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百合する亜世界召喚 ~Hello, A-World!~  作者: 紙月三角
chapter06. Alisa in A-posteriori World
74/110

13

 意識が戻ったとき、私はまた、深い森の中で横になっていた。


 鈴の音のような虫の声。草木を揺らすそよ風。

 体の内側を洗われるような、爽やかな樹木の匂い。

 今までに、何度も経験してきた光景だ。


 本当に、過去のパターンに戻ってきたんだろうか?

 一瞬、もしもタイムマシンが失敗してたらどうしよう……なんて、考えてしまったけど。でも、そんな妄想は本当に一瞬で消え失せた。

 そんなのあり得るわけがない。でみ子ちゃんたちがエア様を助けるために作った装置が、失敗なんかするわけない。彼女たちのエア様への想いが、間違った結果になるはずないんだ……。


 だから……。

 ほら……。

 やっぱり、ね……。


 カサカサと、草木が揺れる音がこっちに近づいてくる。それから、大地を傷つけないように、そうっと地面を踏む足音も。どちらもやっぱり、今までに何度も聞いたことのある音だ。

 私は音のする方に振り向く。そして……背の高い草をかき分けて現れた、彼女の姿を見た。

「まあ……」


 黄金色に輝く長い髪。紙のように真っ白な、清らかな肌。凹凸のはっきりとした艶めかしい体の上に、不思議とアンバランスにならずにのっかっている、誠実で清楚な雰囲気の漂う、整った顔。

 ずっと、会いたかった顔。守りたかった人の顔……。間違いない。間違える、はずがない。

 本当に、本当に、本当に…………。

 また……会えるなんて……。

「エア……様……」


 最初は驚いていた表情は、次第に、温かい微笑みに変わっていく。そして、

「うふふ……。想像よりも、少しお早いお着きでしたね? 初めまして。わたくしは、この『亜世界』の『管理者』でございます」

 そう言って、丁寧に頭を下げたのだった。



 その途端、私の両目から大粒の涙がこぼれ始めた。

 何の前兆もなく、何の抵抗もなく。本当に、それがすごく当たり前のことであるかのように。

 私はボロボロと泣いてしまっていた。


 これはきっと、彼女にまた出会えたということの嬉しさ……だけじゃなく。今まで押さえ込んでいた悲しさが、今になって溢れ出てきた……だけでもない。その、どっちもが混ざり合って、更にそれ以外のいろいろな感情もごちゃまぜになったような、よく分かんない複雑な想い。

 だから、どうすれば止められるのかなんて分からなかったし、止める必要もないと思った。

「あ、あの……」

 突然泣き出した私の様子に、彼女は明らかに動揺しているようだ。言葉を失って、おろおろと私を見ている。私は私で、動いているエア様の姿を見ているだけで胸がいっぱいになってしまって、もう何もかも忘れて、ただただ泣き続けていた。


 でも……このままじゃいけないと思い返して、涙をぬぐう。

 だって私がここにやってきたのは、エア様に会うことが目的じゃないから。みんなが私に託してくれた想いは、「この後」が本題なんだから。


「……エア様」

「え? えあ?」

「貴女は、私なんかとは全然違って……とても素敵な人です。美人で……頭も良くて……優しくて……。そこにいてくれるだけで、妹ちゃんたちみんなを、幸せに出来て……」

「あ、あのう……?」

 訳の分からないことを言う私に、キョトンとした顔のエア様。でも私は、いちいち詳しい説明なんかしない。

「でもやっぱり……貴女は私と同じですよ……。臆病で、卑怯で、ずるいですよ……」

「え……」

「みんな、貴女のことが大好きなんですよ? 貴女の出した答えなら、それがどんなに辛いことだったとしても受け入れられるくらい。貴女の幸せのためなら、平気で自分の命をかけられるくらい。そのくらい、貴女へのみんなの想いって、強いんですよ? ……それなのに、貴女の方が、みんなの想いから逃げないで下さいよ。みんなを傷つけることから逃げて、自分の答えを出さないなんて……。貴女の気持ちを、みんなに伝えないなんて……そんなの、ずるいですよっ!」

