07
「彼女たちの中に、嘘をついている娘が……?」
「はい」
ピナちゃんが、さっきからしきりに、「彼女たちを信頼するな」と言ったり、彼女たちの肩書きを「自称」と言っていたのは、それが原因だったんだ。彼女たちの中に、嘘つきがいることを知っていたから。
その言葉は、私にも、それほど突拍子もない事には思えなかった。
「先ほど説明した通り、前『管理者』様はアカネ様の幹部候補としてあの3人を選出し、手紙を送りました。そして彼女が亡くなった日に、あの3人が現れた。それだけならば、何も問題はなかったのですが」
「そ、そうだね。3人に手紙を送って3人とも来たんだから、いいんじゃん? それだけ、前の『管理者』さんに人気があったってことで……」
「しかし、そうではなかったのです」
え?
「実は3人が現れたあとに、このお屋敷に1通の手紙が届きました。そこには、『私は、新しい管理者の幹部にはなれない』という内容が書かれていました」
え? え?
「それは、前『管理者』様のお誘いに対する、断りの手紙だったのです」
え? え? え……?
「そ、それって……前の『管理者』さんが、4人の幹部を選んでいたっていうことじゃあ……?」
「いいえ、違います。なぜならば、あの3人と、断りの手紙をよこした人物が受け取った前『管理者』様の手紙には、『3人の幹部』という記述があったからです。つまり、前『管理者』様がアカネ様の幹部候補にしたかったのは、確かに『3人』だったのです。にも関わらず、その返答は『4つ』あった」
「だ、だから……1人が嘘をついている……?」
「そうです。そして、断りの手紙を送ってきた者には現時点で何のメリットもありませんから、彼女がその嘘つきであるということは考えづらい。故に、嘘つきはそれ以外の3人の中にいる、ということになるのです」
な、なるほど……。ピナちゃんの言いたいことは、だいたい分かった。そういうことなら、あの3人の中に本当は幹部に選ばれなかった人がいるという可能性は、すごく高そうな気がする。つまりその人は、嘘をついてアカネに近付いているわけだ。……でも、一体何のために?
さっきピナちゃんが言ったような、『管理者』のそばにいることによるメリットというのは確かにあると思う。『亜世界』を自由に定義出来る『管理者』の近くにいれば、自分の属する集団の地位を上げることが出来る。だから普通に考えるなら、それが目的ってことなんだと思うけど……。私には、その考えはどこかひっかかる気がした。
でも、完全にその考えを確信しているらしいピナちゃんは、喉に物がつっかえたような私の気持ちには気付かないようだった。
「あの3人の中には、自分の目的のためなら平気で嘘をつく者がいるということです。そんな人間は、きっと他人を傷つけることも何とも思わないでしょう。自分がアカネ様に取り入るために、アカネ様の友人であるあなたを亡き者にすることだってありえます」
「そ、そんな、まさかぁ……」
「事実、さっきあなたはビビに脅されたのでしょう? そして、アウーシャからはほとんど毒物と変わらないような物を食べさせられた。今回は未遂ですみましたが、このままでは、次はどうなるか……。何度も言うようですが、あなたは命を狙われているかもしれない存在なのです。ですから、あなたは彼女たちを信用してはいけな……」
そこで、ベッドに腰かけたままだった私の視界の端を、何かが動いた。それはピナちゃんにも見えたらしく、彼女も急に言葉を切る。条件反射的に振り返った私たちが、見た物は……。
バタン。
「あ……」
ちょうど、「彼女」が部屋のドアを閉めて出ていくところだった。それは本当に一瞬のことで、私が見ることが出来たのは、「彼女」の後ろ姿だけだったんだけど。でも、その正体は間違えるはずがなかった。だって「彼女」の姿は、後ろも前もほとんど変わらないんだから。
さっきそこにいたのは、ハロウィンのように黒い布をかぶった人……コルナという、自称新興宗教の教祖の娘だった。
「ちっ」ピナちゃんは、聞き取れないくらいに小さく舌打ちをする。「あの娘も、この部屋にいたのですね……気が付かなかったです」
「さ、さっきの、聞かれちゃったかな?」
「ええ、恐らく。きっとあなたを見張っていたのでしょう」
「うぅ……」
ということは、さっきの私たちは本人を前にして「嘘つきがいる」とか言っていたってことになる。陰口を言っていたのをうっかり本人に聞かれちゃったような、バツの悪さだ。じんわりと、心が痛む。
そんな私を気にしてか、ピナちゃんが励ますように言ってくれる。
「大丈夫ですよ」
「で、でも……」
「あなたが、何か気に病むことはありません。だって彼女は……というより、このお屋敷にいる者は誰もが、さっきの話はとっくに知っているのですから」
「え?」
そ、そうなの……?
