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26.他力本願2

 日曜日、朝イチで病室に行き、ドアを開けると、

「カナ」

 と、ハルが嬉しそうにオレの名を呼んでくれた。

 目、覚めたんだ!! おばさん、連絡ちょうだいよ!

 そう思いながら、オレはハルの元へと駆け寄った。

「ハル!」

 病室の中に他に人がいて、ベッドサイドのイスに座る人物が、オレのために場所を譲ってくれたことに気づいたのは、まだ熱が下がらず、ほてった顔、潤んだ瞳のハルを抱きしめてから。

 ベッドを起こしているくらいだから、幾分かは楽なんだろうけど、まだまだ身体が熱い。

 早く元気になぁれ……なんてのんきに思っていると、

「……叶太、おまえ、度胸あるな。親と兄貴の前で、いきなりラブシーンかよ」

 と、呆れた声が耳に飛び込んできた。

 遠方で大学生をしているハルの兄さん、明兄の声に、オレが慌てて振り返ると、ハルんとこの一家が勢揃いしていた。

 明兄、おじさん、おばさん!!

「……う、わっ! えっと、……おはようございます!」

 慌てて挨拶をすると、おばさんは小さく吹き出し、おじさんは苦笑いをした。

「私たちがいることに気がついて、挨拶してるのに、陽菜は離さないのね?」

 おばさんがおかしそうにクスクス笑う。

「あ、……えーっと、」

 慌てて、いやそんなことは……と言い訳しようにも、何も出てこない。

 何しろ、オレはとにかくハルが大好きで、愛しくて仕方なくて、側に誰かいるからってハルから手を離すとか、あり得ないって思ってるから。

 いつも、そんな風に周りを気にするのはハルの方。でも、今日に限って、ハルも困った顔などしていなかった。

 ああだけど、やっぱり明兄とおじさんの前では遠慮するべきだった!?

 おじさんも明兄も、ハルを溺愛している。オレたちの仲はお互いの家族公認だけど、明兄はたまに露骨に邪魔してくる。ハルが悲しそうな顔をしたら、速攻やめる辺り、溺愛ぶりも徹底していると思うのだけど。

 オレはそっとハルの身体を解放し、代わりに手をつないだ。

「陽菜、幸せ者ね」

 おばさんだけは面白そうに、陽菜に話しかけていた。

 いつもは恥ずかしがり屋のハルが、今日に限って、オレの手を離さない。抱きしめられて、オレがからわかれている時も、「離して」とも言わなかった。そして、おばさんの「幸せ者ね」に小さく頷いて返事までしてくれた。

「……うん」

 正直、嬉しい。思わず顔がにやけてしまう。

 でも、あまりにいつもと違う反応に、ハルが熱のせいでどうかしちゃったんじゃないか、そっちの方が気になった。

 それから、自分の存在が家族水入らずの邪魔をしているようで、なんだか申し訳ない気がしてならなかった。

 普段、ハルの家族はみんな多忙で、土日だとしても、こんな風に集まってるようなことは、ほとんどない。おばさんがここにいるのも仕事の合間の数分程度で、私服で病室にいることなんて滅多にない。

 通常、見舞い客の九割以上はオレな訳で、わざわざ、新幹線に乗って明兄まで来るとなると、別の意味で心配になるくらいだ。

 ハルの具合、そんなに悪かったのかって。

「ハル、オレ、またにしようか?」

「え? なんで?」

「や、だって、明兄まで来てて家族揃うなんて珍しいじゃん?」

 ハルが不安そうにオレの目をじっと見つめた。

 そして、オレの手をキュッと握る。

「……オレ、いてもいいの?」

 ハルがこくりと頷いた。

 唐突に、おばさんがおじさんの腕を取った。

「ねえ、せっかくの日曜休みだし、久々にデートしましょうか?」

「え?」

 と、おじさんが驚いた顔でおばさんを見た。

「何年ぶりかしら?」

「何年ぶりはないだろ。結婚記念日は毎年、二人で祝ってるじゃないか」

 突然の話なのに、相好を崩しておばさんを見ながら話すおじさん。

 お互いに忙しい仕事をしていて、すれ違いの毎日のはずだけど、実はこの二人はかなり仲が良い。

「ふふ。そうよね。でも、結婚記念日くらいじゃない? しかも、大抵、食事をするくらいでしょう?」

 おばさんがおじさんの腕に、自らの腕を絡ませた。おじさんもまんざらではない表情。

 若い頃に海外に留学していて、更に仕事で海外にいたこともあるおじさんは、愛情表現もオープンな方だ。おばさんの誘いに気をよくしたのか、そのまま、スッとおばさんの腰を抱いた。

