を低く…スライディングした。
その小さな背は何かに引っかかることなく、だが、重力に引かれきっていない、今身体の方へ追いつこうとする栗毛は何かに当たったような不自然な挙動をしつつも…明るい路地裏の外へ。
「なんだッ?」
背後から見ていたセラアハトは唐突なその行動に理解が追い付いていないようだったが、リックは何かを察したように、肘上ほどの長さのあるハイドアーマーのファー部分を突き出すように構え、半身になると地面を強く蹴った。何が起きたか解っていないセラアハトの前に出る形で。
「ぬおおっ!」
恐怖を噛み潰すべく発したどこか頼りないリックの声の後には、以降痛みを感じた風なものは続かず、彼の肩、腕…腰。身体片側全体に細い糸の様な何かを押し切る様な感覚だけが伝わり、そのまま路地裏から郊外へ出たが…妙なことに太陽の痛いほど明るい眩さが顔に当たっては来ない。
謎の陰りによる違和感はセラアハトにもリックにも…当然違和感を与え、彼らの視線をその方向へと向けさせた。
「クッ!」
「新手かッ!?」
ギロチンワイヤーに対してアクションを起こしたリックよりも先に反応し、頭上を見上げるはセラアハト。
咄嗟に抜き放ったフリントロックピストルが握られた右手の向く先には…太陽の逆光で黒く見える二つのシルエットが迫っている。
「待ってッ! 俺たち味方味方ッ!」
引き金に掛けた人差し指が弾き切られる寸前、セラアハトの手は止まり、刹那、それは走るリックとセラアハトの後ろに降り立ち…自分たちに混ざる様にして走り出す。
双方とも白いローブ姿の…毛も肌も真っ白く、頼りないほど細い二人組。味方であると言ったそれにリックは見覚えがあった。嘗ての一階層。プレイヤー間での力関係がまだハッキリしていなかった闘争の時代の中に見た、その姿が。
「紅鏡霊樹の使徒…!? なんで農協の連中が!?」
「反体制側に勝たれると困る奴がいるってだけさ!」
儚げな印象を受ける風貌の、痩躯の男。現在の態度や返答を聞く限り紫色の瞳のそれには戦いの意志はなさそうであるが、リックには腑に落ちない。既に自分たちの土地を持つ勢力に属する彼らが…このゴルドニアファミリアの内輪もめに首を突っ込んで来る理由が。
――ゴルドニアファミリアに借りを作るため? …いや、そんなことをして何の意味が…?
「人と変わらないNPC…"NPC乙型"にプレイヤー同様の権利が近々認められる。これだけ言えばわかるだろ、俺たちが此処にいる理由って奴がさぁ!」
表情曇らせ腹の中で呟くリックへ、紫色の瞳の男は更に付け足す。
――それは警戒感に顔色を染めるリックに、瞬間的に様々なことを頭の中に過らせた。
今朝見たゴルドニア島に集結する尋常ではないプレイヤー達の数々。有力者たち。それらを監視するかのように居並ぶゴルドニアファミリアの構成員たちに…海を覆う数々の船舶。道を頻繁に行き交う馬車。何時も以上に賑わう街。
それらの現象はプレイヤー達がゴルドニアファミリアから土地を買おうと動いたものの現れであれば、辻褄は合う。きっと紅鏡霊樹の使徒たちは、自分達の所属する集まりの為に行動を起こしているのだと。
懸念は幾つかある。どうしてもチラつくのは地下遺跡の土地を持っていたと見られるのが、農協の中央組織を担うミックスジュースという事実。マロンの本にどうにかして辿り着きつつある、まだ見ぬ敵かもしれない事。
そして何より――彼らにとって土地を売ってくれるのであればなんだっていいと言う事だ。メルフィンにそれほどの裁量はないが、場合にも寄るが交渉材料としての利用価値があり…花子たちの追ったルーインに至っては土地を売買できるであろう権限の持ち主。後者の出方によっては、今、目的を共にする仲間の様に振る舞う白ローブの二人は、本を追っていなかったとしても場合によって敵になりかねない危険因子に他ならない。