「あの3人の中に嘘つきがいるってことを、みんなが……知ってる……?」
「ええ、そうです。こういう情報はなるべく共有しておいた方がいいですからね。そうすれば、無実の人間は怪しい人間を警戒することが出来ますし、嘘つきの方も、迂闊に行動を起こしにくくなるでしょう?」
「そ、そっか……」
「ですから、さっきのコルナにしてみても、私たちの話していたようなことは普段から散々言われ続けているはずなのです。今更、そんなことで怒ったり悲しんだりはしませんよ」
「う、うん……」
でも。
そうは返事をしたけれど、私のもやもやした気持ちはあんまり晴れていなかった。
だって、私たちが彼女を悪く言っていたのは確かだし。いくらコルナって人が、さっきみたいなことを言われ慣れていたとしても、やっぱりいい気はしないと思うから。
ピナちゃんはその後もいろいろと言って、私の気を紛らせようとしてくれた。でも、私の中に一度生まれた罪悪感は、なかなか消えることがなかった。
そのあと。
なんかいろいろあって忘れ気味だったけど、私たちはもともと、幹部の人に挨拶周りしているはずだったんだ。結局、まともに挨拶できたのはアウーシャちゃんだけ。ビビちゃんからは一方的にカツアゲ? にあっただけだし。コルナって人に至っては、さっきチラ見しただけで終わっちゃったわけだけど……。
でもまあ、一応全員の名前と肩書は知ることが出来たし、いろいろあって、ちょっと気まずかったりもして。私たちはアカネのもとに戻ることにした。さっきの私は結構長い間気を失っていたらしく、その頃には、ちょうど夕食の時間になっていた。
私はさっきのアカネの部屋とは違う広い食堂に招かれて、そこで、びっくりするくらいの豪勢なごはんを振舞ってもらえた。アカネやピナちゃんの話によると、なんでも、これらの料理はお屋敷の料理人たちがみんなから『承認』を集めて、魔力を高めた状態で作ったんだそうだ。料理の上手さまで左右するなんて、やっぱり、『モンスター女』のレベルとこの『亜世界』の魔力は、似ているようで全然違うもののようだ。使うときにだけ譲渡して、必要がなくなったら返してもらえるあたりも、使い勝手があってすごく便利だしね。
実はその食卓には、アカネやピナちゃんの他にあの3人もいたんだけど……。でも、あの娘たちはアカネの前では割と大人しくしているらしく、特におかしなことは起きなかった。
(あえて言うなら、あの黒い布のコルナさんは、布から手を出さないように料理の方を布の中に入れて、空になった食器だけをまた布から出す、という器用な食べ方をしていた)
ごはんを食べ終わると、ピナちゃんが「お屋敷の中を案内しましょうか?」とか誘ってくれたり、アカネが「遊戯室があるから行こうよ!」とか言ってくれたんだけど。
なんか疲れがたまっていた私は丁重にそれらをお断りして、このお屋敷にあるっていうお風呂に入らせてもらうことにした。
「ふぅぅ……」
そこは、3階建てのお屋敷の角部屋1つの、屋根と壁をとっぱらって、そこに大量の大理石を持ち込んで作った、プールぐらいに大きくて立派なお風呂。この西洋風のお屋敷にはあんまり似つかわしくないような、すごく本格的な露天風呂だった。
そもそもこの『亜世界』では、お風呂っていう物自体あんまりなかったらしいんだけど。アカネがやって来た後に、彼女の意見を参考にして、この『亜世界』の建築家さんが作ったらしい。そこでもやっぱり、実際に工事をする人たちに『承認』を集めることで効率よく改築が行われたらしくって……。私はつくづく、この『亜世界』のシステムの有用さを思い知らされることになった。
(まあ正直、お風呂を後付けしているせいか柵とか仕切りなんてほとんどなくって、お屋敷の外からここが丸見えになっちゃってるんだけど……。でも、女子しかいないこの『人間女の亜世界』だったら、そんなの別に気にならない。むしろ、普通だったらあり得ないくらいのそんな開放感のおかげで、今までの疲れや悩みも吹っ飛んじゃうくらいに、私はリラックス出来ていた)
「うっひゃああぁー……。極楽、極楽ぅー」
温泉に来たときは、あえておっさんっぽく振舞うべし!
