05
「それで、レベルのことにゃんだけど…」
落ち着いたところで、説明に戻ろうとするティオ。
「い、いや…」
でも、正直私、もうレベルの話はどうでもいいかなって思ってた。だって、私が一番知りたいのは『管理者』の話だし、この『亜世界』のレベルっていうのがゲームでよくあるやつと同じなら、大体想像もつくしね。
あれでしょ?敵とか倒して経験値稼ぐとレベルが1個アップして、ステータスがちょっと上がったり、魔法とか覚えたり…ってやつでしょ?いちいち教えてもらわなくてもそれくらいなら私だって分かるし、説明してもらうだけ無駄かなって………ん?
「う、うにゃ?にゃ…にゃにゃ?………ふぎゃっ!?」
ティオの異変は、そのとき突然現れた。
「うぅー…うぅー…」
今まで余裕のある素振りを見せていたティオが、いきなりひどく緊張感のある顔になって、ブルブルと体を震わせ始めた。まるでそれは、ケンカを始める直前の野良猫みたいな感じで…。
「ティ…ティオ…?」
「う、動くにゃ…」
心配になった私は、恐る恐るティオに手を伸ばそうとする。でもそれは、初めて聞くようなドスのきいた声によって止められた。
「動くんじゃ、にゃい…。音を立てると…気付かれて…」
声を押し殺しているティオ。明らかに私だけに聞こえるように、私以外の「誰か」には気付かれないように、っていう意思を感じる。言われた通り、その場で硬直する私。
え…?他の誰かが…いる?
耳をすまして辺りの様子をうかがってみるけど、私には何の物音も聞こえないし、何の気配も感じない。ティオの耳と鼻だけが、ピクピクと活発に動いているだけで……。
いや……何か、聞こえる……?
意識を耳に集中してたら、だんだん私にも、何かの音が聞こえてきた。まるで、すごく遠くでコウモリが羽ばたいているような音が。
やがてその音が上の方から聞こえるって気付いた私は、ゆっくりと顔を上げる。見えるのは、来たときと変わらず天に向かって高く伸びている木々と、そこから縦横無尽にはえている枝や、大量の葉っぱ。そしてそれらの隙間から、明るい太陽の光が差し込んでいて……あれ?太陽が、ない…?
さっきまでは明るく大地を照らしていた太陽が、いつの間にか日食でもしたみたいに「黒」に覆い隠されていた。そしてその「黒」が、私の目には動いているようにも見えて…。
「ヒィッ!」
「それ」に気付いた瞬間、私は思わず恐怖の悲鳴を上げてしまった。
その途端、空を覆っていたその「黒い塊」が、物凄いスピードでこちらに向かって近づいてくる。
「くっそ、にゃ!」
大きな声でそんな汚い言葉を吐いて、思いっきり自分の膝を叩くティオ。
「ティ、ティオ!?こ、これって…」
「アリサ…」
「これって、もしかして…」
次の瞬間、私は自分の見ている光景を疑った。
ズドォォォォォーン!
まるで、空から戦車でも落ちてきたのかと思うくらいの衝撃。ボウリングの球がピンをストライクするみたいに熱帯雨林の木々を軽々となぎ倒して、私たちの目の前に「それ」が現れた。
「グゥァアアアー!」
重低音の咆哮。黒ずんだ緑の鱗。大きく広げた翼。蛇みたいな模様のついた、丸く膨らんだお腹。4つの足の全てには大きな爪が伸びていて、地面を鋭くえぐっている。
「それ」は、最初に私に襲い掛かってきたトカゲみたいなミニサイズじゃなく、優に10m以上はあるような超巨大なドラゴンだった。
「に、逃げよう…ティオ…」
「アリサ…」
体を震わせているティオ。今では私も、その震えが敵を威嚇するためとかじゃなく、心の底からの恐怖に由来してるものだってことが分かる。
普通の人間に猫の牙と爪がはえた程度のティオと比べると、そのドラゴンは正真正銘、どこからどうみても立派なモンスターで、私たちが何人かかってもまるで相手になんかならなそうだった。
「ほ、ほら…」
ドラゴンから視線を外さないまま、私は震えるティオの手を引く。でも、ティオはその場を動こうとしない。
「ちょっ、ちょっと!?どうしたのっ!?早く逃げようよ!ティオ!」
「れ、レベルが低いヤツは…」
虚ろな表情で、彼女は何かを言おうとする。
