03
「…というわけで私は、そのバカ王子に騙されて、無理矢理この『亜世界』に連れてこられて…」
あのあと、猫娘のティオ(ティオナナは長いから、そう呼べって言われた)は襲い掛かってきたドラゴンちゃんをコテンパンに痛めつけてさっさとどこかに追っ払ってくれて、私の身の危険はやっとそこで回避された。改めて、命を救ってくれたティオにはお礼を言って、それから私たちはお互いに簡単な自己紹介をした。
「そ、それでね…私はこれから、この『亜世界』の『管理者』っていう人に…会わなくちゃ…い、いけなくっ…て…」
「ゴロゴロ…うにゃ…ゴロ…」
倒木をベンチ代わりに座りながら、自分がどうしてここにいるのかってことを説明している私。ティオは今、ゴロゴロと喉を鳴らしながら私の足元で寝っ転がっている。モンスターなんて間近で見たことあるわけない私の視線は、否が応でもそのティオの方へと向けられていく。
彼女の体は、やっぱり基本は猫に近い作りになっているみたい。Cの形に曲がった猫背の背中に、沿うようにして本物の三毛猫みたいな白黒茶の毛がフサフサと生えている。でも、だからといって全身が毛むくじゃらってわけでもなくって、毛が生えているのは猫耳頭と手と、膝から下。あとは、体の表側にブラとパンツみたいな形の体毛があって、『大事なところ』を隠しているくらい。つまりそれ以外の場所、顔とかお腹、二の腕とか太ももとかには全然毛はなくって、つるつるスベスベの普通の人間の女の子の肌みたいで……。
っていうか…。
視線を動かしていた私は、ティオの横顔から目が離せなくなる。だってこの子の顔って人間の目で見ても普通に可愛いくって、「露出度の高い三毛猫のコスプレをしている美少女」って言われても全然通じちゃいそうなんだもん。この子、本当にモンスターなんだよね…?
「で、でも私…まだ、この『亜世界』のことを何も知らなくって…だから…」
いまだに自分の見ている光景が現実だって信じられない私。つたない自己紹介を続ける振りをしながら、寝っ転がっているティオの猫耳に、気付かれないようにそっと手をあててみた。
ピクッ…ピクッ…。
ティオの耳から私の手へと、かすかな脈動と体温の暖かさが伝わってくる。それは、今私が触れているものが飾りとかじゃなく、確かに生き物の体の一部だっていうことを教えてくれていた。手をなで返す柔らかい猫っ毛は、くすぐったいけれどとても心地いい。
「うにゃ?」
「あ、ご、ごめんっ!」
触られていることに気付いたティオがこっちを振り向く。やましい気持ちがあるわけでもないのに、何故か取り乱しちゃう私。気まずくて、ティオの顔は見ることが出来ない。慌てた私の言葉は早口になる。
「だ、だからさ!?私、いつまでもこんなところで休んでる暇はなくって、早くこの『亜世界』の『管理者』を探さないといけないんだ。でもそれって絶対大変だよね!?ここがどこかもよくわかんないし、当然携帯とかネットが使える訳もないし!あ、あれ、無いよね!?この『亜世界』にネットなんて無いんだよね……って」
そこで、私は唖然としてしまった。
「くー…くー…くー…」
寝てるし…。
嘘でしょ…。ついさっきまで起きてたっぽかったじゃん…。
少し目を離した隙に、ティオは寝息をたてて気持ち良さそうに眠っていた。まだ、私の自己紹介も終わってなかったのに…。この『亜世界』の猫娘は、私の世界の猫に負けないくらいに、すっごい自由だ…。
ごろん。
寝返りを打って、仰向けの姿勢になるティオ。
お腹の部分には猫の毛は生えてないから、彼女のおヘソが丸見えになる。
「なんて、無防備な…」
うん、分かった。やっぱりティオはモンスターなんかじゃなくって、ただのコスプレ美少女だよ。だってこんな無防備なモンスターなんて私、聞いたことないよ?モンスターってもっと狂暴で、人を見たら速攻で襲い掛かってくるような生き物なんじゃないの?さっきのドラゴンちゃんみたく。いや、私があんまりゲームとか知らないだけで、最近のモンスターってのはみんなこんな感じなのかもしれないけどさ…。
ティオが寝っている間に、この子を置いてさっさとどこかに行くことも出来た訳なんだけど、私はそんな気にはなれなかった。
だって私、さっき自分でも言ったけど、まだこの『亜世界』のこと何も知らないんだもん。他のモンスターに襲われていた私のことを助けてくれるような親切な女の子とせっかくお知り合いになれたんだし、彼女が起きてから、この『亜世界』の話をいろいろと聞いておきたいんだよね。
そ、それに…。
「うにゃ…うにゃ…」
至近距離で可愛い声で寝言を言うティオを見ていると、勝手に手がむずむずしてくる。
さっき耳を触ったときの感じ…本当にすっごい気持ちよかったんだよなあ…。
い、いや、実は私って、猫って大好きなんだよね…。家がペット禁止だから今まで飼えなかったんだけど、野良猫とか見かけたら必ずモフりにいっちゃうし。猫カフェとかも、友達誘ってしょっちゅう行ってるくらいで…。
「くー…くー…」
そ、そんな私の前で、こんな、見たこともないような大きさのモフモフ案件が無防備に眠っているっていう、この状況…。完全に誘われてるっていうか…。もう、我慢できるわけがないっていうか…。
思わず、「ゴクリ」と唾を飲み込んでしまう私。
ちょっとだけ…。そう、さっきみたいにちょっとだけなら、ティオも気にしないよね?っていうか、私の前にこんな風に体をさらけ出している時点で、モフられてもしょうがないっていうか…。怒られても、こっちが意味わかんないっていうか…。
自分を正当化しながら、両手の指を昆虫の脚みたいにワキワキと動かす私。それは、これからティオの体を堪能し尽くしてやろうっていう、武者震いのようなものだ。ゆっくりと、その手をティオの体に近づけていく。
「へへ…えへへ…」
ティオの体の毛が生えている部分に、私の指が触れそうになった、その瞬間…。
「え、ちょ、ちょっと待って…」
私はそこでちょっと冷静になって、今の自分の姿を客観視してみることができた。
さっきも言ったんだけど、ティオの体に生えている毛は主に手とか足とかの末端部分がほとんどで、体に生えているのはブラとかパンツとかのピンポイントな場所だけ。そして、今私が手を伸ばしているのは、そのティオの体の大事なところを隠している、ブラの部分にあたるわけで…。つまり今の私って、気持ち悪い笑顔を浮かべながら、眠っている女の子の胸に手を伸ばしてたってことで……。
いやいやいやっ!