「……そうだな、久々にどこか行くか?」

「ええ。しっかりエスコートしてね」

「もちろん! どこに行きたい?」

「そうね、せっかくだから、ゆっくりできるところかしら?」

 すっかり出かける気になったおじさんは、笑顔でハルの枕元へと移動した。

「また夕方に来るからな」

「楽しんできてね」

「ああ。ありがとう」

 おじさんがハルの頭をなでている間に、おばさんがオレにウィンクをよこした。

 オレはおばさんの気遣いに感謝しつつ、コッソリ、小さく頭を下げた。


「相変わらず、仲良いね」

 楽しげに出ていった二人を見送った後、ハルに笑いかけると、ハルも嬉しそうに笑い返してくれた。

「……まだ、兄貴は残ってるんだけど、目には入らないのかな?」

 と、明兄が笑いながらオレの頭をゴンとゲンコツで叩いた。

「明兄~」

 結構本気で叩くんだよな。

 オレが抗議の声を上げると、明兄は悠然と腰に手を当てた。

 ハルが真ん丸な大きな目をしているのに、明兄は切れ長の涼しげな目元。ハルが色素薄めのふわふわの髪なのに、明兄は漆黒のサラサラストレート。更に、高校生になった頃からかけはじめたのは、秀才っぷりをアピールするような銀縁の眼鏡。

 まったく似ていない二人だけど、間違いなく、揃って人目を惹く、整った容姿の兄妹だった。

「オレ、人前だろうが、二人きりだろうが、態度変えないことにしてるから」

オレの言葉を聞くと、明兄はオレをジッと見つめてきた。

 半端ない眼力だけど、負けない。

 だから、オレ、本気でハルが好きなんだって。誰かに隠す必要とか、遠慮する必要とか、まったく感じてないんだから。

 オレ、四歳の時から、ハルが大好きだって公言してるんだから、明兄だって知ってるだろ?

「いい度胸だ」

 たっぷり十秒くらいオレを半ば睨みつけるように見つめた後、明兄は、ふっと笑顔を浮かべた。

 ハルは熱が高くてしんどいのか、困ったような顔をしながらも、口は挟まず、ただオレの手を握っていた。その手の熱さが、やけに気になる。ハルの手はいつもは、心配になるくらい冷たいから。

「オレが側にいたら、守ってやるのにな」

 明兄がハルの頭を優しくなでた。

 昔からハルんちは、おばさんもおじさんも忙しくて留守がち。だから、ハルは自然とお兄ちゃん子になったし、明兄もハルを溺愛し、散々可愛がっていた。

 五歳も離れているから、ハルと明兄が同じ学校に通ったのは、小学生の時の一年間だけ。その一年間、明兄は常に出過ぎず、密かにハルを見守り、困った時にはそっと助けていた。今の五歳差じゃない。小学校の六年生と一年生はあまりにも違いすぎるから、近くにいすぎるのもおかしい。

 明兄の判断はきっと正しかったのだろう。同じ校舎にいられるのは、たった一年。なのに、過保護にしすぎたら、後で苦労するのはハルだから。

 その頃から、明兄は見るからに賢そうで、実際、抜群に頭が良かった。

 そして、今、通っているのは国内最高峰と言われる大学の医学部だ。ハルのじいちゃんの跡を継いで、いずれ、この病院を切り盛りしていくのだと思う。間に、多分、おばさんが入るのだろうけど。