「リック、信用できるのか? こいつらは」
ほんの一瞬頭に過る思考の中で、リックの意識はセラアハトの問いかけによって現実に引き戻される。彼の視線は紅鏡霊樹の使徒の二人組の方へ。セラアハトは懐疑的なようだった。
けれども…ここで敵対すればメルフィンの思うつぼ。少なくとも勝利条件の達成は限りなく難しくなるだろう。だからこそ――リックが選びうる言葉は決まっていた。
「考えすぎだっての。買い取りたい土地を持ってるオーナー様に弓引いて利点なんてあるか」
気は許せない。けれど現状敵対は悪手以外の何物でもない。
白々しいと思いながらも、リックはさも警戒していない風に、さも気にかけていない風に流す。己の当面の使命。メルフィンを捕まえることに集中した風な直向きな表情で…郊外から、だだっ広い穀倉地帯へと向かうメルフィンの背を追いながら。
青い空の下、燦々と照る日の光の中で…様々な思惑。濃霧の中の様な、厚い曇り空の下を行く様な…濃く、見渡せぬ疑念の中で。
◆◇◆◇◆◇
果てしなく、突き抜けるような青い空。流れる雲。
強く吹く風は木々の枝葉や草花を撫で、ザアッと音を立てる。日の光を閃かせ、風の吹く方向に、一斉に…強く戦がせて。
その風の中にある街の外れ。郊外。農作業用の家畜や食肉用の家畜。居住を目的としたものではない建物等が草原の上に見ることのできるそこに…ゴルドニア島の中心。街の中心から燃え広がる騒ぎの火の手は及んでいた。
「うふふふ…どこまでも逃げ遂せるがいいわ…でも、水の上を走れるかしら?」
「うーん、でもあんまりのんびりにやってられる時間もないみたいですよ」
黒いマントを翻し、静かに、不気味に笑う花子と…ルツェルンハンマーを右手に、顔を横向けに後方に視線をやるシルバーカリス。
褐色肌のスーツ姿の男を追う二人組の後者。その青い風景を映す灰色の瞳には…青と白の街を背景に、見覚えのある姿があった。
「あの時の借り、今返させて貰うぞーッ! 大人としてッ、大人を舐めきったお前らに長幼の序と言う物を教えてやるーッ!」
肩を覆う銀糸のショールと白銀の胸当て。膝上までの長さの黒に近い灰色のサーコート。膝下までのスカート状のマゼンタのフォールドを組み合わせた鎧姿のそれは、右手に握ったロングソードを振り上げ、吼えていた。
塩パグ学園島で出会った、何か使命を帯びた正体不明の者達。そのうちの一人…ラズ子だ。
「おいおい、説得力皆無だよ。中学生ぐらいの子相手に顔真っ赤にしちゃって。大人げないったりゃありゃしないよ。この子」
「かたゆでたまごマン。火に油を注ぐような真似はやめろ」
「冷静なのはいいですけど、ラズベリーパイさんぐらいの気概を貴方たちにも見せて貰いたいものですね。俺としては」
その後方、左右にはスーツ姿のかたゆでたまごマンとピータン。そして――白いスーツ姿の、見慣れぬ白髪の美男を連れていた。
けれどそれだけではない。彼らの遥か後方には馬に乗ったスーツ姿の男たちの姿も確認できる。敵か味方かは断定できないが、きっと増援だろう。シルバーカリスはそう考えつつ、視線を前へと戻した時、彼女は異変に気が付いた。
「ふふ…ゲームセットだ」
花子とシルバーカリスの行く先。今の今まで逃げの一手だったルーインが立ち止まり、こちらを向いていた。少し離れた場所で…勝利を確信したかのような笑みに降格を吊り上げ、両腕を開いて。両手にはフリントロックピストルの銃口が鈍く輝いている。
