ムラサメ、再び
その後僕は脱獄のシナリオを色々と考えていた。そして最終的には看守が僕のところへ先ほどのように食事を運んできた時に何とか接近して絞め技か後頭部強打で気絶させるしかないという結論に達した。正直なところその他には何も案が思い浮かばなかったのだ。だがそのシナリオには二つの問題があった。まず一つ目の問題はどうやって近付くのかということだ。おそらく看守も警戒をしているだろうしそう簡単には傍に寄れないだろう。どうにかして僕がひ弱でどうしようもない奴だと思わせて油断を誘うしかない。そして二つ目は看守がそう僕にやすやすと倒される程の貧弱な男なのか? ということである。先ほどは気が動転していたし瞼が腫れていたこともあって看守がどんな男なのかをしっかりと見ていなかったがこんな地下牢の門番をするぐらいだからおそらくそれなりの武術を身に付けた男だと考えるのが普通だろう。ヤコーさんにちょこっと格闘技を教えてもらっただけの素人同然の僕に勝算はあるのだろうか? くそっ! せめて何か武器があれば!
「ブゥ〜ン。」
その時だった。大きな熊蜂の羽音を更に低くしたような音が一瞬微かに響いた。何だろう? 僕は周囲をきょろきょろと見渡すがその音の正体は分からない。だがその次の瞬間だった。僕は胸の辺りに急激な痛みを感じた。
「痛いっ! 」
まさにそれは蜂に刺されたような感触だった! だがその痛みは一瞬で治った。クソコイチに殴られた傷が疼いたのだろうか? 僕は気になって着ていたシャツを脱ごうとした。
「カラーン! 」
するとシャツの中から何かが音を立てて床に落ちた。乾いた金属の大きな音が響く。僕は最初ネックレスが鎖から外れて落ちたのかと思った。だが落ちたのはネックレスではない。床を見ると見覚えのある刀が落ちていた。それは僕が以前作った短刀ーームラサメーーだった。
「え!? 何故ムラサメがここに? 」
訳が分からなかった。ムラサメは僕の部屋で鞄の中に入っている筈なのだ。何故ここに突然ムラサメが現れたのだろうか? 僕は事態が全く飲み込めていない。すると今度は胸の辺りが青く光ったような気がした。何が光ったんだ!? 僕はそれを調べる為にシャツを脱ぎ上半身裸になった。すると首から下げた十字のネックレスが青白く光っているではないか! その青白い光を受けて床に転がっているムラサメも妖しく輝いている。僕は恐怖と動揺で身体が動かず暫く茫然と青白い光を放つ十字のネックレスとムラサメを交互に見つめているしかなかった。
「おい! 今のは何の音だ!? 」
不意に看守の声が聞こえた。まずい! こんな刀があるのを見られたら何をされるか分からない。それによく考えてみればこのムラサメは僕の切り札なのだ。これさえあればいつか脱獄出来るかもしれない。恐れ慄いている場合ではないのだ。僕は慌ててムラサメを拾い上げると脱いだシャツに包んだ。ついでにネックレスも首から外し同じようにそのシャツに包んだ。そしてそれをお尻の下に敷いて僕は座った。
「おい! 今何か音がしたろう? 」
看守が通路を歩いてきて鉄格子を挟んで僕の目の前に現れた。背丈は僕と変わらないが横幅は僕の倍ぐらいあるぶよぶよな男だ。年齢は五十歳ぐらいだろうか? 脂ぎった上に髪の毛と髭が伸び放題で見るからに汚らしい。それでいて頭のてっぺんは禿げていた。
「し、知りません。」
僕は怯えている振りをしてそう答えた。この看守には僕が「ひ弱な男の子」という印象を与えておかなければならない。そこで油断したところをムラサメで脅して鉄格子の錠前の鍵を奪い取るのだ!
「嘘をつけ! 」
「ほ、本当です。お、音といえば僕がくしゃみをしたぐらいです。」
僕は俯いて出来る限り辿々しく弱々しくそう言った。暫くしてチラッと看守の方を見ると看守はまだ僕の方を凝視している。僕は慌ててまた俯いた。
「……そうか。まぁいい。だが何かおかしなことをしようとしてみろ! 俺がとっ捕まえてヒィヒィ虐めてやるからな! 」
「そ、そんなこと考えていません。」
僕はもう一度看守を見た。大きなライフル銃を背中に背負い腰のベルトには拳銃の収まったホルスターをぶら下げていて右手にランプ、左手に鍵が二、三個ついたキーホルダーを持っている。あのキーホルダーを僕は手に入れなければならないのだ!
「以前にも逃亡を試みた奴が何人かいたが、皆俺がまた捕まえてやった! グハハハ! 」
「す、凄いですね。」
看守が自慢気にそう話したので僕は咄嗟にそう持ち上げた。気分良くさせておけば僕に対する看守の気も少しは緩むかもしれないと思ったからだ。案の定看守はニタニタと笑顔を浮かべている。僕は更に看守の僕に対する警戒心を解いてやろうと取り敢えず頭の中に浮かんだことをその看守に話し掛けた。
「僕以外にもこの地下牢には誰かいるのですか? 」
「今はお前だけだ。以前は常時四、五人はいたがな。皆タンケーダ様に楯突いた馬鹿な奴らだった。グハハハ! 」
コイチとその両親は自分にとって邪魔な人間を捕らえてここに軟禁していたのだ! やはり奴らは裏で犯罪に手を染めている! このことを明るみに出せばコイチの両親は間違いなく逮捕されるだろう。僕は絶対に生きてここを出なければならない! そしてタンケーダ家の悪事を洗いざらいぶちまけてやらなければならない!その時の為にこの間抜けな看守からもっと情報を聞き出さなければ! 僕は質問を重ねた。
「その人達はどうなったのですか? 」
「皆死んだわい! 皆気が狂うまで殴られてな、お前らの監視と最後の始末が俺様の仕事よ! グハハハ! 」
「……僕も殺されるのですか? 」
「当たり前だ! グハハハ! 」
「……僕の家族がどうなったかは知りませんか? 」
「そんなこと知るか! ここにいないってことはもう死んでるかもしれねえな、グハハハ! 」
僕も近いうちに殺される? そして父さんや母さん、それに兄さんはもう既に殺されてしまったかもしれないだと!? こんなことってあるか!? そう思うともう情報収集どころではない。自分や自分の家族が置かれた状況を看守の言葉によって改めて実感させられた僕は思わずワンワンと泣いた。そんな僕を見て看守はこう言葉を付け加えた。
「死ぬまでは俺がたっぷりと可愛がってやるぜ! 最後も勿論楽に殺してやる。不安に思うことなんかないぞ、グハハハ! 」
そう言うと看守はどこかへ行ってしまった。もう僕には未来はないのか? 僕はその後も暫く赤児のようにただひたすら泣き続けた。




