02
「『建築家』は木と水と風。『芸術家』は火と心。もしもその2人が同一人物なんだとしたら……1人で5つの属性全部が揃う。エア様のかけた5属性の精霊の鍵を、開けることが出来るんだ」
その言葉を聞いた瞬間、アキちゃんは机にうつぶせている頭をぶんぶんと振って、「ああ! お姉様、ごめんなさいっ!」と叫んだ。
その勢いに、彼女の髪の毛をツインテールにまとめていた紐のようなものが切れる。そのときの彼女の容姿は、ピンクの髪を金色にした、あーみんのようだった。
「私がその可能性に気付いたのは、『2周目』のあーみんのライブ休憩のとき。偶然、休憩室で着替えているあーみんを見ちゃったときだよ。そのときの、下着姿で『カツラを外した芸術家』の見た目は、『建築家』のアキちゃんにそっくりだった……。それで、思ったんだ。2人はもしかして、同一人物なんじゃないかって……」
『3周目』にでみ子ちゃんからエア様の部屋に鍵がかかっているっていう話を聞いた時、実は私は、真っ先にアキちゃんのことを思った。もしかして、5属性の精霊を使えるアキちゃんがエア様のかけた鍵を開けて、彼女を殺したんじゃあ……って。
でもすぐに、そんなことを考える自分を最低だと思った。
エア様が大好きで、お姉さんの彼女のことを誰よりも愛しているアキちゃんが、そんなことをするなんてあり得ない。そう思って、その考えを打ち消そうとした。考えを巡らせて、それ以外にも可能性はあるって思い込もうとした。
彼女を、守ろうとしたんだ。
でも結局、それを最後まで貫くことは出来なかった。
「もちろん精霊の組み合わせだけなら、他の娘たちでも5属性が揃うことはあるよ? 例えば『錬金術師』のけみ子ちゃんは、1人で木水火風の精霊を操れる。だから彼女と心の精霊が使える『分析家』のアナが同一人物だとしたら、それで5属性が揃うことになる……。でもそれは、実際にはあり得ない。だって私は『3周目』にアナと一緒に、けみ子ちゃんが自分の部屋にもどるところを確認してるんだから。……ううん。アナとけみ子ちゃんだけじゃない。私は今まで『昨日』を4回経験して、妹ちゃんたちの姿をいろんな場所、いろんなシチュエーションで目にしてきている。その経験を考慮すると、1人2役が可能……つまり2つの職業の娘が同じ時刻に目撃されていなくて、5属性の精霊が揃う組み合わせは、アキちゃんとあーみんしかあり得ないんだ」
アキちゃんは、まだ机に突っ伏したまま。ときどき何か謝罪のような言葉を呟きながら、嗚咽を漏らしている。そんな彼女に、自分の言葉がどれだけ通じているのかは分からない。それでも私は、一方的に喋り続けた。
「実際に犯行に及んだのは、やっぱり例のアイドルライブの合間の、10分間休憩のときだよね? 『2周目』にも1度、私はその可能性を考えた。だけど、そのときはアナから5属性の鍵のことを教えてもらって少し安心しちゃって、途中からアキちゃんの監視を緩めてしまったんだ。だから実際にはそのあと……つまり深夜の2時以降に、アキちゃんは休憩室を抜け出していたんだね……」
そして、エア様を殺した……。
もしかしたら、最初からこうなることは決まっていたのかもしれない。
間接的にとはいえ、『宇宙飛行士』が死ぬ原因を作ってしまったエア様が、同じ姉妹であるアキちゃんに殺される。そしてそのアキちゃん自身も結局最後には私に告発され、罪を暴かれる。
「間違ったもの」が消えて、「正しいもの」だけが残る世界……。これが、『亜世界樹』の描いたシナリオだったのかもね……。
「『1周目』は毒殺、『2周目』はバラバラ殺人、『3周目』は、木で心臓を突き立てて……。そんな風に、エア様の殺害方法は毎回違っていた。でも、5属性を操れるアキちゃんなら、きっとそれも不可能じゃないよね……。休憩時間10分で死体をバラバラにするのは無理かもしれないけど、休憩は朝になるまでに何回かあるはずだから、1回で無理なら何回かに分けることもできるし……」
