双頭の兎
沢山の思惑と複数の目的、立場。これをまとめ上げるというのはなかなかの力量が居るのもなんですね。その力量を見誤り…のた打ち回っていたのがこの私さ。すっかり月間更新になってしまっている。
だが許してほしい。難しい話を書く…そういうのに憧れる御年頃なんだよ!
真っ青な朝の空。
海よりも深く、どこまでも突き抜ける青はそれを見る者の心をほんの一瞬だけありとあらゆるしがらみから切り離してくれる。
ただ青く、ただ広く。ちょっぴり冷たく。
しかし、それも一瞬だった。
吹く潮風が頬と髪を撫で、その感覚に自我を思い出したところで魔法は解けてしまう。
良い夢から引き戻された後に感じるような虚無感。そんな儚く、切ない感覚を今…空色の髪のスーツ姿の少年…セラアハトは味わう。
白と青の薔薇が咲き誇り、花弁が風に乗って舞うゴルドニアファミリアの屋敷の中庭。眼下に今日に限って様々な船が停泊する港町の全様が一望できるその場所で、遠い目をして。
しかし、直ぐに瞳は現実を見据える。己に科せられた使命を全うすべく…視線を前へと戻したことをきっかけに。
振り返る。屋敷の敷地の出口である鉄柵の門。その向こう側に待機する真っ白い馬の姿を瞳に止めて。
「絶対に守ってみせるぞ…父上たちが遺してくれたものを。このゴルドニア島だけは…」
瞳に強い意志を宿し、セラアハトは一言呟き…向かう。折れかけた心を奮い立たせるかのように…唸る様に。敷地の外。そこにいる白馬の方へ。
そしてそれへと跨ると、手綱を取り、ゴルドニア島の内陸へと続く道へ鼻先を向け、脇腹を軽く踵で蹴った。
白馬は走る。
振るいながらも凹凸限りなくない平らな石畳を踏み、ゴルドニア島の玄関口である港町を見張る屋敷の前から…内陸へ。いつもよりも多い交通量のある道を、内陸へと向かう馬車たちを追い抜いて行く形で。
――外から客人が来るという話を聞いてはいたが…しかし…なんだ。この賑わいは…。
木漏れ日落ちる森の中に通る古びた石畳の道。視界の開ける穀倉地帯…内陸の村などが見えてくる場。
白馬が進み、移り変わる景色の中、セラアハトは訝しむ。明らかに異常と思える人通り。賑わいに。
巡る疑問もそのままに、白馬はたどり着く。ゴルドニア島の中心。青と白の石材で作られた雅やかな街の中に。見知らぬ者どもがあちらこちらに伺える、いつもの様相とは違う場へ。
「お伽噺の世界みたいな感じする~…あっ! なんか美味しそーなの売ってる!」
「バッカ。てめっ、今日はオンだぞ。ピクニックじゃねっつの」
「…っはぁ~、お兄ちゃんさぁ…空気読めないって良く言われない? ついでにモテないっしょ」
「せーな。ほっとけ。今仕事中だっつってんだろーが。ガキみてーにゴネんじゃねーよ」
「そういうところなんだよなぁ…あぁ、ホント。いやだねぇ、いやだわ~、この人はぁ…」
白馬を歩かせ、青と白の街の中を進んでいるとセラアハトの目に大きな西洋鎌を背負い、腰に幅広の鉈を差したどどめ色の髪、頭頂部のほんの一部のみ明るい黄緑色の…天真爛漫と思いきや、急に気だるげになる少女。同じような姿の徹頭徹尾けだるげな少年のペアの姿が飛び込んだ。
広い肩当てと白黒の旭日旗と芋虫、蛾、ベリー類の刺繍が成された動きやすそうな、黒くテカテカしたレザーアーマーに身を包んだそれらは何やら揉めている。人目もはばからず…見てくれ通り。年齢相応と言った風に。
そしてその揉める2人組に駆け寄ってくるのが――真っ白い髪。モコモコの毛が表面に伺える真っ白いローブに身を包む男女二人だ。
「ほらほらぁ、喧嘩しない~」
「リュスちゃぁん…後で聞いてあげっから今は…ね?」
「だってエンドレのバカがぁ!」
エンドレと呼ばれた少年を指差し、不満を露わにする少女、リュス。駆け寄った二人組は前者を放置。後者を全力で宥めに掛かる。
