04''
エア様が、殺人……。
それは、私にとって本当に予想もしていなかった言葉だった。
みんなのことを思いやってくれて、会ったばかりの私にも優しく接してくれた美人なお姉さん。そのエア様が、かつて妹の1人を殺した……? いやいやいや……じょ、冗談でしょう? そんなわけないってば……だって、だって……それじゃあ……。
「見損ないましたよね……」
「!?」
切なそうに笑うエア様。私は、慌てて否定する。
「そ、そんな、そんなことないです! 私は、たとえエア様が……どんなことをしてても……あ、あの、えっと……」
でも、事情の知らない私は何を言えばいいのかが分からず、先が続かない。そんな態度が余計にエア様の気持ちを落ち込ませてしまったようで、彼女は暗い顔で俯いたまま無言になってしまった。
「あ、あの……ごめんなさい……」
私は、自分の考えのなさを呪った。
少しの間、辺りを無言の時間が支配する。森の中の小鳥たちだけが、変わらずに綺麗なさえずりを繰り返していた。
でも、やがて。
「アリサ様にお話ししたからと言って、それで、わたくしの罪が軽くなるはずもないのですが……」
そんな前置きをおいて、エア様が語り始めた。
「それは、今から800年ほど前。わたくしの妹たちが生まれてから、200年程度がたったころのことです。そのころはまだ、わたくしや妹たちの他にも、エルフの仲間やエルフ以外の妖精たちがこの『亜世界』に暮らしていました……」
そのころの話は、ほんの少しだけなら『1周目』にも聞いた気がする。でも、そのときには宇宙飛行士なんて言葉は出てこなかった。きっとそれは、エア様にとって封印しておきたい過去だったのだろう。
「そのころのわたくしはちょうど今の妹たちと同じくらいの年齢で、仲間の中で1番年長の長老エルフの指示に従い、この『亜世界』の『管理者』を任されていました。しかしそのころは、この『亜世界』を構成する要素が今よりもずっと多く、『亜世界』は複雑で混沌としていましたので、一介の若輩者に過ぎなかったわたくしにはその仕事はとても困難なものでした。いいえ……実のところわたくしごときでは、あの『亜世界』を管理など出来ていなかったのでしょう……」
遠い目をして、昔を思い出しているような表情をしながら、エア様は続ける。
「何より、まだそのときは『亜世界樹』のシステムが出来上がっていませんでしたので、わたくしたちは常に自分の行動を疑わなければならなかったのです。今自分がしている行動は、はたして『正しい』事なのか? 自分がその行動をとることが、この『亜世界』にとって本当に良い事なのか? ということを、保証してくれるものが何もなかったのですから……。やがてそのことが、わたくしたちを貪欲にしていきました」
「貪……欲……?」
それが、いつも優しくて美しいエア様にはあまりにも不釣り合いの言葉だったので、私は思わず声を出してしまった。彼女は少しだけ微笑む。
「ええ……」
その笑顔も、何か彼女らしくないような切ない感情がこもったものだった。
「あの頃のわたくしたちは、常にこの『亜世界』のためになることを考え、出来ることは全て実行していました。それによって、確かに『亜世界』は少しずつ良くなっていった……。でも、その一方で悪くなる部分もあったのです。わたくしたちが取り組んだいずれの方法も、確かに一部の者にとっては利益を与えるものでしたが、同時に、他の者にとっては何かしらの不利益を与えるものでもあったのです。一長一短とでも言うのでしょうか……どこかが優れていれば、必ずどこかは他の方法よりも劣る。完璧にこの『亜世界』にとってベストな方法というものは、見つけることが出来なかったのです。それでも、わたくしたちは諦めずにそのベストの方法を探し続けました。そして……この『亜世界』のことを知り尽くし、この『亜世界』で出来ることのほとんどをやりつくしてしまうと、わたくしたちの目標は地上を離れて空へと向かいました」
それを聞いて、私は顔を上に向ける。
今そこに見えるのは、やっぱり折り重なった『亜世界樹』の木の枝だけ。だけど、その向こうには確かに空……広い宇宙が広がっていることを私は知っている。『1周目』にエア様に上空まで連れてもらったときに、私はそれを見ているから。
