07
「分かって……ましたよ……」
でみ子ちゃんは、頭を抱えて静かに呟く。さっきまでの怒りの感情は消えて、今は感情が死んでしまったようだ。それに合わせるように、いつの間にかアキちゃんを包み込んでいた炎も消えていた。
「そんなこと……とっくに、分かっていたんですよ。姉様が、どれだけ私たちのことを想ってくれていたか。私たちのためになら、ご自分の命をかけるくらいの覚悟をお持ちだということは、分かっていたんです……。分かっていた、はずだったのに……。それなのに……」
「でみ子ちゃん……」
まるで喉の奥から絞り出しているような、苦しそうな声だ。
きっと頭のいい彼女は、自分たちのことを常に想いやってくれる優しいエア様だったら、いつかこんなことが起きてしまうんじゃないかと薄々は思っていたんだろう。だからこそ、それが現実になってしまったことで取り乱してしまった。彼女が本当に許せなかったのはアキちゃんじゃなく、こうなることを阻止できなかった自分自身だったんだろう。
でも、たとえでみ子ちゃんたちがエア様のやろうとしていたことに気付いていたとしても、この結果は避けられなかったと思う。
だって、もしも妹ちゃんの誰かがエア様に、「自分たちのために自殺なんてしないで下さい」なんて言ったとしたら……エア様はきっと、妹ちゃんたちにそんな心配をさせてしまったことを悔やんで、その責任を取ろうとしてしまう。「妹ちゃんたちが自分のことを心配するようなパターンは最良とは言えない」なんて思って、自分を殺してしまうだろう。そのパターンを捨てて、妹ちゃんたちが自分のために心を痛めないパターンの方を採用させてしまっただろう。
だから、これまでエア様の計画が表に出ることは決してなかったんだ。妹ちゃんたちは、エア様のことを心配することなんて出来なかった。したくても、エア様がそれをさせてくれなかったんだ。
「800年……」また、でみ子ちゃんが呟く。「800年ですよ? あの方は私たちの悲しみを消すために、今まで800年もの間、ご自分を犠牲にしてきたのです。そのことの本当の意味が……貴女に、想像出来ますか……? いいえ、出来るはずがないです……。もしも姉様が今の貴女のように、『パターンを飛び越えて記憶を引き継ぐ力』を持っていたなら、まだ良かったでしょうね……。だって記憶が引き継げるのならば、死の瞬間さえも記憶出来るということ……それがどんなに苦しいことだったとしても、何千回も何万回も繰り返していれば、そのうちには慣れて何も感じなくなることが出来るでしょうから。……しかし、姉様はそうではなかった。姉様にとっては、ご自分でご自分を殺すという行為は、毎回毎回、『初めて』の経験だったのです。私たちが何か悲しい思いをするたびに、毒に全身を蝕まれる苦しさを……体をバラバラに引き裂かれる痛みを……自分で自分の心臓を貫くという恐怖を……姉様は『初めて』経験していたのです。今までの数えきれないくらいの回数、その苦痛や恐怖に震えながら、それでも私たちを守るために1度もそこから逃げなかったのです。その凄まじさは、誰にも分からない……分かるはずがないですよ……」
そのときのでみ子ちゃんは、多分、喋ることで気持ちを誤魔化していたんだと思う。さっきまでアキちゃん、そして今は自分を責めることで、他のことを考えるのから逃げていたんだと思う。
それをやめてしまったら、「エア様はもういない」という現実に押しつぶされて、自暴自棄になってしまいそうだったから……。
でみ子ちゃんの隣では、炎から解放されたアキちゃんが、さっきエア様の遺体を見たときと同じように感情を失ってぐったりとうなだれている。アナは、そんなアキちゃんの肌の火傷に何か塗り薬のようなものを塗って治療してくれているみたいだったけど、その表情はやっぱり生気が抜けおちてしまっているようだった。
『昨日』は個性豊かな表情で怒ったり笑ったりしていた彼女たちが、今は、3人とも1つの同じ感情で支配されていた。それは、エア様を失ったことによる虚無感だった。
「……」
彼女たちを、励ましてあげたいと思う。励ましてあげられたら、どれだけいいかと思う。でも、それはあまりにも無責任な考えだ。私ごときにそんなことが出来るわけがない。
だって私が何を言ったところで、もう、全てはどうにもならないんだから。
過ぎ去ったことに対する後悔。何も出来ないことに対する無力さ。腹立たしさ。
でも、今はそれ以上に……自分という人間の持つ限界を改めて思い知らされて、全身が圧倒的な脱力感に包まれている。
結局私は、何も出来ないんだ。
誰かを喜ばせるとか、誰かを助けるとか……そんなこと、私が出来るわけがなかったんだ。
ああ……私、やっぱりこの世界に来なきゃよかったな……。
3人の妹ちゃんたちがうなだれている中。馬鹿みたいに場違いに、私は1人空を見上げていた。
そのとき、だった。
ぉぉぉ……。
「……?」
見上げていた空……というか、今は『亜世界樹』の木の枝に覆われている『芸術家』のライブステージの天井から、何かの音が聞こえてきた。
耳鳴りのような……? でも、それよりはずっと音がはっきりと聞こえてくる気がする。
っていうか、もしかしてだんだん大きくなってきている?