一方は緑色の瞳で。もう一方は…紫色の瞳にリュスの姿を映して。病的なまでに白い肌、痩躯のそれらが身に付ける装備にもまた、真っ白い蛾や太陽を思わせる刺繍やアクセサリーが見て取れた。
――明らかにプレイヤーの勢力だが…。
何かこの場所で仕事があるらしい彼らを横目に、セラアハトはその場を通過する。
ゴルドニア島の中心の街。更にその中心にある…白と青の石造りの大きな屋敷。そこへと。
進めば進むほど明らかにゴルドニアファミリアではない者たちが顔を覗かせる。真っ白い髪と空色の瞳の白銀の鎧を身に纏う男や…鼠色の背広とトップハット姿の、腰に白銀のレイピアを差したパグみたいな顔をしたおっさん。とくにガタイの良い側頭部と頭頂部で髪の長さの違う、骨の重装鎧姿のソフトモヒカン風坊主頭の男など…様々に。
「セラアハト」
丈夫さなどの機能美ではなく、美しさを求めた柵と門。後者の下を白馬に乗って潜った時、屋敷の正面玄関から出てきた栗毛の少年がセラアハトを認知すると何かあったらしく、不愛想な顔をしたまま軽く手を上げ――セラアハトはそれに合わせて手綱を引き、馬を停止。彼、メルフィンを注視する。
「その様子から見ると…僕を探していたのか? メルフィン」
「ウズルリフが呼んでる。ついて来て」
「…場所は?」
「二階奥の会議室。良いから早く」
要件を聞き終えたセラアハトは己が乗ってきた白馬から降り、通常よりも速いスピードで歩いて指示された場を目指す。已然の事でまだ関係がぎくしゃくしているメルフィンと共に。
白に限りなく近いクリーム色の石畳を踏みしめ、その先に在る青と白の石造りの屋敷の扉を押し…その中へと足を踏み入れて。
「だからぁ、この辺りにある土地の一帯を売って欲しいんすよぉ…。ね、ね? いいじゃないっすか。お願いしますよぉ、シルヴィーさぁん」
「話を聞いてやってもいいが他に同じようなことを言って来ている連中がいる。さて、俺はどうしたらいいかな」
開け放たれた扉の向こうには一糸乱れぬ綺麗なピンク色の髪、細い目が印象的な、やや紫がかったピンクのスーツを着た胡散臭い雰囲気の男が、前へと立った髪と顔の輪郭を覆うような立派な顎髭が特徴的なスーツ姿の巨漢に両手を合わせ、顔を下から見遣る形で媚びを売っている姿が見えた。
前者は見覚えのない男であったが――後者。片目を閉じてすっとぼけたような反応をし、顎髭を弄るそれはセラアハトが良く知る人物であり――今、その男、シルヴィーとセラアハトの目は合った。
「セラアハト。港の警備は――」
髭の男はセラアハトがここに居ることが寝耳に水であったようだったが、セラアハトが口を開きかけた時に何かを察した風な顔になり、辟易した様子で大きく息を吐く。
「――ジュネバーブルの奴か。好き勝手やってばかりだな。アイツは…こっちの警備ならもう十分だろうに」
「パパ。その点は心配しないでほしい。こうなるだろうと前もって考えて港町での警備内容はゼルクに説明してある。アイツなら上手くやってくれる」
「むぅ…だと良いが。…ルーインがデカくなる前はこんなことは…」
家族間での悩み。そんな背景を窺わせる呟きをするシルヴィーに対し、その隣で胡散臭い愛想笑いをするピンク色の髪の狐目の男を訝し気に眺めつつ、セラアハトは返答。
なんだか冴えない顔をし始めたシルヴィーに軽く手を振った後、メルフィンと共に正面に見える中腹で枝分かれする階段へと進んでいく。
「家庭を持つとなると大変ですねェ。ここは一つ美味しい果物でも――」
「外野は黙っていろ」
セラアハトの背後からは、調子の良い態度でシルヴィーに声を掛けるピンク色の髪の男とそれを不機嫌そうな声色で遮るシルヴィーの声とでの話し声が聞こえ、階段の中腹。踊り場に出た後、枝分かれする階段の右側を進みかけた時、横目にエントランスホールの様子を映す。
