04
ゴゴゴゴ……。
光が収まった瞬間、周囲に凄まじい地響きが轟いた。
大地が揺れている。ミスコンのステージ周囲に灯っていた松明のような照明器具が倒れ、瞬く間に会場全体に燃え広がる。屋敷の建物も崩れはじめ、会場にいた観客たちは、甲高い悲鳴を上げながら逃げ惑う。幹部たちによる静かな推理劇が演じられていた会場は、一変して地獄絵図と化してしまったのだ。
「な、な、な、な、なんですかぁぁぁー……なんなんですかぁぁぁー……」
「く、くそっ! こいつはただ事じゃねーぞっ! アカネ、俺のそばにいろよ!」
「まさか……まさか……これは……」
幹部の少女たちも、それぞれリアクションこそ異なるものの、突然の事態に取り乱している。しかしそんな中で雛子一人だけは、いつも通りの平然とした態度だった。
「幼馴染の友達から聞いたんですけどね。子供のころの私って、随分と『残念』な子だったらしいんですよ」
まるで、道でばったり知り合いと会ったときのような、なんでもない調子で話し始める。
「ほら、あなたたちの知り合いにもいませんでした? 一緒に対戦ゲームとかしてて、自分が負けそうになると、リセットボタン押して無かったことにしちゃう子。私って、そういう子だったらしいんですよ。まあ、自分では全然覚えてないんですけどね」
「な……」
コルナは絶句する。
それは、『人間女の亜世界』には「対戦ゲーム」や「リセットボタン」という言葉がなかったため、雛子が何を言っているか分からなかったから……というだけではない。もちろん、雛子のその言葉の意味など分かるはずはもなかったのだが、それよりもむしろ、「こんなときに、雛子がどうしてこんなにも普通に話していられるのか」ということに、驚愕していたのだ。こんな、『亜世界』の緊急事態に……。
「だから、今の私の行動をそういう子供のころの特性に結び付けて受け取られてしまったとしても、それはそれでしょうがないのかもしれません。というかまあ、基本的にはどう取られても構わないんですけどね。
でもね。一応言い訳をさせてもらうと、さっきのはそういう意味ではないんです。私は何も、自分の負けを認めるのが嫌で、全てを無かったことにしたかったから『リセットボタン』を押したというわけではないんですよ?」
「ぴ、ピナちゃん……?」
ステージの上の少女たちの中で、アカネが一番現状の理解が足りていないようだ。ゆっくりと雛子に近づいてくる。
「い、一体、何が起きてるの? どうして急に、地震が……きゃ!」
また地響きが起こって、貧弱なアカネは床に倒れる。雛子はそんなアカネを無視して、話を続ける。
「私、ちゃんと自分の敗北を認めてるんです。ええ、本当です。今回は完全に私の負けでしたね」
「て、てっめ……。それじゃやっぱり、さっきの『魔法』は……」
ビビが、思い出したかのようにまた雛子に掴みかかろうとする。しかし、雛子は身軽にステップでも踏むようにそれをやり過ごしてしまう。
「あなたたちにも、すっかり騙されてしまいましたよ? 正直、私はあなたちのことをただのバカと思って、かなり甘く見ていたんです。でも、徒党を組んで私を陥れるくらいの知能は持っていたのですね? 私はそれを読み切れませんでした。お見事でした。
……多分、私の敵が七嶋さんだけだったら、私は今ごろ負けていなかったと思います。だって七嶋さんって、狂おしいほどにお人よしですからね? たとえ私の狙いに気付いたとしても、きっと最後まで私を信じようとして、私を追及することなんて出来なかったと思います。
そしてそれは、あなたたちも同じ。あなたたちにしたって、いくら私が異世界人だと分かっても、七嶋さんが私の味方ではないという確証がなければ迂闊に手を出せなかったはずです。もし、私が七嶋さんから事前に『異世界人ボーナス』をもらっていたとしたら、あなたたちに勝ち目なんてなかったはずなのですから。
つまり七嶋さんとあなたたち……『異世界人』と『亜世界人』の手を組ませてしまった事が、私の真の敗因だったということになりますね」
「お、お前……な、何を言ってるのだ……。こんな……こんな時に……」
「え? だから、私はあなたたちや七嶋さんを認めているという話ですよ。すごいでしょう? 私って、ちゃんと自分に勝った相手を誉められる人なんですよ」
