06
「きゅふふふ……。わ、我……我も……」
「ん?」
私が文字通り体を痺らせながら、緑色のチーズケーキの残りを口に運ぼうとしたとき。
4人掛けのテーブルで私の向かいの席に座っていた「もう1人のエア様の妹ちゃん」が、ぶつぶつと何かを呟いた。エア様と楽しそうに話していたアグリちゃんは、その蚊の鳴くような声に気付いて、「彼女」の方を向いて苛立たしそうに言った。
「……何や?」
「わ、我もその、ち、ち、ち……ず」
「は?何てー?」
「い、いや、だから……。我も、こやつと同じ、そ、そ、その、『ちーずけーき』を、だな……」
「何言うとるか、全然わからんわっ!言いたいことがあるなら、もっとはっきり言いな!そんなボソボソ言うたかて、風の精霊だってシカトするでっ!?」
「ひっ!」アグリちゃんの強い口調に、一瞬飛び上がって驚いた「彼女」。でも、こんなことには割りと慣れっこなのか、すぐに元の調子に戻って続けた。「う、うむ……。貴様の言うことも、もっともである……。それでは、改めて我が要求を伝えるとしよう。有り難く聞くがよい……」
「へいへい。ありがたやー、ありがたやー……んで、だからなんやねん?」
「わ、我も……この、愚かな異世界人の食べている物に、興味があるのだ。い、今すぐ同じ供物を差し出すがいいのだぞ。翡翠の加護を得し、我が同胞よ……」
「誰が『ヒスイのカゴを得し』やねん。そんなカゴ、誰からももろうた覚えないわ。……ま、よーするにさっきのアマアマなやつを、もういっちょってことやろ?オーケーやで。ちょい待ちーな」
「分かれば良いのだ。分かれば……な。きゅふふふぅ……」
その「彼女」の格好は、魔術師みたいな黒いローブ。すっぽりかぶったフードからのぞく頭は、やっぱり金髪だ。
さっきから、一見するとちょっと横柄にも見えるような態度をとっていた「彼女」だったけど、言われてる側のアグリちゃんには、そんな事を特に気にしてるような様子はない。むしろ、そんな態度をとらずにはいられない彼女のことを、「ちょっとかわいそうな娘」として憐れんでいるぐらいだ。エア様も特に何の反応もしてないようだし、どうやら、これが彼女のいつも通りの様子ってことらしい。
「さっきのと同じやつなぁ?まだ使えそうな食材なん、この辺にあったかいなぁ……」
新しいオーダーを受けて、またアグリちゃんは周囲の食材を探し始める。指示した方の彼女、「けみ子ちゃん」は、そんなアグリちゃんのことを邪悪な笑みを浮かべて見つめていた。
多分、その行動に特に深い意味なんかないんだろうけどね……。
錬金術師。
エア様からは、そんな風にけみ子ちゃんの紹介を受けた。
でも、何それ?前にも言ったけど私、そういうファンタジー的なのって、あんまり詳しくないんだってば。
いや、錬金術師って言う言葉自体は歴史か哲学かなんかの授業で聞いたことある気もするから、大昔には実在した職業なのかもしれないけどさ。でも正直、その意味については全然分かんない。私、こう見えても意外とガチの理系だから、そっち系の知識は必要ないんですよね。
でも、えっと……何だっけな?エア様の話じゃあ、この『亜世界』の錬金術師っていう職業も、やっぱり他の職業と同じように、私の世界の意味とは微妙に違うらしいんだけど……。
「うずく……うずくぞ……。我が右腕に封印されし闇の力が、300年ぶりにその力を解放せよと、うずいておるわ……きゅふふふふ……」
スプーンを持った右手をプルプルと震わせながら、それを左手で押さえつけ、仰々しい口振りでそんなことを言うけみ子ちゃん。まるで、今にもその手から恐ろしいモンスターでも飛び出してきそうな感じ…………だけど、本当に何か出てくるなんてことは、ありえない。
そりゃそうだ。だってここは、『妖精女の亜世界』なんだもん。いくら彼女の腕が「解放せよ」とか言ってたって、モンスターなんか出てくるわけない。てゆうかけみ子ちゃん、単純にチーズケーキ食べるのが楽しみ過ぎて、テンション上がっちゃってるだけでしょ?