もしも、これが『亜世界樹』の描いたシナリオなのだとしたら……。私の役割は、こうやってアキちゃんを追いつめることだ。「間違ったもの」を排除するための、探偵役。そのために、私はこの『亜世界』にやって来たんだ。
「『3周目』のでみ子ちゃんは、『妹ちゃんたちの9時間シフトは800年続いてきた真理』だって言った。『800年続いてきた』から、誰にも変えることは出来ないって。そう考えると、『建築家』と『芸術家』の1人2役も本来は出来ないはず…………でも、もしもこの1人2役こそが、『1番最初』から行われてたことだとしたら? アキちゃんは800年前からずっと、『建築家』と『芸術家』の両方の職業を兼任していたんだとしたら? それなら、800年続いていたから変えられない、っていうことには当てはまらない。むしろこの1人2役こそが、800年続いた真理ってことになるんだから……」
エア様を助けるとか、アキちゃんを守るとか……。
もとから、私はそんな大それたことが出来る人間じゃなかったんだ。私は、存在するだけで人を傷付ける。だから、エア様とアキちゃんを傷付けるために、ここに呼ばれたんだ。最初から誰かを救うことなんて、出来るはずがなかったんだ。
アキちゃんは、何でエア様を殺したの……?
本当は、エア様のことが嫌いだったの……?
そんな疑問が一瞬頭の中をよぎる。けど、私はすぐに打ち消した。
だって、もうすべては起こってしまったことなんだ。エア様は死んでしまって帰ってこない。そして、それをやった犯人は紛れもなくアキちゃんだ。
今存在するのは、そんな残酷な結果だけ。
全ては決定してしまった。どうせ、もう何も取り返しがつかないんだから、今更私が何をしたところで…………。
そこで、私の思考は中断された。
突然、部屋の壁の向こう側から馴染みのある声が聞こえてきたからだ。
「姉様を殺した不届き者は、こちらですか?」
次の瞬間、その声のした壁に小さな穴が開いて、それが徐々に大きくなっていった。今まで散々見てきたお陰で、私にはそれが『亜世界樹エレベーター』だということが、すぐに分かった。もちろん、そのエレベーターの口が開ききったときに、中にいた2人の女の子が、誰なのかということも。
「とんでもないことを、しでかしてくれましたね……」
三つ編みに白衣姿のでみ子ちゃんが、冷たい瞳でアキちゃんのことを見つめながらそう言う。
「……」
その隣のカチューシャを付けたボーイッシュな女の子、『分析家』のアナは、思い詰めた表情で、何も言わずに俯いていた。
「あ、あの、これは……」
今の状況を説明しようと思って、何かを言おうとする私。でも、でみ子ちゃんはそんなの少しも意に介さず、ずんずんと部屋の中に入ってくる。
それから、椅子に座って泣いているアキちゃんのところまでやって来くると……、
「っ!?」
彼女が座っていた木製の椅子を、乱暴に蹴りつけた。
突風にさらわれる木の葉のように椅子は勢いよくふっ飛ばされ、支えをなくしたアキちゃんは、部屋の床にたたきつけられた。
「ちょ、ちょっとっ!?」
私は、でみ子ちゃんのこれまで見たことのない乱暴な姿に驚いて、一瞬硬直してしまう。それから、我にかえって慌ててアキちゃんの元へと駆け寄ろうとする。でも、いつの間にか私の背後にはアナがいて、それを制止されてしまった。
「アリサちゃん、今は下がっていて……」
「で、でもっ!」
「そうしないと、君が危険だから……」
アナの表情は重い。その圧に押されてしまって、私は動けなくなった。
「さて……」
床に転がったアキちゃんを、道端のゴミクズでも見るように見下す、でみ子ちゃん。
「これから私が貴女にすることは……『本当にお前が姉様を殺したのか?』という、質問ではありません。もちろん尋問や、詰問や、拷問の類いでもない……」
言いながら、彼女はタクシーでも止めるみたいに軽く右手を上げた。するとそれに合わせて、床に倒れているアキちゃんの周囲を真っ赤な炎が取り囲んだ。
「で、でみ子ちゃん……一体、何を……」