「い、いい加減にしろよ、てめえ……。何考えてやがんだよっ! 勝ちとか負けとか……そ、そんなこと、どうだっていいんだよ! だって……て、てめえは……てめえは……」
ビビが、アカネを守るように彼女の前に立つ。そして、ワナワナとこぶしを震わせながら、叫んだ。
「この『亜世界』を、ぶっ壊しちまうつもりなんだろっ!?」
「あ、はい」
何でもない様子で、真顔で頷く雛子。
「そうです。その通りです。まあ正確には、『ぶっ壊しちまう』ではなく、『ぶっ壊しちまった』ですけどね。だって私はもう、さっき『世界破壊魔法』の呪文を唱えてしまいましたから。
あの『魔法』は一度唱え終わったなら、その効力を中断したり、取り消すことなんて、もう出来ません。だってそれが出来るなら、そもそも大昔にあの『魔法』が使われた時だって、誰かが妨害していたとは思いませんか? つまり、かつて確かに1つの世界が消滅したという過去の事実が、これからこの『亜世界』が消滅するしかないという未来を決定づけているわけです。残念でしたね」
「な、なんなんだこいつ……」
その、全く悪びれていない態度に、ビビは思わずたじろいでしまう。
「なんと……愚かな……」
雛子の言葉を聞いたコルナは、ステージの床にがっくりと膝をついた。
「それでは、やはり……先ほどお前が唱えた『魔法』は……かつて1つだった世界を、消滅させた……『世界破壊魔法』だったということか……? バカな……。こんな……こんなバカなことで……この、『亜世界』が……」
「ああ、恨むなら私ではなく、アカネ様を恨んでくださいね?」
落ち込んでいく幹部の少女たちとは対照的に、雛子の調子はどこまでもいつも通りだった。
「今の私は確かに、七嶋さんとここにいる幹部の3人には負けました。それは認めます。でも、認めるのはそこまでです。
私は別に、アカネ様にまで負けたつもりはありません。というか、アカネ様みたいな『自分勝手で何もできないくせに調子に乗っている迷惑女』が、私のなれなかった『亜世界の管理者』になっているっていうこの状況に、全く納得がいっていません。正直言って許せないんです。吐き気がするんです。だから、この『亜世界』ごと、それを台無しにすることに決めたんです。
もしも『管理者』がアカネ様でなかったなら……例えば、七嶋さんがこの『亜世界』の『管理者』だったなら、私だってこんなことはしてませんでしたよ? 大人しく自分の負けを認めて、引き下がっていました。だから、悪いのは私ではなくアカネ様なんです」
「そ、そんな……そんな……」
アカネは、ガタガタと体を震わせ始めた。
信頼していた雛子に裏切られたこと。その雛子が、この『亜世界』を破壊するような恐ろしい魔法を唱えたということ。そして何よりも、その原因が自分だと言われたことが絶望的なほどにショックだったのだ。
話している間にも、周囲はどんどん崩壊していく。既にステージの周囲は火が燃え広がり、逃げ道がふさがれつつある。観客や裏方の魔術師の中には、逃げ遅れてその炎に巻き込まれている者もいる。それが、全て自分のせいだと言われたのだ。
「アカネ、こいつの話なんか聞くなよ? お前は、何も悪くねえゼ? だって俺たちは、お前がいたから……」
「うう……」
ビビが、手を握ってアカネのことを励まそうとするが、その声も今の彼女には届かない。今のアカネは、頭の中で何度もリフレインする雛子の言葉に追い詰められて、それどころではなかったのだから。
「くそっ!」
そんなアカネを見るに堪えないビビは、怒りをあらわにして雛子のもとに詰め寄った。
「てっめえ! 下らねえこと言って、アカネに八つ当たりしてんじゃねーよっ! いくらてめえが、企んでたことを俺らに暴かれてみっともねーからって、アカネは何も悪くねーだろーがよっ! そんなに死にてえんなら、てめえ1人で死ねよっ!」
雛子の首元を絞めるビビ。しかし、雛子の顔にはまだ余裕があるようだ。
「はい?」
「ひ、ひ、ひどいですぅぅぅ……」
横からアウーシャも、顔をくしゃくしゃにして雛子に泣きつく。
