04
それから。
私たちはゆっくりと高度を落として行って、再び緑のトンネルを通り抜けて、地上へと降り立った。
と言っても、さっきのエア様の話通りなら緑のトンネルは『亜世界樹』の枝が延びたものだし、地上だと思っているものも、『亜世界樹』の一部なわけだ。実際、地面に生えている雑草をより分けると、その下に現れたのは砂や土じゃなく、太くて茶色い木の根っこの大群だった。
なるほどね……。どおりで、さっきエア様から逃げて走り回っていたとき、すごく固いわりにしなるような感触のする地面で、何かまるで、木製のデッキの上を走ってるみたいだな、とか思ったんだよね。
「ほんとに、全部木なんだ……」
感心したように言葉を漏らす。
それを見て、エア様がまた小さく「うふふ……」と笑って、
「これでアリサ様には、この『亜世界』で最も重要ともいえる『亜世界樹』のことを知っていただいたことになります。この後も、わたくしがアリサ様に色々とご説明させていただかなければいけないことはあると思うのですが、この『亜世界樹』に比べれば、あとはとても微細なものです。『亜世界樹』がこの『亜世界』の根幹、太い幹の部分だとするならば、残りの情報はただの枝葉に過ぎませんから」と言った。
うわ。エア様ってば、木を、木で例えちゃったよ。
……っていうか。
「え、えーと、ちょっと待ってくださいね?私、正直言ってまださっきのことについて、ちゃんと理解できているか危ういっていうか……。それどころか多分、何1つちゃんと分かってないって言ったほうがいいくらいで……」
私、実はまだ混乱してるんだ。
だってそうでしょ?
いきなり空に浮かんだかと思ったら、島ほどもあるような超デカい木が現れてさ。精霊とか言う魔法みたいなものが出てきたり、デカい木を『計算機』だとか言い出したりして……。
この『亜世界』のそういうの、私の知ってるどんな世界とも全然違い過ぎてて、理解よりも前に驚きが勝っちゃうんだよ。
「ええ。大丈夫ですよ」
エア様は優しい口調で言う。
「時間はいくらでもありますからね?アリサ様は、どうぞ、ゆっくりとこの『亜世界』に慣れていってくださればいいのですから」
「時間はあるって言ってもさあ……」
そこで、私の思考は中断された。
「……ぁー……ぁー……様ぁー……」
遠くから、うっすらと声のような物が聞こえてきたから。
「ん?」
「ああ」
「……姉様ぁー……姉様ぁー……お姉様ぁー……!」
その声は、どんどんどんどん大きくなってくる。どうやら、声の主がこっちに向かってきているようだ。エア様がクスッと、咳をするように笑みをこぼす。
「ちょうどよかったですわ。これでアリサ様に、わたくしの妹の1人を紹介できますわ」
そう言って、彼女は声のする方を見つめていた。
妹……。そっか、そう言えばエア様には妹がいるんだっけ。ってことは、今声を出しているのは、その妹の1人?
私も目を凝らしてよく見てみると、数百メートルくらい向こうの生い茂る木々(実際には、無数の『亜世界樹』の枝が、木のように地面から空に向かって延びているもの)の間から、こっちに向かって走ってくる人影のような物が見えた。
「お姉様ぁー!お姉様ぁー!お姉様ぁー!」
大音量の声も、その姿も、今ではだいぶはっきりと分かるようになってきた。
その娘の髪は、エア様と同じようにきれいな金髪。顔も、遠くから見る限りでは結構エア様に似ている。美人だ。
でも、エア様のサラサラストレートヘアーとは違って、彼女のヘアスタイルはウエーブのかかったツインテールだ。服装も、エア様が上質そうな白いローブ姿なのに対して、彼女はキラキラと光る装飾の入った茶色いビキニのブラとホットパンツに、緑のベストを合わせている。全体的に、エア様よりもずっと活動的な感じ。
何より、大きな目を輝かせて「お姉様」という単語を連呼して全力疾走してくる彼女の姿は、あんまり感情を表に出さずに常に上品にふるまっているエア様とは、全然違っている。容姿的には私と同い年くらいっぽいけど、精神年齢は、それよりもずっと幼そうだ。
「お姉様ー!お姉様ー!お姉様ー!お姉様ー!お姉様ー!お姉様ー!お、ねー、さー、まー!」
彼女が、あと数十メートルってところまで近づいてきたところで、エア様が私に言った。
「アリサ様。紹介させていただきますね?彼女はわたくしの妹の1人の、建築家です」
「あ、アーキ…?あ、はいっ、えっと……」
紹介された以上、私も、彼女に自己紹介することにする。走ってくる彼女の前に立って……。
「あ、あの!お姉さんのエア様には、お世話になってます!私は、七嶋アリサって言って……」
「邪魔ですわっ!」
バンッ!
