黄昏の思い出、夜空の誓い
これは、見習い魔術師の少女にとって、最も幸せな時期の物語。
夏の前、少しの熱気のある春の日。
私は沢山の本と杖を抱えて、街中を歩いていた。
日射しは少し強いが、天気が良く涼しい風の吹くこの季節に、私は色を失った世界にうんざりしていた。
大好きな『先生』が失踪し、勉強しても褒めてくれる人は居ない。魔術を学ぶことが何になるのかと、日々に疲れきっていた。
だから、もう二度と使わないであろう、魔術書や本を処理して、自分自身も消えてしまおうと、とある場所へ向かっていた。
そんな時、人の波に抗って必死に走る少年を見かけた。
今の私と真反対の彼を視界に入れるのが嫌で、目を逸らしてしばらく歩を進めると、先程の少年が小さな路地から飛び出してきて衝突した。
「わっ悪い!怪我してないか!?」
青い髪の少年は返事を待たずに私に『治癒』の魔法を掛けると本をかき集め、私に押し付けるとすぐに走り去ってしまうのだった。
茫然と足元を見下ろすと、彼が落としていったのだろう不思議な人形があった。
どうせ最期なのだから落し物ぐらいは届けよう、と近くに居た自警団の人に預けて、また歩き出した。
夕方に、目的地の灯台についた。
ここは『先生』との思い出の場所で。
この時間には、綺麗な夕やけとオレンジ色に染まる街並みが見えるのだが、見飽きていたのか何とも思わなかった。
全てを終わらせようと、杖を取り、意識を集中させて魔術を詠唱する。
最後の一節を唱えるその瞬間、灯台の階段から声が聞こえた。
「…白とはこりゃシンプルイズベストな…」
私を見上げて声を掛けたのは、先程ぶつかった青髪の少年だった。
声を掛けた、というより、私の下着の感想だが。
どうせ死ぬのなら、こんな無礼な人を巻き込んでも問題無いだろうと『魔力の矢』の魔術を唱えようとする。
「待って!俺が悪かった!頼むからそんなぶっ騒な魔術唱えないで!」
と大慌てする少年に、
「…冗談です」
と返事をする。
少年はしばらく目をぱちくりさせた後に言った。
「君は…さっきぶつかったな、死のうとしてたのか?」
驚いた。
「…何でそんな事が解るんですか?」
「いや、なんていうか…大切なものを無くした顔してるから。」
少年は簡潔に言った。
この話をあまり続けるのは良くなさそうだと判断し、話題を変える。
「さっきぶつかった時に落とした不思議な人形、自警団の人に届けておきました」
「……!!」
と一瞬表情を大きく変えてすぐに
「あぁ。君を家まで送ったら取りに行くよ」
と歳上にも、歳下にも見える少年は言うのだった。
「俺は、シアン=エクスルターテって言うんだ。君は?」
「シエル=アリエスです」
いつもなら以後お見知りおきを。という一言が続くのだが、そんな気にはなれなかった。
家まで送るという彼の提案を、断ろうとしたが何故か出来なかった。
…もう少しだけ、生きてみる事にした。
日を改めて、灯台へ向かおうとする度に、彼を見かけた。
ある時は、ご老人の荷物運びを手伝っていた。
ある時は、子どものイジメに割って入っていた。
またある時は、裏路地で女の子をガラの悪い男から庇ってボロボロになっていた。
…後で調べた事だが、『エクスルターテ』という名は古代語で『我の身は全ての者から歓喜の声を聞く為に』という意味らしい。
そんな少年を見かける度に私は自殺を諦めて、少年を手伝って、仲良くなったのだった。
夏の肌を刺すような日射しの日、私は魔術師ギルドの出来たばかりの友人達と海へ来ているのだった。
泳げないので本当は断りたかったのだが、強引に連れてこられてオロオロしていると近くに居たあの少年が声を掛けてきた。
「お、シエルも来てたのか」
少年はしばらく私を見ると、慣れない様子で言った。
「…水着、似合ってるな」
…泳げない事実を晒して恥ずかしい思いをするぐらいなら、と青髪の少年の腕を取って言う。
「あ、あそこのお店に行きましょう!喉が渇きました!」
「貧相な胸を押し付けるな。後泳げないならその子達に教えてもらえばいいだろ」
相変わらずの失礼だが妙に鋭い物言いにむっとするが、言い返す前に友人達に
「あの人シエルちゃんの彼氏!?」
「素敵な人じゃない?シエルちゃんより歳上みたい!」
…私は17歳、彼は15歳で実際は私の方が歳上なのだが、そんな事も聞かずにわーわーと質問攻めと泳ぎの練習に振り回されるのだった。
おかげで友人と仲良くなれたのだが、水着の女性に密着されて何も思わないのはかなり失礼だと思った。
