ユージーン坊っちゃま
「さぁ、ユージーン坊っちゃま。おやつをお持ちしましたよ! 」
僕の家でお手伝いさんをしてくれているワカバさんが僕の部屋のドア越しにそう声を掛けてきた。僕は学校から家に帰ってきて制服の黒いズボンと白いワイシャツに斜めに青と白のストライプが入ったネクタイをしたまま机の前の椅子に腰掛けてぼんやりと窓から外の風景を見ていたのだけど慌ててノートを広げて勉強をしているふりをした。
「ユージーン坊っちゃま、机の上におやつを置かせてもらいますね! 」
そう言うとワカバさんは背後のドアを開けて僕の部屋に入ってきた。僕の家で働く人は皆僕のことをユージーン坊っちゃまとかユージーン坊っちゃんて呼ぶ。でも僕はその呼ばれ方が実は大嫌いだ。そもそもユージーンていう名前の響きがどういう訳か気に入らない。おまけにそこに「坊っちゃま」を付け加えるなんて! 甘やかされてるって感じがして気持ち悪い。僕は「ユージーン坊っちゃま」という呼び方に不快感を示そうと後ろを振り返りながらすこし嫌そうにワカバさんにお礼を言った。
「……あ、ありがと。」
本当は「ユージーン坊っちゃまって呼ばないで! 」ってハッキリ言いたいんだけど昔から皆にそう呼ばれてるから今さら言いにくいんだよな〜。で当然の如くワカバさんには僕の想いは伝わることがない。ワカバさんは丸い大きな黒縁のメガネの奥から満面の笑みを振り撒きつつ僕の方におやつと紅茶ののったお盆を差し出した。
「今日は坊っちゃまの好きな苺のショートケーキですのよ! 美味しく召し上がれ。」
ベージュのエプロンを身に纏いお盆を両手で身体の前に抱えているワカバさんはそう言うとまたニコッと笑った。ワカバさんはいつもとっても明るくって元気な人だ。もう五十歳を超えていて背が低く凄く太ってるけど家事をしてる時のワカバさんは凄く俊敏だ。仕事は早いし性格も明るくて本当にいい人だけど僕が唯一嫌なところはちょっとおせっかいなところだ。お盆が机の上に置かれると僕は何も言わずそのケーキをもぐもぐと食べ始めた。
「如何です? 美味しいですか? 」
「う、うん。とっても美味しいよ。」
ワカバさんはたまにとんでもないお菓子を作る時がある。ほうれん草入りのケーキとかブロッコリー入りのスイートポテトとかだ。野菜嫌いの僕の為に敢えてそういうものを作るらしいのだけどこれがとんでもなく不味い。ケーキとかそういったスイーツは甘くして欲しいのに大嫌いなほうれん草なんか入れられたら甘く感じる訳がない。でも今日のケーキは凄く甘くて本当に美味しかった。
「良かったですわ! ワカバは嬉しゅうございます。で、今は何をなさってたんです? 宿題ですか? 」
「うん、そうだよ。でもだいたい終わったから今からヤコーさんのところへ行ってくるね。」
僕は紅茶を飲みながらワカバさんに出鱈目を言った。最近ワカバさんは二言目には「勉強してますか? 」とか「宿題終わりましたか? 」と聞いてくる。宿題は夜でも出来るしこんな嘘でも言わないと部屋を抜け出すことさえ出来ない。
「本当に出来ました? ちゃんと勉強しませんとお父様やお母様からまた怒られますわよ。」
「大丈夫だよ、ご馳走様! じゃあ行ってくるね! 」
僕はそう言うと部屋を飛び出した。背後からワカバさんが何か言ったけれど僕は振り向きもせずに家の廊下を走っていって門を出た。最近家の中では誰しもが僕の顔を見れば勉強のことしか言わない。うんざりするよ、全く。
家を出ると同じ敷地の中のすぐ目の前に大きな建物がある。僕はその中に入っていった。中はとっても暑くてうるさい。それもその筈でこの建物の中では刀を作っている。真っ赤に焼けた鉄がハンマーでガンガンと叩かれて綺麗な刀に変わっていく、そんな光景を眺めるのが僕は大好きだ。
