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百合する亜世界召喚 ~Hello, A-World!~  作者: 紙月三角
chapter04. Flowers for Absolute World
34/110

08

 気が付くと、大きな白い石を重ね合わせて作られた壁と天井が目に入ってきた。ここは、小さな部屋の中。そして私は今、その部屋の真ん中にある白いベッドの上に寝かされているみたいだ。


 室内には家具も何もなくって、申し訳程度に壁の1面に小さな窓がついているだけ。シンプル……っていうよりは、質素って言った方が正しいような部屋だ。その窓から見える景色だって、空を覆い尽くす一面の雲だけだし。

 視界全てが、世界を漂白したみたいな真っ白さ。

 私にとってそれは、見覚えのある白さだった。


「お目覚めですか?」

 あのときと同じようなささやき声が、耳元に聞こえてくる。私は特に驚いたりもせずに、その声の方を振り向いた。

「随分と、長くお休みでしたね?」

「ああ、うん……」

 金髪のイケメンが、ベッドの隣で私に笑いかけている。私が最初に会った金髪王子だ。どうやら私はまた、『人間男の亜世界』の、この王子のお城に戻ってきているらしい。


 でも…どうやって?

 ここまでの経緯を思い出そうとするけれど、起きたばかりで意識が朦朧としているせいか、うまく記憶をたどることが出来ない。確か、『モンスター女の亜世界』で、『管理者』のアシュタリアと戦おうとしていたところだった気がするんだけど…その後、どうなったんだっけ?

 ……思い出せない。

 ただ、自分がこの『亜世界』に戻ってきたということ。それに、そもそも今現在私が生きているっていう事実を考えると、どうしてもあの戦いの勝敗は決まってしまうような気がした。

 え、まじで?

 まさか私、本当にアシュタリアの『亜世界』を……?


「まずは、お礼を言わなければいけませんね?ありがとうございました。私たちがお願いしたことを、あなたは見事に果たして下さった。お陰で我々の世界は、また1つ完成に近づきました」

「はあ……」

 そんな金髪王子の言葉を聞いたあとでさえも、私にはまだ、自分がやったであろうことを信じる気にはなれなかった。

 だって。

 だって私はあのとき、レベル8しかなかったはずなんだよ?それなのに、あの『亜世界』の『管理者』で、レベルが100だったアシュタリアに勝ったってこと?私がアシュタリアに魔法をかけて、『モンスター女の亜世界』は、『人間男の亜世界』に結合されたっていうこと?いやいやいや、そんなまさか……。


 訳がわからなくて、頭がどうかなりそうだ。そんな私の様子がおかしかったらしく、金髪王子は優しく微笑んだ。

「ふふっ……。ああ、失礼。『亜世界』同士が結合してから、もう3日が経ちました。その間、あなたはずっと眠り続けていたんです。混乱するのも無理はありませんよね」そしてそう言って部屋のドアを開けると、私を外へと促した。「どうぞ、こちらへ。あなたが眠られている間に、ここも様々なことが変わりました。今までに起こったことを、ご説明しましょう。それに、ぜひともあなたに見ていただきたい物もありますし……」

 まだ頭がぼおーっとして、上手く考えがまとまらない私。ベッドから起き上がると、言われるがままに、彼の後を付いていった。


「『それ』を見れば、きっとあなたは、自分のしたことを誇りに思いますよ……」




   ※




 それからしばらくの間、私は王子に先導されてお城の廊下を歩いていた。


 廊下の窓から外を見ると、階下には噴水のある中庭のような場所が見える。どうやらここは、お城の2階か3階にあたるらしい。

 噴水のまわりでは、数人の少年たちが笑い声をあげながらサッカーのような遊びをしている。お城の関係者の子供だろうか?何の気なしにその子供たちの様子に視線を傾けているうちに、次第に、私の心は落ちていってしまった。