アグリちゃんもそれは分かっているらしく、そんな彼女のことなんか全く気にせずに、マイペースに食材探しを続けていた。
でも……。
「まあ、錬金術師?貴女、右腕が痛いのですか?」
「え……?」
でも何故か、そんな変なこと言ってる彼女を、真に受けてしまった人が1人いた。エア様だ。
エア様は心配そうな顔で、けみ子ちゃんの顔をのぞき込む。
「貴女は先ほど、腕がうずくと言っていませんでしたか?『うずく』というのは、『痛む』ということですよね?」
「い、いや……そ、そういう訳ではなくて……」
調子が狂ってしまった様子のけみ子ちゃんが、それを訂正しようとする。でも、エア様は止まらない。
「まあ!?貴女、その右腕の包帯はどうしたのですか!?まさか、ケガをしているの?ああ、300年前ですね!?300年前に起きた、この『亜世界』を壊滅させるような大地震のとき、貴女には『職能』を最大限に発揮してもらいましたものね!あのときに、貴女はわたくしの気付かないところでその腕をケガしていたのですね!?そしてそのケガが、いまだに治っていないということで……」
けみ子ちゃんの右腕に巻いてあった包帯に気付いて、悲鳴をあげたエア様。まあ……その、「わざとらしいくらいに右腕をぐるぐる巻きにしている包帯」のことなら、私もとっくに気付いていたんだけど……。でもなんか、それに触れるといろいろと面倒くさそうだったから、無視してたってゆうか……。
「あ、姉上……?これは別に、ケガとか、そういうのではなくてですね……。我が肉体に宿る強大な力を封印するための、制約的なもので……。100%の自分の力を抑えつけておくための、魔力の宿る枷というか……」
「まあ!?もしかして貴女、具合が悪いのですか?それで体力が落ちていて、100%の本来の力を発揮出来ないということ?そうか、だからさっきの貴女は右手を震わせていたのですねっ!?」
「だ、だから違っ……!さ、さっきのは、我が右手に封印されし闇の力がうずいていて……それを、押さえつけようと……」
「農業家!錬金術師が大変なの!彼女、寒気がして、体を震わせているのよっ!風邪をひいてしまったのかもしれません!おかゆか何か、消化がよくて栄養になる物を作ってもらえますか!?」
「い、いや、我はおかゆよりも……『ちーずけーき』とやらの方を、所望していて……」
「農業家!聞いているのっ!?早く、何かこの娘に薬になる物を……ああ、こうしてはいられないわっ!建築家に頼んで、病気療養用の施設を建築してもらいましょう!それから、研究者に風邪を早く治す方法を聞いて……ああ!今はまだ彼女は寝ている時間だったわっ!どうしましょう!このままでは錬金術師が……彼女が……!」
…………。
……あ、そうだ。思い出した。
確か錬金術師のけみ子ちゃんの『職能』は、「木水火風の精霊を相互に変換する」っていう力だった。
エア様の話だと、本当なら精霊っていうのは、私の世界で言うところの原子とか電子みたいな「それ以上分割することの出来ない世界を構成する最小単位」なんだそうだ。でも、木水火風の精霊のエキスパートであるけみ子ちゃんは、その最小単位であるはずの精霊を更に細かく分解して、別の精霊として作り変えることが出来るらしい。
本来、火の精霊っていうのは火があるところだけに存在するし、水の精霊は水があるところに存在する。木や風の精霊でも、それは同じことだ。
でもけみ子ちゃんの『職能』で火の精霊を水の精霊に変換してしまうと、火のあるところに水の精霊があるっていう状態になってしまって、『亜世界』のルールと矛盾してしまう。だけどそんな間違った状態を許さない『亜世界』は、たちどころにその矛盾を修正してしまって、結果として、元々有ったはずの火が精霊に引っ張られて水に変わってしまうっていう現象が起きるんだそうだ。
つまりその現象を応用すれば、彼女は火から水を作り出すことも出来るし、風から木を作り出すことも出来る。その気になれば、この『亜世界』全部をただの空気にしてしまって、消滅させてしまうことさえ出来るってわけだ。心の精霊は範疇外だから、それに対応する自然物である、「生き物」だけは変換することは出来ないんだけど。それを除けば、この『亜世界』に存在するあらゆる物を、別のあらゆる物に自由に置き換えることが出来る『職能』……それが、けみ子ちゃんなんだ。
本当に、言葉通り何でもありの力だ。そんな超強力な彼女の『職能』こそ、あらゆる意味で、本当に最強って言っていい能力だと思う。
でも、超強力で何でもあり過ぎるのって、実は長所よりも短所の方が大きかったりするんだよね。だってその『職能』、あまりにも強力過ぎて、ちょっと使っただけでも簡単に『亜世界』の精霊バランスを壊してしまうってことで、『管理者』のエア様から「滅多なことがない限りは使ってはいけません」って言われちゃってるんだから。
彼女が自分の『職能』を使えるのは、例えば、突然大地震が起きて『亜世界樹』ごと海に沈んじゃったり、この『亜世界』に突然氷河期が訪れたりとか。そういう、『亜世界』のバランスが彼女以外の原因で崩れてしまった非常時のみ、なんだそうだ。
そう言う意味で、チート級の最強の『職能』を持ってるけみ子ちゃんも、現時点では私と大して変わらない普通の人で……。いやそれどころか、終始イタいことを呟くだけの中二病患者でしかなかったりするという……。
「し、鎮まれ!鎮まりたまえ、我が右腕よっ!その高ぶった力を抑え、再び深き封印につくがよいっ!…………よし、これでもう大丈夫ですよ姉上!ほ、ほら!?もう、手は全然震えてないでしょ?うん、すっかり私の具合もよくなってきたし……」
「錬金術師……そんな風に、強がらなくても良いのですよ?貴女はそうやって300年もの間、わたくしたちの前で気丈にふるまってきたのでしょう?ごめんなさいね。わたくしは『管理者』なのに、今まで貴女の辛さを分かってあげられなくって……」
「あ、姉上ぇ……、ほんとに何でもないんですよぉ……」
けみ子ちゃんがどれだけ必死に訂正しても、真剣な表情で彼女を心配することをやめないエア様。すっかり自分のキャラが崩壊してしまってるけみ子ちゃんがかわいそうに思えるくらい、その後も延々とその2人の茶番は続いた。
「あほらし……」
だから、一部始終を見ていたアグリちゃんがボソリとこぼしたその言葉は、そのときの私の気持ちと完全に同じだった。