…シルヴィーとピンク色の髪の男に注目したのは一瞬。今エントランスホールの両扉が開き、光の強く差し込む向こう側からやってきた人影に視線は引付けられる。
前髪が赤。他が黒色の緩い天然パーマ――柘榴の様な…綺麗な赤眼の男。前時代的な黒い金属鎧姿のそれは、伸ばした両手をゆっくりと下し…悠然とした歩みでエントランスホールの中へと入場。何処か張り切ったような、己を大きく見せようとしているような雰囲気で、辺りを見回し始めた。
「なんだあいつは」
「鋼血騎士団とか言うプレイヤー勢力の人。ゴルドニア島に投資をしたいって話を持ち掛けて来てるらしい。ジュネバーブルはそれに乗り気とかって聞いた」
「…庇を貸して母屋を取られる…なんてことにならなければいいが」
集まってはいるが一丸ではない。現在のゴルドニアファミリアの現状を内心嘆きつつ、セラアハトは視線を前へと向けた。眉間に作った深い皺にやきもきした気持ちを。その瞳に薄ら寒い悲しみを映しながら。
そうして二人は廊下へと進んでいく。目的地である会議室を目指して。
――こんな状況で…話すべきなのか…?
まだ誰にも話せてはいなかった。裏切り者の名を。
根回しできる時間はなかったし、マリグリンの言った事自体がゴルドニアファミリアを割るための外部勢力の策略の一部にも思えたから。信じたくない思い。正しかろうがその一つの選択で自分の生まれ育った環境が崩れ去るかもしれない恐怖も相まって――セラアハトは己を遠ざけていた。真実から。腫れものを触らぬかのように。
孤独な戦いの中、葛藤。悩みつつ…厚い雲に覆われた雲の様な気持ちのまま、セラアハトは行き着く。二階の奥の会議室の前へ。
そして彼は考え事をしたまま…会議室の扉のドアノブに手を掛け、そこへと入出する。
「セラアハトちゃんよ~、こりゃどういう事だい。マロンちゃん説明して貰いてえなぁ」
視線を斜に、目で見えて居る物よりも頭に浮かぶイメージが濃く頭の中に浮かぶ中、セラアハトの耳に聞き覚えのある声が届いた。
それはそれは不機嫌そうな抑揚の、聞き覚えのある声が。それはセラアハトの意識を現実へと引き戻し、斜にしていた視線をその声のする方へと上げさせる。
――その時、空色の瞳に映るのはつい昨日決別することを決め、考えないようにしていた者と関わりのある者たち…当人の姿だった。
「…なんでお前らが…」
「朝いきなりアンタのお友達の根暗ロンゲが仲間と一緒に踏み込んで来て、事情聴取とか言って連行されたんだけど。アンタなんか変な事喋ったんじゃないでしょうね」
リック、シルバーカリス、マロンに花子。その全員が戦闘用の装備であろう鎧姿に身を包み、長テーブルを囲む椅子に腰かけていて…目を見開いて驚き、呟いたセラアハトに花子が食って掛かる。
そこで彼ら彼女らに何が起き、どういう経緯でこうなったかを理解したセラアハトは数歩進み、一番手前にある席へと腰かけると片手でネクタイを弄った。いつも通りの冷静な表情を取り戻しつつ。
扉の隣に腕を組んで寄りかかるのはメルフィンだ。まるでマロンとゴルドニアの音楽隊を見張るかのように…もしかしたらその瞳に映るセラアハトも敵の一人としているのかもしれない雰囲気で。
「…僕も来いとしか言われていない。お前たちの事は喋ってはいないし…見当もつかない」
「本当かしら。リックに対する愛憎が極まってメンヘラ化したんじゃないの?」
もともと犬猿の仲であった二人だ。本当に何も知らないセラアハトに花子は懐疑的なようで、疑いの目を剥けていた。
その腹の内を隠すことなく、唇を歪め、訝し気に…片眉を吊り上げながら。
