09
それから。
脳細胞をフル回転させて、私はやっと1つのアイデアを思い付いた。それは、アナの力を借りてこの状況を打開する方法だ。
これなら絶対…………いや、多分……きっと……。
……やっぱり、無理かな。
冷静になって考え直すと、それが随分と無茶なアイデアな気がして、私はすぐに尻込みしてしまった。
だって今のアナは、宇宙飛行士ちゃんの攻撃タイミングを察知してみんなに伝えるのにいっぱいいっぱいで、私の思いつきに付き合ってもらえるような余裕なんてあるわけがないんだ。彼女のサポートがなくなったら、でみ子ちゃんもアキちゃんもすぐに宇宙飛行士ちゃんの攻撃を取りこぼしてしまうだろうし。そうなったら私たちの全滅は確定してしまう。アナの力を借りるっていう前提からして、はなからあり得ないアイデアだったんだ。
やっぱり、私が誰かを助けるなんて無理だ……。
私に出来るのは、他人を傷付けることだけ。私みたいな役立たずは、大人しくみんなの後ろに隠れてればいいんだ。そうすればきっと別の誰かが何か考えてくれる。そうだ。私なんかがこんなところで、馬鹿みたいに出しゃばったりしない方が……。
その時、必死に『分析家』の職能で宇宙飛行士ちゃんの行動を分析していたアナが、チラッと私の方を見た。
そして、短く1回、ウインクをした。
「えっ……」
その瞬間、胸の奥の方から熱いものが込み上げてくるような感覚がした。それから、ぐつぐつと体の中が沸騰していくような錯覚に襲われた。
きっとアナは、心の精霊で私がさっき考えていたことを読んだんだろう。そして、それを肯定してくれた。根拠なんて何もなかったけど、私にはそれが分かった。
彼女は、私のアイデアを肯定してくれている。私に、期待してくれているんだ……!
気付いたときには、私の体は動いていた。
宇宙飛行士ちゃんが攻撃と攻撃の間に作った一瞬に、彼女に向かって一直線に突っ走る。
「ちょ、ちょっとっ!? あのバカ何してんのよっ!?」
「貴女、死にたいのですかっ!?」
アキちゃんとでみ子ちゃんが、揃って声を上げる。心を読めるアナとは違って、2人は私のアイデアを知らない。だから、ずっと大人しくしていた私が突然そんな向こう見ずな行動をとったことで、驚いてしまったようだ。
でもそれは、宇宙飛行士ちゃんにしても同じで、
「な、なのっ!?」
彼女も即座に私に対応することが出来なかった。攻撃も防御も出来ずにいた彼女に向かって、私は飛びかかる。
「つかまえたっ!」
「な、な、な、なんなのコイツっ!?」
宇宙飛行士ちゃんの頭を自分の胸に押し付けて、両腕で強く抱きしめる。急に視界が奪われた上に身動きが取れなくなった彼女は、かなりうろたえてしまう。
「や、やめろなのぉー! 離せなのぉー! やだやだやだぁーっ、気持ち悪いぃぃーっ! 変態貧乳クソ女に襲われるなのぉーっ!」
…………。結構ハートにこたえる台詞が聞こえた気がするけど、聞こえなかった振りをして……私はそのまま全身で彼女を押さえつけた体勢で、心の中で「5属性の精霊を操作」した。
『異世界人』として5属性の精霊を操れる私は、エア様の部屋の鍵を開けることが出来た。それに火の精霊を固定して、アキちゃんの体についた炎を鎮めることだって出来た。だったら、5属性の精霊を固定することだって出来なくちゃおかしいよね? エア様みたいに『亜世界樹』の中の精霊を固定して、鍵をかけることだって出来るだろうし……宇宙飛行士ちゃんそのものに鍵をかけて、彼女の精霊の力を封印することだって、出来るはずなんだ!
バタバタと胸の中で暴れまわる宇宙飛行士ちゃんを逃がさないように注意を払いながら、私は必死に頭の中で念じる。
止まれ、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ…………。宇宙飛行士ちゃんの体内の全ての精霊に、懇願するように命じ続ける。とまれ、とまれ、とまれ、とまれ、とまれ、トマレ、トマレ、トマレ、トマレ、トマレ、トマレぇーっ!