これ絶対だめでしょっ!?こ、こんなのどっからどう見たって、ガチレズの変態野郎じゃんかっ!?あっぶなっ!危なかったー、私っ!途中で気付いたからよかったものの、危うくもう少しで、あり得ないような変態行為しちゃうとこだったよ!こんなとこ誰かに見られたりしてたら完全に人生終わってたし、死にたくなってたところだった!あー、早く気づいてよか……。
そこで私は刺さるような視線を感じて、全身の血の気が引いていくのを感じた。
「うにゃ?」
「あ、あー…」
ゆっくりと声の方に視線を向けると、瞼を開けてこっちを見ているティオの猫目と目が合った。
「アリサ、何してるんだにゃ?」
「な、何って……あ、はははは…」
ティオの胸に延ばしていた手を、ゆっくりと自分の方へと戻していく。もちろん、今更そんなことをしても完全に後の祭りだ。
「もしかして、ティオの体に触ろうとしてたのかにゃ?」
「う、うーんとー…、えーっとー…」
ティオの猫目がキラリと光る。その眼光は、睨みつけるように厳しい。
「アリサは、ティオの体に触るつもりだったのか?って聞いてるにゃん…」
うう…完全に怒ってる。
でもまあ、普通そうだよね。ティオは猫じゃなくって、猫娘だもん。ちゃんと人間と同じように意識があるんだよね。自分が眠ってる間に勝手に体触られたりしたら、たとえそれが同性だとしてもやっぱり気持ち悪くって……いや、同性の方が変態っぽくって気持ち悪いくらいかな。
ヤバイ。自分の不用意なセクハラのせいで、このままだと私、命を助けてくれた優しいティオから嫌われてしまうよ。何か、何か言い訳を…。
この状況を誤魔化せるような方法が無いかと必死に頭を回転させてみるけど、そんなのあるわけない。せめて誠意が伝わるように、私は泣きそうな顔を作って言った。
「う、うん。ご、ごめん、ティオ…。でも私…本当に猫が大好きで…ティオの体見てたら、ムラムラっとしてきちゃって、つい…。ほんの…ほんの出来心で…」
どれだけ必死でも、そのときの私の口から出てくるのは痴漢が捕まったときの言い訳みたいな台詞ばっかり。最悪だ。もう、死にたい…。
私は完全に、ティオから軽蔑されたと確信した。でも…。
「にゃーんだ!」
そんな私の言葉を聞くなり、急にティオの顔がほころんだ。
「え…?」
「そうにゃらそうと、早く言ってくれればよかったにゃん!ティオ、びっくりしちゃったにゃん!」
立ち上がって、ケラケラと笑うティオ。
私はいまいち事態が飲み込めなくて、目を丸くしてキョトンとしている。
え、えーと…?つまり、ティオは許してくれたってこと?私のこと、軽蔑してないってこと?そ、それなら、よかったけど…。
「アリサも水臭いにゃん!言ってくれれば、ティオの体くらいいくらでも触らせてあげるにょに!」
いや、そこまで言われちゃうと、さすがに私も気が引けるんですけど…。っていうか、初対面の相手にそんなに気安く体触らせるとか、ティオってもしかして痴女…。
「まあアリサなら、いつかはティオの体を触るだろうって思ってたしにゃ!」
何でだよっ!私のこと、どんな変態だと思ってたんだよっ!
「だってそれってつまり、アリサはティオの『ステータス』が知りたかったってことだにゃ?それだったら、体触るのだって普通だにゃん!」
と思ってたら、またこの子はそんなわけわかんないこと言いだすし…。
は?『ステータス』?何言ってんの?
私が知りたかったのは『ステータス』じゃなくって、ティオの『スリーサイズ』で……って違うわっ!
「でも…」
私が一人でノリツッコミしてると、急に、ティオの顔がまた険しくなる。
「え…?」
「でもアリサがもし…寝ているティオに何か攻撃しようとしてたんだとしたにゃら…」
「ひっ…!」
ティオの猫目が、今度はギロリと光る。
それに合わせて、彼女はモフモフの両手を構えて、手のひらを私の方に向ける。そこにはピンク色でぷにぷにした肉球と、ライオンみたいな鋭い爪があった。
「アリサのこと、ただじゃ置かなかったにゃ…?」
そう言って妖しく笑うティオ。
その口にも、爪に負けないくらいに鋭そうな八重歯が見えていて、しかも、固まってどす黒くなった血の跡までついていた。
そのときのティオの様子は、彼女がコスプレ美少女なんかじゃなく、確かにこの『亜世界』のモンスターだって分からせるのには十分すぎるくらいだった。