エア様は静かに頷いて、続ける。
「地上を離れて宇宙に行けば、何か良い方法が見つかるのでないか? 宇宙には、今のわたくしたちの考えの及ばないような、全ての者たちに利益を与える完璧な方法が眠っているではないか? そのような結論に達し、わたくしたちは宇宙に仲間を送りだすことになったのです……」
「それが、宇宙飛行士……?」
「はい……」
その時のエア様の様子は、全てを諦めたように力なく肩を落として、まるで自分の罪を暴かれて自白している2時間ドラマの犯人のようだった。
「その宇宙飛行士の役割にわたくしの末妹が選ばれたときも、わたくしは何も考えずにそれを喜んでいました。自分の妹が『亜世界』のためのとても重要な職に就いたということを祝福し、誇らしくさえ思っていました。本当に、愚かでした」
「は、800年前ってことは……既にその時には、他の妹ちゃんたちは今の職業をやってたんですよね? だ、だって、妹ちゃんたちって、1000年前に生まれたときから今の仕事やってるって言って……」
「はい。そのため、妹たちの中でも1番幼くてまだ何の職業にも就いていなかった末妹に、その職が与えられたのです」
「そ、そうなんですね……」
なんだか自分がエア様を追い詰めているような気がしてきて、別の話題を振って気を紛らわせようとしたけど……その試みは失敗に終わった。
「当初の予定では、それは数年程度の短期の宇宙旅行になる予定でした。わたくしたちは、当時の自分たちの技術を過信していたのです……。そして末妹は仲間たちの期待を背負って地上を飛び立ち、そのまま、宇宙空間で連絡が取れなくなってしまいました。後悔したときにはもう、全てが遅かった……。その後どれだけ手を尽くしても、彼女の所在を知ることは出来ませんでした。宇宙へと消えた彼女がわたくしたちの前に現れることは、2度となかったのです。本来ならば姉として守ってやるべき妹を、わたくしは自らの手で死地に追いやってしまった……殺してしまったのです。たった1人で宇宙の闇の中に放り出された彼女が、どれだけ心細かったか……どれだけ苦しい思いをしたか。わたくしは今でも、それを思うと胸が張り裂けそうになります。あのときの自分の過ちに、自分の罪に、押しつぶされそうになります」
「え、エア様……」
気付いた時には、エア様は静かに涙を流していた。
それはきっと、上っ面の悲しみや自己嫌悪からくるものじゃない。ましてや、それを見ている私の同情を誘うためのものでもない。きっと、今までさんざん流してきて、もう完全に枯れきっているにもかかわらず、それでも自分を許すことが出来ずにあふれ出てしまうもの。自分の意志や感情じゃあどうにもならないような、根源的な部分で起こる生理現象だ。卑怯で醜い私の涙とは、全てが違う。だからこそ、私は彼女の力になりたいと思った。励ましたいと思った。
「だ、たけどそれは、エア様のせいじゃあ……」
でも……。
「いいえ、わたくしのせいです。あのときのわたくしは、『亜世界』をより良くしたい、完璧にしたい、という欲望にとりつかれていました。そしてそのために、大事なものが見えなくなっていたのです。宇宙へ仲間を送り出すことも……末妹がその役目を引き受けることも……最後の決定権を持っていたのはわたくしです。『管理者』であるわたくしが、自らの手で、妹の彼女を殺したのです。この罪は、誰がどうやっても消すことは出来ません。たとえ、アリサ様でも……」
それは、強い意志のこもった告白だった。
エア様のその気持ちは、私の気休め程度の説得じゃあ絶対に変えられない。それがはっきりと分かった。
「そんな殺人を犯すようなわたくしが『管理者』であることが、『亜世界』にとって望ましくない……。『亜世界樹』がそう考えても、何も不思議ではありません。もしもそうならば……わたくしは喜んで死を受け入れます」
※