だって、この世で一番温泉を満喫できるのは、多分おっさんだから!
……という、謎の持論を振りかざしながら、無駄に広過ぎる浴槽を独り占めにしている私。大理石の浴槽の縁に寄りかかって、体全体を湯船に沈めて、お屋敷の外の風景を見ていた。
この辺りではお屋敷よりも高い建築物はないみたいで、ここから私がこの『亜世界』にやってきたときに落ちていった、あの街まで見通すことが出来る。更にその遥か遠くには、真っ赤に燃える夕日が沈んでいく地平線までも。
魔法とかが普通にあるようなこの『亜世界』でも、太陽の動きは私の世界とあんまり変わらないんだな……なんてことを、何気なく考えていた。
そのとき。
ちゃぽん。
私の後ろで、そんな水音が聞こえた。
音のしたのはこの露天風呂の入口の方だったから、誰かが入ってきたんだろうってことはすぐに分かった。私は最初、それは昼間ずっと一緒だったピナちゃんかと思ったんだけど……、
「……ナナちゃん」
「あ」
振り返ったときにそこにいたのは、アカネだった。
「ご、ごめんっ……」
私は慌てて、彼女の裸から目をそらした。
別に、こんなの初めてじゃない。同じ部活だった私たちは、練習の帰りとかに、他のみんなと一緒に銭湯とかに寄ったりすることもあった。そのときに、当然アカネの裸を見ることも、私がアカネの前で裸になることも、あった。
だから、こんなの当たり前のことで、別に特別意識する必要なんてない……はずだったのに。今は、そのときとは同じ気持ちじゃいられなくなっていた。私を好きと言ってくれた彼女のことを、ただの女友達だと思っていたときと同じようには見ることが出来なくなっていた。……そんな風には、見てはいけない気がしたんだ。
視界の外から、ちゃぷちゃぷと彼女が私に近づいてくる音がする。裸のアカネが、裸の私のそばに、近づいてきている。
さっき一瞬見てしまったアカネの姿が、イメージとなってぼんやりと浮かび上がってくる。私と違って女の子らしい曲線のある彼女の体が、焼き付いてしまったみたいに目の前に再生されている……。ちょっと首を動かして振り返るだけで、そこには本物の彼女も……。
鼓動が大きくなっていく。息が荒くなっていく。ただでさえお風呂の中で温められていた自分の体が、更に熱を帯びていく。湧き上がってきたよく分からない気持ちが頭の中を埋め尽くして、それ以外のことを、何も考えられなくなる。
ちゃぷ……ちゃぷ……。
水音は、どんどん近くなっている。彼女が揺らすお湯の波紋を感じるくらい……彼女の甘い匂いが、私に届いてしまうくらい近くに……。
ど、どうしよう……。
頭が混乱していて、今の私はまともな心理状態じゃない。もしも今、私の体に彼女の体が触れたり……アカネが私に、抱きついてきたりなんかしたら……。そ、そんなことになったら……今のおかしな気持ちのままじゃあ私、ど、どうにかなってしまいそうで……。
「きれい……だね」
ビクっと体を震わせる。
一瞬、思っていたことを口に出してしまったのかと思った。頭の中でリフレインしていたアカネの裸体のイメージに、無意識のうちに感想を言ってしまったのかも……なんて。
でも、すぐにそうじゃないことが分かった。
だってそれは、私じゃなくてアカネの声だったから。
「ここからの景色……。遠くまで、見渡せて……きれいだよね」
「え? あ、ああ……うん。そ、そうだね」
まず、勘違いをしたことを恥ずかしいと思った。そしてそれからすぐに、アカネに対しておかしなことを考えてしまったことに、激しい自己嫌悪を感じた。
アカネはただ、この露天風呂の見晴らしを言っていただけだったんだ。
彼女は今、私の隣に並んでいるだけ。浴槽の際の部分に体を預けて肩までお湯につかっているから、さっきみたいに全身が見えてしまうこともない。もちろん、裸のまま私に抱きついてきたりなんかするはずもない。ああ……私はどれだけアカネのことを侮辱したら気が済むんだよ……。
「ねえ、見て……」
アカネが手を伸ばして、街の方を指さした。一瞬、彼女の裸体がまた視界に入ってしまって、思わずドギマギしてしまう。でも私も、その方向を見てみた。
