アカシニアの新世界帝国建国記 その3
「今だ……今しか、ないんだ……」
長い階段を降りながら、アカシニアはそう呟いた。
空気が湿気を帯びてひんやりとしているせいか、先程アウグストたちにやられた彼の全身の傷口も、少し痛みが和らいでいるようだ。1歩1歩確かめるような重苦しさで石階段を蹴る彼の足音が、深い闇の奥へと響いている。
それは、アカシア城の地下深くにある、古びた聖堂へと続く階段だった。
アウグスト率いるアヴァロニアの軍勢がこの城に攻め込んできたのは、2日前のことだった。
本来ならば、いくら奇襲をかけられたと言っても、行き場をなくしたゴロツキたちの寄せ集めに過ぎないアヴァロニア勢に、統率の取れたアカシアの神聖騎士団が破れるはずはなかった。『妖精女の亜世界』を結合した際にエルフたちから反撃を受け、城の内部から陣形を崩されてしまっていたとしても、だ。
「アヴァロニアなど、神に愛されたこの神聖アカシア帝国にとっては恐るるに足らない」。「アウグストが何を血迷ったのかは分からないが、まあ、我々は順当に勝利をおさめることが出来るだろう」……と、誰もが思っていたのだ。
しかし実際には、アウグストとアシュタリアが作り出した革新的な『力』の前に、アカシア軍は思いもよらないほどの苦戦を強いられ、とうとう最後には、中枢部のアカシニアのところまで進入を許してしまったのだった。
「この機会を、逃すわけには……。僕たちは……やるしかないんだ……」
アカシニアはまた呟いてから、階段を降りる足を早める。
しかしその仕草はどこかぎこちなく、まるで、望まないことを余儀なくされて必死に自分の気持ちを誤魔化しているようだった。
「おや……これはこれは。陛下ではありませんか……」
彼が階段を下り切ったとき、聖堂の入り口には、鎧を着こんだ屈強な兵士が2人と、ローブをまとった老人が待ち構えていた。
「この国の一大事に、どうしてこんなところへ参られたのですか? 陛下のお姿が見えなくなれば……兵たちが戦意を失いかねませんよ? ……どうぞ、地上へとお戻り下さい」
わざとらしい老人の言葉に、アカシニアは面倒くさそうに首を振る。
「いいえ、もう地上に危険はありませんよ。いまに、城内に入り込んだモンスターや敵兵たちはみな撤退するでしょう。襲撃は無事に退けた……とは言い難いですが。とにかく、もう問題はなくなったのです。だから、あなたこそ地上に戻りなさい。あなたはこの場所に用はないでしょう?」
それから彼は、兵士や老人を強引に押し退けて、聖堂の扉の前に向かおうとした。しかし、その途中で立ち止まざるを得なくなる。
「……何の、真似ですか?」
その老人が手のひらに、魔法で光の球体を作っていたからだ。その光球を警戒し、アカシニアは1歩後退りをする。
「僕にこんなことをして、ただで済むと思っているのですか?」
「全く……貴方は昔から、ちっとも変わっておりませんな……」
対峙する2人の間に、緊張感が張りつめた。
その老人は元々、この『亜世界』でも右に出る者はいないほどの高名な魔導師だったのだが、まだアカシニアが幼いころに、その能力を見込まれて魔術の教師として城に招かれたのだ。
偏屈者が多い魔導師の中では珍しく、彼は人当たりがよくて教え方も上手だったため、幼少期のアカシニア少年は彼によくなついて、いつもその老人の後をついて回るようになった。きっとアカシニアは、その老人から魔術に限らない様々なことを学んできたのだろう。アカシニアが成長して教育係が必要なくなってからも、その老人は相談役としてずっとそばでアカシニアを見てきたし、アカシニアの方でも、表面上は反発することはあっても、本音ではその老人に強い信頼を寄せてきていたのだ。
そんな関係だったからこそ、アカシニアは確信していた。
今のその老人は冗談でも脅しのつもりでもなく、すぐにでも、その光球の魔法を使用する覚悟があるのだということを。
「……あなたには、教えたはずですよ?」
強硬手段は得策ではないと察したアカシニアは、老人の出方をうかがうように、話しかける。
「この『亜世界』は、罪を犯しているのです。ぬぐい去ることの出来ない『神の怒りをかった原罪』があるのです。だから僕たちは、このままでは生き残ることなんて出来ない。『神』の力で、僕たちは滅ぼされてしまうんですよ」
「それは、例の禁書の……?」
アカシニアは頷く。
「あの本の中には、かつて1つだった世界が6つの『亜世界』になるまでの全ての経緯が、包み隠さず書いてありました。その原因が、ある傲慢な種族が使った『世界破壊魔法』のせいであるということ。……そしてその種族が、僕たち人間男だったということもね」