あ、あれ?
「あーん、お姉様ーっ!お会いしたかったですわーっ!」
その娘は、自己紹介しようとしていた私を突き飛ばして、体当たりでもするみたいにエア様に抱き付いた。予想外の出来事に反応できずに、近くの地面に勢いよくしりもちをつく私。
痛ったあ……。
草が生えていてクッションになるとはいえ、やっぱ固い木の根っこにぶつかるのは結構痛い。さっきエア様を突き飛ばしちゃったときも、このくらい痛かったのかな。悪いことしたな。……って、言うか。
「昨日お別れしてから今までの、お姉様にお会いできなかった十数時間……私にとってそれは、100年にも1000年にも思えるほどの地獄でしたわ!ああ!なんて辛く、苦しい時間だったのかしらっ!でも、それももう終わりっ!冷たい雨はいつか止み、沈んだ太陽もやがてまた上るのですわねっ!?私たちはまた今日もこうやって、体を寄せ合ってお互いの愛を確かめ合うことが出来るようになったのですからっ!今日と言う日を与えてくれた『亜世界樹』に、感謝せずにはいられませんわっ!お姉様もきっと同じお気持ちでしょう!?ねえ、そうだとおっしゃってっ!?」
「あ、建築家っ!?貴女、アリサ様に、な、なんてことを……。ああ!アリサ様、大変申し訳ありませんでした!わたくしの愚妹が、とんだ失礼を!」
妹さんが私を突き飛ばすところを見て、ひどいショックを受けたらしいエア様。顔を真っ青にして、わなわなと体を震わせている。私はすぐに立ち上がって、自分の無事をアピールする。
「あーあー!わ、私なら全然大丈夫です!さっきのなんて、全然痛くも痒くもありませんですからっ!」
「ああ、こうなったのは全てわたくしの妹のせい……ひいては、その妹に対する監督が不十分だったわたくしの罪です。そのような大罪には、しかるべき罰をもって制裁を与えなければ……」
「ば、罰!?いやいやいや!そんなの絶対必要ないですよっ!だって、地面にたたきつけられるとか、お尻を強打するとか、こんなの私、普段からしょっちゅうやってますからねっ!?フットサルの部活とかじゃあもっと痛くて厳しい練習だっていっぱいしてますし、もうすっかり慣れちゃいましたよっ!私、結構丈夫なんですからっ!」
本当はまだちょっとお尻が痛いのを我慢して、オーバーに飛んだり跳ねたりする私。でもエア様はまだ、「し、しかし……」と私の方を心配しているような様子だ。
「ほ、ホントに大丈夫ですから!確かにちょっとびっくりしましたけど……。でも、元はと言えば、いきなり彼女の進行方向に飛び出した私がいけないんです!きっと彼女、突然現れた私に気付かなくって、それでうっかりぶつかってしまっただけなんですよ!」
実際には、さっき私にぶつかるときに「邪魔」とか言ってたから、妹さんが私に気が付いてない訳はないんだけど……いや、そんなことはどうだっていい。こんなことで、もしもエア様と妹さんの仲が悪くなってしまったり、エア様が自分自身を責めるようなことになってしまったら、そっちの方が大問題だよ。そんなことにならないためなら、私はいくらだって嘘をつくよ。
