12
それから、ほんの30分くらい後。
でみ子ちゃんや他の妹ちゃんたちは、それぞれの『職能』を駆使して、私には到底分からないような複雑な作業をいくつかこなした後……とうとう本当に、「それ」を作ってしまった。
「さあ、ここまで来れば、姉様はもう救い出せたも同然です。あとは、残されたいくつかの単純作業をこなすだけです」
「じゃ、じゃあこれが、タイムマシン……なんだね」
そこは、『亜世界樹』のてっぺん。『3周目』にアナと会った展望台だった。
あのときとくらべると、今はこの場所もだいぶ様変わりしている。
4畳半しかなかったはずの展望台はアキちゃんの『職能』で拡張されて、今は一回りくらい大きくなっている。しかも、その床の至るところからは太い木の枝が何本も延びていて、まるで工場の配管みたいな、入り組んだ複雑な構造を作っているんだ。それが何の意味があるのかは想像もつかないけど(意外と、ただの雰囲気作りでしかなかったりするかもだけど……)、とにかく、何かすごいことを出来そうな感じだけは、私にもバッチリ伝わってきていた。
だけど部屋の中央になると、今度はそれとは逆で、余計な物は何もなくなる。そして、その代わりに床にぽっかりとマンホール大くらいの穴が開いているんだ。その穴は、この『亜世界樹』のてっぺんから真っすぐに木の幹の中を通って、木の根っこまで繋がっているらしかった。
「『タイムマシン』……という名称は、あまり相応しくないと思います。というより、端的に言って全然美しくないです。失われてしまった姉様を再び取り戻すための装置を呼ぶにしては、その名称は、いささか無骨過ぎますね」
いつも通りの無表情で、そんなことを言うでみ子ちゃん。
「え? そ、そうかな? じゃあ、何て呼べば……」
「そうですね……」
彼女はそれから、少し考えるように天を見ながら、
「……祝福されし深淵……疾走する悠久……いや、栄光への輝ける溝渠……」と、ぶつぶつと呟き始める。
「はは……」
そんなでみ子ちゃんに呆れた様子のアナは、苦笑いを浮かべて言う。
「僕は別に、『亜世界樹』のままででいいと思うけどな……」
「え? ……そうですか? まあ……それでも別に、問題はありませんが……」
そんなことを言いながらも、納得していない感じのでみ子ちゃんは、それからも中2っぽいネーミングを呟き続けていたんだけどね……。
まあ要するに、結局のところ。
彼女たちが作った「タイムマシン」っていうのは、『亜世界樹』そのものだったんだ。
完成を待っている間、でみ子ちゃんが説明してくれた話によると……。
「貴女の言ったとおり、『アガスティア』の中では精霊は超光速で移動することが出来ます。そもそも、それこそが『アガスティア』が超高性能の計算機たり得えている理由でもありますからね。そして同時にそれは……『アガスティア』による『亜世界』のシミュレートの最中にも、光速を超えた精霊の移動が行われているということを意味している。
であるならば、『アガスティア』が計算した無数の『シミュレートのパターン』も、超光速の領域に存在している。貴女の言うところの、『相対性理論』が適用される領域に存在するはずです。
つまり、『昨日のパターン』の中の世界は、実世界の私たちから見たら時間の進みが遅れて見えるのです。『アストロノート』の『ちょっとの時間』が、私たちにとって800年間であったように……『アガスティア』の1日分のシミュレートも、『昨日1日では終わっていない』はずなのです。
昨日の計算が昨日で終わっていないのなら、『全てのパターンの中から最良のパターンを算出する』という『アガスティア』の計算は、まだ完全には終了していない。まだ、計算途中のパターンが存在するはずなのです……」
と、いうことらしくって……。
要は、『昨日』分の全部のシミュレートが終わったと思っていた『亜世界樹』には、実はまだ、計算が終わってないパターンがあるんだそうだ。だから、私たちはこれから、『亜世界樹』の中に「潜り込んで」、その計算途中のパターンを見つけて、それを『最良のパターン』にしてしまおう、って状況なわけだ。
計算途中のパターンなら、まだエア様は生きている。だから、潜り込んだそのパターンを『最良』にして、今私たちがいるこのパターンが『捨てパターン』になれば、エア様が死んでしまったことそのものをなかったことに出来る。事実上、エア様を生き返らせることになる、ってことでね。
で。
その目的のために、私たちがこれからやることなんだけど……。
まず私たちは、「元展望台」の床に開けたこの目の前の穴に、飛び込まなくちゃいけない。私たちが穴に飛び込むと、それに反応して自動的に、『亜世界樹』の幹の内部に作った特別な『錬金術』が起動する。そして、落下していく私たちの体を精霊レベルにまで分解してくれることになっている。体全部が精霊になれば、もうそれは『亜世界樹』が扱うデータと同じなわけだから、自由自在に『亜世界樹』の中を探して、計算途中のパターンにも潜り込むことが出来る…………って、え? ちょ、ちょっと待って……。
さらっと言っちゃったけど、よく考えてみたら私たち、結構すごいことしようとしてない? 特に、手順の後半の方、普通に怖すぎるんですけど……?