 私は、叫んでいた。

 『過去』のパターンに戻ってきた私は、このパターンのエア様とは、初対面だ。でも、そんな私が叫ぶ唐突すぎる言葉でも……エア様ならきっと大丈夫だ。それが、彼女自身が何よりも大切にしてきた妹ちゃんたちの気持ちなら、エア様は絶対に分かってくれる。彼女たちの想いを、無かったことになんかしない。

 私は、そう信じていた。

「誰も傷つかないからって、それが『最良のパターン』とは限らないじゃないですか!? 妹ちゃんたちにとっては、自分たちがどれだけ傷ついても、貴女がそばにいてくれることの方がずっと大事なんですよ! 貴女に気持ちを伝えられる方が、何よりも重要なことなんですよ! なのに、貴女が勝手にみんなの『最良』を決めつけて、みんなの本当の気持ちから逃げるなんて……そんなの、ずるいですよっ!」

 一方的に喋って、私の息は上がっている。

 エア様は、もう混乱した顔はしていない。まるで私の言葉をゆっくりと咀嚼しているかのように、静かに私を見つめているだけだ。私たちは2人とも、それからしばらく黙ったままだった。


 でも、やがて……。

 彼女がその綺麗な顔をほころばせて、いつものように「うふふ……」と微笑む。そして、こう言った。

「それは、『ご挨拶』ですか?」

「え?」


「相手と自分の違うところを認識し、同時に、お互いの共通点を探して相手を理解する……。それが、貴女の世界の、ご挨拶の方法ということなのでしょうか?」

「え、えっと……」

 それはまるで、『1周目』に私たちが会ったときのようだった。エア様を見て走って逃げた私を誤解して、彼女が「それが貴女の世界のご挨拶なのですね」なんて言ってた、あのときと。

 でも今度のこれは、誤解なんかじゃなかった。

 だって、

「それは、とてもとても……素晴らしいご挨拶だと、私も思いますよ……」

「エア……様……」

 エア様の表情を見た私には、すぐに分かったから。彼女がもう、全ての事情を把握してくれているってことが……。

 これまでに、私の身にあったことも。それから、そこで妹ちゃんたちがどんな想いをして、どんな覚悟を決めたのかってことも……。

 妹想いのエア様は、もう、それらを完璧に分かってくれているんだ。


 だから……だから………。

 私が言うべきことは、あとは、たった1つだけだった。

「え、エア様……」

「はい……」

 今度は、彼女はちゃんと返事をしてくれた。優しい笑顔だ。

 優しくて、どんな事をしてでも大事な物を守り抜くと決めた、強い人の笑顔だ。だからもう、私は迷わなくていいんだ。

 勇気を振り絞って、私はその言葉の続きを口にした。

「みんなの想いを、なかったことにしないために……みんなの気持ちを、ちゃんと聞いてあげるために……貴女の世界を壊してもいいですか?」



 この言葉を言うことが、私がここへやって来た本当の理由。そして、でみ子ちゃんたちが私に託してくれた想いだった。


 だって今は、私がこの『亜世界』にやって来た日の朝の6時。だから、6時半になれば「別の私」がこの『亜世界』にやって来てしまう。私が存在しないから、私だけが過去に戻れるっていう話だったのに……それじゃあ結局、同じ人間が2人になってしまうっていう状況は、でみ子ちゃんたちと何も変わらないんだ。それでも彼女たちは、私だけをここに送り込んでくれた。私だけが、エア様のことを助ける事が出来るって言ってくれた。

 それってつまり、彼女たちは、私にこの『亜世界』を壊して欲しいって言っていたんだ。この『亜世界』を結合させることがエア様を……そしてみんなを、助けることになるって言いたかったんだ。



