15.心の内側2
田尻さんは、いつも、他の誰も聞いてこないようなことを、わたしに聞いてきた。
今、余命何年と言われている訳じゃないけど、過去、何歳までしか生きられない……と言われていたことを話したことがある。
そうしたら、
「死ぬかもしれないって……怖くないの?」
って、真顔で聞かれた。
田尻さんは、本当に、とても、はっきりものを言う人だった。
誰も触らない、触れようとしない話題に、平気で手を伸ばして来るんだもの。驚いてしまう。でも、それが妙に心地良かった。
突然、飛び出した思いもかけない質問に、
「怖くないよ」
と、ほほ笑みを浮かべて答えると、彼女は不思議そうな顔をした。
「なんで?」
何でもストレートに聞いてくるけど、答えたくなかったら、素直に、そう言えば、彼女は気にしないと知った。田尻さんのおかげで、思ったことを言っても大丈夫なのだと、知ることもできた。
だからと言って、思ったことを何でも口にするなんて、やっぱり、わたしにはできないのだけど。
だけど、わたしの心の奥底に、ズカズカと踏み込んでくる田尻さんの質問にだけは、自分の気持ちを隠すことなく、素直に答えることができた。
「……だって、死は誰にでも等しく訪れるよ」
静かに答えると、彼女はわたしの隣で、うーんとうなった。
「ごめん。頭では分かる気がするんだけど。やっぱり、……よく分かんない」
そうだよね。
わたしが『健康』ってものの素晴らしさを実感できないのと同じように、田尻さんは『死』ってものから、とても遠いところにいるのだと思う。
「わたしね、心臓が悪くて、今までに何回も死にかけてる」
「……うん」
彼女が、唇をキュッと引き結び、真顔になった。
違うよ。あの時のことを、責めているわけじゃない。
「でもね、今、生きているでしょう?」
「うん」
グランドでは、クラスメイトたちが走っていた。その日は持久走だった。
手を振ってくれる人がいたので、小さく振り返した。
「わたし、生まれた時、一歳まで生きられないって言われたんだって。……だけど、まだ生きているでしょう?」
隣で、田尻さんがゴクリと喉を鳴らした。
本当はね、一歳まで生きられないってのは、気を遣ったお医者さんの優しさだったんだ。一歳どころか、一ヶ月も厳しかったんだって、後から聞かされた。「小さな身体で、本当に頑張ったんだぞ」って。
生まれてすぐに最初の手術をした。……それから、何回胸を切っただろう?
命の期限は、一歳の次は、三歳で、その次は十歳。
その後は、何歳までとは言われていない。
だけど、どれも後から聞いた話ばかりだから、もしかしたら、ママやパパたちは、わたしの命が、後何年かって、聞かされているのかもしれない。
「一歳までとか、十歳までとか、いろいろ言われたんだけど、わたしは、もう十五歳なのに、まだ生きていて……」
「……うん」
田尻さんの緊張が、伝わってくる気がした。
おどかすつもりで言ったんじゃない。でも、わたしが生きているのは、そういう世界だから。
彼女が聞きたいのは、きっと表面的な話じゃないんだろうなって思ったから、わたしは続けた。
「だけどね、わたしが、まだ生きているのに、交通事故で運ばれてきて、そのまま亡くなる小さい子もいて……」
わたしも患者だから、処置する場面を見るわけじゃない。
でも、ICUで生死の境をさまよっているような時、同じ場所には、たくさんの管でつながれて、わたしと同じように、生を求めて戦っている人たちがいた。
夢うつつで見た、面会に来た若い両親が泣き崩れる姿、嗚咽、命の灯火が消えんとする我が子を呼ぶ悲痛な声。
……忘れられない。
脳裏にこびりついて、忘れられない。