その日の帰り、セミの鳴く公園で話をした。
「泳げないからって歳下を利用しようとするなよ…ましてや恋人設定にするんだったらもっと相手を選べ」
あなたぐらいしかそんな事出来る男友達は居ないと言ってやりたかったが、言い返せずに話題を変える。
「…お腹空いていませんか?何か買ってきますよ」
「確かに減ったな。ちょっと待っててくれ俺が買ってくるから」
言うと屋台の方へ向かっていった。
妙な所で気遣いをしてくれるのも、この人の私が好きな所だ。
ふと気づくと足元に鳩が群がっていた。
慌ててその場を立って少し離れるが、食べ物など持っていないのに何故か鳩は追ってくる。
鳩から逃げて、あの少年の元へ走って行くと呆れた様子で少年は言った。
「…シエルって生物学のレベルから弱そうなんじゃないか?」
失礼この上ない言葉だが、一転して心配そうに少年は言う。
「1人にするのが不安だ。…あ、そうだ」
言うと少年はポケットから紐のついた笛を取り出して、私の首にかけた。
「何かあったらこれを吹けよ。俺がすぐに行くし、来れなくても誰か他の人がきっと助けてくれる。魔術師は口を押さえられたら詠唱できないし、腕を掴まれれば杖を振れない。どっちか片方でも押さえられたら普通の人間なんだからな」
何でそんな魔術師の私に優しくしてくれるんだろう、と少しだけ疑問に思った。
聞く前に、試しに吹いてみると通りの良い、心地良い音色が響いた。
少年は目を逸らして言った。
「…ごめん。それ作る時に1回だけ試しに吹いたんだった」
間接キスさせられた。文句を言いたかったが、恥ずかしさで声が出なかった。
少し肌寒くなってきた秋の頃。
私から彼を誘って、この街を一緒に歩いて回った。
紅葉した葉を見ながら、美味しい物を食べて回った。
相変わらずデリカシーのない人だったけれど、それも気にならなくなっていた。まるで飼い慣らされてしまったみたいだ。
帰りに灯台に誘った。少年は当然のように頷いた。
灯台を二人で、初めて会った時の事を話しながら上った。
頂上に出ると、一面に広がるオレンジ色の綺麗な街と、黄昏れていく綺麗な空が見えた。
見飽きたはずだったのに、泣きそうなぐらいに、綺麗に見えた。
彼も目を細めて遠くの空をずっと見ていた。
私は以前聞けなかった事を聞こうとした。
「…どうして、魔術師の私に優しくしてくれるんですか?」
少年の答えは、背後の足音にかき消された。
4人の冒険者のグループのようだった。
夕焼けがみたいのだと思ってすぐに退こうと
「ごめんなさい、すぐに下りま…」
言おうとすると、少年は一歩前に出て左腕で私を後ろへやった。
「…あんたら、『行き止まり』の連中だな」
『行き止まり』。
それは魔術を学んでも才能がなく習得できずに、人生を踏み外した者達への総称だった。
魔術を行使する為には当然、努力が必要だ。
だが、それ以前に『そもそも体に魔力の適正があるか』。つまり、生まれ持った魔術の才能が必要なのだ。
冒険者のグループのリーダーらしき男が言う。
「俺達の用があるのはそっちの魔女だけだ」
「…悪いがあんたの用事がどうだろうが俺には関係ない。大体俺にはあんたらが魔術師を狙う理由が解らないな。妬みぐらいで人を襲うなんて連中ばかりでもないだろ」
彼の言葉に対して男は言う。
「…俺には魔術の才能がない。それも事実だし、最初は魔術師を目指していたのも事実だ」
続けて。
「だが、俺に後悔はない。マナは世界に有害なものだ。そして、俺達はそれを扱う魔術師達も全て排除する」
きっと、誰かに吹きこまれたのだろう。
だって、その方が楽だ。魔術師に嫉妬して自分が悪に染まるよりも、魔術師が悪だから自分を善だと思い込む方が。
そんな相手に少年は言い放つ。
「それで?」
「…自分の失敗を正当化して他人のせいにするのがそんなに楽しいか?」
「言ってくれるじゃないか。ならこちらも言わせてもらおう」
「『お前のその思考すらも、そこの魔女の放つマナによって誘導されたもの』だとは思わないのかね?」
ずっと疑問だったこと。
どうして、彼がこんなにも私に優しくしてくれるのか。
それは、この男の口にしたことと、どうしようもないくらい当てはまっていて。
私は大好きな彼を無意識に操っていたのだと。
…立っていられない。…視界が、真っ暗になる。
そんな中、少年は更にもう一歩踏み込んではっきりと言った。
「それがどうした」
「そんな下らない陰謀論がどうしたってんだよ。あぁそうかこれも誘導された思考なのか、って納得するのか?」