「ど、どうして……どうして、こんなことするんですかぁぁ……? 『亜世界』が壊れちゃったら、そこに住んでる人は、みんな死んじゃうんですよぉぉ? 死んじゃったら、『楽しい』も『嬉しい』も……。『気持ちいい』も『痛い』も『恥ずかしい』も……。『痛気持ちいい』も『恥ずか気持ちいい』も……。みんなみんな……もう2度と感じれなくなっちゃうんですよぉぉぉ? それじゃ、意味ないんですよぉぉ……? ピナさんだって、そんなの嫌じゃないんですかぁぁ……? ピナさんだってこれから生きてれば、もっともっと、いろんな気持ちいいことを……」
「あ、あー……。そうか、そうですよね。あなたたちは、知らないんだ」
何かに気付いた雛子は何度か小さくうなづきながら、滑らかな動きで自分の首を絞めるビビの手を退け、アウーシャの体を引き剥がす。そして、「どおりで、さっきから話がかみ合わないなと思いましたよ」と呟きながら、小さく鼻を鳴らした。
「な、何言ってんだてめぇー!? さっきから話がおかしいのは、てめえだけだろーがよーっ! だからさっさと、この状況を何とかしろって……」
もう一度、雛子に掴みかかろうとするビビ。しかし雛子は、またしてもそれを、ひらりとかわしてしまうのだった。
現在のビビには、アカネとアリサから1万5千ずつ。そして、彼女たちやビビやコルナが他の人間たちから集めた魔力が、全て結集されている。だから、2万5千の魔力しか持たない雛子が相手ならば確実に圧倒出来るはず。ビビの攻撃が、そう何度も雛子にかわされる訳がないはず。幹部の少女たちは、そう思っていたのだが……。
しかし実際には、そうではなかったのだ。
実は、雛子の唱えた『世界破壊魔法』によって引き起こされている危機的状況のために、人々はアカネたちに『承認』した魔力を取り戻し始めていたのだ。ある者は、一刻も早くこの場から逃げるために。またある者は、傷付いた仲間や自分自身を治癒するために。口々に『否認』を行って、自分が所有権を持っている魔力を回収していたのだ。だから、ビビやコルナ、そして『管理者』として周囲の人間にこれまで『承認』を振りまいていたアカネの魔力は徐々に失われていて、もはやそれを結集しても、雛子の魔力には届かなくなっていたのだった。
今の状況を考えれば、それは充分に仕方のないことだろう。誰かが責められるようなものではなく、いたって当然の事態と言えただろう。
しかし、雛子の言葉にショックを受けているアカネの目には、その状況はまるで、人々がアカネたちに愛想をつかして自分たちの魔力をとり戻しているように見えてしまった。そしてその勘違いは、彼女の気分を更に落ち込ませていたのだった。
「私、あなたたちにちゃんと言ってませんでしたね? だから、あなたたちが勘違いしてしまったとしても、仕方ありませんでしたね? ごめんなさい。お詫びして訂正します。実は私、死なないんですよ」
そんなアカネの状況を知ってか知らずか。雛子は、またしてもさらっと、当たり前のようにそんなことを言った。
「あ、いや、何も私が不死身だとか、そういうことを言いたいわけじゃないですよ? そうじゃなくって、私は、さっきの『世界破壊魔法』では死なない。つまり、私は自殺をしたいわけじゃないんです。ただ単純に、この『亜世界』をぶち壊したかっただけなんですよ。だって私、ここからいつでも脱出することが出来るんですから」
「えぇぇ……?」
「なん……だ……と?」
「て、てっめえぇ……」
アカネの幹部の少女たちは、唖然としている。
「……」
アカネはもはや落ち込みきって、心を閉ざしてしまっているようだった。
「そもそも、私がこの『亜世界』にどうして来たかってこと。私の正体に気付いたときに、あなたたちは考えませんでしたでしょうか? 私は、アカネ様のようにこの『亜世界』の人間に召喚されたわけではありません。だってもしも、私を召喚したのがこの『人間女の亜世界』の人間だとしたなら、私ははじめから前の『管理者』の『遺言』に当てはまるってことじゃないですか? 『管理者』にこびへつらったり、わざわざタイミングを見計る必要なんかなく、すぐに『管理者』になれたはずじゃないですか? それが出来なかったということは、私はこの『亜世界』に召喚されたわけではない。……じゃあ、どうやってここにやってきたのか?