「それでは、心の準備は出来ましたでしょうか? そろそろ始めようかと思いますが……」
「い、いやいやいや……。これから私たちって、穴に飛び込んで、体を精霊に分解されるんだよね? そんなことになる心の準備なんて、正直、そんなすぐには出来ないってば……」
「え? まだなんですか? もしかして、怖じけづきました? やりたくないとか言うつもりだったりしますか?」
「い、いや、そこまでは言わないけどさ……。ちょっと、冷静に考えたら怖くなってきて……」
「はあ……そうですか。別に、貴女の覚悟が出来るまで待ってもいいですけどね。私たちには、時間は有り余っているのですから……」
「え……」
そう言って、私から視線を外すでみ子ちゃん。そのときの彼女は、一瞬だけ、ちょっと悲しそうに見えた。
あ、そうか……。
私がビビってると、その分みんながエア様に会えるのが遅れちゃうんだ。みんなは、早くエア様に会いたくて仕方ないはずなのに……。私はそのことに気づいて、すぐに前言を撤回した。
「ま、まあ、でもやるしかないよね! え、心の準備? 出来てる出来てる。うん。もう、いつでもオッケーだよー! よっしゃ、ガンガン行っちゃおう! ……あ、でもその前に、穴に飛び込む順番とか決めとかないとじゃない? だ、だってこの穴ってさ、みんなで一斉に飛び込むにしては、ちょっとサイズが小さ過ぎな気がするし…………てか、あれ?」
そこで私は、おかしなことに気が付いた。勘違いかと思って、きょろきょろと展望台の中を見回す。
「どうしました?」
「い、いや……」
でもやっぱり、それは勘違いなんかじゃないようだ。
「えっと……アキちゃんが、いないみたいなんだけど?」
よくよく見てみても、私以外に今この場所にいるのは、でみ子ちゃんとアナ、それから、アナの後ろに隠れて私のことを警戒するように睨んでいる、宇宙飛行士ちゃんだけだった。アキちゃんの姿が、どこにもいなかったんだ。
「な、何だよもうー。こんなときにあの娘、どこいっちゃったのー? あーあ、私的にはもう、いつでも過去に戻れる状態なんだけどさー、彼女だけ置いてくわけにもいかないもんねー? じゃ、アキちゃんが帰って来るまでは、ちょっと待ちだねー?」
ちょっとした胸騒ぎを覚えながらも……でもまあ、普通にトイレでも行ってるのかな? くらいに思って、わざとらしくそんなことを言う私。ついでに、今のうちにビビってる気持ちをまた少しでも抑えようとする。
でも、そんな私にでみ子ちゃんは、予想もしてなかった言葉を言った。
「ああ……あの娘なら、いつまで待っても来ませんよ」
何でもない風に言われたから、最初は、何でもないことなのかと思ってしまう。
「あ、そーなんだー? へー、じゃあしょうがないねー。うん、じゃあ私たちだけでも…………って、えっ!?」
そして、ちょっと遅れてから大きな声を出してしまった。
……は? 何それ、全然意味わかんないんですけど?