ひと際大きく心の中でその命令を叫んだ瞬間、私の心の中で、かすかに鍵がかかる音が聞こえた気がした。
カチッ。
や、やった……。
思い通りだ。たった今、彼女の精霊が全て固定されたんだ。疑う余地もなくはっきりと、私にはその事が分かった。
これで、宇宙飛行士ちゃんはもう精霊を使えない。もうこれ以上、妹ちゃん同士で争うことはないんだ。私はようやく、みんなを守ることが出来…………。
と、思ったのもつかの間。
宇宙飛行士ちゃんと私の体の間のわずかな隙間に、突然、竜巻のようなものすごく強い風がまき起こった。そして私は紙切れのように、その突風によって勢いよく吹き飛ばされてしまっていた。
私は、つくづく自分の考えの甘さが嫌になった。
だって「5属性の精霊を使えるから5属性の鍵がかけることが出来る」っていうなら。そもそも宇宙飛行士ちゃんだって、5属性の精霊が使えるじゃん。
彼女は800年前にエア様たちから力を借りていて、5属性の精霊が使える。だから私は、彼女にエア様殺しの濡れ衣をかけてしまっていたんだ。だったら当然、私がかけた精霊の封印だって、彼女が解けないはずがなかったんだ。
「うあああぁぁぁーっ!」
数十メートル先まで、緩い放物線を描くように吹き飛ばされた私。やがてその軌道が下降線となって、固い地面に接触しそうになった瞬間……その地面がクッションのように柔らかくなって、私の体を受け止めてくれた。ちょっと前に『亜世界樹』から飛び降りたときのことを思い出すまでもなく、それは明らかに、『建築家』の職能だった。
うーん、さすがアキちゃん! 相変わらずサポートのタイミングが完璧だぜ! 私はすぐに立ち上がって彼女がいた方を振り向きながら、本人にお礼の言葉を伝えようとする。
「アキちゃん、何度もありが……」
でもそこで見た光景に、言葉を続けることが出来なくなってしまった。
「う……うう……」
「……不覚、でした……ね」
3人の妹ちゃんたちがいた場所、つまり、さっきまで私がいた場所は、今は台風が通り過ぎた後みたいにボロボロになってしまっていた。周囲の木々は乱暴になぎ倒され、地面から生えていた雑草は根こそぎ引き抜かれてバラバラになってしまっている。そしてその中心では、3人の妹ちゃんたちが全身にナイフでズタズタに切り裂かれたみたいな傷を負って、ぐったりと横になっていた。
「あ、あぁ……」
きっと、さっきの竜巻だ。飛びかかった私を吹き飛ばすために宇宙飛行士ちゃんが起こした竜巻が、彼女たちのところまで飛んでいったんだ。
私の……せい……。
私が突然飛び出したことに驚いて、みんなの集中力が乱れてしまった。そして、吹き飛ばされた私を助けるためにアキちゃんが職能を使ってしまったせいで、彼女たち自身の防御がおろそかになった。そのせいで、彼女たちは竜巻をもろに食らってしまったんだ……。全部、私のせいだ……。
「そ、そんな……そんな……」
ショックで、その場に膝をついてしまう私。
そんな私のところに、ぷるぷると体を震わせながら、宇宙飛行士ちゃんがやってきた。
「き、き、き、気持ち悪かったのぉ……。すっごく、気持ち悪かったなのぉ……。お前みたいな気持ち悪いやつ、見たことないなのぉ……。きっとお姉が死んじゃったのも、お前のせいなの……。だったらお前も、あいつらと同じように……ボロゾーキンにしちゃうのぉー!」
彼女はそう叫ぶと、両手を空に掲げて、頭上に巨大な炎の球を作り始めた。
ああ……。
だんだん私は、彼女に抵抗する気力をなくしてきてしまっていた。このまま宇宙飛行士ちゃんに殺されてしまうのも、ある意味ではありなのかな、なんて思い始めていたくらいだった。
私のせいで、でみ子ちゃんたちは全身傷だらけになって倒れている。しかもそれをやったのは、彼女たちの妹の宇宙飛行士ちゃんだ。こんな絶望的で救いのない光景を見ているくらいなら、いっそ、死んで楽になってしまいたい……なんて。
全身から力が抜けてきて、頭がぼんやりとしてくる。難しいことを考えるのなんてやめて、全てをなすがままに任せてしまいたくなる。
でも。
でも、それでも私は、立ち上がった。
立ち上がって、宇宙飛行士ちゃんに言った。
「もう、こんなこと止めよう」
「ああぁぁん!? なのぉーっ!?」
「こんなこと、エア様は……貴女のお姉さんはきっと、望んでないよ。こんな風に妹ちゃん同士で争うなんて、あの優しいエア様が、望んでるわけないよ……」
「う、うるせぇーのぉーっ!」
宇宙飛行士ちゃんが、頭上の炎の球を投げつけようと大きく腕を振りかぶる。私は恐怖で一瞬ビクッとして、目をつむってしまいそうになる。でも、なんとかそれに持ちこたえて、彼女の方をじっと見つめた。
きっと今の宇宙飛行士ちゃんは、でみ子ちゃんたちや、この『亜世界』自体を壊すことに、何の抵抗も感じてないだろう。エア様がいなくなった今、この『亜世界』に残されたどんな物にも、もはや価値なんてないって思ってしまっているのだろう。
