03''
エレベーターが地上に到着して、『亜世界樹』の中から外に出ると、そこから5mもないところにエア様の後ろ姿が見えた。どうやら、私のことを待っていてくれたみたいだ。
木々が生い茂る森の向こうから太陽の光が射し込んでいて、それがちょうど逆光のように彼女の正面を照らしている。薄手の白いローブはその光を透過させ、彼女の体のシルエットがうっすらと浮かび上がる。ロングの金髪がさらさらと揺れ、山奥の小川の清流のように、キラキラと光の粒子が反射する。
綺麗だ。
お世辞とかただの形容じゃなく、もっと原始的な感情として、私はそう思った。
私が彼女と出会ったとき、最初はその整った顔つきやスタイルの良さに目がいった。実際、それらが彼女の持つ魅力の1つであることは、否定する余地はないと思う。でも、彼女の本当の美しさは実はそんなものではなく、今見ているこの背中なんじゃないかと私は思った。
目で追うだけで快感を覚えるような真っ白な肌のうなじに、ローブに浮き出る肩甲骨。ピンと背筋を伸ばした姿勢が、腰のくびれからお尻のふくらみにかけてのなまめかしいカーブを強調している。妖艶ともいえるような色っぽさがありながら、それと同時に、容易に触れることを許さないような圧倒的で神秘的な清らかさをも体現している。
まさに芸術作品……いや、それ以上だろう。およそ、人が作ることも想像することさえも出来ないような、神の領域の美しさ。それが、この『亜世界』の『管理者』のエア様だったんだ。
「あ、アリサ……様」
私に気付いた彼女が、振り向く。
その途端、それまで彼女を取り囲んでいた神々しさが一瞬で消え去り、ただの「美しさ」だけがその場に残った。
さっきのように近寄りがたい神秘的な感じはなくなって、今は、私の手が届くくらいの距離に1人の超絶美人な金髪エルフがいるだけだ。
「も、申し訳ありません……。さきほどはつい、取り乱してしまいまして……」
顔を赤らめてそんなことを言うエア様は背中を見せていたときとは別人のように親しみやすく、そして、とても可愛らしかった……。
「……ってか、『超絶美人』の時点で全然『ただの美しさ』じゃないけどね? 普通に羨まし過ぎるけどね?」
「へ?」
「しかもしかも。それだけ美人な容姿に加えて、その巨乳……。この人、神様に愛されすぎじゃない?」
「ちょ、ちょっと……あ、アリサ様……?」
「あーあ。せめて半分くらいだけでも、私にその顔と胸くれねーかなー? そうじゃないと、生物としてのバランスがとれないよー」
「な、な、な……」
「もう悔しいから、またあの巨乳の谷間に飛び込んでやろーかなー……」
「何をおっしゃっているのですかぁーっ!?」
「え?」
気づいたら、私はまた、考え事を口に出してしまっていたらしい。
ははは……またかよ。
いい加減、この癖もなんとかしないと。そうじゃないと私、いつかこれのせいで身の破滅を招きそうだよ……。
「も、もう……。おかしな冗談をおっしゃるのは、おやめください。わたくしなどに、そのようなお言葉を……」
「いや、あながち冗談でもないんですけどね」
っていうか、120%の本音ですけど?