 その言葉を聞いたエア様は、少しも驚いた様子もなく、ただ、ゆっくりと1回頷いた。そして何も言わずに、私を歓迎するように両腕を広げた。

「あ、あの、えっとですね……じ、実は、その……世界を壊すっていうのは、具体的には『亜世界』同士を結合するっていう意味でして……そ、そのためには……」

 ここまでくればもう、私は何も言う必要はなかったはずだ。全てを知ってくれたエア様を前に、説明なんかいらなかったんだから。

 ……なのに臆病者で卑怯者な私は、気が付いたらそんなことを口走っていた。照れ隠しとか自己正当化とか、その他もろもろのどうでもいい理由で、その「行為」を少しでも引き伸ばそうとしてしまっていた。


 でも結局、私は覚悟を決めた。

 だって、自分の臆病さなんかでみんなの想いを台無しにしたくなかったし、何より、妹ちゃんたちやエア様の想いの強さを知った今、そんな自分が恥ずかしくなってしまったから。

 そして、エア様にリードされるまま、自分の体を前に傾けて、彼女の体へと預けた。


 その瞬間に、花畑のような心安らぐいい匂いが、全身を包みこんだ。まるで麻酔でも射たれたみたいに、意識がぼうっとしていく。吸い込まれるような、柔らかいエア様の体の感触。絶対的な安心感と幸福感。もう覚えてなんかいないけど、きっと子供のころにお母さんに抱きしめてもらったときにも、こういう気持ちになっていたんだと思う。

 このまま、エア様の体に包まれて意識を飛ばしてしまいたいという強い欲求が、私の頭の中を支配しようとする。エア様の胸に抱かれたまま、自分の一生を終わってもいいような気さえしてくる。でも、必死にそれに抵抗して……私は、彼女の顔を見上げた。エア様はそれにこたえるように小さく微笑んでから、目をつむって私を待ってくれた。


 ゴクリ……。


 ゆっくりと自分の唇を、彼女の唇へと近づけていく。

 今まで意識してなかったのに、今更になって唐突に、胸の鼓動が気になってくる。ここまで来て、自分がしようとしていることの重大さを思い知らされるみたいに、必要以上に大きな音と激しいリズムで、体の内側から私を揺さぶっている。

 でも、もう止めることは出来ない。エア様の顔は、もうすぐそこまで来ている。見とれるほどの綺麗に整った顔が、私のことを待ってくれているんだ……。あと、数センチ……数ミリ……。

 直前で、また臆病者の本性が現れて、私は両目を閉じてしまった。そうすれば、気付かないうちに全てが終わってくれるかと思って……。でもそのせいで視覚から受ける情報がなくなって、唇の触覚がダイレクトに私の脳に伝わってくることになってしまった。


 柔らかくて……温かくて……。それに、とても優しい……。

 それが、唇が触れた瞬間のイメージだった。


 「アシュタリアの時」は、完全に勢い任せだった。だから、何かを考えるような暇なんてなかったし、ただただ、罪悪感だけしか残らなかった。でも、意識的にやった今回のこれは、それとは全然違う。ある意味じゃあ、これが本当のファーストキスだって言ってもいいかもしれない……。

 だって私は今……憧れのエア様と、唇を合わせているんだから……。私なんかじゃどう考えても釣り合わないような、夢で見るのさえおこがましいような絶世の美女と、キスをしてるんだから……。


 き、気持ちいい……。

 体が痙攣するような、膝ががくがくと震えてしまうような、全てを忘れて溺れてしまいそうなほどの気持ちの良さが、全身を駆け巡っていく。次第に、全身の感覚が消えていく……立っていることさえもままならなくなって、体が崩れ落ちていく……。快楽が全てを支配して、体が水の中に溶けていくような感覚になって……。