こんなときにレベルの説明なんかいいよ!そ、それより、一刻も早くこの場を逃げないと…。
「相手よりレベルが1つでも低いだけで、そいつはどんなにあがいても、絶対に戦いに勝てないんだにゃ…。パラメータがいくつだとか、今までどんなにたくさん敵を倒してきたかとかなんて、全然関係にゃい…。ただ唯一関係あるのは、レベルだけ。だから、だから…」
「ギ、ギ、ギイヤアアー!」
ティオの顔を見て、そのドラゴンは改めて大声で叫んだ。直後に、吹き飛ばされるかと思うくらいの突風が私たちを襲う。
そのときのそいつが何を言っていたのかなんて分かるわけなかったけど、空気を切り裂くその大きな叫び声と、ティオを睨み付けるようなドラゴンの顔の表情は、明らかにある1つの感情を表していた。怒りだ。
「こ、こいつ、怒ってる…?も、もしかしてこいつ…さっきのドラゴンちゃんの…」
「こ、この世界は、レベルが全てなんだにゃ!自分よりもレベルが高いヤツには、絶対に勝てにゃいし…ど、どんなに速く逃げても、必ず追いつかれるんだにゃ…」
ティオはつかんでいた私の手からするりと抜け出ると、回れ右をして、そのドラゴンに背中を見せる。
「どんなに必死に逃げても、絶対に逃げ切れないんだにゃーっ!」
そして、そんな風に叫んだ言葉とは裏腹に、目にも止まらないようなものすごいスピードで彼女はその場を走り去っていった。
「え…」
私も後を追って逃げなきゃ、とは思ったんだけど、ついついティオの台詞の意味を考えてしまって、反応が遅れた。
この『亜世界』は、レベルが全て?
レベルが低い人は、レベルが高い人には勝てない?絶対に…?何それ…そんなの、私が知ってるやつと違うよ…。
第一、私たちはこいつのレベルだってまだ分からないはずで…。
「グゥゥゥゥウウウアアア…」
ドラゴンは、その場に残っている私のことなんか全然相手にしてなくて、ワインレッドの瞳で逃げ去ったティオのことだけを強く睨み付けていた。低い低いうなり声は爆音のウーファーみたいで、まるで、体の内側から揺さぶられてるみたいな錯覚を感じる。そのときのそいつは、自分の体全体を使ってティオへの強い怒りと殺意をアピールしているって感じだった。
やっぱりそうだ…。このドラゴンは、ティオがさっきのドラゴンちゃんを倒したことを怒ってるんだ。多分こいつが、あのドラゴンちゃんの親か何かで…。
「ギ、ギ、ギ、ギ、ギィィー」
それからそのドラゴンは、口を大きくあける。その口の真ん中辺りに、バチバチとまぶしい火花が散る。あ、ヤバい…これって…。
火花はどんどんどんどん大きくなっていって、さっきのドラゴンちゃんのやつよりも、もちろん私がマグレで出したやつなんかよりも、ずっとずっと大きな火の球に育っていった。
はは…。子供に出来たんだから、そりゃ、親ドラゴンならできて当然だよね、火の球の魔法…。
「ってゆうか…」
こ、これ、もしかして相当ヤバいんじゃないの?だってこの火の球、かなりシャレにならないサイズになっちゃってるよ?こんなの直撃したら、火傷くらいじゃすまないっていうか…。さすがのティオだって、自分の体よりも大きな火の球を受け止めるのなんて、無理だよね?
しかも、ティオが逃げていった方向って、熱帯雨林の木がたくさん繁ってて障害物になっちゃってて、ほとんど行き止まりみたいな感じなんだ。このままだと彼女の無防備な背中が、火の球の魔法の絶好の的になっちゃって…。
「ティオ…」
夢中で木々をかき分けて逃げているティオのことを見ているうちに私は、だんだん胸が張り裂けそうな気分になっていった。
だってもし、このドラゴンが本当にさっきのドラゴンちゃんのことを怒っているんだとしたら、それって私のせいだ。ティオは私を助けるためにあのドラゴンちゃんを倒してくれたわけだし、私がいなかったら、今こいつに命を狙われることもなかったはずなんだ。
私のせい…、私の、せいで…。
「う、う…」
それ以上は考えるより早く、私は体を動かしていた。
「ぅうわああーっ!」
恐ろしい姿のその化け物目掛けて、私は思いっきり体当たりを繰り出していたんだ。
ゴツッ!