「宇宙飛行士の消息が途絶えたあと、姉さんには更に不運が続いた……。今まで誰も経験したことのないような大地震と異常気象が重なって発生して、この『亜世界』中が一気に壊滅状態になってしまったんだ……。そのせいで、この『亜世界』の妖精の3分の2は死んでしまっただろうね……。生き残った人たちのほとんども、そのあとしばらく食料が取れなくなったせいで、飢餓で……。結局、全てが落ち着いたころには、残っていたのは姉さんと僕ら妹たちだけになっていた……。そのころは、錬金術師も農業家もまだ仕事についたばかりで上手く精霊を使いこなせなくて、どうすることも出来なかったんだ……。もちろん、僕もね……。はは、皮肉なものだよ……ようやく風の精霊を使いこなせるようになったときの、僕の分析家としての初めての仕事が……この『亜世界』にはもう僕たち以外の生存者はいない、っていう残酷な事実を姉さんに突きつけることだなんてさ……」
アナは、乾いた笑いを浮かべる。それが彼女のめいっぱいの強がりだと分かっている私には、笑顔を返すことなんて出来なかった。
時刻は、夜の7時くらい。
私に話をしてから、エア様は明らかに元気をなくしてしまった。そして、今から2時間前くらいにとうとう体調を崩して倒れてしまって、今は部屋で休んでもらっている。
私も、あれからいろいろなことを考えた。
エア様の言った「殺人」という言葉が、彼女の優しさと責任感の高さからくるもので、本当は彼女に罪なんかないこと。それでも、私ごときじゃあ彼女が抱えてきた罪の意識を拭い去ることなんて出来ないこと。起こり得る中で1番正しいパターンを選ぶという『亜世界樹』が、そんなに優しいエア様が死んでしまうようなパターンを選ぶはずがない。もしも仮に、そんなパターンを選ぶようなら……そんな『亜世界樹』なんて絶対に許さない。そんな不良品の計算機は、私が徹底的にぶっ壊してやるってこと。
でも、中でも1番考えたことは……。
「……そして姉さんは、そのときまだ実験段階だった『亜世界樹』を実用化させて、今の『亜世界』のシステムを構築したんだ……。もう2度と、自分のせいで仲間を失うことがないようにって……」
「アナ、もう1度確認させて?」
「え……?」
「さっきも聞いたけど……『ここ』からなら本当に、誰かが空からやって来たときに分かるんだよね? 見逃したりしないんだよね?」
話の途中で突然私に割り込まれて、アナは一瞬言葉を詰まらせる。でも、すぐに余裕を取り戻してその問いに答えた。
「ああ。『ここ』は、分析家である僕の仕事場だからね……。そこは間違いない……。保証するよ……」
「そっか。それならいいんだ」
立ち上がって、ぐるりと周囲を見回した。
もう太陽は沈んでしまっているので、見えるのは360度の薄暗い森の木々、そして、ちらちらと星が輝き始めた夜空だ。
そこは、『亜世界樹』のてっぺん。アナが警備員の仕事をするための、大木の頂点に作られた四畳半程度の木造の展望台だった。
「でもさ……こんなことしても、無駄だと思うよ……」
すぐ隣で、アナの糸目が何かを訴えるように私を見ている。でも、私はそれに気付かないふりをした。だって今の私は、彼女にどう思われても、もうこの『可能性』にかけるしかないんだから。
「夜のうちに『宇宙飛行士』が帰って来て、姉さんを殺すなんて……そんなことあり得るわけないよ……」
私が今、こんなところにいる理由。それは、エア様との話の中でこんなことを聞いたからだ。
宇宙飛行士にも、他の妹たちと同じように職能がある。それは、「仲間の期待を背負って」、「種族の代表者となれる」こと。端的に言うなら、「同じ種族の仲間の能力を借りる」ことだ……って。
エア様の話だと、宇宙飛行士は自分に期待してくれる人から許可を得ると、その人から一時的に力を借りることが出来るんだそうだ。それは身体能力だったり技術だったり知識だったり、「精霊を扱う能力」だったりする。そして、妹ちゃんたちの中でも特に幼かった彼女は、与えられた仕事をちゃんとこなせるように宇宙に出発する前に様々な人から力を借りているんだ。もちろん、エア様からも。