 それが、『亜世界』を移動していくときの感覚と同じだっていうことに気付いたときには、私の意識はほとんど失われていた……。




   ※




 そして再び目を覚ましたときには、私はお城のベッドの上にいた。

 白い壁、白い天井。シンプルな作りの室内。前に目覚めたときと同じ、金髪王子のお城だ。


「……戻ったね」

 前の時と比べると、こうなることが予想出来ていた分、今回は驚きは少ない。

 『管理者』と契約を結んだわけだから、その『管理者』がいた『亜世界』が結合されて、私はまた『人間男の亜世界』に戻されたってわけだ。うん。別に、何もおかしなところはない。想像通りの結果だ。

 つまり、私がエア様とキスしたから、『妖精女の亜世界』は消えてしまったっていうことで…………。


 ……キス。

 そ、そうだよね……。き、キス……しちゃったん、だよね……。


 この『亜世界』に戻ってからどのくらいが経ったのかは分からないけど、記憶としてはついさっきのことのように鮮明に思い出すことが出来る。

 エア様の顔がすぐ近くにあって、そこに、私は自分の顔を近づけていって……。自分の唇が、すごく柔らかくてみずみずしいものに触れて、電流が走ったみたいに、全身がしびれて……。

 つ、つーか……気持ちいい、とか言っちゃってなかった? いやいやいや……。言ってない、言ってない。言うわけないってば……。

 ……だ、だって私、違うし!? 私、全然そういう()とかないし!? 全然ないから!

 ない……はずだから…。


 誰に責められているわけでもないのに、しばらくの間、1人で顔を真っ赤にして体をくねらせていた私。……でも。

「……って、こんなことしてる場合じゃなくって!」

 大事なことを思い出して、慌てて体を起こした。


 今までだったら、私が起きたときにはいつも、すぐそばに金髪王子がいた。だけど、どういうわけだか今回は、部屋の中には誰もいなかった。それを不思議だと警戒するよりも、単純に幸運に感謝して、私は急いでベッドから飛び降りる。そして、部屋の出口のドアに向かって駆け出した。

 ドアを開けるとすぐそこの廊下に、兵士らしき男の人たちが何人か立っていた。彼らは私を見つけるなり、指さして何かを言ったり、誰かを呼ぶように大声を出したりする。彼らに捕まりたくなかった私は、フットサルで鍛えた脚力でその兵士たちの間をすり抜けると、自分が目指している「目的地」に向かって廊下を走りぬけた。ここでも幸いなことに、彼らの中に私を追ってくる人は1人もいなかった。

 それからも、私は「目的地」につくまでの間に何人かの兵士と出会ったりしたけれど、みんなさっきの人たちと同じで、本気で私を捕まえようとする人はいなかった。いやそれどころか、中には私なんかに構っている暇はないって感じで、気付いても無視して通り過ぎてしまう人さえいた。

 まるで、みんな何か別のことで手一杯で、私が逃げることなんてどうでもいいって感じ。一体何をそんなに忙しくしているんだろうって疑問はちょっと浮かんだけれど……でも、私も自分の目的の方が最優先だったので、特に深く考えずに先に進んだ。

 そして私は、やっとその「目的地」に到着した。そこは、廊下の突き当りにある、丈夫そうな鉄の扉に閉ざされた部屋。前回この『亜世界』に来た時に、アシュタリアが捕まえられていた場所だった。


 私は最初から、もしもこの『亜世界』に戻ることが出来たなら、まずはアシュタリアを解放してやろうって決めていたんだ。それが彼女の『世界』を壊してしまった私の責任であり、義務だから。

 ましてや、今はアシュタリアだけじゃなく、エア様たちも自分の『亜世界』を失ってこの『亜世界』に来ているはず。きっと、あのバカ王子は結合の契約で彼女たちの力も奪ってしまって、どこかに監禁しているに違いない。だから私は、どんなことをしてでも彼女たちを助けてあげなくちゃいけないんだ。

