石油王、三つのサービス
砂漠と言えば油田のイメージがある。
何か中東あたりの砂漠を掘ればでろっと湧き出すイメージがある。
夏休みあたりに掘りに行きたいなー、そしたら女子高生にして石油王でウハウハですよ~……ん? 石油王じゃなくて石油姫かな?
……だなんて、バカな事を考えていた。
「……今じゃあ、ないよぉぉぉおおお……」
本当は、あのギンギラギンに半端なく輝く太陽に届くくらい大声で叫びたかった。
でも無理。もう喉も肌もがっさがさだもん。
汗の一滴も出やしないよ。完全に脱水だよ。
私、鐙屋晴琉は遭難中です。砂漠のド真ん中で。
どうしてこうなったのか、私にもよくわからない。
あれは、つい数分前の事だ。
◆
夏休みに入っても当然、油田を堀りになんて行けずに暇を持て余した私は、柄にも無く図書館に行った。
そこでなんだか古びた本を見つけて開いてみたら。
なんだかミュージカル映画で突然踊り出しそうな青い魔神が現れて。
「おやおやそこのナイスなガール! ユーの願いを叶えてあげまSHOW!」
とかゴキゲンな事を言い出して。
「おっと、皆まで言いなさるな。魔導書の魔神はAIスピーカーなんぞより断然有能って御存知ナッシン? いちいち声に出してもらわなくてもオッケーグッグーですよこの業界は!」
軽く鬱陶しいレベルのゴキゲンさを誇る魔神は、やかましく笑いながら指をパチンと鳴らすと。
「はいはい、オッケーオッケー。夏休みは砂漠に行って穴掘りしたかった訳ね。りょ。そんじゃあちょちょいとイっちゃお☆」
そして私は、魔神からガーデニング用のスコップだけを渡され、砂漠へ。
砂漠の真ん中に、魔法か何かで飛ばされた。
灼熱の陽光が容赦なく降り注ぐ砂漠の真ん中で日傘も水筒も無し。
五分で女子高生の干物ができあがるよ。
……魔法ってさ。
もう少しファンシーファニーでキラキラしてるもんだと思ってた。
あれはファンタジーだったんだね。リアルの魔法えげつない。
節電施策で冷房弱めに設定された図書館にて健康的な汗をじっとりかいていた女子高生をここまで追い詰めるとか。
死ぬ。たすてけ。
……それでも素直には死にたくないのが女子高生。
足掻くよそりゃあ。私まだ一六歳だもん。死にたかないよ。
だからスコップで掘った。ひたすら、砂を。
砂漠で湧くのは石油だけじゃあない。
なんか昔、冒険漫画で読んだ。何回砂嵐に襲われても砂漠で砂を掘って水を探し続けるおじさんの話。
私に乗り移れあのおじさん。
水を、私に水を。
私は決して砂などに負けやせんぞ。
きっとこの砂を越えれば水は湧く。
◆
そして、私は油田を掘り当てた。
今じゃあない。叫びたくもなる。って言うか今叫んだ。
私の掠れ声は泥が沸き立つように「ごぽっ、ごぽぽっ」と景気よく噴き出す黒い油の音に掻き消さって言うかくっさ。石油くっさ。ガソリンっぽいけどまた違うくっさ。
もうダメだ。潔く死のう。
来世では魔神には関わらないようにしよう。
そもそも関わりたくて関わった訳じゃあないけど。
「おやおや、そこなお嬢さん。何やらお困りの様子。もしよろしければ願いを叶えて差し上げますよ?」
……え?
突如、響いた軽快ながらもどこか落ち着きのある声。
声は油田の方から。
「………………………………」
油田の中から、何かがせり上がってくる。
それは、人だった。
黒髪で、日焼けが染み着いたような綺麗な褐色肌で……。
何と言うか、白い服を着せたらこう……よく少女漫画とかサラリーマン銀太郎とかで見るような「アラブとかサウジアラビア辺りの王子様」っぽい見た目のイケメンお兄さん。
全裸みたいだけれど、下半身は石油の噴水で巧みに隠されて見えないのでセーフ。
「だ、誰……?」
「ボクかい? ボクは石油の精霊。でもただの精霊じゃあないよ。石油の精霊の統括、つまりは王さ」
「石油の精霊の、王様……」
「うん、石油王ジャフランと呼んでおくれ」
精霊……た、たぶん、あのクソ魔神と似たようなものかな?
