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「こんなへんぴなところまで、よくもまあ、何度もやって来る気になるね? ま、来てくれたからには出来る限りの歓迎はさせてもらうよ。ゆっくりしていくといいよ」
あれから何度か休憩をしたから、『風の民』の集落に到着したのはその日の昼頃だ。到着するなり、私たちはすぐにひと際大きなテントの中に案内された。無数の本や、動物の剥製、何に使うのかよく分からない木製の器械やガラクタの中に、明らかに高価そうな宝石や装飾品が埋まっているという具合の、まさに玉石混交なごちゃごちゃしたテントの奥に、日焼けした踊り子風の衣装のお姉さんがいた。
そのお姉さんこそが『風の民』の代表者、メルキア・ノンズデールさんだった。
「こんにちわ、メルキア。たった一週間ほど見ない間に、ますます美しさに磨きがかかったのではないですか? また、こうして再会出来て嬉しいです」
「はあー……。都会の人って、どうしてそういう思ってもいないお世辞ばっかり言うのかな? そんな面倒くさいことばかり言ってて、疲れない?」
「いえいえ。お世辞だなんて言わないで下さい。これは私の本心ですよ」
「ほらまた言ったー」
メルキアさんに対するピナちゃんの態度はいつもよりも取り繕った感じで、アカネに対するものとも、お屋敷の中の他の誰かに対するものとも、違っていた。多分それは、ピナちゃんの『管理者』の秘書としての顔なんだろう。
対するメルキアさんは、それに比べると随分とくだけた感じの対応。まるで友達に対するような、あるいは親戚の面倒見のいいお姉さんが話すような、礼儀なんかあったもんじゃないような話し方。だけどまあ、初対面の私的には緊張しなくて済む分、そっちの方が助かる感じだった。
2人が世間話をしている間、私はメルキアさんの容姿を観察していた。
彼女の髪は、たくさんの細い編み込みがされたドレッドヘアーに、鳥の羽のようなものがついたカチューシャや、青や赤の宝石が埋め込まれた綺麗な首飾りをつけている。服装は、大胆に肩や二の腕やおへそを露出したビキニ水着のようなトップスと、太ももが露わになっている短いスカート。
無神経な人ならきっと、「セクシー」なんて一言で簡単にかたずけてしまいそうなところだけど……はっきり言ってそんな言葉じゃ、彼女の本質を表現することなんて出来ないと思う。「美しい」とかでも足りないし、もちろん「かわいい」なんて感じでもない。
私の貧弱な語彙で一番適切な言葉を探すなら、「ミステリアス」とか「エキゾチック」とか……。でも実際には、それらの俗っぽい言葉を当てはめてしまった瞬間に失われてしまう曖昧な神秘性こそが、彼女の一番の魅力な気もして……。
まあとにかく、メルキアさんはボヘミアンな民族衣装的な服装が良く似合う美人さんだったんだ。
ちなみに、彼女は私たちのようなアトモス試験石で出来た指輪や首輪はつけていない。いや、彼女だけじゃなく、私たちをこのテントまで案内してくれた人や、その途中で見た他の人たちも。この集落にいた『風の民』の人達はみんな、そういう物をつけてはいないようだった。
その理由は実は単純だ。だって彼女たち『風の民』はみんな、アカネとの契約を結んでなくって、『承認』ネットワークには参加していなかったんだから。
現在『風の民』は、大まかな推定で1000人近くの人間が所属しているらしい。それだけの大人数が『承認』ネットワークに参加してくれれば、それだけネットワーク内の魔力の流通量が増えることになって、ネットワークの発展につながる。それに何より、『風の民』という遊牧民的な人たちがネットワークに参加することで、自然といろんな場所に『承認』システムのことを伝来させる事にもなって、広告塔的な効果も期待できる。だからアカネサイドとしては、ぜひとも『風の民』をネットワークに取り込みたいと思って、これまでに何回も『承認』の契約をしてくれないかとお願いしてきたらしいんだけど……。でもメルキアさんたちはその願いも、幹部やミスコンのお願いと同様にいつも断ってきたんだそうだ。
彼女らの理屈から言うと、『管理者』の力によって魔力が数値化されてしまうという『承認』ネットワークシステムは、自分たちのポリシーに反するらしい。自由を愛する『風の民』にとっては、自分の魔力は自分だけの物。だから誰かに数値化されたり、誰かに譲渡したりするのはその自由を奪われるに等しくて、あり得ないことなんだそうだ。
なるほど……。私たち『管理者』サイドの人間にとっては、メルキアさんたち『風の民』は中々一筋縄ではいかない人たちのようだ。
「ところで」
ピナちゃんと話していたメルキアさんが、そこで、突然私の方に視線を移してきた。
挨拶もまだだった私は、やっと自己紹介できると思って一歩前に出る。
「あ、えと、私は……」
でも。
グイっ!