「で、で、ですからっ! そういうことをおっしゃらないで下さいと……」
それからも、エア様はムキになって私の言葉を否定しようとしていた。その姿は、もうすっかり私の知ってる彼女だった。
だから私は、無意識に呟いていた。
「よかった……」
「え……?」
「あ。え、えと……」
エア様が不思議そうにこっちを見る。少し照れながら、私は言葉を続ける。
「だ、だってさっき私、でみ子ちゃんとの話でエア様のことを怒らせちゃったでしょう? そ、それで、このままエア様に許してもらえなくて……嫌われちゃったらどうしようとか思っちゃって……。そんなの、本当に嫌だったから……」
それは、紛れもない私の本心だった。
私はエレベーターで地上まで下りている間、ずっとそれを考えていた。そうなってしまうことを想像して、すごく落ち込んでいた。
自分の思慮ない言葉でエア様を怒らせたことへの後悔と、今まで何度も同じような失敗をしてきたのに性懲りもなくそんなことをしてしまう自分への絶望感で、本当に、泣きそうになっていたんだ。
「……うふふ」
そんな風に本心を漏らした私に、エア様はいつもの優しい微笑みを向けてくれた。
「ですから、ご冗談はお止めくださいと申し上げているではないですか……。わたくしが、そんなことをするはずがありませんよ。アリサ様を嫌うなんて、そんなことを……」
「で、でも……でも私…………!?」
そのとき突然、エア様の右手が私の左手を取った。それから彼女は空いた方の手もその上に重ね、両方の手のひらでそっと私の手を包み込む。
「わたくしのおかしな態度のせいで、アリサ様を傷つけてしまったのですね? 申し訳ありませんでした」
「い、いえ……も、もとはと言えば、全部私が悪いんです! だって、私が皆のことを疑ってることを知って、それで、エア様は……」
「アリサ様……」
エア様の顔が、また一瞬沈みかける。でも、彼女はそれをすぐに元に戻した。
そして……。
「少し、森の中を歩きませんか? 歩きながら……わたくしの話を聞いてくださいませんか?」
そう言って、また優しく微笑んだ。
最高に美しくて、最高に可愛らしい彼女のその微笑みに、私が抗えるはずもなかった。
「はい……」
※
それから私たちは、しばらく一緒に森の中を歩いた。
これまでも、どこか目的地へ行くための通路としてなら、私が森の中を通ることは何度かあった。でもそれは、あくまでも移動経路としての意味しかなくって、意識はあくまでもその目的地の方にしか向いていなかった。だから、今みたいにときどき立ち止まったり振り返ったりしながら何のあてもなく歩くことは初めてで、少し新鮮な気分だった。
この『亜世界』では、大地を這う『亜世界樹』の根っこをアキちゃんの職能によって整備して、コンクリートの舗装道路のように平らにならしている。でも中には、その平らな道路にあえて窪んだ通路を作って、そこに海の水を流し込んで、小川のような水路を作っている箇所もあった。エア様曰く、この『亜世界』の海には塩分が含まれていないそうで、その小川はこの『亜世界』の植物たちに生長に必要な水分を送る役割を担っているらしかった。
顔を上げてみても青空は見えず、まるで商店街のアーケードの屋根のように、上空は縦横無尽に伸びた『亜世界樹』の枝葉に覆われている。でもその枝の隙間からは、無数に反射を繰り返すことで柔らかくなった太陽の光がぼんやりと漏れてくるし、その中に住んでいるらしいたくさんの小鳥の可愛らしいさえずりも聞こえてきていて、あまり恐ろしさや圧迫感は感じない。むしろ、自分はもともとここに住んでいたんじゃないかと錯覚するくらい、私の心は自然と落ち着いていくのだった。
「あの小鳥たちは、『亜世界樹』に生った実を食べて種を地上に落としたり、『亜世界』中を飛び回って風の精霊を循環させたりしてくれるのですよ」
私の隣に並んで歩いて、私にそんな解説をしてくれるエア様。
