08'
時刻は深夜の1時くらい。
私はさっきから相変わらず、あーみんのアイドルライブを見ていた。
「…………
ヒラリヒラリ… 花が舞い落ちる 亜世界樹
キラリキラリ… 私は愛を知り 流す涙
just a moment! どうして私を置いて行ってしまうの?
just a little bit! 私のわがままを…………」
9時に始まったときは、女の子女の子した可愛らしい曲ばっかりだったライブのセットリストは、夜も更けて来ると少し大人びた曲も現れるようになっていた。バラードちっくの曲調に歌詞も切ない感じで、あーみんったらキュート系アイドルからクール系に転向したのかな? なんて。でも実際のところは単純に、エア様が自室に帰ってしまったことが原因なんだと思うけどね。
もともと、『亜世界』とかそういうのに巻き込まれる前から割と夜更かし気味だった私としては、夜の1時なんて特別驚くような時間でもない。深夜のバラエティ番組見たりとか、友達の家にお泊まりとかしたら、そのくらいまで起きてることなんて普通にあるし。友達に誘われて自分が興味ない人のライブとかに行くこととかもあったから、あーみんのライブを適当に聞き流すのだってそれほど難しいことじゃなかったしね。でも、エア様の方はそうでもなかったみたい。
『1周目』の時点から、時間が遅くなると目を細めて眠たそうに頭を揺らしてた彼女だったけれど、その感じは今日も変わらなかった。晩御飯のときに雑談がてら聞いた話だと、実は彼女って、普段は夜の10時くらいには床についちゃうような超健康優良児だったらしい。『昨日』は、別の『亜世界』からやって来た私を案内するっていう役割があったから遅くまで起きてくれていたけれど…………本当はずっと眠たいのを我慢してくれていたんだ。
あー。寝る子は育つって言うもんねー? だからかー。毎日そんな生活送ってるから、私なんかと違って体の発育がよくなっちゃうのかー。なるへそー……とか、そういう言ってて悲しくなるひがみは、とりあえず置いておこう。
とにかく、私が今言いたいことは、今日もそんな風に眠たそうにしてたエア様には、さっさと自分の部屋に帰って眠ってもらうことにしたってこと。だから、今ではこのあーみんのライブ会場にいる観客は、私だけになってたんだ。
彼女的には、「お客様が起きているのに、わたくしだけが先に眠るわけには……」なんて言って、最後まで1人で部屋に戻るのを渋っていたけど……そこはちょっと無理矢理にでも、私の意見を押し通させてもらった。
だって、エア様がいつまでもそばにいたんじゃあ私の目的が果たせないもん。言葉は悪いけど、エア様には部屋で眠ってもらって「おとり」になってもらわなくちゃいけないんだから。『1周目』でエア様を殺した真犯人を誘いだすための、おとりに……。
「…………
いっそのこと私は 貴女を奪って 2人で……
たとえそれですべてが 台無しになるとしても
私は貴女が大好きだから……」
あとそれから。あーみんの歌に現れていた変化は曲調だけじゃなく、実は彼女が職能で「歌詞にルビを振る」ときの内容も、最初と比べるとちょっと様子が変わってきていた。
それはまるで、ランダムな数字配列。それか、理解不可能な暗号みたいだ。それまでは私が意味を理解出来る言葉が重ねられていた「ルビ」に、そんな意味不明なノイズのようなものが現れるようになっていたんだ。
でも、それらはもちろんただのノイズなんかじゃなく、ちゃんと意味があるものだ。むしろ、これこそが彼女の仕事の真骨頂、彼女の歌の存在意義だって言ってもいい。だってその数字配列こそが、『亜世界樹』が計算した「明日の計算結果」だったんだから。