ごおおおおおぉぉぉぉぉ……。
ふと隣を見ると、さっきはうつろだったアナも、その音が聞こえる上空をじっと見つめていた。しかも……、
「はは……ま、まさか、本当に……? よりによって、こんなときに……」
その音の正体が何であるかということには気付いているようで、無理矢理笑顔を作って顔をこばらせている。
「……は、はは……ははは」
「あ、アナ……?」
「……全く、不粋なことです」
「ま、マジですの……?」
少し遅れて他の2人もそれに気付いたらしく、空を見上げてあきれたような顔をしていた。でも、相変わらず私には何が起こっているのかさっぱり分からない。
ごおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!
音は既にかなり大きくなっていて、ほとんど轟音と言っていいレベルだ。イメージとしては新幹線とか電車の駆動音が耳元でなっているような、あるいは……。
そのときアキちゃんが、ふぅーっと吐息を上空に向けて吹いた。すると、上空の『亜世界樹』の枝がカサカサと動いて、覆い隠されていた空が、徐々に見えるようになってきた。
うっすらと雲に覆われた灰色の空。その真ん中に、真っ赤な丸い塊があった。
ごごごごごごぉーっ!
その赤い塊は、どんどん大きくなりながらこっちに向かってきている。轟音は爆音に変わって、更に、耳をつんざくような衝撃波になる。
私が思いつく中でこの感じに一番近い物は……前にテレビで見た、音速を超えるようなジェット飛行機が飛ぶときの音だ。その飛行機が、今は遥か上空からこっちに向かってきているってことで……。
「相変わらず、空気の読めない子ですね」
「何も、今日帰ってくることはなかったのにね……」
「っていうか、マジで生きてたんですのね……」
うろたえた様子もなく、その落ちてくる塊を見ている3人。
よく見るとその塊は、太い木の枝をぐるぐるに巻いて作られた巨大な球体だった。その球が、真っ赤な炎に包まれてこっちに向かってくるんだ。きっとその炎は、大気圏を通ってきたときの摩擦熱で……。
「ね、ねえ……あれって、もしかして……?」
そこでアナがこっちを見て、苦笑いを浮かべながら教えてくれた。
「アリサちゃん、ごめん……。どうやら、僕らの1番下の妹が帰ってきたみたいだね……」
「え……?」
ごぉぉぉぉー!
気づいた時には、その巨大な球体は私たちの目の前までやって来ていた。炎に包まれた木の塊。その熱気が、私のところまで届いてきている。
完全に、こっちに向かって一直線に飛んできているのが分かる。その速さと大きさ。それから、あっけにとられて足を動かすのを忘れてしまっていたせいで、既にどう考えても逃げのびることは出来そうにない。ぶ、ぶつかる……!
と思った瞬間……。
その球体が、勝手に空中でバラバラに分解していった。
いや、本当に分解しているのなら、その破片が周囲に散らばらなくちゃおかしい。そうじゃない。
それはまるで、それを包む炎までも含めて、その「機体」が空気中に溶けていっているようだったんだ。まるで、何層にも重なっていた木の枝が、少しずつ空気に『変換』されているように……。
やがて、玉ねぎの皮をむいていくようにどんどん空中分解を繰り返していったその「ロケットの機体」は、私たちの目の前まで来た時にはすっかり見る影もなく、直径50cmのバランスボールくらいにまで小さくなってしまっていた。落下のスピードも緩やかになっていて、まるで木の葉が舞い落ちるように、私たちの目の前にふわっとおりてくると……。
パリ……パリリ……。
小さなヒビが入って……。
パリィーンッ!
勢いよく砕け散って、中から小さな女の子が飛び出してきたのだった。
「たっだいまなのぉー! 『宇宙飛行士』、無事戻りましたなのぉーっ!」