 以前なら、扉の両サイドを鎧を着た衛兵が守っていたはずだけど、今は誰もいなくなっていた。おかげで私はあっさりと、その扉の中に入ることが出来た。


 で。

 室内に入ったあと、私はその予想外の光景に拍子抜けしてしまった。だってその部屋は、見事に空っぽになっていたから。

「あ、あれ?」

 もちろん、完全にきれいさっぱり何もなくなっていたわけじゃない。部屋の床には血の跡は残っているし、壁には、アシュタリアを磔にしたときの十字架のような木の板の跡もある。だから、私が部屋を間違えたってわけじゃないことは、確かだと思うんだけど……。でも、そこにはもう、アシュタリアはもちろん、エア様もでみ子ちゃんたちも、誰も監禁されてなんかいなかった。

「……はっ! ま、まさか!?」

 あのバカ王子が、みんなのことを始末してしまったんじゃないか……っていう、最悪の想定が頭をよぎる。でもすぐにその考えは、「本人」の言葉によって否定された。


「あのモンスターなら、もうここにはいませんよ……」

 馴染みのある声が、部屋の入り口の方から響く。その声のした方を振り返ると、そこにはやっぱり、金髪王子の姿があった。

「どれだけ飼っていていても一向に懐かないものでね。飽きたので、野に放してしまいましたよ。ふんっ……あれなら、まだ犬畜生の方が可愛げがあるというものですね」

「放した? ってことはつまり、アシュタリアのことを、解放したってこと?」

「ええ……。まあ正確に言うと、目を離した隙に勝手に逃げてしまったんですけどね」

「じゃ、じゃあ……あの娘は、もう自由なんだね? ……良かったあ」

 安心した私の顔を見て、王子は忌々しそうに顔をゆがめる。

「あんな下等生物のことは、何でもいいじゃないですか。それより……今回もご苦労様でしたね? あなたは見事、『妖精女の亜世界』も結合して下さった……」

「そ、そうだっ! エア様たちは!? 妖精の、エルフの女の子たちは、どうしたのよっ!」

 エア様たちのことが心配で、思わず王子につかみかかろうとする私。でも、彼は身軽な動作でそれをかわしてしまう。

「妖精? そんなのを聞いて、どうするのですか? それもあなたには関係のないことですよ? それよりも今は次の『亜世界』のことを……」

 私はそれでも、食い下がって彼に向かっていく。

「関係ないわけないでしょーがっ! 私のせいでこうなっちゃったんだから、私にはみんなのことに責任があるのっ! だから、みんなの居場所を教えてよっ! 教えないと私、もうあんたの契約協力しないからねっ!」

「ちっ。うるさいですね……」

 誤魔化すのさえも面倒くさそうな王子。しばらくは渋っていたけれど、私がいつまでも騒がしくしているのに堪えられなくなったのか、結局は教えてくれた。

「あの妖精たちなら、取り逃がしましたよ……」


「取り逃がした……? ってことは、みんな、無事なの? エア様も、でみ子ちゃんたちも……」

「……? あいつらの名前なんか、知りませんよ。ただ、妖精の『管理者』とその仲間数人を逃がしたのは事実ですけど……」

「そっか……」

 その言葉を聞いて、やっと私は心の底から安心することが出来た。

 エア様たちもこのバカ王子につかまったりせずに、みんなで逃げることが出来たんだ……。よかった。

「まあ、それも別にいいんですけどね……。あいつらを捕まえておくことに、さしたる意味なんかありませんでしたから……。ただ、1つ納得がいかないのは……」

 喋りながらそのときの事を思い出しているのか、王子の顔は明らかに不愉快そうになっていく。

「『亜世界』同士を結合したら、結合された方の住人は、この『亜世界』に慣れるための『休養期間』が必要になるはずなんです。貴女だって、いつも『亜世界』を移動するときには気絶するような感覚になるでしょう? だから、私たちは前回のモンスターの『管理者』だって、簡単に捕まえることが出来たのです。……なのに、どういうわけかあいつらは、『亜世界』同士が結合した直後から普通に活動出来ていた。そうでなければ、取り逃がしたりはしなかったのに……」

