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5.仲違い

 高二になって三日目。オレは一時間早く家を出た。

 ハルが三十分早く家を出るのなら、オレも三十分以上早くに学校に着いていれば良いんだ。

 どうせ朝は早起きだ。

 まだ暗い街の中を走ることから、オレの一日は始まる。走り込みから戻ったら、空手の型稽古をしたり、腹筋や腕立て伏せなんかの基礎トレをしたり。そんなことをしてから、朝飯を食べる。

 学校までは、自転車を飛ばせば十五分程で着く。

 ……と、ハルの少し上を行くつもりが、学校に着いたのは七時過ぎ。

 早すぎだろ!? いくら何でも、気合い入りすぎだ。

 苦笑しつつ閑散とした校舎に入り、教室に鞄を置いてから裏口に向かった。

 暇に飽かせて、オレは考えた。

 ところで、ハルは一体何に怒ってるんだ?

 ハルは、親父には、学校に、オレと同じクラスにしろって圧力をかけないで欲しい、って頼んだらしい。

 ハルは、それが別クラスを確定する頼みごとだと気づいていなかった。気づいていないのなら幸いだ。親父が口出しをしなかったけど、学校側が相談してオレたちを同じクラスにしてくれたのだと、そう思っていてくれたのなら好都合。

 後一回、来年一回乗り切れば大学生だ。

 そこからは、こんな小細工は不要で、オレは学部をどうするかとか、どの授業を取るかとか、そういうことをハルと相談すればいい。

 ハルは大学で、何を専攻したいんだろう?

 親父は兄貴と同じ経営学部をって言うけど、悪いけどオレにその気はない。オレが選ぶのは、ハルが選ぶ学部だ。

 すべてはハルのために……ってのは、オレの中で決して変わることのない価値観。

「おまえを説得するより、陽菜ちゃんを説得する方が早そうだな」

 親父は苦笑いしていたが、オレは本気で言い返した。

「そう言うの、絶対、やめてくれよ」

「はいはい」

 親父は笑っていた。その目が面白そうにオレを見ていたから、今のところは大丈夫だと思っている。けど今後、要注意だ。

 ここ数日見ていないハルの笑顔を思い浮かべつつ、裏口前の階段に座って待っていると、いつもの三十分前、七時四十分にハルの乗った車が到着した。

「おはよう」

 裏口の外にオレの顔を見つけて、驚いたような顔をするハル。その顔は予想通り、ぜんぜん嬉しそうではない。

 始業式の日の午後、並んで庭先を散歩した時には、あんなに心が通じ合っていると思ったのに。

 あれは、たった二日前のことなのに。

 気に入らないことがあるなら、遠慮なく言ってくれたらいいと思う。だけどハルは、どちらかというと言葉を飲み込んでしまう方だ。

 熟考してからしか言葉にしない。何ていうか、そんなところはオレとはまったく違って、かなり思慮深い。

 待っていてもハルが何も言ってくれないのなら、オレは想像するか聞くしかない。

「……おはよう」

 困ったように小首を傾げ、ハルは小さな声で返事をした。

 オレはハルの鞄を受け取り、ハルは革靴を脱いで上履きに履き替える。

「ねえ、ハル」

「……なあに?」

「何を怒ってるの?」

 怒ってる。

 そう。多分、オレはハルを怒らせたんだ。

 だけど、ハルはオレを責めない。そうして、オレと距離を置こうとする。

 ねえ、ハル。

 オレを嫌いになったんじゃなかったら、怒っていいから、力いっぱいなじっていいから、側にいさせて。オレを突き放さないで。

 オレたちは、付き合うようになってから約束した。

 去年のようなことがないように、あんな変なすれ違いが二度と起らないように、何でもちゃんと話をしようねって。

 去年、高等部に入学して一月ほど経った頃、ハルの様子がある日突然、おかしくなった。

 オレを避ける。オレを突き放そうとする。オレから離れようとする。

 ハルは何も言わないから、オレも言葉が足りなかったから、オレたちは散々すれ違って、……すれ違うだけじゃ済まなくて、ハルは危うく命を落としかけた。

 そうして、オレたちは約束をした。

 ハルが答えないのを見て、オレは言った。

「ねえ、ハル。約束したよね?」

 ハルが困ったようにオレを見上げた。

「何でも話そうって。隠しごとはなしにしようって」

 時間はある。

 歩きながら話すことはない。ここで話していけばいい。

「……カナ」

「うん」

 もっと時間がかかるかと思ったのに、思ったよりずっと早くに、ハルは言葉を綴った。

「……パパに頼んだのは、カナ?」

「え!」

 不意打ちだった。

 オレがハルの父さんに、ハルとオレを同じクラスにしてくれって頼んだことが、バレたのか!!

