08
グイッ!
その瞬間、私の体が急に誰かに強く引っ張られて、宙に浮かんだ。そしてそのすぐあとに、フワフワな毛の塊に包み込まれるような感触が………って、ティオ!?
「にゃ?」
「ちょ、あ、あれ?私、どうして………え!?」
私はまず、自分が火の鳥の爆発に巻きこまれずに、まだ生きているってことに驚く。それから、今の自分がティオにお姫様抱っこされているってことに気付いて、更に驚いた。
「どうして泣いてるんだにゃ、アリサ?」
「ちょ、え?え?えぇーっ!?」
な、何でこんなことに!?って、てか、火の鳥たちは!?
一瞬の間にいきなり意味わからないことになりすぎて、完全にパニック状態。とりあえず現状を確認しようと、抱き抱えられたままの姿勢で周囲を見渡した。
「…?」
すると、ここから10mくらい離れた位置で、ものすごい爆発が起こっているのが見えた。その場所は、多分さっきまで私たちが火の鳥爆弾に囲まれていた辺りだ。だとするとその爆発も、火の鳥爆弾の爆発ってことになる。
「え、どういうこと…?」
私の頭は更に混乱する。
だってそのときの私とティオは、いつの間にか火の鳥の群れが作った包囲網の外側にいたってことなんだもん。絶対回避不可能だと思ってたあいつらの攻撃から、逃れることが出来たってことなんだもん。
一体どうやって?そんなの私が分かるわけない。それが分からないから、私はさっき死を覚悟したんだから。
いや…。
でも、少し気を落ち着かせて目の前の状況を整理すると、その方法…つまり、さっきのピンチからどうやってティオが私を助けてくれたのかってことが、少しずつ見えてくる気がした。
私を抱き抱えているティオ…。いつの間にか、10m近くの距離を移動している私たち…。それから、今のティオの体が、「さっき私たちがいた場所の方を向いている」ってこと…。
そうだった…この『亜世界』は、レベルが全てなんだった…。
レベルが低い人は、高い人には絶対に勝てない。何度も言うようだけど、それがこの『亜世界』のルール。
それって攻撃が当たってもダメージを食らわないっていうのもあるだろうけど、そもそもその前に、相手の攻撃を避けようと思えば簡単に避けられるってことでもあるんじゃない?
……つまりそれが、あのときティオが選んだ選択肢だったんだ。
火の鳥の大群が私たちに向かって突撃してきたとき、ティオはまず素早く私を抱き抱えて、自分の背中側への攻撃から私を守ってくれた。そしてその状態で自分の正面、つまり、お姫様抱っこされている私には絶対に攻撃が当たらないように、「後ろ向き」に高速移動したんだ。10m近くの距離を、一瞬で。
火の鳥がどれだけティオの背中に接触して爆発したとしても、レベルの高い彼女にはノーダメージ。彼女の体が壁になってるから、私に爆風が届くこともない。そして正面への攻撃は、ティオの移動速度に追い付けなくてそもそも当たらない…。
なるほどね。確かにこれなら、さっきの状況を切り抜けることが出来るよ…。ティオってば、あの一瞬でこんなこと考えられるなんて…。
私は、この『亜世界』のルールを上手く利用して窮地を乗り切った自分の友達を、純粋に尊敬した。
「す、すごい……すごいよティオ!よくこんなこと思い付いたねっ!?」
「そうかにゃ?ティオ、そんなにすごいかにゃー?」
「ま、まあ…確かにだいぶ力業で、強引過ぎる気もしなくもないけど……。だからこそ、私じゃあ絶対に思い付けなかった!うん。それってやっぱりティオがすごいってことだよっ!」
「にゃふふうー。そんなに誉められると、嬉しくなっちゃうにゃあー」
照れ臭そうにニヤける彼女。その顔も、すごく可愛い。思わず私の顔にも、彼女のニヤケがうつる。
「でも…」そこでティオは真顔になって、私の顔を見つめた。「それは全部、アリサのためなんだにゃ…。アリサがいてくれたから、ティオは頑張れたんだにゃ……」
「え…」
大人びた口調で、急にそんなことを言うティオ。
その瞬間、ドキッという音が私の胸の奥の方で聞こえた気がした。
な、何言ってんの…?ティオったら、意味わかんないよ……。
てか、よく考えたら、一体いつまで私のことお姫様抱っこしてるのよ…。い、いい加減に下ろしてくんないかな…?
急に恥ずかしくなった私は、彼女の顔を見ることが出来なくなってしまった。
「だってティオは、アリサのことが……」
「え、えっとぉ……」
さっきの胸の音…ティオにも、聞こえちゃったかな…。
バッサァーッ!
