一期一会で終われない
奈良の山麓にある俺の住処は蝉しぐれに包まれ、本日も陽は否応なく地上へと降り注がれている。
ロックベースに倣ったような重低音を響かせるエアコンは、外観からして黄色く劣化しており、そこから吹く風は時折生温くすら感じる。
こちらに来てから、俺は身体を動かすことすら億劫となり四六時中寝てばかりいた。
「おーいA、もう準備はできたの?明日から君が晴れ晴れしく初陣するんだよ!」
窓を突き破るような戸倉ウラの甲高い声。短く切られた髪は身体に振り回され、忙しなく四方へと揺れる。
「こんなド田舎の学校に準備もなにもないだろう。挨拶代わりに雉でも持っていけばいいだろ」窓から顔を出して煩わしそうに答える。
「学校は大して田舎でもないもの、ここから自転車で1時間くらいの」
「1時間も、か。しかも俺自転車持ってない」
「明日に限っては特別に私の自転車に乗せてってあげる。もちろんペダルを踏むのは、君」
「ちなみにセグウェイならあるけど」
「御法度です」言下にしりぞけ、戸倉ウラは自転車にまたがり颯爽と視界から消えていった。
さて、明日に備えて一眠りをするかと思い畳に寝転んだ突如、軍歌が流れてきた。
スピーカーから流れてきた音は割れ耳を劈き、この炎暑を煽るようだ。
今度はなんなんだ、と頭を掻きむしりながら窓の外に目をやると戸倉が下っていった道から、黒光りしたトラックがこちらへ向かい登ってきている。
前面には金色の菊花紋章がペイントされており、背面には旭日旗が高々と掲げられていた。
屋敷の前で止まると、律儀に首元までホックの閉められた学生服を着ているスキンヘッドの男が助手席から降りてきた。
身長2メートル近いだろうと思われる、堂々たる体躯の男だ。
男はこちらを見上げると「先ほど戸倉先輩から云われ参った。挨拶が遅れたことをお詫び申し上げる。わしは戸倉ウラ氏と同じく陸上部所属、砲丸投げを主としておる、1年山城剛次郎である。」とその恰幅に分相応の声量で叫んだ。
「1年ってことは俺より年下か。俺はA、よろしくな。それとお前、敬語をつかいたまえ。敬語を」
負けじと啖呵を切ってやった。こんな奴らに圧倒されていたら、明日から思いやられる、と。
「先輩であったか。それは申し訳ない。では明日から宜しく頼む。」
山城は全く変わらない口調でそう言い残すと踵を返しトラックへと乗り込む。
運転席にはおよそこの田舎には似つかわしくない洒脱な女が乗っているが、俺の方を見ている様子はない。もっともサングラスをしているので視線や表情は読み取れないのだが。
軍歌と排気ガスを撒き散らしながら、トラックは下っていった。
じんじんとした頭痛が襲う。眼窩の奥がひりつく。
窓に背を向け、俺は横たわると泥のように眠り続けた。
今日の空は昨日にもまして甘く青い。
木々には斑鳩が一羽とまっており、落ち着きのない挙措で枝をつついていた。
窓を開け、麗らかな光景を見ながら朝の静けさに一息ついている。
そろそろ二度寝を開始しようとした直後、空間を裂くような音が響く。
「おはよう、A!まず、言っておく。転校生ってのは、特にこんな田舎では、一大イベントなんだ。歓迎されるか、否か。まずは紹介時の挨拶。そこで対応を見誤ると、君は卒業するまで奈落の底へとドボンだ。誰も手なんて貸しちゃくれない。君は異分子なんだから。その自覚を持つように。じゃあ、そろそろ行くから支度しな、40秒で」。
ウラは立て板に水のごとく話すと軽快な足取りで僕の部屋から消えていった。
万有引力など感じさせないように。