だとしたら、今私がやろうとしていることなんて、余計なお世話でしかないのかもしれない。エア様のいない地獄のような世界を、妹ちゃんたちみんなで協力して生きていって欲しい。そんなことを願ってしまっている今の私は、ただの自分勝手で無責任なやつでしかないのかもしれない。
ただ、妹ちゃんたちのことを苦しめようとしているだけかもしれない……。
でも、それでも私は諦めたくなかった。
「あ、あ、あ、あたちは、お姉が大好きだったのぉっ! 帰ってきて、お姉に会うのだけが楽しみだったのぉっ! お姉に会えないなら……お姉に会えないなら……こんな世界なんて、全部いらないのぉーっ!」
半ばやけくそ気味になった宇宙飛行士ちゃんが、とうとう私に向かって攻撃を繰り出した。
「そ、っか……」
私は逃げない。逃げるのを諦めたんじゃなく、「覚悟」をしたから逃げない。
やっぱり私は、それがどれだけ辛い世界だったとしても、みんなには生き続けて欲しいと思う。
私がそうだったみたいに……ティオたちを失って落ち込んでいた私が、エア様や妹ちゃんたちと会って、元気をもらったみたいに。妹ちゃんたちもこれからの人生で、いろんな出会いを重ねて、いつかは元気になれるって信じたいって思う。
だってそうじゃないと、私がエア様に出会えた事の意味が、なかったことになっちゃうから……。
だから私は、妹ちゃんたちを苦しめて、彼女たちを辛い世界で生き続けさせるという覚悟を固めた。最後まで、残されたみんなが幸せに暮らせる方法を探すという、決意をした。
みんなのために、エア様のために、そして、自分自身のために……。
「だから今は……ごめんね……」
「死ねえぇぇーっ! なのぉー……」宇宙飛行士ちゃんもそこでやっと、「それ」に気付いたようだ。「……の?」
さっきからずっと、全身から「力が抜けてきて」いて、「頭がぼんやり」としてきているということ……つまり、自分が「強烈な眠気」を感じているということに。
「な、何……なの……?」
パタリ……。
あっという間に立っていることが出来なくなり、バランスを崩して倒れてしまう宇宙飛行士ちゃん。私に向けられていた炎の塊は、彼女が意識を失ってしまったことで形を保てなくなったのか、すぐに空気中に散り散りになってしまった。
倒れていく宇宙飛行士ちゃんの大きな頭が、地面に接触しそうになる。でもその直前、いつの間にか彼女のすぐ後ろにいた「ショートカットのお姉さん」が手を伸ばして、彼女の体を優しく抱きかかえてくれた。
よかった……。ギリギリだったけど、なんとか間に合ったね……。
さっき私は、宇宙飛行士ちゃんが作った竜巻を食らって倒されていたでみ子ちゃんとアキちゃんを見て、すごくショックを受けてしまった。ズタズタにされていた彼女たちの体は、とても見ていられないくらいに痛々しいものだった。
でも実は、その3人の中でアナの体だけは、他の妹ちゃんたちとは違っていた。だってあのときのアナは、アキちゃんが彫刻した木の人形に、でみ子ちゃんが空気を『変換』して作った服を着せた、「ダミー人形」だったから。それはつまり、本物のアナは別の場所にいるっていうこと。私の心を読んだ彼女が、でみ子ちゃんたちと協力して私のアイデアを実行に移してくれていたってことだ。だから私は、アナが目的を果たせるまでの時間稼ぎを出来ればよかったんだ。そうすればあとは、作戦通りに全てがうまくいくって……。
宇宙飛行士ちゃんと同じように、私も耐えがたい眠気に襲われて意識を失っていく。ただ、その朦朧とした感覚の中でうっすらと、宇宙飛行士ちゃんを抱きかかえたアナの姿と、その足元で数種類の草が炎で焼かれて煙を出しているところが見えた。
「ウチに植物を調合させて、催眠ガスを作らすとか……。ほんっま、いっつもいっつもあんたは、しょうもないことばっか考えるねんなー? これやから人間は…………一緒にいて飽きへんわっ」
植物の成分を自由に増幅することが出来る『農業家』のアナが催眠ガスを作って……宇宙飛行士ちゃんを眠らせる……。それが、さっき私が考えたアイデアだったんだ……。
無色無臭で、ちょっと嗅いだだけでも効果があるような強力な催眠ガスを作ることが出来れば……宇宙飛行士ちゃんがいくら風や炎を作り出すことが出来たとしても、気付いた時にはもう手遅れ……「彼女だけ」が、確実に眠ってしまうことになる……。
だって、この『亜世界』で1000年間続いてきた妹ちゃんたちの9時間シフトは、「絶対に変えられない真理」だから……。決まった時間がくれば必ず眠ってしまうし……その逆に、時間がくるまでは……絶対に眠らない……。つまり……9時間シフトをしてこなかった宇宙飛行士ちゃんだけを……眠らせる……こと……が……出来……。
アナが調合した催眠ガスの煙を嗅いだ私は、宇宙飛行士ちゃんと一緒に深い眠りについていった。