って言うか、
「ね、願いを叶えてくれるの……?」
「うん。ボクらの界隈の決まりでね。一見さんはサービスしちゃうんだ。リピーターになってもらうために」
何の商売をしているんだろうか。
何にしても、私はもうあの青いゴキゲン魔神に会いたくはないけれど。
「さて、じゃあ願いを叶えるとしよう」
「え、あ……」
やばい、あの魔神の近類だと、悲劇が繰り返されかねない。
別の砂漠に送られる。ここが何砂漠か知らないけど、とにかく別の砂漠に送られてしまう。
こいつらは私を砂漠に送る敵だ。早く止めないと。
くっ、でも、声がッ……やばい、もう砂漠は嫌……!
「さ、願いを教えてくれるかい?」
「……へ?」
「ん? 何か疑問かな? ああ、もしかして『石油王のくせに読心もできないのか』って? いや、できるにはできるんだけど、大雑把な過去ログを見るくらいしかできないからさ。ナウなお願いは口で言ってもらわないとわかんないんだ、この業界」
そ、そうなんだ……。
道理で、あの魔神は夏休み前に私がぼんやり考えていた願いを拾ってきてこの始末か。
魔神だの精霊だのに生殖があるのか知らないけれど、末代まで祟ってやる。
「さぁ、願いを……おや? もしかして喉がカラカラで喋れないのかな?」
あの魔神とは大違いか、石油王は私の事をよく見てくれているらしい。
私が脱水なのを察してくれた。
「それは大変だ。まずは喉の渇きを癒さないとだね。ボクの乳首を吸ってくれ」
どうした石油王。
さっきまで株がノンストップで上がっていたのにほんと急にどうした。
「ちなみに右が冷水で、左がぬるま湯だよ」
知らない。知りたくもない。
イケメンの乳首にそんな機能があっても嬉しくない。
「ここは砂漠のド真ん中だからね。よくあるんだ、一見さんの脱水に遭遇する事。だからこんな事もあろうかと乳首から水を出せるように訓練したんだよ」
水筒を持ち歩く努力をしていて欲しかったよ石油王。
「赤子でもないのに乳首を吸うのは恥ずかしいかい? 大丈夫。ボクも恥ずかしいから。つまり羞恥と羞恥が掛け算で素敵に変わるよ」
非現実の塊のような輩がなんて数学的発想を。
「さぁ、脱水は一刻を争う。君は動けないようだからボクから動くよ」
う、うぅ……褐色のイケメンが良い笑顔で乳首をおっ立てながら迫ってくる……!
ひぃッ……石油の噴水で下半身が隠されていないともうただの変態だよこの石油王ッ……!
「今の御時勢、成分表示が無い飲料は不安かい? 大丈夫。石油王の乳首水は下手な山の天然水よりもミネラル盛り盛りさ。なんなら若干のタンパク質も含んでいて、糖質はゼロだよ」
え、何その素敵飲料。
適度な筋肉でナイスバディをぼんやりと目指している私にはすごく魅力的な……!
「さぁ、ゆっくり口を付けて。大丈夫。ボクの乳首は逃げないよ。ちゃんと咥えてね。石油王の乳首汁は母乳と一緒でね、乳首のいたる所にある乳腺から噴き出すから、ちゃんと咥えないとこぼれちゃうよ」
ああ……駄目だ。
イケメンとは言え、男の乳首に吸い付くなんて乙女としてアレだのに……!
脱水による水分への渇望と素敵飲料への意欲が抑えられない……!