「間違いなく俺の意志で言ってやる。仮に俺が操られていようがなんだろうが、『困ってる女の子の味方になれれば、俺はそれで満足なんだよ』」
それが理由。そんなことが理由だった。
…私のつまらない考えなんて一掃する、何よりも解りやすいシンプルな答えだった。
暗かった視界は、いつの間にかぼやけている彼の背中になっていた。
それが涙によるものだと気づくのに時間がかかった。
そして、男は笑みを浮かべた。
嘲るわけでもなく、なじるわけでもなく。
彼という人間を認めた上で、戦いを仕掛ける意思表示。
「行くぞヒーロー」
「ああ来い馬鹿共」
『行き止まり』達は各々の武器を抜いて飛びかかってくる。
この状況下では私達が圧倒的に不利だ。
十分な空間のないここでは私は(彼を巻き込んでしまうため)範囲魔法を使えないし、数で負けている。
そんな中でも少年は背中の剣を抜かずに私に言う。
「俺の後ろから動くな。後『落下制御』の準備を頼む」
言葉と同時に一人目、盗賊と思わしき男がダガーで突きを繰り出す。
鈍い音が聞こえる。同時に彼の裂帛の気合のこもった声。
「なっ!?」
彼は盗賊の攻撃を回避出来ずに、体で受け止め、相手の動きを利用してそのまま灯台の外へと投げ飛ばした。
慌てて『落下制御』を掛けて、落下速度を最低にする。
「…ぐ…うッ」
彼は自分の服の袖を噛んで左手でダガーを引き抜くと、魔法で治療し、次の敵に備える。
そうして気づく。
彼は、回避『出来なかった』のではなく、『しなかった』のだと。
相手は目的は私だと言った。だから回避すれば私に迷わず向かってくる。
盾になったのだ。ただの足手まといで、魔女の私を守る為に。
敵は待ってくれない。
二人目は細身の女性。クロスボウを私に射ってきた。高速で向かってくる矢を、魔術師が避けれるはずもない。
命中する。
その直前、目の前を黒い布が通り抜けた。
彼が右腕で受けたのだ。鮮血が飛び散り、痛みを和らげる為の彼の咆哮が響く。
それでも行動を止めることなく、彼は『理力』の魔法で二人目を灯台の外へ弾き飛ばす。
三人目は屈強な男。ロングスピアで突きを放ってくる。
回避しなければ貫通するほどの威力。
「ッ!」
彼は最小限の動きで回避しようとするが体を掠めて、外套の布を持っていかれる。
彼はスピアを蹴って、私への突きの軌道を逸らすと体当たりで相手をよろめかせ、左手で強引に服の襟を掴んでまた外に投げ飛ばす。
彼の左肩が外れる音が聞こえた気がした。もはや痛みに反応することもなく、ボロボロの姿で立っている。
私は、泣きそうになりながらも落下制御を詠唱する。
四人目はリーダー格の男。ロングソードで斬り下ろし、斬り上げ。
一撃目はサイドステップで避けたが痛みで反応が遅れ、斬り上げに足を僅かに切り裂かれる。
彼はその場に倒れ込むが、そのまま振り下される凶刃を、受け入れることなく相手の足を払った。
バランスを崩して倒れ込んでくる男の顔面を、彼は脱臼した左腕の拳で殴り飛ばした。
彼は血塗れの姿でふらふらと立ち上がると私の方を見て、一言言った
「…怪我……してない…か……?」
出血で目が霞んでいるようだ。魔法で治療しないのは、いつもの人助けで一度魔法を使っているから、魔力を使い果たしてしまったのだろう。
私は涙を堪えて必死に頷いて返事をするが、彼は力ない声で「そりゃよかった」と言うと。
どさりと、その場に倒れた。
辺りに血の鉄臭い匂いが充満している。酷い出血だと慌てて止血しながら助けを呼ぼうとするが、衝撃と涙で声が出ない。
このままじゃ死ぬ。
私のせいで大好きなこの少年が死ぬ。
私を守ったヒーローが。
嫌だ、そんなのは嫌だと子どものように泣き喚いても、現状は何も変わらない。
…そうして気づく。
この状況を変えられる物を、私が持っていることに。
施療院の一室のドアの前に置かれたソファに、私は座っていた。
あの時、笛を吹いて来てくれた人が神官だったことが不幸中の幸いで、彼はなんとか一命を取り留めた。
ただし、流石に意識が戻るまでは部屋には入れないらしい。
少しほっとした気持ちで彼の意識回復を待つ。
*シアンSide*
目を開けると、真っ白な天井が見えた。
体はボロボロで動かす度に痛みを感じる。
傍らの、見覚えのない老人が声をかけてくる。
「おお、目が覚めたか。どうだね?体の調子は」
隣りにいた女性が「彼女に知らせてきますね!」と嬉しそうに扉を出て行った
