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10.覚醒

「……心臓が、止まるかと思った」

「ごめん!!」

 事故後、どうやら、オレはしばらく意識を失っていたらしい。

 気がついたら、ハルがオレの手を握りしめて、オレにすがりつくようにして大泣きしていた。

 幸い、オレは事故で意識を失う瞬間のことも覚えていて、しかも、骨折もなければどこにも出血はないらしい。頭を強く打ちはしたけど、咄嗟に両手でかばったのはやっぱりよかったらみたいで、大きなたんこぶにはなっているけど、どうやらそれだけで済みそうだった。

 一瞬だけ部屋にいた先生は急いでいたらしく、オレに問題がないかだけを手早く確認すると、早々に部屋を出た。後には、オレとハルの二人が残された。

 ハルはすっかり涙腺が緩んでしまったようで、オレと話していても、ふいに、ぶわぁっと涙が盛り上がると、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。

「ハル! ごめん! 本っ当に、ごめん!」

 オレは身体を起こして身を乗り出すと、ハルの細い身体をギュッと抱きしめた。

「ね、寝てなきゃダメだよ、カナ」

 慌てて、ハルはそう言ったけど、ハルを放す気にはならなかった。

 擦りむいた手の甲やら、特大のたんこぶができた後頭部やら、痛いには痛いけど、これくらいなら大したケガではない。

 打ったのが頭で、意識が戻るまでに少し時間がかかったから、今日は念のために入院するように言われたけど、同時にまず問題ないだろうとも言われた。

「ハル、心配かけてごめんな」

 自分を迎えに来るって言っていた彼氏が、迎えに来る代わりに、意識不明で運び込まれたって聞かされたら、そりゃ相当ショックだろう。

 心臓が止まるかと思ったっていう、ハルの言葉はきっと本心。心臓に持病のあるハルは、今までにこんな言葉を使ったことは、一度もなかった。普通は例え話だけど、ハルの場合、冗談じゃすまないから……。

 ああ、もうっ!

 オレが原因で、そんな思いをさせてどうする!?

 なのに、反省しまくりのオレに向かって、ハルは泣きながら言った。

「ごめんね」

 オレは思わず、しばらく抱きしめておくはずのハルの身体を放して、ハルの顔をまじまじと見つめてしまった。

「なんで、ハルが謝んの?」

「すごく……心配したから」

「……うん。だから、ごめんって」

「違うの」

 ハルは困ったように、小さく首を傾げた。

 ハルは思ったことを口にしない。……ことが、多い。

 考えたことを口にする前に、とてもしっかり頭の中で吟味する。そして、言わなくてもいいと思った言葉は、すべて飲み込んでしまう。

 だけど今、必死に言葉を探して、ハルは何かを言おうとしていた。

「きっと、わたし……」

「うん」

「いつも、わたしがカナに、心配かけてるでしょう?」

「……ああ」

 なるほど。だから、「ごめんね」か。

 ハルが言いたいことが瞬時に理解できて、そして、そう言ったハルがあまりに愛しくて、気がつくと、オレは満面の笑みを浮かべていた。

 ハルの怪訝そうな顔から、心の声が聞こえた気がする。

 ……ここ、笑うところかなぁ?

 そんなハルが、また、たまらなく愛おしい。

 ハルは続けた。

「わたし、こんなに……胸がつぶれるかと思うくらい、辛かったから、」

 オレはハルの髪をそっとなでる。

 いいよ。ゆっくり話せば。って思いながら。

「カナに今まで、……きっと何回も、こんな苦しい思いをさせちゃったんだろうなって、思って」

「……ん」

 そう。

 ハルは今までに、何度も死にかけている。

 命が危ないって聞かされたこともあれば、聞かされなくても何かがおかしいと感じたこともある。

 幼い頃は、容態が悪いハルには会わせてもらえなかったから、大人たちの間に漂うやけに重い空気に、ただ不安を募らせた。けど、小学生にもなれば、面会謝絶中だろうが一般病棟にいれば、こっそり会いに行った。

 そんな時のハルは本当に具合が悪そうで、オレは眠ってるハルの側にただついているしかできなかった。

 そして、中学生の時のことは忘れられない。


 中学一年の冬に倒れた後、ハルの容態はとても不安定だった。

 快方に向かったかと思うと、何度も悪化を繰り返し危篤状態に陥り、ハルは長く生死の境をさまよった。

 オレが見舞いに来ている時にも、一度、心停止を起こした。

 初めて目の当たりにする、心臓マッサージに電気ショック。

 頭が真っ白になった。

 蘇生処置の最中、勤務中だったおばさんと、医院長のじいちゃんが駆け込んできた。

 特別室は広かったからか、そんな余裕はなかったからか、オレはあえて出ろとは言われず、ただ部屋の隅で、呆然と、一連の処置を見ているしかできなかった。

 その場にいるのに、手が届くところにハルがいるのに、オレには、心配しながら神に祈るくらいしか、できることなんてなかった。

 いつだって、戦っているのはハル一人で、オレには何の力もない。

 オレにできるのは、ただ、ハルの側にいることだけで……。


「だからね。……ごめんね」

 赤い目をしたハルが、オレに謝る。

 いや、そこ、謝るところじゃないだろ?