直後に、まるでコンクリートの壁にぶつかったみたいな鈍い音が、肩の骨を介して私の体中に響いた。反動で吹き飛ばされ、数m離れた地面に叩きつけられる私。ドラゴンに直撃した右肩には、遅れて激痛がやってくる。
「くっ、ぅぅ…いったぁ…」
私の体当たりでダメージを受けたのは、私だけだった。
ドラゴンの方は、さっき私が何かしたのすら気付いていないみたいで、相変わらず、火の球の魔法の狙いを定めている。
「そ、そんな…」
しかも、ショックなことはそれだけじゃなくって…。
多分私、さっきの体当たりのときに、無意識にティオが教えてくれたことを考えていたんだと思う。だから、全然狙った訳じゃあないんだけど、完全にマグレなんだけど。一瞬だけ『見えた』んだ。体当たりの瞬間に、そのドラゴンの『ステータス』が。
確かそこには、こんな感じのことが書いてあった。
リュカ
種族 :グリーン・ドラゴン亜種
年齢 :30才
レベル : 45
攻撃力 : 85
守備力 : 55
精神力 : 40
素早さ : 35
運の良さ: 10
スキル :飛行、ひっかき、かみつき、体当たり、火属性魔法▽
こいつのレベルは、45?ティオよりも10以上も高いってこと?そ、それじゃあ、ティオが言ってた通りなら、私たちはこのドラゴンにはどうやっても絶対に勝てないってことで…。
既に圧倒的な力の差を感じていたつもりだったけど、それが数字になると更に説得力が増す。私の心に、絶望の2文字が重くのし掛かってきた。
ゴォォォーッ!
突然のものすごい轟音。
ついに、ドラゴンの口から火の球の魔法が放たれた。最終的に2m近いサイズまで大きくなっていたその火の球は、その巨大さに似合わずものすごいスピードで飛んでいく。そのターゲットはもちろんティオ………じゃない!?
火の球は熱帯雨林の木々の間を器用にすり抜けて、ずんずん前進して、逃げるティオさえも追い越して、その先にあった幹の太い木にぶつかってやっと止まった。
も、もしかして、外した…?こいつ、実は結構コントロール下手で……なんてね。そうだったらラッキーだったんだけど、そんなのは甘すぎる考え。実際には、状況は更に悪化したんだ。
ぶち当たった火の球は、その木を一瞬にして火だるまにしてしまって、それどころか周囲の木にどんどん燃え広がっていった。風が吹いてるわけでもなく、むしろ熱帯雨林だから湿度が高くて物が燃えにくいはずなのに、そんなことが起こるなんて不自然にもほどがある。でもこれは本当の火じゃなくって、ドラゴンが使った火の球の魔法だし、それくらいの無茶はアリってことみたい。あっという間に辺りは火の海になってしまって、私とドラゴン、そしてティオを、炎がぐるっと取り囲んでしまった。
つまりそのドラゴンのヤツ、まず最初の1発はティオにあてないで、彼女の逃げ道をなくすことに使うつもりだったんだ…。
「うにゃ…ううう…」
炎に行く手を塞がれて、逃げるのを諦めて、ぐったりと脱力して地面に膝をつけるティオ。彼女の体毛が、ちりちりと焦げる音がする。
あてようと思えばあてられたのに、わざと魔法をはずして退路を断った。そんなことした理由は、私には1つしか考えられない。それはつまり、あのドラゴンはティオを楽に仕留めたりするつもりなんかなくって、これから逃げられない彼女をじわじわと追い詰めて、気のすむまで痛めつけようとしてるってことで…。
「う、うにゃあ…」
ティオもそれがわかっているらしく、恐怖に怯えるような声を出す。顔は、何かを言いたそうに私の方を見ていた。
「ティオ…」
本当の猫みたいに自分勝手でマイペースで…。でも、私に会ってから今まで、可愛らしい笑顔を欠かすことのなかったティオ。そんな彼女が、今は自分の命の危機を感じて、恐怖に体を震わせている。悲観に暮れて、ちょっと前までは考えられなかったような切ない顔で私を見ている。それが全部…私のせい。私を助けてくれたせいで、ティオはドラゴンに命を狙われている。
私は彼女に、何もしてあげられないの?このまま私の命の恩人を…ううん、この『亜世界』で出来た初めての友達を、見殺しにすることしか出来ないの?友達が困っているっていうのに、私には何も出来ないの?
そんなの嫌だ!
私のせいで、友達が死んじゃうかもしれないなんて。私のせいで、『また』友達が辛い目にあうなんて…そんな、そんなこと、あっていいはずがないっ!
そのとき、私の中で何かのスイッチが入った。
たとえ私がレベル1で、この『亜世界』じゃあ何の役にもたたない最弱の人間だったとしても、このまま黙ってることなんて出来ないっ!私はもう『2度と』、私の友達が涙を流すところなんて見たくないんだっ!
私は駆け出して、ティオを守るようにドラゴンの前に立ちはだかった。どうなるかなんてわかんないけど、私は死ぬ気で、こいつと戦う覚悟を決めたんだ。