無論、口の悪さは天下一品の花子の言葉にデリケートな部分を攻撃されたセラアハトだ。カチンと来て目を据わらせ、応戦の構えを見せ始めるが――
「でも別段問題ないですよね。僕達ルーインさんに――むぐッ」
「本当にアンタの口ってのは…」
シルバーカリスが何かを口走りかけたところで、犬猿の仲の二人の視線はシルバーカリスへと向き、花子の敵意はシルバーカリスに。セラアハトの感情は疑問へと変化する。
「いはっ…引っ張らないでくだはいぃ~」
「神の制裁ッ! 右、左、右、右ィ!」
「いはぃッ! いはぁっ…うぁ~ッ! ほっぺがっ…ほっぺがぁッ…!」
敵へ手の内を見せたことによる制裁。勢いよく右へ左へとシルバーカリスの頬を引っ張り回す花子と、口をだらしなく半開き、されるがままに悲鳴を上げるシルバーカリス。
花子の手がシルバーカリスの頬から離れ、シルバーカリスが両手を己の頬へと当てた時…会議室の出入り口が開いた。
「全員ついてこい」
両開きの扉の片側が開かれた向こう側には長身の男。黒いコート姿のウズルリフは一言だけ言うと扉を閉じる。
ほんの少しだけ沈黙が流れ、扉の向こうから聞こえる廊下の絨毯をブーツが踏む音がやけに大きく聞こえる。
会議室に居合わせた者どもは席を立つ。痛そうに頬を摩るシルバーカリスを最後に。
――順当に考えれば調査結果報告の聴取だろうが…。
心が淀む。迷いに。
話すべきか、胸の内にしまい込んでおくべきか。得た情報は真実か、敵からの欺瞞作戦か。
メルフィンが先んじて会議室の扉から廊下へ。その小柄な背中へ向かってセラアハトも歩き出す。
「やることやってさっさと帰りたいわ」
「帰して貰えると思ってんのかぁ? あたしにはとてもそうには見えねえな」
背後から聞こえる花子とマロンの話し声を聞きつつ、間も無く廊下の突き当りの部屋へ。ウズルリフが先頭に立って進み、後に続く者どもも彼の後に室内へ入室する。
図体のデカいウズルリフが横へと逸れ、見えてくる景色。
背景に白い窓枠の大きな窓とその向こうに広がるは上に青い空、下に街を映し…手前には立派な家具や武器などが並ぶ室内。その部屋の真ん中に――それはいた。窓を背にした立派な白いテーブルの上に寄りかかる形で座って腕を組み、珍しく余裕なさそうに辛気臭い顔をし、深刻そうに眉間に皺を寄せるルーインの姿が。
「見ない客人だな。ウズルリフ」
「これからのお話に必要な証人です」
「ふぅん…なるほどな」
ふと、ウズルリフの死角になっているところから…ルーインと似たような抑揚、声質の声が聞こえた。
今部屋に入ってきたセラアハトにもその姿は見えるようになり、続いてマロンやゴルドニアの音楽隊の目にも互いに目に付く位置となる。――ウズルリフと会話を交わすブラウンの髪の…褐色肌。ルーインと似、彼よりも少しばかり背の高い20代位後半位に思える美男の姿が。
しかし、初めて見るその顔を気にする人間など、その場には居はしなかった。
「逃げも隠れもしないその意気や良し。要件は解ってるわね? 何か釈明はあるかしら?」
右手に外周内側に尖った骨の刃が付いた白い円盾を持ち、左手はマントに隠れたまま。
失敗した仕事とはいえ、きちんとした約束の中で受け取った前金。その報酬の支払いを反故にした者への制裁を目的としていた花子は歩み寄る。約束を反故にし、裏切った者…ルーインの前へと。他の出方を窺うような目つきのシルバーカリスに…ものすごく胃の痛そうな顔をするリックを背に。
けれど当然それは遮られる。ゴルドニアファミリアの手によって。組織に忠誠を誓う――振り返ったセラアハトの手によって。
「あら、場合によってはアンタも一緒に魚の餌にしてやってもいいのよ?」
「お前の気持ちも解らなくはないが、ゴルドニアファミリアの一員として組織の跡取りに危険人物を寄せ付けるわけにはいかない」