実は、私のやってきた『ルート』は、七嶋さんと同じなんです。つまり、私は一度『人間男の亜世界』に召喚された後に、その『亜世界』の力でこの『人間女の亜世界』に転送されてきたというわけです。実はさっきの『世界破壊魔法』も、その『人間男の亜世界』から、くすねてきたものなんですよ。
最初に私が『人間男の亜世界』に召喚されたとき、あそこのバカ王子が私に、『亜世界』のこととか、自分の目的とかを説明してくれて、色々とレクチャーしてくれたんですけど。そのときに、一緒にさっきの『魔法』の存在も教えてくれたんです。多分、自分たちの境遇を話すことで、それに同情して欲しかったんでしょうね。適当に相槌を打っていたら、あの男はべらべらと余計なことまでしゃべり始めて……大昔に1つの世界を破壊した種族が『人間男』だってことまで教えてくれたんですよ。しかもそれだけじゃなく、頼んだらそれが書かれている本まで見せてくれて……。ホント、あの王子良いのは顔だけで、頭は空っぽでしたね。
で、こういうときに使えるかなーと思って、私はそのときにちょちょいとページを引きちぎって持って来てしまったというわけです。……まあ、そこはどうでもいいんですけどね」
雛子はなんでもない様子で語り続ける。
「私が言いたいのは、そのバカ王子が『私をこの亜世界に送り込んだ理由』は何か、ってことでしたね。それは、七嶋さんと同じような、『亜世界結合の契約代行人』でしょうか? いいえ、違います。実はどうやら、『契約代行人』というのは、1つの『亜世界』で同時に1人しか送り込むことが出来ないものらしいのです。まあ、もしも何人も用意できるのなら、はじめから1人や2人じゃなく、10人とか100人とか、大勢の人間をチームとして送り込んでるでしょうしね。だから、私は七嶋さんとは違う理由でここにやって来たことになります。
で、結局その理由は? って話ですけど……今更隠してもしょうがない事だから、さっさとお教えします。実は私、『調査部隊』なんです」
「なに……?」
「つまり、本部隊である『契約代行人』を転送する前に、先行して『亜世界』に潜入して、その『亜世界』のことを調査する役割というわけです。
例えば私、ここに来る前に七嶋さんより先に、『モンスター女の亜世界』にも行ってるんですよ? でもまあ、あそこはサバイバル感が強すぎて、頭脳労働担当の私向きではなかったので、『管理者』にも会わずに早々に『帰還』してしまいました。だから、『モンスター同士でお互いの強さを知ることが出来るっぽい』といった程度の、ざっくりした情報しか持ち帰ることが出来ませんでした。まあ、そもそも七嶋さんが有能だったので、私の情報が活かされることはなかったみたいですけどね」
また、わざとらしい笑いを浮かべる雛子。
「というわけで、『調査部隊』である私は、情報を持ち帰るために、この『亜世界』からいつでも好きな時に『人間男の亜世界』に戻ることが出来る能力を与えられているんですよ。だから、さっきの『世界破壊魔法』でぶち壊されるのは、この『亜世界』と、この『亜世界』に存在するあなたたちだけ。私は何の問題もなく、生き残れると……」
そこで、雛子の言葉が止まった。
彼女の喉元にナイフが当てられていたのだ。そのナイフを持っているのは、いつの間にか雛子の背後に回り込んでいた、アウーシャだった。
「なるほど……それが、あなたの本性というわけですね?」
「『魔法』を、止めて下さい……。さもないと、貴女は本当に、あたしたちと心中することになります……」
ドスの利いた声でつぶやく彼女。しかし、雛子は一瞬驚いただけで、すぐに元の調子に戻ってしまっていた。
「だーかーらー……さっきも言った通り、もう無理なんですって。一度唱えられてしまったら、『世界破壊魔法』を止めることは、もう私にさえ出来ないんです。もちろん、今さら私を殺したとしても、もうこの『亜世界』の崩壊は止まらない。あなたたちは、既に死を決定づけられているんですよ」
「て、てめぇーっ! 適当なこと言ってんじゃねーゼっ!」
