22.失恋2
「……で、これ、どうすれば?」
「斎藤くん、ありがとう。ちょっと待ってね」
ハルが斎藤に礼を言いながら、オレの腕を引いた。
「ん? どうした?」
「カナ、あの子、誰?」
「あ。この前の交通事故で助けたヤツ」
「……そっか。だから聞き覚えがあったんだ」
「え? 何に?」
「声」
ハルは、それからオレの目をじっと見た。
「あのね、あの子、カナに話があるんだって」
それにオレが答える前に、篠塚が大声を上げた。
「ちょっと! あんた、何言ってんのよ!」
両手首を斎藤に捕まれたまま、憎々しげにハルを見る篠塚。
だけど、ハルはそれをムシしてオレに言った。
「カナ、あの子の話、聞いてあげて」
そう言うと、ハルは斎藤に目を向けた。
「連れて行けば良い?」
「……うん」
ハルは少し迷ってから、そう答えた。
何をやっても逃げられないと、ようやく観念したらしい篠塚は、
「自分で歩けるから、離してっ!」
と斎藤をにらみつけ、片手を離させてベッドサイドまで歩いてきた。だけど、そこまで。
ハルは話があるから聞いてあげてと言ったけど、篠塚は何も言わない。
どうしたものかと思っていると、ハルが静かに口を開いた。
「自分で言えないの?」
「……っるさいなぁ!!」
甲高い声が不快な空気を醸し出す。
顔は割とキレイな部類だろう。が、目元に、口元に、顔つきに、性格の悪さが見て取れるような女だった。
「じゃあ、わたしが代わりに言うね?」
ハルは自分をにらみ続ける篠塚の表情など気にせず、至って冷静にそう言うと、オレを真っ直ぐに見上げた。
「あの子、カナのことが好きみたい。それで、わたしたちに別れて欲しいんだって」
……やっぱり。
そんなことじゃないかと思った。
ハルに横恋慕中の一ヶ谷。オレに熱烈アプローチの可能性がある篠塚。
この二人が一緒に、寝込んでいるハルを急襲したのは、なぜか? 弱ってるハルに、オレと別れろと言うためしか考えられない。
去年、田尻の時は、公認カップルと言われながらも、実はハルとオレはまだ付き合っていなかった。だから、ハルは一人で抱え込み、オレを突き放そうとした。
けど、今、ハルはオレを呼んでくれた。
オレとハルとはつきあっている。
だけど、篠塚の望みがオレとつきあうことなら、ハルにオレと別れるように言うってのは変な話だ。なぜって、ハルと別れたオレが、コイツとつきあうかどうかなんて、ハルには関係ない話だから。
篠塚は、一段と厳しい表情でハルをにらみつけた。
ってか、そんな顔見せたら、仮に百年の恋だったとしても冷めるだろ?
「ねえ、篠塚さん」
オレは仕方なく、篠塚に話しかけた。
「あんた、一体、オレのどこが好きなの?」
「え? だって、命がけで助けてもらったしぃ」
オレを見ると、急にこびるような笑顔を見せる篠塚。
逆に幻滅。こんなヤツを助けるために、オレ、ハルをあんなに悲しませたの?
「あのさ、命なんてかけてないし、大体、オレの目測では、オレはちゃんと暴走車から逃げられる予定だったの。ただ、予想外に車が変な風にハンドルを切って、避けきれなかっただけ」
「で、でも! 助けてもらったのは本当だし」
「オレ、もしそこにいたのが、じいさんでも、ばあさんでも、おじさんでも、おばさんでも、小さい子どもでも、同じことしたよ?」
「そ、そんな優しい叶太くんが……」
「好きとか、気軽に言わないでね」
篠塚が言葉を飲み込んだ。
「ねえ、あんたが好きなのって、オレの何?」
「え?」
篠塚の顔に動揺が浮かぶ。
……正直者。
堪えきれず、口の端から笑いがもれる。
「もし助けてくれたのが、冴えない中年の独身男でも、あんた、好きって言う?」
「え?」
「だって、命がけで助けてくれたんだぜ?」
「そ、……そりゃ、そうだけど……」
その場しのぎでも、冴えない中年男でも良いって言えないんだ。底が浅すぎる。
オレはわざとらしく、ため息を吐いた。
「じゃ、さ、オレの家が金持ちだから?」
「そ、そんな!」
「じゃ、オレの身長? それとも顔? それとも金持ち学校に通ってるってとこ?」
身長は百八十を越えているし、身体はしっかり鍛えてある。顔の造作なんて気にしたこともないけど、標準レベルは超えているらしい。
通ってるのは、県下有数の名門私立。
兄貴に聞いた話から考えると、他校に入り込んでまでオレに近づく理由はそんなところだろう。
「……な、何を」
「だって、そういうの見て、目を輝かせてたんだろ?」
「そんなこと!!」
「……見てりゃ、分かるんだよ」
見たのはオレじゃないけどね。