人が禁忌を冒そうとするとき、自身を咎める物は様々だ。そうしたことによる報復、社会的な制裁。良心や恐怖。しかしながら時には居るものだ。それらの網の目をすり抜け、理由さえあれば禁忌に手を染められるものが。その禁忌の達成を断固とした意志で、使命とし…何としてでもやり遂げようとする者が。
それは今、セラアハトの前に居る。
愛想のない、見慣れた澄ました顔をしては居るが…その目には冷たく輝く刃物の様に鋭く固い意志。正義や悪のくくりではくくれぬ自己満足。損得勘定ではない意地。それを原動力に動く、最も恐ろしい敵が。…今回の例では金でどうとでもなりそうではあるが。
打砕く者。守る者。互いの視線が強く交差した時、セラアハトと花子の間に――部屋の隅に居たブラウンの髪色の美男とリックが割って入った。
「まぁまぁセラアハト。落ち着け」
「お~い、たちの悪い冗談はやめろよな。セラアハト本気にしてビビってんじゃん」
前者は薄ら笑いをその顔にセラアハトを。後者は声の抑揚からは考えられぬ、必死の形相、何とか落ち着いてくれと言いたげな表情で花子を宥めるように。
リックは気が気ではなかった。こっちはマロンを含め全員がフル装備。相手側は斬撃にまあ耐えられないであろう何の変哲もないお洒落なスーツ。ルーインに至っては丸腰だ。花子が此処で仕掛けてもおかしくはないと。花子ならメンツの為、NPCを殺しかねないと本気で思えたから。
「ここで引き下がったら間違ったメッセージを送ることになってしまう! 私たち相手になら報酬を払わなくても泣き寝入りしてくれるという認識がぁ! ここは見せしめに数人始末してでも――」
「わぁー! うううわぁー! ほっほっほああーっ!」
部屋の隅に追いやられ、ついに感情が発露したのか唇を思いっきり尖らせてブーブー言い始める花子と…その物騒な物言いが他に聞こえぬように奇声を上げつつ花子の口を両手で塞ぎに掛かるリック。
慌ただしくも仲間うちで危険が排除された様を部屋の各々は一瞥。騒がしい花子と何とか彼女を黙らせようとするリックが騒がしい中で…ゴルドニアファミリアの面々の顔がこの状況を作り上げたウズルリフの方へと向いた。
「ウズルリフ。この危険人物たちを私の息子の元に連れてきたのには理由があるんだろうな?」
「えぇ。次期ボスとなるルーイン。現ボスのジュネバーブルには是非お耳に入れて頂きたい報告が。彼らの見聞きしたものは今から行う報告の裏付けにもなります」
気障な笑みと威圧感。ブラウンの髪の褐色肌の男、ジュネバーブルの態度にもウズルリフは眉一つ動かさず、淡々と述べる。この場にこの面々を集めた理由を。
ルーインはウズルリフの発言に片眉を吊り上げ、訝し気に…耳を疑ったような、まさに寝耳に水と言った風な様子で顔を上げ、ウズルリフを見据えていたが…何か言葉を発するわけでもなく、その間に薄ら笑いのジュネバーブルが口を開く。ウズルリフを上目遣いで見上げながら。
「シルヴィーは呼ばなくていいのか? 奴も指導者の一人だぞ?」
「頭は一つで良い。そうでしょう?」
強大な外敵を目の前にしても行われる仲間内での権力闘争。人類が歴史の紐を解いていけば見えてくる潰えて行った国々。彼らが滅んだ理由の中でも最もつまらないであろう終わり方。
平和が長続きしたせいかもしれないが…ゴルドニアファミリアのボス、ジュネバーブルは目の前の落とし穴が見えていないようであった。この場合忠誠を誓う風に聞こえるウズルリフの意味深な返しに上機嫌そうにする彼には。少なくとも――成り行きを静かに見守っているマロンの目にはそう見えた。
「ともあれ、まずはセラアハト。お前の報告から聞こう。マリグリンはどうなった?」
纏まっているようでいない。何処かキナ臭さを感じる中で…ウズルリフは切り出す。半身になってセラアハトの方へと振り返って。