それは、アキちゃんを逃がさないための檻の役割らしい。アキちゃんは全身を高熱にさらされて、かなり苦しそうな表情だ。
「う、ううっ……お姉様……ごめんなさい……」
それでも。熱さに苦しみながらも彼女は変わらず、涙を流しながらエア様への謝罪を繰り返していた。まるで、自分はこうなるのが当然だとでもいうように。
「今の私に、そのような『問い』は不要です。なぜならば、お前が罪を犯したということも、その罪の重さも。『同じ秘密を共有』する私たちにとっては、とっくに自明なことなのですから。ですから、今の私に必要なのはただ1つ。既に行われてしまった不正に対する、厳正なる罰のみ……」
そして。
そこで私はようやく、気が付いた。本当に、私は大事なことに遅れて気付くんだ。
「『同じ秘密』って……ま、まさかっ!?」
今の状況には、2つもおかしいところがある。
1つは、夕方5時から深夜の2時しか起きていられないはずの『分析家』のアナが、今この場にいるということ。そしてもう1つは、木の精霊しか使えないはずの『研究者』のでみ子ちゃんが、炎を操っているということだ。
本来あり得ないシフト、あり得ない能力……それを説明するには、今まで知らなかった新しい事実が必要になる。それは、例えばアキちゃんのときのような……。
でみ子ちゃんは、右腕の白衣の萌え袖をめくる。そこに現れたのは、『わざとらしいくらいにぐるぐる巻きにされた白い包帯』だった。
「姉様という要を失ったこの『亜世界』に、もはや配慮は不要……。ならばお前を徹底的に痛めつけるために、300年間不出の、この、忌まわしき闇の力の封印を解きましょう……」
するすると包帯をほどいていくでみ子ちゃん。彼女の右腕が素肌を晒していくにしたがって、その腕の周囲の空気が、鋭いとげのついたイバラや、炎や、氷に変わっていく。風が、木や火や水に、『変換』されている……。
「そ、その力は……『錬金術師』の職能……」
それから彼女は一旦その右腕を天井に向かって掲げ、すぐに、床にたたきつけるように下に振り下ろした。彼女の腕を包み込んでいたイバラと炎と氷が、渦を描きながら床に転がっていたアキちゃん目掛けて飛んでいく。そして、そのまま彼女に直撃した。
「あああぁぁーっ!」
イバラで体をズタズタにされ、その傷口を炎で焼かれ、氷の槍で突き刺されたアキちゃんの痛々しい声が、室内に響いた。
「1人2役は、アキちゃんだけじゃなかったってこと……」
目の前にいる娘は、白衣を着て髪を三つ編みにまとめた、『研究者』のでみ子ちゃんだ。でも今の彼女は、「木水火風の精霊を相互に変換できる」という職能を使っている。アキちゃんと同じように、彼女も『研究者』と『錬金術師』を兼任していたんだ。いや、彼女だけじゃない。後ろに立って私の肩に手を置いているアナも、『分析家』でありながら『農業家』でもあるんだ。そうじゃなければ、彼女が今ここにいることの説明がつかない。
髪型によって、アキちゃんが『建築家』と『芸術家』を切り替えていたように。
でみ子ちゃんが白衣の代わりに黒いローブを着てフードで頭を隠せば、その見た目はけみ子ちゃんと変わらない。アナがカチューシャを外して、糸目を開いてエセ関西弁をしゃべれば、それは完全にアグリちゃんそのものだ。
この『亜世界』のエア様の妹ちゃんたちは、『誰もがみんなエア様によく似た』、きれいな顔だちをしていた。それはつまり裏を返せば、『妹ちゃんたち同士もそれぞれよく似た顔をしている』ってことだ。髪型や服装、表面的な性格で別人に見えていただけで、本当は、『全員が1人2役をしていた』んだ。
「どうして……?」無意識に私は呟いていた。「それじゃあどうして、今まで誰もアキちゃんが犯人だって言わなかったの……?」
でみ子ちゃんもアナも、1人2役をしていた。だったら彼女たちは、アキちゃんが1人2役をしていることを知っていたのだろう。もちろん、彼女だけが5属性を使えるということも。それなのに、どうして2人は今まで、それを私に言ってくれなかったんだろう?