ともなればここから始まるのは武器を使っての白兵戦。たった二人で策もなく対人ガチ勢とやり合うのは間違いなく自殺行為ではあるが、その迫りくる敵の背後には複数の味方と思しき者たちがいる。
相手側が有利になった状況。だが、まだ負けとはいい難い難しい局面。その状況は…花子とシルバーカリスに一つの選択肢を心の中で選ばせた。
「ハンッ、アンタの人生をゲームセットにしてやるわッ」
「覚悟ー!」
強者との戦闘。味方が多数いたとしても避けるべき危険択が――裏切り者の始末という終了条件を。ゴルドニアファミリアの協力という体では大義を主張できるかもしれない。しかし、その実…ただ気に障ったから殺す。たったそれだけの理由で。
花子は右手の白い頭蓋の円盾を前に構え、嘲笑交じりに鼻で笑い、吐き捨て、シルバーカリスは一番振り抜きやすい長さでルツェルンハンマーを右手に沿わせる形で握り、吼え、向かう。フリントロックピストルの銃口をこちらに向ける、ルーインへと。
彼女たちに向けられるフリントロックピストルのフリントが落ち、火花を散らせる。もう白い煙が上がっており、すぐに弾丸が発射されそうだ。
けれど二人の速度は落ちることはない。花子は口元に攻撃的な笑みを。シルバーカリスはただ凛とし、冷たく、冷静に――動く。全神経をルーインの持つフリントロックピストルの動向に集中させて。
「死ねぃッ! 黒頭巾、その腰巾着ッ!」
「アンタがねッ!」
「そんなちっぽけな鉄砲一発ぐらいでッ!」
脚を狙われると思ったのだろう。発射されると思われるタイミングで花子はジャンプ。被弾個所を最小限にするよう努め…シルバーカリスは横に大きくサイドステップ。ルーインはそのままで…弾丸は発射された。
――白い煙と共に吐き出された二つの丸い弾丸は、遅い時の流れの中を真直ぐ、もう既に至近距離に迫っていた二人の追っ手の元へと向かって行く。
青布と黒鉄の鎧に身を纏う少女に向かって行った弾丸は丸い肩当ての局面を滑り、もう一方は黒いマントの少女の二の腕上部へと着弾。前者は地面を前へと蹴って迫ってこようとしていたが――ルーインは後者。一発食らって肩を押されたように弾かせながらも向かってくる花子にその視線を釘付けにしていた。
「さあゲームセットよッ!」
「チィッ!」
防具によって阻まれたか。手負いの獣の様に一時痛みを忘れているだけか。奪う、攻撃する、破壊することに快感を見出す者特有の笑みを携えたそれがどういう状況なのか。
何とかフリントロックピストルで、今振り下ろされんとする真白なグラディウスを受けようとしたルーインは、肩と腕の甲に鋭い痛み――だが、重い刃物がただ落ちてきた様なその感覚に…察する。自分の銃弾はこの好戦的な猛獣の牙をへし折っていたと。銃弾は確かに彼女の左腕を貫いていたと。
「ッ、巨人の頭突きはどうかしら!」
「ぐぅっ!」
花子もそれに気が付いたようだった。思った感覚と違う手応え。妙に重く、曲がってはいけない形に曲がる左腕の違和感。けれど彼女は興奮状態で痛みを感じていないのだろう。流れるように振り下ろした左腕の勢いをそのままに斜めに半回転し、右腕に握った巨人の頭蓋骨で出来た真っ白い円盾で斜め上からバックブロー。ルーインの上側頭部を狙ったそれは、防がれる。咄嗟に側頭部を守る様に上がったルーインの上腕で。
利き腕を使い、体重をこれでもかと乗せた重い一撃は、彼を鈍い音と共に、地面に叩き伏せるほどの威力はあったが…至らない。命の灯を踏み消すには。
だが、意識を断ち切るのには十分な眩む様な重い一撃を受けてもなお、他に意識など向けて居られない。彼は当然気が行かない。今襲い掛からんとする獣。ルツェルンハンマーを両手に構え、先端の穂先をいやに鋭く輝かせて突撃してくるもう一人の事など。