 ……おじさんのバカ!! 内緒にしてねって言ったのに。

 おじさんだって、「了解」って請け合ってたくせに!!

「いや! 何て言うか、それは」

「……カナ。わたし、もう、パパに聞いたから」

 おじさんは、ハルに滅法甘い。溺愛していると言ってもいいと思う。

 ただ、ハルは自分から何かをねだったりするようなことはなくて、だから、普段は普通の親子なんだけど……。もしかしたら、おじさん、ハルが欲しがったら、家一軒だって買い与えるんじゃないだろうか? ってくらいで。

「えっと、……ね、ハル」

 言い訳しようとしたオレに、ハルが泣きそうな顔で言った。

「パパ、カナだけじゃなくて……」

 ん?

「わたしと仲の良い友だちを調べて、同じクラスにしろって……言ったんだって」

 おじさん!!

「それからね、わたしが歩くのが苦手だから、階段の側のクラスにしろって……」

 ちょっと、待った!!

 ハルがスッと目を伏せ、そして、

「……二年のクラスを一階にするようにも」

 囁くように、ハルが言った。

 おいおいおいおい!! そりゃ、いくら何でもやり過ぎだろ!?

 いや。二年のクラスは例年通り二階だったけど……、けど言ったんだよな!? それ、言ったんだよな!?

「ハル! オレ、そんなこと、頼んでないから!!」

「……うん。分かってるよ」

 ハルが力なく、答える。

 ハルは相当、ショックだったらしい。

 オレが親父に頼んでいたことすら嫌がって、わざわざ親父にまで直訴したのに。結果、オレと同じクラスにしろってことだけじゃなく、ハルの交友関係やどのクラスにするかまで口を出される羽目になって……。

 しかも、それをしたのが自分の父親で、その発端がオレときた日には……。

 ハルの目は潤んでいた。

 だけど、ハルは泣かなかった。

 そうして何も言わずに、そのまま歩き出した。

 オレに怒るのではなく、ハルは多分自分を責めている。

 オレはかける言葉を思いつけず、ハルの横を静かに歩くことしかできなかった。


 事件はそれだけで終わらなかった。

 教室に戻ると、入り口の側で、新入生らしき男子が人待ち顔で立っていた。そしてハルの顔を見ると、満面の笑顔で声をかけてきたんだ。

「陽菜ちゃん!」

 ……ちょっと待て、おい、今、何て言った!?

 陽菜ちゃんだぁ!?

 人なつこい笑顔と、制服が若干大きいせいでまだ子どもっぽいとも感じられる。でも身長は百七十を越えているし、体格だって悪くない。

 そんな男が、しかも、昨日入ってきたばっかりのピカピカの新入生が、なんで、陽菜ちゃん!?

 オレたちは家も隣の幼なじみ、そして恋人同士。だから、ハルの交友関係のほとんどを、オレは知っているはずで……。

 だけど、この新入生を、オレは知らない。

 ハル、コイツ、誰!?

 陽菜ちゃんって、名前を呼んだだけでも驚いたのに、その上、そいつはハルの頬を両手で挟んで……。

「大丈夫? 顔色悪いね。まだ体調悪い?」

 と来たもんだから、思わず、オレは割って入った。


「あのさ! ハルに触らないでくれる!?」

 だけど、その新入生が答えるより前に、オレはハルに止められた。

「カナ」

 結構厳しい表情で、

「先に、教室に入ってて」

 って、そんなこと言われたって、入れるわけないだろ!?