……それはただの私の独り言だから、もちろん2人は何も答えてくれない。でも何も聞かなくても、私にはなんとなく、その理由がわかるような気がした。
きっと2人とも、アキちゃんのことを信じたかったんだ。エア様を殺す犯人は、800年一緒に過ごした彼女じゃないって、思いたかったんだ。
だから、でみ子ちゃんは「私が犯人だ」なんて言った。あれは、そうあって欲しい、っていう期待を込めた言葉だったんだ。自分の部屋に鍵がかかってたなんて、きっと嘘だったんだ。
でもアキちゃんは、そんな2人の気持ちを裏切った。
「きゅふ……ふふ、ふふふ……出来るだけ苦しい方法で葬ってあげましょう……。不様に泣き叫びなさい……自らが犯した不始末を呪いなさい……。今更何をしたところで、どうせ何も変わらない。姉様は、もう戻ってこない……。しかし、だからこそ私はお前を痛めつける。もう、それ以外にすることなんてないから……ふ、ふふふ……」
でみ子ちゃんは、無表情だった『研究者』はもちろん、『錬金術師』のころとも違う、狂気のこもった不気味な笑顔を浮かべる。それから、もう1度右手を掲げて、アキちゃんに対して第2撃を繰り出そうとした。
でも、そのとき……。
「ああぁーっ! お姉様、ごめんなさいっ! 私のせいで、貴女を苦しめてしまいましたっ! 私は、貴女を…………」
イバラと炎と氷で既にボロボロになっているアキちゃんが、そんな風に叫んだ。
その鬼気迫る絶叫は、もしかしたら最期を覚悟した彼女が力を振り絞って、天国のエア様に自分の気持ちを伝えようとしたのかもしれなかった。
ただ。そんな言葉も、今のでみ子ちゃんにとっては文字通り火に油を注ぐようなものでしかなかったようだ。その証拠に、今までアキちゃんを取り囲んでいただけだった炎が一瞬にして燃え上がって、アキちゃんの体を包み込んで火だるまにしてしまった。
「あ…ぅ…! あ……」
炎に包まれたアキちゃんは、本当に熱くてたまらないという風に、ばたばたと床を転がり続ける。でも、その炎はいっこうに弱まることはない。でみ子ちゃんが、アキちゃんの周囲にある空気を火に変換し続けていたから。
「……っ! ……!」
炎はアキちゃんの口の隙間を縫って、彼女の喉の奥まで入り込んでいた。そのせいで、今のアキちゃんは喋ることはもちろん、呼吸も出来なくなってしまった。さっきまでならもしかしたら、吐息で木を操る『建築家』の職能でこの場をやり過ごすこともできたかもしれないけど、それももう無理だ。
でみ子ちゃんは、独り言のように宣告する。
「もう、何も喋らせません……。このまま、精一杯苦しみながら死になさい……。お前のような者には、それがお似合いです……。お前のように不道徳で、不純で、不埒で……」
もがいていたアキちゃんの動きが、だんだん鈍くなる。
炎に焼かれ過ぎて、もう熱さを感じなくなってしまったのか。それとも、体を動かせないほど弱ってきているのか……。
「で、でみ子ちゃん! こんなこと、もう止めてよっ!」
見ていられなくて、叫ぶ私。でも、でみ子ちゃんは職能で火を作るのを止めてくれない。私のことなんか、まるで聞く耳を持ってくれてないって感じだ。
「不合理で、不条理で……」
「でみ子ちゃん! でみ子ちゃんってばっ!」
「不安定で、不敬で……無礼で、無責任で……」
「で、でみ子……ちゃん……?」
いや……。
でみ子ちゃんは、私のことを無視しているわけじゃない。きっと今の彼女は、アキちゃんを攻撃することしか考えられなくなっているんだ。パッと見は普通に見えるけど、そんなのは取り繕っているだけ。
「無能で、無神経で、無恥で……非常識で……」
既に彼女は、いつもの口癖さえもおかしくなるくらい、完全に自分を見失ってしまっていたんだ。
無理もない。だって彼女は、大事なお姉さんを失ったんだ。800年間、ずっと一緒に過ごしてきた大好きなお姉さんを、アキちゃんに殺されてしまったんだ。そのショックは、相当なものだろう。
