帰国命令
「……先生? 」
僕がそう問いかけるとルカ先生は慌ててハンカチを取り出して涙を拭いながら言った。
「……そうね。あなたには話しておくわ。何が起こったのかをね。」
これから先生は何を話すのだろう? もし自分のしたことを許せないというだけなのなら何とか説得して引っ越しを思い止まらせなければならない。僕はじっと先生を見つめながら次の一言を待った。先生は何度かハンカチで涙を拭った後ちょっと心を落ち着かすように深呼吸してからようやく口を開いた。
「この前食事をした時にあたしはあなたにワインを勧めたわ。そしてあなたはそれに導かれてワインを飲んだ。ヘフナー王国では未成年の飲酒は法を犯すというようなことではないけれども今の風潮としてはあまり望ましいことではない、そうよね? 」
「……そうです。」
「そのことをあたしは知っていたの。それでもあの時はあなたの優勝をお祝いしたい気持ちもあって一杯だけなら飲んでもいいかな? って思ってしまったわ。あたし達の乾杯を知っているのはお店のおばちゃんだけで世間一般の人々にそのことが知れ渡る訳でもないとも思ったし。……でもそれが甘かったわ、間違いだったの。」
僕は黙って先生の話を聞いていた。
「誰かがあたし達の食事の様子を写真に撮影したのよ。そしてその写真をあなたのお家に送りつけたの。匿名でね。」
ここまでは母さんから聞いた話とルカ先生の話は全て一緒だ。だが先生はそのことについて何かそれ以上のことを知っているのだろうか? 僕は先生に質問した。
「誰が何の為にそんなことをしたのでしょうか? 」
僕がそう聞くと先生は頭を小さく左右に振って答えた。
「……分からないわ。でもそのことがきっかけであたしはあなたのいない間にあなたの御両親に呼ばれたの。卓上にワイングラスの写っているこの写真はどういうことですか?ってね。」
改めて考えてみても疑問が残る。そんなことをして何の意味があるのだろう? 僕やルカ先生が映画スターだったのならその写真にはスキャンダルとして価値があるかもしれない。でもその写真には外国からの留学生の女の子と田舎貴族の次男の男の子が食事をしている様子が写っているだけなのだ。この写真を撮影した人間は僕の父さんをゆするつもりだったのだろうか? でもこんな写真では父さんは一ジオンですら払わないだろう。僕にはさっぱりその写真の意図が理解出来なかった。
「写真を撮られていたことにまず驚いたわ。でもそれって飲酒を二人でしていたっていう動かぬ証拠だしあたしはすぐに自分の軽はずみな行動を謝ったの。あなたのお家は貴族だもの、息子の飲酒が世間にバレたらそれは大問題になってしまうかもしれないでしょ? それで責任が取れる訳ではないんだけれどもあたしはあなたの御両親に家庭教師も辞めさせて頂きますって言ったの。」
「……そしたら父さんや母さんはなんて? 」
「お二人ともすごく懐の広い方よ。素直に謝ってくれたから今回のことは無かったことにしましょうって言って下さったの。」
ここまでも母さんから聞いた話と相違ない。おそらく父さんと母さんは写真を見せつけることによってルカ先生がどんな反応をするのかを試したのだ。もしそこでルカ先生が開き直ったり事実を認めようとしなかったりすれば父さんと母さんはおそらくルカ先生をクビにしていたであろう。でも先生はきちんと自分の非を認めて謝った。それで父さんと母さんは一度の過ちに拘ることなくルカ先生を逆に一層信頼したのだ。
「それにあなたのお父様はこうも仰って下さったわ。あたしのことを優秀な家庭教師だと。それで今回の写真はあたしに嫉妬した誰かの悪戯じゃないか? って。おまけにお父様は自分はしがない貴族の端くれだからこんな写真で恐れることなど何もない、とも仰って下さったのよ。随分あたしに気を遣って下さったわ。そして最後にはこんなあたしに家庭教師を続けて欲しいって頭まで下げて下さったの。」
堅物そうな父さんがそんな粋な対応をしていたなんて! あの親父やるじゃねえか! 僕はちょっと嬉しかったが聞きたいのはその先なのだ。僕はじっと先生の話に耳を傾け続けた。
「あたしはそれを聞いて本当に嬉しかったわ。だからその時は家庭教師を続けさせて頂きますってことで話がまとまったのよ。……でもね。」
そこで先生は顔を曇らせた。何があったというのだ!?
「でも、何です? 」
「その写真が送られたのはあなたのお家だけではなかったのよ。大学の事務所とあたしの両親のところにも送られていたの。」
「えっ!? 」
僕は思わず大きな声を出していた。一瞬で頭に血が上り顔がピクピクと怒りで引きつっているのが自分でも分かる。
「大学の方からは貴族に相応しい行動ではないということで夏休み明けの一週間の停学処分を言われたわ。けどあたしのお父さんの反応はそんなに甘いものじゃなかったの。」
「……お父さんはなんて言ってるんです? 」
「留学までさせてやってるのに男と酒を飲んでフラフラするとは何事か! ってね。即帰国命令が出たわ。」
僕はそれを聞いてルカ先生の家は軍人の家系で物凄く厳しいという話を思い出した。そこまで聞いてしまうと僕にはもうルカ先生を止めることは出来ないのかもしれないとも正直思った。だけど僕は引き下がれなかった。ここでルカ先生を帰国させてしまったら僕はもうルカ先生と一生会えないかもしれないのだから!
「当事者の僕が先生のお父さんに事情を説明します!先生は何も悪くないってことを! 」
「プルーディンス王国では未成年の飲酒は法に触れるわ。お父さんにすれば自分の国で許されないことを海外で平気な顔をしてやっているあたしに腹を立てているのよ。勿論あなたやあなたのお父様に迷惑をかけたことを一番怒っているけどね。あなたの気持ちは嬉しいけど、どうしようもないわ。」
そんな! 先生、本当に帰っちゃうのかよ!? そのことを実感すると僕の目から急に大粒の涙がこぼれ落ちた。