時刻が深夜1時を過ぎて、今まで眠っていたでみ子ちゃんが起きてきたんだろう。それで、あーみんはでみ子ちゃんから「明日の計算結果」が『亜世界樹』の中のどこに格納されているのか教えてもらった。そして彼女はその格納場所にある「計算結果」を読み取って、歌を介して他の皆の心に「インストール」しているんだ。明日の皆が、その「計算結果」の通りに行動出来るように。
でみ子ちゃん本人から聞いた話だと、木の精霊のエキスパートである彼女なら、自分自身がこのライブのステージに来なくてもあーみんにメッセージを伝えることが出来るらしい。『亜世界樹』を振動させて、糸電話みたく言葉を伝えられるんだったかな? 詳しいことはよく分かんなかったんだけど、まあそんな感じで、でみ子ちゃんはいつの間にか「明日の計算結果」をあーみんに伝えていたってわけだ。
「…………
ツライツライ… 恋が破れ散る またいつか……」
それにしても……。
彼女の歌にのせて伝わってくる意味不明な数列を感じながら、私は考えてしまう。
彼女のこの歌には、『亜世界樹』が計算した最良の明日がのせられている。ってことは、この歌をずっと聞いていれば、私の心にもその明日のパターンがインストールされるんだろうか? 私もこの『亜世界』の一員として、『亜世界樹』が最良だと保証してくれたパターンを……みんなが一番幸せになれる行動を、無意識的にとることが出来るようになるんだろうか?
もしも本当にそうなのだとしたら、それはすごく喜ばしいことだと思う。『亜世界樹』が計算したことだけを信じていれば、必ず最良の結果が得られるのなら、もう誰も傷つかなくてすむ。もう私は、誰も傷つけなくてすむのだから…。
とりとめもなくそんなことを考えているうちに、それから更に、30分くらいがたった。
「皆、応援ありがとお~! 姿は見えなくても、皆の応援はあたしのところまでしっかり届いてるよ~! でも、ざ~んね~ん……。ここで第2部は終わりで~す、え~んえ~ん。第3部は10分の休憩の後、すぐだよ~! そのまま、ちょ~っとだけ待っててね~!?」
曲調はクールになっても、歌ってないときのキャラはそのままらしい。あーみんはそう言うと、数時間前と同様に休憩室の方へと走っていった。
休憩、か……。
私は少し身構えた。
さっきの、1部が終わって2部が始まる休憩のときには、まだエア様は起きていた。でも、今回の2回目の休憩では、エア様は部屋で1人で眠ってしまっている。エア様を襲うとしたら、絶好のチャンスってことになる。もしも彼女が犯人なら、何か行動を起こすかもしれない。
私は全身の神経を集中して、休憩室から彼女が抜け出したりしないかをずっと見張っていた。
※
それから、更にしばらくたって。
私は休憩室を睨み付けたまま、首を傾げていた。
おかしい……。
あーみんが引っ込んでから今まで、私はずっと休憩室を見張り続けていた。そりゃ、瞬きとかあくびとかで、ちょっと目をつむっちゃうことはあったかもしれないけど……でも、そんなのはほんの一瞬。基本的には、目を離さずにあーみんのことを監視していたはずなんだ。その間、あーみんはもちろん、他の妹ちゃんやこの森に住む動物たちですら、あの休憩室から出てきたり中に入っていくことはなかった。つまり、さっきあーみんが入ったきり、その休憩室には何の変化もなかったんだ。
うん……やっぱり、おかしい。
私はもう1度その言葉を呟く。
だって、だってそうじゃない? やっぱりこんなの、何か変だよ。何か起きているとしか、思えないよ。だって、あの休憩室にはなんの変化もなかったんだから。変化がないってことが、逆にすごくおかしいよ。
あーみんが休憩に行ってから、もう20分はたってる。でも、いまだにあーみんはステージには現れていなかった。
胸騒ぎがする。
何か、嫌な予感がする。
彼女確かに、「10分」って行ったよね? 休憩時間は10分、それで第3部が始まるって。でも、その約束の時間から既に10分オーバーしてるんだよ? これって、絶対おかしいじゃん。一体何が……………………ま、まさか!?
