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「はあぁぁぁぁぁー?」
私の言葉に反応したのは、アキちゃんだった。
「まあ、十中八九ろくでもないことを考えてるとは思ってましたけど……想像以上でしたわ! あんた、言うに事欠いて、何を馬鹿なことを言っちゃってるんですのっ!? あり得ないじゃない! そんなこと、あるわけないじゃない! これ以上そんな下らないことを言うようなら、あんたの体をバラバラにして『亜世界樹』の肥料にしますわよ!?」
「い、いや……だから私もまだ、そんなに自信があるわけじゃないって……」
「ああもうっ! 汚らわしい野猿の話なんか、真面目に聞くんじゃなかったっ! 気分が悪いわっ! ねえ、貴女たちもそう思うでしょうっ!? こんな、あり得ない馬鹿みたいな話をして私たちをからかうなんて、趣味が悪いとしか言いようがないですわよねっ!? ……ね、ねえ!?」
残りの2人に同意を求めるアキちゃん。でも、2人は何も答えない。
「ちょ、ちょっとっ! 何で黙ってるんですわっ!? 貴女たちも早く、こいつのことを馬鹿にしなさいよっ! そんなことあり得ないって言って、こいつを罵倒しなさいよっ!?」
それでも、2人はまだ黙っている。アキちゃんの顔に、だんだん焦りが増えていく。
「ほ、ほら! 早く……早くこいつを非難してよ! 否定、してよ……! だ、だって、そ、そうじゃないと私……わ、私……、こいつの馬鹿な妄想を、信じてしまいそうで……。や、やめてよ……。変な期待を、持たせないでよ……」
「……」
やっぱり、2人は何も言わない。
きっと、アナは私の心を読んだから。そして、でみ子ちゃんは、これまでの私の行動から、私がそんな変な冗談を言う人間じゃないって知ってるから。だから、何も言わないんだと思う。
私の言葉を、少なからず信じてくれている。彼女たちもやっぱり、少しは私に期待をしてくれているんだと思う。
もしかしたら私はここで、「うっそーん! やっぱり冗談でしたー!」なんて言っておどけた方が、いいのかもしれない。
だって、そう言ってこの「考え」を取り下げてしまえば、もちろんその時点でアキちゃんにはボコボコにされるだろうけど……でも、彼女たちに無駄な期待を持たせることはなくなる。散々期待させた挙句、やっぱりダメでしたー、ってことになって、がっかりさせてしまうことはなくなる。
でも。
そんなことをしたら私は、多分自分自身を許せなくなる。私を少しでも信じてくれる人がいるのに、その人の気持ちを無かったことにしてしまうから。エア様のことが大好きな自分自身を、裏切ってしまうことになるから。
だから私は、言葉を続けた。
もうとっくに、みんなを苦しめる覚悟は出来てたんだ。
さっきは私にいろいろと言っていたアキちゃんも、今はかすかに震えながら、黙って私の方を見つめている。私の視線は、彼女が抱きかかえている小さな女の子、宇宙飛行士ちゃんに向けられていた。
「最初のとっかかりは……『宇宙飛行士ちゃんが空から落ちてきたとき』だったの。だって、よく考えるとあの時の宇宙飛行士ちゃんの台詞って、ちょっとおかしかったよね……」
「おかしい……? 何が、おかしかったですか?」
でみ子ちゃんが、刺すような鋭い視線を向けて、私に尋ねる。その表情は、さっきの馬鹿話をしていたときとはまるで別人だ。そんな彼女の期待に応えられるように、私は頭を整理しつつ、答えた。
「ここにやってきた時の、宇宙飛行士ちゃんの台詞はね……彼女、こう言ったんだよ? 『予定よりちょっと遅れたけど、帰ってきた』、って……」
「……。分かりませんね。それの、何がおかしいのでしょうか? 何もおかしいところなど、ないと思いますけれど?」
「ううん。おかしいよ。絶対おかしいよ」
私は力強く首を振る。
「だって、宇宙飛行士ちゃんが帰ってくるのが遅れたのは『ちょっと』じゃないでしょ? 800年間でしょ? 1000年前に生まれたエルフちゃんたちにとっての800年って言ったら、人生の80%だよ? それだけの長い間、大好きな人に会えなかったのに、それが『ちょっと』なわけないじゃん!」
そうだ。
それが、さっき私が考え事を始めたきっかけ。私が感じた、違和感だ。
だって4人の妹ちゃんはみんながみんな、エア様に愛されていて、エア様のことも大好きなはずなんだ。だから、そんな彼女たちにとってエア様に会えない時間は、耐えがたい苦痛のはず。とても、『ちょっと』なんて言葉で表せるはずがないんだ。
『1周目』に、『建築家』として私が初めて会ったときのアキちゃんは、エア様に会えなかった15時間(正確には、彼女は『芸術家』としてはエア様に会っていたわけだから、会えなかったのは3時間だけど……)のことを、「100年にも1000年にも思える」って言った。本当の時間よりも、何千倍も、何万倍も、長く感じたって言った。それが、普通なんだ。