宇宙飛行士になりたての彼女が、宇宙飛行士の職能を完璧に操れたのは不思議に思えるけど……。力を貸してくれる側のエア様が協力すれば、未熟な彼女でも宇宙飛行士の職能を発揮することは充分に出来るらしい。そしてエア様は彼女の1番末の妹が宇宙飛行士に選ばれたときに、その時自分が持っていた精霊の技術の全てを彼女に貸してしまったそうだ。つまりその時点で宇宙飛行士は、『亜世界』の『管理者』レベルの精霊の能力を持っていたことになる。しかも今は、そのときから更に800年が経過しているんだ。
もしも、800年前に行方不明になって亡くなったと思っていた宇宙飛行士が生きていて、自分を宇宙に追いやったエア様に逆恨みをしていたとしたら? 彼女なら、エア様がかけた5属性の鍵だって簡単に開けることが出来るだろう。エア様を殺すことだって、簡単に……。
だから私は、エア様が部屋に帰ったのを確認してすぐに、ここにやってきたんだ。風の精霊のエキスパートで、警備員としての能力を持っているアナなら、もしも宇宙飛行士が戻ってきたとしてもすぐに気づけるはず。いや、アナの職能がなくったって、『亜世界』中を見渡せるこの展望台からなら私だって何も見逃さないはずだから。
「アリサちゃん……君は、どうあっても僕らの中に犯人がいるって思いたいんだね……」
アナのその言葉に、私の胸がチクリと痛む。
私にとって宇宙飛行士は、全く面識がない娘だ。殺人犯の容疑をかけるのだって別にそんなに抵抗はない。だけど、アナや他の妹ちゃんたちにしてみれば、彼女だって他の娘と同じように姉妹の1人なんだ。だからそんな彼女を疑っている今の私は、アナの目にはさぞかし失礼なやつにうつっていることだろう。でも、今の私は自分の考えを変える気はなかった。
きっと私は、信じたいんだと思う。
さっき自分が存在を知ったばかりの宇宙飛行士が、犯人でいてくれるということを。だってもしもそうじゃないとしたら……「そんなの」、辛すぎるから……。
「私は絶対に、エア様を守りたいの……。だから、絶対に犯人を見つけて見せるよ……」
自分の考えを振り払うように、私は呟く。
「そう、なんだね……」
切ないような表情で、アナはそう答える。自分のせいで彼女を嫌な気分にさせていることに、私の気持ちは沈んでいった。
それからも私は、展望台の上から『亜世界』を監視し続けた。一応その間、アナには風の精霊でみんなの行動を把握してもらっていたのだけど。その時間内では、特に不審な行動をとる娘はいなかった。
9時になると部屋からあーみんが起き出してきて、例のアイドルソングを歌い始める。それと入れ替わりくらいで、10時に錬金術士のけみ子ちゃんが部屋に戻っていく。そして1時になるとあーみんの歌に変化が現れて、でみ子ちゃんの起床を知らせる。
それは、今まで通りの光景。1000年間繰り返してきたいつもの生活リズムのように、私には見えた……。
そして時間が深夜の2時に近づくと、アナも部屋に帰るために支度を始めた……。
「それじゃあ、僕はそろそろ眠らせてもらうけど……」
「はぁい……じゃあ……またぁ…明日ぁ…」
「はは……」
糸目を下向きのカーブにして、呆れた様子のアナ。
「アリサちゃん……。君、だいぶ眠たそうだね……」
「そ、そんにゃことぉ……なぁ……い…………………はっ!? そ、そんなことないよっ! い、今のは寝てないから! 寝てた訳じゃないからっ! 私、全然起きてるしっ!」
一瞬「落ち」かけたのを、首を必死に振って誤魔化す。
「って、っていうか、まだ夜の2時でしょ!? 2時なんて、私にとってはまだまだ寝る時間じゃないからねっ!? 私の夜は、ここから始まるぞぉーって感じっ!? い、いやー、もったいないなー! アナってば、こぉんな早い時間、に、……寝ちゃ……うにゃ……んてぇ………………くぅ……」
「アリサちゃん……」
振り払ったそばから、さらに強烈になって襲い掛かってくる睡魔。もはや強がりにすらなっていないそんな言葉に、アナも何かを悟ったようだ。一度は自室に戻ろうとしていたのに、私のもとへと戻ってきた。
「君は……もしかして『今日』だけじゃなく、『前のパターン』でも眠ってないのかい……。『今日』みたいなことを、『前のパターン』でもやっていたのかい……」