話しているそばから、そんな彼女の周囲に小鳥たちが集まり、肩や手にとまったりしている。それも、ハトが公園で餌をくれる人にたかるような感じじゃなく、本当にエア様のことが好きなんだって分かるような愛らしいとまり方だ。鳥というよりは、まるでよくなついた飼い猫でも見ているみたいだ。
「それから、夏が来ると羽毛が生え変わって、わたくしたちに色とりどりの綺麗な模様を見せてくれたりもするのです」
「そう、なんですか……」
「ええ。アリサ様にも、ぜひ見ていただきたいですね。そのときの、素晴らしく綺麗なこの子たちの姿を。ああ、今から夏が来るのが楽しみです……」
そしてエア様は本当に喜ばしいような表情で私を見ながら、そんなことを言うのだった。
「あ、あの……」私はなぜだかいたたまれないような気持ちになって、その言葉には答えずに、逆に彼女に尋ねる。「エア様の、話っていうのは、そういう……?」
「……え? いいえ……」
彼女は俯く。そして、
「そうではありません。わたくしがアリサ様にお話ししたかった話とは……わたくしの妹たちのことです」
そう言った。
「わたくしの妹たちは、とても出来た子たちです。わたくしなどとは違ってとても頭がよくて、努力家で……。みんな、この『亜世界』のために尽くしてくれています」
「……」
「わたくしは、あんな素晴らしい妹たちと同じ『亜世界』で暮らせること、そして、あの子たちの姉でいられることを、心の底から誇りに思っています。だから……どうかアリサ様にも、わたくしのその気持ちを分かっていただきたいのです。どうか……あの子たちのことを、悪く言わないでいただきたいのです……」
それはきっと、さっきのでみ子ちゃんの部屋でのことを言っているのだろう。
私が、妹ちゃんたちのことを殺人犯だと疑っていることを知って、エア様はショックを受けた。それでもさっき見たときは、もうそのことを受け入れてくれて、いつもの彼女に戻ってくれたのだと思っていたのだけど……どうも、そうではなかったみたいだ。
彼女は、やっぱり妹ちゃんたちが自分を殺すなんて微塵も思っていない。妹ちゃんたちが犯人だなんて、あり得ないって思っているんだ。
で、でも!
そう言って彼女に反論をしたい気持ちを、私はなんとか我慢した。
今は、彼女の話をちゃんと聞いてあげたいと思ったから。
「わたくしは、あの子たちのことを信頼しています。あの子たちが、わたくしのことを殺すはずがないことを、確信しています。優しいあの子たちに、そんな恐ろしいことが出来るはずがありませんからね」
それは、たぶん違います……。
それでも私には、心の声が呟くことまでは止められない。エア様の話を聞きながら、即座にそれを否定していた。
妹ちゃんたちは、確かに優しいように見えるときもある。アグリちゃんとか、アナとか……。でもそれはきっと、相手がエア様だからだ。彼女たちはみんなエア様が大好きで、エア様に自分のことを見てもらいたい、自分を好きになって欲しいって思っている。だから、そんな彼女たちがエア様に優しくするのは当然で、それは、「エア様への愛情」からくる利己的な態度に過ぎないんだ。裏を返せば、彼女たちはその「優しさ」で、自分がエア様を手に入れるためならどんなことだってするだろう。だから私にはエア様のように、彼女たちが殺人なんかできるはずがないなんて断言することは出来なかった。
「わたくしは、あの子たちのことが大好きです。あの子たちみんな、わたくしの大事な宝物です。それにあの子たちも……少なからずわたくしのことを大事に思ってくれているようです……。ですから、あの子たちがわたくしを殺すなんて、あり得ないのです」
「はい……」
その返事とは裏腹に、むしろその時の私は、エア様の言っていることの逆を考えていた。彼女の言葉からヒントを得て、新しい考えを持ち始めていた。