突然、近くで何か大きな音がした。
ドラゴンの羽ばたきだ。
火の鳥爆撃が失敗して、いよいよ自分の分が悪いことに気付いたのか、そいつは来たときみたいに空を飛んで逃げていった。そしてみるみるうちにどんどん上空へと浮かんでいって、あっという間に点にしか見えないくらいまで小さくなってしまった。
「ティ、ティオ…。あなた一体、なに言って……」
でも正直言って今の私には、そのドラゴンのことなんかどうでもよかった。目の前のことで頭がいっぱいになってて、それどころじゃなかったんだ。
「アリサは…」
十分に間を取って、慎重に言葉を選びながらてティオは話す。
その間も、彼女がずっと私の方に熱い視線を送っているのは何となく分かった。その視線に答える勇気のなかった私は、顔をふせて地面の方なんか見ている。偶然視界に入ったティオのしっぽは、話す言葉とは無関係にぴょこぴょこと動き回っていた。
「……アリサは、ティオに『力』を与えてくれたにゃ……。アリサがいてくれたから、ティオは死なずにすんだにゃ。全部、全部、アリサのお陰だにゃ………だから……」
「そ、そんなこと……」
真剣で、深刻な、彼女の言葉。それが冗談の類いじゃないことくらいは、さすがに私でも分かる。こんな感じの女の子を見るの、初めてじゃないし……。
視界の端の方で動いていた彼女のしっぽが、近くに落ちていたソフトボールくらいの大きさの石を器用に掴んだ。そしてシュッと素早く動くと、次の瞬間にはその石はどこにも無くなっていた。どうやらしっぽを使って空に放り投げたみたいだ。
でもその石の行方も、私には全然気にならなかった。
「だから……」
今の私の興味はただひとつ。悪い竜から救いだしたお姫様をだき抱えているイケメン王子様……じゃなくって、美少女猫娘のティオだけだった。
とうとう私は、覚悟を決めて彼女の顔を見た。私たちは至近距離で、お互いの顔を見つめ合うことになる。濃度の濃い2人の呼気が、絡み合って1つに混ざっていく。
彼女はやがて、意を決したように続けた。
「だから、ティオもアリサのことが、大好きだにゃ……。アリサと、ずっと一緒にいたいにゃ…」
「そんな…そんなの…」
柔らかくてモフモフな3色の毛の塊が、私の頬に優しくあてられる。
「ティオはもう、アリサの味方だにゃ…。アリサのためなら、どんなことでも出来るにゃ…。アリサを悲しませる全てのものから、ティオが守ってあげるにゃ…」
「ティオ…」
彼女は、さっき私が流した涙の跡を優しく拭ってくれたんだ。
その行為はまるで、私の全ての罪を許してくれる優しい聖母様みたいだった。
私にはそれが、とても嬉しかった。
それから。
顔を向かい合わせた私たちは、一瞬にも、永遠にも感じられるような特別な時間を過ごした。何も考えず、ただただお互いがお互いの顔を見つめている。どちらかが何か話しかけたら、そこでこの時間が終わってしまうとでもいうみたいに私たちは無言で、言葉を交わすことはなかった。
周囲から聞こえてくるのは、わずかに残ったドラゴンの火が燃える音や、完全に黒ずみになってしまった木の枝がときどき崩れ落ちる音。でも、そんなどうでもいい雑音なんかよりも、自分と目の前の可愛い女の子がユニゾンで奏でる心臓の高鳴りの方が、そのときの私にはずっと大きく聞こえていた。
「ずっとアリサのそばにいるにゃ…」
「ティオ、私……私も…」
見つめ合っているうちに、不思議と私たちの顔は少しずつ近づいていく。ティオの顔と、私の顔。ティオの唇と、私の唇…。
やがてそれらの距離が、限りなくゼロになって……。
って……。
いやいやいや……。
しないよ?