ビビも、殴りかかる勢いで雛子に詰め寄る。
「そんなわけねーだろーがっ! 本当は、な、なんかあるだろっ!? 下らねーこと言ってると、マジでこの場で、俺らがお前のことを……」
「そうだ……お前が唱えた『魔法』が……お前に、解除できないはずが……」
しかし、雛子は今度は幹部たちのことを無視する。ナイフを突きつけられ、殴りかかられそうになっているのに、そんなものには一切興味を持っていない。
今の雛子の興味は、ただ一人。さっきからずっと床に座り込んでいた、アカネだけだった。
「アカネ様」
話しかけられたアカネは、ゆっくりと頭をあげて雛子の顔を見る。そのときの雛子は、教科書通りと言えるほど特徴のない微笑みを浮かべていた。
「ぴ、ピナちゃ……」
アカネは、なんとか落ち込んだ気持ちを振り立たせて、その微笑みに答えようとする。今までの雛子の言葉もは、本当は全て嘘だったと言ってくれると信じて。しかし、
「さっきも言いましたけど……こうなったのは、全部あなたのせいです。あなたがこの『亜世界』にいたから……あなたが余計なことをしたから、私はこの『亜世界』を壊さなくちゃいけなくなったんです。あなたさえいなければ、この『亜世界』は壊れなかった。誰も死なずに済んだ。誰も傷つかずに済んだんです」
しかし雛子は、そんな彼女の気持ちを完全に踏みにじってしまったのだった。
「ああ……」
もはや、アカネはまとなも言葉を出すことすら出来なくなってしまった。
「先ほどの幹部たちの追及通り、私は、アカネ様が七嶋さんと一緒に風呂で話しているのを聞いていたわけですが……。あのときあなた、言ってましたね? 『間違っている人でも幸せになれる世界』を作りたいとか。『それが、女のくせに女に告白してしまった自分の責任』だとか。はあ? 何言ってるんですか? そんなの、無理に決まってるでしょう?」
「あ、あの……」
「『間違っている人間』は、存在自体が間違っているってことですよ? 生きていることが間違っているってことですよ? 居ても無意味なだけなんです。邪魔なんです。気持ち悪いんです。死ぬべきなんですよ」
「そ、それは……だって……」
「あなただって、それに気付いていたんでしょう? 元の普通の世界で、七嶋さんにそれを教えてもらったんでしょう? それなのに、あなたは『管理者』なんかになって……」
雛子のその言葉たちは、アカネにとって、最も恐れていたものだった。彼女はこれまで、自分を押し殺してでも、この『亜世界』のためなることをやってきたつもりだったのだ。『管理者』として、この『亜世界』の人間全てが幸せになる方法を探してきたつもりだったのだ。
だから。そんな自分の行為が無意味だった、むしろ、この『亜世界』を傷つけるものだったと言われるのは、アカネにとって、何よりも聞きたくない言葉だったのだ。
「『もともと間違っていた』あなたが、『亜世界の管理者』になんかなるべきではなかった。『間違ったあなたには、『間違った世界』しか作れないんですから。この『亜世界』は、とても不幸です。あなたなんかが『管理者』になったせいで、この『亜世界』の全ての人間は死ななければならなくなった。あなたが、この『亜世界』とその人間を殺したんです……」
「ああぁぁぁー……」
絶叫するように、倒れ込むアカネ。幹部たちは、彼女のそんな姿を見ているのが耐えられない。
「てっめえぇーっ! ぜってぇぶっ殺してやる!」
「この期に及んで……黒々しいことを……」
「もう、黙らせます……」
殴りかかるビビとコルナ。アウーシャは、首元に押し当てていたナイフを引いて雛子の息の根を止めようとする。
しかし、
「まだまだ、アカネ樣には言い足りないことが山ほどあるのですが、そろそろ潮時のようですね」
とつぶやくと、右手の指先を自分の口元にあてる。そして、それをアカネに向けて、『投げキス』のように動かして、言った。
「それでは……『帰還』」
その瞬間、雛子の体が薄青い光に包まれる。
それから、まるで気体のように体の輪郭が曖昧になり、ぼやけ始めたのだ。