同時に私に近付いていたメルキアさんが、突然私のアゴを片手で掴んで、自分の顔の方に引き寄せた。
「っ!?」
それから彼女は、アゴを掴んだままじろじろと横から下から、私の顔を吟味するように見回し始める。思ってもいなかった事態に、私は硬直してしまって抵抗することが出来ない。
「ふーん……」
神秘的な美人さんの顔が、くっつくほどの間近にある……。そんなことを意識し始めた途端に、顔が紅潮していくのが抑えられなくなってしまう。
普段、他人の顔がこんな近距離にくることなんてないよ。も、もしもあるとすれば、それは、恋人同士がキスをするときとか……。
でも、そのときのメルキアさんが私を見ている目は、何だか酷く事務的な感じだった。
「中の下、ってとこかな……。まあ、この辺じゃあ見ないタイプだから、マニア向けって思えばアリなのかな……」
意味の分からないことを呟きながらも、彼女はやっとアゴの手を離してくれた……と思ったら今度は、ベタベタと体を触ってきた!?
「ちょ、ちょっと!? め、メルキアさん!? あ、あの、い、い、い、一体、何をして……」
「ほぉ……意外と肉付きは悪くないね。労働力としては、問題なさそうだ。でも……」
自分が何をされているのかさっぱり分からない私は、メルキアさんのなすがままになっている。
え? も、もしかして、これが『風の民』流の挨拶なの? 欧米人がハグする感じで、スキンシップして友好を深める的な……? で、でも、それにしてはさっきピナちゃんとはこんな事やってなかった気がするし、メルキアさんの顔も、まるで品定めでもしてるみたいな……。
それからもメルキアさんの手は、私の腕、脚、お腹へと、まさぐるように動いていく。そして……、
「ふぎぃゃあっ!?」
い、い、い、いきなり、私の胸をわしづかみしてきたあっ!?
「な、何をするーっ!」
さすがにそこまでされたら私も黙ってられず、力いっぱいメルキアさんの手を払いのけた。
「うぅん……」
思いっきり私に手をたたかれた彼女は、それには特に気にした様子もなく、相変わらず私の体を上から下までじっくりと見ている。そして、「やっぱり、胸がお粗末過ぎなのがネックだよね……。『そういう用途』では役に立たないかな……」なんて呟いた。
胸が、お、お、お粗末って……。
は、は、はあーっ!?
う、うるさいなっ! ほっとけよっ! 私の胸がお粗末で役立たずなことぐらい、言われなくても私が一番よく分かってんだよっ! だいたい、いちいちそんなの触んなくっても、服の上からだって見りゃあ一目瞭然で…………って、何言わすんだよっ!
メルキアさんを完全に自分の敵と認定した私。ピナちゃんの後ろに隠れつつ、憎悪の眼差しで睨みつけずにはいられない。
「な、何を……しているんですか、メルキア?」
それまで静観していたピナちゃんが、そこでやっとメルキアさんに尋ねた。
「え?」
「こ、こちらは、この『亜世界』の『管理者』様のご友人ですよ? 無礼な真似は、困りますよ……」
「『管理者』の……友人?」
キョトンとするメルキアさん。その言葉の意味を考えるように、少し首を傾げる。
「ご紹介が遅れてしまったことはこちらの落ち度ですが……今の行動は、下手をしたら国際問題ですよ? アカネ様が知ったら、どう思うか……」
「あれ、そうなの? この娘って、いつもみたいな私たちへの『手土産』というわけでは……ないの?」
ピナちゃんは「はあ……人間を、『手土産』に持ってくるわけないでしょうが……」と、ため息を吐いて首を振ると、
「こちらは……アカネ様と同じように異世界からやってきた、七嶋アリサさんですよ」と言って私を紹介してくれた。そして、懐からは宝石のついたペンダントを取り出すと、
「今回あなたに持ってきた『手土産』は、こっちです……」
と、メルキアさんに渡した。
「あ。あー……あー……」
メルキアさんは受け取ったペンダントと私を交互に見ながら、ようやく自分が誤解していたことを理解したようだ。