するわけないじゃん。
え?だって私、女ですからね?ティオだって女だし。
女同士でキスなんか、あり得ないし。そんなの全然意味わかんないし。
「と、とにかくっ!」
お姫様抱っこするティオの手から素早く降りると、私は彼女から少し距離をとって上ずった声で言った。
「た、助けてくれて、ありがとねっ!?そ、それと、ティオがこれから私と一緒に行動したいっていうなら、べ、別にいいよっ?ってゆーか、ティオが仲間になってくれたらすごい心強くって、助かっちゃうなあー!」
「そ、それじゃあアリサ…」
「で、でも、勘違いしないでねっ!?」
期待の眼差しを向けるティオに、釘を刺す。
「ティオの気持ちは嬉しいけど、私には、女の子を好きになるような変態趣味はないからっ!私は普通で、いたってノーマルなのっ!さっきの『愛の告白』だって、本気じゃないしっ!レベルアップの魔法を使うために、仕方なく言っただけなんだからねっ!?」
「うにゃ?でもアリサは、さっきティオのことを…」
「だ、だからっ!『あれ』が嘘だったって言ってんのっ!私にはそういう気はないし、私たちはただの友達なのっ!ティオのこと愛してなんて、いないんだからねっ!?」言えば言うほど、何故だか私の弁明はツンデレみたくなってくる。めげそうな気持ちに鞭うって、私は言葉を続けようとした。「だ、だからティオには悪いけど…」
でも、ティオも黙って納得してくれるような子じゃない。
「ほんとかにゃっ!?ティオ、アリサと友達だにゃん!?やったにゃん!ティオ、うれしいにゃん!」
「ちょ、ちょっとっ!なんでそうなるのよっ!?ティオ貴女、友達って言葉の意味、ちゃんと分かってる!?変な勘違いしないでってばっ!友達っていうのは、ただの『仲良し』って意味で、恋愛感情とかはないんだからねっ!?」
「分かってるにゃん!ティオも、アリサのことが大好きだにゃん!愛してるにゃん!」
「だから、それが違うんだってばーっ!」
「うにゃ……?」
私が言ってることを全く理解出来てない様子のティオ。さっきまでずっと日本語ペラペラだったのに、こんなときだけ言葉が通じないとか、ずるくない!?
私はそれでも何とかして自分がノーマルだってことを伝えようとしたんだけど、やっぱりティオには全然通じないみたいだった。
「……だからね!?私の世界だと女の子が女の子のことを好きになったりなんてしないのっ!それが普通なのっ!だから、いたって普通でノーマルな私は、ティオの気持ちにはこたえられなくって……」
「アリサは普通じゃにゃくって、『百合』のはずだにゃ?神さまに選ばれた、特別な才能を持った百合少女で……」
「違うのっ!私は百合なんかじゃないのっ!い、いや……確かにステータスでは百合って書いてあったし、私も説明がめんどくさくって『百合ってのは救世主って意味だよ』なんて言っちゃったから、そう意味だと百合になっちゃうのかもしれないけど……」
「ほら!やっぱりだにゃ!」
「でもやっぱり違うのっ!私はノーマルなの!ガチガチの、コテコテの、ドノーマルなのっ!」
「うーん、うにゃうー……」
理解は出来ないながらも、何かを感じ取って考えるような表情になるティオ。
「……どうしても…ダメなのかにゃん?ティオのこと、『愛して』くれないのかにゃん……?」
「う…」
やがて、おねだりするみたいな上目遣いで、そんなことを言った。
その顔があんまりにも可愛くって、わたしもついつい気が緩んで「じゃあ、今日だけだよ…?」なんて………。
い、言わねーよっ!?言うわけないじゃん!だから私、そういうの絶対ありえないんだっつーのっ!
むしろ、いつまでたっても本当のことを分かってくれない彼女に、私のイライラはピークに達してきていた。
「アリサ……アリサさえ良ければ、ティオは……」
「う、うるさい、うるさい、うるさーいっ!」
そして、とうとう我慢の限界を迎えて、キレてしまった。
「もういいよっ!いつまでもティオがそんなこと言うんだったら、私たちの関係はここまでだよっ!そんなこと考えてる子とは一緒にいらんないよっ!ティオとはここでお別れする!この『亜世界』での仕事は、私1人でやるから!」
きっぱりとそう言って、私は彼女に背中を向けて歩き出す。
「アリサ…そ、そんにゃ……。ティオを置いて、行っちゃうのかにゃ?」
「そうだよっ!」
「うう……でも…」
諦め悪く、まだ何かを言おうとするティオ。ちょっとかわいそうな気もするけど、変に期待させても悪いし、こういうのははっきり言ってあげた方がいいんだ。
私は彼女に背中を向けたまま、言い放った。
「でももだってもないのっ!女の子同士で愛し合うとか絶対無理!私は男の子が好きな、ノーマルの女の子なんだからっ!」
「でも……」
まだあんなこと言ってる!もう、ティオったら意外と未練がましいんだから…。
「でも、上から…」
「え?」
そこで急に、変なことをティオが言った。無視してもよかったんだけど、ちょっと気になって私は空を見上げてみる。
「上、って……」
すると……。
ヒュゥゥゥー…。
何?何かが、風を切るような音が……。
あれ?空に大きな『黒い影』がある……。しかもそれはだんだん大きくなっていって……。あ、ああ…分かった。だってあれ、見たことあるもん。ちょっと前に、私あれとおんなじのを見たから……。
ヒュゥゥゥー…。
えっ…?で、でも、ちょっと待って…。何か、『あの黒い影』って、さっきとちょっと軌道が違うような…?何か、私の真上に「落ちて」来てるような…。
ヒュゥゥゥゥゥゥウウウウウウー!