だ、だって、だって……折角タイムマシンが、出来たのに? 来ないの? な、何で……? え? まさか、過去に戻らないってことじゃないよね? だってそれじゃあ、エア様に会えないってことになっちゃうし……。
あの、エア様大好きで、誰よりもエア様に会いたがっていたはずのアキちゃんが、そんなことするわけないと思うんだけど……。
混乱する私に、でみ子ちゃんはこう続けた。
「あの娘は、ここには現れません。きっと、来ても何の意味もない、辛いだけだ、と思ってしまっているのでしょうね。まあ、それも無理はありませんけどね。だってあの娘は、過去には戻れないのですから」
「は? ちょっと……そ、それって、どういうこと?」
「……もっと正確に言うならば、あの娘『も』過去に戻れないのです。だって、これから過去に戻って姉様と会うことが出来るのは、『エイリアン』である、貴女だけなのですから」
私は、彼女の言葉の意味が全く分からなかった。全く理解できなかった。
理解、したくなかった。
「何、それ……」
「ふふふ……」
でみ子ちゃんは静かに微笑みながら、私に説明を始める。
「貴女が先ほど、『相対性理論』という考え方を教えてくれて、『アガスティア』と精霊の特性について思い出させてくれたとき……私はすぐに、『まだ計算途中のシミュレートパターン』に潜り込むという、この方法を思いつきました。一応それから後も、他の方法がないかと考えてはみたのですが……やはり、成功確率が現実的な方法は、これしかないようです」
「そ、そうだよね……? だ、だから、これからみんなで体を精霊に『分解』して、過去のパターンに潜り込もうって話をしていたわけで……」
「いいえ」
彼女は首を振る。
「これから貴女が行くことになるのは、『まだ計算途中のシミュレートパターン』。だから、まだそこには生きている姉様がいるはず……と、いうことは……同時にそのパターンには、過去の私たちも存在しているのです。既に私たちがいるパターンに、今のこのパターンの私たちが行ってしまったら……私たちが2人存在することになってしまいます。それは、システムが想定していない異常事態。そんなことになれば、きっと『アガスティア』は計算中にメモリ破壊を起こしてしまって、正常なシミュレートを続行できなくなってしまうでしょう。それどころか、その時点で制御がきかなくなって暴走してしまうかもしれない。その結果、この『亜世界』全体を破壊するような結果まで引き起こしてしまうかもしれません。……だから、私たちは過去に戻ることは出来ない。戻ってはいけないのです」
「そんな……」
「でも、貴女だけはそうではありません。貴女は、『昨日』の6時半の時点までこの『亜世界』に存在しなかった人物。だから貴女が過去に戻っても、同じ人物が2人になってしまうことはない」
「う、嘘、でしょ……? 冗談、だよね……?」
「……実は私たちは、『昨日』の朝の6時半に貴女がこの『亜世界』にやってくるということを、一昨日の時点で既に知っていました。その理由は、一昨日の私が、『アガスティア』の中の計算データを格納する部分に、貴女用の格納領域が作られているのを見つけたからです」
「な、何言ってるの、でみ子ちゃん……ね、ねえ? 変なこと言ってないで、真面目に話してよ……。全然、意味がわかんないってば……」
私は彼女の言葉を聞きたくなくて、間抜けな顔でそんなことを口にする。でも、でみ子ちゃんはそんな私にはお構いなしで、その説明を続けた。
「格納領域というのは、概ね、そこに格納するデータの複雑度に比例して大きくなりますが……そのとき『アガスティア』が用意していた格納領域の巨大さは、明らかに、それが私たちのような『知能を持った生命』のためのものであることを示唆していました。だから、やがてこの『亜世界』に存在しなかった知的生命体が現れると分かったのです。……その上、更に興味深かったのは、『アガスティア』がその格納領域を使用するときの、タイミングでした。私が観測した限りの全てのパターンにおいて、『アガスティア』は、シミュレート世界の時計が6時半になったときに、その領域にデータを格納していたのです。データ領域の確保自体は、シミュレートを開始する朝の6時から行っていたのですが、そのデータを使用するタイミングだけは、一切の誤差も遅延もなく、常に6時半きっかりだったのです。実はこれは、『アガスティア』の性質上、とても奇妙な動きと言えます。なぜならば、『アガスティア』というのは、無数に存在するパターンの中から最も優れた解を導きだすためのシステム。そのため、シミュレートを行う際に、あえて処理の中に偶然性を混在させているのです。そうすれば、私たちが想像もしなかったような行動でも、シミュレートのパラメータとして含ませることが出来ますから。