「ぷ……」

 苛立たしそうに、愚痴をこぼす王子。

 でも私はそれを聞いて、吹き出しそうになった。

「ぷ、ぷふ、ぷふふ……」

「しかもあいつら、逃げる際に何か奇妙な魔法をかけていったものですから……。お陰で、城内の兵が何かの薬品の匂いを嗅いで眠ってしまったり、城の至るところから突然木が生えてきて防壁を崩してしまったりして……。我が国の兵力は、一時的に半減してしまったのですよ。更に悪いことに、この機会を待っていたとでもいうようにアヴァロニアの連中まで攻め込んできて……。正直言うと、こうやってあなたの相手をしている時間も惜しいほどに今の僕たちは大変な状況で…………何ですか? 何が、おかしいんですか?」

「そ、それは、残念だったねー? ぷぷぷーっ!」

 王子が悔しそうな顔をするほど、更に可笑しさがこみあげてくる。結局最後には、我慢できずにふきだしてしまった。

 あっはははーっ!

 さっすが、妹ちゃんたちだよ。『亜世界』同士の結合でも気絶しないとか……それって絶対、『9時間ルール』のお陰でしょ? やっるー! ま、それじゃあ王子が知らなくても無理ないよねー。っていうか、ざまーみろだしっ!


「まあ、それも大したことではないのですけどね……」

 そんな、負け惜しみにしか聞こえない言葉を吐く王子。せっかくのイケメンがすっかり台無しの、見事な小物っぷりだ。

 だめだ……やっぱ笑える……。ぷふぅー!

「そんなことより、あなたは自分の仕事をこなしてくれればよいのですよ。これまでのようにね……」

「へーいへーい」

 なんか、1周回って可哀想に思えてきて、私はもう、素直に言うことを聞いてあげることにした。

 ま、アシュタリアとエア様たちの無事が知れたなら、正直私的にはこの『亜世界』にも王子にも用はないし? どうせ、私がどれだけ抵抗したところで、逃げることなんて出来ないんだろーしね?

 私の仕事? はいはい。やればいいんでしょ、やればー。

「これが、最後です……。後1つ『亜世界』を結合してくれれば、それで、僕の世界は完成する……。そうなれば、あなたも晴れて自分の世界に帰ることが出来ますよ……。だから……れぐれも……しくお願いし……よ……」

 王子の言葉が、だんだん聞き取りづらくなっていく。

 ほら、やっぱり。また前の時みたく、私が寝ている間に既に魔法をかけてたんでしょ? 私が抵抗しようがしまいが、結局こうやって、無理矢理次の『亜世界』に送られるんでしょ?

「まあ……とはいっても……次の『亜世界』……問題ないでしょうね……。だって……これまでの2つ……『亜世界』を結合出来たあなたなら、きっと次の『亜世界』を……合するのも……簡単だと…………」

 あー、そーね。確かに2回もこなしちゃうと、さすがに、ちょっと慣れてきた感はあるかもねー。ま、私に任せときなさいって!


 その「仕事」に対して、私はもう、あまり引け目を感じなくなっていた。

 だって『亜世界』を結合することって、悪い事ばかりじゃないって分かったから。エア様たちが、そのことを教えてくれたから。

 『亜世界』がなくなっても、その世界に込められた想いまで消えるわけじゃない。

 繋がった世界でも、きっとみんなの想いは残り続けるんだ。

 だから私はもう、何も恐れないくていいんだ……。


「だって……次の……『亜世界』は……貴女の……」

 そこで、バカ王子の言葉は途切れて、私はまた、水の中に溶けていくような感覚に包まれてしまった。ああ、何度経験しても、この感じには慣れないな……。意識が曖昧になっていく。夢を見ているような気分になっていく。

 夢の中で、液状になって『亜世界』間を移動していくような気分の私は、「ああー……でもそしたら私、また女の子とキスしなきゃいけないのかー……まいったなー……」なんてことを、消えゆく意識で考えていた。