次の瞬間私は、森の中を駆け出していた。
そのときの私がもう少し冷静だったなら、駆けるよりも先に、まずはその「休憩室」の方を目指していただろう。彼女は今、その中にいるのか、いないのか。何より先に、そのことを確認するのが重要だってことに、気付けたはずだった。でも、残念ながらそのときの私には、そんなことを考える余裕なんてなかった。
私の目指していたのは『亜世界樹』の、エア様の部屋だ。
その理由は、さっき私の頭に浮かんだ1つのイメージだ。それは、休憩時間を過ぎてもあーみんが現れないことを説明出来る、最悪の予測。
あーみんがいつの間にか休憩室を抜け出して、エア様の部屋へと向かっているんじゃないかってことだった。
そんなことが本当にあり得るんだろうか?
分からない。分からないけど、でも、決して不可能じゃない気がする。あの休憩室に抜け道があったとか。あるいは、何かの精霊魔法を使うとか……。
詳しい方法は分からないけど、でも、こんな私の世界とは全然違う『亜世界』なら、なんだって起こり得るはず。少なくとも、ステージの外から休憩室を見てるなんて方法じゃあ、彼女の犯行を防ぐことなんて出来るはずがなかったんだ。
ああ、どうしてその可能性に気づけなかったんだろう! どうして、休憩室の中まであーみんを追いかけなかったんだろう!
このままじゃあ、私のせいでエア様が…………。
私は駆ける。全力で駆ける。
あーみんがライブに使っていた木製のステージは、走り続ける私の背後でどんどん小さくなっていく。いまだに、そこから何かの音楽が聞こえてくることはない。ああ、やっぱりそうなんだ……。
いつの間にか、私は自分が想像した最悪のイメージをほとんど事実だと思うようになっていた。
そして、それから数分後。
ようやく私は『亜世界樹』の前までやって来た。
「エア様の部屋へっ!」
その大樹の幹に手をあてて、息を切らしながら叫ぶ。するとその声に反応して『亜世界樹エレベーター』が起動して、日が明けてしまうかと思うほどのゆっくりなスピードで、木の幹に穴が開き始めた。
「ああっ!もおうっ!」
苛立ちすぎた私は、いまだにサッカーボール位の大きさしかないその穴に手をかけて、力でこじ開けて出来るだけ早く大きくしようとする。けれど、もちろんそんなことに意味なんてない。『亜世界樹』を動かすことが出来るのは精霊の力、アキちゃんの職能だけなんだから、どんなに力を入れたってなんとかなるわけはなかったんだ。
「早く……早くしないと! エア様が、あの娘にっ!」
それでも、そんなこと分かっていたとしても、私にはそんなことをやって気持ちを落ち着けるしかなかった。
やがて、10分とも1時間とも思えるような長い時間(でも実際には、10秒もなかっただろう)を経て、エレベーターの穴は充分に大きくなった。すぐに私はその中に飛び込む。私が中に入りきったことを感知したエレベーターは、開くときと同じようなゆったりとした時間をかけて、その扉を閉じていった。
早く! 早く! 早く!
扉の自動の動きを、心の中で急かす私。早くしないと、私があーみんのことを逃したせいでエア様が……。私のせいで、エア様が……。
焦り過ぎた私は、完全に冷静さをなくしていた。
やがて、ようやくそのエレベーターの扉が閉まりきった…………と思った瞬間。外からそのエレベーターの中に、ゆっくりと白くて綺麗な手が差し込まれた。
今にも閉じそうになっていた『亜世界樹』の穴は、その手の存在を関知したのか、またゆっくりと開いていってしまう。
ど、どうして!? 誰が!?
驚きで飛び上がった私は、その手から離れる。やがて、エレベーターの扉がまた開ききったとき、そこにいたのは…………。
エア様の妹の1人、分析者のアナだった。