――勝利の渇望に憑りつかれた…女、シルバーカリスが。
「勝ったッ! この戦いの勝者は――」
「凌げッ、ルーインッ!」
徹底した意志。真直ぐな殺意。勝利を確信し、冷たくも楽し気に、口元に浮かべたシルバーカリス。その後ろには吼えるペロペロキャンディと緊張に顔を強張らせるジェムドロップの三人。
それを見開いた黒い瞳に映すルーインだったが、シルバーカリスの右手側。ガサガサという音と共に――音は少し離れた場所にある背の高いトウモロコシが生い茂る畑を突っ切って、隣接するレンガ造りの半壊した廃墟の影からそれは姿を現した。
「させないよッ!」
「ぶあっ!」
「ふんぎゃっ!」
勝利を確信した慢心。付け入れる虚を突き、颯爽と風を纏って現れたそれにシルバーカリスと花子は体当たりされて派手にスピンし、横っ飛びに吹っ飛んだ。
青い豪華な鞍と鐙。節々に見える銀の金具を背に付けた、クールベットする白馬。
恐らくゴルドニアファミリアの所有物であり、ある程度の地位のある者の馬なのだろうその上に跨るのは…どどめ色の、前髪一部に鮮やかな黄緑が一筋混じる髪の――明らかにゴルドニアファミリアの関係者ではないであろう、ふてぶてしくも見える眠たそうな目つきが印象的な、プレイヤーと思しき少年の姿だった。
「セラアハトの馬…? なんだ、お前らはっ!?」
「あー、俺たち柴犬さんから――」
「惑わされるなッ! そいつらも敵だーッ!」
突如現れたそれに驚き、疑いながらも問いかけるルーイン。返す気だるげで眠たげな目つきの少年。彼の言葉は、今何か察した風に身を引かせ、表情引き攣らせたルーインに追いつかんとする白髪の男――ペロペロキャンディの声に遮られる。
上腕の激痛に声無く悶え、何とかポーションの小瓶に口を付けた花子と、起き上がり、手元に転がったルツェルンハンマー再度その手に握ったシルバーカリスの目の前で。
直後、ペロペロキャンディの方へ振り返り、何とか立ち上がって明らかに距離を取ろうとしたルーインの身体へ長細い何かが伸び――その身体に巻き付いた。
「くっ!?」
巻き付いたのはそれはそれは丈夫そうなロープ。弛んだそれは、飛んできた場所から反対方向へ。影が駆け抜けたことによって弛みあっという間に無くなって、あっという間にピンと張った。
「へっへーん、ほーらあたしが言った通りじゃん、バカ兄貴! こうやる方が手っ取り早いんだよ~? わかりまちたか~?」
「あぁ~、うっざ。結果論じゃん? それ。上手く行ってたら俺のやり方の方がめんどくさいのが来なくて――」
「人間と馬どっちが速いですかーッ!」
「ホントうざい。てか、ヤバい大物釣れてるんだけど。ロリポップキャンディの親玉ぁ。顔覚えられて報復されたらお前のせいだぞ」
駆け抜ける二頭の馬。どどめ色の髪の似たような容姿の、ののしり合う少年少女二人の声のバックには、舗装されていない畦道に激しく引き摺られるルーインの悲鳴。
途方に暮れるような静けさに包まれるのは、空のポーションの小瓶を手に、置き上がった花子の傍ら、走り去るそれらを見据えるシルバーカリスだけであり――追っ手の四人。戦いのプロフェッショナル達は直ぐに行動を起こしていた。
「ピータン、ラズベリーパイ、奴らを確保し戦線から離脱。かたゆでたまごマンは俺と来い」
「了解」
「アイアイサー」
迷いも淀みも一抹たりともなく、手短に指示を出すペロペロキャンディ。止まり、180度反転する彼の脚に並び、スーツ姿の白いボーズ頭の男、かたゆでたまごマンが同僚のピータンの返事の後に続き返事を返してターンする。右手に光沢のない黒い打ち払い十手を。左手にそれよりはるかに小さく短い十手を手に――ルーインが攫われたことにまだ浮足立っているゴルドニアファミリアの構成員を見据え、今、地面を蹴って。