『アガスティア』にそのような特性がある以上、全てのシミュレートパターンで全く同じ動きをする物など、本来ならあり得るはずがないのです。例えば、『平らな地面に球体の木の実を落としたときに、その木の実がどちらの方向に転がっていくか』という命題は、『アガスティア』の中では完全なランダムノイズによって実装されています。そのため、『アガスティア』のシミュレートでは、パターンが変わる毎にその結果は変化するはずなのです。『1周目』には木の実は観測者の向かって右側に転がっていった。しかし、『2周目』には今度は左側に転がった……という風にね? でも、この『来訪者』がやってくるタイミングにはそのようなランダム性はありませんでした。こちらの『亜世界』がどんなパターンだったとしても、6時半で確定していたのです。私たちの『亜世界』の偶然性には、影響されなかったのです。……それらの観測から私は、その『来訪者』が私たちの『亜世界』よりも確かな存在、つまり、『異世界人』である可能性が高そうだ、と考えたのです。そして実際に6時半やってきた貴女と出会ったことで、私の仮定が正しかったということが証明されたわけですが……」
一切の淀みなく、迷いなく、でみ子ちゃんは喋り続ける。
「ここで私が言いたかったことは、『昨日』の6時の時点で、この『亜世界』には、『貴女のデータのための格納領域』が存在していた、という事実です。つまり、『昨日』の6時から6時半までという時間は、『この亜世界に貴女という人間が存在しておらず』、なおかつ、それにもかかわらず『亜世界は貴女を受け入れる準備が出来ている』という、非常に稀有な特異点なのです。だから、その時間を狙って貴女が時間遡行を行うのが、成功確率が1番高い。いや、正直なところ、そのタイミング以外で過去に戻ることなんて不可能だ、とさえ言えるかもしれません。つまり、現時点で姉様を助けることが出来る方法は、これしかないのです」
「分かんない……分かんないよ……」
結局、でみ子ちゃんのそんな説明は、私には全く届かなかった。
「だ、だって……だってそれじゃあ……今ここにいるみんなは、どうなるの? 私だけが過去に戻って、それで、もしもちゃんとエア様を救い出せたとして……。それで、ここにいるみんなは、どうなるのよ?」
もちろん……ちゃんと後で、合流出来るんでしょ? そうじゃなきゃ、おかしいもんね……。
私がエア様に会った後、みんなも後から、そこに来るってことなんだよね……? あ! そ、そっか! それか、私が過去に戻ったときに「その過去のパターンにいるみんな」っていうのが、実は、このパターンのみんなと同一人物ってこと? つまり、私が過去に戻っても、ちゃんと今ここにいるみんなには会えるってことで……。そ、そりゃそうだよね!? だって、時間やパターンが変わっても、同じ『亜世界』には違いないんだから、そこにいる妹ちゃんたちも、何も変わるわけなんて……。
でも、そんな私の考えを粉砕するかのように、でみ子ちゃんはあっさりと言った。
「どうもなりませんよ? 今ここにいる私たちは、ここで貴女とはお別れです。私たちはこのまま姉様の遺体と一緒に、この終わりゆく『亜世界』に取り残されるだけです」
「そ、そんなのって……」
「これで、いいのです……」
今の状況を直視できずに、完全に混乱している私とは対照的に、彼女は落ち着き払っていた。
きっとでみ子ちゃんは、とっくに、こうなることに気付いていたんだろう。
「貴女がこれから戻ることになる『計算途中の過去のパターン』には、ちゃんと『そのパターンの私たち』がいます。その『私たち』は、昨日と今日に私たちが経験したことや、獲得した知識は持っていませんが……しかし、私たちと同じように、800年間姉様のことを愛し続けてきた者たちです。だから姉様は、そんな『私たち』に囲まれて、これまでと同じように幸せに生き続けることが出来るわけです。……だから、これでいいのですよ」
「そ、そんなの、だめ、だよ……」
でみ子ちゃんの顔には、悲しみも、後悔も、苦痛も、何もなかった。薄っすらと微笑みを浮かべるその表情は、今の彼女の覚悟の強さを物語っているようだった。
だからこそ私は、それを受け入れることが出来なかった。
「そんなの……おかしい、よ……」
全てを投げ出してしまいそうなほどに、全身から力が抜けていく。不意に膝が落ちて、前の床に卒倒してしまいそうになる。でも、そんな私を、アナが優しく肩を抱いて受け止めてくれた。
「あ、アナ……」
「アリサちゃん、大丈夫かい……?」
「ね、ねえ、アナからも、でみ子ちゃんに言ってよ……。こ、こんなの、おかしいでしょ? アナだって、エア様に会えないのなんて……おかしいって思うでしょう? だ、だから……」
懇願するようにすがりつく私に、アナは、いつも通りのイケメンフェイスで応えた。
「僕たちはみんな、もう心を決めてるんだよ……」
「そ、そんな……」
どうして……?