   ※




 『亜世界』が違えば、そこで暮らす者の価値観も、物事の概念も同じではなくなる。

 そのため、2つの異なる『亜世界』同士を比較することには本質的には意味などないのだが……それでもあえて、便宜上の方便として述べるならば。それは、七嶋アリサが『人間男の亜世界』から『モンスター女の亜世界』に送られたのと、ほぼ同時期のことだった。

 そのとき『人間女の亜世界』で、1人の女性の命が尽きようとしていた。


 色味を押さえた絨毯を敷き詰められた、広々とした室内。2つある窓にはシルクのカーテンがかかっていて、室内は薄暗い。

 その部屋の中央にある、豪奢な天蓋のついたベッドを、数人の女性が取り囲んでいた。


「『管理者』様、ご覧くださいな……。窓の外の木に、春告げ鳥のつがいがとまっていますよ……。この辺りも、最近はだいぶ暖かくなってきましたものね……」

 1人の女が、ベッドに眠る老女の手を取って、独り言のように静かな口調で言う。

 しかし、その老女にはもはや何も見えてはいないようで、彼女の言葉に反応しない。

「『管理者』様……」

 愛おしそうな表情で、なおもしゃべり続けようとする女。

 しかし、彼女のそばにいた白いローブをまとった別の女が、彼女の肩に手を置き、ゆっくりと首を振った。

「そ、そんな……ああ……ああ……」

 老女に語りかけていた女は、信じられないという表情で目を見開く。それから、ベッドに顔をうずめて、押し殺すように泣き始めた。

 周囲にいた他の女たちもローブの女の動作の意味をくみ取り、各々程度の差こそあるものの、悲哀の色に顔を染めた。そして、誰もがその老女の死を悼んだ。

 そのとき、その『亜世界』の『管理者』は天寿を全うし、息絶えたのだ。それは、とても穏やかな死だった。


 それから、やがて白ローブの女が未だに影を落とした表情のまま、静かに語り始めた。

「『管理者』様は、逝ってしまわれました……。そのため、これからこの『亜世界』は新しい『管理者』様を迎えなければなりません」

「……!」

 泣いていた女が、「こんなときに、そんな話をするな!」とでも言うように、ローブの女につかみかかろうとする。しかし、すぐに近くにいた別の女たちによって取り押さえられてしまった。ローブの女は特に気にした様子もなく、言葉を続ける。

「新しい『管理者』様は、既に決定しています。前『管理者』様の『遺言』により、事前に全ての準備は完了していました……」

 そこで、ローブの女は部屋の出口を守っていた衛兵に合図を送る。すると衛兵は一旦部屋の外に出て行き、それからすぐに部屋の中に戻ってきた。……後ろに、1人の少女を連れて。


「ご紹介しましょう。こちらが、前『管理者』様の『遺言』に基づいて、『異世界より召喚させていただいた』お方……新しい、『管理者』様でございます」

 ローブの女に手招きされた少女は、全身から緊張をほとばしらせながら、ぎこちない歩き方で部屋の中に入ってくる。そして、まるで就職の面接を受けている学生のように、オーバーな動作で一礼をしてから、上ずった声で自己紹介をした。


「あ、あの……! わ、私は飛鳥ヶ丘高校2年の……! 女子フットサル部のま、マネージャーをしてますっ! 三ノ輪(みのわ)アカネですっ! よ、よ、よろしが……よろしく、おねがいしますっ!」


「この娘が、新しい『管理者』? まだ子供じゃないの……」

「フットサル、って……。この娘、一体何言ってるの……?」

「別の『世界』の人間が、この『亜世界』の『管理者』なんて出来るわけない……」

 その途端、悲しみに暮れていた女たちは、口々に不平不満を呟き始めた。

 だが、緊張でそれどころでなかったアカネには、その声を聞きとるような余裕はなかったのだった。


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