「アシュタリア……」

 楽しそうに遊ぶ子供たちを見ていると、どうしても私は思い出してしまう。あの子たちのように無邪気な顔で笑う、彼女のことを…。

 その頃には、私の記憶は少しだけ甦ってきていた。私がアシュタリアに魔法をかけたときの記憶も、おぼろげながら思い出せるようになっていた。

 あのとき起こったことは、こうだ。


 お互いの考えが相いれないことに気づいた私は、アシュタリアに向かって無我夢中でぶつかっていった。彼女もそんな私に対して、全力で反撃を繰り出そうとしていた……ハズだった。

 でも、私の体がまさに彼女とぶつかるっていうあの瞬間、突然彼女が体のバランスを失ったみたいに体勢を崩して、地面に膝をついてしまったんだ。私は何が起こったのか訳が分からなかったけど、とにかくその一瞬の隙をついて、彼女に抱きついた。そして、自分の顔を彼女の顔に近づけて、彼女の唇にキスをしたんだ……。

 あのときの感触は、まだほのかに私の唇に残っているような感じがする。苦くて、しょっぱくて、罪悪感に満ちている……私のファーストキス。


 でも……。

 つらい思い出を振り払うように、頭を振って元の考えに戻る。

 起こった現象は思い出せても、その理由については、やっぱり分からないままだ。

 だってあんなこと、本当なら起こるハズがない。あの『亜世界』のルールからしたら、私の魔法がアシュタリアに成功するなんて、絶対にあり得ないことなんだ。それこそ、「奇跡」でも起きない限りは絶対にあり得ない…。

 だけど、彼女が「完璧に公平な世界」とまで言った『亜世界』に、本当に「奇跡」なんて曖昧で不確かなものがあるのだろうか?あんなにも公平さ(フェアネス)を大事にしていた彼女が、訳もなくレベル8の私なんかに負けたりする?

 きっと、それもあり得ない。

 ただ単に私が気づいていないだけで、あのときああなったのには、何かの理由があったんだと思う。そうでなければおかしい。そうでなければ、『管理者』としてあの『亜世界』を守ろうとしていたアシュタリアに対して、私は申し訳ない気がするから……。



「はぁ…」

 こんなこと、いくら考えたって今更意味の無いことだ。もう、やめにしよう。

 今確かなことは、アシュタリアの『亜世界』が結合されてなくなったってこと。ティオやサラニアちゃんや、他のたくさんのモンスターたちを傷つけてきたレベルのルールは、もう完全に消滅したっていうことだ。

 これで、ティオたちのようなことはもう2度と起こらない。モンスターたちはレベルなんて数字に惑わされたりしないで、もっと自由に、自分の気持ちに正直に生きていけるようになったんだ。

 …………。

 アシュタリアは、こんな『亜世界』のことをどう思っているだろう…。

 きっと、すごく戸惑ってるだろうし、反発しているんだと思う。そりゃそうだ。だって、あんなに自信満々に言っていた自分の『完璧な亜世界』を、私が消してしまったんだから。

 ……でも。いつかきっと、彼女も分かってくれると思う。レベルなんていうおかしなルールが無くなった世界がどれだけ素晴らしいかってことを、彼女なら理解してくれると思う。