エア様のことが大好きで、少しでも長くエア様に会っていたかった妹ちゃんたちにしてみたら、エア様に会えなかった時間を長く感じることはあっても、短く感じることなんてあるはずがない。それはもちろん、エア様が死んでしまったことで、でみ子ちゃんみたいに取り乱してしまった宇宙飛行士ちゃんにしても、同じだったはずなんだ。
なのに、あのときの彼女は「ちょっと遅れた」と言った……。
「そ、そんなの単純に、この娘が適当なことを言っただけじゃないんですの……?」
アキちゃんは、自分の胸の中でぐっすりと眠っている宇宙飛行士ちゃんを見ながら、そんなことを言う。
「うん……。それは、もちろんそうかもしれない」
私も、それを否定することは出来ない。
「その台詞が……宇宙飛行士ちゃんが特に何の意味もなく言っただけって可能性は、充分にあると思うよ。宇宙飛行士ちゃんなら、深く考えずにそういうことを言っちゃいそうな感じもあるし…………でも、もしも、そうじゃなかったとしたら?」
「そう、ではない……?」でみ子ちゃんは、怪訝な顔をする。「つまり、『アストロノート』がわざと私たちにそんな嘘をついたということですか? 一体、何のために? それこそ、意味が不明で……」
「違うよ……。宇宙飛行士ちゃんが嘘をついたんじゃないんだよ。もちろん、彼女が本当はエア様のことを好きじゃなかった、なんてはずもない。そうじゃなくってさ……つまり、宇宙飛行士ちゃんにとっては、『本当にちょっとしか経ってなかった』んだとしたら?」
「え……」
でみ子ちゃんとアキちゃんが、同時に声を上げた。アナだけは、既に私の心を読んでいるからか、相変わらず何も言わずにこちらを見つめている。
「そもそも……私はすぐにおかしいと思うべきだったんだよ。だって宇宙飛行士ちゃんは800年前に宇宙に飛び立って、今になってやっとここに戻ってきたんでしょ? だったらそれって、宇宙飛行士ちゃんは他の妹ちゃんたちとほとんど『同い年くらい』ってことじゃん。詳しい生年月日を聞いたわけじゃないから分からないけど……1000年前に生まれた妹ちゃんと、800年前に宇宙に飛び立った宇宙飛行士ちゃんは、年齢的にはそれほど大きな違いはないはずでしょ? ……なのにどうして彼女は、直径50cmしかない宇宙船に入ってこれたの? どうして今、アキちゃんは彼女を抱きかかえることが出来てるの? どうして、他の妹ちゃんたちより明らかに『幼く』見えるの……?」
そこでアキちゃんが、ぼそりとつぶやくように言う。
「た、確かに、そう言われればそうですわ……。よく考えてみれば……どうしてこの娘、800年前に私たちと別れて宇宙船で飛び立った時から、『全然見た目が変わってない』のかしら……?」
やっぱり……。
その言葉で、私は確信した。
3人の妹ちゃんたちは、みんな1000年前に生まれた。そして、1番幼い末の妹の宇宙飛行士ちゃんは、800年前に宇宙に飛び立った。つまり、他の3人と宇宙飛行士ちゃんの間には、最大でも200年の年齢差しかないはずなんだ。エルフにとっての200年とか800年とかが、人間に換算するとどんな意味を持つのかはわからないけど……。単純計算するなら、でみ子ちゃんたちが私と同年代の15歳だとしたとき、宇宙飛行士ちゃんは12歳くらい。つまり、中学生と高校生くらいの差しかないはずなんだ。
でも実際には、他の妹ちゃんたちはちゃんと私と同い年くらいの容姿なのに、宇宙飛行士ちゃんは小学校低学年くらいにしか見えない。そんなの、普通に考えたらおかしいじゃん。もしも、それを説明することが出来るとしたら……。
私はそこで、自分の考えを越えた、その『理論』を口にした。
「わ、私の世界には、『相対性理論』っていう言葉があってね……。それは、『時間』は誰にとっても同じじゃなくって、場所とか状況によって、『流れ方が変わる』っていうことを説明してるんだよ……。その理論によると、もの凄く速い速度で飛んでいる宇宙船とかの中だと、地上よりも時間はゆっくりに流れるんだってさ……。で、今までの宇宙飛行士ちゃんの姿や言動を見る限り、この『亜世界』でも、その理論が通用するってことを意味してるとしか、思えなくってさ……つ、つまり、つまり……」
そこで、少し心を落ち着けるように、一旦間を置いてから、
「宇宙飛行士ちゃんにとっては、本当に、800年なんてまだ経ってないんだよ。彼女にとっては、まだ地上から飛び立ってから『ちょっと』の時間が経っただけ。つまり、みんなと宇宙飛行士ちゃんは、全然別の時間の流れを生きてきたってことで……だ、だから……だから……」
だからこれを応用すれば、エア様が死んでしまう前に戻れるタイムマシンだって……!