自分を見失っても、何を犠牲にしてでも、その復讐を果たしたいと思うだろう。それは、無理もないことだ。私には、それを止める権利なんてない……。
でも、それが分かっていても、私は……。
そのとき、既に小さく体を揺することくらいしか出来なくなっていたアキちゃんの顔が偶然こちらを向いて、彼女と目があった。
彼女は何を言うわけでもなく(というより、何も言えるはずもなく)……ただただ、苦しそうに私の方を見ている。ときどき彼女の口がわずかに開くけれど、喉の奥から漏れてくるのは声ではなく、でみ子ちゃんの作り出す炎だけ。当然、そんな彼女の気持ちが、私に分かるはずもない。
私が知っていたアキちゃんなら……私が守ろうとしたアキちゃんなら……。
きっと自分が死ぬ間際でも、エア様に自分の想いを伝え続けて、エア様を困らせるのだろう。だって彼女は、本当にエア様のことが大好きだったから……。
でもそのエア様は、アキちゃん自身によって殺されてしまった。彼女は私たちを裏切った。
私が知っていた彼女は、全部幻だったんだ……。
だから、私はこのまま何もしないのが、1番なんだ……。
「もう、終わりです……」
そう呟いて、でみ子ちゃんは右手を上に掲げる。
それと同時にアキちゃんの炎がひと際大きくなって、彼女を燃やし尽くそうとした。
それはもう、完全に無意識だった。
だから、それがどれだけ確かなことなのか、そのときの私に保証してくれるものなんて、何もなかった。もしかしたらただ単に、私が聞きたいと思ったことを聞いただけだったのかもしれない。でも、そのときの私には、確かに聞こえたんだ。口を炎でふさがれて何もしゃべることのできないはずのアキちゃんの『メッセージ』が……耳でなく、心で。
「あ……ああ………」
「……!」
それが、もしも本当の声だとしたら……。
私の妄想や幻聴ではなく、アキちゃんの『芸術家』の職能によって聞こえてきた、彼女の正真正銘の本心なのだとしたら……。
彼女の気持ちが、私が知っているアキちゃんと何も変わっていないのだとしたら…………!
そう思った瞬間、私の体は勝手に動いていた。
素早く膝をたたんでしゃがむと、肩に置かれていたアナの手から逃れる。そして、風のように素早くアキちゃんに駆け寄って、彼女を抱きかかえた。
「な、何っ!?」
気づいたでみ子ちゃんが、そんな私を妨害するために手を伸ばしてくる。でも私はそれよりも早く、部屋の壁に向かって走っていた。アキちゃんを抱えているというのに、そのときの私は全く重さを感じなかった。
そして、何の確証も保証も自信もないまま、それでも強い決意だけをもって、私は部屋の壁まで到達した。アキちゃんを抱きかかえたまま、その壁に手をつく。後ろで、でみ子ちゃんたちが何かを言っているような気がするけど、ハイになっている私には聞こえない。
それから、いつもよりも必死に、強い想いを込めて、自分の中の『全ての力』を総動員するつもりで、壁に向かって叫んだ。
「部屋の外へっ!」
これは、賭けだった。
もしも、私の力が足りなかったら……。でみ子ちゃんが『4周目』に言ったことが何から何まで全部嘘で、私が5属性の精霊を使うなんて出来なかったなら……。あるいは、5属性を総動員しても、『あのとき』のエア様のようになんて出来ないのだとしたら……。
そんな、あらゆる悪い想像が一瞬にして頭の中を駆け巡ったけど……。
でも、私はその賭けに勝った。
私の声に反応した『亜世界樹エレベーター』は、いつもみたいなスローな動きではなく、『3周目』にエア様がでみ子ちゃんの部屋を飛び出した時のような、目にも止まらないスピードでうろの入口を開いた。そして私とアキちゃんを吸い込んで、またすぐにその口を閉じてくれた。追いかけてきていたでみ子ちゃんとアナは、そのスピードに間に合わない。
そして。
私とアキちゃんは部屋の外、つまり、『亜世界樹』の外の空中に吐き出され、その場を逃げ延びることが出来たのだった。




