02
「あれは……この『亜世界』に……ナナシマアリサがやって来たときのことだ……。
異世界人であるミノワアカネが、ワシたちに『自分の世界の友人』として、ナナシマアリサを紹介してきた……。あれには、誰もが驚かされた……。まさに、頭の中が真っ黒になってしまったのだ……」
「ああ。でも、そいつは無理もねーよな? だって、アカネが別の世界から召喚されてきたっつーことさえ、普通に考えたら充分にスゲーことなのによー。その上、同じ世界から更にもう1人、呼んでもいねーヤツが来やがったんだぜ!? そんなの、ビビんねー方が無理っつー話だゼ!」
「そ、そ、そ、そうですよねぇぇ……。あ、あたしもあのときは驚きすぎちゃって、思わず、ちょっとお漏らし…………い、いえぇぇー! な、な、な、何でもないですぅぅぅ!」
「と、とにかく……俺らはあのときスゲー驚いたんだよ!」
相変わらず、アウーシャのことは無視して話は続く。
「あんまりにも驚いたもんで、こいつがあんな『ミス』を犯したことも、危うくスルーしちまうところだったんだゼっ! だってあのとき、こいつだけが……」
「はっ……」
そこで「彼女」は、「期待外れだ」とでも言うように小さく鼻を鳴らした。
「それが、あなたたちが言う『私のミス』ですか? そんな事で、私が『管理者』であるアカネ様を傷付けようとするテロリストだと言いたいのですか?」
さっきまでの警戒心も若干緩んだようで、いくらか饒舌になる。
「まったく……バカも休み休み言って欲しいものですね。そんなことで私を糾弾するなんて、暴論にも程がありますよ。見当違いも甚だしい。だって、そうでしょう? いくら私が、あのとき『突然現れた七嶋さんに驚かなかった』からって、それで……」
「あぁん? 違うゼ?」
そんな「彼女」の言葉を、ビビが遮った。
「俺たちは、お前があのとき『驚かなかった』っつー話をしてんじゃねーよ。むしろ、その逆だゼ?」
「あのときのお前は……実は、あの場にいた他の誰よりも驚いていたのだ……。だから、普段のお前ならば考えられないような……あんな単純なミスを犯したのだ……」
「……」
「ピナコ」はまた黙って、彼女たちを睨み付けていた。
※
私は、手に持った書類をメルキアさんに見せながら、確認する。
「これに、皆さんは名前を書いたんですよね?」
「あ、そうだよー」
メルキアさんは、その「書類の裏面」を一瞥してから、特に重要でもなさそうに答えた。
「あの、頭の良さそうな彼女がさ。その『裏面に変な模様の入った書類』が、専用の用紙なんだって言ってたんだよ。だから私たち『風の民』は、『模様が入ってない表側』の方に自分たちの名前を書いたってわけさー」
「違うんです……」
私は声を震わせて、メルキアさんに言った。
「これは、模様なんかじゃないんです……。というか、こっちこそがこの用紙の『表』なんです。だって……だって、ここに書かれている『文字』は……」
※
「あのとき……ナナシマアリサはワシたちに自己紹介をした……。自分の名前と、それから……恐らくは自分が所属する団体名のようなものを言っていたようだ……」
コルナは確認するように、アカネの方に視線を送る。アカネは不安そうな表情で頷いた。
「つまりナナシマアリサは……別の世界からやって来た異世界人にも拘らず……ワシたちと、完璧にコミュニケーションをとることが出来ていた、ということなのだ……。不思議なものだがな……」
「ああ、そうなんだよな」ビビが同意する。「この国の言葉ってよー、まあ、割りと単純っちゃあ単純なんだよ。俺が自分の国からここに来たときも、言葉覚えるのにそんなに苦労はしなかったくれーだしな。でも……それにしたってアカネやアイツは、言葉を完璧に喋れ過ぎだゼ。
ムズい話はよく分かんねーんだけどよ、なんか、『異世界の方が亜世界よりも確かだから、異世界の言葉に亜世界が合わせてる』とか言ってたっけか? ま、通じねーよりは通じる方が何かと便利だから、別にいいんだけどよ」