「お兄ちゃん」

「ん? どうした?」

「大学のお勉強、忙しい?」

 不意に、ハルが明兄に聞いた。

「ん。そうだな、忙しいよ」

 オレに話す時とはまったく違う、優しい穏やかな声。

「ありがとう」

「ん?」

「心配して、わざわざ、来てくれたんでしょう?」

「ああ。晃太から、学校にとんでもないヤツが乗り込んできたって聞いて、驚いたし」

 ……兄貴、誰に報告してんだよ。

 そして、ハルも「なんでお兄ちゃんが知ってるの?」っていう顔をしていた。ハルはきっと「わたしの身体のことを心配して」と言いたかったんだと思う。

「大変だったな」

「ううん」

「もう、こんなことがないように、手を打っておくから、陽菜も安心していいぞ」

「え?」

「明兄?」

 思わず口を挟むと、明兄が不敵な笑み浮かべた。

「おまえも、陽菜を守るって言うなら、それくらい手を回せ」

「……あ、えっと、親父には頼んだ」

 明兄はふっと笑みを浮かべた。

「そりゃいい。広瀬のおじさんが動いてくれるなら、オレが出るまでもないかな?」

「あの……お兄ちゃん?」

「ん?」

 またしても、明兄の表情は一気に柔和にゆるむ。

「あの女の子に、……何か、するの?」

「ああ、二度と陽菜や叶太に近寄らないようにしとかなきゃな?」

 ハルが困ったような顔をする。

 ハルのことだ、きっと今回のことは、おじさんにも話していない。ハルは告げ口のようなことは好きじゃないから。オレとしては、十分、正当防衛だと思うんだけど。

 そして今、ハルは明兄が自分のために動いてくれているのに、否定するようなことを言っていいのか迷っているのだろう。だから、心配しなくても大丈夫だよという思いを込めて、つないだ手に少し力を入れた。

「ハルが悲しむようなこと、明兄はしないって。……ね?」

 半分、釘刺し。

 親父以上に、手荒な真似をしそうな明兄。

 兄貴は、オレが人を使うのが上手いってようなことを言ったけど、それはオレじゃなくて明兄だと思う。

「そうだな。陽菜が無事、元気になったら、軽く念を押すくらいにとどめようかな」

 そう言うと、明兄はハルの頭にポンと手を置いた。

「それじゃあ、今日は帰るよ。熱が下がって元気になったら、電話しろよ?」

「うん」

 ハルが、オレの手を放して明兄に手を伸ばし、明兄は迷わず、その手を取った。

「来てくれてありがとう」

「ああ。また来るよ。少し遠いけど、日帰りだってできなくはない距離だよな?」

 明兄の手を取るために、スッと離れていったハルの手。

 消えたハルのぬくもり。

 ハルの心からの笑顔、嬉しそうな顔を見ていると、心の奥底から、もやもやした気持ちがわき上がってきた。

 もしかして、いや、もしかしなくても、多分、ハルはおじさんやおばさんよりも、明兄のことを頼りにしている。

 正直、今は、オレが一番だと思う。ハルはオレを求めてくれていると思う。

 だけど、明兄が家を出たから、今はオレが一番なだけで、もし明兄がうちの兄貴みたいに杜蔵大学に通っていたら、オレが二番だった!?

 いやいやいやいや。血のつながった実の兄貴に対して、この感情はないだろ!?

 そう、これは、多分……嫉妬。

 その言葉を思い出した時、ふと、脳裏にある人の顔が浮かんできた。

 抜群に頭が良くて、切れ長の目で眼鏡をかけていて、若干、腹黒系で何考えてるか分からない、オレたちより一つ年上の……。

 ああ。だから、ハル、羽鳥先輩にあんなに懐いてたんだ。

 羽鳥先輩は、よくよく見てみると、明兄とかなり雰囲気がかぶっていた。

 一年前、オレとハルの関係がこじれにこじれた時、ハルのことが好きなのに、ハルのことを想って、オレたちを結びつけてくれた立役者、羽鳥先輩。そうは言っても、相手がハルの大好きな「お兄ちゃん」にそっくりときたら安心はできない。

 ……志穂、しっかり捕まえておけよ。

 ここでも、オレはまた、情けないことに他力本願なことを考えていた。

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