エア様の妹ちゃんたちは、どうみても、心の底からエア様を愛している。そして、その思いを叶えるためなら他人を蹴落としても、どんな手を使ってでも構わないという覚悟があるんだろう。だけどもしも、それだけの気持ちがあるにもかかわらず、エア様が自分だけの物にはならないと知ってしまったら? お姉さんであるエア様が、1人の妹だけの物にはならないと気づいてしまったら……? 可愛さ余って憎さが100倍的な感じで、「自分の物にならないのなら、いっそ……」なんて感情を持ってしまってもおかしくないんじゃないだろうか? 今まで私は、妹ちゃんたちの中に実はエア様を殺したいほど憎んでいる娘がいて、その娘が犯行に及んだ可能性を考えていた。だけど、真相はその逆だってあり得るってことだ。
そう考えると、昨日アナが言っていたことにも一応説明をつけることが出来る。
妹ちゃんたちは毎日、アナの分析家の職能によって「精神鑑定」を受けている。だからもしもエア様を憎んでいる娘がいるとしたら、アナにはそれがすぐにわかる。でも、昨日までは確かにそんな考えを持っている娘はいなかったわけだから、妹ちゃんの中にエア様を殺すような娘がいるはずがない……ってのが、アナの意見だった。私も実は、そのことはちょっと引っかかっていたんだ。
でもそれが、エア様への殺意を持っている娘じゃなくって、逆にエア様のことを大好きな娘だったとしたら、どうだろう? エア様の6人の妹ちゃんたちはみんな、エア様のことが大好きなんだ。だからその好意がちょっと他の人より大き過ぎたり、思いつめた方向に向かっていたとしても、きっとアナはそれを異常だとは判断できないだろう。
そうか。きっと『1周目』と『2周目』でエア様を殺した犯人は、そういう娘なんだ。これでまた1歩、私は犯人に近づいた……。
「アリサ様」
気づけば、エア様が悲しそうな顔で私を見ていた。
「貴女はそれでもまだ、わたくしの妹たちのことを疑っておいでなのですね……」
え? も、もしかしたら、また私は考えていることを喋っちゃってて、と思ったけど……。どうやら今回は、そうではないらしい。彼女はただ、一生懸命に説得してくれる彼女の言葉も聞かずに、頭の中で推理を続けていた私の様子を見て、直感的に自分の気持ちが伝わっていないと気づいただけのようだ。
私は、気まずくなって一瞬彼女から目をそらす。でもすぐに思い直して、エア様の目をまっすぐに見つめ返して、言った。
「はい……。今の私には、その可能性が1番高いと思います」
「あぁ……」
嘆きにも、私に呆れてしまったため息にも聞こえるような声を出して、俯くエア様。そこには、神々しいオーラもなければ、いつもの可愛らしさもない。一気に生気が抜け出てしまったような、くたびれた表情だった。エア様がそんな風になってしまったのが自分のせいだということに、私の心は強く押しつぶされそうになった。
「だって」
その重圧から逃げ出すように、大声を出す。
「だってこのままだとエア様、また死んじゃうかもしれないんですよっ!? 今の私たちはただの『亜世界樹』の計算している1ループで、本当の現実世界じゃない。だけど、こんなことが何度も続いちゃったら、これが現実になっちゃうかもしれないじゃないですかっ! 『亜世界樹』の計算が全部完了して、最良のパターンを選ぼうってときに、もしも計算したパターン全部でエア様が殺されちゃってたとしたらっ!? そうしたら、『亜世界樹』がどのパターンを選んだとしても、エア様は死んじゃうんですよっ!?」
私の大声に驚いた小鳥たちが、一斉にその場を飛び去った。でも、エア様は微動だにせず、うつむいたままだった。
「……」
このパターンが現実になる。それが、今の私が1番恐れていることだ。
確かに今の私たちは、『亜世界樹』が計算する無数のパターンのうちの、1パターンでしかないのかもしれない。他に「最良のパターン」が見つかれば、あっけなく消されてしまうような不確かなものなのかもしれない。でも、だからと言ってエア様が殺されるのを黙ってみていちゃだめなんだ。
