女子寮にて
「ふぅ、先生、はぁ、どういう、ふぅ、つもりだよ! 」
僕は息を切らせながらそう一人言を呟いていた。家を飛び出して走ること一時間、僕は汗まみれになりながらルカ先生の家に向かっていたのだ。陽は傾きかけているとはいえまだまだ気温は高く夕暮れの太陽光線がジリジリと僕の肌を焼いている。僕は学校の制服を着ていたのだが汗で白いワイシャツと黒いズボンが肌にペッタリとくっついて気持ち悪いことこの上ない。ルカ先生を見返そうと思って始めたランニングがルカ先生との別れとなるかもしれないこのタイミングで役に立つとは何とも皮肉なものだと僕は思った。
「ふぅ、見えて、はぁ、きたぞ! 」
僕はようやくルカ先生の寮の前に到着した。僕はそのまま寮の門のところまで進むと中の様子を窺う。門はすこし開いていて入るのは簡単そうだ。だけどここは女子寮なので誰かに見つかれば僕は下着泥棒か何かに間違われてしまうかもしれない。でもルカ先生に会って先生が何を思っているのかをその口から直接聞き、その上で家庭教師の継続を僕自らが頼み込むという行動を取らなければ僕は自分自身を納得させることは出来ないのだ。僕は思い切って門の中に入った。
「あぁ、神様! 頼むから誰にも見つかりませんように! 」
僕はそう祈りながら門を開けて女子寮の敷地内に入ると小走りで建物の中に入った。痴漢なんかに間違われたら末代までの恥だ。だが幸いなことに誰にも見つかることはなかった。建物の入り口のところに管理人室らしき部屋があったがそこにも人影はない。よし、行ける! 確かルカ先生の部屋は201号室だった筈だ。僕は一気にルカ先生の部屋の前まで通路と階段を駆け抜けていった。
「もし誰かに見つかったら、ルカ先生の従兄弟ってことにするか。」
僕は誰かに見つかった時の為の言い訳を考えながらようやくルカ先生の部屋である201号室の前に立った。ドアに耳をそっと当てて中の様子を窺うとガサゴソと音がする。ここは寮だから中に人がいるとすればルカ先生の筈だ。僕はドキドキしながらも思い切ってドアをノックしてみた。万が一違う人が出てくればさっきの言い訳を使えば何とかなるだろう。すると中から返事が聞こえた。
「は〜い! もう来ちゃったの? 早いわね! 」
それは紛れもなくルカ先生の声だ! 僕は一瞬喜んだが先生の返事の内容が気になった。早いわね! ってどういう意味だろ? もしかしたらルカ先生には実は彼氏がいて今日はこっそりと部屋で密会するつもりとか!? もしそうならそれはそれで僕は大きなショックを受けることになるだろう。だけどもしこれから会えなくなるのであればその方がきっぱりとルカ先生に対する自分の気持ちに諦めがついていいかもしれない。僕は一瞬のうちに色々なことを想像したが取り敢えず頭の中を切り替えて後先のことをあれこれ考えるのをやめた。今は自分の出来ることをやるしかないのだから。
「ガチャ! 」
ドアが開いてルカ先生が出てきた。白いエプロンに白いマスクをして頭にはこれまた白い三角巾を巻いている。手にははたきを持っているのでおそらく掃除をしていたのだろう。僕を見ると先生の瞳が一回り大きくなった。僕は何と言っていいのか分からず無言で暫く先生を見つめた後ようやく口を開いた。
「……せ、先生。」
すると先生は僕の手を引っ張り家の中に引っ張り込んだ。良かった、取り敢えず拒絶はされなかった! どうやら彼氏を待っていた訳ではないらしい。だが先生はドアを閉めるとマスクを取って物凄い剣幕でこう言った。
「何してるの!? こんなところをまた誰かに見られたらまずいじゃない! あなたは貴族の御曹子なのよ! そのことをちゃんと分かってるの?! 」
先生はかなり怒っていた。以前はあんなに嫌だった先生の怒った顔も今は全然嫌とは思わない。逆に怒られてもこうして会えただけで嬉しいぐらいだった。だが僕はルカ先生の部屋に入って気が付いたことがあった。先生の部屋は梱包された荷物が部屋のあちこちに置いてあるだけでベッドも机も椅子もないのだ。間違いない! ルカ先生は引っ越しをするつもりなのだ!
「……先生、引っ越すの? 」
僕がそうぽつりと聞くと先生の怒っていた表情がすこし悲しげな色を帯びた。先生は何も言わなかったがその表情は僕の言ったことを無言で肯定していた。
「……何処に引っ越すの? 」
先生は黙っていた。沈黙が流れる。でも僕は先生が何か言ってくれるまで何時間でも待つつもりだった。すると先生は小さな声で言った。
「故郷へ……帰るの。」
それを聞いて僕は逆上しかけた。何の説明もなしに家庭教師を辞めてその上プルーディンス王国へ帰っちまうのかよ!? だが僕はぐっと怒りを堪えて先生に静かに言った。
「……この前のワインが原因ですか? 」
先生は何も答えず俯いて黙っていた。目にはいつの間にかうっすらと涙が溜まっている。僕はその時初めて自分の軽率な飲酒がルカ先生をそれほどまでに苦しめていたということを実感した。でもその為に帰国までしなければならないのだろうか? 僕は先生に頭を下げて言った。
「先生、ごめんなさい! あの時僕は何も考えずにワインを飲んじゃいました! それがこんなことになってしまって! でも悪いのは僕で先生が自分をそこまで責める必要はないと思います! お願いです! 帰国を取りやめて下さい! そして家庭教師を続けて下さい! 」
僕はいつの間にか涙声になっていた。ここまで準備をしているのだから僕の訴えはもう無駄なのかもしれない。でも言わなければ気が済まないのだ!
「……ワインを最初に勧めたのはあたしよ。あなたはそれに乗っかって飲んだだけ。悪いのはあたしよ。」
先生はそう小さな声で言った。僕はちょっと声を荒げて言った。
「だからって家庭教師を辞めるどころか故郷に帰ってしまうんですか!? 大袈裟過ぎます! そこまでする必要ありませんよ! それとも……他に何か理由があるんですか!? 」
僕の叫びを聞くと先生の頬を涙が伝った。