「なあーんだ……どおりで、『手土産』の割には随分ニッチな需要の娘を持ってきたなー、と……」
「にゃ、にゃにぃーっ!?」
「だから、メルキア。無礼なことを言うなと言っているでしょう……」
「あはは、ごめんねー」
全く悪びれる様子もなく、整ったニヤケ顔を向けてくるメルキアさん。
「私って、嘘が付けない人なんだー。ま、気にしないでよー」なんて言いながら、なれなれしく握手を求めてくる。
「えっと……『ナマ足があるさ』さんだっけ? 何だかマニアックな性癖がありそうな名前だね! よろしくね?」
「ふしゃーっ! ふぎゃーすっ!」
でも、完全に彼女への警戒心がマックスになっていた私は、怒った猫みたいな奇声をあげて、その手を払った。
「やれやれ。すっかり嫌われちゃったかなあ?」
「いや、無理もないですよ……」
ピナちゃんはそんな私たちに、完全に呆れ切った表情だった。
※
それからしばらくして。
私の気分もなんとか落ち着きを取り戻して(流石に完全に警戒心がなくなったわけじゃないから、メルキアさんからは距離を取ったままだけど……)、猫化を解いて人間に戻っていた。
「で? つまり今日は、貴女が私に用があるってことなの?」
とメルキアさんが言ってくれて、脇道にそれ過ぎてしまった私たちの話も、やっと本題に戻ることが出来た。
「は、はい。実は私、メルキアさんに聞いておきたいことがあって……」
「あ、いいよー。何でも聞いてよー」
「はい……」
さっき私にしたことなんかもう完全に忘れてしまったみたいな、気楽な調子のメルキアさん。ちょっと無神経な気もしなくもないけど……でも、こういうところは彼女のいいところでもあるんだろう。私ももう、細かいことは気にしないことにした。
そして私は、彼女に質問を……。
「え、えっとぉ、私が聞きたいことって言うのは……」
……。
そこで一瞬、言葉が詰まってしまった。
もちろん、彼女に聞きたいことはもう分かっている。丸1日かけてここに来るまでに考える時間は充分にあったし、今更、何を聞こうか迷っているわけじゃない。だけど、私は急に何か分からない後ろめたさを感じてしまって、彼女に質問することを迷ってしまったんだ。
その間をついて、メルキアさん本人が続きを言ってしまった。
「どうして私が、『前の管理者』からの手紙を断ったのか?」
「え……」
彼女は、更に質問を続ける。自分への質問。私が、彼女へ向けるべき質問を。
「どうして私たちが、『承認』のネットワークに参加しないのか? それとも、どうして私がミスコンに参加しないかを、聞きにきたのかな?」
「あ、あの……」
言いたいことを全て先に言われてしまって、少したじろぐ。
でも、それをメルキアさんに知られてしまうのが恥ずかしくて、慌てて言葉を継いだ。
「は、はい! 実はそうなんですよ! どうしてメルキアさんが、幹部や『承認』ネットワークや、ミスコンを断ったのか、それが聞きたくて、私たちはここまでやってきたんです! も、もちろん、メルキアさんが良ければ、でいいんですけど……」
「へー」
「だ、だって、たとえアカネのやってることが『風の民』の皆さんのポリシーに反するとしても、やっぱりそれを差し引いても、この『亜世界』の『管理者』に近づくことのメリットって大きいと思うんですよ!? 自分たちの所属する集団を大きくするってことはもちろんだし、『亜世界』を自分たちの優位に作り変えてもらうためにも、『管理者』の近くにいるにこしたことはないと思うんです! 単純に、もったいないって考えちゃうんですよね!? その辺のことも踏まえて、『風の民』の代表者であるメルキアさんの意見を聞いてみたいなーって、ずっと思ってたんですよ!」
「へへーえ」
「ほ、ホントですよ? ホントに私は、そういう……」
聞かれてもいないのに、そんなことまで言ってしまう。
そんな私をどこかからかうように、メルキアさんは薄っすらと笑みを浮かべている。
ほ、本当に、本当なんですよ……?