……私は……もう……。
「んッ……そう、良い子だね。よしよし……ほら、舌先で軽く圧すと出が良くなるから……」
あ、ほんとだ。この水、めっちゃ体に良さそうな味する。
「ちょッ、激しいよ!? 痛ッ、乳首が取れちゃう!? ひぎぃッ!?」
もっとだ、もっとよこせ石油王。
「ッ~……そ、そうか。そんなに、喉が渇いていたんだね……可哀想に……」
そう言って、石油王は自分の乳首をガジガジと噛みまくる私の頭をそっと抱き寄せた。
涙目になるくらい痛がっているくせに、私を抱き寄せる手つきはとてもふんわりとしていて。
こんなクソ暑い砂漠のド真ん中でも不愉快には感じない暖かさがあった。
「……大丈夫。さっき言っただろう? ボクも、ボクの乳首も逃げないよ。例え噛み千切られてしまっても、ボクは君のために乳首汁を出し続けよう。それで哀れな少女が一人、救われるのならば……この献身には乳首ひとつ分以上の意味がある」
「……!」
「ボクは、君の願いを叶える。そのためなら乳首のひとつ。惜しくは無いさ」
石油王は、にっこりと微笑みかけてくれた。
そう言ってくれるなら、遠慮無く。
◆
すっかり日が落ち、暑いどころか寒くなってきた。
「……本当に取れるかと思った……」
息を荒げた石油王が右乳首を抑えてへたりこんでしまっている。
「ごちそうさまでした」
ぺこりと頭を下げてお礼を言っておこう。命の恩人……恩石油王? だし。
「ぉ、おそまつさま……」
石油王は素敵な笑顔を取り繕って答えた。
一見客相手にどこまでも真摯な対応。きっとこの石油王は献身的過ぎて悪い女に騙されて破滅するタイプだと思う。
でも、良い石油王。
「さて……そろそろ、願いを教えてくれるかい?」
「うん。わかった……その前にひとつ確認したいんだけど。叶えられる願いってひとつだけ?」
「う~ん……仕方無いなぁ。どうしてもって言うのなら、ふたつまでは」
都合は良いけれどサービス精神が狂っている。
「じゃあ、ひとつめ。私を日本って国に帰らせて」
「ん。お易い御用さ。じゃあ、ふたつめは?」
「あなたの右乳首を健常な状態に治してあげて」
「!」
「ありがとう。すごく良い乳首汁だった。でも、ごめんね。酷く扱ってしまって」
石油王の優しさに甘えて調子に乗ってしまったけれど。
私にも一応、良心の呵責と言うものがある。
壊してしまった乳首は治しておきたい。
「……正直、右乳首が取れかけた時はなんて酷い娘だろうと思ったけれど……撤回して、こちらもお詫びするよ。君は良い淑女だ」
「別に。多分、これは普通の良心」
「そんな君の善性へのオマケさ。もうひとつ、願いを聞こう」
ほんとサービス精神が狂気の乱舞。
「……あ、じゃあ。丁度良いかも」
◆
とある図書館。
閉館時間をとっくに過ぎて、無人になったころ。
「いやぁ~今日も幼気なガールの願いをブリングして気分が良いナ~。こりゃあナイスなドリームが見られるぞい☆」
ゴキゲンな青い魔神が鼻唄を歌っていると。
「おやおや? ユーはお昼のガールじゃん☆ 意外と早いカムバックだね。どう? 砂漠はエンジョイできたかい?」
「ええ、まぁ」
「ところで、その手に持っているハサミはなんだい? どうしてユーのハサミはそんなに大きいんだい?」
「私のハサミが大きい理由? それはね……」
決まっているでしょ。
「おまえの右乳首を斬り落とすためだよ」
◆
「君はこの業界の右乳首に恨みでもあるのかい?」
すっかり綺麗になった右乳首の石油王。
私の復讐を見届けるために付いてきてくれたらしい。
「乳首に罪はない。あなたのは事故で、あいつの場合は……本当は首を行こうかと思ったけど、さすがに殺すまではやり過ぎかと思ったから首繋がりで乳首にしただけ。他意はない」
「何をまかり間違えても、君の恨みだけは買わないようにしよう」
「それは賢明。あと、ハサミありがとう」
苦笑する石油王に、青い何かが付着した大ハサミを返す。
「おや、返してしまうのかい? だとすると困っちゃうな。最後の願いが中途半端になってしまう。別の願いを聞かなきゃだ」
「……あなた、ちょっとサービスが過ぎると思う」
「ボクが願いを叶えたって誰に不都合がある訳でもないし、良い事じゃあないかな?」
今まさに、あなたが願いを叶えたおかげで右乳首を喪失した同業者がいたはずだけれど。
まぁ、願いを叶えてくれると言うのなら……んー……でも、パッとは思いつかないなぁ。
「ゆっくりで良いよ。ボクは暇だしね。君が最後の願いを思いつくまで、君の側にいるとしよう」
「石油王って暇なの?」
「油田を掘り当てた人の願いを叶えるくらいしかやる事がないからね」
特殊職。
「そう。じゃあ、最後の願いが思いつくまで、よろしく」
「ああ、君が最後に何を願うのか、楽しみにしているよ」
こうして、私と褐色石油王の奇妙な共同生活が幕を開けたのだった。
おしまい。