「だ、だから、私はもうホントに、何も気にしてませんからっ!だからエア様も、どうか今のことは気にしないで下さい!」
「そ、そうなのですか……?」
私の必死のフォローによって、何とかエア様は気持ちを静めてくれたみたいだった。良かった、とりあえずひと安心だ。でも、一方でその妹さんの方はと言えば……。
「ああ!お姉様ったら今日もお美しいですわっ!いえ!それどころか今日のお姉様は、昨日よりもずっとお美しくなっていますわっ!常に昨日のご自分を超えて行くお姉様、流石としか言いようがありませんわっ!それにしても、貴女ってなんて罪なお方なのっ!?その美しさで私たちエルフだけでなく、卑しい野良犬の心までも惑わせてしまうなんてっ!」
いたってマイペースで、大げさな褒め言葉を並べたてながら、エア様の体に自分の頭をこすりつけていたんだ。ちぇっ、私の気も知りもしないで……。お尻についた汚れを払いながら、私は苦笑いした。
……てか、「卑しい野良犬」って私のことじゃねーだろうな?
「でも、ご安心なさってねっ!?私がいる限り、たかが犬っころなんかをお姉様に近寄らせたりはしませんからね!?私は、いつだってお姉様をお守りしますからねっ!」
「はあぁ……。建築家、相変わらず貴女という人は……」
さっきから、人の話を聞かずに自分の世界に入ってしまっているその妹さんに、エア様もだいぶ呆れてしまっているようだ。私も、そんな彼女が私に聞く耳を持ってくれるとは思えなかったけど、さっきの自己紹介の続きをしようと彼女に手を伸ばした。
「あ、あのー……?そ、それでね?私は七嶋アリサって言ってですね……」
「だから、クソ犬はさっさとどっか行けですわっ!」
体と顔はエア様の方を向いたまま、彼女はピシャリと私の手を払いのけた。
こ、こいつ……。
「こ、こらっ!建築家っ!」
いよいよ我慢の限界になったのか、エア様はその妹さんの肩を持って、彼女を乱暴に体から引きはがす。
「貴女、いい加減にしなさいっ!アリサ様はわたくしたちの大切なお客様ですよっ!?無礼な態度をとるのではありませんっ!」
「はうぅっ!」
両肩を掴んだまま、妹さんに怒号を浴びせるエア様。私はまた、急いで仲裁に入る。
「え、エア様っ!私なら大丈夫です!全然気にしてませんから!」
言いながらちらりと妹さんの方を見ると、彼女は目を見開いてぶるぶると体を震わせていた。まるで、悪いことをしたのが見つかって、今にも泣き出しそうな子供のようだ。
「そ、その娘もきっと、今の言葉は本気じゃないですって!私がいきなり手を伸ばしたから、びっくりして、つい言っちゃっただけですよっ!今はもう反省してるみたいですし、どうか、彼女のことをそんなに怒らないであげて……」
でも、その娘は……。
「お、お姉様が、私の両肩を掴んで下さるなんて……。ま、まさかこれは……このまま、私を地面に押し倒してしまおうということですの……?体と体を重ね合わせて、欲望のままに私をむさぼりつくそうという……。あ、ああ……わ、私……この日を、どれだけ夢に見たことか……」
なんて言って、うるうると涙目になっていたんだ。
ははーん。さてはこいつ、全然反省してねーな?