「奴らは油断できない毒蛇だ。気は抜くな」
「ピータンこそ地下遺跡の時みたいにヘタ打たないでくださいよッ」
ペロペロキャンディ、かたゆでたまごマンと擦れ違うピータンとラズ子。互いに言葉を交わす彼らの向かい、見据える先には、既に回復を終えて半身で身構える二人の少女、グラディウスを前に構えた花子と前へと出した腕にぴったりとルツェルンハンマーの柄を付けた形で持つ、シルバーカリスの姿がある。
「シルバーカリス、準備は良い? 強そうな黒ハゲは後回し。先ずはあの弱そうな女から殺るわよ。二人がかりでボコるの」
「そんな陰惨で物騒な言い方しなくても…」
最も強大とされる組織、ロリポップキャンディ。その子飼である対人ガチ勢を前にして、花子とシルバーカリスは落ち着いていた。相手を侮った風もなく、怯えた様子もなく。
それはブラフにも、勝算があっての物にも見え、少なくとも己の力を過信した風ではない。腹の中に何か持っていそうな油断ならない雰囲気は、ピータンとラズ子に伝わって――互いの距離がより近付いた時、対立する二つの勢力は行動に出る。
「今ッ!」
半身に構えていた花子の声により、彼女の手とシルバーカリスの手から複数の何かが半円状に散らばるい形で投げられ、それらと擦れ違う形でピータンが投げたスローイングアックスが二本、交差。
しかし――ピータンとラズ子は、撒かれたそれらの射程ギリギリのところでバックステップした。
「チィッ」
「ッ!?」
投擲物を投げたと同時に攻撃に転じ、前へと出ていた花子は思わず舌打ちしながら投げられたスローイングアックスを盾で弾き、シルバーカリスは目を見開きながらもガントレットの甲でスローイングアックスを弾く。
その時二人の心の中にあるのは、自分たちが仕掛けた所見殺しの策を看破された不快さ、戸惑い。直後に響くのは…けたたましい炸裂音。花子とシルバーカリスが投げた複数の爆竹が奏でる騒音で――白い煙と火薬の焼ける匂いが花子とシルバーカリスの目前を包む。
そして見逃されない。方向転換も許されぬほんの一瞬の隙。策を見抜かれ、微かな混乱の中にあるその状況は。まだ宙に放られた爆竹が炸裂するにも関わらず。
黒色火薬が燃えて出た濃く白い煙から伸びる、近代的なデザインの黒い手斧とシンプルな形状のロングソードの刃。前者はシルバーカリスに。後者は花子へと迫り――そこで漸く花子とシルバーカリスは行動を起こした。
「クッ」
「せいッ!」
上体を逸らせつつ花子はロングソードの先端を左手のグラディウスで弾き、シルバーカリスはルツェルンハンマーの柄で動きを小さく、斧頭を横へと叩くと同時に下に向いているルツェルンハンマーの穂先を敵がいる方へと下から持ち上げる形で力を掛けている。考えて行動したというより咄嗟に取った防御反応だ。
ただそれは――読まれていた。組織の邪魔者を排除することを生業する、戦闘のプロフェッショナル達には。今花子たちが振るった武器の軌跡の向こう。ラズ子は刺突に特化した十字のダガー。ピータンは取り回しの良さそうな片手斧。流れる風に切り裂かれた火薬の白い煙の向こう側から、各々対の手に止めを刺すための武器をもって。
けれども妙であった。後者、ピータンの視線は。何かに気が付いたかのように、視線がラズ子の右側に向けられている。まだ炸裂して地面に落ちきっていない、爆竹の煙の中で。
「真っ向勝負じゃこんなもの――ぐえっ!」
「なんだこの変た――」