 だけどオレは、心配させないでよって怒るんじゃなくて、いつも心配させてごめんねって謝る、そんなハルが愛しくて仕方なくて、思わず両手でハルの頬を挟むと、そっと唇を合わせた。

 ゆっくりとハルの柔らかな感触を楽しんだ後、唇を放すと、ハルが戸惑ったように、

「……カ、カナ?」

 オレの名を呼びながら真っ赤になった。

 そして、涙が止まった。

「ハル。大好きだよ」

 言いながら、今度はハルの頬にキスをする。

「あの、……あのね、カナ?」

 ハルは、何で話の途中で、いきなりこんなことになっているのか分からないんだろう。困ったようにオレを見た。

「大丈夫」

 オレはハルの頭を抱き寄せ、頬をぴたりとくっつけた。

 少しひんやりとしていて、吸い付くように柔らかくて、ハルの感触がたまらなく気持ちが良い。

「オレ、男だから」

「……カナ?」

「オレは大丈夫だから、心配いらないよ」

 それから、もう一度、ハルの唇に軽くキスをする。

「それにね、オレ、ちゃんとハルが戻ってくるって、信じてるから」

「……カナ」

「いつだって信じてるから」

 ハルの目がまた潤みだした。やばいと思って、オレは再度、ハルを抱きしめた。

 ……と、そこで、

 バンッ!!

「叶太!!」

 と大きな声と共にドアが乱暴に開けられ、五つ上の兄貴が飛び込んできた。



   ☆   ☆   ☆



「……ったく、心配させやがって」

 オレの事故の知らせを聞いて駆けつけてくれた兄貴は、呆れたようにボヤく。

 お袋も親父も遠方に出かけていて、まだ戻って来ないらしい。

「交通事故に巻き込まれて、意識不明だなんて言うから、用事を放り出して飛んできたら、ぜんぜん元気で、その上、まあイチャイチャと……」

 と、ここで兄貴は理性を取り戻したらしい。ハルの存在に気がついて、その先を続けるのをやめた。

 急に笑顔を浮かべて、

「……まあ、無事、意識が戻って良かったよ、ホント。ね、ハルちゃん?」

「は、はいっ」

 ハルは真っ赤な顔で、困ったように兄貴の顔を見上げた。

「心配かけてごめん」

 オレが言うと、兄貴は、

「いや。元気そうで何よりだ」

 と笑った。

 兄貴のポケットで、スマートフォンがブルブルと震えた。

「悪いね、病室で」

 兄貴はスマホを耳に当て、それから、行儀悪く一つ舌打ちをした。

「今ごろ留守電入ってきても、遅いよな? 叶太の意識が戻って、心配ないから慌てなくていい……だと」

「ごめんね。……ママよね、電話」

「ああ……っと。別に、おばさんが悪いわけじゃないって! 携帯会社ね、問題は」

 と、兄貴が慌ててフォローに入る。

 オレが相手だったら、「そうだ。おまえが悪いんだ」くらいに、からかわれるんだろうけど、やっぱり兄貴もハルには優しい。

「えーっと、じゃあ、オレ、ナースステーションでも行って、入院準備のこととか聞いてくるわ。そんで、荷物持ってまた来るから」

「悪い」

「いや。……じゃ、後は水入らずでっ!」

 兄貴は笑いながらそう言うと、ハルの頭にポンと手をのせた。

 ハルは困ったような顔をしながら頬を赤く染めた。



 ハルに買って来てもらった遅い昼飯を一緒に食べて、警察が来て、事故の状況を聞かれて、外が薄暗くなりはじめた頃、オレの両親はようやく到着した。

 どうやら、兄貴が事前に報告しておいてくれたらしく、病室に入ってきた二人は笑顔すら浮かべていた。

 って言うか、親父はオレの顔を見ると、ニンマリ笑って耳元で、

「病院なんだからな。陽菜ちゃんとイチャイチャするときは、ちゃんと人目を考えろよ」

 なんてことを言う。

 ……兄貴。なに吹き込んでんだよ。

 結局一時間ほど病室にいて、色んな書類を書いたり、オレのケガの状態について説明を受けてから、二人は帰っていった。

 ハルも同じ頃に、勤務を終えたハルの母さんに連れられて帰った。

 ハルは珍しく、もっとオレと一緒にいたいと自己主張していたけど、もちろん許してもらえるはずもなく、おばさんに言いくるめられて連れて行かれてしまった。


 真っ赤な目。

 ポロポロこぼれ落ちる涙。

 不安そうに、オレにしがみつく細い指先。

 ……山ほど泣かせちゃったな。

 あの昼間の交差点。もし、あの場にもう一度戻ったとしても、オレはきっと同じことをする。だから、後悔はない。

 でも、何ともなくて本当に良かったとは、しみじみ思う。

 オレは小学生の頃から空手なんてものを習っている。けど、実のところ、あれは一種の精神鍛錬だったり肉体を鍛えるためにやっているもので、オレは人一倍ケガには気をつけていた。

 ハルの側にいて、ハルを守る。

 それが最優先事項だから、ケガなんかで戦線離脱はできないんだ。

 月曜日、さすがに学校は休むしかない。ハルを一人で登校させることになってしまった。

 ハル。ごめんね。

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