「わ、私はいつでも、心の準備は出来てますわ。私の体はお姉様の物……お姉様の、好きなようにしてくださっていいんですのよ?で、でも私、こういうのは初めてだから……どうか最初だけは、優しくしてくださいね……?」
そう言って、上目遣いでエア様を見るその娘の顔は、とてつもなく可愛らしくて、そして、とてつもなく憎たらしかった。
それから十分後。
その、建築家と呼ばれたエルフは、再びエア様にべったりとくっついてよく意味の分からないことを言って、エア様を困らせ続けていた。もちろんその間、私は完全に置いてけぼりだ。
それでもエア様が根気強く彼女を説得してくれたおかげで、彼女もようやく私がその辺のただの野犬じゃないってことに気付いてくれて(今更!?)、やっと少しはまともな話が出来るようになった。
「……ということで、アリサ様に改めてご紹介させていただきますね?これがわたくしの妹の、建築家です」
もう自分の体から引きはがすことは諦めているらしく、彼女に抱き付かれたままの状態で、エア様はそう言って彼女を紹介してくれた。
「建築家……」
「はい。それが、わたくしたちが彼女を識別するために使用している属性。そして、彼女が担当しているこの『亜世界』での役割です」
エア様がそう言うと、その建築家と言われたエルフは、「それ以外にも私には、お姉様の恋人という大事な役割がありますけどねっ!……キャッ!言っちゃったっ!」と頬を赤らめる。うざい。
「それから建築家。こちらが、今日この『亜世界』にいらっしゃった……」
次にエア様は、その妹さんに私のことを紹介してくれる。
「この『亜世界』にいらっしゃった……えと……えーっとぉ……なま……なまあしな……」
……ん。
「ななひまな……ひまな……?暇…?」
いやいやいや……エア様、違うでしょ?
「暇な、アリさん……?暇無しな、アリさん……?」
おいこら。跡形なくなっちゃってるだろがい。
どうやらエア様は、私の名前の「ななしまありさ」が思い出せないらしく、紹介の途中でもぞもぞと口ごもってしまう。ほんと、うっかりエルフちゃんだなこのヒト……。いや、名前っていう概念を忘れていたくらいだから、それもしょうがないのかもしれないけどさあ。しょうがなく、私は彼女に耳打ちをして助け船をだす。
「エア様、七嶋です……。私の名前は、七嶋、アリ……」
「あ、ああ!そうでしたそうでした!失礼しました!」
途中で思い出したらしくそれを遮って、改めて彼女は私の名前を紹介してくれた。
「というわけで建築家。こちらが、今日この『亜世界』にいらっしゃった、『七嶋アリサガワ』さんです!」
うーん、惜っしい。
てか、なんだその雅な間違え方。なんか、有栖川みたくなっちゃってんじゃん。だいたい、それじゃあ苗字と苗字だからね。
結局、私はもう一度エア様に自分の名前を説明して、それでやっと彼女も、私の名前をちゃんと紹介することが出来た。まあ、その間中エア様に抱き付いて目をとろんとさせていた妹さんが、それで私の名前なんかを覚えてくれたのかは微妙だけど。
それにしても、さっきエア様が紹介してくれた妹さんって……「妹で建築家の、XXXです」じゃなく、「妹の、建築家です」なんだよね……。
つまり、この『亜世界』には名前っていう物がないから、エア様に抱き付いている目の前のエルフの女の子にも、名前はない。だから、エア様はこの娘を「XXXちゃん」っていう固有名詞じゃなくって、「建築家」っていう職業名でしか紹介出来ない。当然私も、今後彼女のことを呼ぶときはその職業名を使わなければいけないっていうことで……。
うーん……。
やっぱり私、この『亜世界』にまだ慣れないみたい……。
そんな私の苦悩には気付かず、エア様は「建築家ちゃん」の説明を続ける。
「彼女はこの『亜世界』に生まれたときから建築家として育てられ、建築家としての素養を磨いてきました。今では、建築家として彼女の右に出るものは存在しませんし、この『亜世界』で建築家と言えば、それは即ち彼女のことです。つまり、建築家という言葉は彼女の代名詞であり、かつ、その本質でもある。もはや、彼女を指し示すためのそれ以外の識別子など、必要ないのです」
「い、いやだわお姉様ったら!?私が、『この亜世界で一番可愛い』だなんて……」
「へ、へー……」