「昨日プレイヤー達が塩パグ学園島と呼ぶ群島にてマリグリンを発見。結果的に取り逃しはしたが…なかなか興味深い発見があった」
「たかが船乗り一人にそんなにも手を焼くか。今は亡き君の父上もきっと誇らしい気持ちだろう」
言うか言わまいか。今だに心の中で葛藤しつつ、セラアハトは言葉を紡ぐ。ジュネバーブルの茶々に片眉を顰めながらも…冷静であろうと己に言い聞かせて。
けれど、その報告を聞くウズルリフはいつも通り。失望するわけでもなく、貶すわけでもなく…自分自身の顎に手を当て、セラアハトの顔を見下すだけだ。
「昨日その塩パグ学園島でプレイヤー間の騒ぎがあったことを認知している。だが偶然には思えんな。何かを隠した様子だったマリグリンが居たところに火が立つとは」
「僕が知る限りではあの騒動は他の世界から連れて来られた人に近い者たちへの虐待…それをした者達への制裁だった。しかし、その裏で別の目的を持っている連中が暗躍していたことを僕は知っている」
ウズルリフの問いにセラアハトは答えつつ…視線を彼から部屋の奥。大きな窓を背にしたテーブルに腰かけるルーインへと向ける。
そのセラアハトの動きに反応し、視線を送り返すルーインは都合が悪そうな顔をしていたが…追及を躱し切れる自信があるのだろう。喚いたりすることもなく、大人しいものであった。余裕ぶるわけでもなく、こちらを攻撃するわけでもなく、予防線を張るわけでもなく。
それはセラアハトに一抹の違和感を抱かせていた。――何か、別の懸念でもあるのではないかと。
「複数の組織が僕たちと同じような目的を持っていたようだった。ある者はマリグリンの抹殺を試み…ある者はマリグリンの身柄を押さえようと。そいつらの素性は僕には知る由もない。…たった一つを除いてな」
ハッキリとは言わないが、明らかにあてつけたような言い方。視線の送り方をするセラアハト。それによってゴルドニアファミリア一同の目と…シルバーカリスの目がルーインに集中する。
眉間に皺を寄せて俯き、何か考えた風にするマロンと部屋の角で唇を尖らせてぶつくさ文句を言う花子と、それに付き合い何とか宥めようとするリックを例外として。
「それに関連する報告が私の方からもある。マロンから受け取ったサンダーソニアのクリスタルだが…現在行方不明になっている」
次に口を開くのはウズルリフ。外堀を埋めていくつもりなのだろう。誰がどうとかを一切言うことなく…ただ、事実を述べる。一部しか知らないであろうその事実を。確実に居るであろう裏切り者の影を仄めかせるように。
だが、その発言に対するリアクションはそれぞれだ。メルフィンは驚いたような顔をしていたが、ルーインは以前のまま小難しい顔をしたまま。ジュネバーブルに至っては説明を促すようにウズルリフを不満げに見ているだけ。ゴルドニアの音楽隊とその関係者は直接関係ない事だと決めつけたように無関心な様子だ。
「話を戻そう。他の勢力がマリグリンを追っていた理由は?」
ジュネバーブルを無視し、淡々と話を進めていくウズルリフのセラアハトへの問いに、俯いていたマロンが顔を上げた。何処か都合が悪そうに…警戒した風に。けれどその変化は誰も気に留めることはない。
もう仲間ではないセラアハトもそれは同様だった。
「ハッキリは解らないが、マリグリンはプレイヤーにとって有用な情報を知っていたようだ。あの地下遺跡で何かを見つけたか、知ったか…少なくとも刺客をけしかける程度には確信があったようだ」
「…マリグリンとは話せたのか?」
余り間をおかずに話を詰めてくるウズルリフ。彼の問いにセラアハトは瞳を閉じる。言うか言わないか。マリグリンの目的がこの欺瞞を産むことにあったのではないかと…迷いに迷い、未だに迷って。