その言葉を聞いたとき、老人の左右を守っていた2人の兵士たちの間に動揺が走った。どうやら彼らはそのことを知らなかったようだ。
老人とアカシニアだけが、取り乱さずにその『真相』を受け止めていた。
「今までそれを知っていたのは、歴代の教皇と、陛下のお父上やその祖先……つまり、『管理者』に近いごくわずかな方たちだけだったわけですな? まあ……それは仕方ありませんでしょう……。もしもそんなことが公然の事実となれば……民衆の混乱は避けられない。為政者として……この『亜世界』を管理する側の人間として……、そんな事態を許す訳にはいきませんからな……」
「いいえ、それを知っておきながら長年に渡って放置し続けたのは、もはや怠慢を通り越して愚かでしかない。看過できませんね。だって、だって、僕らはこのままだと『神』によって消されてしまうのですよ!? 種族としての人間男は、誰も覚えてもいない大昔の罪によって、絶滅させられてしまうのですよっ!? そんなこと、許していいはずがないっ! だから僕は人間男を守るために、この『亜世界』に他の『亜世界』を取り込んできたんだ! そうすれば、『神』だって僕たちを消すことは出来ないから!」
「そのことについては……、この爺やも、ある程度は理解していたつもりです……。『亜世界』を吸収し……6つの種族の中で人間男が最も優れた種族ということになれば……『神』は、人間男だけを罰するわけにはいかなくなる……。人間男を裁くならば……人間男に劣る他の全ての種族も、同様に裁かなければ嘘になる……。流石にそんなことは、出来ないだろうから……と……」
「そうです! その通りです!」
アカシニアは、話しているうちに気持ちが昂ってきてしまったようだ。様子をうかがっていたはずなのに、今は老人の方を見もせずに1人でエキサイトしている。だから、そのときの老人の様子がいつもと違っていることにも気付けていなかった。
「そこまで分かっているなら、僕がやろうとしていることを止める理由なんてないでしょう!? もはやモンスターが人間の劣等生物ではなくなってしまった今、『神』が僕たちを残す理由は無くなってしまった! もう僕らに残された手段は、これしかないんです! 僕ら以外の種族を根絶やしにして、人間を唯一の生き残りにするんだ! そうすれば僕らは生き残れる! いや、そうしなければ……」
「貴方はそのために……例の禁書に記された『世界破壊魔法』を……復活させようとしている……。それは、かつて我々の祖先が犯した罪を……重ねるのと、同じことでは……ないのですか? 神を信じる国の長が、そのような蛮行を……」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」
アカシニアは、聞き分けのない子供のように叫ぶ。
「まだ、分からないのですかっ!? まだ、そんなことを言っているのですかっ!? こんなチャンスは、今しかないのですよっ!? あの『モンスター女』の元『管理者』は、もう僕たちの力では直接倒すことなんて出来ないんだ! いや、モンスターだけじゃない! 他の種族だって、あいつのやったことを知れば、同じようにして僕らを越えていくかもしれない! でも、今なら……あいつを『人間女の亜世界』に送り込むことが出来た今だけは、『世界破壊魔法』によって『人間女の亜世界』を消滅させて、あいつを始末することが出来るんです! 人間以外の種族に、先手をうつことが出来るんです! そうしなければ、僕たちには明日はないんですよっ!」
「……やれ、やれ」
老人は小さく首を振ると、手の上の光球に力を込めた。
いよいよその魔法が放たれることを察したアカシニアは、そこでやっと、元の緊張感を取り戻す。そして、その攻撃に対するあらゆる対策を頭の中でを巡らせ始めた。
老人の魔力の高さについては、よく分かっている。彼が本気を出せば自分では到底歯が立たないということも、充分に理解している。だから、勝負は一瞬で決まるだろう。
勝機があるとするなら、自分が知っている彼の魔法のクセを利用して光球の第一撃を避けて、そこで出来た隙に反撃をすることだ。しかし……彼にも自分のクセや弱みを知られている以上、そう簡単にいくとも思えない。でも、やるしかないんだ。
攻撃は右か、それとも左から? そんな風に、アカシニアは全神経で老人の放つ魔法に警戒していた。
そして、ついにその老人が動いた。
「!?」
次の瞬間、アカシニアの視界が突然真っ白になって、何も見えなくなった。それは、老人の手の上の光球を発生源とする強い光だ。攻撃魔法と思っていたその光の球は、ものすごい量の光を圧縮した「めくらまし」だったのだ。
「し、しまっ……」
ドタッ! ガチャ!