そう、言おうとしたとき。
「はは……」
でみ子ちゃんが、口から息をもらすように、小さく笑った。
「で、でみ子ちゃん……?」
彼女は、さっきも少し見せたような、穏やかな笑顔を作っている。そして、その表情のまま、
「貴女は……面白い人ですね……」
と言った。
「え……?」
「きっと、貴女が今言ったことは全て真実ですよ……。つまり、この『亜世界』においても、貴女の言う『相対性理論』は、通用します。……素晴らしいですね。私たちは今まで、『アガスティア』によって厳密に区切られた毎日を生きてきました。だから、時間は誰にとっても平等だと思いこんでいて、さっき貴女が言ったような理論を思い付くことなんて、出来なかったのです……。人間の貴女よりずっと長く生きてきたはずなのに、貴女に言われるまで、そんなこと考えもしなかったのです……。貴女は、凝り固まったそんな私たちの考えを、いとも簡単に変えてくれた……」
「いや、いとも簡単、って訳でもないけど……」
「貴女と、もっと早くそんな話を出来たなら……。もっと早く、私たちが知らないそんな物の見方を教えてもらっていたなら、良かったのに……。そうすれば、もしかしたら私たちは本当に、姉様を救うことだって出来たかもしれないのに……」
「で、出来るよ! 今からでも!」
遠くを見つめるでみ子ちゃんに、私は慌てて、さっき言おうとした言葉を続ける。
「だから、宇宙を飛んでいた宇宙飛行士ちゃんの時間が遅れたってことは……その応用でさっ! 彼女の宇宙船よりも、もっともっと速く移動できるようなものがあれば、時間はどんどん遅くなっていくってことでしょっ!? そんで、最終的には時間の経過が0になっちゃって、そのうち、マイナスになっちゃって……そうしたら、過去に戻ることだって出来るように……」
「ダメ、なんですよ……」
そこで、でみ子ちゃんは、力のこもっていない声でそう言った。
「え……」
「確かに、貴女の言う理論に基づけば、時間の進みを遅らせることは出来るでしょう……。それから恐らく、時間の進みを速めて、未来に行くことも可能です……」
「じゃ、じゃあやっぱり、過去に戻ることだって……」
「でも、過去に戻るのは、それらとは全く別の次元の問題なのです……。移動の速度をどれだけ速めても、時間の進みは決してマイナスにはならない。その理論では、『既に起こってしまった事』を覆すなんて、出来ないのですよ……」
彼女のその言葉は、テンションのあがっていた私に頭から冷や水をかけて、完全に沈静化させてしまった。かすかに開きかけていたと思っていた望みは固く閉ざされて、私が描いた都合のいい妄想は、エンディングを待たずにそこで強制終了されてしまった。
「さっきは、『姉様の死をなかったことにするな』なんて言っていたのに……その舌の根も乾かないうちに、今度は『姉様が死ぬ前に戻る』、なんて……。貴女は、本当に面白い人です……」
「…………」
私は何も言えない。だって、彼女の言う通りだから……。
さっきは偉そうな事を言ってたくせに、本当の私は、ここにいる誰よりも、エア様の死を受け入れることができていなかったんだ。こんな、あり得ないほど後ろ向きな思い付きに、すがりついてしまうくらいに……。
「貴女は、種族も、見た目も、考え方も、私たちとは全然違う。……でも一方では、私たちと同じように未練がましく……それでいて、私たちよりも遥かに壮大に、姉様の事を想ってくれているのですね……」
もしかしたら、エア様を救うことが出来るかもしれない……。
そんな、あり得ない妄想を口走って、みんなに無駄な期待を持たせてしまった。結局私は、みんなをがっかりさせてしまっただけだったんだ。
「ああ……本当に、残念ですね……」
「……ごめん」
私はでみ子ちゃんに謝る。そんなことをしても意味なんてないって分かっていても、そうしないでいることは出来なかった。
それから、他の2人にも、
「アキちゃんと、アナも……ごめん。なんか、バカなこと言っちゃって……」
と、謝った。
怒られる覚悟はあったし、激昂したアキちゃんに殴り倒されたとしても、反論の余地もないと思った。けど……。彼女たちはうつむいたまま、何も言わなかった。
でみ子ちゃんは優しく私に微笑みながら、言う。
「どうか、謝らないで下さい……。貴女の教えてくれたことは、とても夢のある話でした……。たとえ一瞬でも……そんな夢を見せてくれたことを、私は感謝しています……」
「で、でも……」
「だって今の私たちにはもう、どうあがいても、夢の中くらいでしか姉様に会うことなんて出来ないのですから……」