 タルトちゃんとしての彼女としばらく一緒にいた私としては、そう信じたかった。



「…………というわけで、僕らの世界のリソース不足は、完全に解消されて……」

 ふと気付くと、私の前を歩いていた金髪王子が、ずっと私に何か話しかけていたらしい。完全に1人の世界に入っていた私には、当然、そんなの全く聞こえていなかった。

「あ、ごめん。考えごとしてて、王子の話全然聞いてなかったわ」

「えぇ?もう…お願いしますよ?せっかく僕が、今まで起きたことを色々と説明して差し上げていたというのに……」

 不満そうに眉を寄せる王子。私はばつが悪くて、視線を外す。

「あー、だからごめんってば。反省してまぁーす!」

「仕方ありませんね。それでは、もう1度最初から……」

「へーいへい」

 でも。

「ん……?」

 そこで私は、少し不思議なことに気付いた。


 王子から視線を外して、窓の外を見ていた私。そこから見える、さっきの中庭でサッカーをしている子供たちの様子が、何だかおかしいような気がしたんだ。

「あ、あれ?」窓から顔を出して、目を凝らしてもっとよく見てみる。「なんか……あの、サッカーに使ってるボールって……」

 私が気になったのは、さっきから子供たちが熱心に蹴って遊んでいる、ボールのことだ。

 それは、青くて半透明な、何処にでもあるような何の変哲もない、普通のゴムボール……でも、それはあくまでも私の世界の話だ。

 この中世ヨーロッパのような剣と魔法の世界で考えてみると、その青の発色のよさは、あまりにも違和感がある。この『亜世界』に、あんなきれいなカラーのゴムボールを作る技術があるんだろうか…………と、ゆうか。

 そもそも私はあれに、ボールじゃなくって違う物として、見覚えがあったんだ。


「ちょっ、ちょっと!?あ、あ、あれ!あの子供たちが蹴って遊んでるのって、スライムじゃないのっ!?」

 そうだ。間違いない。あれは、『モンスター女の亜世界』で私が出会ったのと同じ、スライムだ。

「あ、危ないよっ!すぐにやめさせなきゃ!あいつらって一見ザコっぽく見えるけど、実は結構たちが悪くって、油断すると窒息とかさせられちゃったりするんだよ!?あのままだと、あの子たちも私のときみたいに…」

 自分がかつてスライムに殺されかけたことを思い出して、必死でうったえる私。でも王子はそんな私の言葉に全くあせったりしない。完全に落ち着きはらった様子で首を横に振って、金髪を揺らした。

「大丈夫ですよ」

「え?」

「私たちは、あいつらに傷つけられることはありませんから」

「い、いやいやいや…何言ってんのよ…。そんな訳ないでしょうが。だって、スライムだよ?モンスターなんだよ?」

「ええ。だから、大丈夫なのです」

 意味が分からない私。

 でも。

 確かにそれからしばらく様子を見ていても、その王子の言葉通り、中庭の子供たちがスライムに攻撃を受けることはなかった。

「ど、どういうこと?私の時は容赦なく襲い掛かってきたのに…。あのスライムのレベルが、低かったってこと?あ、あれ?でも、この『亜世界』にはレベルのルールなんてないはずじゃあ……」

 ますます意味がわからなくなる私。

「ふふふ……」

 でも、そんな私に金髪王子は何も教えてくれず、ただただ余裕ぶった不敵な笑みを浮かべているだけだった。

 何か……ちょっと、むかつく。

「……何?何笑ってんの?」

「レベル…ね。なるほど…」

「なるほど…、じゃねーよ…。なんか言いたいのなら、もうちょいはっきり言ってくれる?」

 むかつきが押さえきれずに、彼をにらみつける私。

 それに観念したのか、王子はやっとまともに話し始めた。

「いや、実はですね……。僕らの『亜世界』の研究者によって、『モンスター女の亜世界』には、『それぞれのモンスターの強さを相対化する仕組みがある』ということは、既に分かっていたのですよ。例えば、全てのモンスターに数値が割り振られていて、数値が大きいほどそのモンスターは強い、というような仕組みがね……」

「そ、それってまさに、レベルのルールのことなんですけど…」

「そう。モンスターたちの間では、その数字のことを『レベル』と表現していたようですね……」

 得意気な顔をする王子。私は、少しだけそんな彼に感心してしまった。

「へ、へー……」

 王子たち人間男は、物理的には『モンスター女の亜世界』に来ることは出来なかったはずだ。それにもかかわらず、見たこともないはずの『モンスター女の亜世界』のレベルのルールの存在に、ほとんど気付いていたというわけだ。どうやって調べたのかは分からなかったけれど、それは純粋にすごいと思った。