妄想が強すぎて幻聴が聞こえているらしい「建築家ちゃん」のことは無視して、私はエア様の説明に耳を傾けていた。
「現在の彼女は、建築家として必要な素養を全て兼ね備えています。それは知識であり、技術であり、また、建築に関連する精霊の扱い方でもあります。風と水、そして木の精霊のエキスパートである彼女は、この『亜世界』に存在するあらゆる植物……それはもちろん、『亜世界樹』も含みますが……それらの形状を自在に加工して、家などの建築物や木製の道具を作り出すことが出来るのです」
「建築家が、精霊のエキスパート……?それって……」
聞いているうちに分かったのだけど、どうやら、この『亜世界』での「建築家」という職業名の意味は、私の世界のそれとはだいぶ違うらしい。
「はい。先程お話しした通り、この『亜世界』には精霊というエネルギーが存在します。そしてその精霊エネルギーは、この『亜世界』で起こる全てのことに例外なく影響しているのです。ですから、建築家の仕事をこなす上でも、精霊を扱うことは必要不可欠となる。建築家であれば特に、建築材料となる『亜世界樹』や植物を司る木の精霊、及びそれら植物の命の源となる水や風の精霊の扱いになれているのは、至極当然のこと。むしろ、関連する精霊を上手く使いこなして、『亜世界』での暮らしをより良いものにしていくことこそ、この『亜世界』における職業という言葉の意味だと言ってもよいでしょうね」
「なるほど……」
私は1人で頷く。
実は私、最初に目の前のか弱そうな女の子のことを建築家って言われたとき、正直あんまりしっくりきてなかった。こんな、か弱そうなただの女の子みたいなエルフが、建築家?まあ、設計図を作ったり、家のデザインしたりとかなら出来るのかもだけどさ……、実際に木を切ったり、釘を打って組み立てたりとか、この娘に出来るの?そういうのは、もっと屈強でマッチョな妖精が別にいて、その人に任せてるの?って思ってた。
でもそれも、精霊の力を借りるってなれば話は別だ。さっきエア様が見せてくれた、手品みたいないろいろな精霊の魔法。あれでも初歩の初歩だって話だから、もっと極めれば、更にすごいことだってできるってことだ。そういうのを使えば、彼女でもガテン系の職業をちゃんとこなすことが出来るものなんだろう。
「それに……」
私の考えがまとまるのを待ってくれていたかのように、タイミングよくエア様が続ける。
「実は、わたくしたちの周囲に果てしなく広がっているこの『亜世界樹』は非常に丈夫で、雨や腐食にも強い、建築材料としてとても理想的な物でして……実際のところ、わたくしたちが今立っているこの地面はもちろん、わたくしたちが日々寝泊まりしている家やその中の調度品、あるいは、その他の細々した物についてまで。この『亜世界』に存在するほとんどの人工物は、この娘が『亜世界樹』を加工して作ってくれた物なのですよ」
「そ、そうなんですか……」
それも私には何となく理解できた。
だって、私が『亜世界樹』の存在を知ってから改めて周囲を見まわしてみて分かったんだけど、私たちを取り囲んでるこの森って、実のところそのほとんどが『亜世界樹』の一部だったんだ。そりゃ、地面の『亜世界樹』の根っこから雑草が生えてたり、『亜世界樹』の枝に寄生する感じで明らかに別の種類の木が伸びてたりもするけれど。でも、それ以外の視界に入る植物の9割以上は、全部『亜世界樹』って言ってもよさそうなくらい、この『亜世界』は圧倒的に『亜世界樹』に支配されていたんだ。
だから、その「建築家ちゃん」が精霊の力で何かをつくろうって思ったときも、主な建築材料が『亜世界樹』になるのは、充分に納得できることだったんだ。『亜世界樹』の丈夫さも、さっき地面に叩きつけられて嫌と言うほど思い知らされてるしね。
「え!?『お姉様と私の部屋の間の壁を、取り払え』ですって……!?お姉様ったら!今日はいつにも増して大胆ですのねっ!?……で、でも私、そんな風に攻められるのも、嫌いじゃなくってよ……。分かりましたわ。それでは善は急げということで、私、今すぐにでも『建築』を開始して……」
むしろ、私が1番信じられないのは、彼女のこの性格の方だ。だってこの娘、エア様と全然違って落ち着きないし、妄想癖が強いし、うざいし。
顔はよく似てるけど、この娘、ホントにエア様の妹なの……?