もしも、今回を含めてこれから経験するどれかのパターンで、私がエア様の命を守り切って『明日』を迎えることが出来たとしたら……。エア様が生きているパターンと、死んでいるパターン。どっちがより良いパターンかなんてのは、昨日今日ここにやってきた私だってわかるような簡単な2択だ。計算が完了した時点で『亜世界樹』は必ず、エア様が生きている方のパターンを採用してくれる。そうなれば、本当の現実の『亜世界』に、現実の私が転送されてきた時も、みんなはそのパターンの通りに行動出来るだろうし、エア様も生きたまま現実の明日を迎えることが出来る。
でも、もしも私が全てのパターンでエア様をみすみす死なせてしまったなら……。考えたくもないことだけど、そうなったら現実の私たちは、その「エア様が死んでしまうパターンのどれか」と、同じ行動をとらなくちゃいけないってことになる。エア様が死んでしまう結末が最初から分かり切っている、後味の悪い悲劇のようなパターンを現実として受け入れなければいけなくなるってことなんだ。
きっと、でみ子ちゃんがさっき別れ際に私に言ったことも、今と同じようなことを考えたからなんだろう。エア様が死んでしまうのが1回だけなら、それはたまたま最悪のパターンを見たってことで片づけられる。でも、『1周目』だけじゃなく『2周目』も同じようにエア様が死んでしまったと知って、彼女も慌てだしたんだ。もしも、そんなことが『3周目』の今回も『4周目』の次回も、そのあともずっと続いてしまったら……? そんな事態を想像したから、余裕ぶっていたはずのでみ子ちゃんが「次回は自分も手を打たなければ」なんて言ったんだ。
「だ、だから私は! それがどんなにあり得ないことだとしても、今は妹ちゃんたちのことを疑うしかなくって……!」
「分かり、ました……」
俯いたままのエア様が突然、私には目を合わせずに何かを言い始めた。
「アリサ様のお気持ちがとてもお強いことは、よく、分かりました。そのお気持ちが、わたくしのことを思ってのことであることも、何より感謝しております。ですが……」
「え?」
「ですが、そんなアリサ様に失礼を承知で、お願いがあります。もしも仮に、全てがアリサ様のおっしゃる通りで……万が一に、妹たちの中の誰かがわたくしのことを殺すのだとして……。彼女がそれをすることを、止めないでいただけませんでしょうか?」
一瞬、周囲に強めの風が吹いて、木々を揺らした。
エア様のさらさらの金髪も、光の粒子をまき散らしながら揺れる。彼女は続ける。
「もしも、妹たちがわたくしを殺すとしたなら……わたくしは、それに逆らったりはしません。ですからアリサ様もどうか、私が死ぬのを防ごうとしないで下さいませんか?」
それは、全く予想のしてなかった言葉だった。
「そ、そんなこと! 出来るはずがないじゃないですかっ!」
そして、私はまた声を荒げてしまった。
でも、それは当然だろう。エア様が死んでしまうのを知って、みすみすその犯人の犯行を許せるはずがない。
「ですが……それはこの『亜世界』にとって『正しいこと』であり、『必要なこと』なのです。それを止めてしまっては、この『亜世界』のためになりませんから……」
「え……?」
私には、その言葉をすぐには理解出来なかった。
「エア様を殺すことが、『正しいこと』……? な、何言ってるんですか、エア様? そんなの……全然、意味わかんないですよ……? だってそんなの、あり得ないじゃないですか……」
「いいえ」
小さく首を振るエア様。
俯いていた顔を上げて、私をしっかりと見る。その顔は、不思議なくらいに落ち着いていた。
「以前のループのわたくしは、アリサ様にきちんとご説明しなかったのでしょうか? この『亜世界』では、最良なことしか起きないと……この『亜世界』で起こることは、全てが正しいのだと……」
「そ、それは……」
確かに、エア様は『1周目』に私と初めて出会ったときにそれと同じ言葉を言った。そのときは、私がまだ『亜世界樹』のことを知らなかったから、その言葉の意味をよく理解できなかったけど……でも、今は違う。私はエア様に反論する。