「に、逃げんなよっ!」
「くそっ!」
ビビとアウーシャが、感触がなくなった雛子に攻撃を繰り出すが、まさに空を切るように空振りに終わる。
「ふふふ……」
蜃気楼のように薄っすらと残る雛子のイメージが、そんな状況をおかしそうに微笑む。
「あなたたちは、かわいそうですね……アカネ様に仕えて、こんなに忠誠心を尽くしてきたのに……これから、そのアカネ様のせいで死ななければいけなんて……」
「うるせぇーっ!」
ビビがこぶしを振り回すと、雛子の蜃気楼が周囲の空気と混ざりあって薄くなる。しかし、それでも薄まった彼女のイメージからは、辛うじて言葉が聞こえている。
「きっとその忠誠心は……やがて、自分たちを殺したアカネ様を恨み……憎しむ気持ちに変わっていくのでしょうね……。アカネ様は、この『亜世界』の全ての人間に恨まれて……死んでいくのです……はは……あはは………」
「そ、そんなわけねーだろーがっ! てめぇ、黙れっ!」
「は……はは……」
そこで、薄まったイメージはとうとう消えてなくなり、雛子は完全にこの『亜世界』から姿を消した。
崩壊し続ける『亜世界』に残されたのは、全てを否定されて、気力を失ったアカネ。そして、そんなアカネの周囲に立ち尽くしている幹部の少女たちだ。
「私の……私のせいで……。みんなが……この『亜世界』が……」
力なく、つぶやき続けるアカネ。それは誰かに言っているわけではない。しいて言うならば、自分自身に言い聞かせて、その言葉の重みで自分自身を押しつぶしているようだった。
「気にするな……この状況は、断じて、ミノワアカネのせいではない……」
「そ、そうだゼ? アカネが悪いわけが……」
「き、きっとあたしたちには、まだ出来ることがぁぁ……」
「わ、私のせいで……私が、いなければ……」
「……」
少女たちの励ましは、アカネには届かない。
亡霊のようにおぼろげに呟き続けるアカネ。
幹部たちは、そんなアカネに少しでも元気になって欲しくて、あえて活動的にふるまうことにした。
「よ、よしっ! とにかく今は、この状況を何とかすることだゼ! と、とりあえず、近くにケガしているやつがいねーか、確認しに行こうゼ!?」
「ワシは、『黒狼』の仲間を集めよう……。きっと、これから人手が必要になる……」
「あ、あたしは……『魔法』を解除する方法がないか、大司教様のところにぃぃ……」
きっと、何とかなる。この『亜世界』が……自分たちが……ここで終わるはずがない。
そんな思いを胸に、各々が今できることを考え、それを実行に移すことにしたのだ。そうすることで、自分たちの想いがアカネに伝わると信じて。しかし……。
「いつも……私のせいで誰かが……」
極限まで落ち込んでいたアカネは、そんな彼女たちの気持ちを受け取る余裕さえなかった。強い絶望は、やがて自暴自棄へと変わっていた。
俯いているアカネの視界に、床に落ちたナイフがうつる。
それに引き付けられるように、アカネの手が伸びる。
「私さえ……いなければ……」
ナイフを持った手を、ゆっくりと喉元へと動かすアカネ。既に感情は死んでしまっているのか、恐怖は感じない。
「ま、これからちっと大変だろうけどよ! 全部が終わったら、もう一度ちゃんとミスコンを…………」
視線を外していたビビたちが、アカネの方に振り返ったときには……もう、既にナイフが突き刺さる直前まで来ていた。
「ば、バカお前っ! 何を……」
「やめるのだ……」
「くっ、間に合わない……」
3人が慌ててアカネの元に駆け寄ろうとするが、ナイフが動く速度にはかなわない。
アカネは、一切の迷いなく、そのナイフを、
「ごめんね、みんな……ごめんね、ナナ……」
突き刺そうとした。
その直前。
「え……」
ナイフを持つアカネの手が、別の少女の手によって制止された。
アカネは、その手の主の方に顔を向ける。そして、その顔を見て、感情が高ぶって、涙を流してしまった。
「あ、ああぁ……」
「アカネ、遅くなってごめんね!」
そこには、七嶋アリサの姿があった。




