ドS女
「どれどれ、ちょっと見せてね。」
初めて会ってから二日後の夜、ルカ先生は僕の部屋にやって来ると僕が必死の思いでやり遂げた宿題の山を見て特に誉める訳でもなくそう言った。僕はルカ先生が家に来る十分前までその宿題をしていたので既にヘトヘトでピンクのブラウスに黒のタイトのミニスカートを履いているセクシーなルカ先生を見ても何も感じなかった。半端ない疲労感で一杯だったからだ。でもそれと同時にこのとてつもない量の宿題を約束の今日の夜七時半までにやり切ったという達成感もすこし感じていた。だけど暫くしてからルカ先生が僕に掛けた言葉はとんでもなく冷たいものだった。
「ユージーン君、全然駄目ね。」
「へ? 」
「計算問題は間違いだらけ、文章の読解はちんぷんかんぷん、取り敢えず解答欄を埋めただけっていうのが見ていて良く分かるわ。」
僕はマジで泣きそうになった。あれだけ一生懸命やった宿題をこんな風に言われるなんて。確かに分からない問題なんかは適当に答えを書いただけのところもあったけどさ。やっぱりこの女はドSだ。くそ〜っ! 美人なだけに余計ムカつく! でもそんな僕の感情を無視するかのようにそのドSは言葉を続けた。
「この量をやり遂げたことは評価するわ。でも中身があまりにもいい加減なのよ。中途半端なミスが多すぎるわ。このままだとあなたの人生の生き方までもがこの答案のようにいい加減になるわよ。」
この女は弱みを見せればガンガンとそこにつけ込んでくるタイプだ。くそ〜っ! 何か言い返してやりたいと思うけど考えれば考えるほど何にも言い返せない。言われてみれば確かに僕は今まで何も考えずにフラフラと適当に生きてきたのだ。何かを極めたとかやりきったということが殆どない。言い換えれば「このことなら誰にも負けません! 」とか「これが得意です! 」といったものが何もないのだ。その現実に気が付くと僕は涙ぐんでしまった。
「あなた、将来の希望とか夢はないの? 」
突然そう聞かれて僕は目に涙を浮かべたままきょとんとしてしまった。希望? 夢? そう言われると僕はそんなこと何も考えたことがなかった。
「……特にありません。」
「でしょうね! でもそれは駄目よ。今から将来のことを考えておきなさい。目標が決まればそれに向かって努力しようという気持ちが強くなるから。では当面の目標としてはあなたのお母様も仰っていたカゲミ貴族院大学への入学試験に受かることね。でも大学に入ることが最終の目的ではないの、入ってから何をするかが一番大事よ。そろそろしっかりと自分の生き方ってものを考えなさい。」
僕はこのドS女に散々馬鹿にされた気がして腹が立つのと同時に自分が情けなかった。会って二回目の女にここまでボロクソに言われなきゃならないとは。いつかこの高慢な態度のドS女を見返してやりたいと僕は思った。
「でも考えてみて、あなたは恵まれているのよ。あなたの家の周りを見てみなさい。あなたと同じくらいの年齢の子供達が朝から晩まで農作業をしているわ。あの子達は好きなことをする余裕なんてないの。ましてや勉強なんてとても出来ないわ。貧しいから子供といえども働かなくてはならない。あの子達はこれからずっと貧しさと向きあって生きていかなければならないのよ。」
僕はその時ハッとした。今まで僕は農民の子供達を見て「勉強しなくていいから羨ましい」ぐらいにしか思っていなかったけれどそうじゃない。あの子達は学校に行く時間もお金もないのだ! もし僕が学校に行けなかったらどうなるだろう。シゲやミールちゃんに会えないしそれ以前に友達なんか出来やしない。僕は普通かそれ以下だと思っていた自分の生活水準が実はとんでもなく恵まれているということにこの時ようやく気が付いた。
「今日からあたしがあなたを鍛え上げるわ。早速今から猛勉強よ。覚悟しておいてね。」
そう言ってニコリと微笑むルカ先生はすこし可愛く見えた。取り敢えずやってみるか! 僕は黙って頷いた。
それからの三週間、僕は勉強漬けだった。ルカ先生は意外と優しく何事も基本から丁寧に教えてくれる。僕が自分の部屋の机に向いて椅子に座ると先生は僕の左側に椅子を持ってきて寄り添うように座った。でも最初の授業の日はとても美人なルカ先生が横にいることでなかなか僕は授業に集中出来なかった。先生は凄くいい匂いがしてその香りに包まれていると「肘なんかが先生の胸に当たらないかな? 」とか変なことばっかり考えてしまっていた。だけどすぐに僕は邪念が無くなった。一度教えられたことを忘れたり簡単な問題を間違ったりすると無茶苦茶怒られたからだ。顔は綺麗でもそこはやはりかなりのドS女だった。
「ヘフナー王国とプルーディンス王国が貿易に関する初めての取決めを交わしたのは何という条約で何年に締結された? 」
「え? ええと……。」
「この前覚えるように言っておいたでしょ! エピフォン・カジノ条約で1890年に締結されたのよ。これは頻出問題だから必ず覚えておくようにあれだけ言ったのに……努力が足りないわね。」
「……はい。」
くそ〜っ! このヒステリックドS女め!いつか鼻をつまんで泣かしてやる!僕はそう思いながら歯を食いしばって勉強を続けた。そして更に一週間ほど経ったある日、学校に行くと担任のヤンナギ先生がニヤニヤしながらこう言った。
「今日は抜き打ちのテストを行う。全員筆記用具以外は机の上から片付けろ。それでは答案用紙を配るぞ。答案用紙は裏面を向けたまま後ろに回せ。」
それを聞いてクラスの皆が言った。
「えー! そんなの聞いてないよ! 」
「当たり前だろ! 抜き打ちなんだから! 文句を言わずにさっさと答案用紙を回せ。」
こういう時の先生はかなり嬉しそうだ。僕ら生徒を虐めて楽しんでいる。ヤンナギ先生はルカ先生よりもかなり質の悪いドSなのかもしれない。だが考えてみれば教師なんてSっ気がないと出来ないものなのだろう。僕は先生の「始め! 」の合図を聞くと答案用紙を裏返した。今日は数学のテストだ。僕は一問ずつゆっくりと問題を解いていった。
「今日のテスト、出来たか? 」
学校からの帰り道、シゲが僕に聞いてきた。
「どうだろ? 一応答えは全部埋めたんだけどな。」
「え!? 凄えな! 俺は分かんないとこ結構あったぞ。お前、やっぱり例の家庭教師の効果が出てきてるんじゃないのか? 」
「そんなことないよ。ただ俺は分からない問題でも何でも取り敢えず何か書くようにしてるだけさ。」
「本当か? まぁでも良かったな、その様子なら親父さんにテストの点数が悪くて怒られることは無さそうだ。」
「それだけは切に祈るよ。じゃあな、また明日! 」
僕はシゲにそう言ってから別れた。僕は家に帰ると自分の部屋に閉じこもりルカ先生からやっておくように言われていた宿題に取り掛かった。ルカ先生が家に来るまであと二時間しかないや! やらないとまたあのドS女にブチブチ文句を言われちゃう! いつか必ずあの女に仕返ししてやる! 僕はそう思いながら一問ずつ宿題を片付けていった。