ちょ、ちょっと、こ、これ、このままじゃヤバいじゃん!このままじゃ、ぶつかっちゃって……!
そこで、のんきな口調のティオの台詞。
「上から『あいつ』が落ちてきてるから、その辺にいるのは危にゃいにゃん」
!?
「は、は、は……早く言えよぉぉーっ!」
ドッガァァァーン!
私が大慌てで横に飛びのいたのとほとんど同時くらいで、その「ドラゴンの死骸」が地上に落下してきた。
「は、はあ…はあ…はあ…」
もうとっくに戦いは終わって命の危険は去ったと思って、完全に油断していた私。危うく、10m近いドラゴンの巨体に押し潰されて、ぺしゃんこになるところだった。
「こんなんで死んだら、マジでシャレになんないよ…」
興奮で荒くなった息を整えながら、ピクリとも動かないそのドラゴンの死骸を見る。当然、ある疑問が浮かんでくる。
「って、てか……なんで…はあ…はあ…はあ…いきなり落ちてきたの……?」
そしてその理由は、ドラゴンのお腹を見てすぐに分かった。だってそのドラゴンには、膨らんだお腹から固そうな鱗のある背中を貫通するように、「ソフトボール」くらいの大きさの穴がポカンと開いていたんだから。
「え……これって、もしかして……」
いや、もしかしなくても。
その原因は、間違いなくさっきティオが投げた石だ。
つまり、さっきティオがしっぽで適当に投げたように見えた石は、実はものすごいスピードで上空に向かって飛んでいった。そして全速力で必死に逃げていたドラゴンまで追い付いて、そのまま、そいつの頑丈そうな体を貫通したんだ。
そんな馬鹿な…。だって、そんなの物理的にあり得なくて……なんて。
どれだけ私が理屈をこねて反論しても、きっとそんなものには何も意味はないんだろう。だって、この『亜世界』はレベルが全てなんだ。だから、「ティオはドラゴンよりもレベルが高い」っていう事実さえあれば、私の常識でどれだけ不自然なことだって、全部アリなんだ…。
はは…。ほんと、改めて私って、すごいところに来ちゃったんだなあ……。
「……はっ!」
「にゃふふふ…」
そして、私は気付くわけだ。
さっきの私は、墜落してきたドラゴンを回避するために必死だったせいで、飛び退いた先のことまでは全然考えが回ってなかった。だけど実は、私が飛び込んだ先にはちょうどティオが立ってたらしくって…。
つまり私は、「1人で行くからここでお別れ」とか言ってたくせに、その直後に自分からティオの体に思いっきり抱き付いてしまっていたわけで…。
「うんうん。やっぱりアリサも、ティオのことが大好きなんだにゃん!」
「ち、違うのっ!これは偶然で!私は、そんなんじゃなくって…」
慌ててまたティオから離れようとするけど、今度は彼女も私の体をしっかりと抱き締め返していて、全然びくともしない。
「ちょ、ちょっとティオっ!?」
「にゃふふふ…」
彼女は、私に笑いかける。
「何回言わせるんだにゃ?レベルが低いヤツは、レベルが高いヤツには絶対に勝てにゃい…逃げることも出来にゃい…。アリサが何て言ったって、レベルの高いティオからは、絶対に逃げられないんだにゃ!」
「え、え……?そ、それって…」
彼女の目が、妖しい輝きを放つ。
「ティオとアリサは、最強のカップルだにゃ…?これからは、いつも一緒だにゃ…にゃふふ……」
私をしっかりと抱き締めたまま、そんな宣言をするティオ。どんなに抵抗しても彼女から逃れることが出来ないことを思い知った私は、血の気が引いて顔を真っ青になった。
「アリサ、愛してるにゃん…」
「だぁかぁらぁ……私は百合じゃなくって、ノーマルなんだってばぁー!」
そんなこんなで、美少女ガチレズ猫娘と私の『亜世界』冒険物語が始まったみたいなんだけど……。
これ、前途が多難過ぎる…。