「あ、あれはあくまでも、『起こり得る中で最良のことしか起きない』って意味でしょうっ!? いくら『亜世界樹』があったとしても、エア様を死んじゃうことが正しいわけないしっ! そんなの、ただの言葉のあやですよっ!」
「いいえ……」
よくよく考えたら、言葉を言った本人のエア様じゃなく私の方が「言葉のあや」とか言ってたりして、そのときの私は随分と混乱していたみたいだ。でも、エア様が突然おかしなことを言うもんだから、それも仕方なかったんだ。エア様が死んじゃうことが正しいなんて、そんなことは絶対にあり得ないって、エア様に分からせようとしたんだから。
でも、エア様はそんな私の言葉には全く動じていなかった。
「それは、違います」
「な、何でよっ!?」
失礼なほど乱暴な口調になっていた私の台詞も少しも気にせずに、彼女は安らかな表情で答える。
「ですから……この『亜世界』は、常に『亜世界樹』が選んでくれた最良のルートを歩んできたのです。今日のことだけでなく、今までにも、ずっと……。ということは、『今日』につながる過去、すなわち『昨日以前』は、全て最良の毎日だったということなのです。その『最良の過去』があるからこそ、今日という日がある。ということは、今日行うことが出来るあらゆる選択肢は、『昨日』までの最良の選択肢の積み重ねがあったからこそ生まれたものに他ならないのです。もしも『今日』のわたくしが、妹の誰かに殺されてしまうとしたらならば……それは、『昨日』までの間にその子がわたくしを『殺したい』と思うような、何かのきっかけがあったということ。『昨日』までのわたくしが、その子と充分な信頼関係を築けていなかったということで、つまり、わたくしに原因があるということなのです。そして、わたくしがその原因を解消せずに『昨日』を終えられた……言い換えるなら、妹のうちの誰かが『わたくしを殺すかもしれない』というフラグが立ったまま、『今日』を迎えられたということは………それを、『亜世界樹』が最良と判断したということなのです。わたくしが死ぬ可能性が有ることがこの『亜世界』にとって良いことだ、わたくしは死んでもよいのだと、『昨日』の『亜世界樹』が判断したのです。つまり、わたくしが死ぬということは決して誤りや罪などではなく、むしろ、この『亜世界』にとって正しいことなのです。『亜世界樹』という、今まで1度も間違ったことのない完璧な計算機が、私に死ぬべきだと言っているのです」
「そ、そんな……」
当然のことのようにそんなことを言うエア様に、私は絶句してしまった。
さっきの突風は既に静まって、周囲はさわやかな風の吹く美しい森に戻っている。小鳥のさえずり、小川のせせらぎが心地良いリズムの音を奏でている。そしてそんな完璧に心安らぐ大自然の中で、目の前の完璧な美形エルフが、優しくこちらに微笑んでいる。今更になって「実はコレ、全部夢でした」って言われても信じちゃいそうなくらいの、出来すぎな世界。
でもそれが、一瞬にして楽しい夢から悪夢になってしまったようだ。そのくらい、今の私はショックを受けていた。エア様の言葉と、その言葉に対してどこかで納得しそうになっている自分自身に。
「で、でも……!」
それでも、私は何とか反論しようとする。
「エア様は皆に優しくて、皆に愛されていて、完璧で……そんなエア様が死ぬことがいいことだなんて、絶対にありえないですっ! そんなの、きっと何かの間違いで……」
「いいえ」
エア様は今度は首を大きく振って、言った。
「アリサ様は、わたくしのことを買いかぶっておられます。わたくしは、アリサ様がおっしゃって下さるほど優れた者ではありませんよ。いえ……むしろわたくしが死ぬパターンを『亜世界樹』が選んでも、それは当然と言えるかもしれませんね。だってわたくしは…………殺人を犯している身なのですから」
「え……」
「『宇宙飛行士』…………わたくしはかつて、妹の1人であった彼女の命を奪ってしまいました。その罪を背負っているわたくしは、やはり死ぬべきなのかもしれません……」