コルナはその言葉を聞くと、口を三日月の形にして微笑んだ。全身が真っ黒な彼女の口の中に染み1つない真っ白な歯が現れ、鮮明なコントラストを作った。
「異世界人たちは、ワシたちとは違う、特別な存在だ……。ワシたちよりも『存在としての確かさ』が強固なために……『亜世界』と異世界の関係性を定義する資格をもつ……。だから、『人間女の亜世界で使用されていた言葉は、たまたま自分たちが使っていた言葉と全く同じだった』と、無意識のうちに勝手に定義してしまったのだろうな……。
そのおかげでワシたちは、違和感なく会話を交わす事が出来るようになっていた……。言葉に困るということはなかった……。だがしかし、そんな中にも……例外があったのだ……」
「例外……?」
「たとえ、ワシたちと異世界人たちとの言葉が全く同じだとしても……ワシたちの見た目がよく似ていたとしても……異なる物はある……。それは、それぞれの『世界』を象徴し……それぞれの『世界』に住まう人間を象徴するもの……。初対面のワシたちには、分かるはずが無いもの……」
「……」
「ピナコ」は、眉間に皺を寄せてコルナを睨み付けている。そんな「彼女」を焦らすようにもったいつけてから、コルナは言った。
「それは、名前だ……」
「は、は、はうぅぅぅ……」
アウーシャが、また怪しい奇声をあげながら続ける。
「あたしたちの名前とぉぉぉ、アカネ様や七嶋アリサ樣たちの名前はあぁぁ……な、なんだかちょっと、雰囲気が違う気がしますぅぅ。うまくは言えないんですけどぉ、具体的には分からないんですけどぉ……。でも、ちょっと響きというか、『ルールが違う』みたいな感じでぇぇ……」
「そう、『よく分からない』のだ……。ワシたちには、異世界人の名前はよく分からない……。その『ルール』も……それが、『どういう構成なのか』ということも……」
そこで、ビビが少し顔を赤らめて恥ずかしそうに呟く。
「だ、だからよー……俺も最初、アイツが言ってたのが自己紹介だなんて思わなくってよ……。なんか、エロいことでも言ったのかと思って、アイツのことをぶっとばそうとしちまったくらいで……」
「……くっ」
そこでやっと、「ピナコ」も自分の「ミス」に気付いたようだ。周囲に気付かれない程度に静かに、自分の下唇を噛んだ。
コルナは、とどめを刺すように言った。
「あのときのナナシマアリサの自己紹介の言葉を……ビビは、名前とは思わずに別の言葉に勘違いした……。ワシとアウーシャは名前ということは分かったが、『正しい呼び方』が分からないから、あやつが言った言葉をそのまま繰り返している……。しかし、この中でたった1人だけ、『ナナシマアリサ』という名前の『ルール』を完全に理解していた人間がいた……。それが、お前だ……。
ピナコ・リルゴール……。お前は、ナナシマアリサが自己紹介をした直後に、あやつのことを『七嶋さん』と呼んだ……。同じ異世界から来ていた、顔見知りのミノワアカネでさえ……『ナナちゃん』と呼んでいたのに……。お前は何の躊躇もなく、『七嶋』という部分を抽出した……。『ナナシマアリサ』があやつの名前で、『七嶋』と『アリサ』に分かれることを、初対面にもかかわらず、理解出来たのだ……。つまり……お前は……」
※
私はその書類に目を落として、そこに書かれているらしい『風の民』の人たちの名前を見てみた。
もちろん、この『亜世界』の文字は私には分からないから、1人の名前も読むことは出来ない。でも、その反対側の面……つまり、その「書類の本当の表面」に書かれている「文字」だったら、私でもしっかりと読むことが出来た。そこに書かれていた、「日本語の文章」は……。
契約書
この書類に名前が書いてある人間は、小金井雛子に全ての魔力を譲渡することに承諾したものとします。
「つまり、つまり、つまり…………私と一緒にやってきた女の子、『ピナコ』って名乗っていた彼女は、私と同じ世界からやってきた、異世界人だったんです」