だって、だって……。
ここまでこれたのは、みんながいてくれたからなんだよ……?
アナが私に心の精霊の活性化をかけてくれたから、私は『相対性理論』を思い出すことが出来た……。でみ子ちゃんがいてくれたから、そのアイデアを実現出来た……。アキちゃんも、宇宙飛行士ちゃんも……。みんながいてくれたから、私たちは、エア様を助けることが出来るんだよ?
それなのに、どうしてそんなことを言うの……? どうして、私だけしか行けないの……? こんな、何も出来ない最悪な私しか……エア様に会えないなんて……。
「それは違うよ、アリサちゃん……」アナは、優しく微笑む。「僕たちは、君がいてくれたから、この方法を選ぶことが出来たんだよ……。君だからこそ、姉さんを助けられるって信じているんだよ……」
「そ、そんなわけ……ないよ……」
そうだよ。だって私は、最悪な人間で……関わる人みんなを不幸にしちゃうんだよ……? そんな私が、エア様のことを助けるなんて、そんなの出来るわけないんだよ……。きっと、みんながいてくれなきゃ、エア様を助けるなんて……。
「君に初めて会った時から、僕は分かっていたよ……君が、どれだけ優しい人かってことがね……」
「違う……違うよ、私は……」
「君は、『亜世界を結合させる力』を持っている……。そして、この『亜世界』に来たのも、それが目的だった……」
「あ、アナ……」
「でも、君はそのことをずっと、引け目に感じていたよね……。その力を呪われた力と思って、決して、姉さんに対して使おうとしなかった……。『1周目』に姉さんが死んでしまった後でさえ、君はその力を使うことを、考えすらもしなかった……」
「だ、だってそれは……。そんなことをしたら、この『亜世界』が……」
「『亜世界』を結合すると、結合された方は無くなってしまう……。この『亜世界』が、消滅してしまう……。だから君は、それだけはしたくなかったんだよね……? 『亜世界』を結合しないで、姉さんを救いたいって思っていた……。この『亜世界』がこの『亜世界』のままで、姉さんや僕たちは生きていけるはずだって考えた……。それってつまり、この『亜世界』を……姉さんの世界を、守ろうとしてくれたってことだよね……」
「違うよ……。私は、そんなつもりじゃ……」
私はただ、怖かっただけだよ……。
この世界を結合させてしまって、また、前の時みたいに誰かを傷つけてしまうのが……。
誰かの世界を壊してしまうのが、怖くて……それで、何も出来ずにいただけで……。
「同じことだよ……」
アナが、私の心の声に直接応える。
「君は、姉さんの世界が消滅してしまうのを恐れた……。世界が消滅して、姉さんが傷つくのを恐れた……。だから、自分の力を使わなかったんだ……。よく知りもしない、会って間もない姉さんを、君は守ろうとしてくれた……。姉さんの考える世界を、大事に思ってくれたんだ……。それは、僕たちの姉さんへの想いと、同じものだよ……」
そのときの私には彼女のその言葉が夢の中で聞いているように思えるほど、ぼんやりと聞こえていた。
「君がいたから、僕らは姉さんの気持ちを改めて知ることが出来た……。僕らの姉さんへの気持ちも、確かめることが出来た………。君は、姉さんと僕らの心を、繋いでくれたんだ……。それは、姉さんや僕たちの世界を守ろうとしてくれた君だからこそ、出来たことなんだよ……」
「そんな! 私は、貴女が思っているような人間じゃ……」
何かを言おうとする私の口に、アナはそっと人差し指をあてる。そしてにっこりと笑ってから、言った。
「きっと……君が持っている力は、呪われた力なんかじゃない……。君の力は、『亜世界』を消滅させる力なんかじゃなく、2つの『亜世界』同士を繋ぐことが出来る力なんだ……。2つの世界の想いを、1つに出来る力なんだよ……」
『亜世界』を、繋ぐ……?