 オレの脳裏に、羽鳥先輩の顔が浮かんだ。

 思えば、羽鳥先輩が、ハルとあんなに仲が良かったことも、ハルのことを好きだったことも、去年のオレは、まったく知らなかった。

「もう、大丈夫だから」

「本当に?」

「うん。……驚いたでしょう? ごめんね」

 ハル、何のこと?

 まるで話が見えない。

「いや、オレこそ、ごめんね」

 そいつが申し訳なさそうに謝る。

 たまらず、オレは再度口を挟んだ。

「ハル!」

 ハルは隣のオレを見上げて、それから目の前のそいつを見て、

「わざわざ、ありがとう。もう大丈夫だから」

 と、また笑った。

 心からの笑顔ではない。それは分かった。

 でも、気に入らなかった。

「ハル!」

 オレはハルの肩を抱いて、教室に入ろうと促した。

 オレの行動は、紛れもなく嫉妬心から出たものだった。

 ハルが他の男子と話していたからって、そんなことを気にするオレじゃなかったのに。ハルと何となくうまくいっていない、すれ違っている感がある今、オレの知らない別の男と、あまつさえ「陽菜ちゃん」なんてハルを呼ぶ男と、笑顔で話すハルを暖かく見守るなんて、できなかった。

 タイミングが悪すぎた。

 ……いや、相手が悪かったというべきなのか?

「陽菜ちゃん、コレ、陽菜ちゃんの彼氏?」


 そいつは挑戦的な目で、オレを見た。

 コレとはなんだ、コレとは。仮にも先輩だぞ!? と、にらみ返したが、そいつは鼻で笑いやがった。

 ハルが小さく頷いた。

 コレ、陽菜ちゃんの彼氏? への回答。

 ……良かった。オレ、まだ、ちゃんとハルの彼氏だった。

 そこでホッとする辺り、オレも気が小さい。

 別れ話なんて、カケラも出ていないのに、ハルに冷たくされただけで、もうダメ。

 だけど、そいつは、そんなことでどうこう思う輩ではなかったらしい。

「やめなよ。こんな人」

「……え?」

「なんだと!」

 ハルの声とオレの声が重なった。

「なにこれ、独占欲? 嫉妬? よく分かんないけど、ダメでしょ、こんなの」

 そいつはハルにそう言うと、オレをジロリとにらんだ。

 可愛い顔をしている、犬みたいに人なつこいヤツかと思ったけど、そんなことはなかった。見た目通りの人なつっこいだけのヤツじゃない。

 コイツは男だ。

 ハルに気がある男。

 つまり、オレの敵、決定だ!!

「……あのね、一ヶ谷くん」

 ハルが何を言おうとしてくれたのかは、分からなかった。ハルが言葉を続ける前に、ハルが一ヶ谷くんと呼んだ新入生が、かぶせるように話したから。

「陽菜ちゃん、束縛されるのが好きなタイプ?」

 ぶっ、と思わず吹き出す。

 ハルもポカンとした顔をしている。

 それから、ハル、左右に首を振った。

「だよね? じゃあ、こんなのやめて、オレにしなよ」

 ちょっと待て! 束縛してるのって、オレかよ!?

「昨日の言葉、オレ、本気だよ」

 そいつは、またハルの手を取った。

 待て待て待て待て! 昨日の言葉って、なんだ、そりゃ!?

 昨日入学して、もう告白済みってことか、おい!!

 それとも、昔からの知り合い!? いや、ハルの様子からして、それはないだろ?

 オレは、速効、ハルの手を奪い返す。今度は、ハルも何も言わなかった。

「陽菜ちゃん、考えておいて!」

 そいつは、また人なつこい満面の笑みを浮かべた。

 それから、

「また会いに来るから!」

 爽やかに言い置いて、走り去った。

「二度と来るなっ!」

 怒鳴りながら、そいつの背中を思わず睨みつけた。

 まるで、突然やってきた予定外の台風が、一気に通り過ぎたような気がした。


 ……実際、台風だった、そいつの存在は。

 階段横のうちのクラス。その廊下で話していたんだ。

 多少早い時間とは言え、教室に向かう二年はもとより、階段を通る一年の耳にも、オレたちの会話は筒抜けだったらしい。

 その日の帰りには、学校中、この話で持ちきりになっていた。

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