一部始終を離れたところから眺めていた志穂が、「サイテー」とつぶやいた。
「悪いけど、オレ、あんたとは友だちもムリ。二度と、オレの前に顔出さないでくれる?」
「叶太くん!」
「名前で呼ぶのもやめてくれる? オレさ、あんたに名前を呼ばれるような仲じゃないよ」
コイツは危険だ。
ほんの数分話しただけの仲でしかないのに、どこからか制服まで調達して、他校に忍び込んで、ハルのところまでやって来た。中途半端に放置したら、きっと恐ろしいことになる。
オレのキツイ視線を受けて、篠塚が唇を噛んだ。
「オレに、あんたを助けたことを後悔させないで」
その言葉で、篠塚の表情が一変した。
笑顔や媚びの仮面はすっかり剥がれて、とうとう、オレの顔までも憎々しげににらみつけてきた。そして、大きく腕を振り上げて、未だ律儀に続いていた斎藤の呪縛を解くと、
「サイッテー!! あんたなんて、二度と顔も見たくないわ!!」
篠塚は、吐き捨てるように、オレに言った。
それから、まるで湯気が立っているかのような怒りを全身にみなぎらせて、きびすを返すと、大きな足音を立てて出入り口へ向かい、乱暴に保健室のドアを押し開け、そのまま外に出ていった。
こちらを振り返りもしなかった。
跳ね返ったドアが、大きな音を立て、ハルが小さく肩をすくめた。志穂も斎藤も、篠塚が出ていった後の出入り口を呆然と見ていた。
一気に静かになった保健室。
残るもう一人の問題児が、どさくさに紛れて部屋を出ようとしていた。
「じゃあ、オレもこれで……」
「待って! 行かないで!」
今度も、止めたのはハルだった。
その言葉に、志穂が保健室のドアの前に立ち、斎藤も一ヶ谷の方に一歩踏み出した。
「一ヶ谷くん」
ハルの声に、一ヶ谷は小さくため息を吐いて、ようやくハルの方に目を向けた。
「こっち、来て?」
ハルが小首を傾げて、そう言うと、一ヶ谷は素直にハルの元へと向かった。
「……陽菜ちゃん。……ごめん」
「ううん。一ヶ谷くんを責めようと思って呼んだんじゃないの」
うつむいていた一ヶ谷が、その言葉に顔を上げた。
けど、ハル、オレははっきり言って、どうしてこんなことをしたのか、尋問したいぞ!
「わたし、やっぱり、自分がちゃんと言わないといけないんだって思って……」
ハルが一ヶ谷の目を覗き込むように見た。
「わたしのこと、好きになってくれてありがとう」
ハルは静かに礼を言って、一ヶ谷の返事を待たずに続く言葉を口にした。
「でもね、もう、おしまいにして欲しい」
「陽菜ちゃん!?」
「何があっても、わたしが一ヶ谷くんの気持ちに答えることはないから」
「でも!」
「ないの」
ハルはきっぱりと言い切った。
「わたし、カナとの時間を大切にしたいの。本当に好きなの。だから、邪魔しないで欲しい」
ハル!!
つきあい始めてから、もうすぐ一年。
ハルがこんなにもはっきり、誰かにオレへの想いを伝えてくれたのは初めてだった。
嬉しくて、愛しくて、思わず抱きしめたくなったけど、さすがに今はダメだろうと自制した。
「……陽菜ちゃん、オレ」
一ヶ谷が何かを言おうとして、ハルを見つめた。
「これだけは、伝えさせて。オレ、さ、」
その瞬間、ハルが苦しそうに顔をゆがめた。
「……ごめん、一ヶ谷くん」
ハルは目をつむり、きゅっと身体を小さくして口元に手を当てた。
ハル!?
「……も、少し、話したかったけど。……ちょ…と、ムリそう」
「ハル!」
オレの声を合図に、成り行きを見守っていた志穂と斎藤も駆け寄ってきた。
ハルは、慌てて身体を支えたオレに、苦しそうにしがみついてきた。
ハルの呼吸はひどく荒く、顔色もひどく悪くて、その手は氷のように冷たかった。
何やってんだよ!
瞬時に、オレの頭の中を後悔が渦巻きはじめた。
ハル、朝から具合が悪かったのに! オレが駆けつけたときだって、肩で息をしていたし、顔色は悪かったし……!
起きて誰かと話しているような状態じゃなかったんだ。
だけど、目の前に一ヶ谷とか篠塚とかを見つけて、そっちに気が行っていた。
オレの想像は最悪のシナリオで、去年みたいにハルが倒れてるとか、意識がないとか、そういうものだったんだ。だから、ハルが想像したよりずっと元気そうだったから、すっかり気が抜けて……。
オレのバカ!!
オレが一緒にいて、ここまでムリさせるなんて、あり得ないだろっ!!
「ハル!? 大丈夫か?」
ハルの背をさすりながら、顔を覗き込んだけど、ハルは苦しそうに固く目を閉じていて、オレの方を見ることはなかった。