今まで、そんなこと考えてもみなかった私は、一瞬呆然としてしまった。アナは小さく頷くと、私の口に置いた指を外してから、微笑んだ。
「……だからどうか、世界を繋ぐことを、恐れたりしないで……。姉さんと僕らの世界を繋いでくれたアリサちゃんなら、きっと、全部うまく行くから……。姉さんのことも……元の世界の、友達のこともね……」
「そ、それって……」
元の世界の友達って……それって、『あの娘』のこと……?
「そう……。君ならきっと、彼女とも仲直り出来るよ……」
私の心を読むことが出来る彼女は、私がずっと抱えていた心の悩みにも、気付いてくれていたらしい。
そして今、それを励ましてくれている……私が、『あの娘』とまた仲直り出来るって、言ってくれているんだ。『あの娘』を傷つけてしまった私でも、まだ出来ることがあるって、教えてくれているんだ……。
それは、とても嬉しいことだった。他人に悩みを分かってもらうことが勇気に繋がるってことを、私はそのときの彼女から、教えてもらえた気がした。
「ふ、ふざけんななのーっ!」
そこで突然、耳をつんざくような声が響いた。アナの後ろにいた宇宙飛行士ちゃんが、泣きべそをかきながら叫んだんだ。
「あたちは、こんなヤツ認めないなのっ! コイツだけがお姉に会えて、あたちはお姉に会えないのなんて、絶対にいやなのっ! ふざけんじゃねーなのーっ!」
彼女は、涙でいっぱいの顔をくしゃくしゃにして、肩を震わせている。……それは、そうだろう。
だって彼女は、他の娘たちとは違うんだ。他の娘たちはもう十分に大人で、エア様を助けるためなら自分が苦しむような選択肢を選べるかもしれない。でも彼女は、長寿のエルフとしては子供で、まだまだ甘えたい年頃なんだ。だから、自分がエア様に会えないのなんて、耐えられるはずがなかったんだ。
また自分の中で、罪悪感のような気持ちが、大きくなっていく……。
その、欲しいものが買ってもらえなくて、悔しさいっぱいの子供のような彼女の様子に、私は申し訳なくなって…………、
「だけど……だけど……だけど……」
……いや、違う。そうじゃない。
「お姉が助かるにはこれが1番いいって……あたちだって、分かってるなの! だ、だから、お姉のために、今は我慢するのっ! お姉にもう1度元気になって欲しいから! お姉のことが、大好きだから……だから、あたちは今は……今だけは……」
今の彼女は、ただの駄々っ子なんかじゃなかったんだ。
「でもっ! でもでもでもっ! あたちは、絶対にあきらめたりしないのっ! こんなのより、もっともっといい方法を見つけて、自分の力で、お姉に会いに行くのっ! 絶対に、お姉に会いに行って……それで……それでお姉に、ちゃんと……あたちのこと……ほめてもらうんだからああああぁぁぁーっ!」
展望台の床に座り込んで、わーわーと大泣きを初めてしまう彼女。
でもそれも、自分の思い通りのいかないことに泣くだけの、子供じみたわがままなんかじゃなかった。それは、しっかりと自分の望む未来を見据えた上でどんなにつらくてもその夢に向かっていくと宣言する、強い心の持ち主の姿だったんだ。
「彼女の、言う通りだよ……」
泣きじゃくって話せなくなった宇宙飛行士ちゃんの背中をなだめながら、アナが言葉を継ぐ。
「アリサちゃんは、何も心配しなくていいよ……。だって僕たちはまだ、姉さんのことを諦めたわけじゃないんだから……。今は確かに、この方法でしか姉さんを助けることが出来ない……。アリサちゃんしか、姉さんに会いに行くことが出来ない……でもね……。もっと時間をかけて、一生懸命考えれば、僕たち全員がもう一度姉さんに会うことが出来る方法だって、見つかるかもしれないよね……? このまま諦めちゃうなんて、勿体ないよね……? はは……案外、最終的に見てみたら、結局僕たちが今いるこのパターンが『最良のパターン』だった……なんてことだって、あるかもしれないよね?」
そういって、おどけて見せるアナ。