泥臭く、不利な状況から始まる取っ組み合いが始まると思い、手にある武器を放り、短く取り回しの良いサイドアームに持ち替えようとしていた花子とシルバーカリスの目の前で、ラズ子の後頭部が何か鈍器のような物で叩かれ、片手に持ったスローイングアックスを素早く振り上げたピータンの頭が大きく仰向けに弾かれた。力なく倒れ込むラズ子の身体に押し倒される花子と、崩れ落ちるピータンの横っ腹をルツェルンハンマーで横払いに叩き、除けたシルバーカリスの視線の向く先には…潮風に霧散する爆竹の煙を纏った大きな体のシルエットが見えていた。
「えっ…変態…?」
「タヌキさん…タヌキマン…?」
白い煙のヴェールが無くなった時、露わになる姿。それを見、地面に尻もちをついた花子とルツェルンハンマーを両手に構え直したシルバーカリスが呟く。各々の瞳に…タヌキの覆面を被った、ガタイの良い青タイツの屈強な男を映して。
だが、その謎の変態…タヌキマンは花子たちに見向きもせず、その腰に構えていた銃、M1921を肩付けして構え、今、馬に乗ったゴルドニアファミリアの構成員を無力化したペロペロキャンディとかたゆでたまごマンの方へ硝煙の引く銃口を向けて引き金を引き絞った。
「ガハッ…!」
「銃…だとぉ…!?」
二発ずつの機械仕掛けのようなタップ撃ち。短く正確な射撃により発射された銃弾は、ペロペロキャンディとかたゆでたまごマンの胸部を背後から撃ち抜いた。――しかしタヌキマンは語らない。シルバーカリスへ視線を少しの間向けた後、生い茂るトウモロコシ畑の中へと去って行くだけだ。
「――ヤバかった…なんだか知らないけどあの変態のお陰で助かったわ。シルバーカリス、馬を奪ってあの泥棒猫共を追うわよ」
「えぇ。しかし……こう、横から水差されるとなんかもやもやしますね。さっきの自力で切り抜けられたと思うんだけどな。斧より先に柄でお腹叩けたと思うんだけどなぁ~。勝てたと思う。ね、花ちゃん」
「何悔しそうにしてんのよ。グズグズしてないでさっさとあの泥棒猫共を追うの!」
勢いのある啖呵を切りつつ、己の上でぐったりするラズ子の身体を押し退ける花子。唇を尖らせるシルバーカリス。二人は手早く放った武器を取り、気絶したゴルドニアファミリアの構成員二人と、彼らが乗ってきた馬の方へ。
馬を確保せんとする二人の後方には、緩やかな下りとなっている畦道を真直ぐ行く、乱入してきた少年少女の後姿と、引き摺られて悲鳴を上げるルーインの無様な姿。その様相は優位がどちらにあるかを示すばかりで、それはまだ戦いが続くことを意味していた。
「花ちゃんッ、あの、その…僕、馬の乗り方――」
先ほどの戦いが終わり、冷静になったシルバーカリスは馬を前にして何か呟きかける。眉を下げる彼女の視線の先で気絶したゴルドニアファミリアの構成員二人の所で屈んでいた花子は徐に振り返った。両手に…長い何かを手に。
「一緒に乗って。荷物持ちをお願いするわ」
花子は突き出す。二本のマスケットと…伸ばした人差し指、中指にフリントロックピストル二丁ぶら下げた両手を。
そして己の足を頼りとした逃走劇は次なるステップへと進む。逃げるは騎馬、追うはマスケット銃で武装した竜騎兵。正義など欠片もないメンツと欲の仁義なき戦いが。
どこまでも突き抜けるような青い空。燦々と輝く太陽が、朝と昼の両方の顔を混ぜた時、風は強く駆け抜ける。
青々とした畑の草木を揺らし、人が手入れを行っているであろう空広く、田畑広がる場所から――色とりどりの蝶が舞い、小鳥が歌う熱帯林の大自然に。今起き上がる、迫真の死んだふりでその場を切り抜けたマゼンタの髪の少女を置いて。
竜騎兵というとなんか翼竜に乗った騎士みたいのが思い浮かぶかもしれませんが、現実での定義では火器で武装した兵士を乗せた騎馬なんだそうです。ドラゴンブレス(マスケット銃)