しかし、その沈黙の中――マロンが何か思いついたような顔をし、口元に笑みを浮かべた。締まりのなく、良からぬことを思い付いたような。
「あぁ、じれってえなぁ。付き合わされるこっちの身にもなって貰いてえもんだぜ」
唐突なマロンの発言。部屋の隅でブーブー言っていた花子の取るに足らない文句とは違った確かな意味、意志を感じる声に各々は振り返る。――にぃっと片眉を曲げ、笑うマロンの方へ。
そして――
「メルフィン、マリグリンがよろしくだってよ」
彼女は囁いた。当時その場には居なかったが――シルバーカリスから聞いた最も重要であろう情報。裏切り者の名を。
いつしか彼女は言っていた。自分には自分の都合があるのだと。
突然のことに凍った時間の中で、セラアハトはマロンの心中を察す。燃えるような夕焼けの赤に染まる海。浮かぶ白鳥のボート。勝ち誇るマリグリンから聞いた裏切り者の名。それを今、マロンの声で耳にしながら。
――彼女は今、このプレイヤー勢力の手の者が居る可能性のある場で、自分が隠している物がなんであるか。明かされたくはなかったのだ。どういう形であれ真実への追及が終わるのなら、それでいいのだと。
「…ふっ…」
その後の沈黙を破ったのはジュネバーブルの嘲笑。でたらめでも聞いたかのような風に、ヘラヘラと笑いながら部屋の壁に寄りかかって腕を組んだまましかめっ面になっているメルフィンを一瞥。次に、マロンの方へと歩み寄る。
「何かの冗談か? 唐突過ぎて逆に面白かった」
「おーおー、お仲間がお縄に付けば芋づる式に行っちまうってんだからそりゃー必死になるよなぁ。解るよ。オメーの立場ならあたしも内心ハラハラだぜ」
証拠がなければ圧倒的にマロンの方が不利だろう。ゴルドニアファミリアは長い時間を共有してきた者たちの集まり。外の世界からやってきたマロンの意見は自分たちを割ろうとする見え透いた敵の声に他ならない。
けれどそれは――味方が居なければの話だ。
「マリグリンは言っていた。根は深いと。サンダーソニアのクリスタルの件…洩れようのない情報をルーインが知っていた。その情報源がマリグリンを秘密裏に追っていた僕とその一部の人間からだとすれば…」
言葉無き協定。
マロンの隠す秘密が今この場にいる裏切り者を通し、その後ろ側に居る者に伝わればそれは間違いなくゴルドニアファミリアへの更なる脅威の萌芽となる。セラアハトはそう考え――乗った。全てを話す前に、決着を付けるべく。
直後、ウズルリフが指を鳴らす。
一瞬何のためにそんなことをしたか解らなかった一同であったが、その意味は直ぐに解った。
出入り口の扉が開いて、その向こう側から身体の大きな男。良く整えられた髭面のシルヴィーが仲間を連れて現れたことによって。
それと同時に…何か硬い金属の筒が落ちるような音が室内に響く。メルフィンの方から転がるそれへ…一部の視線は引付けられ――次の瞬間、強い光と耳を劈く音が部屋に満ちた。
「目がッ」
「目がぁ~ッ! うわぁッ!」
直後に広がる阿鼻叫喚。目元や耳を押さえてよろよろと動く者たち。その中にはシルバーカリスと部屋の角からリックの方を見ていた花子もおり、後者はやがて前者へとぶつかり、二人揃って絨毯の上に転んだ。
運よく花子を宥めるべく、花子の方…部屋の隅を向いていたリックは耳に一時的なダメージを追いながらも、顔を横に向け、眩まなかったその目に――部屋の出入り口の正面。美しい街並みを切り取る大きな窓を突き破り、そこから飛び降りるルーインとメルフィンの姿を捉えていた。
「逃がすなッ! 追えーッ!」
体感的には長い時間。けれど現実ではほんの数秒。強い光と耳を劈く爆発音から視界と聴力が戻った時、廊下の外から誰のものかもわからぬ怒鳴り声が聞こえる。