私はメルキアさんからそういう話を聞きたくて、それで、わざわざここまで……。頭に浮かんでくるのは、そんな言い訳めいた言葉ばかりだ。
「貴女さあ……」
メルキアさんの薄ら笑いが、だんだん妖しい蠱惑の表情に変わっていく。
どんな意味を込めて、彼女がそんな表情を作っているのかは分からない。けど私は、そんな彼女の瞳から目が離せない。
そして彼女は、
「私に、何を言って欲しいの?」
そんな私の心の隙に、思いきり鋭い一撃を繰り出してきた。
「え……な、何をって……」
「ごめんね? さっきも言った通り、私ってあんまり気づかいとかオブラートに包む話し方とか、出来ないんだ。だから、今から貴女の癇に障ること言っちゃうかもしれないけど、許してね?」
そんな前置きをしてから、メルキアさんは、第二撃を繰り出してきた。
「でね、私思ったんだけどさ……。今の貴女が聞きたいことって、結局全部『管理者』に繋がることだよね? 幹部の話はもちろん、『承認』のネットワークも、ミスコンも。全部、その中心には今の『管理者』がいる。で。私がそれらを断った理由を聞きたいってことは……それってつまり、私に、『管理者』のことをどう思うか聞きたいってことなんじゃない?」
「い、いや、そんな……」
「いいえ、そうだよ。貴女は本当は、『管理者についての意見』を求めているんだよ。質問そのものになんか意味はないし、私という人間のことを知りたいわけでもない。そりゃそうだよね。私個人に興味があるのなら、もっと私自身のことを聞くはずだよ。『管理者』のことを聞いている貴女は、『管理者』にしか興味なんてないんだよ。
……きっとさ。貴女は私に質問する振りして、自分の気持ちを確認したいんでしょ? 自分が今、『管理者』について考えていることが、どれだけ客観的なものなのか? それは間違っているのか、正しい事なのか? それを、私の答えから判定しようとしているんでしょ?」
「そ、そんなことないですっ! わ、私は本当に、メルキアさんに話を聞いてみたくて……」
「いーよいーよ。無理しなくて」
彼女はまるで、鼻歌でも歌うように心地よさそうにしゃべり続けている。
「自由と奔放を愛する私たち『風の民』は、自分たちがないがしろにされることを気にしない。興味がないということは、干渉がないということ。干渉がないということは、何よりも自由ということ。だから、他人なんて自分が必要になったときだけ意識すればよくって、それ以外のときは適当に流しておけばいい。自分の頬を撫でた風がどこから来てどこに行くかなんて、めんどくさくて考えたりしないでしょ? 私も貴女にどう思われても気にしないし、貴女も、私のことなんて気にしなくていいんだよ」
まるでリズムに乗るように、小さく体をゆすりながら喋り続けるメルキアさん。
「『管理者』のことどう思う? って私に聞いた貴女は、何か『管理者』について思っていることがある。それを誰かに質問して、自分と同じ答えを聞いて考えを肯定して欲しいのかな? あるいは、違う答えを聞いて自分の考えを否定して欲しいの? どっちにしろ、既に貴女の頭の中では考えはまとまっていて、それに自信がないってだけ。自分の中に前例がない思いに対して戸惑っているだけで、別に、何かを教えて欲しいわけじゃないんだよね?」
メルキアさんの言葉は、ザクザクと私の心を突き刺していった。
まるで、『精霊女の亜世界』のアナに、頭の中を読まれているように。私の考えを全て見透かされて、弱みを突かれているように。私の方は、何を言い返せばいいのかわからず。そもそも、言い返すべきなのかどうかもわからず。ただ、心を揺さぶれ続けていく。
そんな私に魅力的な瞳を向けたまま、メルキアさんはゆっくりと立ち上がって私に近づいてきた。
「実は私って、この『風の民』の代表者であると同時に、集落一の占い師でもあるんだ。私の占いによって、今日ここに『大きな悩みを抱えた者』がやってくることは、ずっと前から分かっていた。そして貴女の姿を見た途端に、それが、貴女のことだってこともすぐに分かったよ」
私の目の前までやってきたメルキアさんは、ゆっくりと、優しく、私の頭を胸に抱きしめた。
「迷える異世界人さん。私が貴女に言えることは、1つだけだよ」
今はもう、さっきセクハラされたときのような嫌な気分はない。
私は自然と、彼女に体を任せていた。
「落ち着いて、静かに自分の心の声に耳を澄ませて……」
そこで初めて、テントの外からリズミカルな音楽が流れているのに気づいた。『風の民』の誰かが、何かの楽器を演奏しているのだろう。
それは、今まで一度も聞いた事のないような、不思議なメロディの民族音楽だった。
「あとは……その『考え』を伝えるべき相手に……伝えるべき言葉を……ただ伝えればいいんだよ……」
耳元をくすぐるような、メルキアさんのつぶやき。
彼女の体は私を抱きしめながらも少しだけ揺れていて、まるで、私たちはメロウなダンスでも踊っているようだった。
それは、とてもとても、心地良い体験だった。