「でも……」
彼女の微笑みの奥に、溢れだしそうなほどの悲しさがつまっていることに、私は気付いていた。でも、それに気付いていたからと言って、私なんかにはどうすることも出来なかった。
私が口走った馬鹿な妄想でさえ夢に思えてしまうほどの、「大事なものが欠落した」彼女たち。そんな彼女たちを救うことなんて、誰にも出来るはずがなかったんだ。
だから私はただ、悲しい笑顔を浮かべるでみ子ちゃんの言葉に、静かに耳を傾けることしか……。
「姉様を夢見ること……そのことだけが、今の私たちの生きる意味です……。例え、その夢が永遠に現実になることはないとしても……。物体が光の速さを超えることが出来ない以上、過去に戻って姉様と再び会うなんて、出来るはずがないとしても……」
「え?」
その瞬間、私とアキちゃんとアナの3人が、そろって声を上げた。
でみ子ちゃんはそれに気付かなかったのか、変わらずに言葉を続けようとする。
「その夢はきっと、これからの私たちにとっての力となるでしょう……。あまりにも頼りなく、あまりにも残酷な力となって……」
「ちょ、ちょっと待って……」
「私たちは、これからもそんな夢を持ち続けながら、この辛い現実を生き続けるしか……」
「で、でみ子ちゃん……ちょっと、待ってってば……」
「……はい?」
そこで彼女は、私の方を見る。私は、声を震わせながら続ける。
「で、でみ子ちゃん、い、今……なんて言った?」
「……? だから、夢を持っていれば力になるから、と……」
「そ、そうじゃなくて……その1つ前……」
「…………?」
意味がわからない様子の、でみ子ちゃん。でも、さすが頭がいい彼女は、それからすぐに私の聞きたい言葉を返してくれた。
「1つ前? それでは…………物体は光速を超えることが出来ないから、過去には戻れない、という方ですか?」
私の声は、更に震えを増していく。
「か、か、過去に戻れないって言ったのは、光速を越えられないから、なの……? じゃ、じゃ、じゃ……じゃあ……それって……逆に言うとさ……。も、もしも、光速を越えることが出来るなら……」
「はは……」彼女は、呆れたように笑う。「また貴女は、そんなことを言うのですね……。まあ、貴女にはさっきの『相対性理論』についての理解が不足しているようですから、知らないのは仕方がないのかもしれませんが……。残念ですが、光というのは、この世界で最も速く動くことが出来るものなのです。つまり、光速を越えることなんて、どんなことがあっても絶対に……」
「あ、あるじゃん……」
「え……」
今度はでみ子ちゃんが、そんな風に声をあげてしまう。ずっと黙っていた他の2人の妹ちゃんも、そこで、私に同調する。
「うん、アリサちゃんの言う通りだね……」
「ちょっと、『研究者』……貴女こんなときに、何すっとぼけたこと言ってるんですわ?」
そして、
「貴女たちこそ、さっきから何を言って…………あ」
でみ子ちゃんも、そこでようやく気付いたようだ。彼女は慌てて、『私が見ている方向』と、同じ方に顔を向けた。
今の私の視線が向けられていたのは、でみ子ちゃんを通り越した、その先にあるものだ。この『亜世界』を象徴するような、恐ろしく大きな…………。
「こ、この『亜世界』には……あ、あるんでしょ? すごく身近に……光よりも速く、動けるものが……」
それは、私がこの『亜世界』にやってきた1番最初に、エア様が教えてくれたことだった。
それがあまりにも突拍子もないことで、しかも、あれからあんまりにもいろんなことがあったせいで、私はすっかり忘れてしまっていた。それが、たった今でみ子ちゃんの言葉を聞いて、思い出した。
『亜世界樹』の中では、精霊は光よりも速く動ける。
相対性理論を一瞬で理解しちゃうような、この『亜世界』で1番頭がいいでみ子ちゃん。そのでみ子ちゃんが、言ったんだ。物体が光の速度を超えることが出来ないから、過去に戻ることが出来ない。
じゃあそれって、もしも光の速さよりも速く動ける物があれば、過去に戻ることも出来るってことじゃん。そしてこの『亜世界』には、それがある……。
つまり、つまり、つまり……ほ、本当に……本当に、私たちは……。
「そうか……そうでしたね……は、ははは……」
突然、乾いた笑いを浮かべ始めたでみ子ちゃん。それからやがてその笑いが収まると、はっきりと断言するように、言った。
「どうやら、私たちはとっくに夢の中にいたようです。そろそろ、こんな悪夢から目覚めるとしましょうか…………」