「おや、坊っちゃん。またこんな暑いところに来られたのですか? 火の粉が飛ぶと危ないので気を付けて下さいね。」
白い半袖のTシャツの上に分厚く黒いエプロンを垂らして汗をビッショリとかきながら鉄を叩いているのはヤコーさんだ。ヤコーさんは作業が一段落した後僕の姿を見るとそう言って優しく微笑んだ。ヤコーさんは仕事をしている時は怖そうだけども僕にはいつも凄く優しい。確か歳はもう六十歳ぐらいだけど身体は筋肉モリモリで背は高く白い髭をたくわえている。僕はそんなヤコーさんが大好きだ。
「ヤコーさん、僕のことは気にしないで。僕はヤコーさんが刀を作っているのを見るのが好きなんだ。続けてよ。」
「坊っちゃんにそんなことを言って頂くとは嬉しいですな! ではこのヤコーめが張り切って鉄を打つ様をとくと御覧下さい。」
ヤコーさんはそう言うとまた真っ赤に焼けた鉄をハンマーで叩き始めた。赤い鉄が叩かれて延ばされ刀の形になっていく。ただの焼けた鉄の塊を綺麗な刀に変えるヤコーさんの技術が凄いということは子供の僕にでも感じられることだった。実際にヤコーさんの作った刀は切れ味も鋭く扱いやすいということで人気があって注文しても納品が一年待ちぐらいらしい。僕はヤコーさんの仕事の様子を汗びっしょりになりながら二時間ぐらい眺めていた。
「さあ、ようやく大まかな形が整いましたぞ! 」
ヤコーさんはそう言うと叩きあげた刀を僕の目の前にかざしてくれた。その綺麗な刃を見て僕は目を輝かせ心の中でどこかうっとりとしてしまうのだった。
「綺麗だね……。切れ味も鋭そうだ。」
「勿論鋭いですとも! ゴブリンごときなら一撃でその身体を真っ二つにしてしまいますぞ。」
ゴブリンというのは僕らの村の周囲の森の奥深くに住む化け物のことだ。人間と同じような姿をしているけれど背は低く皮膚の色は緑色で鼻が長く垂れ下がり両耳がアンテナのように上を向いている。人間のことが嫌いらしく森の中を歩く旅人が襲われたなんて話はしょっちゅう聞くしたまに村の中にまで姿を現して畑を荒らしたりもする。僕も何度か村に現れたゴブリンの姿を見たことがあるけれど怖くて遠くから眺めているのが精一杯だ。あいつらは背は低いけど力は凄く強いらしくて僕なんか襲われたらあっという間にやっつけられちゃう。
「へぇー! そんなに凄いんだ! 」
「このヤコーめが作る刀剣はゴブリン退治をする村の自警団に非常に好評なのですぞ。」
「ねぇ、ヤコーさん。僕もいつか刀を作ってみたいんだけど……駄目? 」
「ハハッ、いいですぞ! このヤコーめが御指導さして頂きます! ですがお父様に許可を頂いてからにして下さいよ。」
僕のお父さんはヤコーさんみたいな腕のいい職人さんを何人か雇って刀剣を作ってもらいそれを販売して生計を立てている。ヤコーさんのお陰で僕ら家族は暮らしていけてるのにヤコーさんは全然偉そうじゃない。逆にお父さんや僕にとっても気を使ってくれている。その偉ぶらない態度が僕にはまた格好良く思えた。
「うん、分かったよ。父さんに聞いておくね。楽しみだな〜! 」
僕がそう言うとヤコーさんはにこりと微笑んだ。ヤコーさんの優しい笑顔を見るとつい僕も微笑んでしまう。僕はやっぱりヤコーさんが大好きだ。気は優しくて力持ち、本当にかっこいいと思う。
「ユージーン坊っちゃま! まだこちらにいらっしゃったのですか? もう晩餐のお時間です。すぐにお戻り下さいませ! 」
僕とヤコーさんがお喋りをしていたらワカバさんが作業場に入ってきた。晩御飯の時間てことはもう夜の七時だ。やばい! 僕の家族では約束事があって夜御飯は七時からというのが決まっている。晩御飯がスタートする七時には席についていないとお父さんに怒られちゃう! 僕は慌ててヤコーさんと別れて家に走っていった。