でもその瞳からは、静かに一滴の涙が流れていた。きっとそれは、彼女自身にも制御できなかった、感情の発露だったんだと思う。
「うん……。私も、そう思うよ……」
私は自然と、彼女にそう答えていた。
「さあ……そろそろ本当に、心の準備が出来ましたか?」
でみ子ちゃんが後ろから、私の肩に手をかけた。
私は振り向いて、彼女の方を見る。彼女の瞳も、うっすらと水分が溜まっているように見えた。
「でみ子ちゃん…………」
みんな、もうとっくに分かっていたんだ。
これ以外に、エア様を助ける方法がないってことに。自分たちは、エア様に会いに行くことは出来ないってことに。
それでも、エア様を助けることが出来るなら……って、決断してくれたんだ。
私も、もう気づいてきていた。
本当に、今の私たちにはこの方法しかないんだってことが。
こんなに辛い決断をしてくれたみんなの想いを、無駄にしちゃいけない。みんなの想いを、ちゃんとエア様に伝えなきゃいけないんだってことが……。
最後の一押しとして、私は、気になっていることを聞いた。
「あ、アキちゃんは……? アキちゃんも、このことを、納得してくれているの……?」
「……」
え……?
でみ子ちゃんは、答えない。
「ま、まさか、彼女は……こんな方法望んでないの……? こんな方法しか残されてないことを怒ってて、それで、今ここに来てなくて……」
「ふふ……」
そこで、何かを言いたげに小さく笑うでみ子ちゃん。
その理由は、すぐに分かった。
だってそのとき、遠くの方からかすかに聞こえてきていたから。マイクやスピーカーを通さずに、風に乗って届く、アキちゃんの歌声が……。
……むぎゅ~っとぉ~ 貴女の肉体に~ 溺れてみ~る~……。
……ぷにゅ~っとぉ~ ステキな弾力 肌ざわりぃ~……。
「こ、これって……」
「珍しいことですよ……姉様もいないのに、あの娘がこんなに本気になって歌うなんて……」
「アキちゃん……」
「あの娘だって、当然、もう覚悟は出来ているのです……。ただ、あの娘の場合は、少し素直じゃないみたいですけどね……」
それは、可愛らしい彼女にぴったりの、とっても可愛らしいアイドルソングだった。
「もう……こんなときに、アキちゃんってば……」
少なくとも私が気付いた範囲では、彼女がその歌声に、『芸術家』の職能で何かメッセージを乗せているようなことはなかったと思う。それは本当に、ただの歌でしかなかったように思う。
でも、ただの歌だからこそ私には、そこに込めた彼女の気持ちが、はっきりと伝わってくるような気がした。
彼女が本当に、エア様のことが大好きだってこと……。
そしてそのためになら、どんなことだってできるってことが……。
「でみ子ちゃん」
アキちゃんの歌をBGMに聞きながら、私は宣言するように、でみ子ちゃんに言った。
「1つだけ、約束して……」
彼女は口だけを動かして、「何でしょう?」と尋ねる。
「絶対に、エア様のことを諦めないで。今は、私しか過去に戻れないんだとしても……。今は、この方法でしか、エア様を助ける方法がないんだとしても……。みんながエア様に会える方法は、他にも必ずあるって、絶対にそれを見つけるって、約束してよ」
「ふふ……また貴女は、そうやって面白い事を言うのですね……」
「それを約束してくれなきゃ、私はみんなのことを後悔しちゃう……。私の後向きな気持ちで、みんなの気持ちを忘れちゃうよ……。だから、お願い……みんなが私のことを信じてくれたように、私も、みんなのことを信じさせてよ」
「ふ……私たちが姉様にもう1度会うなんて……そんな都合のいい、出来すぎな話が……そんなことが起こる未来なんて……」
でみ子ちゃんは、そこで言葉を切って小さく笑う。
展望台に爽やかな風が駆け抜けて、彼女の三つ編みを撫でる。彼女は目を細めて、それを気持ちよさそうに受けてから、
「そんな未来は…………不可避に決まってるでしょう?」
と言った。
「うん……」