「ああ、そうだわっ!」
そこで、エア様が何かを思い付いたように手を打って、体を翻した。
「え、エア様?どうしたんですか……?」
「わたくし、大事な事を思い出しましたわ!」
「ああんっ」
突然エア様が体を動かすものだから、抱きついていた「建築家ちゃん」はバランスを崩して倒れてしまいそうになっていた。
「お、お姉様、どうしましたの!?『大事な事を思い出した』って、一体……?はっ!そうか!ベッドですわねっ!?私たちの部屋をくっつけるのだから、同時に私たちのベッドも1つにしてしまいなさいと、そうおっしゃるつもりなのねっ!分かりましたわ!私、2人の愛の巣に相応しい、最高のベッドを『建築』して……」
当然、エア様の話がそんなことなわけはない。
エア様は妹さんを無視して、私に言う。
「せっかくアリサ様がこの『亜世界』に来てくださったというのに、わたくし、アリサ様のお部屋をご用意しておくのをすっかり忘れていましたわ。これでは、今夜アリサ様がお休みになる場所がなくって、困ってしまいますわ」
「え?私の部屋、ですか?」
「ええ。だってアリサ様は、これからこの『亜世界』でわたくしたちと暮らすんですもの。わたくしたちと同じようにお部屋がなければ困るでしょう?ああもう、本当にうっかりしていましたわ」
そうして、照れるように頬を染めて笑う。エア様のそんな顔は、とても可愛らしい。
彼女は続ける。
「建築家、ちょうど貴女が来てくれてよかったわ。起きたばかりのところ悪いのだけれど、今すぐアリサ様のお部屋を建築してもらえるかしら?とっておきの、最上級のお部屋をね」
「……?アリサ?」
で、何故かこいつは、「その名前、今初めて聞きました」みたいな顔してるし……。
やっぱり、さっきエア様が私の紹介したの、聞いてなかったわけね……。
「ええ。そこにいらっしゃる、アリサ様の為のお部屋を作ってほしいのよ」
そう言ってエア様が私を示すのを見て、そこでやっと、「建築家ちゃん」は私の存在を思い出したようだ。
「ああ……、『それ』のことですの?」
値踏みするように、上から下まで私を見る。
エア様によく似た美人な顔つきが、まるで汚物でも見るように皺を寄せてゆがませている表情のせいでだいぶ台無しになっている。
「ふぅーん……。こいつが、『今日やってくる』って話になっていた、例の異世界人ですのね?」
「え?あ……ああ、うん。そうですそうです!私、七嶋アリサっていう名前で……」
「研究者がいろいろと言ってたのを聞きましたけど……なんか、アレですわね?想像してたよりもずっと……」
「ずっと……?」
「………………ふっ」
と思ったら、バカにするように鼻をならしやがった。こいつ、ホントに無礼だな!