白衣を着ているところからして医師だろう。辺りを見回してみると施療院らしい白を基調とした清潔感のある内装だった。
「君、自分の名前は言えるかね?」
「…シアン…エクスルターテ…」
「ここがどこかは解るかね?」
「…施療院に、見える」
「何でここにいるのかは?」
「………」
「思い出せないか。じゃあシエルさんのことは?」
「……?」
聞き覚えのない名前だ。
*シエルSide*
「あなたの彼氏さん、目を覚ましましたよ!」
そんな微妙にずれた報告に顔がかぁっと赤くなるが、そんなことよりも彼に早く会いたいというのが先だった。
急いでドアを開けて病室に飛び込むと、包帯をまかれた彼がベッドから上半身を起こしてこちらを見た。
先生は驚いている様子で私に声をかけようとした。
その前に彼が言った。
「君、部屋間違えたんじゃないか?」
…冗談だと思った。いつもの彼のデリカシーのない冗談だと。
でも、彼の顔が。
その不思議そうな表情が。
冗談を言う時のわざとらしい真顔ではなかった。
胸の奥が痛い。息が苦しい。心が疼く。
私は涙を堪えることが出来ずに部屋を出て、施療院を駆けた。
また、夕陽が見たいと思った。あのオレンジ色が、私の心も優しく包んでくれると思ったから。
でも、それはできない。
今はもう夜だし、あの灯台は彼の血の処理に自警団が追われていて、立ち入ることはきっと出来ないだろう。
だから代わりに夜空を見上げて誓った。
いつか必ず彼の記憶を戻すのだと。
魔法の道具でも、そういう魔術でも、なんでも良いから彼の記憶を戻して、いつかこの想いを伝えるのだと。
だから今は『大好き』と言わない。
*シアンSide*
「…さっきの彼女が、シエルさんだよ」
医師はそう言った。
この口ぶりからして、きっと俺と彼女はとても親しい仲だったのだろう。
ベッドから出ようとするが全身が痛い。強引に動かせば引きちぎれるほどの激痛だ。
そんな俺を医師は止めた。
「先生!行かせてくれ!早くあの子に謝らないと!いや違う、やっぱり冗談だって」
「待ちなさい。今行った所で君に上手な嘘はつけない。それに君を心配している女性はもう一人いるんだ。その子と会ってからにしなさい」
「…その子の名前は?」
「アリス。君はいつも人助けばかりでね。よくボロボロになってここに運び込まれていたんだよ」
アリス。これもまた、聞き覚えのない名前だった。
「やはり、覚えていないか。君自身のことはどのくらい覚えているんだい?」
「故郷が襲撃されて逃げて…師匠に拾われて…修行を終えて…ここに来た」
「その途中一緒に誰かと来なかったのかい?」
「……ぐっ」
ゆっくりと頭の中の記憶を引っ張りだそうとすると一瞬金色がちらついて、酷い頭痛がした。
「無理しなくていい。なるほど、君は出身は覚えているがこの街に来る直前からの事は何も覚えていないということだね」
「……」
ドアを開けて、白衣の女性が言った。
「アリスさんいらっしゃいましたよ!」
その女性に言う。
「…アリスさんにはまだ、意識が戻ってないって言ってくれ」
「…はい!?」
「先生、お願いだアリスさんと俺について、知ってること全部教えてくれ」
医師は真剣な顔で聞き返した。
「…本当にいいんだね?」
それに対して、答える。
「…さっき、シエルさんが俺の言葉を聞いて部屋を出た時、胸が痛かったんだ。…いいや違うな、心が、痛かった」
「…あの表情も涙も、もう、見たくないんだ。頼むよ、先生。俺の一生に一度のお願いだ」
医師は大きく息を吐いて頷いた
*アリスSide*
彼が倒れたと聞いて、またいつものかと半分思いながら私は施療院に駆けていた。
その途中、長いチョコレート色の髪をした少女が涙を散らしながら走っていくのを見た。
…誰か大切な人が亡くなってしまったのかもしれない。
私もそうならないことを祈りながら駆けて、施療院で白衣の女性とソファに座って待っていると、彼が意識を取り戻したと言われた。
ドアをそっと開けて入ると、少年はカーテンのはためく窓から覗く夜空を眺めていた。
こちらを見ると
「ようアリス。悪いな心配かけて」
全身ボロボロのくせに、茶化すように笑った。
いつもと少し違う雰囲気を気にしながらも私もいつもの様に返す。
「別にいいよ。お見舞い用の果物はあなたの財布から出てるんだし」
シアン=15歳
アリス=400数歳(エルフの最大寿命1000歳だから40代なの?と思うかもしれないが肉体年齢は若い時代のまま)
シエル=17歳
シエルは茶色の長髪で少し体つきが貧相な貴族の女の子です。