それで、私の覚悟は決まった。
「それがきけて、良かったよ……」
みんなを置いて、1人で、エア様を助けるために過去に戻ることを決意した。
それから私は、でみ子ちゃんに案内されるまま、その展望台の床に開いた穴に飛び込んだ。
高い高い『亜世界樹』のてっぺんから、根っこに向かって落ちていく感覚は、とても不思議な物だった。
周囲を幹に囲まれたその穴の中は、まるで、『亜世界樹』エレベーターの中にいるように真っ暗。ただ、エレベーターにはちゃんと固い足場があったのに対して、落下していくだけの今は、そんなものはない。寄る辺なさは、浮遊感と不安感に繋がっていく。
……でも、しばらくするとそんな感じはなくなってきた。
『錬金術』によって体を精霊に『分解』されているわけだから、だんだん体が小さくなっていくような感じになると予想してたんだけど……実際はその逆。自分の体が『亜世界樹』と同化していくような、まるで、自分が『亜世界樹』になってしまったような、しっかりと大地に根を下ろした安定感を感じるようになってきたんだ。
手脚や体の感覚は無くなっていって、自分の意識もおぼろげになっていく。代わりに、手のひらを流れる血流を太陽にすかして見ているときみたいに、『亜世界樹』を通る精霊の信号が薄っすらと感じ取れるような気がしてくる。そしてその信号は、私の頭の中に古いビデオテープの映像のように、ぼんやりとしたイメージを形作り始めていた。
それは、『亜世界樹』が、今までこの『亜世界』であった出来事を再生しているように、私には思えた。
エア様が、まだ小さい妹ちゃんたちが遊んでいるところを、笑顔で見ているような光景……。
エア様が、宇宙飛行士ちゃんが宇宙から帰ってこないことに心を痛めて、1人で部屋で泣いている光景……。
エア様が、妹ちゃんたちみんなのことを、心の底から愛おしそうに見つめている光景……。
エア様が、自分の想いを伝えたアキちゃんに何かを言って、彼女を悲しませている光景……。
そして、そのことを知って落ち込んでいる、エア様の姿……。
きっとその中のいくつかには、エア様が『捨てパターン』にしてきた光景もあるのだろう。誰かが傷ついて、悲しんでいる、『最良のパターン』と比べたら、どこか劣るようなパターンも……。
でも、私はそんな光景も、全部意味があるものだと思えた。切り捨てて、なかったことになんて出来ないものだと思えた。
だって、『全てのパターン』を計算して、その中から『最良のパターン』を算出するっていう『亜世界樹』の計算は、まだ終わってないんだもん。『最良のパターン』なんて、まだ誰にも、分からないはずなんだもん。
だから今の私には、その全てのパターンには、みんなが幸せになれる可能性だってまだ残ってるんだって、思えたんだ。
体をバラバラに『分解』されていき、意識はどんどん遠のいていく。
体を動かすことはもちろん、何かを考えることさえも、出来なくなっていく。
自分の存在ごと、ぼんやりと薄まってしまったような、そんな感覚の中…………何故か、アキちゃんの歌声だけは、ずっと聞こえ続けているような気がした。
………………
むぎゅ~っとぉ~ 貴女の肉体に~ 溺れてみ~る~
(はあ… はあ…)
ぷにゅ~っとぉ~ ステキな弾力 肌ざわりぃ~
(カイ… カン…)
でも、も~っと~ 大事なこと知って下さい!
それは あ・な・た・が そばにいてくれること なのっ!
(ダイ! スキ!)
……だからっ!
ディスタンス×ディスタンス いらないわっ!
プレシャス×スペシャル 思い出作ろっ!
もっと~ 私 たちは 分かり合えるよ!
だって
シスター×シスター! 大好きよ
シスター×シスター! 貴女が何て言っても~
貴女は~ あたし~ たちの~ かけがえのない……
憧れの人 おね~ちゃんっ! いぇいっ☆
………………
それは本当に、何度聞いても最高にバカらしい歌詞で、同時に……みんなの気持ちがつまった最高に素敵な曲だと、思った。