「もう、建築家!だから、アリサ様はわたくしたちのお客様なのだから、無礼な行為は……」
「ええ、大丈夫ですわよお姉様。私、ちゃんと分かっていますわ」
そう言うと、やっとその「建築家ちゃん」はエア様の体から離れて、立ち上がった。
「他ならぬお姉様のお願いですものね。お姉様のお望みとあれば、例え小汚い野良犬のためだとしても、部屋の1つや2つ、すぐに『建築』して差し上げますわ」
「だから!アリサ様は犬などではなく……」
「分かっていますってば、お姉様。それより……『亜世界樹』の木の精霊は、他の精霊たちより少しデリケートなのです。ですから、少しの間だけ……」
自分の口に指をあてて、静かにするように言う「建築家ちゃん」。その顔は、いつの間にか結構真剣な表情になっていた。エア様は、慌てて口をつぐむ。
「すぐに、その異世界人の部屋を、作ってしまいますからね……」
そう言うと、目を瞑って静かに深呼吸するように胸を上下させ始めた。
そのときの「建築家ちゃん」は、何故だか私には、マンガとかに出てくる空手とか拳法の達人のように見えた。ただその場に立って呼吸をしているだけなのに、動きに無駄がなくて、全然隙が無くて、何か特別な儀式でも始まったみたいな緊張感がある。
例えば、もしも空からたくさんの鋭い槍が降ってきたとしても、きっと今の彼女だけには当たらないんだろうな、って思ってしまうような。そんな特別な感じをさせるオーラが、彼女の周りに漂っているような気がしたんだ。
「良かった……これで安心です。彼女が、すぐにアリサ様のお部屋を『建築』してくれますからね……」
小声で私に呟くエア様。でも私は、それには答えない。「建築家ちゃん」の動きから、目を離すことが出来なかったから。
これから、「建築家ちゃん」が私の部屋の『建築』を始める。精霊を使って、『亜世界樹』を加工して。一体、それってどんな風に……?
やがて。
彼女は手を口元に添えると、まるで、手のひらに乗せた紙吹雪を息で散らすような感じで、ふぅーっと息を吹いた。深呼吸の続きかな?と思っていたわたしは、次の瞬間に絶句する。
彼女の口から、ダイヤモンドダストのようにキラキラと光る気体が空気中へと放出された。それは、吐息だ。彼女の吐息が、宝石のように光を反射して光って、空気中にばらまかれていたんだ。
その光景はとてもとても、今まで私が見たことないくらいに、綺麗だった。
その輝く吐息は、粉雪のようにふわりと地面へと舞い落ちる。すると、やがてそれが落ちた部分を中心に、地面がぐねぐねと波打ち始めた。地面ってことはつまり、『亜世界樹』の根っこだ。その根っこが波打ちながら、少しずつ盛り上がっていったんだ。さっき尻餅をついたときは確かにコンクリートみたいに固かったはずなのに、今は、まるで十分にこねたあとの粘土みたいに柔らかそう。そうだ。まさに、クレイアニメで粘土が徐々に形を変えていくような感じだ。うねりながら、『亜世界樹』の根っこたちがだんだんその形を変えていく。複数の根っこが重なり合って、混ざり合って、1つの塊になりながら、少しずつ1軒の家みたいな形に変わっていったんだ。
「こ、これが、『建築』……すご……」
私はその場に立ち尽くして、そんなことをつぶやいていた。
気が付くと、いつの間にか隣に来ていたエア様が、「うふふ……」と笑っている。
「植物が、水や酸素を求めて葉や根を伸ばすように、風と水の精霊を操る彼女の吐息には、植物を動かす力があるのです。それはつまり、その吐息をうまく操作してやることで、植物を好きな形に生長させることが出来るということ……望む形に、植物を加工することが出来るということ……。そうやって建物などを『建築』するのが、彼女……建築家なのです……」
「そ、そうなんです、ね……」
内面は相当驚いていたけれど、逆に、驚きすぎてどんなリアクションをとればいいのか分からずにいる感じだった。だって「建築」っていう意味が、「光る吐息で木を柔らかくさせて、粘土みたいに形を変えて家をつくる」なんて……そんなの想像出来るわけないもん……。
「先ほども申し上げました通り、この建築家は、生まれてから今までずっと、建築家としての役割を演じて来ました……ざっと、1000年ほど…」
「1000年っ!?」