「ずっと元気だったのに、ある日突然、病気が見つかって、ほんの数ヶ月の闘病生活で亡くなる子もいて……」
小児癌で入院してきた笑顔が可愛かった、あの子。
入院してきた時は、あんなに元気だったのに、抗がん剤でみるみる痩せて、一度は退院したのに、すぐに戻って来て……。
最後は歩くこともできなくなって、個室に移って……。やがて、いなくなった。
別れは、いくらでも、そこにあった。
死は、当然のように、そこに存在していた。
固まる彼女を安心させるように、わたしは続けた。
「元気になって、病気治して退院する子も、たくさんいるよ」
笑顔を向けると、彼女も「うん」と頷いた。その表情はまだ固かったけど。
「でもね、近いか、遠いかの違いはあっても、誰にだって、死は等しく訪れるんだよ」
遠くグランドを走る人たちを見る。
先生を見る。
目を瞑って、背面の校舎を、
その中にいる無数の人の気配を感じる。
「その死が見えているか、見えていないかだけの違いだから」
強い風がビュンッと吹き抜けた。髪が、風に乱れ飛ぶ。
目を開けると、隣で田尻さんも、短くカットした髪を押さえていた。
色づきかけた葉が、宙を舞っていた。
「……村さん、牧村さん!? 大丈夫!?」
肩を揺さぶられて、ハッと、声のする方を見ると、田尻さんの顔が至近距離にあった。
思わず、身を引き、後ろにひっくり返りそうになる。
「わっ、危ないって!」
田尻さんが、わたしの身体を支えながら、ふうっとため息を吐いた。
いけない。
わたし、話の途中から、うっかり、物思いにふけっていたみたい。
「ご、ごめん」
「……大丈夫なの? ホントに」
田尻さんが、マジマジとわたしの顔を見る。
そこに、誰かが駆け足で近づいてくる音が聞こえた。
カナ?
と一瞬思ってから、カナが今日は休みだったのだと思い出す。
田尻さんの向こうから、駆けてくるのは、斎藤くんだった。
「牧村! 大丈夫!?」
え? なんで斎藤くんが?
「叶太くんが、休みだと、斎藤くんが出てくるんだ?」
田尻さんがおもしろそうに言った。
「ああ、いや、オレ、広瀬に頼まれたからさ」
カナ!
朝は、裏口で羽鳥先輩が待っていて、教室まで送ってくれた。
お昼休みには、しーちゃんが一ヶ谷くんを追い払った。
この上、斎藤くんまで!?
「ご、ごめんね。あの、大丈夫だから……」
慌てて謝ると、斎藤くんは真顔で言った。
「でも、牧村、さっきふらついてなかった?」
そんなところまで見てたの?
居たたまれなくなって、思わず、身体を小さくした。
「ち、違うの。……えっと、田尻さんと話してて、あの、わたし、考えごとしてて、それで………」
しどろもどろになって、説明をしようとすると、斎藤くんはニコッと笑った。
「そっか。うん、何ともないなら、いいんだ」
田尻さんが笑いながら、口を挟む。
「ほら、先生、こっち見てるよ。戻った戻った」
「じゃ、行くけど、何かあったら、声かけろよ?」
そう言うと、斎藤くんは軽く手を振り、グランドへと駆け戻った。
斎藤くんの背中を見送り、そのまま、ぼんやりとグランドを見ていると、しーちゃんと目が合った。手を振ってくれたので、振り返したら、嬉しそうに笑ってくれた。
隣で、田尻さんがつぶやいた。
「やっぱり、叶太くんがいないと、調子出ない?」
「そ、そんなことないよ」
「じゃ、悩みごと?」
「え?」
「はじめてじゃん。牧村さんが、話してて、こんなに上の空なんて」
「ご、ごめんね」
「違う違う。責めてないから」
田尻さんは、わたしの目を見て言った。
「……心配してるの、これでも、一応」
それから、言ったばかりの台詞を、まるで言うんじゃなかったって後悔したかのように、怖い顔をして、視線を逸らした。