「しかし…。くくく……」

 前言撤回。やっぱこいつ、むかつくな。

 またしても嫌味な笑いを浮かべる王子に、ついさっき私が感心した気持ちは急速に覚めてしまう。

「ある『亜世界』の『強さ』が、別の『亜世界』の『強さ』と同じとは、限らないですよね……?『亜世界』が違うということは、そこに存在する物事の判断基準も異なる。つまり、『ものさし』が違うということです。『バケツいっぱいの金貨』と『コップ1杯の金貨』が全く異なる意味を持つように、異なる2つの『亜世界』では、『強さ』の概念も当然違う意味を持っていると考えるのが、自然ではありませんか?」

「あ、あんた……一体何が言いたいの?」

 そのときの王子の言葉は、あのときアシュタリアが私に言った言葉によく似ていた。私は思わず、語調をきつくしてしまう。

 何だか嫌な予感がして、背中に冷や汗が1滴、静かに流れた。


 突然、王子が立ち止まる。

「どうやら、目的の場所についたようです…」

 そう言われて前を見てみると、私たちはいつのまにか廊下の突き当たりにいた。そこにあったのは、屈強な衛兵に守られた鉄の扉だ。

 王子はさっきの私の質問には答えず、あくまで紳士的に、私を扉の方へと促す。

「どうぞ、この先へ……。私があなたにお見せしたい物は、この先にあります。きっとそれを見れば、あなたの疑問も解消するでしょう」

「……」

 さっきの子供たちとスライムのことはまだ少し心配だったけれど、でもそれ以上に、私はその扉の向こうのことが気になってきていた。嫌な予感はどんどん高まっていたけれど、この先にあるものを見ないことには、きっとこの気持ちが晴れることはないような気がしていた。

 だから私は、衛兵が重々しく開いたその扉の向こうへと、歩みを進めた。



「くっ……」

 薄暗い室内に1歩入るなり、キツい血の匂いに襲われて、すぐに手で鼻と口を覆わなければならなくなった。

 この感じは、ナーガの洞窟でサテュロスの死体の山を見たときに少しだけ似ている。でも、ここにはあのときに加えて、夏の生ゴミ置き場のような腐臭や、排泄物のような強烈な臭いまで加わっている。気分が悪くなってきて、胃液が逆流してくる。

 それでも、私はなんとかそれを我慢しつつ、部屋の奥へと歩いていく。そして……。

「えっ!?な、何でっ!?」

 その部屋の壁にあった「もの」を見つけたあとは、もう気分の悪さなんてどうでもよくなってしまった。


 その部屋は、窓も何もない、6畳のワンルームくらいの小部屋。その入り口のドアに面した壁に、十字架のような形に組まれた木の板が立て掛けられていた。そしてその十字架には、錆び付いた大きな鉄の杭で両手と両足を打ち付けられて、小柄な女の子が張り付けになっていたんだ。

 青い肌に、角の生えた女の子…………それは、アシュタリアだった。


「ど、どういうこと?あ、アシュタリア、何があったの?」

 痛々しく打ち付けられている彼女に、手を伸ばそうとする私。でも、薄暗い部屋の中にまぎれていたらしい別の衛兵に腕を捕まれて、それを止められてしまった。

「ちょっ、ちょっとっ!」捕まれた手から逃れようと、全力で抵抗する。「何すんのよっ!離してよっ!」

 でも、その衛兵が押さえつける力はものすごくて、私はまるで身動きがとれない。

 

 そんな私の横を、金髪王子がゆっくりと通りすぎる。そしてアシュタリアの前まで歩いていって、ぐったりと脱力している彼女の頭を、ノックでもするように2、3回叩いた。

「う、うう……」

「ふむ」

 呻き声をあげるアシュタリアに、満足そうに頷く王子。

「やはりコレが、『モンスター女の亜世界』の『管理者』でよいのですよね?『亜世界』同士が結合した後、すぐに僕たちが捕獲したわけなのですが……。なにぶんあまりにも手応えがなかったもので、本当に『管理者』なのか、少し自信をなくしていたところだったのですよ」