光の中で、何が倒れる音が2つ。
「!?」
アカシニアは慌てて目をこすって、何が起きているのかを見極めようとする。やがて、彼の視界が晴れてくると……。
そこには、床に倒れる鎧の兵士たちと、それを見下ろしている老人の姿があった。
「これは、一体……?」
事態が飲み込めないアカシニアは、呆然としている。
老人は小さく微笑むと、アカシニアに背を向けてしまって、聖堂へと続く扉を開けた。
「あ、あなたはっ!?」
そのとき見えた光景に、アカシニアは何よりも1番驚いてしまった。
扉を開けた老人の背中には、首から腰にかかるほど大きな傷があり、ローブの上から真っ赤な血が広がっていたのだ。
「その怪我は、一体どうしたのですかっ!? い、いや、今はともかく、早く、治癒魔法の使える者を……!」
「いいえ……」
訳が分からず取り乱してしまうアカシニアに、老人は痛々しい背中を向けたまま答える。
「これほどの怪我を治せる者など……この城にはおりますまい……。私はもう、手遅れですよ……」
ゆらりゆらりと聖堂の中へと歩いていく老人の影。その様子はまさに、消えゆく灯火と例えるのがぴったりだった。
「い、一体……何故、こんな……」
「私も、歳をとりましたな……」
ボロボロの状態で、聖堂の中を歩いていく老人。アカシニアは倒れている兵士たちにちらりと視線を送り、彼らが眠らされているだけであることを確認してから、老人の後を追った。2人が向かうその方向には、例の禁書がしまわれている祭壇があった。
「攻めいってきたアウグスト殿を、貴方の前で食い止めようと思ったのですが……見事に返り討ちにあってしまいました……。あの方の強さは、もはや、人間を超えておる……。かつての『亜世界』最高の魔導師も、こうなっては終いですな……」
「……」
ほ、ほ、ほ、と力なく笑う老人。アカシニアは、そんな彼に何も言うことが出来ない。
老人は祭壇のところまでやって来ると、その中に隠されていた書物を取り出した。そして、アカシニアの方を振り向いてから、彼にまた笑顔を向けた。
「陛下……いや、アカシニア様……」
「な、何を……」
その老人ならば、たとえ瀕死の状態であったとしても、その書物を魔法で消滅させることなど容易かっただろう。しかしアカシニアには、彼がそんなことをするためにここに来たわけではないと、なんとなく分かっていた。
「貴方は、本当に立派な方だ……」
老人は、喋るうちから、みるみる生気を失っていく。
「今の貴方は……ご自分のためでも、ご自分の身内のためでもなく……この『亜世界』に住まう全ての人間のために、行動しておられる……。それがどれだけ汚いことでも……他の種族の命を犠牲にしなければならないような……辛い選択だったとしても……。貴方は迷わずその道を歩もうとしていらっしゃる……。それは、この『亜世界』の『管理者』としての……至極正しい在りかたであると、爺やは思いますよ……」
「も、もう……いい。喋るな……」
老人の語りが次第にかすれてきて、聞き取りづらくなる。
「しかし……その決断がどれだけ我々にとっての……正しさであったとしても……。我々には、もはやその道しか残されていないのだとしても……。民衆たちの中には、それを理解しない者も、おるでしょう……。貴方の勇気ある冷酷な決断を……否定する者も、おるでしょう……」
「もういいと言っているのが、分からないのかっ!?」
アカシニアは老人に駆け寄り、遥か昔に教養として習った程度の、治癒魔法をかけようとする。しかしそんな物は、老人の負っている明らかな致命傷にとっては、気休めにもならなかった。
「貴方は……これからこの『亜世界』を、担って行く人間です……。『亜世界』が元の1つの世界に戻ったとき、その世界を管理しなければならない人間です……。たくさんの人間たちの頂点に立ち……彼らを統べることになる貴方に……汚れ役は似合わない……」
「や、やめてくれ……。そんなことを、言わないでくれ……」
ゴフッ、と大きく咳き込み、吐血する老人。もはやアカシニアの言葉など、聞こえてはいないのだろう。彼は絶え絶えの状態で、なおもしゃべり続ける。
「筋書き……としては……、『世界を破壊する圧倒的な力に目が眩んだ側近が、禁呪の封印を勝手に解いてしまった』……『止めようとした皇帝が側近を殺したが、既にその禁呪は使用された後だった』……というのは……いかがですかな?」
老人は、書物のページをめくろうとする。
しかし、がたがたと震えるその手は、ページ1枚ですら動かすことが出来ないほどに力を失っていた。