「ほら……あんなに、『承認』が動いてるよ……」
彼女が指さす方向には、茜色に染まる街の景色が見えた。それは、さっきまで私が見ていた景色だ。でも、アカネに言われてよく見ているうちに、その街を染めているのが暮れていく夕日のせいだけじゃないことに気付いた。
道を往来する人々から。あるいは、街の中のいろんな家々の窓から。夕日と混ざり合いながら、まるで太陽の表面を噴き上げるプロミネンスのように、ときどき、『承認』で魔力が移動していくときの赤い光が出ていたんだ。
つまり、それだけの人間が、あの契約を済ませているってこと。アカネの作った魔力ネットワークに、参加しているってことだ。
「す、すごいね」私はシンプルに、そう思った。「あんなに、たくさんの人が……」
もっと遠くまで見えるように立ち上がろうとして、自分が今、湯船の中にいたことを思い出す。今立ち上がったりなんかしたら、それこそ、私の体がアカネに丸見えになってしまう。
すぐに、さっきよりも深く体をお湯に沈めて、恥ずかしさを誤魔化すように言葉を重ねた。
「あ、あのね! えと、つまり、アカネの考えたシステムが、あんなにたくさんの人に認められてるのが、すごいなーってことっ! だ、だってそれって、それだけたくさんの人が、アカネが『管理者』になってくれてよかったーって思ってるってことじゃん!? だから、やっぱりアカネってすごいなって、改めて思ったっていうか……」
それに対してアカネは、誇らしげに胸を張ったり、嬉しそうに照れたりもせず、ただ、小さく微笑むだけだった。
「ねえ、ナナちゃん……」
彼女が私の手の上に、自分の手を重ねる。
お湯よりも温かいアカネの体温が、私の手に伝わってくる。しっとりとした水分が私たちの手と絡み合って、その部分が1つになってしまったような錯覚がする。
「私に、『承認』してみて……」
「え?」思いもしなかった言葉に、ちょっとうろたえてしまう。だけど、私はすぐにそれに従った。「あ……『承認』……」
実際に自分でやるのは初めてだったけど、上手くいったようだ。お風呂でも外していなかった私の指輪から、アカネに向かって赤い光が飛んでいった。そして、私の指輪は水色に、アカネの指輪は真っ赤に染まっていた。私の魔力の全部は、彼女に移動したんだ。
すると。
「え……あ、あれ……?」
突然、笑っちゃいそうなほどの楽しい気持ちが、胸の奥から湧き出してきた。まるで宝くじにあたったみたいな……全てが思い通りにいって嬉しいような。私は、何もしてないのに自然と顔がほころんでしまって。それどころか気付いたら、嬉し涙まで流してしまっていた。
「な、何で私……」
「私、すごく嬉しいんだ……この世界を、ナナちゃんに見てもらえて……」
「え? あ……」
そうか。そこで、私は気付く。
これは、この魔力ネットワークのもう1つの機能だ。私が契約したときに、アカネが説明してくれたこと。
『承認』して自分の魔力を他人にあげた人は、その代わりに、魔力をもらった人が感じている幸福感の何%かを感じることが出来るようになる。私がさっきアカネに魔力をあげたから、今の私は、アカネの幸福感を分けてもらっているんだ。つまりアカネは今、本当に心の底から嬉しいと思ってくれているんだ。私なんかが、ここにいることに……。
「この『亜世界』は、ナナちゃんのおかげだよ……。ナナちゃんがいてくれたから、出来たんだよ……」
アカネは微笑んでいる。
彼女の瞳からも、じんわりと涙が浮かんでいるように見えた。
「私……私ね……。あの、変なことを言って、ナナちゃんを困らせちゃったときから……ずっと、謝りたかったんだ……」
「え……」
「あのときの私は、バカみたいなことを考えて……。あり得るわけなかったのに、もしかしたら……なんて思っちゃって……」
ち、違う……。違うよ、アカネ……。
「私の間違いのせいで……ナナちゃんが、嫌な思いをするなんて……そんなの、おかしかったんだよね……?」
そんなことないっ! アカネは、間違ってなんかなかったよっ!