「ほ、捕獲……?どういうこと?どうしてアシュタリアに、こんなことをしてるの!?」

「もちろん、この『亜世界』のためです」

「この『亜世界』の……ため?」

 またさっきの気持ちの悪い笑みを浮かべる王子。でも、今の状況に理解が追い付いていなかった私は、その態度にむかつくよりも、何か恐怖に似た感情を感じ始めていた。

「コレの『亜世界』では、『管理者』というのは、最強のモンスターのことなんでしょう?他のどのモンスターよりも強くて、恐れられている存在なんでしょう?だから僕たちは、そんな『管理者』をこうやって捕まえて見せ物にしておけば、他のモンスターたちにとっての牽制になると考えたのです」

「け、牽制?」

「そうです。試しに、モンスターたちの立場になって考えてみると、分かっていただけると思うのですが……。何も知らないモンスターたちにしてみれば、ある日突然、何の前触れもなく自分たちの世界がなくなって、見たこともない世界に転送されて来たことになるわけですよね?それは、いまだかつて経験したことのないような事態だ。きっと彼女たちは、さぞかし驚いたことでしょう」王子は話しながら、微笑みをやめない。「しかもその新しい世界では、かつては自分たちの中で最強の存在だった『管理者』モンスターが、僕たち人間になすすべなく捕まっているのです。その事実を突き付けられたとき、モンスターたちはどう思うでしょうか?きっとどんなバカでも、こう思うはずですよ?……この『亜世界』にいる人間という存在は、自分たちよりもずっと強いんだ……抵抗するなんて無駄なんだ……とね?そうなれば、もうこっちのものです。この『亜世界』では自分たちはどうすることも出来ないと分かったモンスターたちは、やがて全てを諦めて、先程のスライムのように従順な、我々の『おもちゃ』になってくれる……」

「そ、そんなバカな………」

 他のモンスターに人間の力を思い知らせるために、アシュタリアを捕まえている?そんな、なんてひどいことを考えるのよ!?

 で、でも、そもそもそんなこと出来るわけないよ。だって、だってアシュタリアは……。

「彼女は、レベル100の最強のモンスターのはずなんだよ…?おかしいよ…。こんな簡単に、彼女が人間に捕まるなんて……」

「最強…ですか。ふふふ……」

 王子はふと思い立ったかのように、突然アシュタリアを張り付けにしている右手の杭に手をかけると、それをグリグリと左右に動かした。

「うああぁーっ!」

 杭が刺さっている手の傷口が拡げられたせいで、苦痛の叫び声を上げるアシュタリア。王子はそんなことお構いなしで、更にその杭を動かし続ける。

「ぐぁぁーっ!」

「より正確には、『コレの亜世界では最強だった』と言うべきですよ?つまり、我々の『亜世界』での『強さ』については、何も決められていなかった。未定義の状態だったということです…」

「うううぅーっ!ああぁぁーっ!」

 痛みを紛らわすように、王子に対して怒りの叫び声をあげるアシュタリア。その顔は傷だらけで、殺意と憎悪に満ち満ちている。私の前に現れた時の、余裕ぶったかわいらしい態度の彼女とはまるで別人だ。私はそんな彼女を見ていることが出来ずに、目をそらしてしまった。

「うああぁぁーっ!ああああぁぁ…」

「……やかましいですね」

 そう呟いて、王子が衛兵に合図を送る。すると、それを受けた衛兵が、持っていた木刀のようなもので彼女の頭を容赦なく殴りつけた。

「…ぐあっ!」

「……っ!」

 アシュタリアの苦痛の声。それに合わせて、まるで自分が殴られたかのように私も声にならない声をあげてしまった。


 その1撃で、彼女は再び気を失ってしまったようだ。壁の十字架にぐったりと体をもたれて、動かなくなってしまった。レベル100の、圧倒的な強さを持っていたはずの彼女の、あまりにもあっけないやられっぷりだった。

