21.失恋1
ハルの調子は戻ることなく、もう四時間目。
朝は帰りたくないと言っていたハル。残りの休み時間は、会話にすらならなかった。
だから、「今日はもう帰ろう」と説得もできない。
けど、何の夢を見ていたのか、寝言にオレを呼んだハル。それだけでも嬉しかったのに、ハルはうっすらとほほ笑みを浮かべて、「好き」と言ってくれた。
あまりの愛しさに、どうかなりそうだった。
その次の休み時間には、ひどく汗をかいて、苦しそうに眠っていた。もう、ハルの意思はムシして、家に帰した方がいいんじゃないかと思った。
だけど、ハルの汗を拭いていると、一瞬、目を覚まして、眠いって言ったもんだから、動かさないでおこうって決めた。
ケータイ、スマホは当然、授業中は禁止だったけど、今日に限って、オレは堂々と机の左上に乗せていた。
気づかなかった先生もいたけど、四時間目の英語教師は目ざとく気がついた。
「広瀬。スマホは鞄に入れておけ」
若い男の先生。嫌みはなく、軽い注意。
どちらかと言えば、さわやかなタイプで人気のある先生だ。
「今日、保健室の先生、一日出張でいないんです」
「ん?」
「ハル、今、一人で寝てるから」
そう言うと、先生は教室をぐるっと見回して、ハルがいないのを確認した。
そうして、
「仕方ないな。……音は消しておけよ」
と苦笑い。
去年の派手な告白のおかげで、オレたちの仲は先生たちにまで、しっかりと浸透している。ハルは嫌がるけど、はっきり言って、割と便利だ。
「消してあります! ありがとうございます!」
気合いの入ったオレの返事に、何人かが笑った。
そんなやり取りをしてから、十分くらい経った頃、スマホの画面が突如、光った。
『着信 ハル』
その瞬間、オレの頭から、今が授業中だってことは、すっ飛んだ。
「ハル!?」
気がつくと、速攻で通話ボタンを押して、大声でハルを呼んでいた。
何事もなくて、遠慮しいのハルが電話なんてかけてくるはずがない。少しくらいの不調なら、絶対に我慢する。少しじゃなくても、きっと我慢する。休み時間になったら、オレが顔を見に行くのは分かっているんだから。
オレの声で、先生の話はストップ。
オレはクラス中の注目の的となっていた。
ハルの返事はなかった。
何の音も聞こえなかった。
「ハル!?」
もう一度、呼んでみる。
やっぱり、返事はない。
「先生! オレ、保健室行ってきます!」
心臓がバクバク言っていた。
なんかの拍子に偶然押してしまったとか、あり得ない。いや、もしそうだったとしても、何の問題もない。むしろ、そうであった方がずっといい。
過去何度も目にした、発作に苦しむハルが、意識のないハルが、フラッシュバックのように、脳裏に浮かんでは消える。
「ああ、行ってこい。 ……一人で大丈夫か?」
前半を聞いただけで、オレはスマホを握りしめて走り出した。
教室を出る前、目の端に、志穂と斎藤と、もう一人の保健委員が立ち上がって何か話しているのが見えた。
授業中の誰もいない廊下を爆走する。
ハル!!
随分と後ろに、後に続く足音が聞こえたけど、待つ気などないし、そいつらも、待ってもらおうなんて、思ってないだろう。
去年も走った。
校舎裏で倒れていたハル。
意識がなくて、苦しそうに、辛うじて息をしていたハル。
その時は、オレに電話をかけてはくれなかったハル。
今日は、ちゃんとオレを呼んでくれた。
ハル!! 今、行くからな!!
ようやく見えてきた保健室。
オレは、ノックもなしに、保健室のドアを勢いよく、なぎ払うように横に引いた。
保健室に飛び込み、ハルがいるはずのベッドに向かって走るつもりが、そこに思いがけないものを見つけて、オレの足は止まった。
ハルが寝るベッドのカーテンが半分開いていた。なのに、ハルの姿は見えなかった。
代わりに目に飛び込んで来たのは、制服姿の男女二人。
振り返った二人は、揃って目を大きく見開いて、オレの顔を見ていた。
一人は、一ヶ谷悟。
それから……
ちょっと、待て!? おい、なんで、コイツがここにいるんだ!?
そこにいたのは、先週、オレが交通事故から助けた女の子だった。
あの日見たのは、別の学校の制服だったのに、今日着ているのは、まぎれもなくうちの制服だった。
二人が揃って、「しまった!」というような顔をしているのを見て取り、オレは嫌な予感がして、ハルの元へと再び足を動かした。
オレが行くと、二人はスッと左右に割れた。
ようやく、ハルの姿が目に入った。
ハルはベッドの上に身体を起こし、座っていた。
良かった!!
顔色は良くないけど、息苦しそうにしているけど、もちろん意識はあるし、とにかく無事だった!!
「カナ。……ごめんね」
「なに、謝ってるの?」
オレは笑顔すら見せてハルにスッと近づくと、腰をかがめて、ハルの頭をそっと抱き寄せた。
ハルの息は荒い。
呼吸で肩が上下する。
「大丈夫?」
オレは、ハルの背をそっとなでた。
ハルがなんでオレを呼んだか、分かった気がした。
ハルに横恋慕中の一ヶ谷悟。そして、オレに興味津々らしいオレが助けた女。……確か、篠塚まゆとか何とか言う名前の。
ずっと抱きしめていたかったけど、先にやることがある。
オレはハルから離れると、一ヶ谷と篠塚の方に向き直った。
「おまえら、ここで、何してたの?」
腹の底から声を出した。我ながらドスのきいた声だった。
二人は何も言わなかった。
篠塚が悔しそうに顔をゆがめた。一ヶ谷は、ばつが悪そうに目をそらせた。
次に何を言おうかと考えていると、バタバタと足音がして、まず斎藤が、そのすぐ後に、志穂が駆け込んできた。
「陽菜!! ……って、あれ?」
ハルを心配して飛んできた志穂が、オレたち四人を見て、間が抜けた声を上げた。
保健室には、電話で話せないくらい具合の悪いハルがいるはずで、オレはその介抱をしているはずだった。
けど、ハルは顔色こそ優れないけどベッドに起き上がっていて、オレは怖い顔をして、その場にいる男女二人をにらみつけている。
「広瀬、これ、どうなってんの?」
斎藤が不思議そうに、一ヶ谷と篠塚を交互に見た。
次の瞬間、篠塚が憎々しげな顔でハルをにらみつけ、一言、吐き捨てるように、
「最低」
と言ったかと思うと、くるりとオレに背を向け、駆けだした。
「斎藤くん! その子、捕まえて!!」
叫んだのは、ハルだった。
「え?」
何を言われたか分からない……って顔をしながらも、斎藤は反射的に篠塚の手首を掴んでいた。
「離してよ!」
篠塚が逃れようと、斎藤を反対の手で叩いていたが、バスケ部エースの握力だ、そう簡単に外れる訳がない。
暴れたせいで、反対の手首も捕まえられて、篠塚の動きは完全に封じられた。
志穂が一ヶ谷を横目に見ながら、スッと保健室のドアを閉めた。
それを見て観念したのか、一ヶ谷は大きなため息を吐いた。こっちは、逃げる気配はなさそうだった。