部屋の中には破られた窓から吹き込む爽やかな風が長く白いカーテンを揺らめかせ、その部屋に残った者たちを撫でる。
その中で…我に返った花子は右手に握りこぶしを作って震えていた。足をもつれさせて共に倒れたシルバーカリスの上を這って今腹部にて状態を起こして座り、目じりを上げ、歯ぎしりしながら。
「もうお金なんか関係ないわ…誰に喧嘩売ったかその身をもって解らせてやるんだから。行くわよッ、シルバーカリス! あの褐色肌を完膚なきまでボコボコにして二度と対等な口を利けないぐらいまでイジメてやるの! 場合によっては魚の餌ルートも辞さないわ!」
「うぐっ…! 解りましたからゆっくり降りてくださいよぉ」
報酬の支払いが行われたならば矛を収めてくれたであろうゴルドニアの音楽隊。だが、誠意を最後に示せるチャンスに於いて無下に扱われたこと。それに花子は怒り心頭だったようで、勢いよくシルバーカリスの腹部から立ち上がると破られた窓の方へと向かって行く。小言を言いながらも後ろに続くシルバーカリスと共に。
そして破られた窓から外を見、逃亡者の背を捉えた花子は振り返る。利のない戦いに駆り出される予感に何も言わずに渋い顔をするリックの方へ。
「ゴルドニアファミリア側でもあいつを裁けるようにメルフィンはアンタが如何にかして! 任せたわよッ!」
「信じてますよ、リックさん!」
「あぁっ、ちょっとぉ!」
過ぎ去る嵐の様に――颯爽と。完全にキレている花子、だんだん悔しくなってきたのだろう。すっかりやる気スイッチの入った顔付きのシルバーカリスはリックに一方的に言い残して窓の外から飛び降り、見えなくなった。
何か言い掛け手を伸ばしたリックを気にも掛けずに。
その後でリックは二人の立っていた場所に歩み寄る。いつの間にか隣にやってきた――セラアハトと一緒に。
「やるしかない。やるしかねえよなぁ。メルフィン捕まえられなかったら俺やばいよなぁ」
「グズグズするなッ! リック、僕についてこい!」
「チャンバラやる世界でスタングレネードかぁ。メルフィンの後ろにいる奴がアサルトライフルとか引っ張り出して来たらどうしよう。あぁ…気が重いぜ…」
胃が痛そうに呟くリックを先導する形で窓の外へと飛ぶセラアハト。ありとあらゆる杞憂に気を揉みつつもリックもその後へと続く。なし崩し的に再結成された塩パグ学園島での組み合わせで。
金を目的としない意地とプライドを掛けた戦い。それに引っ張られる一人の少年。大凡全員の目的が合う中で火ぶたを切って落とされた新たな戦い。
誰が何のために。背後で何があったのか。真相は…そんなものなど一切見向きもしない放たれた追跡者たちは走っていく。
その後姿を割れた窓から顔を出し見るのは…その場に取り残されたマロンであり…彼女的には己を呼び出したウズルリフの期待に応えたと思ったのだろう。その手には開かれた仕掛け絵本が握られていた。
「さてと。んじゃあたしはそろそろお暇――」
自分の目論見通りに事を動かし、自分が守る秘密。その追及を免れてしたり顔だったマロンが仕掛け絵本を開けば、パラパラと風に捲られてページが最後に近付いて行く。
ただ、笑って見ていられたのも本のページが最後の辺りに差し掛かるまでだった。――灰色に染まった絵を見るまでは。
新しいキャラが出過ぎてしまった。リュスとエンドレさん。シルヴィーさんとジュネバーブルさん。そして謎の鋼血騎士団の人…! シルヴィーさんとジュネバーブルさんが出てくるのはたぶん三章までですけど、それ以外は後々にまで関わってくる予定だ!
…今回のお話は結構急ごしらえ感ある書き方をしてしまったと思うので、穴があったらすみません。風呂敷を広げ過ぎたため、把握しきれていない部分があるのさ…だが広げたくなってしまう…!