 満足そうに微笑みながら、王子は言葉を続ける。

「コレが元の『亜世界』でどれだけ強かったとしても、そんなことはもう、何の関係もない。僕たちの『亜世界』にやって来た以上、コイツらは僕たち人間には絶対に敵わない。この『亜世界』のルールで、そのように決まっているのです」

「き、決まってるって……。そんな勝手なこと、出来る訳が……」

「それが、出来るのですよ」王子はまた嫌味に笑う。「あなたは覚えているでしょうか?僕があなたに初めて会った日に、『管理者』とは『亜世界』の未定義部分を決定する権利を持つ者だ、と言ったことを?」

「お、覚えてる…けど」確かに、王子は私にそんなことを言っていた気がする。でも、だからってそれが何だというんだ。「その『未定義部分を決定する』とかいう能力で、『アシュタリアを弱くした』とでも言うわけ?そ、そんなの無理でしょ…?だって、アシュタリアはあんたとは別の『亜世界』の女の子なんだよ!?『この亜世界の未定義部分』とかじゃないんだから、いくらあんただって、手を出せないはずで…」

「そうとは、限りませんよ?だって、先ほど言ったでしょう?『強さ』の概念というのは『亜世界』ごとに違う…と。だから僕は『管理者』になったときに定義したのですよ。『人間男の亜世界での強さ』と、『他の亜世界の強さ』の、『比率(レート)』をね…。つまり、僕たちの『亜世界の強さ』は、『他の亜世界の強さ』の100倍の価値がある、と決めたのです。それよって、コイツらモンスターをはじめとした全ての『亜世界』の生き物は、完全に僕ら人間男よりも弱くなった」

「そ、そんな……」

「今や、モンスターたちは僕たち人間にとっての完全なる下等生物……ただの隷属者でしかない。モンスターの『亜世界』で最強と言われた、この元『管理者』ですら、僕らの『亜世界』では赤子同然になったんですよっ!あっははははっ!」

 もう抑えるのはやめて、高らかに声をあげて笑う金髪王子。

 最初は怒りだった私の感情は、恐怖を経て、今は更に別のものへと変わっていた。その強い感情に心が揺さぶられて、体もわなわなと震えはじめている。その正体は、後悔だ。

「な、なんてことを……。あんた、まさか最初からこれが目的だったの……?自分たちがモンスターたちを支配するために、私に契約を結ばせて……」

「何か、問題ありますか?」

 開き直る王子。

「互いに異なる2つの『亜世界』が結合するのです。どちらかが、どちらかに合わせなければいけない。どちらかが割りを食わなければいけないのは、仕方のないことでしょう?そして、結合の契約は僕たちの『亜世界』が決めたものなのだから、当然、僕たちの方に主導権がある。だから他の全ての『亜世界』は、僕たちの『亜世界』に合わせて結合されなければならない。僕たちに、吸収されなくてはいけないのですよ!」

「そんな……そんなの私、聞いてないよ……。ひ、ひどいよっ!私を騙したのねっ!?こんなことになるのなら、私はアシュタリアの『亜世界』を『結合』したりなんかしなかった!契約の代理人なんて、やらなかったよ!」

 「やれやれ……」と、王子はため息を吐いて首を振る。

「まさかあなたは、結合した『亜世界』の生き物同士がお互いに仲良く平和に暮らせるとでも、思っていたのですか?バカらしい……。そんなはずがないでしょう?『亜世界』が結合するということは、1つの世界が失われるということ。そしてそこに住む者たちの価値観が、否定されるということだ!そんな『負け犬』の生き物たちが、僕らと対等に生きていくことなど出来るはずがないでしょうが!」