その言葉は、声には出なかった。
「私がこの世界にきちゃったことも、ある意味、当たり前だよね……。だってここは、女の子しかいない世界……女の子が女の子を好きになることが、間違ってない世界……。ナナちゃんと一緒じゃだめな私でも、ここでだったらやっていけるから……。でも……でもね……私、気付いちゃったんだよ……」
そこで一瞬、私の胸の中の幸福感が和らいだ。アカネも、少し顔を俯かせていた。
「確かにこの世界は、私にぴったりの世界だった……。ナナちゃんを好きになっちゃうような私を、ちゃんと受け入れてくれる世界だった……。そんな世界で、私は『管理者』として、ちやほやされて、舞い上がっちゃって……。でも、やっぱりいるんだよね……」
「え……? いる、って……」
「この世界にも、元の世界の私みたいに……息苦しそうにしている人がいるんだ……。こんな世界でも……ううん、この世界にはこの世界なりの悩みがあって、元の世界の私みたいに、その悩みに苦しんでいる娘が、いるんだよ……。みんなの『普通』から外れちゃって、間違えちゃってる人がさ……」
アカネは、微笑んでいる。でも、その表情は全然楽しそうじゃない。顔は笑っているのに、心の中では、声を出してわんわん泣いているようにさえ見える。
なのに何で、今の私はこんなに幸せな気分を感じてしまっているの……? 1人で、バカみたいに……。
「私は、そんな娘たちを救ってあげたい、って思ったの……。この世界で幸せになれた私には、そうする義務があるって……。だから、この世界のルールを作った。間違っている人でもちゃんと幸せになれるような……この、ルールを……」
それじゃあアカネは……私のせいで?
私がアカネを傷つけてしまったから、それが原因で、このルールを作ったっていうこと……?
「間違っている人でも、誰かを『承認』すれば、その人の幸せな気分を分けてもらえる……。間違った人は間違ったままで、ちゃんと幸せになることが出来る……。それが、私の作ったルール……。私の世界なんだよ……」
そうか……。
私はそのとき、やっと気付いた。どうして今、私だけがこんなに幸せを感じてしまっているのか。
どうしてアカネが、こんなに悲しそうな顔をしているのか。
「私は、この世界をずっとナナちゃんに見てもらいたかったんだ……。だって……ナナちゃんを傷つけちゃった罪をつぐないたいって思って作ったのが、この世界だからさ……」
アカネは今、本当に幸せな気分を感じている。私がこの『亜世界』にやって来て、アカネが作ったこの世界のルールを認めているってことを、本当に喜んでいる。
でもそれ以上に、今の彼女は悲しんでいるんだ。私が何%か受け取っただけで胸いっぱいになっちゃうほどの幸福感を感じながら……それと同じくらいに……ううん、それを帳消しにしてしまうくらいに、悲しんでもいるんだ。だから今、彼女は全然嬉しそうじゃないんだ。
言葉では「嬉しい」って言いながら、こんなに、泣きそうな顔になっているんだ。
そ、そんなのって……。
「あ、アカネ……あんたは……」
「多分……こうすることが私の運命だったんだよ」
アカネは、まるで私の言葉をわざと聞かないようにしているみたいに、喋るのをやめない。
「だってさ……そうじゃなきゃ私が、この世界の人と同じ言葉を話せるのっておかしいよね……? ルールも人も全然違う世界で、言葉がちゃんと伝わるのって……それってもう、奇跡じゃない? きっと、神様がやってくれたんだよ……。私に、この世界の苦しんでる人を救ってほしいって思って、同じ言葉を使えるようにしてくれたんだよ……」
違う。頭の中で、私はすぐにアカネの言葉を否定してしまった。
私たちの言葉が通じるのは、私たちが異世界人だから。異世界人の私たちは、曖昧な『亜世界』を自分好みに合わせる能力を持っている。だから、私たちの言葉がこの『亜世界』の人に通じるんだ。そこには、深い意味なんてないよ。
……その言葉も、私は声に出すことが出来なかった。だって彼女を、これ以上悲しませたくなかったから。
「本当はさ、私なんかがこの役目をするなんて、無茶なんだよ……。全然、向いてないよ『管理者』なんて……。ナナちゃんの方が、よっぽどみんなに好かれてるし……」
「い、いやっ! そんなことは……」
そこでアカネは私の方を見て、静かに、「『承認』……」と呟いた。それと同時に、彼女の持っていた魔力が全部、私に向かって飛び込んできた。アカネの想いが、期待が、私にのし掛かってきたみたいだった。