「だ、だから、やめろと言ってるんだっ! これは、僕の仕事なんだっ! あなたは……貴方には……まだやらなければいけないことがあるっ! 僕は、まだ貴方から学ばなければいけないことが……」
「アカシニア……様……。貴方は……幼いころから、いつも自分よりも……他人のことを……思って下さっていた……。自分が……どれだけ汚名を受けようとも……大義を……優先して……」
「やめて、くれ……。僕はまだ、貴方を失うわけには……」
「貴方は、私の、誇りです…………最後に、貴方の役に立てて……よか……っ……」
それきり。
その老人は動かなくなってしまった。手の上の本は閉じられたままで、結局彼は封印された魔法を使うどころか、それが書かれたページを開く事さえもなかった。だがその表情は、とても穏やかだった。
「……」
アカシニアは、声を上げたりはしなかった。
普段は老人の前で子供のように騒ぎ立てることも多かった彼だが、その時は、ただただ無表情に事実を受け入れているだけのようだった。
彼はきっと、逝ってしまった老人の前で、みっともない姿を見せたくなかったのだろう。
「…………」
ただ、さきほどはアウグストにどれだけ痛めつけられても平静を保っていたその瞳が、今はうっすらと潤んでいるようだった。
それからしばらくしてから、アカシニアは軽く目を拭うと、もうその瞬間から何事もなかったかのように振る舞えるようになっていた。静かに老人の手から書物を受け取ると、迷いなくそのページをめくる。そして、そこに書かれた文字を読み上げ始めた。
「xxxxx……xx、xxxx……」
堂々と、自身に満ち溢れた態度で。彼は、『世界破壊魔法』の呪文を唱えていたのだ。
『人間男の亜世界』で使用した『世界破壊魔法』を別の『亜世界』に転送出来ることは、既に分かっていた。その方法と手順は人間男の研究者たちによって完全に確立されていたし、しかも、魔法を転送する『人間女の亜世界』に、ついさっきアシュタリアを転送しているということも、それにプラスに作用する。
実は、『亜世界』から別の『亜世界』に転送魔法を使用すると、しばらくの間はその2つの『亜世界』間に転送路の残滓のようなものが残り、転送魔法が成功しやすくなるのだ。例えるなら、一度破壊されてしまった物体が、どれだけ上手く修復しても再び同じ場所が壊れ易くなってしまうようなものかもしれない。
「xxx……xxxx……」
呪文を唱えるアカシニアの脳裏に、七嶋アリサなどの今現在『人間女の亜世界』にいると知っている者たちの顔が浮かぶ。それは、もうすぐ自分の魔法によって死にゆく運命の者たちの顔だ。かつて、完成された世界ですら粉々に破壊してしまった『世界破壊魔法』をもってすれば、彼女たちが生き残る可能性は万に1つもない。
しかし。
今の彼は、そんなことでは躊躇することはなかった。
『人間男の亜世界』の『管理者』として、自分がやるべきことをやる。生きている全ての人間男を守るために。死んでいった者の意志を継ぎ、その死を無駄にしないために。アカシニアは、アリサ達を犠牲にすることに決めたのだから。
「xxxx……」
その破壊力を象徴するかのように、それは、とても長い呪文だった。
実はその長い呪文のほとんどは『事前準備』のようなものであり、『世界破壊魔法』の本質は、最後の一節のみに凝縮されていたのだが……それでも、かつて実際に使用された際はあまりに長過ぎるために、呪文の唱え間違いを恐れて十数人の魔導士で協力したと言われているほどだった。
しかしアカシニアは一言も間違えることなく、たった一人でその呪文を読み上げていった。
彼は、自分の父親からその本の存在を知らされた時から今までずっと、その本を意識し続けていたのだ。自分たちの祖先が犯した『罪』を、その背中に背負い続けてきたのだ。だから、その長い呪文の文言も、彼の頭の中に呪いのように染み込んでいたのだった。
「xx……xxx……」
次第に、アカシニアの体が青白い光を纏い始める。
最初は淡い色だったのが、彼がページをめくり、呪文の詠唱が先に進むにつれ、その光は濃さを増していく。光はどんどん強くなり、ただ本に書かれた文字を読んでいるだけなのに、アカシニアは立っていられないほど体を揺さぶられ、血が煮え立つような熱さに襲われた。しかし彼はその威力にも負けることなく、呪文を唱え続けた。
そしてついに呪文の詠唱は最後のページ……『世界破壊魔法』の本質に到達した。
はずだったのだが。
「な……こ、これは……!?」
彼は最後の最後で、その呪文を唱えることが出来なくなってしまった。
彼が持っていたその本は、最後のページが乱暴に破り取られていた。