 そんな……そんな……。

 王子が私にかけた契約の魔法が、こんな内容だったなんて……。

 私は、ショックのあまり、その場に崩れ落ちてしまった。


 王子の言う通り、私は、『亜世界』同士の契約を結べば、みんなが平和に暮らせると思っていた。

 間違ったルールからアシュタリアたちは解放されて、正しい世界で自由に暮らせるようになると思っていた。

 でも、それこそが1番の間違いだった。

 王子の契約はそんな甘いものじゃなくって、アシュタリアやあの『亜世界』のモンスターたちを自分たちの支配下に置くための、詐欺みたいなものだったんだ。

 バカな私はそんなこと知りもせず、みんなのためになると思って、アシュタリアと契約を結んでしまった。アシュタリアたちを、無理矢理王子たちの奴隷にしてしまったんだ……。


 最悪だ……。

 私は、なんて最悪なやつなんだ……。


「本当に、あなたには感謝しています…。あなたのお陰で、この『亜世界』はより完璧に近づいた。既に僕の部下たちによって、妖精男とモンスター男たちにもあなたと同じ契約を結ばせています。妖精男たちは、僕たちの世界の労働力として。そしてモンスターは男も女も、食料やストレス発散の道具として、有効利用させてもらっていますよ?僕たちの『亜世界』は、他の『亜世界』を吸収することでどんどん豊かになり、より完璧に近づいく!他の『亜世界』の生き物を踏み台にして、僕たち人間が最強の生物として、この世界に君臨するのですよ!あーはっはっはー!」


 王子のバカ笑いも、もはや私には届かない。

 自分が、大変なことをしてしまったということ。自分のせいで、たくさんのモンスターたちを傷つけてしまったということに、立ち直れなくなるほどに落ち込んでいたから。

 王子はそんな私に近付いて、強引に手を握る。

「さあ、残りはあと2つです。この調子で、よろしくお願いしますね?」

「や、やだ……やめて……」

 私は必死に首を振る。

 冗談じゃない。こんなひどい契約だと知って、これ以上こんなこと、続けられるはずがない。

 でも、そんな私の気持ちは当然のように無視される。

「『妖精女の亜世界』と、『人間女の亜世界』…。残されたその2つが僕の『亜世界』と1つになれば…それで全てが完成する。この僕の『亜世界』が、正式な世界として認められるんだ……。あはは……あははははははは……」

「もうやめてっ!私は、これ以上こんな悲しいことをするなんて……」

 精一杯の抵抗も、何の意味もなかった。


 私を次の『亜世界』に転送する準備は、私の気付かないところで既に進められていたらしい。その場から逃げ出す暇もなく、気づいた時には私は、また前のような真っ黒の空間に落とされていた。

 元の世界から、ここへ初めてやって来たときと同じような。ここから、『モンスター女の亜世界』に行ったときと同じような。


 夜の海の中を泳いでいるような、不安に満ちた浮遊感。

 体が水に溶けていってしまってるみたいに、全身の感覚もなくなっていく。でもそんな状態でも聴覚だけはまだ辛うじて生きているみたいで、消え行く意識の奥でさっきのバカ王子のバカ笑いが私の耳にうっすらと聞こえていた。

 そしてその中に紛れて、微かに別の声も。


「ナナ…シマ……アリサ……」

 それは聞き間違えるはずもなく、アシュタリアの声だった。


 でも。やがて聴覚も完全に失われてしまい、何も聞こえなくなってしまった。

 彼女は私の名前の後に、何を言うつもりだったのだろう?それは分からない。ただ、そのときの私が出来ることは、ただ1つだけ。真っ暗な暗闇の中で、彼女に謝り続けることだけだった。


 アシュタリア、みんな…ごめん……。ごめんなさい……。




   ※




 次に意識が戻ったときには、私はまた、深い森の中で横になっていた。


 一瞬、『モンスター女の亜世界』に戻ってこれたのかと思って飛び起きる。でもすぐに、現実はそんなに甘くないってことを思い知らされた。


 リィーン…リィーン…リィーン……。

 私の周囲で、うっすらと鈴虫のなき声のような音が聞こえていた。それに私の足元では、蟻のような小さな虫が何十匹も何百匹も群れをなして、木の実のようなものを運んでいた。