「ええ。わたくしたちエルフというのは、少しばかりアリサ様たち人間よりも長生きなようですね……」
いやいや、全然少しじゃないから……。当然そう思ってちょっと呆れたけど、話の腰を折りたくなかったから私は黙っている。
「建築家だけではありません。わたくしも、他の妹たちも……この『亜世界』に生きるエルフは、既に1000年以上の月日を、同じ役割…同じ『職業』を演じて過ごしています。そして……きっとこれはアリサ様の世界でも同じだと思うのですが、1人の個人が長い期間同じ『職業』についていると、やがてその個人には、その『職業』に関する非常に高度な技術が身につくものです。その『職業』についたことのない者には、まるで魔法にしか見えないような技術が……」
「そ、それがこの、精霊魔法ってこと……?」
「ええ……」
エア様は頷く。
「実のところ、ただ今建築家が発揮している力は、魔法などでもなんでもありません。本当に、ただの技術なのです。長い年月の積み重ねによって自然に習得された、その『職業』特有の技能……『職能』なのです。だからもしも、アリサ様があの娘と同じように建築家として1000年という月日を重ねたならば、きっと貴女も、あの娘と同じことが出来るようになると思いますよ」
いやいやいや……。
あんなの、1000年かかったって出来っこないでしょ。第一、人間の私は1000年も生きられないし……。
「は、はは……」
私はもう、笑うしかなかった。
それからちょっとして。
「ふう。終わったわ……」
そう言って目を開いて、「建築家ちゃん」が私たちの方を振り向いた。
見ると、彼女の側でうねっていた『亜世界樹』の根っこたちの動きも完全に収まっていて、粘土のようにぐねぐねと歪んでいた家の形も、まるで定規でひかれた直線のようにまっすぐに定まっていた。
どうやら私の部屋は、完成したらしい。
「初めて作ったにしては、割と満足いくものが『建築』できたわ。ま、85点ってとこかしらね」
そんな言葉が謙遜に聞こえるほど、それは、完璧な出来だった。
入口は、アーチを描いた西洋の教会のようなデザイン。家に対して大きな比率になっていて、とても風通しがよさそうだ。傾斜のついた屋根には、壁やその他の部分とは色味の違う木材を使っていて、木本来の自然な風合いを壊すことなく、淡いコントラストを表現している。全体的にシンプルなつくりでありながら、随所に『亜世界樹』の枝が絡みつくアールヌーボー風の装飾がなされているあたりも、仕事が細かくてポイントが高い。
高さが私の腰ほどのその家は、本当に、『亜世界樹』だけで出来ているとは思えないほど完璧な……完璧な…………ん?腰ほどの、高さ……?
こ、これって……。
「どう?気に入ってくれたかしら?」
「こんなもん、ただの犬小屋じゃねーかっ!」
得意げに胸を張る「建築家ちゃん」に、私はブチギレていた。
彼女が1000年かけて培った『職能』で作ってくれたのは、腰の高さくらいの大きさのミニサイズの家………というか、完璧な犬小屋だった。
「あら、気に入らないの?せっかく私が、貧相な貴女にぴったりの、貧相なお部屋を『建築』してあげたっていうのに」
そんなことを言って、明らかに私をバカにしている態度の「建築家ちゃん」。しかも、「貧相」っていうワードを言うとき、明らかに私の胸を見ていたし……。
「ああ、でも。入口はもう少し小さくてもよかったかもしれないわね。一応、這いつくばって入ることを想定しているのだけど、もしかしたら胸がでっぱりになって引っかかってしまうかも、って思って、全体に対してちょっと大きめの設計にしてるのよ。でも、貴女みたいな貧相な体つきなら全然そんな心配なかったわね。貴女みたいな、貧相な体つきならね」
「何度も、貧相貧相言うんじゃねーっ!あ、あんただって、そんなに私と変わんないでしょーがっ!」
「あら?私のこれは、まだまだ発展途上なのよ?お姉様の遺伝子があるのだから、将来的にはあんたなんか余裕でぶっちぎれちゃうのだけど?……ねー、お姉様ー?」
こ、こいつ、絶対許さん……。
「ああ、もう。建築家ったら……」
呆れた様子で天を仰ぐエア様を挟んで、私と「建築家ちゃん」はお互いを睨みつけて、一触即発な感じだった。