「ふわぁーあ…………えぇ? 眠……眠ってないぃ……? いやぁ……眠……ってるでしょお……? うぅん……た、確かぁ、眠ってると思うよぉ……くぅ……くぅ……」夢の国に片足をつっこんでいる状態の私の台詞はもはや支離滅裂で、まともな日本語になっていない。
「だ、だぁってさぁ……眠らないとぉ……育たないんでしょおー……? 眠る子が育っちゃうからぁ……その分眠らない子は育たないんでしょお……? エア様みたいな巨乳さんになるためにはぁ……ちゃあんと眠らないといけないんでしょぉ……? だ、だから私…………くぅ……くぅ…………」
「まったく、君は……」
アナはため息をつきながら首を振る。
きっと私が昨日徹夜したってことを知って、私が妹ちゃんたちのことを疑っているのが今回だけじゃないってことに気付いてしまったのだろう。
「どこまで僕らのことを疑えば気が済むのか……」
前にでみ子ちゃんに聞いた話だと、『亜世界』の計算するデータの中でも私は特別で、初期化の処理が抜けているらしい。つまり、私が『2周目』にあーみんを監視するために徹夜をしたということも、リセットされずにちゃんと『3周目』の今に蓄積されているわけだ。そのうえ更に今回の『3周目』でも徹夜しようとしている今の私は、実質2徹状態ってわけで……。
もう、宇宙飛行士がこないか見張るどころの精神状態じゃなかったんだ。
「…………やれやれ」
「だ、だから、アナぁ……おやぁ……すみぃ…………ぐぅー………」
呆れ顔から、いつもの余裕のある表情に戻ったアナ。ゆっくりと、こちらに自分の顔を近づける。
そして私のおでこに、優しく自分の唇を押し当てた。
「ふぇ……?」
その瞬間。
まるで頭の中の細胞に一斉に電流が走るような。真っ暗だった夜景が、一瞬にしてライトアップされるような。あるいは、使い古された表現をするなら、頭にかかったモヤが一瞬で晴れていくような……そんな感じで。
朦朧としていた意識がシャキッと目覚めて、今まで感じたことのないほどはっきりと私は覚醒したのだった。
「あ、あれ……? いきなり、全然眠たくなくなった? な、なんで……?」
突然のことに頭が追いつかない私。意識を視界の方にやると、糸目でにっこりと上向きの弧を描いている、アナの笑顔が目に入ってきた。
「君の頭の中の心の精霊を、少しだけ活性化させたのさ……。これで、今日の朝までくらいなら眠気を誤魔化せるはずだよ……」
「え…そ、それって……?」
「あんな状態の女の子を、1人で置いていくことなんて出来ないよ……。それにさっきの調子だと君は、『今日』眠っちゃったからまた『明日』も徹夜しよう、とか言い出しそうだしね……。睡眠不足は、体に毒だよ……?」
そう言って、彼女は優しく微笑んだ。1テンポ遅れてから、私は彼女のその言葉の意味を理解した。
つまりアナは、眠すぎて意識を失いかけていた私を放っておくことが出来ず、精霊の力を使って叩き起こしてくれたというわけだ。私が宇宙飛行士を殺人犯として疑ってることに心を痛めていたはずなのに、そんなことお構いなしで、ちゃんと気遣いをしてくれたということだ。さすがイケメン。レディーファーストがしっかりできてるぜ……って、アナはイケメンじゃなくてれっきとした女子だけどねっ!
「じゃあね……、僕はもう行くよ……」
そんな私の脳内のノリツッコミを知ってか知らずか、アナはまた背中を向ける。さっきのような昏睡状態じゃない私は、今度は彼女をちゃんと見送る。
「あ、そっか。うん、じゃあね。いろいろありがとう、アナ」
「気にしないで……」
そう言ってから、アナは展望台の床に手を当てる。そして、エレベーターの行き先として自分の部屋を告げた。すると、私がいつもやるみたいに部屋の壁じゃなく、木の「うろ」が床に開いていった。このエレベーターにはこんな風にも使うことが出来るらしい。
そして彼女は扉の中に入りながら……、
「どさくさに紛れてアリサちゃんのおでこにキスしちゃったことも、気にしないでね……」
と言って去っていった。
え? あ……。
「あああああああああーっ!」
私がやっとさっき起きたことを完全に理解したときには、もうアナの姿は見えなくなっていた。