でもそれと同時に、彼女から分けてもらっていた幸福感はあっさりと消えてしまって。突然、心の中にぽっかりと穴が空いたみたいになった。
「きっと、ナナちゃんだったら、私よりもたくさんみんなから『承認』を集めて、いろんな人から認められるよね……。本当は、そういう人が『管理者』をやった方が良いんだよ……」
また、悲しそうに笑うアカネ。
私に全ての魔力を渡してしまったのに、それでも、さっきと変わらない笑顔を浮かべているアカネ。
私が彼女に『承認』したときは、彼女が感じている幸福感が私に流れ込んできた。でも今は多分、私からアカネに幸福感が伝わっていることはないだろう。だって私は、彼女にあげるだけの幸せな気持ちを感じていないから……。
今の私は、この状況を幸せだとは思ってなくて……。
「そ、そんなわけないじゃんっ!」
やっと声を出せるようになった私は、わざとらしいくらいの過剰なテンションで、アカネに言った。
「アカネは、すごくよくやってるよっ! こんなすごい『亜世界』を作れたのは、アカネだからこそだよっ! だから、アカネが1番『管理者』にふさわしいってばっ! 私よりも、他の人よりも、アカネが1番すごいんだよっ!」
「もう……。ナナちゃんは、そんなこと言って……」
「嘘じゃないよっ! ホントだってばっ! アカネが1番で、本当に……アカネがいてくれたから、この『亜世界』も、みんなも、私も……」
「な、ナナちゃん……ってば……」
頬を赤らめて、顔をそらしているアカネ。
それは、彼女が謙遜しているから……だと思っていたんだけど。すぐに、そうじゃないことが分かった。
「あ……」
その時の私は、無暗にテンションを上げ過ぎたせいで周りが見えなくなっていて、無意識のうちに、立ち上がってしまっていた。それはつまり、アカネの目の前で湯船から上がって、お湯の中に隠していた貧相な自分の体を見せつけていたってことで……。
「ぎゃーっ!」
私は慌てて、また体をお湯に沈める。
顔を真っ赤にして、自分の恥ずかしい行動を反省する。アカネも、私が沈んだ勢いで跳ねたお湯をモロに顔にかぶってしまって、びっくりしているようだ。
私たちはちょっとの間、無言で見つめ合う。そしてすぐに、我慢できずに笑いだしてしまった。
「ご、ごめん……アカネ。なんか、変なもの見せちゃって……」
「ううん、私は大丈夫。でも……ナナちゃんって、昔と全然変わってないね。私たちが知り合ったころのまま、可愛くって……」
「いやいや、アカネこそ昔のままの…………って、おい! 今、私の体が、昔から全然成長してないって言った!? 誰の胸が、中学生のときから成長してないって!?」
「ち、違うよぉー……怒らないでよぉー、ナナちゃん」
「ふーんだ。どうせ、私はアカネみたいに巨乳じゃないですよーだ」
「もぉー、そんなこと言ってないってばぁー……。私はただ、ナナちゃんの胸がうちの中学生の弟みたいだって言っただけで……」
「こ、こらぁーっ! それ余計悪くなってんじゃんっ! もはやただの男じゃねーかよっ!」
「え……? ナナちゃんって、男だったの……? やっぱり……」
「おーいっ! お前はほんと、いい加減にしろよなーっ!」
「ええぇぇーん。ごめんなさぁーい」
そんな感じで、『亜世界』のこととか何もかも忘れて、ふざけあう私たち。そのときちょっとだけ、2人が昔の関係に戻れたような気がした。
もちろん、そんなのはお互いにポーズでしかなくって。今の状況で、私たちが元に戻れるはずなんてなかったんだけど……。
「もうあがるね」と言ったアカネを見送って、私はもう少しお風呂に残ることにした。お風呂を出て行く彼女の背中を見ながら、私は決意していた。
私は、『亜世界』を壊す能力を持っている。本当は、『亜世界』を壊すためにここに送り込まれてきたんだ。
でも。
ここがアカネの望んだ世界だというのなら、私にはそれを壊すことなんかできない。
この『亜世界』は、アカネが一生懸命考えて作った世界。私が傷つけてしまったアカネが、自分のように誰かが傷つかなくて済むようにって思って作った世界。アカネの、優しい想いがこもった世界。
だから、私はこの世界を傷つけてはいけない。傷つける資格なんか、私にはない。
私は、この世界を守るんだ。
間違っても『亜世界』を結合なんてしないし。
もしもアカネの作ったこの世界を壊そうとしている人がいるなら、絶対に止めて見せる。
それが、アカネを傷つけてしまった私の使命なんだ。