 つまり、この『亜世界』には、虫がいるんだ。

 虫がいるってことは、ここにはレベルのルールは存在しないってことだから、ここがアシュタリアたちの『亜世界』であるはずがないんだ。


 当然のことだ。

 私は何を、都合のいい期待しているんだろう。バカみたいだ。

 だってあの世界は、もう消えてなくなってしまった。私が、消してしまったんだから……。



 小さくため息をついて、辺りを見回す。

 よく見てみると、周囲にはえる草木は幾何学的な形に整然と並んでいて、自然に発生してきたというよりは、人工的に作られているような印象を受ける。そのせいか、植物の間には充分な間隔が開けられていて風通しがよく、前の『亜世界』のような蒸し暑さは感じない。それどころか、少し肌寒ささえ感じるくらいだ。

 あそこが高温多湿の熱帯雨林だとしたなら、今私がいるのは、森林浴なんかするために作られた避暑地の森って感じ。

 ただし、どこまでいっても延々と同じような景色が続いているところを見ると、その森は不用意に入ったら迷子になって出られなくなっちゃうくらいに広大なものらしいけど。

 ちょうどいい。

 私はそう思った。


 私が余計なことをしたから、『モンスター女の亜世界』はなくなってしまった。アシュタリアは貼り付けにされて、他のモンスターも、バカ王子たちの奴隷同然になってしまった。それにティオが死んでしまったのも、サラニアちゃんが死んでしまったのも、全部私のせいだ。私は、周りの人みんなを不幸にする。私がいるせいで、みんなが傷ついてしまう。元の世界でも、あの子を傷つけてしまったし……。

 だからもう、私は余計なことをしない方がいいんだ。

 ここがどんな『亜世界』かは知らないけど、こんな広大な森なら、きっと私は誰にも会わずにすむだろう。誰も私のことなんて、気付かないだろう。


 もう一度その場に横になると、静かに目をつむる。

 私はここで、死ぬことにしたんだ。

 もう、2度とこの目を開けることはない。誰にも会わず、何もせず、死ぬまでここで眠り続けるんだ。『管理者』にも会わずに、ここで餓死してしまうんだ。

 そうするのが、きっと1番いいことなんだ…。


 心を決めて、意識を彼方へと飛ばしていく私。でも……。

 しばらくすると、近くの草むらからガサガサと物音が聞こえてきて、そんな私の意識を戻してしまった。


 野性の動物かもしれない。

 例えば、狼とか熊とか。そんな、肉食の猛獣かもしれない。

 うん。そんな動物に餌として食べられてしまうのも、悪くないな。生きたまま食べられるのはかなり痛くて苦しいとは思うけど、そんなのは私が他の人たちにしたことに比べれば、全然大したことない。これで、私は誰も傷つけることなく……。

 でも、そんな私の予想は裏切られる。その物音は猛獣のものではなかったんだ。


「よかった。時間ぴったりでしたね」

 突然、小鳥のさえずりのような美しい声で、誰かがそんなことを言った。


 私は驚きのあまり、目を開けてその声がした方を見る。そして、絶句してしまった。

 そこにいたのは、狼でも熊でもない。むしろ、それらとは正反対の存在。光輝くようなきれいな金髪のロングヘアーをした、長身の女の人だった。

 しかもよく見ると、その金髪からはみ出ている耳は、上の部分が長くとがっていて、それはいわゆる、ファンタジーの世界で言うところのエルフのような……。


「お待ちしておりました。わたくしは、この『亜世界』の『管理者』でございます…」


 その金髪エルフはにっこりと笑ってそう言うと、私に向かって深くお辞儀をした。

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